ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第188話「真実への招待」

「お初にお目に掛かる。我が名は―――」

 

「ヨセフ・ドレスド・月亀。甲凱王と名乗る者。魔物達との融和を説いているとも噂された変わり者。その細身に似合わぬ豪腕とあらゆる攻撃を弾く月亀王家の神盾イージスの所有者。しかし、神殿との折り合いが悪いとも囁かれる人物……オレの疑問は今四割型氷解した。お前らが戦争を起こした理由、継続を望んでいた理由も何となく予想が付いた。だが、生憎とそこの下半身四足男と話が出来たから、後にしてくれ。悪いがオレはそこの神様を名乗る連中に話があって、この世界に来たんだ。此処から全員で出て行くか。もしくは別室を用意して貰いたい」

 

 その暗幕の張られ、天井からランタンが一つ切りの部屋。

 質実剛兼を旨にしたような石製の巨大なテーブル。

 

 座席すらも石という腰に悪そうな列に揃った家臣団連中と王の顔が物凄い事になった。

 

 中央に座っていた甲凱王当人は何処か紳士然とした口元の左右に髭を蓄えた細身の70代。

 

 厳ついという程ではないにしても筋骨はピンシャンとしており、何処かアウルが老年に差し掛かったくらいの姿を思い浮かべてしまう武道派に見える。

 

 そのオールバックの銀髪と目付きは今でも猛獣を射殺せそうだ。

 

 コラート王子が同じ様にしたら似ているかもしれない。

 

 が、ザックリと目の前に最優先目標に近付く為の鍵が落ちているのに悠長な話をしている暇も無い。

 

「パーン。確か……ギリシアの牧神だったか?」

 

【如何にも……だが、まずはヨセフ達の話を聞いてやるといい。俺とは既にリンクが張られた状態。いつでもこの国内部では通信が可能だ】

 

「……日本人で二号研究とは……日本帝国連合ってのは過去の歴史をデータベースとして保持してたと考えていいのか?」

 

【それも後で教えよう。名を聞こうか】

 

「オレの名は……お前ら風に言うならカシゲ・エニシだ。邪神や悪神と呼ばれてる連中がいるとは聞いてたが、そいつが委員会の敵対勢力という事は恐らく……月面の委員会施設、マスドライバー攻略作戦でもやった時の生き残りと見た。後でしっかりと聞かせて貰うぞ。この箱庭を作った連中の思惑とお前らの歴史を……」

 

 ざわめく室内。

 

 だが、すぐにガルンが思わずと言った様子で後から耳打ちしてくる。

 

「セニカ様。誰と話してるの?」

「何―――」

 

【この者達に見えてはいない。“神の屍”に使われていた技術はこちらにもあった】

 

「そういう事か……いいだろう。お前との話は後回しにしておく。このままじゃ、オレが痛いヤツに見えて仕方ないからな」

 

 ガルンが更に独り言を重ねるこちらに胡乱な視線となる。

 しかし、甲凱王と言われた男だけは違った。

 

「どうやら、パーン様が見えているようだ。お主にも……」

 

 その声に周囲の家臣団が更にざわつく。

 中にはまさか此処にいらっしゃるのですか、と。

 思わず呟く輩すらいる。

 

「という事は、そっちにも見えてるのか?」

 

「ああ、そうだ。外なる神々の一柱よ。だが、今はこの方が言われた通り、我らの話を、現世の話をしようか」

 

「いいだろう。ガルン、鞄」

「イエス」

 

 席に腰掛けると同時にようやく周囲のざわめきが静まった。

 

 端から見たら、いきなり無礼な事を言い出した上に意味不明な言葉を言い放つ男に見えただろう。

 

 しかし、自分達の主が見えるという神を見て会話をしていたという事実を前に更なる重圧を感じてか。

 

 家臣団と背後に控える軍高官らしき者達は巌の如く押し黙った。

 

 コラート王子が父親の背後の左へと付く。

 その横ではパーン。

 

 いや、東郷と名乗った日本帝国連合の元構成員らしき相手が何処からか取り出した紅茶片手に寛いでいるのだが、誰もそちらの極大の違和感を見る者は無かった。

 

 テーブルの上の鞄から書類を取り出して目の前に並べて、話し合いを開始する。

 

「ハッキリと言えば、やってくれたなというのが本音だ。魔王よ」

 

「お前のとこの息子の優秀さが祟ったな。自分の国の死期が分かる気分を聞くつもりはないが、逆に話が分かってる分、率直に言わせて貰おう。お前ら馬鹿だろ」

 

「馬鹿、とは?」

 

「そこの神様との間にどんな取引や関係があって、月兎を襲ったのかは知らないが、そもそも人命を消費してまで無駄な戦争をする理由にはならない。少なくともその人命の価値を上回るだけの理由なんて、更に多数の人命を救う為か。あるいはこの世界の崩壊以外にありゃしない。思想、主義、私欲、実利、そういうのの大半は実際に図ってみれば、個人以外には然して重たいもんじゃないんじゃないか?」

 

「……聞いてはいたが、随分と人の命を高く評価するのだな。人命が何よりも尊い等とのたまう割りには怖ろしい逸話ばかりだが」

 

「生憎とオレはこんな人権0の世界が我慢ならない良識的な一般人だからな」

 

「はははは、それなりに人を死なせておいて、良識的か?」

 

 老王が苦笑する。

 

「ああ、お前らと月兎の連中の前線で死んだ連中を救ってやれなかったのは悪いと思ってる。だが、前線で死人が出ない限り、どちらの国も治まらないだろう? 国民同士が相憎み会う状況で殺されたから殺すという感情的な事情が納得するのは『もう疲れた』か『もう戦えない』のどちらかだ。だから、オレの介入は決着が付く寸前に行われた。将来的に一世紀は戦争なんてごめんと両国民思い知ってるだろう?」

 

 国王が僅かに瞳を伏せる。

 

「……我が国はまだ戦えたが、軍がよく働き過ぎたせいで大敗をすれば、脆く崩れそうだと……そう思っていた事は事実だ。そして、それは今現実となりつつあり、其処に魔王。君がやってきた」

 

「矛と盾は何も戦場だけの専売特許じゃない。それは何処にでもある。そして、お前らはもうオレの経済による戦術で負けたんだ。どうにかするにはどうにか出来る人間に頼むのが一番だ。それを感情が許さないというのは精神の話であって、合理的な為政者の思考じゃない。精神の話をしていいのは行政執行者が自らの国民を納得させる時だけだ。判断材料にはなっても、判断の決定的要因にしてはならないとオレは感じてる」

 

「徹底徹尾の合理主義。正しく噂に違わぬ凶人よ。だが、それでこそ戦に負けた理由にもなるか」

 

「オレがお前らに出せる案は一つだけだ。そして、それを受け入れるか。受け入れないかはお前ら次第だ。受け入れないなら、国民が貧困に喘ぎ、不満を爆発させるまで延々と内政で無駄な努力を積み重ねるといい。克服出来ない問題を解決するのは方法を知ってる奴だけだ。それが分からない奴は全てが納まるまで現状維持して嵐が過ぎ去るのを待つしかない。その間の停滞が国家をどれだけ腐敗させ、末端から崩壊していくものか。国際的地位からの致命的な脱落を招くのか。自分の国だ。確めてみればいい。その勇気があるなら」

 

 背後で瞳を凍らせた家臣団に軍人連中。

 

 こちらの手の内は分からずとも殺せはしないと理解しても、やはり抑え切れない感情を何とか御した者達は月兎の腐敗した貴族連中よりは余程に好感が持てた。

 

「我が国の金本位体制が崩壊したも同然と知って、此処から立て直す策があると?」

 

「ああ、オレは人の善意でこの国がオレの下に来てくれる事を願ってる。その為に最大限の労力を裂いても来た。この案はオレがいなければ実行不可能。そして、どうオレを扱うのかはお前ら次第。さぁ、決断は真直だ。その時、アンタはどんな理由からどんな判断をする?」

 

「己の心情と国の内情と民の懐を天秤に掛けろと言うのだな?」

 

 不敵に笑ってみせる老人はしかしその筋肉の緊張をこちらの目から隠せていない。

 

 常人が見て分からずとも、こちらの視線はあらゆる波を捉える。

 

 その視界にはしっかりと相手の心情が肉体の変化となって表れていた。

 

「今更、虚勢を張るな王様。そこの神様とやらが好きに話をしろと言った時点でどうにかする程度の策はあるんだろう。だが、それはオレを相手にしながら出来るものか? お前らの神様は万能か? オレはお前のとこの神様だって、理由があるなら殴り付けるのも消し去るのもやってのけるぞ。オレはその為の力を持ってるからな。悪いが現状はオレの話に乗るか反るかを訊ねているだけであって、駆け引きはしてない」

 

「―――具体案は? 内容くらいは教えてくれるのか? 魔王閣下」

 

「オレは確実にお前らの国とこの恒久界が金の余り過ぎで破滅するって間抜けな死に様を曝さなくて良くなるカードを持ってる。簡単な話だ。お前らが死ぬ程余らせるだろう金を現物とサーヴィスとして還元し、吸収出来る商売相手がいればいいってだけだ」

 

「商売相手?」

 

「ああ、そうだ。ちなみに周辺国でも今は金余り状態一歩手前だ。お前らが余剰した金を債券の支払いで償還した時から、数ヶ月で影域の半分を含む“昇華の地”の経済は滅茶苦茶になる」

 

 後を振り返った父親に息子が頷く。

 

「他国に押し付けるカードも潰えたか。では、その商売相手とは?」

 

「オレとオレの後にいる国家だ」

「月兎か?」

 

「いいや、そもそもこの恒久界にもう金を欲しがる地域なんて無くなるだろう。それくらいの量をオレは供給した」

 

「ならば、誰と商売をして金を支払うというのだ? この世界に今言ったようにもう金を欲しが―――」

 

 此処でようやく気付いた様子となった甲凱王がこちらを凝視する。

 

「………外神の世界ッ。灰の月か!?」

「御明察」

 

 今まで広げていた資料の一つを滑らせて王に送る。

 それを手に取って読み始めた相手が目を細めた。

 

「随分と吹っ掛けるではないか。そして、月兎がその窓口になる、と」

 

「でも、妥当だろ? 魔王様の安全保障条約付きだ。契約料は一律国民の総数で算出する。金が余ってる連中には月兎の復興に掛かる馬鹿高い復興財源になってもらう。巨額の貿易コストを払ってでもお前らが手に入れたいものがオレの国には幾らでも眠ってる。しばらくは金そのものでしか契約も取引も受け付けない。だが、その商いに食い込めれば、影域も含めた全ての国家が幾らでも富の還流する巨大経済圏の柱の一つ一つとして、その恩恵を健全に受け取る事が出来るだろう。内政改革と技術革新、それから防衛協定の3点セットだ」

 

「だが、裏社会の影響力が拡大するのは避けられないな」

 

「ははは、裏社会? あいつらが裏だというなら、表にしてやればいい。何の為の法を定める国家だ。いつだって悪人を更正させるのは法律と精神を左右する環境だ。それを用意してやればいいんだよ。悪事一つ働けない健全な商会とやらにしてやれ。違反者は逮捕逮捕罰金罰金実刑実刑。もし非合法や合法的な悪事とやらを止められなくなるというのなら、オレが魔王だからと合法的な機関を組織して理不尽な理由でぶっ潰したっていい。我が身可愛さに正義に目覚める悪党が幾らでも湧いて出るだろうさ。それともお前の国の裏社会とやらは本当に救えない連中ばかりなのか? それほどに人心と倫理は腐敗し、奴らは人を人とも思わない塵みたいな連中なのか? なら、しょうがないな。オレがこの世から綺麗サッパリ今から塵一つ残さずに掃除してやってもいいぞ」

 

「傲慢だな……だが、確かにその通りだ。我が身そのものとも言える国家。その管理を為せずして王は名乗れん」

 

「オレはそいつに出来ない事をやれと強要したりはしない。今、此処で、決断しろ。持ち帰るのも話し合うのも無しだ。お前が王だと言うのなら、自らの決意と判断によって祖国を救ってみせろ。それが範となるなら、他国も見習うだろう」

 

 相手も気付いているだろう。

 今の話の前提がどういうものであるのかは。

 

「我が国は……月兎に条件付降伏を申し出る」

 

 さすがにざわつく周囲の男達だったが、自らの主が次々に挙げていく言葉に何処か安堵したようだ。

 

 内容的には単純。

 月兎には一切賠償をしない。

 軍人への罪の追求は行わせない。

 内政干渉は全て突っぱねる。

 

「構わない。お前らがオレの後ろ盾としてオレの行動に御墨付きを与え続ける限りはそれでいい」

 

「……魔王の支配下には降らない。だが」

 

「―――魔王のあらゆる行動を肯定し、批判を黙殺する。それがお前らに求める根本的な降伏条件であり、オレが存在し続ける限り有効と見なしてもらう行動原理だ」

 

 答えを引き継げば、相手の瞳にも僅かな逡巡が見て取れた。

 

 しかし、それ以外の道は無い。

 

 戦争している間柄の国家で新規の貿易協定なんて在り得ないのだから。

 

「それでいいのならオレはこの案件をオレ自身の名において承認しよう。正式な書類はガルンに詰めさせてから、魔術で月兎に送る。さぁ、どうする?」

 

「……いいだろう。我が国は魔王に与する国として、その基本方針に従おう」

 

「決まりだな。軍のお偉方だろう後の4人。お前らの同僚は無傷で返そう。その代わり、軍が暴走したら、オレは容赦なくお前らを()()()()()()()()。月兎はお前らを罰しない。だが、強硬な主張を繰り返せば、お前らはオレを相手に難戦しつつ、国家からの信任を失くす事になるだろう。何せ今お前らの前にいる主が言った()()()()ってのはそういう事だからだ」

 

『!!?』

 

 甲凱王は後からの視線に何も答えない。

 

 それが真実だと知った男達の大半がガクリと膝を折った。

 

「では、当面の方針を尋ねようか。この直近の課題を前にしてすぐに貿易が開始されるわけではあるまい?」

 

「そうだな。今の話は数ヶ月から1年先になる。だが、それまではオレが立ち上げる事業で金の支払いのみを受け付ける形で市場の金塊を吸収させてもらおう」

 

「……何をする?」

 

「そう警戒するな。ちょっと、人材派遣業と教育分野で先駆者になってみるだけだ。レッドアイ地方は今やオレが手掛けた人材の宝庫。その連中に金塊と引き換えに現地で産業育成と人材育成をやってもらう。市場規模の拡大、新規開拓。優秀な人材による新事業と新分野の裾野が広がれば、幾らでも仕事と富は還流する。その過程で金市場も大きくなるだろう。溢れ返る金塊が適切に民間で吸収されるくらいの規模まで成長すれば、金余りなんて起きない。無論、それまではある程度の混乱はあるだろうが、混乱した地域にはただちに人材の売り込みを始める。即戦力兼教育者。それでも足りないなら、金塊のみで売ってやれる誰でも欲しいものを売り付けるって手も在る」

 

「………そう上手くゆくかな」

 

「生憎と上手くゆかない理由が無い。その為に元手を此処で買ったからな」

 

「元手?」

 

「奴隷や権利を売られた老若男女諸々。他地域でも買い漁った奴らこそが、この恒久界に次の時代を運ぶだろう。お前らが虐げ、疎んじてきた者達に感謝するんだな」

 

「―――魔王イシエ・ジー・セニカ。俺はこれまであらゆる難敵と戦ってきたが、一つ今日知った事を此処に伝えたい」

 

「何だ?」

 

 立ち上がった老人が大きく息を吐いた。

 

「敵や弱者と定める事で我が身の狭量さを隠してきたのはどうやら間違いだったようだ。その俯瞰、その思考、全てを見定める瞳……お前は考える事を止めぬ事で我が国を破った……その行いは王ではないが、為政者の見解としては正しい……相手をただ他者として色分けせず、共に在ろうとする為に方法を模索する姿勢……いつかそれが国と国の模範となれば、次代の者達は変わっていくだろう」

 

「………」

 

「では、実務者協議へと向かおうか。その為の詰めている内容をお聞かせ願えるかな。魔王の筆頭秘書官殿」

 

「イエス。いい?」

 

 確認してくるガルンに頷く。

 

「最後に一つ。我が国が月兎と再戦する事となったのは……月兎の遺跡が目的だ」

 

「遺跡?」

 

「パーン様とは随分と長い付き合いだが、この世界に()()()()()を下す為の機関が眠っていると、そう聞いている。そして、それを我が国の権威達は真であると判断した。主要四カ国。月兎、月亀、月蝶、月猫の地には其々にこの世界を動かす為の機構中枢があるとされる。その管理者こそが各国の統治者なのだ……長い時の中でその叡智が失われた月兎を次の文明崩壊までに取り込む事が出来なければ、恒久界で今までのように少数でも生き残ってきた者達がいたような出来事は起こり得ない。そう聞いている」

 

 周囲の部下達がその言葉に沈鬱な面持ちとなる。

 

「そういう事か。なら、心配するな。そもそも今現在、この世界は滅亡の危機に瀕してる。主要な人を守護する神様と言われてる連中が次の時代を築く為に灰の月すら巻き込んで文明どころか。全てを消滅させようと画策してる最中だぞ」

 

「な―――!?」

 

 さすがに驚きを隠せなくなった甲凱王が固まる。

 

「それを止めなきゃ。どの道、全員助かりゃしない。お前らの事情は分かった。だが、お前らじゃ役不足だ。神様の事は神様連中を殴れる人間に任せておけ。お前らがさっきの条件を満たし続ける限り、この世界が滅ばないよう戦ってやる。神殿が単なる石像置き場になるのを黙って待ってろ。神代は終りを告げる。これからは人の時代だ」

 

 衝撃の事実を受けて後。

 未だ棒立ちの部下に先駆け。

 王がこちらをマジマジと見つめた。

 

「……最後の覇者。いや、それは戦の時代の終りに最後立つ者という意味だったのかもしれんな」

 

 そう言い残して去っていく背中は少しだけ煤けていた。

 

 ガルンが頭を下げて実務者協議に必要な書類の入った鞄を片手に頭を下げて室内から退室していく。

 

 そうして、ようやく自分と今まで面白そうにこちらを眺めていた日本帝国連合の技官とやらが甲凱王の座っていた席の前。

 

 テーブルに載るようにしてどっかりとその獣の下半身を折り畳んで乗せた。

 

 まるで正座しているようにも見える。

 

「さて、一体何から話したものかな魔王様。それとさっきのは本当か?」

 

 おどけて見せた様子からしても余裕綽々。

 

 その下半身は獣、上半身は人間というギリシャ彫刻みたいな肉体と彫りの深い顔立ちを持つ相手は何処か日本人臭く紅茶のカップを湯のみみたいに両手で持って啜る。

 

「ああ、本当だ。それよりも音声……発音出来たんだな」

 

「姿を隠していただけだからな。ヨセフが言っていた事も事実だ。月兎には執行機《エクスキューショナー・ユニット》。要はこの世界のリセットを司る機械の生成施設がある。代々の月兎の皇主はその管理者を任されていたが、何代か前にその血族内で大きな断絶が起こった。そのせいで今は管理者不在となり、奴らにブレーキを掛ける役がいない」

 

「……オレはこの世界の大体の真実を知ってるつもりだ。そのエクスキューショナーとやらにも出会った。だが、一つ疑問がある」

 

「何だ?」

 

「委員会と同じように神になったなら、どうして自分から行動しない? 何故、こんな不確実な戦争なんて手段を月亀に取らせた?」

 

「ああ、その辺の事情は知らないのか。何、簡単な事だ。あの月面施設の破壊時、月面下のプラント兼実験場を兼ねていた此処に肉体と精神を再構成する際、月の天才が一つのプロテクトを掛けた」

 

「月の天才……()()()()()を開発した者の一人か?」

 

「ああ、月面テラフォーミングにおける大規模実験の主席研究者。当時の委員会において最高の権威でもあったやつは……我々の攻撃で消滅した仲間達を()()()()()とデータストレージ上から復元したが、同時にその事象に巻き込んだ我々を固定する為にゲームの駒にした」

 

「ゲームの駒?」

 

「やつは実に遊戯好きでね。当時、委員会の最大派閥からの誘いも蹴って何をしていたかと思えば、神の屍とそれを発展させた新人類の創造計画を使って、シミュレーション・プログラムを開発していたんだ」

 

「まさか、本当に此処は……ッ」

 

「それが【再現世界(シミュレーテッド・リアリティ・ワールド)】……恒久界と呼ばれる事になるこの月面地下世界【SRW(サルヴ)/15(フィフティーン)】の実態だ」

 

「……箱庭。社会や戦争に関するあらゆる実験を行う天才の創造したゲームって事か」

 

「魔術。量子転写技術による技術開発の場でもあったらしい。万能の力だ。その応用が可能ならば、地球環境の再生すら可能だとやつは考えていた。そして、この地獄が始った……邪神となった我らと人の守護者として設定された委員会を前にして……やつは言ったよ。これは社会実験だと。必要な実験結果が導き出されるまで何度でもやり直してくれて構わないと」

 

「ゲーム……ゲームのクリア目標は何だ?」

 

「一周期。新規文明の滅亡条件が達成されるまでに恒久界全体に及ぶ統一政体を確立し、新人類を一定水準まで育て上げる事。それが出来なければ、一定水準の原始文明からのやり直し。まぁ、やつにしてみれば、永劫の時の暇潰し。人類を適切な未来に導く為の失敗しても構わない長い長いシミュレート結果の算出方法程度の事なんだろう」

 

 その規模の大きさ。

 その思考の非常識さ。

 

 まったく天才というやつは、という言葉は非凡な母親の息子である手前呑み込んでおく。

 

「歴史を繰り返させて、最良のルートを確立する……本当にゲームのつもりか。此処に生きてる連中はゲーム上の駒くらいにしか思ってないのか。そいつ……」

 

「この世界の創造主はやつだ。レギュレーション……神等と呼ばれる者も所詮はやつの仕事の一部を代替させる為の駒に過ぎない。新人類の形態と試行錯誤される理想的な生物像。それが織り成す社会の方向性や持続性の調査発展維持の方法。あらゆるデータが今もあの蒼きクリスタルの海に収拾されている」

 

「“神の輪”だな?」

 

「いいや、それはあくまで制御ユニットに過ぎない。この貧弱な大気層しか有さない場所を薄いオゾンのみで宇宙線から隔離し、光そのものを大量に取り込む為には大蒼海《アズーリア》は無くてはならないシステムだが、それ自体が……実際には一種の量子転写技術による水素原子を用いた流動性を保つ液体ストレージだ」

 

「何だと!?」

 

「水素原子間の運動を量子転写技術による同期で規則的に変化させる事でストレージ化する技術はこの恒久界で魔術的な生物強化を受ける者達の大半とその恩恵下でしか生きられない生態的な特性を持つ生物には必須の代物。魔術的な肉体強化は水素原子に対して働く干渉を媒介にして行われる事が大半だからだ。水素が構成する分子そのものが一種のデータ塊であり、それを演算する簡易の液体プロセッサのような役割も果たす」

 

「そんな遠回りをしなくても通常のマスターマシンを使えばいいんじゃないのか?」

 

「それが出来なかったようだ。マスターマシンにブラックボックスがあるというのは昔から言われていた事だが、詳細な仕様は今も不明のまま。だからこそ、やつはそれを限定的に使って最大の効果を得る為のシステムとしてソレを……“神の水”を開発した」

 

「此処に来てまた神シリーズか……」

 

「第3の脳。新しいグリア細胞にも等しい魔術的な神経網……エーテルと称されているのは個人差がある“神の水”の処理能力やデータ保存量だ。全身に張り巡らされ、水素間に働く分子間力を用いてあらゆる情報を扱うソレは全身で神経伝達物質を生成しながら、感情と処理能力《エーテル》を密接に括り付けている。この小規模ながらもマシンに匹敵するデータ処理速度を持つ力を生物に必須である水を使って実現した事は今もって天才と言わざるを得ない。水素《ソレ》を必要とする生物そのものの生命活動や進化にすら影響を及ぼし、能力を飛躍的に向上させるそれは確実に人類のシンギュラリティに数えられていい。まぁ、その大半の能力にはリミッターが掛かっているが……それでも十分に今の世界の根幹を為すに足る力だ」

 

 此処に来てまた新たな真実。

 掘り返しても掘り返しても……際限なく過去はSFらしい。

 

「とりあえず、貴様の素性やラスト・バイオレットに関しては語らうことがまだあるだろうが、それは移動しながらにした方がいいか」

 

「何?」

 

「……お前の動きに気付いた幾柱かの連中が神殿に顕現しつつある。やつら……第13階梯兵装を持ち出してきたか……この国を消し去るつもりだな。恐らく」

 

「ッ、堪え性の無い……」

 

「詳しい話は戦闘が終わってからにしようか。生憎と邪神は直接戦闘が極めて弱い内政型だ」

 

「相手の能力は分かるか?」

 

「やつらが持ち出してきたのはNVと呼ばれる機械だ。知っているか?」

 

「―――ドンパチした事すらある。此処に来てロボか……ファンタジーの醍醐味は剣と魔術だろ!!」

 

 パチンと指が弾かれ。

 虚空に月亀の神殿群。

 

 首都の南部にある複数の祭殿の上空で光の輪が発現し、その屋根の上に数人の男女がいるのを確認する。

 

 だが、その神官だろう者達の肉体がブレ始めたかと思えば、次々に分解し、別の何か。

 

 人型のメタリックな人形のようなものが形成され、その上に人間らしい肌や髪や瞳が構築されていく。

 

「コードを確認。対象を【民選《タミエル》】【升帝真《マスティマ》】【痣世流《アザゼル》】【荒牙《アラキバ》】と確認。上位神格クラスの使いッ走り……俗に神使《しんし》と呼ばれる小神群だ」

 

 人間らしい全裸を獲得した男女4人がすぐにその上に衣服を再構成し、正しく何処かの日本式RPGに出てきそうな美麗な甲冑と衣装……何処かのゲームの設定でも借用したんじゃないかと思うような格好で其々の得物を構えた。

 

 タミエル。

 

 女神風なドレスと下半身を彩る多彩なスカート型の浮遊甲冑を纏う女の銃使い。

 

 マスティマ。

 

 自身の数倍はあろう巨大な杖を肩に担いだ黄金の法衣を纏う老人。

 

 アザゼル。

 

 巨大な機械式と思われる自身の20倍はあるだろう大翼に吊られるようにしてダランと身体の力を抜いている腰布以外は全裸に紅の刻印を持つ剣を手にした青年。

 

 アラキバ。

 

 その背後に虚空で構成されていくNVを四機従えた巨大なスパナらしき巨鎚を持った背の低い全身鎧を纏う中年。

 

 彼らの銃、杖、剣、鎚がどちらに向けられているのかを理解した瞬間には腰の黒剣を抜いていた。

 

 虚空に浮かぶNVの構成が終了したと同時。

 

 その全機同機種の躯体の腕が持つレールガンらしき大口径の機関砲が一斉に放たれた。

 

 甲凱城。

 

 その最上層付近を狙い撃つ―――こちらに向けられている死の銃口を前に思う。

 

 ああ、まったくどうして自分はこういう無駄にグレードが上がった攻撃を受ける運命にあるのだろうかと。

 

「「「「?」」」」

 

 爆発するように粉塵と化した城上層の中から、いつの間にか夕暮れ時となっていた外を見上げて、神様連中にあのモノポールな黒剣を向ける。

 

「オイッ!! そこの天使モドキの馬鹿共!! 迷惑だろ!! そういうコスプレ戦争ごっこは自分の家でやれッ!! 恥ずかしくないのか!! いい大人がそんな格好して!! 長生きしてるんなら、常識ってやつくらい真面目に学べ!!」

 

「「「「?!!」」」」

 

 自分の事は棚に上げる尤もな話をしてやれば、それに対する礼は銃撃。

 

 そして、虚空を駆け抜けた高速突撃。

 

 NV四機とそれを操る四人の相手が面食らった様子ながらも的確に仕事だけはしているのを見て確信する。

 

(戦闘システム的なものに頼り切ってるな……驚いてる癖に肉体と精神が同調してるように見えない……狙うのは其処か)

 

 どうやら切り札は使うまでもなく倒せそうだと意識を切り替える。

 

 脳裏で魔術を起動。

 

 戦場を構築する為に必要な指示を首都各所にいる者達へと飛ばす。

 

 事前教育の賜物か。

 それにはたった一言が返された。

 イエス、マジェスティ。

 ガルンの癖が移ったか。

 誰が言い出したものか。

 

 分からずとも、正確に仕事は始められるだろう。

 

 夕暮れ時の開戦。

 決着は夜まで縺れ込みそうだった。


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