喜多川祐介と樋口師匠との愉快な日常   作:丸米

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ちなみに、本作は「自虐的代理代理戦争」の世界線です


代理人はこうして増える

愛すべき四畳半に、唾棄すべき存在がいる。その光景はまさしく神社仏閣に紛れ込んだ芋虫の如き禍々しさである。私は眼前の妖怪もどきを射殺さんばかりに睨みつけた。

小津はいつもの如く小さく縮こまったフリなどしつつ「そんなに睨み付けないで下さいよ」などといけしゃあしゃあと喚きたてている。

「うるさい。何故お前がここにいる」

「何を言いますか。他人からのもらい物と言えどこんな立派なお菓子を一人で食べる虚しさはないでしょう。仕方がないから僕がこうして一緒に食べているんじゃないですか。むしろ感謝して欲しいくらいだ」

小津はそう言いながら、菓子折りの中身を裁断機をかけたかの如き勢いでロクに味わう事無く口の中に放り込んでいく。その様はまさしく不愉快の権化であった。

「うるさい黙れこの偏食妖怪。何の用でここに来た!」

「まあまあ、そんな風に怒らないで下さいよ」

小津は甘ったるい猫なで声を発しながら、指を上方に持っていく。

「喜多川祐介と言うんでしたっけ、新しくここに来た人」

「ああ。今お前がせわしなく口に入れているその菓子折りもその御仁から頂いたものだ。そろそろその汚らしい口を閉じろ」

私はあまりにも無節操な小津の咀嚼に腹を立て、そのまま小津の口を摘み上げる。窒息したアヒルの様にぐえぐえと喚いて、ようやく菓子を食うのを止めた。手を離したら涙目を浮かべるも、舌先だけは止まることは無かった。

「いやあ、色々噂が立っているお人でしてね。是非とも一目見たいとこっちに来たんですがね。中々姿を現さない」

―――喜多川祐介とは、まさしく謎に包まれた男である。

何処の大学に通っているのか、そもそも本当に学生なのか定かではない。何週間も家に籠りきりの時もあればひとたび外出すれば何週間もいない時もある。食事に困って近くの河川敷で雑草を抜いていたかと思えば、こうして唐突に「引越しの挨拶が遅れて申し訳なかった」などと言いながら名産の菓子折りを届けたりもする。死んだ伊勢海老を握りながら街を走り回り、立ち入り禁止の山の中を画材道具一切を背負って侵入した事もあるという。流麗かつ端正なその佇まいは本当に同じ人間であるのか疑念を生じさせ、彼の奇行を目にして初めて同じ人間ではなかったのだと確信する。

「樋口師匠も大層気に入っているみたいで、弟子にならないかと勧誘しているけど、すげなく断られているみたいです。師匠は当分持つ気はない、ですって。昔、師匠に痛い目でもみちゃったんでしょうか」

「そこに関しては利口だな。師匠なんぞ持たない方がいい」

「噂じゃ、あの班目一流斎の弟子だったなんても言われているんですよ、彼」

「随分と懐かしい名前だな」

確かその名前を聞いたのは私が浪人生の頃だっただろうか。

自らの画廊と称して、実はその作品の半数近くを剽窃していたと言う事実を記者会見で実にアクロバティックに告白した事で有名になった男であったか。

その告白の原因となったのが―――。

「怪盗騒ぎなんてものもありましたねえ。悪人の心を盗む大怪盗、なんて世間で大騒ぎになった原因ですよ」

「ふん。そんなもの本当にいるのならば、まずもってお前が改心していないとおかしいだろう」

「そんな。僕ほどに純真な心を持った男が何処にいると言うのですか」

「どの口が言うかどの口が」

私の脳裏には、それでも―――この男が改心した際の光景が脳裏に浮かび上がった。

この畜生には眩いフラッシュに塗れた記者会見場なんぞ用意されるはずもない。精々四条大橋で拡声器を持ちながら涙ながらに自らの罪を告白し罪の重さに耐えかね河に飛び降り、そしてケロリとした表情で陸に上がっているに違いない。

ああ、やっぱりこの男は改心なぞするはずもあるまい。改心する位ならばこの男は果て無き逃避行と死を選択するだろう。さしもの怪盗でも、この男の心なぞ汚くて奪いたくもないだろう。

 

 

「樋口氏―――これは、一体どういう事ですか-----?」

「いや、これは私としても想像がつかなかった。申し訳ないとは思う。しかし、私の過失ではない」

喜多川祐介の眼前には、自らの絵があった。

己の全霊をかけて描いた、伊勢海老の数々。キャンバスに描かれた雄々しい紅の絵に、桃色が散乱していた。

樋口の着物も、桃色に染まっていた。

樋口は是非とも伊勢海老の絵を鑑賞したいと祐介に頼み、祐介は快くその願いを受け入れた。そうして様々に描かれた伊勢海老の絵の数々を樋口の部屋に運び込み―――悲劇は起こった。

「誰が―――誰が、こんな事を―――」

「犯人は、もう解っている。城ケ崎マサキ。映画サークル『みそぎ』の部長だった男だ」

「何故、こんな事を―――!」

「何故、何故かね。何故と言われれば、そこそこに長い話になる。ただ、一言で表すならば―――」

樋口は紫煙をくゆらせながら、言った。

 

 

「自虐的代理代理戦争、だ」

 


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