「もう帰ろうかな…」
少女は腕時計を見て呟く。ちょうど七時を過ぎたところだった。椅子に座ったままぐーっと伸びをする。机の上には山積みにされた参考書。この図書室で勉強を始めて約四時間。あたりはすっかり暗くなり、机を照らすライトがより明るく見えた。少女は高校三年生で、大学受験のためにこの時間まで残り、勉強していたのだった。
参考書を元の棚に直し、鞄を持って廊下に出る。その瞬間、冷たい風が吹いた。思わずぶるっと身震いする。鞄の中から厚手のコートと手袋を取り出した。図書室内は暖房が効いていたので必要なかったのだが、廊下はあまりにも寒い。昨日降っていた雨のせいで余計に気温が下がっているらしい。
鞄を持ち直し、階段へと向かう。電気のついていない教室が、廊下が不気味だった。時折ドアから吹く隙間風が立てる音が少女の心を不安で満たした。
月明かりだけが照らす廊下を一人、歩く。カツン、カツンと少女の履いているローファーの音が廊下に響く。それがまるで、自分の後ろに誰かいる気がして自然と歩幅が大きくなる。この時間はもう部活もやっていないし、図書室に残っていたのも少女だけだった。見る限り周りに人はいない。錯覚だとわかっていてもやはり怖い。
しばらく歩くと階段にたどり着いた。図書室からはそんなに遠くないのだが、長時間歩いていたように感じた。
「電気がつかない…」
手すりのそばにあるスイッチを押しても反応がない。カチカチと音がするだけだ。
階段は闇に呑まれて下は見えない。少女は手すりを持って恐る恐る階段を下って行く。手すりを握っている右手と一段一段踏みしめて歩く足だけが頼りだった。何も見えない中少女の不安はしだいに恐怖へと変わっていく。
長い。長すぎる。図書室があるのは二階。もう下についていてもいいころなのに、一向に下につく気配がない。暗闇と恐怖で時間の感覚がおかしくなっているだけなのか、いやそんなはずは…
少女は恐怖に押しつぶされそうになりながらも階段を下りていく。
___まだつかない。まだ、まだ、まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ!長い、嫌だ、帰りたい!帰して、お願い神様!!
少女の頭は“帰りたい”この四文字でいっぱいだった。
今まで感じていたよりも冷たい風が少女の頬を撫でた。その瞬間少女の足は動きを止めた。永遠に続くのではないかと思うほどの長い間、先も見えない場所に向かって行くことを体が拒んでいた。もうこれ以上いってはいけないと、本能が叫んでいた。
けれども少女は階段を下った。何かに引っ張られるようにして、まるで糸にくくりつけられた人形にように。わかっているのに、拒めない。どんどん下に引き込まれて行く___。
__その後少女の姿を見た者はいない。ただ、図書室近くの階段には少女のものと思われる制服と鞄などが落ちていたという__
【枯れる】