機動戦士ガンダム0079 Universal Stories 泥に沈む薬莢 作:Aurelia7000
第七章
翌日の早朝、エンゲルハルトの手引きによって収容所に入ったエトムントとサラがハンナの檻までやってきた。ハンナは目を覚ましていて、二人が入ってくることにすぐに気づいた。
「私、これからどうすればいいの?」
「したいことをするんだ」
入り口の方からそう声を発したのはエトムントだった。彼は軍服から白いシャツとハーフパンツの私服に着替え、いくつかの鍵を握って寄ってくる。
「そのための自由だ」
エトムントは鍵のうちの一つを使ってハンナを独房から出した。
「え……」
エトムントの言った自由が、本当に自由だとは思っていなかった。彼の台詞がこうしてわかりやすく現実になると思っていなかったハンナは疑問符を浮かべエトムントを見た。
「少佐に話はつけてきた。とういうより乗り気だったな。お前はこれから街に行く」
「え……?」
未だ信じられないといった様子のハンナにエトムントは続けた。
「嘘なもんか。お前はここにいるべきじゃないと、言っただろう。まずはその格好じゃまずいな。サラ、私服をこいつに貸してやれるか? それと君も着替えてきてくれ」
ハンナは捕虜用の囚人服を着ていた。これでは目立ちすぎるので着替えさせるのが妥当だと思ったエトムントがサラに訊く。
「勿論よ」
すぐに、私服になったサラが私服を持ってきてエトムントを追い出すとハンナを着替えさせた。エトムントとのデートに使ったのはお気に入りのものだったのでサラがハンナに渡したのは比較的地味でサイズ感も誤魔化せるものだった。
「こんなものしかなくてごめんね」
「ううん。ありがとう」
簡単なズボンとシャツ、パーカーに身を包んだハンナを連れてエトムントとサラは収容所から出た。
警備兵ではなく、エンゲルハルトの副官が檻の鍵を貸してくれた。彼は警備兵とは違い真面目で優秀な男のようだ。エトムントは収容所から出ると副官に鍵を返す。礼を言うとハンナを連れて歩き出した。
「笑って?」
ブヌトーがカメラをハンナに向ける。陽気な台詞を吐いてハンナの笑顔を誘ったつもりらしいがハンナはむしろ不愉快そうに俯いたままだった。気を使って副官が止めにかかる。
「元気でやれよ!」
ブヌトーがエトムント、ハンナ、サラの後ろ姿をカメラに収めながらそう言った。どんな意図があったのか、ブヌトー以外には理解しがたいのだった。
「意味なんてないんでしょうね」
サラが簡潔に呟く。ハンナもエトムントも同意を沈黙で示した。
三人が向かっているのはサウロペルタなどが停めてあるハンガー横の駐車スペースだ。
できる限り人目につきたくない。特にあのグラバー中尉に見つかれば面倒臭そうだ。二人でハンナを隠すように囲みながら、足早に向かった。
「準備は済ませたぜ」
駐車スペースには同じく私服に着替えたルカが待っていた。荷物も整えてエトムントの頼んだ通りである。
「ありがとうルカ」
「おうよ」
運転席にエトムント、助手席にルカを乗せ後部二席にあとの二人を乗せエトムントはエンジンを始動した。
「ようし、ドライブだ」
四人を乗せたサウロペルタが、基地を出て街を目指した。
「えっと……俺はルカだ。改めてよろしくな」
「……よろ、しく」
あくまでも飄々と挨拶を繰り出すルカにやや怯えながらもハンナが返した。
「はは、手か? 気にすんな、気にすんなよ」
ルカが自分の素手をハンナの前に差し出して笑顔を見せる。それにハンナは少し安心したらしい。しかしルカが出したのがハンナに噛まれた方の手でないことをエトムントは見逃さなかった。
「危ねえから座ってくれ」
ハンナに見せるためにルカは後部座席に身を乗り出している。いつこいつが車から振り落とされるのだろうかというほどの不安定さに、エトムントはつい苦言を呈してしまう。
道中はルカが喋り倒してくれたのであまり不愉快なものではなかった。うるさすぎて別の不愉快さをエトムントは覚えつつあったが忘れる。終始はハンナもだいぶ慣れたようで笑顔を見せていた。
「着いたぞ。港町だ」
街のはずれに車を停めた。街の真ん中に軍用車で入り込んでは私服に着替えた意味が消し飛ぶからだ。
「どこへ向かうの?」
そう尋ねたのはサラだった。ハンナはルカと雑談をしている。なるほど、多趣味多分野オタクというのはこういう時に役に立つのかと、エトムントも少しは感心できる。
「この前のカフェテリアだ。申し訳のないことだが頼らせてもらうことにした」
エトムントとサラがデートで訪れた老婆の経営するカフェテリアである。二人の脳裏には彼女の笑顔が浮かんだ。
「カフェテリア?」
その単語に反応したのはハンナである。サラは納得したようで頷いている。
「少しだけ憧れだったの、カフェやレストランのウエイターって」
「カフェテリアのウエイターかは保証できないが……。ただハンナ。お前がここで生きていくためには働かなきゃならん。大変なことだが、やれるな?」
ジオンの人間である自分に『やれるな?』と問う権利があるのか、その疑問を持ちながらも、そしてその疑問にノーの答を持ちながらもエトムントは問うた。
「うん、私頑張るよ」
「そうか……」
しかしハンナの答えは無邪気なものだった。三人の大人に罪悪感を持たせたその態度はしかし、三人を安心させるものでもありエトムント、ルカ、サラの三人の心中は複雑なものだった。
「ここだな」
立ち止まったのは例のカフェの前ではなく、服屋の前である。どこかレトロなショーウインドウにはおしゃれな服が飾られている。
「なにか服を買わないとな」
「欲しいものあるか?」
この店の値段の高さを知っていたエトムントは気が進まなかったが、幸か不幸かそれを知らないルカがハンナにそう言った。
「えっと……これ」
ハンナが指さしたのは黄色いワンピースだ。ルカは即決し、他数点、下着などと共にカウンターへ運んだ。金具の小気味いい音と共に薄気味悪い値段が表示される。
「……………」
ルカが観念して財布ごと差し出そうとしたので慌ててエトムントとサラが協力する。
「毎度あり!」
二度と来るもんかとエトムントとルカは誓い合った。
「……ありがとう」
礼を言うハンナにルカが見栄を張ってなにやら吹き込んでいる間に、エトムントはカフェテリアの位置を再確認すべくあたりを見回した。分かれ道がそこにはあったのだ。
「えっと、右だよな」
「えっと、左よね」
同時に自信がよく覚えていない事に気付かされたサラとエトムントは溜息をついた。
老婆のレストランに住んでいる少年、サイードは自分の仕事が好きだった。極めて育ちの悪い自分にレストランの店員が向くはずもなく、また料理の腕も劣悪だった為に昼間はこうして郵便配達の仕事をしているが、彼はこの仕事を大いに気に入っていた。
街中を自転車で走り、住人達に手紙を渡していく。
この戦争が始まると、電波通信の信頼性は大きく下がった。通信衛星はジオン軍によって破壊され、長距離電波通信も各地で散布されるミノフスキー粒子によって阻害される可能性がある。
そんな中これまでポピュラーな連絡手段ではなくなっていた紙媒体による手紙が、電波通信に替わる連絡手段として注目されると、これまで規模が縮小され続けた郵便局は大いに困った。何故なら人員とシステムがパンクしたからである。その為、暫定的に取られた対策が彼らのような下請けのバイトだ。
老婆に引き取られた彼がなんとかして自分でもできる仕事を探し手に入れたのがこの仕事だ。初めは小遣い程度にしかならなかったが、本格的に電波通信が不便になると需要も増してきたので満足な額が貰えている。無職の人間にとっても羨ましい職業らしい。
「へい! これ持ってきな!」
「お、ありがとう!」
出店の主人からよく焼けたチキンを受け取ると、片手でそれを頬張る。車道の人々の隙間を縫ってスイスイ進んだ。大通りの交差点を左に。その先に見えるコンクリートのビルが目的地兼最後の送り先だ。
「よっ……と」
プラスチック製の軽量な自転車のペダルを楽に漕いでビルの前に止める。サイードは緑色の大きな肩下げ鞄を抱えてポストまで歩く。
「お、郵便かい」
「うん。五通あるんで、任せるよ」
五通の封書をまとめて管理人の男に渡すと、軽快な足取りで自転車に跨った。
「それじゃ!」
軽くなった鞄を籠に入れてペダルを漕ぐ。誰だってさっさと昼休みは早く取りたいものだ。
彼がこの仕事が好きなのは、単に報酬が理由ではない。一番の理由は、自転車で街を走り回るのが気に入ったからだ。こうして街に溢れる人々やビルの谷間から顔を覗かせる太陽を眺めながら自転車で風を感じるのは最高だった。
「ん?」
市場の広い道の真ん中で立ち止まっている白人の―この宇宙世紀〇〇七九にそんな表現はいささか時代遅れだが―一行が目に入った。
あんな場所で立ち止まるなんて、余程非常識なよそ者らしい―と思えば、見覚えがあるではないか。確か昨日、レストランに来ていた男女だ。その二人に、知らない男が一人付いている。
「レストランなら右だよ」
声をかけると、白いシャツを着た男は振り返った。
「ありがとう。君は……」
「あら、レストランにいた子ね」
女の方も顔を出す。レストランにいた時は大して気に留めなかったが、よくよく見るとかなりの美人であることが伺える。
「そうだよ」
そう言ってサイードは下を向く。すると目が合う少女がいた。
―その時サイードが受けた衝撃は、彼がこれまで受けたことの無いものであり、彼に全身の血液が沸騰するような感覚を覚えさせた。顔が熱くなり、途端に頭の中身は真っ白に脱色する。
「あ、ああああの子は?」
顔を真っ赤に染め上げ落ち着かない口調で聞き立てる少年を見て、エトムントはなんだか懐かしい感覚を覚えた。自分にもああして恋い焦がれた時分があった。質問に答えてやる。
「ああ、彼女は……訳ありでな。お前んとこでお世話になるかもしれん子だ。詳しくは本人から聞きな」
「……決めた、俺が案内するよ。俺がいた方がばあさんとも話が通しやすいだろ?」
少々無理があるようにも聞こえたが、では頼むとエトムントも彼の小細工に協力してやる事にした。子供の恋愛に大人が首を突っ込むのはよろしくないが、協力してやっても悪くはないだろう。
てくてく先導して歩いていく少年にエトムントは声をかけてみた。
「そういえば、お前の名前はなんて言うんだ?」
「サイード!」
「そうか。じゃあよろしくな、サイード! 俺はルカだ」
割って入ってきたのはルカ。ハンナはサラの横で不思議そうにこちらに視線を送っている。
「俺はエトムント。こっちはサラだ」
「よろしくね」
エトムントは簡単に自分とサラを紹介したが、ハンナの事は触れないでおいた。
「えっと……君は?」
「……ハンナ」
エトムントの気遣いに気づき、勇気を出してサイードはハンナに声をかけた。ハンナはサラの後ろに隠れるようにして警戒しながらそう、答えた。
「そっか。よろしくハンナ! 俺はサイードだ」
「うん、よろ、しく」
エトムントやルカ以上に警戒心を見せている。そんなハンナの態度にややショックを受けた風のサイードをルカが励ましてやっていた。ルカはエトムント以上にこういう時、やたらと協力したがる性格だった。―その結果が良いものであったことはあまり聞かないが。
「ほらハンナ! そんなに警戒することないぜ」
しかしハンナはサラの背後から出てこようとせず、サイードが無理矢理自分を立ち直らせる方が先だった。
「ま、まあ。さっさと行こうぜ」
大股で大袈裟に歩くサイード。エトムントの少年時代がこうだったわけではないと彼は主張したいが、どこか昔の自分と重なり、無性に恥ずかしくなった。
なんとなく見覚えのある町並みを歩いていくと、やがて例のカフェテリアが見えてくる。
「ここだよ。さ、入んな」
サイードはたたたっと店内に入り、扉を開けてくれていた。ベルの音が店内に響く。
「こんにちは」
店内に入ったサラが声を上げた。カウンターの向こうで椅子に腰掛けている老婆へ向けた挨拶である。
「あら、この前の」
店主でありこの店ただ一人のウエイターでもある老婆はぱっと笑顔を見せ、挨拶を返した。ハンナを含む全員が挨拶を交わすとエトムントが本題に入る。
「実は、今回は客じゃない」
エトムントは自身のそばにハンナを寄せる。ハンナは不安そうだったが、老婆の笑顔を見て多少安心したようだ。
「なんの用ですかな?」
老婆は椅子から立ち上がり笑顔で尋ねた。
「この子は戦争で家族や友人を失った。行くあてなんかない。しかし、このまま軍のそばで過ごすのは酷すぎる。だから……」
老婆の表情がやや硬くなる。だがそれでも笑顔に変わりはなかった。
「ここで、この子を引き取ってほしい。礼も払う」
「私も、ここで働きます!」
ハンナが勇気を振り絞った声で言った。
「なあ……俺からも頼むよ。この町には同い年の奴がいなくて……その、退屈だったんだ」
サイードと老婆に願い出た。老婆は少しの間考えていたがすぐに答えは出たようだ。口を開いた。
「わかった。ここで暮らしても構わないよ」
「ありがとう!」
「本当かばあさん!」
ハンナとサイードは感激して必要以上に大きな声でそう言った。
「条件はハンナがここで働いてくれる事だ。そうすりゃ家賃もできるだけ安くするし、三度の飯と電気代もつけるよ」
「ありがとう! 勿論働くわ!」
「じゃあ、荷物を置いてきなさい。サイードも手伝いな」
店主の老婆にそう言われると、すぐに二人は木の階段を上がっていった。
先程までとはがらりと空気が変わったのをエトムントは感じた。老婆は、今度は真面目な面持ちでジオンの男たちを見つめる。どっしりと構えた器の大きな女性だ。
「あの子について、もう少し詳しく聞いておきたいのです」
そう促されて、エトムントが彼女について知っている事を説明する。隠したことは一切ない。ルカやサラの保管もあり、かなり事実に近い事を説明できた自信があった。
「……悲しいねえ」
一通りの説明を受けて、老婆はそう感想を漏らした。
「彼女について、なにか気付いているかい?」
それから老婆はそう質問を投げかける。一見すると意味のわからない質問だった。
だが、その質問をサラは理解していた。
「彼女はおかしい」
サラが端的に、明白に、残酷に、そう言い放った。ハンナはおかしいと。異常であると。
「どういうことだ?」
エトムントとルカは驚いてそう質問する。
「いくら私達が説得したところで、普通はあんなに心を開かない。心的外傷後ストレス障害やストックホルム症候群だと私は思うわ」
心的外傷後ストレス障害―PTSD―とは、精神が強いショックを受けた場合に残る後遺症だ。彼女は目の前で親を失い、村が焼かれる光景を目に焼き付けた。それが強いショックであっても不思議はない。
「確かに、俺たちが行った時彼女は起きてた。不眠も症状の一つだが、それだけで―」
「……………」
サラは目を閉じる。
「そう言えば、あなたの捕まえた連邦の捕虜が、あなたにこう伝えてって言ってたわ―あなたの言っていたことは嘘だった」
「ジオン軍人は南極条約を守る、目的があるから。そう言った」
「警備兵の中に女はいなかった。不真面目な連中ばっかりだ。俺もこんな可能性を示唆したくはないが―」
―レイプ。戦争と略奪は常に隣り合わせであり、レイプは略奪の筆頭だった。
常に弱者が虐げられる略奪において、女子供は最初に犠牲となる。時には十四の子供が手込めにされることだってある。
ストックホルム症候群は自分の命を握る相手に対し無条件に好意や同情を持つことだ。ジオンに家族と村の仲間を根絶やしにされ、ジオンに捕縛されジオンに拘束され―彼女が寝ずに考え出した自分の生き方。
―それが、ジオンに共感しジオンの人間に好意を抱くことだった。
残酷で、無情で、無慈悲で、非情な現実。それが戦争だ。戦場だ。
「そう。彼女は心に傷を負ってる。サイードが来たばかりの頃よりよっぽど深い」
エトムントとルカはなにも言葉を発することが出来なかった。これ以上話す資格がないようにも思える。
「彼女はもう、戦争に関わってはいけない。普通の平和な生活を送るべきなんだ」
けれど、なんとか本題についての台詞だけは紡ぐ。
「あなた達はもう二度と彼女の前に姿を現さないで。それだけが条件よ」
「わかりました」
老婆の提示した条件に、サラは即答した。条件であると提示された以上、彼女の中で拒否するなどといった選択肢は存在しなかったのだろう。
「あの子の為です。残念だけど、今はそれが一番」
老婆の顔が、一瞬だけ昨日の快活な店主の顔に戻る。
「では、よろしく頼みます。それじゃあ」
「ええ、いつかまた会える日が来る事を願ってますよ」
「さようなら」
別れを告げた三人は、店を出た。
ハンナは、きっとゆっくりだが自分の中のトラウマと決着をつけ、自分の生き方を見つけるだろう。いつか愛する者とも出会い、幸せに生きて行くはずだ。戦争なんかに囚われたりはしない。
そう、信じた。
「これでよかったんだろうか」
エトムントが空を見て呟く。
「私達にできることはこれぐらいよ」
彼女の肉親や親友を殺した組織の一員として、あるいは大人として―エトムントも、できることはしたつもりだ。あとは彼女らに任せるしかない。そうは分かっていても、漠然とした不安に襲われる。
「いつか、成長したあいつと会ってみたいものだ」
「会えるさ。そん時隣にサイードがいたらなおいいな」
ルカがそんな風に言ってみせた。うむ、確かにそうだ。彼の恋路の行方も気になるものだ。
「けれど……そうね。 彼女が幸せに生きれるよう、祈りましょう」
「ああ」
エトムントとルカも返す。
「じゃあなー!」
若い活気のある声に引かれて振り向くと、レストランの二階から手を振るサイードと、その横で小さく手を振るハンナが見えた。
エトムントは立ち止まり、できる限りの優しい笑顔を作って手を振り返す。
彼女らが幸せな人生を歩む事を願って。
自分の文章力の無さとシナリオ作成力のなさのせいで本来予定していたストーリーからずれてしまった、という後日談付きでこれにて第一話の完結とさせていただきます。
感想やアドバイスなど、待っておりますのでよろしくお願いします。
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