機動戦士ガンダム0079 Universal Stories 泥に沈む薬莢 作:Aurelia7000
第五章
その晩は晴れていた。気持ちのいい晴れ空で星々もよく見えた。木製の屋根の上で寝転がって星を見るのが好きだった。星の名前なんてよく知らないけれどそんな事はどうだってよかった。とにかくこの清らかで美しい星々が瞬く時間を過ごせればよかった。
しかし、その日いつものように星を眺めていたら星と村のランプ以外の光源が現れた。遅れて腹の底に響くような心地の悪い爆音。
「おい! 家の中に入れ!」
状況の把握に努めようと回転し始めていた少女ハンナの脳に、外部からの声が届いた。父の声である。
「う、うん! どうしたの?」
「隣村がジオンの連中とやり合ったらしい。俺たちも加勢しに行く。あいつらが来てから林が焼かれたり畑が潰れたりいい事なしだ。いいかハンナ。お前はここにいるんだ。絶対に外に出るんじゃないぞ」
まだ十四のハンナでも、あんなものに生身の人間が勝てる見込みがない事はわかる。十八メートルの緑色の巨人だ。だがハンナが言うまでもなくそれは村の男達全員が知っており、しかしなお彼らは戦いを挑もうとしているのだ。ハンナには言うことを聞くことしかできなかった。
「よしお前ら! 行くぞ!」
村の若い男達が武器を持って走っていくと、村には女と老人、子供のみが残された。
森の向こう側が少しオレンジ色の光に照らされると、少し遅れて銃声や爆発音が鳴り響いた。ほんの十数分しかそれは続かなかったがハンナにとってはとても長く感じられる時間だった。それは村の人達も同じで、みな光しか見えない戦闘の行く末を見守っている。しかしすぐに勝敗は決したらしい。男達は半分ほどに数を削りながら逃げ帰ってきた。
「父さん!」
その言葉を聞いてくれる相手はいなかった。代わりに涙を溜めた母親が自分の事を抱き締めてくれる。
「お、おい! あれ見ろ!」
村人の指差す方を見ると、遠方の稜線を越えこちらに迫ろうとする鋼鉄の巨人が見えた。闇夜でシルエットしか見えないが、月の光と森の中で何かが燃える炎の光でその存在は視認できる。ピンク色の不気味な一つ目が、自分達へ定まって光った。
一瞬にして村は恐慌に陥った。あんな巨人が自分達に牙を剥けばひとたまりもないだろう。ある者は武器のある倉庫へ向かい、ある者は子供を抱えて家の中に逃げ込んだ。またある者は既に村の外に出ようともしていた。
足音が近づいてくる。その巨人が大地を踏みしめる音はとてもこの世のものとは思えなかったが、脳が伝える恐怖だけがハンナを現実の世界に引き止めている。
「村を守れ!」
誰かがそんな事を叫んだ。彼らは当然ながらジオン軍の交戦規則など知らなかった。抵抗をすれば村を戦場にしかねない、などとは思わず、ただ村を守る使命感と興奮、恐怖だけで鋼鉄の巨人に戦いを挑んだのだった。
その言葉に呼応して村のどこかからロケット弾が放たれた。個人携帯用の簡易的な四連装ロケットランチャーだ。誘導機能はないので、特定の目標を狙う事なくザクに向かって突進する。光の尾を引きながら四発のロケット弾が風を切って進む。しかし初速の遅かったその弾頭を易々とザクはかわして見せた。今度はザクがお返しとばかりにザクマシンガンを数発撃ちこむ。機械が連動する音と発砲音が周囲に響き渡り、すぐに着弾の爆音が連なる。直撃弾ではないとしても、至近弾の爆風にさらされて生きていられる人間などいなかった。
ザクが村の人間を幾人か屠ると、他の場所からも次々と攻撃が始まった。村の光源が増え、機関銃の弾からグレネードランチャー、ロケットランチャーの弾が次々と放たれる。超高速で突き進む弾丸やロケット弾。しかしザクという巨人はそのことごとくを弾き、あるいはかわした。戦闘が始まって一分足らずでザクの圧倒的な優勢が示される。
「煙だ!」
村の誰かがそう叫んで煙幕を焚いた。白いスモークがもうもうと立ち込める。
「近付いて仕留めろ!」
今度は違う男が叫んだ。煙に紛れ小人を見失ったザクが一つ目を動かして探している隙に村人達は肉薄していく。だが巨人に群がり仕留めようとする小人は、あまりにも無力であった。
ザクは体のいたるところに設置されたSマイン発射装置を起動し、Sマインの弾頭は空高く放たれた。時限信管によって一定の高度まで跳ぶと、そこで炸裂する。
数千という子弾が地面に降り注いだ。ザクに近づきすぎていた村人達は肉を裂かれ骨を折られ、その痛みを人生最後の記憶として生涯の幕を閉じていった。
わかりきった事だった。あんな鋼鉄製の巨人にろくな装備も訓練もない男たちが勝てない事は。しかしそれでも戦う村を守る為に無惨に死んでいく村の男達。
何人もの人間を殺戮しなお、ザクはその一つ目で葬るべき相手を探している。
「ちくしょおおおおおお!」
数人の男がジープに乗って飛び出した。剥き出しの後部座席にはロケットランチャーを抱えた男が立っている。Sマインを斉射しきったザクに猛スピードで近づいていくのが見えた。
通常ならためらうだろう。Sマインがあと何発あるのかわからないからであるが、この状況で冷静な判断ができる人間などいなかったのだ。
放たれたロケットランチャー、そして小銃の弾をすべて装甲で弾くと馬鹿にするな、と言わんばかりに簡単にジープを蹴り飛ばした。車はおもちゃのように何度か地面に弾かれながら飛んでいく。彼の人生の続きは途絶えた。
結末は簡単に予想できるものだった。
まだ家屋の影などに潜んでいた男達に、ザクは攻撃を加えた。男に向かってザクマシンガンの射撃を始めたのだ。側にあった木造の家屋は次々と倒壊し、木っ端が吹き飛んだ。逃げ出していた女の背中にそれが突き刺さり、女はその場に倒れる。
村はまさに地獄の光景と言えた。一体の巨大な鬼が、無力な人間達を虐殺しているのだ。
ハンナはなんとか意識を保っていた。ここにいては死ぬだけである。とにかくその場から離れようと母の手を引いた。
「母さん、逃げよう!」
母は突然起こる悲劇の連続に意識を保つのが限界で、言われるがままぎこちなく走り出した。
「ハンナ! 逃げるんだ!」
小銃を持った男、幼馴染のスードラが駆け寄ってくる。小銃はどこかで拾ったのだろう。彼はまだ他の男達のように武器を握る年齢ではなかった。三人で逃げよう、そう言おうとした瞬間―
「危ない!」
―衝撃。ハンナのすぐ後ろでザクマシンガンの弾が炸裂した。しかしハンナが弾の破片や爆炎に呑まれることはなかった。
「母さん…スードラ!」
幼馴染を守る為盾になった勇敢な少年と共に、自らの命と引き換えに愛する娘を守った母は背中に無数の傷を負って息絶えていた。彼女らはハンナがいくら呼びかけても目を開く事はなかった。
「うあああああああ!」
天に輝く無数の星に向かって叫んだ。溢れ出る涙を堪え、ハンナはスードラの抱えていた小銃を持ち上げる。まだ少女の年齢であるハンナにとっては重かったが、今は気にならない。
とにかく必要なんだ。生きる為には少しでも多くの力が必要なんだ。
ハンナはそのまま森の中へと走って行った。村で上がる炎が見えなくなり爆音が聞こえなくなるまで走り続けたかったが、ジャングルを走り続けたせいで体は泥だらけで、あらゆるところに痣や裂傷を作っていた。
もう、そこから動ける気がしなかった。
「現在地は?」
『折り返し地点まで半分。順調に進んでるよ』
エトムントはルカからそう聞くとまたワッパの速度を上げた。
『南の方角がゲリラの村があった方だ。向こうから逃げてきてここらに隠れている可能性が高い。ここら辺はザクじゃ入れないから』
確かに、この木の密集率と地面のぬかるみではザクは足を踏み入れられないだろう。エトムントは警戒心を高めて闇夜の熱帯雨林に目をやった。ワッパには布でできた簡単な屋根を張り、エトムントやルカはレインコートを着ていたがそれでも服の中までびっしょりと濡れている。ジャングルも同じようにいつもに増して高温多湿となっていた。乾季のはずだが、珍しく雨が降っているのだ。これでは着の身着のまま逃げ回っているゲリラは大変だなと、他人事ながらに同情した。
『ま、こんな任務なら死ぬ事はないだろうな。我が軍の進行は順調なんだから、きっとその内また講話に持ち込むんだよな?』
「ああ。一度はレビルの演説で抵抗を選んだ連邦も、地球本土に攻められたら怖気付くだろうよ」
エトムントが言ったレビルの演説というのはルウム戦役で大勝利を収めたジオンがその際捕虜として捕獲した連邦軍レビル将軍、彼がその後連邦軍の特殊部隊によって奪還され、更に事実上連邦政府への降伏勧告である停戦条約締結の場に現れ、ジオンの内情を暴露した通称『ジオンに兵なし』と呼ばれる演説である。
これによって連邦軍は継戦に傾き、停戦条約であった南極条約は戦時条約となった。ジオンにしてみれば目の前にあった独立の夢を摘み取った憎き敵将である。
『ジオンが独立できりゃ、生活が楽になる。今までは連邦政府の重税や経済制裁でろくな生活ができなかったがそれももうおしまいだ』
「そうだな。お前もチヨと落ち着いて結婚しろよ」
エトムントはルカが最終的に言いたかった事を先回りして言ってやった。スペースノイドの悲願であった独立。それをかけた戦争。正義は我にあり、とジオン国民の誰もが信じていた。
『ああ。その為に結婚は取ってあるんだ。やっぱり戦後に結婚したいからな』
なるほど。もしかしたらそれは、自分が戦死しても相手の戸籍にバツが付かないようにという気遣いなのかも知れないとエトムントは思ったが、これまでの経験からそれを否定した。ルカはもし自分が死んだら、などと考えるようなか弱い―あるいは頭のいい―人間ではない。
『ところで、この先に開けた土地があるんだが、迂回するか?』
折り返し地点を通過し、あとは基地まで直進というあたりでルカが任務の話を始めた。今まで敵の攻撃はなし。お陰で二人は雑談に気を向けられたが、一応は任務の事も念頭に置かれているらしい。エトムントも雑談と少しを警戒に使っていた脳を動かし考えた。開けた土地にでると見つかりやすいが、この際問題はないとエトムントは判断する。開けているとはいえ周囲に高台があるわけではないので攻撃を受けたとしても退避、あるいは反撃はできる。それにそこまで神経質になっていては持たない。
「いや、ルート通りでいく。念とはいえの為少し散会して進むぞ」
『了解』
二人は間を開けて進んだ。少し進むとやがて開けた土地があり、そこだけ月の光が直に当たり明るくなっている。エトムントは攻撃を警戒してスピードを上げて突っ切る。ルカも同じように突っ切った。
どうやら攻撃はないようだ。そう思いまた進もうとした瞬間―
―発砲が始まった。連なる銃声に呼応して周辺の木々に弾が当たる音が聞こえる。それに応えてエトムントとルカは反撃を始めた。マズラ機関銃で弾をばら撒く。マズラの発砲炎で周囲が明るくなり、近くに着弾するのが見えた。するといきなり相手の発砲が止まった。
「撃ち方待て。やったか?」
なおも警戒しつつ接近すると、木の陰にもたれかかる人影が見えてきた。
木の陰で雨に打たれるその影は、ゲリラでもなく連邦の正規兵でもなく―
「おい」
「ああ……」
―子供だった。少女である。服は簡素なもので、この豪雨をしのげるものとは到底思えない。その証拠に顔色や唇は青ざめていて、この少女がそんな状態で小銃を撃ったのなら驚くべき事である。
エトムントはワッパから降りて少女の前でしゃがみ込んだ。少女兵という事だろうか。食料も弾薬も持っていない。服装も普通のものでその上裸足であった。
「よかった……。怪我はしていない。どうやら銃がジャムったのと、極限状態の中で衰弱して力尽きたらしいな。息はあるが放っておけばじきに死ぬ」
背中で両手を縛ると、エトムントはレインコートをかけてやった。保温効果もあるのでないよりはいくらかマシだろう。
「捕虜……なのか?」
ジオンではまだ学校に通っているような年齢だ。それを捕虜として捕らえた事に、エトムントとルカは強い違和感を覚えていた。しかし、それを拭うようにルカが言う。
「ああ、そうだろ」
ジオンの兵士は、重力圏での戦争に酷いストレスを抱える事があった。それを避けるのが、それをそういうものだと受け入れる事だ。戦場で味方が死んだ時、パニックを起こして逃げ出そうとする兵士、PTSDになりかけたMSパイロット。戦争はそういうものなのだと無理にでも飲み込む事で、なんとか自分を保っているのだ。
天気、気温、日の出、日の入りをコントロールでき、自然災害など絶対にないような生活をスペースコロニーで過ごしてきたジオンの兵士か醜い戦争を理解するには苦しむのだと、そう言い聞かせた。だから今回もルカは少女が戦場にいる事を認めようとしたのだ。
こんな幼い少女がライフルを握って一人ジャングルで倒れている。そんな現実が、戦争では当たり前なのだと。
「報告だな」
エトムントは無線機を取り出した。
『あー本部、こちらはロミオ・ナイナー。敵ゲリラ一名を拘束した。少女だ。繰り返す、敵ゲリラの少女を拘束した。オーバー』
『こちら本部、了解しました。帰還時に捕虜も連れて来てください。繰り返します、連れ帰ってください。オーバー』
『了解。アウト』
交信を終えるとエトムントは少女の方へ向き直った。すると、少女が目を覚ましているのが目に入った。
「よ。怪我は―」
「お前たち、ジオンだな!」
ルカの言葉を貫くように、少女が声を荒げて言った。その台詞には強い敵意が込められているのを感じる。
「ああ、そうだよ。ジオン公国軍だ。君は兵士か?」
縄を解こうと暴れる少女と対照的にエトムントは落ち着いた口調で問う。
「……違う」
その答え―いや彼女の放つ雰囲気で二人はおおよその事に見当をつけた。恐らくは彼女の村はゲリラの村であり、友軍が制圧したという村の一つなのだろう。それ故にジオンに敵意を持ち、銃の引き金を引いた。
「お前たちの所為で! あたしの村は! 家族は!」
涙を流しながら喚く少女の事を鎮めようとルカが手を伸ばしたが、彼女はルカの手に噛み付いて拒否した。
「いてててて!」
グローブの上からでも痛いらしい。しかしルカが力づくで放す前に彼の手は解放された。少女にはもう、噛み付く体力もなかったのだ。しかし、彼女を突き動かす精神と気力は尽きず、憎きジオンの兵士を睨みつけている。
「安心しろ、危害は加えない」
「ふざけるな! あたしの村を焼いて、父さんと母さんを、スードラや村のみんなを殺した癖に!」
少女の気迫に気圧された二人は言葉を失った。この子も戦争孤児なのだ。そして自分たちがそれを生み出した。その事実に対して発するべき言葉が見つからなかった。
「まあ、敵だかんな」
ルカがあまりにも呆気なく、そして核心にあることを言葉にする。
「お父さんやお母さんの事は残念だった。俺が言える事か知らないがそう思うよ」
「お前たちが仇なんだ! 父さんや母さんの!」
呆気にとられていた少女がまた叫んだ。
しかし、今度は怯むことなくエトムントが口を開く。
「もう敵じゃない! そして仇でもない!」
「敵だよ! 仇だ!」
「お前はまだ生きてるんだ、復讐なんてしてねえで自分の人生を生きろ!」
その言葉に、糸が切れた人形のように少女は泣き崩れた。溜め込んでいたものが一気に噴き出し、吐き出すように大きな声で泣いた。
「じゃあどうすればいいんだ!」
なおも叫ぶ少女を、エトムントは強く抱き締めた。この子をどう静かにさせるかなんて考えなくなった。そんな利口な思考なんかじゃあなく、ただ抱き締めてやりたかった。彼の胸で籠った泣き声をあげる少女の背中を優しく包み込む。少女は気がすむまで泣くと、やがて落ち着きを取り戻した。
「名前は?」
「……ハンナ」
少女―ハンナは自分をそう名乗った。
「そうか。ハンナ、俺たちはもう君の敵じゃない」
エトムントは優しく諭すように言って、立ち上がった。
「移動するぞ。予定時刻を過ぎちまう」
「ああ」
レインコートを羽織ったハンナをワッパの座席後部にある備品ラックに座らせた。単座で操縦手以外の人間を乗せる事を考えていないワッパにはそこしかスペースがなかった。後ろ手に縛ってある縄をワッパにも繋いだ。一応苦しくないようにしたつもりである。
「ハンナ、悲しい事は泣いて忘れろ。いつまでも囚われてても生きている意味がない。……俺に考えがあるんだ」
エトムントはハンナにそう言ってワッパのエンジンをかけた。座席を挟んでハンナの体温を感じながら。
ハンナはワッパの上で揺られながら考えていた。この男は何者なのだ。いつの間にか憎かったはずの男に心を許してしまっている。決して感情が色褪せたわけではない。今でもあの十八メートルの巨人に対する恨みも、あの凄惨な光景も、悲しみも忘れてなどいない。ジオンを恨まなくてはいけないと感じる一方で、ジオンの男の台詞を心に留めていた。
―自分の人生を生きろよ!―
あの時、自分を守る為にスードラと母親は死んだ。いやもしかしたらまだ生きていたかも知れない。けれど私は逃げてしまった。もしかしたら二人はまだ泥の中で私を待っているかも知れない。そう思うと自分が卑劣で下劣な裏切り者に思えてならなかった。思えば思うほど胸が締め付けられる。自分の人生は自分で決めていい、父が農場を経営して得た金で通っていた学校の先生が言っていた台詞だ。ハンナはその言葉を信じたくなった。自分は家族や幼馴染を裏切った最低の人間かも知れない。けれど、それでも生きている。お父さんお母さん、スードラ、村のみんな。ごめんなさい。ハンナは後ろめたさを振り払うように心の中で謝罪の言葉を並べた。そして決心したように口を開く。
「これから、私はどうなる?」
「普通なら捕虜だが―お前はまだ子供だからな」
自分を縛った男はそうとだけ告げるとまた操縦に戻った。冷たいはずの雨が少しだけ暖かく感じて、ハンナは目を閉じた。
増やして欲しい要素はなんですか?
-
人間ストーリー
-
戦闘シーン
-
モビルスーツ
-
普通兵器
-
歩兵