莫逆LORDS   作:tyuuya

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ご無沙汰しております。


砂上のパラダイス

 ナザリックが原因不明の異変に見舞われてより38時間の時間が経過した。

 

 モモンガは種族特性により睡眠が不要。ヤマネにしても睡眠は可能であれ必須ではない。そのため二人はログアウト制限に縛られずゲーム内生活を楽しんでいるような感覚で、ユグドラシルと現在の差異についての検証を精力的に行っていった。

 

 その検証結果としては『ゲーム仕様を可能な限り現実に反映させたならばこうなるだろう』というものだった。

 

 

 例えば、魔法職による戦士職装備の運用。

 

 例えば、職業スキルがない状態での専門行為。

 

 

 特に後者に関して言えば、現実で料理の心得があったヤマネすら料理を始めた瞬間に意識が飛び、炭素の塊を作り出してしまった程だから、ゲーム内のスキルや設定が忠実過ぎるほど忠実に反映された結果だと言える。

 

 二人がひとまず思い付く限りの検証を終えると、デミウルゴスよりの打診により調査結果の報告を含めた第一回ナザリック方針会議の開催が決定。

 

 幹部会議ということで当初は円卓の間で行うつもりでいたモモンガだったが、必死な顔をしたシモベ達の満員一致での辞謝により思い直したため、会議は一時間後、別途用意されていた少人数用の会議室で行われることとなった。

 

 支配者ロールの研究に余念がないモモンガのかっこいいポーズ披露会から逃走したヤマネは、会議が始まるまでの時間を潰すべく部屋を出た――ところで腹部の異変に気付いた。

 

 

 ぐぅぅぅるるぅぅうぅ……!

 

 

 「……おぉ、すげぇ腹の音。そういやログアウトしてねぇからまだ何も喰ってなかったんだな」

 

 

 料理をした時は結局炭になっちまったから喰ってねぇし、と独りごちる。予想外すぎる自体についついはしゃぎ過ぎ、飲食も忘れて打ち込んだ結果だった。

 

 獣の唸り声のような轟音に支配者としての威厳の失墜が一瞬脳裏を過ぎるが、幸い誰にも聞かれていないようだし、時間もちょうど昼飯時。ユグドラシル飯を堪能する良い機会だと食堂へと歩を進めることとしたのだった。

 

 

 

 ユグドラシル九層で清掃を始めとした雑務に携わる41名のメイドたち。彼女達にとって清掃は(プレイヤー)から与えられた使命であり、日々それを万全にこなす事こそが喜びであるのは当然の事である。

 

 だが、それ以外には喜びは無いかと言えば勿論そんな事はなく、同階層に設けられた食堂で空腹を満たすこと、同じメイドの同僚と歓談に花を咲かせること、また可愛らしい同僚を愛でること――等々、それぞれに個性があり、厳格に職務にあたる忠実な下僕として以外の一面も持っている。

 

 モモンガに命じられた異変の確認を終えたメイドたちは、緊張感こそまだ拭いきれてはいないものの、再び通常通りの職務に戻る事が叶っており、各々のスケジュールに従い食堂で食事を取っていた。

 

 

 「――それで結局、ナザリックに起きた異変って何なのかしらね。至高の御方々のお部屋から廊下までくまなく確認したけれど、これと言った異常は見つからなかったのよね?」

 

 「私にも分かりませんが、モモンガ様が仰られたのだから、何も起こっていないなんて事は有り得ないはずです。守護者の方々も動いているでしょうし、それぞれの役割をきちんと果たし続ければいいのではないでしょうか」

 

 「そうだねー。デミウルゴス様の指揮で探索隊が組まれたって話だし、何が起こったのかもきっとすぐに分かるようになるんじゃないかな!」

 

 

 話した順番に名をシクスス、フォアイル、リュミエールと言う。彼女たち一般メイドの種族はホムンクルス。異形種でありながら人族とほぼ変わらぬ身体能力しか持たない彼女らは、種族特徴として不老という長所と大食という短所を持っている。

 

 こうして和気藹々と会話をしている間もチーズオムレツとマッシュポテトが破竹の勢いで消費されており、そんな彼女らの胃袋を満たす為に食堂のビュッフェ台には山盛りの料理が用意されていた。

 

 カリカリのベーコン、ほうれん草のソテー、サクサクのガーリックトースト、チキンのトマト煮――様々な料理が所狭しと並べられたビュッフェ台から骨付きの肉を一つ掴み、彼女らに赤い影が音も無く忍び寄る。

 

 

 「なーんの話してるっすか?」

 

 「ひゃわわぁっ!?」

 

 

 ガバッ! とフォアイルの後ろから顔を出した影に、三人が仰け反って悲鳴を上げた。

 

 

 「も、もうっ! ルプスレギナさんったら!」

 

 「あははははっ! いいリアクション頂きましたーっす!」

 

 

 燃えるような赤髪に褐色の肌、金眼。悪戯な笑みを浮かべた影の名はルプスレギナ・ベータ。三人の同僚にして戦闘力を与えられた戦闘メイド達の次女にあたる。

 嗜虐嗜好を持ち、弱者を甚振って遊ぶことを好むルプスレギナだが、強い連帯関係で結ばれたナザリックの仲間達にそういった攻撃性を向ける事はない。が、その代わりに気配と姿を消して驚かせたりするイタズラをもってコミュニケーションを図る困った性質があった。

 

 

 「それでそれでっ、何の話だったんすか?」

 

 「はぁ……。この前、ナザリックに異常が無いか調査するようにご命令が下ったでしょう? 結局九階層には何の異常も起きていなかったけれど、一体何が起きているのかなーってね」

 

 

 動悸の治まったシクススが答えると、ルプスレギナが「そうっすねー……」と首を傾げる。彼女は戦闘メイドとしてモモンガが命を下したまさにその場に同席していたが、正直なところ詳しいことは理解していなかった。大局的なことは智者が理解していればいいし、一戦闘メイドである自身は下った命を遂行するだけだと割り切っているためでもある。

 

 

 「世界が滅ぶはずだったのをモモンガ様とヤマネ様が何とかしてくれたらしいッスけど、詳しい話は私にはよく分かんなかったっす!」

 

 

 あの時のモモンガ様は超絶カッコ良かったっすよー! と能天気に笑うルプスレギナだったが、その発言は火に油だ。食堂内が一気に騒然となる。

 

 ナザリックの現状は三人以外のメイド達にとっても気になる事柄であるし、彼女たちより至高の御方に近いルプスレギナに注目し、耳を欹てていた者は少なくなかった。そこに来てこの爆弾発言である。

 

 

 「ちょ、ちょちょちょ、何それ!? 知らないうちに私達大ピンチだったってこと!?」

 

 「みたいっすねー。

 『だが私達が二人で何とかしたから安心しろ。私達はずっと一緒だ、どこまでも付いてこい!(意訳)』

 みたいな感じで、みんな感動でボロ泣きだったっす!」

 

 「うわ、それヤバいわ……。羨ましすぎるんですけど」

 

 

 驚愕からの注目が嫉心からの注目に変わっていく。

 

 最後まで自分達を見捨てずにナザリックと共に在ってくれた至高の御方々。

 

 ナザリックの危機をさらりと救ってくれただけでなく、そんな偉大なるお方がわざわざそれを明かし、これからも自分達を導いてくれるとしっかりと約束してくれたというのだから、そんな場面に居合わせた同僚にはそれは嫉妬くらいは湧こうというものだ。モリモリと。

 

 

 「でも、今の状況はそれとはまた別の異変で、だからその調査をデミウルゴス様達にお任せになったんだと思うっす。さっきアルベド様と一緒に何か相談してたから、報告会とかやるんじゃないっすかねー」

 

 

 そっかー。とシクススが相槌を打ち、それに伴って耳を皿のようにしてルプスレギナの近くに寄っていたメイドたちの輪が少しずつ散っていく。聞く限り目下の危険は去っているようだし、いずれ分かるのであればそれでいいか、という気分になっていた。

 

 

 「一般メイドのみんなもそうだけど、戦闘メイドの私らもジッサイ戦力としてはあんまし当てになんないっすからねー。いつも通りじゃない命令が下った時に備えながらいつも通りにしてればいいと思うっすよ」

 

 「そうね、そうしましょうか。

 ――それはそうとして、モモンガ様のお言葉を教えて下さい。可能な限り、詳しく」

 

 「わ、ちょっ!?」

 

 

 フォアイルの言葉で、再び食事に戻ろうとしていたメイドたちの耳が再び皿になり、包囲網が構築し直された。

 

 御方直々の演説など、ナザリックの者にとっては垂涎の舞台に他ならぬ。彼女らが味わったその時の感動を少しでも共有すべく、ルプスレギナにずずいと詰め寄るのだった。

 

 

 

 

 「『アインズ・ウール・ゴウンも永遠である!』

 

 ……ってな感じで、もう凄かったんすよ!」

 

 「「「おぉー……」」」

 

 

 身振り手振りを交えたルプスレギナの迫真の演技に一般メイドたちが食事の手を止めて感嘆の息を洩らす。

 

 人間の心の隙を見つけてはそこを突き、絶望に叩き落とすのが好きという彼女の趣向は演技力にも表れており、その再現力はなかなかのものだ。

 

 

 「やっばい、モモンガ様カッコ良すぎ……」

 

 「私、その場にいたら卒倒してる自信あるわ……」

 

 「むしろ死ぬかも。こんな幸せな死に方ないわー」

 

 

 各々思い思いに目を瞑ってはルプスレギナのドヤ顔をモモンガのボーンフェイスに置き換え、御方の演説を脳内で堪能している。ルプスレギナもえっへんと胸を張り誇らしげだ。

 

 そしてそれ故に、彼女らは第二の影に気付かない。

 

 

 

 

 ヤマネは食堂に到着する前に、スキルを使って人間の姿へと変じた。元の姿のままだとサイズが大きすぎて邪魔になるだろうというのと、妖の姿で巨大な骨付き肉に豪快に齧り付くのも捨てがたいが、最初はやはり人間として食事を取ってみたいという気持ちがあったためだ。

 

 何やら中が騒がしいが、それも当たり前のことだろうと思い直す。

 

 自身も昼食時ということで食堂に来たのだから、食堂は本来の使用者であるメイドたちの食事中に決まっている。決まっては、いるのだが。

 

 

 「(……やっべ、冷静に考えたらうざってぇ上司だな俺)」

 

 

 今更ながらに部下――それも例外なく見目麗しい女性だ――だけで構成された空間に割って入ることの難しさを思い、ヤマネの背中を冷や汗が伝った。

 

 

 自分が平社員だった頃を思い出す。

 

 

 もし自分が食事している最中、隣に会社の取締役が座ったとする。さて、食事の――数少ない憩いの時間はどうなるか。

 

 少なくとも自身であれば飯の味など判るまい。緊張で何を喰ったかも覚えていられない事は想像に難くなかった。

 

 しばし顰めっ面で扉を開けるか逡巡するが、再び腹の虫が騒ぎ出し始めたため覚悟を決める。

 

 守護者たちの忠誠心を見るに悪感情を持たれていない事はハッキリしているのだから、自身の想像ほどは酷いことにはなるまい。なんならテイクアウトという手段もあることだし。

 

 

 「――よしっ! 開けるかっ」

 

 

 覚悟を決めて扉を押し開くが、ゆっくりゆっくりと音を立てずに扉を開けるその姿からは、上位者としての威厳は欠片も感じられなかった。

 

 

 

 「……おやぁ?」

 

 「『―――そしてアインズ・ウール・ゴウンの名は9つの世界に轟き……』」

 

 

 メイド達の視線が集中する事を懸念していたが、意外なことに視線は一切突き刺さってはこなかった。

 

 彼女らの視線が集まっている方向へ目を向けると、戦闘メイドが椅子の上に立って何やら口上を述べている。メイド達は元より、配膳係のモブ達もそちらへ意識を取られているようだ。

 

 

 (ああ! あん時のモモの演説か。あんなに齧り付きになってるあたり、マジで慕われてんだな)

 

 

 丸まって不貞寝をしていた自分は兎も角、親友は確固たる地位を築けているのだと安心する。本人も乗り気なようだし、頑張って支配者を続けて頂きたいところである。

 

 おまけに、これはヤマネにとってかなりのチャンスだ。

 

 注目は悉く戦闘メイド――ルプスレギナに向いているし、しれーっと観客の一人として紛れ込んでしまおう。

 

 

 「おぉ、モモンガ様……――ッ!? や、ヤマ「シーッ! 静かにしな。無粋はしたくねぇからよ。適当に盛り付けてくれ。大盛りでな」」

 

 

 自身の姿を認識したことで思わず声をあげかけた使用人の口を塞ぎ、上位者であることを意識しつつも可能な限り気さくな対応を心がける。

 コクコクと頷く使用人の、恐縮しきりの姿に「すまんな」と苦笑。

 

 敬愛やまぬ支配者に直々に配膳の栄誉を賜った男の使用人は、脳から煙を吹くのでは無いかと言うほどの集中力を発揮し、大皿に山盛りの、それでいて品性を失わずに食欲をそそるように美しく盛り付けを行ってくれた。

 

 

 「お、お待たせ致しました!」

 

 「おう、ありがとうよ」

 

 

 重さに腕が震えるのを全霊の力で抑えつけ、神への供物の如く恭しく捧げ持たれたそれをひょいと片手で受け取り、ヤマネはメイドたちの後方へと向かう。機嫌の良さそうなその後姿を見送ると、使用人は極度の疲労と達成感の波に飲まれ、歓喜の表情のまま崩れ落ちた。

 

 

 

 

 「……やべぇ、涙出そう」

 

 

 皿に盛り付けられているのは、ヤマネに合わせたのか肉類がやや多めに配置されている以外はメイドたちと同じメニューだ。ナザリックの下僕の中でも人に近い食性を持つ者たちに合わせられた一般的なもので、恐らくは本来自分達に振る舞うような食事からすれば数段劣るメニューなのだろう。

 

 だが、ヤマネは自身の人生の中でこれ程までに美味な食事を知らない。

 

 

 餌と呼称する方が正しいようなパック入りの食事を嫌い、ヤマネはできるだけ自分の手で料理を作ろうとした。

 

 ユグドラシル以外への興味が極端に薄かった親友の為、危ない橋を渡ってまで天然食材を調達したこともあった。

 

 上流層から出た廃棄品を横流ししたものだったが、未知の美味に彼と目を丸くしてがっついたのを覚えている。

 

 

 今食べているこれらは、美化されているはずのその時の食事よりも遥かに美味なものだった。

 

 理性ではゆっくりと噛みしめるように食べたいとは思うが、肉体はそれを拒み、次を、早く次をと急かしてくる。

 

 結局抱えるほどの大皿に盛られた食事は数分と持たずにヤマネの胃の中に収まってしまった。

 

 

 「こりゃ、アンデッドも飯を食えるようになる方法を早く探さにゃならんな。俺一人で堪能するのは勿体無いわ」

 

 

 満腹とは言えないもののひとまずは人心地つき、会議までは残り三十分というところか。ちょうどいい暇つぶしだと頬杖を突きながら熱演を続けるルプスレギナを見遣る。長い赤毛に褐色の肌、演説に合わせてくるくると目まぐるしく変わる表情がなかなか面白かった。

 

 

 「『――征くぞ、諸君!!』」

 

 「お、終わったか」

 

 

 途中微妙に曖昧な箇所もあれど、中断なく演説をやりきったルプスレギナ。メイドたちは興奮覚めやらぬ様子で拍手を贈り、そのまま口々にモモンガを讃え始めた。

 

 

 「ああっ……! あの威厳ある姿、比類なき魔力、尽きせぬ叡智に加えて慈愛の心まで!? 忠誠心が高まりすぎて鼻から溢れそうだわっ!」

 

 「職務とはいえ、お側に居られるアルベド様が羨ましい……」

 

 「あの玉体の一本一本を丁寧に拭き清める業務に従事したいんですが、どこで求人してますか?」

 

 

 ……忠誠心に溢れているのは結構な事であるが、何か思っていたのと違う気がする。特に最後の。

 

 

 「モモンガ様も大変に魅力的であらせられるけど、ヤマネ様も素晴らしいと思うわ」

 

 「そうね。あの荒々しさの中にも確かに光る知性の光! 理性にコントロールされた暴力の魅力というのかしら」

 

 「あの黄金の毛並みをブラッシングする業務はいくら積めば斡旋して頂けますか?」

 

 

 ……最後のメイドはちょっと矯正が必要ではないだろうか。ヤマネは訝しんだ。

 

 

 「ルプスレギナさんはどう思う?」

 

 「んー、そうっすねー……。御二方共に甲乙付けがたい素晴らしさだと思うっすけど、私的にはヤマネ様がヤバイっすね! こう、雌的な意味で」

 

 「め、メス的な意味でっ!?」

 

 

 どこで覚えたのか、両手の指で卑猥なジェスチャーをするルプスレギナ。

 

 

 「いやー、私もライカンスロープの端くれっすからね? やっぱり強い雄には魅力を感じるってもんすよ! こう、後ろから組み拉がれて、首元なんか甘噛みされちゃったりなんかしてー」

 

 「きゃー、ルプーったらいけないこっ!」

 

 「(・・・やべぇ)」

 

 

 具体的かつ多分にエロスな要素を含むルプスレギナの妄想談話に、メイドたちの熱量が上がっていく。

 

 そのうち騒ぎを聞きつけたメイド長あたりに鎮圧されそうではあるが、この空気は非常にまずい。

 

 

 モモンガを讃えているタイミングであればヤマネもしれっと混ざる事が出来たかもしれないが、今彼女たちの話題の矛先はヤマネを向いている。この状況で自身の存在が明るみに出れば、それこそ叫喚の騒ぎとなることは想像に難くない。

 

 程よく会議の時間も近付いている事だし、気づかれていない今のうちにヤマネは遁走を選択した。

 

 

 「(と、その前に食器は片付けておかんと……)」

 

 

 そのまま放置しておいても何も言われはすまい……というか「至高の御方をそのような雑事で煩わせるなど!」と使用人たちが飛んできそうではあるが、ヤマネの感覚は未だ庶民のままであった。

 

 過激な単語を努めて聞き流し、大皿を持ったまま抜き足差し足、メイドたちの後ろを通って厨房へと向っていく。

 

 

 「(置くところは……ここでいいか。んじゃ直ちに撤退を――)」

 

 「優しくされるのもそれはそれでアリっすけど、やっぱり激しく求められるのが本懐というか、もうガッツンガッツン――」

 

 

 「「あ」」

 

 

 眼と眼が――合ってしまった。

 

 

 猥談がヒートアップして身振り手振りを加えながら話していたルプスレギナは、陶然とした笑みのまま凍りつき、ヤマネもまた気まずさから硬直する。

 

 永遠にも思える数秒が経過したところで周囲のメイドが異常に気がついた。

 

 

 「……? どうしたの、ルプスレギナさ――や、ヤマネ様!?」

 

 「「「!!!!!」」」

 

 

 

 そこからはもう雪崩の如しだ。メイドたちは揃ってヤマネの前に跪き、ルプスレギナはその先頭で見事な土下座をかましている。ルプスレギナの表情は見えないが、見下ろすと真っ赤な耳と首筋が見えた。

 

 同じ空間にいる主に気付きもせず、その当人をネタにした話題で勝手に盛り上がっていたのだから、下僕の視点から見れば死罪で然るべき大罪であるし。猥談に走ったルプスレギナに至っては何をか言わんやである。

 

 その首を跳ね飛ばされるのを待つだけの罪人の心持ちで跪く彼女らだが、そんな事をヤマネに求められても困る。無駄な軋轢を防ぐためにこっそりと食事をして出ていこうとしていたのに、完全に裏目に出てしまった。

 

 

 「うぅむ……」

 

 

 ヤマネの一挙手一投足に注目が集まり、声を発するだけで緊張が高まるのが分かる。彼女らとて忠誠こそ極まっているが、その中身は一般人と大差の無い非戦闘員だ。そこに怯えが混じるのは致し方がない。

 

 

 「(ここは……アレしかないか)……何だ。何をそう畏まってんだ?」

 

 「は、はい! 私達はいらっしゃっていたヤマネ様に気付きもせず、よりによって至高の御方々をぐ、愚劣な思考で汚してしまいました。万死に値する愚行とに、認識しております!」

 

 

 ところどころつっかえ、裏返りながらも返すメイドに、ヤマネはふぅむと首を傾げる。

 

 

 「悪意からのものであれば兎も角、慕う気持ちからくるものであれば無下に切り捨てるもんでもないと思うがな」

 

 「だ、だとしても! 耳障りな猥雑な妄想を垂れ流していた事は許されるものでは――「俺ぁな、ここ二日ほど何も喰ってなかったせいで酷く腹が減っていてよお」

 

 

 宥めようとするヤマネになおも言い募るメイド、それを手で制して話を続ける。

 

 

 「ちょうど昼時だったし、お前たちが寛いでいるのを邪魔するのも悪いと思ってな。

 こっそりと忍び込んだんだが……

 いやあ、ここの飯が思ったよりもずっと旨くてな! 夢中で平らげちまったよ。

 

 ――そりゃあもう、周りの騒ぎなど気にならんくらいに、な?」

 

 「あ、あぁ、ヤマネ様……」

 

 

 ここまで言えば分かるだろう? と視線で伝える。伝わって下さい。

 

 これがヤマネの切り札「見ざる聞かざる作戦」だった。

 

 『何をやっていたかなんて自分は見ていないし聞いていないから罰しようがありませんよー』という訳である。

 

 

 「……まあ、お前たちが自分たちの行動を反省しているというなら、騒がしくしていたことをメイド長にでも伝えて説教でも喰らってくるがいいさ。おれからお前たちに与える罰なんぞないからな」

 

 

 メイド長と言えばあの犬顔の物体Xだ。ナザリックでも屈指の良識を持ったキャラの筈なので、きっと何とか丸く収めてくれるだろう。これまた丸投げである。

 

 感極まったまま頭を下げ続けるメイドたちにひらひらと手を振り、そそくさと食堂を後にする。

 

 会議の時間まではあと10分。

 

 かくして、ヤマネの濃密に過ぎる昼休みの時間は終わりを告げたのだった。

 

 

 

 

 「ただいまー」

 

 「お、お帰り。何してたんだ?」

 

 「メシ喰ってた。やべぇぞアレ、美味すぎて泣くかと思った」

 

 「マジか、いいなー……俺も後で飲食可能になるアイテム探そうかな?」

 

 

 そんな会話をしながら会議室で守護者たちの入室を待つ。

 

 きっちり開始時刻五分前にノックの音が鳴り、メイドが守護者達の到着を告げた。

 

 

 「――至高の御方々のご召喚に従い、我ら守護者一堂、罷り越してございます」

 

 「うむ、ご苦労。それぞれ席に掛けるがよい」

 

 

 ナザリックにおける最高権力者はギルド長であるモモンガ。ヤマネはあくまでも一ギルドメンバーであり、方針の決定権はモモンガにあると予め宣言していた。よってこういった場での議長はモモンガが務める事となる。

 

 本人がノリノリでRPをやりたがったせいでもあるし、ヤマネ自身もあまり格式張った振る舞いは得意でないため、体よく押し付けることにした。いわゆるWin-Winの関係だ、きっと。

 

 

 デミウルゴスを始めとした守護者達の報告は恙無く進んだ。

 

 ナザリックの知略担当上位三名のうち二名、加えて探索担当と群使役担当がその力を尽くした周辺探索は驚きの進捗を見せており、ゲーム感覚でわちゃわちゃと検証を進めていた上位者二名に罪悪感を抱かせるほどだ。

 

 手元に置かれた周辺地域の地図を見ながら、モモンガがほっと一息をついた。

 

 

 「――ふむ。これを見るに、やはり我々はユグドラシルとは別の世界に転移した、と想定した方が良さそうだな。

 

 探索した範囲内で観測された者は最高でも戦闘メイドと同程度、守護者クラスの実力者は皆無か。

 

 ひとまずはナザリック存亡の危機、という状況は脱していると見える。……まぁ些か拍子抜けではあるが」

 

 

 「初っ端から死にまくって覚えろみたいな世界よりはマシだろ。それよか、いかにもファンタジー! って感じの世界観が出来上がってたのにびっくりだ」

 

 

 確かに、とモモンガが頷く。

 

 確認されているだけでもゴブリン・オーガ・エルフ・ドワーフなど、誰もが知っているようなポピュラーなファンタジーの種族が実際に存在している世界があった、というのは驚きだ。或いは自身の世界にもこの世界へ転移、或いはこの世界から転移して来た者がいたのかも知れない。

 

 が、それはひとまず置いておこう。まずは目の前の報告書だ。

 

 

 「……リ・エスティーゼ王国にバハルス帝国、それとスレイン法国か。先の二国に関しては大したことはないという調査結果が出ているが、この法国についての要調査というのはなんだ?」

 

 「はっ、仰せの通りに隠密性の高いシモベを使ったところ、他の二国については問題なく調査を進められたのですが、かの国にて調査中の一匹が音信を絶ちました。何者かに隠密を見破られ、排除されたと思われます」

 

 

 デミウルゴスの言葉に、それまでのどこかリラックスした雰囲気が一転、ぴしりと空気が張り詰める。

 

 

 「ふむ……調査に使っていたのはどのモンスターだ?」

 

 「替えの利く者を使うようにとの事でしたので、コキュートスから借り受けた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)の下位種族でございます。定期報告としてメッセージを受けた直後に応答が途絶えました」

 

 

 とするとレベルは40弱。隠密性に特化したシモベの存在を察知し、なおかつ逃走を許さずに倒すのなら、同クラスのパーティか、二回りはレベルが上の相手でないと難しかろう。或いは、何か未知の特殊能力があるか。

 

 

 「加えて、最後の通信内容がこれ、か」

 

 

 手元の資料には、他の兵士達とは一風変わった服装の特殊部隊が存在するらしい、という報告が挙げられていた。先の情報と合わせて考えれば、他のプレイヤーがもし転移している場合の最有力候補は法国となるだろう。

 

 

 「では、目下のところはスレイン法国を主な諜報先として調査を進めよ。隠密能力の高い者を使うのもそうだが、警戒を抱かせにくい小型の者を動員するのも良いな」

 

 「はい、仰せのままに」

 

 

 うむうむと頷くモモンガ。その詳細が解らずとも、油断ができない相手であると分かったのならそれもまた収穫だ。この世界を冒険するにあたって根城となるナザリックの安全は是が否にでも確保しておきたい。

 

 

 「……ともあれ、具体的な計画を練ったアルベドとデミウルゴスは言うに及ばず、

 

 シモベを駆使して広範囲の探索を担ったアウラ、ナザリックの偽装を担当したマーレ。

 

 デミウルゴスの要請に応えて適切なシモベを派遣したコキュートス。

 

 探索にかかりきりの守護者達の穴を埋めて、ナザリック内の把握と警護に務めたセバス、シャルティア。

 

 そして実働として探索に関わったシモベ達も含め、素晴らしい功績だと称しよう。

 

 お前たち、見事に私の期待以上の成果を上げてくれたな」

 

 

 「「は、はいっ!」」

 

 「あ、ああありがたき幸せに存じんす!」

 

 「御方ノタメトアラバ、如何ナル困難、難局モ踏破シテミセマショウ!」

 

 「……そのお言葉だけで報われる思いです」

 

 

 総括として守護者たちを褒めるモモンガ。その声は明るく機嫌の良さが伺えるものであったため、守護者達も相好を崩して思い思いの礼を尽くした。

 

 みな心なしか肩の力が抜け、緊張が解れた様子を見て理解した。

 

 彼らも不安だったのだ。殆どの創造主に去られ、残った主たちに愛想を尽かされはしまいかと。

 

 

 「うむうむ。……お? これはこの辺りの地形図か」

 

 「はい。ニグレドの尽力で高精度の地図が作成出来ましたので、差し当たっての現状把握の補助にと」

 

 「西にでかい森、北に山脈。東南方向にちっさい村が幾つか、ってとこか。土地が有り余ってるなあ」

 

 

 ヤマネがこぼした感想は如何にもあの時代の人間らしいものだった。世界の殆どが汚染により人間の生存が困難となり、極々限られた領域でひしめき合って暮らしてきた事を思えば、確かにと肯かざるをえない。

 

 どれ、覗いてみようかとヤマネが言い出し、セバスが遠隔視の鏡を持ってきた。

 

 

 「どーれどれ……」

 

 

 ゲーム時代と仕様は変わっているが、先の検証作業中に操作方法は分かっている。鏡をタブレットの要領で操作しながら適当な村にフォーカスする。

 

 

 「……んー? 何か慌ただしいな」

 

 「火も見えるな。祭りか何かか?」

 

 「いえ、これは……」

 

 

 セバスがそういった瞬間、画面の端で朱が散った。

 

 祭り――ある意味ではそうかも知れない。その主役はこの村の本来の住人ではなく、彼らを追い立てている騎士達であるようだが。

 

 彼らは逃げ惑う村人達を馬で追い、家々に火を放ち、そしてその背に刃を突き立てる。

 

 

 「斥候として放っているシモベ達によりますと、法国の部隊が帝国の騎士の偽装をして王国との離間工作を行っているようです。

 

 兵の質は低く、殆どが吹けば飛ぶような者のようですが、村人を甚振るには十分なようですね」

 

 

 額に深い皺を刻んだセバスとは対象的に、デミウルゴスが笑顔を崩さないまま報告をする。

 

 設定的にも悪魔らしい悪魔である彼にとっては人同士の醜い争いなど大好物以外の何物でもないのだろう。

 

 見ればシャルティアは面白そうに鏡を覗いているし、闇妖精の姉はその姿にうんざりとした様子だ。

 

 コキュートスは弱者を甚振るという行為に不快感があるのか、押し黙ったまま腕を組んでいる。

 

 

 そこまで観察したところで、モモンガは自身が驚くほど冷静に現状を見ている事に気付いた。

 

 人間が同じ人間に悪意を持って傷つけられ、殺されている。本来であれば大きなショックを受ける光景を目の当たりにしているにも関わらず、だ。

 

 自分でも驚くほどに、人類に対しての共感を感じない。せいぜいが虫に人が抱くそれ程度のものだ。

 

 恐らくはアンデッドの身体となったことと無関係ではあるまい。

 

 

 だが、あることに思い至った瞬間、無いはずの心臓を掴み上げられるような感覚を覚えた。

 

 

 

 ――ヤマネは、どうだ?

 

 

 

 ユグドラシルプレイヤーとしてのヤマネのカルマ値は悪寄りの中立だが、山根敏之の性質はどうかと問われれば、多少荒っぽいところはあれど紛れもなく善性だと断言できる。

 

 元々は中流家庭の生まれでありながら学校の苛めグループに反発し、大喧嘩の末に勘当を受けた身の上であり、その経緯から反権力のウルベルトとも、勧善懲悪を旨とするたっち・みーとも馬が合った。おかげで彼らが喧嘩になりそうな時には、彼と自分が仲裁役となるのが常だったものだ。

 

 モモンガと同じように異形種へ変わったことで人間に対する共感性は――犬猫に対して感じるそれ程度には――薄くなっているだろうが、そんな事は大した影響は無いだろう。根本的にお人好しでお節介焼きなのだ。自身に15年以上も関わり続けている事がそれを如実に表している。

 

 ちらりと見れば、片目を糸のように細めたヤマネの顔。腕を組みながら頻りに人差し指で腕を叩いているその仕草は、紛れもなくヤマネが苛立っている時のそれだった。

 

 

 (そうだ、こいつはこういう奴だった……)

 

 

 付き合いの差か、守護者たちはまだ彼の様子に気付いてはいない。だが雰囲気の僅かな変化を敏感に感じ取ったのか、マーレなどはきょろきょろと辺りを見ながら腕を擦っている。

 

 ナザリックを構成する者達はモモンガを含めてカルマが悪に偏った者が殆どであり、セバスなどは僅かな例外だ。

 

 確固とした信頼関係を築けていない状態で守護者たちとの関係に溝が出来てしまうのは問題であるし、何よりこのまま放置していたら我慢し切れなくなったヤマネが件の狼藉者達を蹴散らしに飛び出して行きかねない。

 

 そうなれば法国との対立、最悪はプレイヤーとの全面戦争だ。洒落にならない。

 

 

 (考えろ、考えるんだ俺……! ヤマネを巧く宥めて俺達の立場も損ねない、丸く収まる方法を……っ!)

 

 

 幸い、先程から精神の沈静化が度々発生してくれるおかげで思考はクリアな状態を保てていた。

 

 鏡の向こうではやりたい放題の賊達。ヤマネも抑えてはいるのだろうが、そろそろ限界だろう。シャルティアなどは興に乗って応援まで始めているから、爆発した際には真っ先に彼女の頭に拳骨が落ちる事は間違いない。

 

 

 ヤマネからパチパチと放電の音が聞こえ始め、黄金の鬣が浮き上がる。もう限界だ――!

 

 

 「(ええい、ままよ!)……デミウルゴス。彼奴らの戦力分析は済んでいるか?」

 

 「はっ、今映っている陽動部隊と、誘き寄せられた王国の戦士長を狙う実働部隊が確認されておりますが、いずれも雑兵程度の者たちです」

 

 

 ――よし! まずは第一の関門は突破だ。内心でガッツポーズを取る。

 

 

 「なぁ、シャルティアよ。戯れに問うが、良いか」

 

 「? はいっ、我が君! 何なりとお尋ねくださいましっ」

 

 

 「……先に宣言したように、我々は冒険者だ。よってこのナザリックから、遠からず冒険に踏み出していく事になる。

 

 そこで、考えてみよ。

 

 これから我らが通るかも知れない道を、訪れるかもしれない場所を、かの如く好きに蹂躙させておいて良いものかな?

 

 食べてみねば解らぬが、極上の味かもしれぬ果実をいざ囓ろうとしてみれば、横から果実に砂を投げ掛けられた。

 

 その時お前はどうする?」

 

 

 「それはもう、生まれてきた事を後悔させてから殺しんす! ……あっ」

 

 

 そこでようやくモモンガの意図に気付いたのか、はしゃいでいた己を思い出しシャルティアが小さくなった。

 

 

 「そういうことだ。おかげで先程からヤマネの機嫌が悪くてかなわん。

 

 ……だが、相手は先程要注意と定めたばかりの法国の手の者だ。慎重に事に当たらねばならん」

 

 

 自身らの思慮の足りなさが主達の不興を買っていたと知り守護者達が顔色を失うが、モモンガは何となくそれっぽい言葉を選び、うまく組み合わせながら畳み掛けていく。

 

 

 「さりとて鼻先をチョロチョロと蝿が飛び回るのをそのままにしておくのも業腹というもの。

 

 ……少し予定を繰り上げる事になるやもしれんな。

 

 この件については追って指示を出すこととしよう。彼奴らには気付かれぬよう監視を付けておけ。

 

 ――では、報告会はこれで解散とする。次の命が下りるまで、各々英気を養っておくといい」

 

 

 恭しく頭を垂れる守護者たちに見送られ会議室を出ると、ヤマネは苛立ちが収まらないのか「寝る」と一言残して自室へと戻っていった。

 

 

 さて、目出度く難局を乗り切り時間的猶予を獲得したモモンガだが、転移以来――いや、人生でも初めての危機に内心で盛大に頭を抱えていた。

 

 

 「……ヤバい、どうしよう」

 

 

 ただの人間の心がカルマ極悪のアンデッドの器に押し込められ、変調を来さない保障はどこにもない。

 

 モモンガとしてではなく鈴木悟として、人間性を取り戻す術を早急に見つける必要があった。




意外と見かけない、人間性の消失に焦るモモンガ様。

次話完成まで残り半分程度。
来週には投稿できるかな……?


追伸:70あい様、244様、一読様、さーくるぷりんと様
誤字訂正ありがとうございました。

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