花束   作:影橋真海

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【二輪の彼岸花】

 昼休みのも関わらず急な動悸(どうき)により教室を飛ぶ出してきた由美だったが、特に行く宛もないもない。一先ず家に向かって歩いていた。路地を通り、少し遠回りをして。

ようやく落ち着きを取り戻した由美はどこに注意を向けるわけでもなく、ボーッと歩いていた。

 

 が、突然鞄の中から携帯の着信音が鳴り始めた。咄嗟に取り出して画面を見て見るとそこには、"お父様"の文字。一瞬で血の気が引き、携帯を持つ手が震える。

 

「お、おと、さま…!」

 由美のはした声は小さく、着信音に掻き消されてしまった。出ない、と…!分かっている、分かっているのに体が動かない。しかしでなければ今後自分がどうなるか分からない。そのことが由美の上に重くのしかかった。

 

 一度大きく深呼吸をすると、画面をフリックして電話に出た。震える手を抑えて耳に携帯を当てる。

「おい!由美!お前は何をしているんだ!」

 思って通りの言葉が聞こえてきた。父の声は由美の脳内まで響く。続けて言う。

 

「あれだけ言っておいたのにお前と言う奴は…!呆れて物も言えん!私たちには大事な会議があると言っただろう!お前のすること一つ一つが私たちに影響を与えると、なぜ分からない!!」

 

「ごめんなさい、ごめんなさいお父様!ごめんなさいごめんなさい!」

 由美は腰を折り曲げて謝った。これ以上父の声を聞きたくはなかった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…!!」

 由美の口から呪文のように繰り返される言葉が、誰もいなくなった路地に消える。目をぎゅっと閉じて、早くこの時が終わるようにと願った。そんな願いも空しく父の声が聞こえる。

 

「出来ないにも程があるぞ!じっとしていることすらできないのか!?」

 父は怒りのあまり由美の声が聞こえていないようだった。こうなったら父が由美の話を聞くことなどない。いつもならすぐに(こぶし)が飛んで来て由美の体を傷つける。それは生徒たちにやられるよりも断然痛い。思い出しただけで身体のあちこちが痛んできた。

 

 父は怒りに任せて叫ぶ。

「全く!なぜお前なんかが私の子どもなのだ!こんな出来損ない、私の家にはいらん!何処へでも好きな所に行き野垂(のた)れ死んでしまえ!!」

 

ガコンッ

 

 また押された。これは一体なんなのだろう。未だに何かは分からない。ただ、何かが押されたことは感じられる。この感覚があるとすぐに周りの音が、一瞬ではあるが消える。ついに体がおかしくなってしまったのだろうか。この感覚の正体は一体…。

 

「貴女は何をしているの!?どうして言うことが聞けないの?私が優しくするのもこれまでよ!もう許さない!!」

 どうやら電話を変わったらしい母が金切り声で言う。

 

 優しい?あれが?母が由美に優しかったことなど、あっただろうか。いや、一度もない。幼少時でさえ、母は家庭よりも仕事を取った。由美の世話はいつも使用人がしていた。家族で過ごす時には〝貴女は出来る子"と耳にタコが出来るほど言われたものだ。娘の幸せよりも自分の幸せを優先し、優秀な娘を育てた母親として注目を浴びたがった。それに利用された由美は、過大な期待をかけられた。もしもその期待に応えられなかったり、することを拒否した場合にはヒステリックな声を上げて精神的に圧力をかけた。

 

「貴女なんか産まなければ良かった!私の踏み台にもならない役立たずな子!ああ、私のお腹にこんなお荷物が宿っていたと知っていたら、()ろしてやったのに!!」

 

ガコンッ

 

 また、押された。それと同時にまた動悸が激しくなる。思わず携帯を落としてしまった。携帯からは母の声がまだ聞こえている。これ以上機嫌を損なわないためにも、早く拾わなければ。頭では理解しているのに体が言うことを聞かない。いや、聞かないどころか由美は"この携帯を壊す"という衝動に駆られていた。

 

___これを壊せば解放される

 

 そう思った瞬間、由美は携帯を踏みつけていた。何度も何度も、何度も何度も何度も何度も。身体に繋がれた鎖を断ち切るように、強く踏んだ。

 しばらくすると声は聞こえなくなっていて、画面も粉々に割れてしまっていた。それでも尚、踏みつける足は止まらない。何かに取り()かれたように、ずっと。

 

 最後に思いっきり踏みつけると、ゆっくりと足をどけ砕け散った携帯を見下ろす。おそらくもう電源もつかないであろうそれを見つめながら、肩を上下に揺らす。疲れているはずの由美の顔に浮かぶのは、あの時と同じ"笑み"。

 

「あ…、わ、たし…」

 そしてその"笑み"が恐怖に変わるころ、由美は自分がとんでもない事をやってしまったことに気がついた。こんな事をしたところで、両親から解放されるわけがない。解放されるのならば前からそうしている。

 

 聞こえるはずもない両親の由美を責め立てる声が聞こえて来そうで、由美は耳を強く押さえ目をぎゅっと閉じた。体が小刻みに震え、その場に膝をつく。現れるはずもない両親の存在にただ怯え、震えていた。自分のした事を悔やみ、時間を巻き戻せたらと願った。そんなことが出来るわけなどないのに。

 

 その時、後ろからトントン、と肩を叩かれた。思わず肩がビクッと反応する。耳から手を外しながらゆっくりと後ろを振り向くと、サラリーマン風の男が立っていた。先ほどまで誰もいなかった道に突如として現れた男は少しの困惑と怪訝(けげん)そうな表情をして由美を見ている。そしてその視線が由美から壊れた携帯に向けられた時、由美は今までの行為が全て見られていたことを悟った。

 

___まずい、バレた!!

 

 由美はさっと立ち上がり、少しよろけながらも走り出した。携帯も、カバンもその場に置きすてて。

 不意を突かれた男は慌てて由美を追いかける。しかしそれも最初の内だけで、路地を出るともう追っては来なかった。追って来ないとわかっていても、足を止めることはできなかった。あの場からできるだけ離れたかった。両親に見つからないだろう場所に。

 

 

******

 

 

 先程の場所から遠く離れた道を、由美は息を整えながら歩いていた。口の中は(わず)かに血の味がする。ここまで全速力で走ったのはいつぶりだっただろう。ろくに準備もせずに走ったせいか、太腿(ふともも)から脹脛(ふくらはぎ)にかけての筋肉がピクピクと痙攣する。

 

 もともと運動が得意ではない由美が、あの男から逃げ切れたのは奇跡といってもいい。しかし見つかるのも時間の問題だ。出来るだけ遠くに来たつもりだが、そんなに離れていないのかもしれない。子どもの距離感はあてにならない。

 

 呼吸がようやく落ちつた頃、誰もいない公園を見つけた。砂場、ブランコと滑り台しかないごく普通の公園。そのブランコに座り空を見上げると、一つ溜息を溢した。

 

 雲ひとつない少しオレンジがかった青空に吸い込まれてしまいそうだ。いや、いっそ吸い込まれて溶けてなくなってしまいたい。出来る事なら今すぐにでもこの世から存在を消して誰とも関わらずにいたい。しかしそのような事ができる訳もない由美はこうして一人最後の自由を噛み締めているのだった。

 

 おそらくあの男が警察にでも連絡している頃だろう。携帯も、鞄もその場に置いてきてしまった。これでは自分があの人達の娘だという証拠を残した事に変わりない。自分は大馬鹿ものだと、この時改めて思った。

 

 由美が捕まってしまうのも時間の問題だ。警察から連絡を受けた両親はきっと血眼(ちまなこ)になって由美を探しているだろう。由美のことが心配で仕方がないと涙ぐみながら警察に捜索願を出し、必死になって男に話を聞いている___ように見える。しかしその実は自分達の株が下がらないように男には口止めをし、警察にはこれからするであろう所業を隠すために娘を愛してやまない父母を演じている。

 結局は自分達の価値が下がらないように、下がる可能性があるものを排除しようとしている。誰にもバレることのないようにこっそりと。

 

 由美には分かっていた。両親に捕まったらどうなってしまうのか。それが ___あらゆる方法で消されてしまう姿が、何も考えられなくなった空っぽの頭の中で流れる。恐ろしくて、恐ろしくてたまらない。自らの手ではなく両親の手によって由美という一人の存在が消されようとしている。

 何度も願っていた"それ"を由美は激しく拒み続ける。それでも突き付けられている現実は高校生の由美にとっては残酷で、もう変えられようもない"由美の最期"なのだった。

 

 由美の目は絶望の黒から恐怖の黒に塗りつぶされた。視界がぼやけ、頬を生暖かいものが伝う。身体がガタガタと震えて収まる気配もない。自分が迎えるべき運命に(なげ)き悲しみ、しかしどうする事も出来ない役立たずで(おろ)かな自分は、こうしてただ最期の時を待つしか出来ない。

 

 それでも、由美の中の"どうして??"は消えることはなかった。

「どうしてっ!」

 由美の掠れた声は誰にも届かず消えた。___はずだった。

 

「あー!目標発見!!」

 背後から急に発せられた言葉に驚き、思わず振り返る。そこには由美より頭一つ分小さい少年が笑顔で由美に手を振っている。少年は学生服に真紅のフード付きマントを羽織っていて、なんとも怪しい雰囲気が漂っている。

 少年が現れた事により由美の涙は止まり、代わりに大きく目を見開いてその少年を見つめていた。

 

 すると少年は此方に向かって走ってくる。由美はその瞬間に追っ手かもしれない、と考え逃げ出そうとブランコから立ち上がり走ろうとする。だが急に視界が揺れ、倒れてしまった。おそらく泣きすぎて水分不足になってしまったのだろう。

 

 由美が立ち上がろうとすると目の前に手が見えた。見上げると少年が少しかがみ手を差し出してくれていた。

 

「え…?あ、ありがとう 」

 突然のことに戸惑いながらも少年に起こしてもらう。

 

「どーいたしまして!ねえ、お姉さん!僕と一緒に来てくれない?」

 少年は元気にそう答える。由美はまだ何が何だか分からなかったが、危険な感じしかしないので一歩後ずさる。それを見て少年が両手を振って慌てて言う。

 

「べ、別に何もしないよ!?ただ僕達の家に招待したいだけなんだ!」

 

「招待?どうして?」

 

「だってお姉さん思いつめたような顔してたから!そういう人を家に招待するのが僕の役目なんだ!」

 そう言ってニカッと笑う少年を見て少しばかり考える。

 

 この少年の言う通りただ思いつめた人を家に招待しているだけだとすれば、行かないてはないだろう。既に帰る場所もなくし、生きることを諦めていたのだから何かしらしてくれそうだ。しかし少年がもし両親の寄越した追っ手ならば由美は___。

 

「だから…ね?来てよお姉さん!お姉さんにとって悪い事は何もないよ!むしろ良い事ばっかりさ!」

 

 そんな由美の不安を包み込むかのように両手を広げる少年。少年の言葉に妙に納得してしまう。このまま行っても良いのではないかと。

 

 私の返事を待つ顔には焦燥(しょうそう)と不安が(にじ)み出していた。流石に可哀想に思いコクリ、と頷く。それを見てぱあっと顔を明るくした少年は小さくガッツポーズをし、えへへと笑った。

 

「僕は類!よろしくねお姉さん!それじゃあついて来て!」

 類は由美の手を引いて歩き出す。類の後ろ姿を見ていると頬が自然に緩む。こんなに落ち着いていられるのはいつぶりだっただろうか…。由美の手から感じる類の体温が由美に心と体を溶かしていった。


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