ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第149話「ブラックボックス」

 世界がもしも胡蝶の夢だと言うならば、いっそこれもまた夢だからと諦めが付くのだろうが、実際には毒電波に等しいものを頭部で送受信、科学的な原理というやつが存在しているのは間違いないはずで。

 

 毎回毎回意味不明に振り回されるのも勘弁願いたいと思う

 

―――思い煩う事など無いのだわ。

―――夢なんて何処にでも転がっているんですもの。

―――おにーちゃんはそう思わない?

 

 少女が1人。

 青空の広がる丘に立つ木製のブランコに揺られている。

 隣には一本だけ種類も分からない大樹がポツリ。

 

「………お前は?」

 

 いや、その問いが出る事こそがオカシイと即座に気付く。

 

 少女は……少なくとも存在は認識出来るが形容するには透明過ぎた。

 

 比喩的な表現だが、認識したものが物体としての形を保っていない、としか言えないのだと分かる。

 

 そもそも此処は夢なのだから、それはそうだろうとは思うのだが、それにしても此処で新キャラとか勘弁して下さいと言いたくなるのはこの手のものへの慣れからだろうか。

 

―――おにーちゃんはどういうのが好みなの?

 

「は?」

 

―――え~と、あ……やっぱり黄色人種よりは白人の金髪美少女がいいのね。

 

「ちょ?! 何かオレの性癖を“見てる”気配がするぞ!? その情報読むの止めろ?!」

 

―――あはは、明晰なのね。

 

「……オレの“情報”を読んでるのか? その場合はお前が少なくとも物理的な存在かも怪しく思うわけだが。名前は?」

 

―――そうね……おにーちゃんの性癖的にはやっぱりアリスでどう?

 

「アリス、ね……」

 

―――此処は不思議の国でも鏡の中でも無いから、“何処かの世界のアリス”って呼んで頂戴。

 

「分かった。で、そろそろ姿を何でもいいから顕してくれ。オレの情報は無視で」

 

―――まぁ、女性にお任せだなんて、オマセさんなのね? おにーちゃんは。

 

「ノーコメントだ」

 

―――じゃあ、それっぽくしてみるのだわ♪

 

 少女が、ブランコの上に姿を顕す。

 歳はそう百合音くらいか。

 

 白人と言っても幅広いが、ロシアのスラブ系を思わせて線の細さと金髪を二本のお下げにしているのが印象的な……正しく童謡や童話でも読んでいそうな、出てきそうな“アリス”には違いなかった。

 

 衣服も蒼と白を基調としたドレスタイプでフリフリが満載。

 袖口からスカートまで兎でも追いかけていそうだ。

 白の手袋に金のチョーカー。

 チリリと鳴るのは彼女の胸に掛かった大きな懐中時計。

 淡い真珠色のソレが十二時を指していた。

 

「ふふ、初めまして。女性が名乗ったのだから、おにーちゃんも名乗ったら?」

 

「カシゲ・エニシだ」

 

 ブランコを揺らすのを止めて、こちらを見やる甘い貌《かんばせ》は蒼い瞳でこちらに微笑み。

 

 そのフラムやアンジュにも劣らない整い様の眉目を悪戯っぽく細めた。

 

「はい。初めまして。わたしのおにーちゃん♪」

「その前の表現は取ってくれ。一応、オレは現在オレのものだ」

「でも、絶賛、みんなのものになる最中なのよね?」

「………はぁ、本題は何だ?」

 

「まぁ?! 女の子にそんな接し方をしていたらせっかちって言われちゃうわ」

 

「じゃあ、適当な雑談で済ますか? 何処かの世界のアリスさんは」

 

「ふふ、それも魅力的だけど、アリスって呼んで? 可愛い妹を愛でるおにーちゃんのように」

 

「演技力0の人間にそれを期待するのか?」

「あら、やらない内からダメだって思うのはそーけーよ?」

 

 アリスが目を細めてあざとらしい可愛らしさで小首を傾げる。

 

「……アリス」

 

 出来る限り、優しさを込めた感じに言ってみる。

 

 少女はその途端にキューンとか胸に矢でも刺さったような仕草をして後ろの芝生にバッタリ倒れ込み。

 

 笑い始める。

 

「あはははは。おにーちゃんは妹殺しって称号をあげてもいいわ♪」

 

 どうやら喜んでいるらしい。

 

「………」

 

 ゆっくりと上半身を起こした少女がポンポンと自分の横の地面を叩く。

 

 どうやら、座れと言いたいらしい。

 溜息を吐いて横に腰を下ろす。

 すると、丘には穏やかな風が吹き始めた。

 僅かに目を細めて、これが本当に夢の最中。

 

 いや、恐らくは機械が生み出す情報を使った電脳的な空間なのかと驚く。

 

 それほどにその風の吹く丘というありがちなシチュエーションは完璧なものだった。

 

「おめでとう。おにーちゃん♪」

「それは一体何の出来事に対してだ?」

「もちろん。ご結婚の祝福も兼ねてるわ」

 

「その言い方だと別の祝福しなきゃならない事があるように聞こえるぞ」

 

「そうよ? 時計が12時の針を指したわ。だから、月のブラックボックスが開かれたの」

 

「月………」

 

「月にあるマスターマシン。メンブレンファイルは現時刻より完全開放されるわ」

 

 唐突な話を物語るように青空が夜空に変わったかと思うと巨大な月が丘の果てから上り始め、全天を蔽う程に広がり始めた。

 

 その中央にはベルトが巻かれたような太陽光発電プラントなのだろう場所も見える。

 

「此処は―――メンブレンファイルの……」

 

「そうよ。いえ、そうではないとも言える。だって、メンブレンファイルは空間内の場に入出力するキーボードみたいなもので、ストレージと呼べる実態はこの世界そのものなんだもの」

 

 アリスが腕を広げて、楽しそうに脚をパタパタさせる。

 

「ああ、そう言えば、そんな話だったか。空間の場への干渉。無欠の記録、か」

 

「おにーちゃんは今日まで色んな事を経験して戦って来たわ。沢山の遺跡を見て、その中から能力や権利を回収してきた。そして、マスターの体を手に入れた。唯一のカシゲ・エニシになったの」

 

「唯一の……オレはまだ他にもいただろ?」

 

 アリスが笑う。

 

「ええ、そうね。今まで沢山のおにーちゃんを見てきたけれど、此処に辿り着く個体はいなかった。でも、いつかは辿り着く事も分かっていた。だって」

 

 少女が立ち上がると浮かび上がり、月を背にこちらに腕を広げる。

 

「おにーちゃんは()()()()試行される事が決まっていたんですもの」

 

「―――」

「あはは、驚いてる驚いてる」

 

「オレが無限回に試行……つまり、オレは絶対に死ねない。いや、死んでも死んでもこの世界に送り込まれてたのか……ちなみにオレは何回目だ?」

 

「あ、それはお話しちゃいけない事になってるから、教えてあげませーん♪」

 

「オレの精神衛生が理由と見た」

「ぅ~ん。おにーちゃんは頭が回り過ぎだと思うの。アリス的には」

 

 困った顔になった少女が肩を竦める。

 

「そうしなきゃ、此処まで生き延びてこれなかったんだ。いや、オレのこの人格では一度物質的には死んでるけども」

 

「ふふ、だいじょーぶよ? おにーちゃんは消えなかった。だから、セーフ」

 

「消えなかった? じゃあ、今までに消えたオレはどうなった?」

「それも言えませーん」

「……終いには怒るぞ?」

 

 アリスが苦笑していた。

 

「でも、おにーちゃんがあの日本帝国連合の化石みたいな武器庫で見付かってからの連続性は担保されてるから、そう深刻に考えないでいいわ」

 

「そうか……で、話を戻すが、メンブレンファイルのブラックボックスが開かれた理由は何だ?」

 

「おにーちゃんが“天海の階箸”……いいえ、自己完結型外宙域航行艦【末法《ラスト・テイル》】を動かす権利を手に入れる事」

 

「……?……ッ……どうしてオレはその中二臭い漢字が分かるんだ?」

 

「おにーちゃんが権利を手に入れたからよ」

「通称を当ててやろうか? “神の船”だ」

「ぶっぶー!! 正解は“神の庭園”でした~」

 

 コロコロとアリスが笑いながら空に浮かんで、こちらを楽しげに見やる。

 

「ふふふ♪ おにーちゃんと話してると楽しい」

 

「ああ、そうかい。オレは今にも吐きそうだ。オレの中身がどれだけ勝手に弄られてるのか考えたらな」

 

 アリスが傍まで寄ってくると手を取った。

 

 すると、不思議な事でもないのだろうが、体が浮かび上がって月へと向かって加速し始める。

 

「おにーちゃんはSFって好き?」

「今は嫌いになりそうだ。弄られまくりだからな」

 

「でも、そのおかげで可愛い女の子達とお口でチュッチュ出来たわよね?」

 

「ブッフォ?! お前の方がよっぽどマセてるだろッ。アリス」

 

 思わず噴出すが、少女は悪びれた様子も無かった。

 

「え~~女の子は早熟なのよ?」

「性別があるかすら怪しいんだが……」

 

「女の子の秘密は一杯だわ。でも、今日はそんな秘密を少しだけ教えてあげちゃう♪ おにーちゃんが幸せになったご褒美に」

 

「意味が通らないな……」

 

 いい加減、会話に疲れて来たところで宇宙空間の先。

 明るい月面の真上まで到達する。

 本来ならば、在り得ない話だ。

 

 今時のアニメだって、明るい月面を主人公達が見るというシチュエーションはリアル志向なものならば、絶対に無いだろう。

 

 何故なら、耀く表側の月面は恐ろしい温度になっているはずだからだ。

 

 しかし、何事も無く。

 

 真空の海から月面のクレーターを横断する無限にも思えるような施設群が見えた。

 

 その全貌は分からないが、少なくとも太陽光発電施設らしい銀幕が無数に廻らされた世界の中には建物が幾つも幾つも都市のように広がっている。

 

「これが月の姿か……」

「違いまーす♪」

「は?」

 

 アリスがあっけらかんと言い放つ。

 

「“神の屍”を使ってるのに本当の月が見えるわけないでしょー。も~おにーちゃんはうっかりさんなんだから~」

 

 コツンと頭が優しく愛らしい拳骨で叩かれた。

 

「な……じゃあ、本当の姿はどうなってる!? オレの目は特別なんだろ?! アレの光景も嘘だったって言うのか!?」

 

「そもそもおにーちゃんはこの星がフィルム付きの飴玉になってるのにお月様が見える方がおかしいって気付こうよ。自分が特別だと確信して已まないなんて中二病なんじゃない?」

 

「ぅ……だ、だが、それはフィルムを透かして見えてたんじゃないのか?!」

 

「あははは♪ 仮にも厚さ1000mのフィルムを透かして?」

 

「い―――ちょっと待て!? じゃ、じゃあ、あいつらの!? 【統合】に見えてる世界はどれだけ暗いんだ!?」

 

「あ、そもそもフィルムは成層圏やデブリ群、セブンスやオービタルリングより上にあるのよ?」

 

「何だと? 統合ではフィルムは下にしかないってCGで見せられたぞ」

 

「ああ、それは最終保護層でその上には何層にも折り重なってるの」

 

「マジかよ……」

 

 あのCGの映像は下を見ていたが、更にその上には分厚いフィルム層が存在してるらしい。

 

「偏光フィルターでもあるから、ある程度の明度はあるの。普通の人間からしたら薄暗い灰色くらいの世界だけど、おにーちゃんの権限があれば、明度の上昇もお空の色も変えほーだいだよ。勿論、“神の屍”に干渉して空だけ元の景色にしてあげられるし」

 

「何処かのキャリアの売り文句みたいだな」

 

「ふふ~~この数千年で巻き終わったから、世界を全部そう出来るの。良かったね。みんなに青空を見せてあげられて♪」

 

「………もう言葉も無いな。だが、それならどうしてわざわざ世界を灰色にしている必要があったって言うんだ? 委員会の連中は……」

 

「一つ誤解があるわ」

 

「誤解?」

 

「ええ、そうよ。それと原因はみんな月のせいだわ」

 

「月が擬人化出来たら、今度は殴るれるかまで考えなきゃならないのかオレは?」

 

 こちらの呆れた顔を見たアリスが頬を膨らませて、お月様という一発ギャグをかました後。

 

 また、手を引いて月の表面へと向かう。

 

「で、どうして灰色の世界なんて馬鹿げた事になったんだ? それをわざわざ欺瞞するシステムまで作って……」

 

「それは勘違いよ」

「?」

 

 言っている意味がよく理解出来なかった。

 

「おにーちゃんは“神の屍”が空の色や風景を欺瞞する為に作られたと思ってるわよね」

 

「ああ」

 

「それはその通りの認識でいいわ。でも、“神の屍”よりも後に“神の天蓋”は作られたシステムなのよ」

 

「何だって?」

 

「だから、神の屍の隠すべきものは最初から何も変わってないの。世界は滅んでたんだもの。ただ、そこに新しいシステムである天蓋も入ってしまったというだけ……」

 

「神の天蓋……天蓋? 一体、何から守ってくれる? 何を隠して……いや、()()()()()()()()()と聞くべきだったり、するか?」

 

「………」

 

 アリスの顔が初めて驚きに目を見開いた。

 

「それは当たりって顔だな」

「おにーちゃんは賢いわ!! 頭を撫で撫でしていい?」

「遠慮しておく……」

 

 月面に降り立つと。

 不意に草の匂いがした。

 

「?」

 

 思わず下を見れば、青々とした草原がゆっくりと月を覆っていく。

 

「……テラフォーミング、したのか? 月を? だが、空気すら自重では留まれない6分の1Gくらいだろ? どうやって大気圏を……」

 

「ふふ、これはちょっとしたおまけ映像であって、本物の姿じゃないのだわ」

 

「おまけ映像?」

 

 アリスが再びペタンと草原に腰を下ろした。

 

「あの大戦末期。EUNの天才と月の天才が科学における究極の成果を一つ開発したのはまだ知らないわよね?」

 

「……科学で究極と来たか。何だ? 錬金術でも出来たのか? それとも核融合炉とかか?」

 

「あははは。うん……おにーちゃんは本当に面白いのね♪ 核融合炉なんて陳腐なものは大戦初期には開発が終了して、バンバン最初期の機動兵器に載せられてたわ。大戦末期の最新動力源は俗称では【素粒子融合炉(エレメンタリー・パーティクル・リアクター)】……小型化したら星を吹き飛ばす爆弾にしかならないから、わざと小型化《ダウンサイジング》しなかったくらいの代物よ。それですら、究極には程遠かったでしょうね」

 

「じゃあ、一体、何なんだ?」

「答えはおにーちゃんが言っちゃったわ」

 

「錬金術? 先祖返りじゃあるまいし、核融合どころか原子変換と来たか……」

 

「いえ、それよりも凄いのよ。【万物の理論(セオリー・オブ・エブリシング)】が開発されたの。国家共同体と委員会影響下の世界。どちらにもその頃の天才が発見してしまった数式があった。そして、ソレを委員会は月で、国家共同体は地球で、其々に形としたわ」

 

「……どんな代物になった?」

 

「詳しくは言えませ~ん、だけど……簡単に言うとマスターの基礎理論の発展応用で人は終に宇宙という有から無限に等しい力と物質を得られるようになったわ」

 

「待て!! 力は光とか熱とか電気とかでいいが、物質? 物質を得られるって何だ!?」

 

「……この世の根幹は全て紐と波で語れちゃう代物だわ。そして、辿り着いた力は“完全な無”が存在しない空間内部でなら、小さな石ころ一つからでも膨大な出力を得られる。理論的にはSFのブラックホールエンジンとか縮退炉よりも物質のエネルギー変換効率が高くて。物質を完全に全てエネルギーに置き換えられた……しかも、あらゆる物質をそのエネルギーで組み換える事すら可能となった。原子変換程度じゃないのよ?」

 

「程度って、それですら十分にヤバイだろうに……」

 

「量子テレポーテーションより飛躍した人類科学の到達点。あらゆる“紐”を製造し、改造し、無限の富と無限の豊かさを保証する技術。これを生み出した二人の天才は【量子転写技術《クォンタム・トランスファー・テクノロジー》】と呼んでたわ」

 

「量子、転写……」

 

「あらゆる物質を同質量なら限界無く同じにまで模倣する事が可能となったの。それも分子組成どころか、原子配列の一つ、素粒子のスピン、振る舞いすら、同期させられる技術って事よ」

 

「……完璧に同じ物体を生み出せる、と?」

「同質量の物質さえあれば、ね」

 

 目の前のアリスがいきなり怖くなってしまうのは話に付いて行けてしまうからか。

 

 完全にSFだが、それで済まないのは既存の科学の上に成り立つ技術であると理解出来るからだろう。

 

「それはもはや……」

 

 言い掛けて止める。

 よくある話ではないか。

 そこらのラノベならば。

 

「だから、錬金術なのだわ。そして、その論理によって実現する機関は全て物質的な固体ではなく。“場”の偏差を超密精緻に“加工”する事で実現出来た」

 

「待て待て!? 空間の場、波……それは……」

 

「物質的なエンジニアリングは必要なく。既存の“マスターストレージ”に使われている技術に少し手を加えて、場へ干渉する機械さえあれば、後はプログラミングのみで起動。いいえ、“発動”可能だったの」

 

「―――ッ」

 

 背筋を奔るものは間違いなく冷や汗で済むものではなかった。

 

 クソッタレ。

 

 そう言わなかっただけマシだろう。

 この星の上でしか生きられない。

 人間はそういう生き物というのが相場だ。

 

 だが、その技術さえあれば、“物質さえあるならば、何もかも全てが可能”だろう。

 

「極限まで高められた科学と魔法の区別は付かない、と」

「そういう事♪」

 

 皮肉どころの話では済まない。

 

「オレは……ソレを実感したわけか」

 

 こちらの言葉にコクリと嬉しそうに頷きが帰った。

 

「もう、()()()はその階梯にある。だから、おにーちゃんは“特別”なの」

 

 世界を救ったごパンの炎。

 そう呼ばれる輝きがあった。

 

 爆発した戦略核が何発だったのか知らないが……あの大空洞が崩壊もせず。

 

 地域一帯が吹き飛ぶ事もなく。

 

 内部が黒焦げで済んだのは奇跡などではないと心の何処かでは知っていた。

 

 知っていたが、その内実は……知りえる限り、真っ黒な力の顕現に間違いなかった。

 

「おにーちゃんは今までのおにーちゃんと決定的に違う事が一つあるわ。それは運に恵まれ、出会いに恵まれ、数多くの経験をしたって事」

 

「アリス。オレはただのカシゲ・エニシ。それだけの男なんだ」

()()()()、ね?」

「………」

 

「あ、もう時間みたい? お月様の事はその内分かるから心配ないわ。それよりもおにーちゃんはあいつをどうにかした方がいいと思うの。そうしたら、その内にお迎えが来るから」

 

「お迎えって何だ!? 後、あいつって?! 死ぬのはもう勘弁だぞ!?」

 

 言ってる傍から体が浮き上がるとまるで光速で動いているかのように世界が一点に向けて引き伸ばされていく。

 

 その先の耀きへと意識が墜ちていく感覚。

 もう元の自分には戻れないという喪失感。

 

 知らなければ良かったという気持ちすらも混沌として意識は不明瞭に黒く染まっていく。

 

―――大丈夫……だって、おにーちゃんは漢でしょ?

 

「ニートとチートを組み合わせたら、漢じゃなくてダメ男になるというのがラノベを読み漁ったオレの見解なんだが……」

 

―――下半身事情的にはまったく問題ないわ♪

 

 最後の要らぬ一言に思わずオレの知らない何を知ってると訊ねようとするも、そこで視界がブラックアウトした。

 

 浮上していく感覚の先で音が聞こえる。

 

 そろそろ調印式を開始するとアナウンスが脳裏を染めていく。

 

―――また、会いましょう……世界の全てを既知に塗り替えて尚、あなたが絶望しないのならば……きっと、その日は来るでしょうから……おにーちゃん♪

 

 頬になる軽い啄むような音だけを残して、意識は白昼夢から醒めていった。


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