僕は彼女を助けようとするのだが、そんな僕の気も知らずターンエーは悩みの種を運んでくるのだった。
セシリアとの騒動からあっという間に一週間が経ち、委員長決定戦当日。時刻は放課後、既に学園のアリーナにはこの試合を観戦しにきた生徒達でひしめき合っており、件のIS戦を心待ちにしている。
見にきた生徒達は、学科問わず一から三年生までの生徒のほとんどであり、まるでパフォーマンスライブを見に来た観客のように今か今かと試合の開始を待っている。
無理もないだろう。何せ、全世界で唯一のIS男性搭乗者の初戦闘が、つまりはISの歴史に残るであろう重大なイベントがこれから行われるのだから。
「いやー楽しみだね!一夏君、セシリアさんにどれだけ食らいつけるのかなぁ!」
「一夏君もいいですけど、ローラ姉様も見逃せませんわ!私にできるのは、愛するローラ姉様が勝つのを祈るだけ!!」
また、このドーム全体を沸かせている要因はその男性操縦者以外にも、もうひとつあった。それこそが、「ローラ」という少女の試合参加だった。
何故転入生である「ローラ」もとい「ロラン」が、ここまでの人気を獲得したのか。それは主にロランの人柄によるものが大きい。その柔らかなもの腰と仁徳、そして何より美貌によって一年のみならず、二年三年の生徒達にも「ローラ」という人徳者の存在が知れわたっているのだ。
困っている人が居たら率先して手伝い、頼まれ事を受けたなら二つ返事で了承する、まさにローラは「良くできた少女」といえるだろう。
そうして彼の人柄が知れわたった結果、その出来た性格が上級生にも受けて、一週間足らずで学園のマドンナ的な扱いを受けることになったのだ。
無論、その待遇は良いことばかりではなかった。
厚遇ぶりやロランの美貌が祟って、ロランに対して嫉妬をしたり、煙たがる女生徒も現れた。そしてその衝動のまま、「ローラ」に押し掛け陰湿な暴言を投げ掛ける生徒もいた。
だが。
『私はマドンナなんて大それたものじゃありません。ですから、この肩書きが気に食わないのでしたら、私はいつでもこの肩書きを捨てます。そして同時に女を捨てましょう。それでも気に食わないのでしたら、どうぞ、この私を、今ここで。好きにしてくださって構いません』
そんな生徒達も、ローラにこう言われては黙らざるをえなかった。
こうも毅然と言われては、たまったものではない。なにせここまで言わせた上で追及し続けたなら、周囲から見る目は冷ややかになるだろうからだ。
それだけ、押し掛けた少女達にとってローラの言葉は自分達を追い詰め、そして退散させるのには十分なものであった。
こうして、ローラを好ましく思えない生徒は、他でもないローラによってその存在を潜めざるを得なくなったのだ。
なお、その「ローラ」としての毅然とした態度と発言に感銘を受けた女生徒が現れ、「千冬姉さま党」など「姉さま」関連の派閥に新たに「ローラ姉さま党」が作られたのは、また、別の話である。
「さぁ!貴女も『ローラ姉さま党』へ加入なさらない?」
「こんなところで勧誘すんなよ!『ローラ姉さま党』はローラの尻を追いかけるだけにしろ!」
「ローラ姉さまの尻と言いましたの!?おのれェェェェェェ!!」
「尻を尻と言って何が悪い!」
観客席はもはやかしましいどころではなく、試合が始まる前から熱狂的な歓声に近い声がそこらじゅうで上がっていた。
それらの大半は自分の推している人物への応援だったり、どちらが勝てるかという賭け事まがいの下馬評のガヤだったり、先の「ローラ姉さま党」会員の熱心な勧誘活動などであった。
もはや試合そっちのけの盛り上がりである。だがそれも、普段はIS学園から出られず刺激の少ない学園生活で溜まった鬱憤を晴らすためだと思えば、分からなくもない。
場面は変わってアリーナの準備室の一室、そこにはこの試合の核であり発端の二人、織斑一夏とロラン・セアックが各々の準備を済ませ、一夏の幼馴染みである篠ノ之箒と共に一夏専用のISが搬入されるのを待っている。
待っている、のだが、そんな彼らの間に微妙な空気が流れていた。
「…………」
「…………」
「あ、あはは……」
三人のいる空間は外の観客席とはうって変わって暗く、そして沈んでいる。端的に言えば空気が死んでいる。
その空気の大本は織斑一夏、そして篠ノ之箒の二人からであった。一夏が箒をジットリとした目で恨めしく見つめ、見つめられている箒は冷や汗を流しながら必死に目をそらしているという、何ともシュール極まりない夫婦漫才あるいは寸劇を思わせるコミカルな状況を二人は作り出していた。
これにはロランも苦笑いして、二人を見守るしかない。
「……なぁ、箒」
一夏から声を掛けられ、箒があからさまに肩をビクンッ!と動かす。
「な、なんだ、一夏」
「いやな?箒、一週間前に俺に対して言ったこと覚えてるか?」
「無論、覚えてるとも。この私がISについて教えてやると言ったのだ」
「……そうか」
一夏は一呼吸おいて言う。
「この一週間、剣道の練習しかしてなかったよな?」
その言葉を聞くや否や箒の視線は在らぬ方向を向き、その額には文字どおり滝のような汗がダラダラと流れ始める。
その目は庭園の池を遊泳する鯉の如く四方八方に泳ぎ、額に流れる汗は日本特有の渓流を想起させる程に多量に流れる。
とどのつまり図星であった。
その様子を見て一夏は深くため息をはいてうな垂れる。
一週間前、セシリアとクラス代表決定戦で戦うことが決まった後、一夏はまずISの動かしかたや戦術を学ぶことにした。
その為に自分の親友であり、尚且つ同じセシリアというライバルを持つもの同士であるローラに、ISの操縦知識やコツといったIS関連の知識について教えを乞うた。
ローラはそれに二つ返事で了承、しかし、それに異を唱えた人物がいた。それこそが箒であった。
『わ、私は篠ノ之束の妹だ!そんな女に聞かずともISついて私が教えてやるぞ、一夏!』
そう言って必死の形相で一夏に迫る箒。
その必死の形相を見て、ロランは箒の抱く一夏への淡い恋心に気づいてしまった。そうなれば、ロランは箒の邪魔をすることも、彼女の勇気を振り絞って起こした行動を無駄にすることも出来ない。
『助かります、箒さん。私は私でセシリアさんとの対戦で、準備しなければなりませんでしたから。箒さんが一夏の先生になってくださるなら、良かったです』
と箒の体裁を保てるような理由をでっち上げて、ロランは自ら身を引いた。
一夏としてはローラの理由を聞いた以上、これ以上ローラに迷惑をかけては申し訳ないと思いつつも、それでも箒ではなくローラに教えてほしかったなぁと、未練がましく思いながら、自分の幼馴染みに教えてもらうことになった。
そうしていざ始めてみれば、そもそも学園のISは全て貸し出されていて使えず、一夏に支給されるという専用機は今だ届かずで、ISの練習をしようにも肝心のISがない。
しょうがないのでISの練習は一先ずおいて、剣道の心得のある箒の指導のもと体力作りの練習をすれば、「弱すぎるぞ!」と怒られISの練習を度外視したスパルタ式の特訓に指針転換され、とうとうISを動かさないまま今日になってしまった。
無論、一夏とて幼馴染みに言われるがまま剣道の練習ばかりしていたわけではない。
「このままだと剣道の練習しかできない!」と、流石に一夏も試合三日前にも関わらずISの「ア」の字すら知らない現状を危ぶみ、練習の合間に挟む休憩時に箒にISの動かしかたを聞いたりした。
したのだが。
「何だよ、『ブッピガァンとしてピピピピピとしてバキューン』て……」
そう、箒はISを所謂イメージで、感覚で動かし教えるタイプだったのだ。しかも箒のイメージは一般的なものと違いかなりずれており、それが箒の教えベタをどうしようもないものにしていた。
それだけではなく、一夏が再びロランに教えを乞おうとすれば直ぐに箒が飛んできて「私が教えてやる!」と怒って引きずっていくので、もう、どうしようもない。
「『こうイメージしたら簡単に空を飛べるぞ』っつーけどこんな重量感しかないイメージでどうやって空を飛べっつーんだよ……」
「す、すまん……」
件の箒も箒で責任を感じているのか目に涙を浮かべながらしょんぼりしているが、正直なところ一番泣きたいのは俺だよと一夏は深くため息を吐く。
セシリアは代表候補生で自分は素人、その差は埋めがたいものだ。それでもセシリアに食いつくためにこの一週間をISの練習に費やそうとして、このざまである。これではそもそもISで飛べるかどうかすら怪しい。
『証明してみせろよ』とか『それが俺の、男の意地だから』なんてでかいことを言っておいて、いざ試合が始まってセシリアに手も足もでないとなれば、余りにも自分が情けなさ過ぎて泣きたくなってくる。
「あはは……」
ロランもこれには苦笑するしかない。恋は人を盲目にするとはよく言うが、ここまで盲目になれば恋患いではない別の病気ではないかとすら思える。
「織斑くん!お待たせしました、専用機の搬入が済みまし……あの、どうしました?」
「……気にしなくても問題ないでしょう、山田先生」
そんな死んだ空気の中をタイミングが良いのか悪いのか、真耶と千冬が専用機搬入を終えた事を言いに入ってくる。
真耶がこの場の妙な空気に戸惑うのを尻目に、ロラン達三者の様子を見て全てを察した千冬は真耶に「気にするな」と声をかけて、一夏に事務的な指示を出す。
「織斑、予定よりも搬入が遅れてしまったが、お前の専用機が着いた。直ぐに格納庫に向かい、フィッティングを済ませろ」
「は、はい!分かりました、ち……織斑先生!」
自分の専用機が届いた、その言葉で憂鬱にかまけて虚ろになりつつあった意識が鮮明になり、自分が今すべきことを認識する。
IS、そうだ。こんなところで不貞腐れる場合じゃない。俺はISでアイツに、セシリアに挑むんだ。男の意地を賭けて。憂うのは後でできる、今は自分に出来ることをしよう。
後ろ向きな思考を遮断し、一夏は即座に自分が今できることに意識を向ける。今できることは機体を、ISを少しでも長く体に馴染ませる事だ、ならば直ぐにでも格納庫に向かわねば。
一夏は席から急いで立ち上がり、早足で部屋から出て格納庫へ向かっていき、その後を追ってパタパタと走りながら真耶が出ていく。
昔からアイツは、切り替えが早すぎるせいで忙しないな。
そんなことを考え、出ていく自分の弟と後輩の姿をため息混じりに見届けた後、千冬はローラにも向かうよう指示を出す。
「ローラも直ぐに向かえ。予定では一回戦目は一夏とセシリアの勝負だが、一夏のISが時間内に一次移行を済ませなければ、ローラが先に出てもらうことになる」
「分かりました、織斑先生」
「……それと、箒」
「は、はい!?」
背中越しに千冬が呼び掛けると上がる、箒のすっとんきょうな声。
「箒、何処へ行くんだ?まさか格納庫へいくんじゃないだろうな?あそこは関係者以外立ち入り禁止だぞ?」
「うぅっ!」
彼女は足音を殺しながら、千冬の後ろのドアから出ようとしていた。それもコッソリと。
もうそれだけで今の箒が何をしようとしているかなど、手に取るように分かってしまう。
『自分の想い人が心配だから、一緒に居られるだけ居てあげたい』
↓
『だけれど一夏の行く格納庫は自分では入れない……』
↓
『そうだ!コッソリ忍び込もう!』
なんともベタベタ過ぎて手垢でも付きそうなくらいに、献身的ではあるがありきたりな考えである。
その考えをよりによって、私の目の前で実行する勇気は称賛に値するが、無鉄砲かつ身勝手極まりない行動を実行する勇気は控えるべきだろう。
千冬は箒を心中で称賛すると共に呆れ果てる。
千冬は恋するが故に無鉄砲な少女、箒に向き直り諭すように言う。
「アイツを心配するのは良いが、試合を見たいのならばさっさと観客席に向かえ」
「な、ななななんのことととですか!わた、私はちょっとトイレに行こうと思って、だから、別に一夏をどうも思って……!」
が、どうやら恋しているがそれを他人に気付かれたくなく、自分の想いを指摘されると必死になって否定する(面倒臭い)シャイな少女、箒にとっては千冬の言葉は一種の地雷のようなものだったらしく、途端に顔中ゆで上がったように顔を赤くして首をブンブンと振る。
「そ、そもそもですねぇ!あんな図太くて体力なくてローラにべったりしてるような、だけどここぞというときに男らしくなって思いやりがあって賢くて笑顔が可愛くて声が声優の内山昂輝さんみたいに良い声で……「……あー、分かった。弟の練習に付き合ってくれた礼だ、特別に入っても良いぞ」とにかく別に一夏をどうとも思ってませんが入らさせて頂きます有り難うございます!!!」
別に聞いてもいないのに好きじゃないと弁解しながら、徐々にのろけて一夏の魅力をさらけ出していく箒が面倒に思った千冬は、「もういいや」と投げやりになりながら適当な理由をつけて折れる事にした。
恋する女性は強いなぁと、その時の出来事をロランは忘れることが無かったと言う。
◇ ◇ ◇
「織斑くん。これが織斑くん専用のIS『白式』です」
ローラ達よりも一足先に格納庫に辿り着いた一夏と真耶、彼らは部屋の中央に鎮座している白く幻想的なISを目の当たりにしていた。
一夏はそのISを見て言葉を出せずにいた。
これが、俺のISなのか?
一夏にとって専用機を持つということは、想像に難くそして実感の湧かないものだった。
当たり前の話だ、一夏はついこの間ISを動かしたことがあるとはいえ、元々はISの使えない男として生活してきたのだ。それで唐突に専用機を貰えると言われても、「凄く名誉有ることだ」と漠然としたイメージを抱くしか出来なかった。
その自分が今、こうして自分だけの専用機『白式』の目の前に立っているだけで、『白式』がどれ程凄まじいものなのかが理解できる。
起動もしておらずフォーマットも終わっていないIS、だというのにその白い機体が醸し出す圧倒的な『力』の雰囲気は、気をやりそうな程に蠱惑的だ。
この『力』が、本当に、俺の物なのか?
沸々と、自分の中の血液が沸き立つような感覚がする。
抑えがたくそして、解き放ちたくなる衝動を覚える。だけれども、俺の心はどうしようもなく静かだった。
体を駆け巡るような、いや、体そのものが闘争を求めるような奇妙な感覚。
これが、ISなのか。
「……くん……織斑くん!!」
「……ッ!!」
と、そこで。隣にいる山田先生に声をかけられているのに気付き、慌てて返事をする。
「専用機が手にはいって感慨深いのはわかりますが、急いでフィッティングを済ませてください!セシリアさんはもう準備を済ませてアリーナ内で待機してますよ!」
「す、すみません!先生!」
先程まで自分がISに見とれてボーッとしていたと思うと、何をやっているんだ俺はと、一夏は情けなく思えて急いで『白式』に身を預けてフィッティングをする。
身を預けると『白式』がベルトを閉めるように、その機体を一夏に密着させていくように付けられていく。
プシュッと装着を終えた機体の箇所は空気を抜いた音をたて、それと同時に一夏の目の前でウィンドウのような電子画面が開く。
『FITTING COMPLETE
PERSONALISE COMPLETE
FIRST SHIFT STAND BY…』
フィッティングが終了したことを告げる電子画面のポップと同時に、格納庫の扉が開きそこから千冬にローラ、そして何故か格納庫に入れている箒の三人が入室する。
「山田先生、その調子だとフィッティングは終わったようですね」
「あっは、はい!白式のフィッティング並びにパーソナライズ、完了しました!で、ですが一次移行はまだ……」
「まぁ、そうだろうな……。なら仕方ない。ローラ、いきなりで悪いが一回戦はお前に出てもらおう。準備はできているだろうな?」
「はい、既にISスーツに着替えています。いつでも」
「そうか。ならば直ぐにカタパルトに載ってくれ」
真耶と千冬は一夏のIS設定を確認したのち、ロランに戦闘の準備をするよう言い渡し、ロランも言う通りカタパルトでISの展開を行う。
着ていた制服を即座に脱ぎ捨て、予め着ていた厚手のISスーツを外気にさらすと、流れるような動作で蝶の髪留めを外す。
「ターンエー、展開します!」
その掛け声と共に、髪飾りは青く光始め、細かい粒子の如く分散する。
分散した青の粒子はロランの顔を、肩を、手を、腰を、脚を、瞬く間に包み込んだ。
その粒子はロランを人形のモザイクに変え、やがて。
「……展開、完了しました」
強く瞬いた青い光の後に、ロランのIS『ターンエー』はその場に現れる。
貝のような滑らかな体、ハイヒールのような脚部、赤白青のトリコロール調の色合い。そして一際目を引く雄々しきヒゲのようなチークガード。
まるで日本の侍が着ていた鎧兜のような雄々しい『ターンエー』の姿に、ローラの印象とのギャップに一夏と箒は唖然とする。
「……背部スラスターベーン、レッド。Iフィールド、イエロー。関節駆動、グリーン。状態は昨日と変わりありません。出撃出来ます」
「例の奴は」
「粒子化で待機させてます。もう一度お聞きしますが、本当にコレを使っても良いんですか?」
「気にしなくて良い。ISの対決と言っても商業戦争としての意味合いが強い。バススロットに入るなら、どんな武器でも構わん」
そうこうするうちにロランは『ターンエー』の状態を確認し終え、カタパルトにハイヒールの足を嵌め込み出撃準備を終わらせる。
「今から一分後、アリーナに向けてカタパルトを作動させる。衝撃に備えろ」
「分かりました、織斑先生」
「ローラ」
千冬との出撃確認を終えたロランの隣から、声が掛かる。
声の方を見やれば、一夏がそこに立ち『ターンエー』を纏った自を真剣な眼差しで見つめている。
激励の言葉をかけてくれるのだろうか、そう思いロランも一夏を見つめて、言葉の続きを待つ。すると、ふっと一夏の面持ちが弛み、柔和な微笑みをたたえた。
「そんなに緊張しなくても、ローラなら勝てるさ。……応援、してるぜ」
そう言うと一夏はロランの元から離れ、「モニター越しだけどな」と肩をすくめ茶目っ気のある笑顔を見せる。
「緊張、かぁ……」
ロランは誰に言うでもなく、ただそう一人ごちた。
確かに、そうかもしれない。思えばいくら一夏と箒の目の前と言えど、千冬や真耶達とは事務的な事しか話しておらず、しかも話す内容も何時もより短かった。
知らないうちに僕は緊張していたのかと思い、だけれど緊張するのも仕方のないことであると思える。
なにせこの試合の勝敗で、一人の少女の今後が一変するかもしれない。
それはつまり、一人の少女の人生が変わるかもしれないと言うことで。
勝負事のプレッシャーとはまた違う、何か歴史的な出来事に立ち会うかのような感覚、それがロランの緊張感として表れているのだった。
もしかして、セシリアさんも僕みたいに緊張してるのかもしれない。彼女もまた、自分の将来が変わるかもしれない出来事に恐れ、体をすくめ口数を減らしていてもおかしくはない。
そう思うとロランは自分のやろうとしてる事の重みを、改めて実感する。
だけども、それで。
もしセシリアさんと一夏が話せたら。
もしセシリアさんの男性に対する嫌悪感が無くなれば。
もし、セシリアさんが自分の中にある、本当の気持ちを知れたら。
それはどんなに幸せなことだろう。どんなに尊いことだろう。それを思えば、ロランは戦えるような気がした。
「行ってきますね、一夏」
一夏にそう言うとロランは視線を一夏から外し、これから足を踏み入れる事になる、セシリアとの試合の舞台を見据える。
電子画面では既に出撃のカウントダウンは十秒を切っていた。
……僕は、セシリアさんを助けたい。だからこの試合、必ず勝ってみせる。
「ローラ・ローラ、『ターンエー』出撃します!」
その声と共に、ロランはセシリアの待つアリーナへ飛び立った。
◇ ◇ ◇
カタパルトでロランが射出された時、既にセシリアはアリーナの中央で滞空しながら、現れたロランと『ターンエー』をじっと見つめていた。
セシリアのISは『ブルー・ティアーズ』全体的に青を貴重としたカラーリングの機体で、主にロングライフルを使った中遠距離戦闘に特化した第三世代、つまりは新型のISだ。
セシリアと対面になるよう『ターンエー』のスラスターを吹かし、アリーナ中央に滞空するよう調整しながら飛行していると、ロランのプライベートチャネルからセシリアの声が聞こえてくる。
「……どうやら、本気でわたくしと賭け事をなさるつもりなのですね」
聞こえてきた声はいやにトーンが低く、普段のセシリアからは想像もつかないほど緊迫感がこもっていた。
「……セシリアさんも──」
やっぱりセシリアさんも恐いんですね、ロランはそう言おうとする。
「いえ、問答なんて必要ありませんわ。とにかくわたくしはローラさんに借りを返した以上、貴女の思い通りになるつもりはありませんわ」
しかし、セシリアはロランのかけようとした言葉を振り払うかのように、やや乱雑に中断させライフルの銃口を向ける。
セシリアに明確な敵意を向けられた事に少し戸惑いながらも、ロランは試合開始までの時間を確認する。
試合開始まで、残り一分。あと、一言二言ぐらいは会話が出来るくらいの時間。
迷うことなく、ロランはプライベートチャネルを介して、セシリアに話しかけることにした。
「セシリアさん、こんな形で貴女に賭け事をさせてしまって、すみませんでした」
「……わたくし達は、今は敵同士ですわ」
ロランの言葉を突っぱねるようにセシリアは返すが、その声からは険が取れていた。
「謝罪のかわり、というわけではありませんが。もし私のやり口を怒っておられるのでしたら、この場で私を打ちのめして構いません。それでセシリアさんの気分が晴れるのでしたら」
「……でも、そう易々とやられるつもりは無いんでしょう?」
「えぇ。私はどうしても、貴女に男という生き物を知ってほしいのです」
ロランの挑戦的な態度に、セシリアはISのハイパーセンサーの奥で口を一の字に引き締める
「でしたら、全力で貴女を倒すだけですわ!!」
その声と共に、試合開始のブザーが鳴らされる。
『高熱源の発生を確認 直ちに回避運動を行うことを推奨』
『ターンエー』がそう警告をしたのも、それと同時だった。
「ッ!」
ロランは直ぐ様機体を横に傾け、セシリアの持つライフルの射線上から逃れる。
ロランが居たところを、一条の光線が通り抜けた。
見ればセシリアのライフルから薬莢が排出され、その銃口は回避運動を行ったロランに向けられていた。
「このブルー・ティアーズで、貴女を沈黙させますわ!」
「ビーム、レーザーの兵器!?けど弾速が遅いのは!?」
セシリアは次々と手に持つライフルで狙撃し、ロランはその狙撃を危なげながら回避し続ける。
だがその回避も完璧な物ではない。ロランの動きを読んで、セシリアは狙撃に間隔を置いたりフェイントを挟んだり牽制したりと、ロランをいたぶっている。
しかし、ロランもただやられるだけではなかった。ロランも次々と打ち出されるライフルの光を観察し、セシリアの武器がどのような物か計っていたのだ。
(弾速は遅い、けど、やっぱりセシリアさんの武器はレーザーだ!だとしたら、コレは相性がわるいか……!)
ロランはパススロットと呼ばれる、収納箇所に隠してある切り札を思い出して、今の自分の情況はかなり不味いことを知って冷や汗を流す。
今ここでコレを出そう物なら、セシリアはこのまま中距離からの攻撃を続け、消耗戦に持ち込むだろう。今は武器を使えない、ロランはそう判断して回避運動を続ける。
「先程から武器も持たずに!」
セシリアはそんなロランの心中など知らず、ロランが武器を出さずに戦って自分を馬鹿にしていると躍起になってしまっていた。
回避する『ターンエー』とそれを執拗に狙う『ブルー・ティアーズ』の二機の戦闘、セシリアがロランを追いかける展開が続くと思われたがしかし、唐突にセシリアは狙撃の手を止めた。
「ッ!弾が!」
セシリアはライフルのトリガーを引くが、銃口から光は放出されない。弾切れを起こしたのだ。
熱くなっていつもより撃ち続けてしまった。セシリアは歯噛みをして、直ぐに弾倉を入れ換える。
「……今だ!」
だが、ロランもこの機会を見逃すほど間抜けではない。直ぐにバススロットに隠していた切り札、そして唯一の武器を取り出す。
手元に鎖が現れる。
しかし鎖だけではない。その鎖は刺々しい鉄球につながれており、ロランは鎖を持ち手として握りしめているのだ。
「て、鉄球!?ムチ!?」
「ハンマーで!!」
セシリアはロランの持つトゲ付きの鉄球『ガンダムハンマー』の厳ついインパクトにたじろぎ、僅かに気をそらす。
ロランは両手で鎖を持ち、片手でトゲ付き鉄球を高速で振り回す。
「やあぁッ!!」
セシリアはライフルのリロードを済ませるが、銃口は上を向き接近するロランを狙えない。
それを見越してロランは突貫する。しかし、
『警告 敵機後方から高熱源反応確認』
ポップされたその警告文を見ると、『ターンエー』の両腕を眼前で交差させる。
「ご無礼!!」
セシリアの声と共に高熱源からビームが放たれ、雨のように複数の光線を描き交差された腕を焼く。
だが、セシリアのライフルはロランを狙ってはいなかった。
「向けられていない銃口から、レーザーが!?」
「──驚きましたわね、この『ブルー・ティアーズ』を」
情況を読み込めず混乱するロランに、セシリアは悠然と機体の高度を上げて、ロランに話しかける。
そうすると、ロランは先程レーザーを放った高熱源の正体を知ることができた。
バックパックだ。いや、正確にはバックパックではない。『ブルー・ティアーズ』のバックパックの様だった何かが、セシリアの後方で四つ、浮遊しているのだ。
「男を擁護するだけあって武器まで野蛮な男みたいですわね。でもこうして貴女を止めたことで貴女の『驚かせる作戦』は失敗いたしましたわ!」
セシリアさんは、僕がハンマーを使うことで驚いたことを、僕の作戦だと思っているのか。
ロランは冷静にセシリアの心境を図る、その最中でもバックパックのような何かは、変わらずロランを狙い浮遊している。
「その作戦が失敗した今!今度は貴女が大いに驚いてもらいますわ!この『BIT兵器』で!!」
「『BIT』というのですか!あぁッ!」
『BIT』と名付けられたその兵器は、ロランの四方を囲み容赦なく光線を突き立てる。
ロランも回避をするがしかし、どうしてもその全てを避けきれない。四つレーザー全てを交わすには、ロランの反射神経と『ターンエー』の速度が足りないのだ。
(こうなったら、ハンマーで射線を遮るしか!)
ロランは手のハンマーを握り直す。
元来、レーザーとは対象に照射し続けてダメージを与える道具だ。ならば、その射線さえ断ち切ってしまえば、ダメージは通らない。鉄板でも壁でも岩でも何でも良い、とにかく射線を断ち切ればいい。
再びレーザー光線がロランを襲う。
「ハンマーだって、射線を切ることぐらい!」
ロランはすかさずハンマーを振るう。四つの内、一つは回避しもう一つはハンマーで射線を遮り、残り二つはダメージ覚悟。四方八方飛び回る『BIT』の網から抜け出す為に、強引にでもセシリアに近づこうとする。
二つのレーザーがロランに刺さり、内一つは避ける。最後のレーザーの射線に向かって、ハンマーは円を描く軌道で飛んでいく。
必要以上に被弾しないようにしなきゃ、ロランは必死になってこの後の『BIT』の動きを予測する。
だがしかし、
ハンマーはレーザーの射線を、避けるかのようにその軌道を変えた。
「そんな、何で!?」
そのままレーザーはロランに当たり、後退を余儀なくされる。予想外の事に、回避行動もとれなかった。
ロランは驚く。自分の思い通りにいかなかったからでもあるが、何より驚いたのは射線がハンマーの軌道が逸れた事だった。
風だとか手元が狂っただとかそんなごく普通の要因ではない、なにか別の力がハンマーの軌道を変えたのだとしか思えない。
「どうです?この『ブルー・ティアーズ』の『BIT兵器』とエレガントさ!貴女の鉄球とは比べ物にもならないですわ!!」
セシリアは優越感からか不遜な態度をとるが、油断や慢心することなく再びレーザーによる攻撃を再開する。
ロランも当然避けようとする。それでも、四つの『BIT』が作るレーザーのネットを避けきれない。
セシリアに突っ込もうとすれば、二基の『BIT』が牽制を行い残りが本体に攻撃をする。
セシリアから極端に離れようとすると、『BIT』全てがロランの後方へ移動し退路を塞ぐ。
こうして近すぎず遠すぎずの、セシリアにとって一番戦いやすい中距離での戦闘が強いられ、半ばループにも近しい戦況になる。
(どうすれば、いったいどうすれば!?)
ロランの頭の中で敗北の二文字が浮かび、そのネガな思考を解こうと必死に頭を回転させる。
(そうだ!確か、ここの世界のレーザー兵器は、『偏光できる』って教科書にあった!)
するとふと、ロランの中でISの教科書に書かれていた「レーザー兵器」の概要を、思い出すことができた。
確かIS搭乗者の技量が高ければ、レーザーを自在に偏光することができ、障害物の多い市街地での戦闘を有利に戦えると書いてあったはずだ。
レーザーを偏光するには何か『鏡のようなもの』がいるのに、それを何もないところで曲げるとは凄い技術だと感心した覚えがあった。
もしかしたら、これが突破口になるかもしれない。そう考えてロランは教科書にレーザー兵器の構造が書かれてなかったか、思い出そうとする。
が、そこまで思い出してロランは頭を抱えた。
(そうだった!レーザー兵器は開発している国が少ないんで、その構造は秘匿されてるんだった!)
レーザー兵器は今のところ、大きな国でもイギリスだけが開発しており、その技術は世間一般には公にされていない。つまりはレーザー技術をイギリスが独占しているのだ。
レーザー兵器を唯一開発する国として、レーザー技術を独占し市場価格をコントロールしようとしての行動だろうというのは、ロランにも想像できる。が、今のロランにとって、このイギリスの思惑はとてつもなく痛い。やっと掴んだと思った勝利へのヒントが、ただの思い違いへ変わるのだから当たり前だ。
思い出したは良いがそれでも突破口を開けない、その事実はロランを焦らせる。
考えろ、考えろ、これは自分だけの戦いじゃないんだ。
ロランは脅迫的に自分を追い込んでいく。
考え込むロランに、再びレーザーのネットが覆い被さってくる。
(ターンエーの特性なのかわからないけど、レーザーのダメージは今のところ低い。だけど、このままじゃいつかは……!)
レーザーは先に言った通り、照射し続けることで威力を発揮する。つまりは、被弾時間が長くなれば長くなるほどターンエーへのダメージは深刻な物になりかねない。
今回もやはり避けきれず、二条の光線が突き立てられる。弾道を目視することや射線の予測はできるが、数と光線を避けきることはできない。
(……待てよ?『目視できる?』)
その言葉はロランにとてつもない違和感を覚えさせた。
レーザー兵器というものは、早い話一点に収束された光の束に熱エネルギーを加えたものだ。レーザー兵器の弾、つまりはレーザーは光そのものなのだから、その速さは光速でなければならない。
要は、目視できる訳が無いのだ。
そうなると、一体全体どうやってこの兵器はレーザーを減速させているのか。
(……『目視できる』という欠点を意図的に作ったということは、つまり他の利点を産み出そうとしたから。となると、セシリアさんの武器は『偏光させる為』に、速度を捨てたんだ)
そこまで考えて、ロランは思い至る。
『偏光』『鏡のようなもの』『目視できるレーザー』それらを組み合わせ、一つの可能性が浮上する。いや、もはやその可能性はロランの中で確信に変わり、ロランのすべき事を導かせる。
(そうか、そうか!『BIT』は……!なら僕は!!)
ロランは思い付いた起死回生の手を実行する。
それは、
「な、なにをしてらっしゃいますの!?」
飛ぶのを止め、アリーナを走り回る事だった。
◇ ◇ ◇
(なにをしてらっしゃるの!?ローラさん!?)
セシリアは今、混乱の極みにあった。
それは、目の前の対戦者ローラが、『BIT』に追いたてられてる中、あろうことか飛ぶのを止めて鉄球を引きずりまわして、走り回っているからだ。
ISというものは本来、飛んで戦うものだ。飛ぶことで平面の行動範囲から、三次元的な動きを可能にしているのだ。そうすることで高所や有利なポジションを獲得し、尚且つ広い行動範囲内を飛び回ることで受けるダメージを減らす、それがISの戦いかただ。
それを、どうだ。ローラはあっさりとISの強みと戦いの定石を捨てて、こうしてアリーナ内を走って『BIT』の攻撃から逃げている。
それは余りにも愚かな行為だ。現に、セシリアのハイパーセンサーは、ローラの突如とした行動にざわめいている観客席の生徒たちを捉えていた。
(もしかして、また鉄球の時のように、驚かせようとしてますの!?)
訳がわからないセシリアは迂闊にも、ロランの行動を先と同じ思惑で動いているのではと思い込む。
そしてそう思い込んでしまえば、セシリアのする行動はただ一つ。更に攻撃してロランを追い込むだけだ。
「この『ブルー・ティアーズ』を、驚かせたくらいで止められませんわ!!」
先程よりも『BIT』の攻め手を強め、高威力そして多数のレーザー光線を放ち、苛烈な攻撃を仕掛ける。
二基はロランの足元を、一基は頭上、残りは背後に配置され、エネルギーを『BIT』内で収束させ、ロランに狙いをつける。
「墜ちなさい!」
その掛け声と共に頭上の『BIT』がロランに牽制射撃をする。ロランは若干反応が遅れながらも体を屈め、走る速度を落とすことでこれを回避する。
しかし、これはあくまで牽制。すでに本命の攻撃準備は済ませてある。
「『BIT』は、こう使いますのよ!」
牽制射撃を避けたロランに、足元と背後の三基の『BIT』によるレーザー射撃が向けられる。体を屈め動きを取れない所へ、容赦ないレーザーの攻撃。
だが、しかし、
「ハァッ!」
ロランはその掛け声と共に、レーザー射出のタイミングに合わせて跳躍する。
足元を狙ったレーザーは空を切り、背後からのレーザーも『ターンエー』の大道芸のような動きと体の捻りで、髭スレスレを通る形で外れた。
避けてみせたのだ、四基からのレーザー全てを。
ジャンプで避けたロランはそのまま縦一回転して体勢を立て直すと、再び鉄球を引きずりながらアリーナ内を走り『BIT』の追撃から逃れる。
思惑を潰すための攻撃、それをロランは地上にいるにも関わらず、走りに緩急をつけたりジャンプをすることで回避して見せた。その事実は、緊張のせいで本調子でないセシリアの精細を、更に欠かせた。
「ッ!先程よりも動きが良くなっていますわね……!」
空を飛ぶよりも走るのが得意な機体なのか、セシリアは避けられた事実に歯噛みしながらも『BIT』攻撃を強める。
しかしその事を加味しても、ロランが空を飛んでいた時よりも目に見えて、ロランの被弾率は明らかに低くなっていた。
それもその筈だ。何故ならセシリアの『BIT兵器』は、基本的に相手の死角から撃つようになっているのだ。
ISを使うとは言え操縦するのは人間、死角となる箇所から狙い撃てば反応しづらくなる。それを狙ってセシリアは『BIT』を操作している。
ならば、ロランが地面に降りてしまえばどうだ。
人間の死角である「真下」という箇所からの攻撃手段が失われ、自然と『BIT』の動きが読みやすくなっているのだ。
普段のセシリアならば、直ぐにその事に気付いていただろう。だが、ロランが懲りずに同じ手で自分を弄ぼうとしていると勘違いし、本調子を出せずにいる彼女には、そんな事を考える余裕は欠片たりとも無かった。
「ああもうッ!わたくしの憂さを避けないで欲しいですわ!!」
憂さ晴らしの射撃を延々と回避され続けることにセシリアはじれったくなり、今度は『BIT』の移動速度も上げてロランを追いたてる。
余りに取り乱したセシリアの攻撃に合わせ、ロランも走る速度を上げて回避運動に専念する。
「貴族のセシリアさんともあろう人がッ!」
狙いは甘いが苛烈な攻撃に、ロランも思わず悪態をついてしまう。
「何が!貴女が何かを言えましてッ……!」
その悪態が癪に触ったセシリアは言い返そうとする。それと同時に、アリーナ内の様子がおかしいことに気が付いた。
曇っている、いや、濁っていると言ったらいいだろうか。セシリアのハイパーセンサー越しの視界が、ロランの周囲が、濃い茶色のもやに染まっているのだ。
その茶色いもやはロランを包み、『ターンエー』の姿を隠し、その輪郭をぼやけさせた。
(チャフや煙幕を出しましたの?)
とそこで、セシリアはロランがわざわざ鉄球を引きずらせて走っていたのを思い出した。
なぜ急に飛ぶのを止めたのか、なぜわざわざ鉄球をバススロットに仕舞わず引きずるのか、セシリアは疑問に思っていたが、このもやを見てその疑問も氷解した。
このもやは、砂ぼこりだ。
鉄球を引きずることで、ローラはアリーナの砂ぼこりを巻き上げて、目眩ましに使おうとしているのだ。
(なるほど、伊達ではありませんわね、ローラさん)
セシリアは胸中でローラへ称賛を送っていた。
なぜなら、『BIT』兵器は自身の持つレーザーライフルより手数で勝るが、取り回しと威力はそのぶん弱い。その為『BIT』四基の攻撃を集中させなければ、ISへのダメージは期待できない。更にこの『BIT』を操作している間は、本体の『ブルー・ティアーズ』は動かせず、無防備だ。
つまり、『BIT』の集中攻撃を避けさえすれば、後は無防備な『ブルー・ティアーズ』を叩ける。そしてローラはそれを見越して、その『BIT』兵器への防御手段として、鉄球を引きずることで砂ぼこりを起こし、目眩ましをしようとしたのだ。
そうして短時間のうちに『BIT』兵器への突破口を見つけ、実行に移したローラの度胸と頭の回転を称えたのだ。
(もっとも、そんな目眩ましなんて、通用しませんわ!)
だが、セシリアにとってその防御手段は、どうということもない、余裕を持って突破できるものだった。
そもそも目眩ましとは言うが、チャフや煙幕などではなく、たかが砂ぼこりである。ISのハイパーセンサーならば、砂ぼこりの中の『ターンエー』の熱源を探知し、場所を探り当てることなど容易いことだ。
つまりいくらローラの姿が見えなくても、いくら輪郭がぼやけていても、『BIT』兵器での狙撃は十分にできる。
ローラの策は、無駄な足掻きだ。
砂ぼこりが巻き上がりしばらくして、砂ぼこりの中を背を向けて逃げ回る『ターンエー』の熱源が、急に反転しセシリアの方へ向かってきたのを、『ブルー・ティアーズ』のハイパーセンサーが捉えた。
(ローラさん、この短時間で『BIT』の突破方法を編み出すあたり、流石ですわ)
セシリアの『BIT』四基全てを、ロランの行く先に立ち塞がるかのように待機させる。その銃口は煙の中を走り動き回るロランを、寸分の狂い無く捕捉していた。
(ですが!)
砂ぼこりを突っ切るロランと『ターンエー』は、待機した『BIT』の有効射程圏内へ知らず知らずに一歩、また一歩と近づいていく。そうしてとうとう、ロランは『BIT』の有効射程圏内へ、足を踏み入れた。
そしてそれが、セシリアの最終攻撃の合図であった。
「ブルー・ティアーズに、隙は無くってよ!!」
『BIT』に射撃指令を下す。四つの銃口から蒼い光線が発射され、砂煙の中を直進する。
正確無比な射撃に、『BIT』内の貯蔵エネルギーの大半をつぎ込んだ、必滅の攻撃。
並のISならば、一気にシールドエネルギーを削れるほどの熱量が『ターンエー』に猛然と襲いかかる。
レーザーが着弾するまでコンマ5秒、というところで、走り続けていた『ターンエー』は唐突に顔を上げた。
レーザーの熱源を探知したのだろう。しかし、気付くのが遅すぎた。
この距離ならば、どんな回避運動を取ろうと無駄だ。防御も間に合わない程に二つの距離は近い。
この一撃で、終わり。セシリアはそう確信した。
そして、セシリアの目の前で、四つのレーザーが『ターンエー』に突き刺さる
筈だった。
「な?!」
セシリアは驚愕する。
突き刺さると思われた四条のレーザー、そのすべてが、『ターンエー』に当たる前に霧散したのだ。
(そんな、何故!?)
セシリアは動揺する。『ターンエー』の単一仕様による効果、それとも『BIT兵器』の不備なのか、はたまたローラの策がレーザーを無効化したのか。
セシリアはそのあまりに予想外の出来事に狼狽え、彼女の脳内に「何故」という疑問と驚きが噴出する。
何で、どうして、セシリアは無益な思考を重ねる。その思考が本来、隙のない筈の『ブルー・ティアーズ』に隙を作ってしまう。
「それは隙ですよッ!!」
ロランの言葉でセシリアは思考を中断する、が、もう遅い。
ロランは砂煙の中でハンマーを思いきり回し、そして振り回す。弧を描くように振り回されたハンマーはセシリアが配置した四基の『BIT』目掛けて飛んでいく。
(し、しまった!?)
セシリアは急ぎ『BIT』に退避するよう指令をするが、もう遅い。
振り回されたハンマーは次々とその質量で『BIT』を破壊していく。間一髪で『BIT』の一つがハンマーを回避することに成功するも、残りの三基全てが直撃し小規模な爆発を起こして落下していく。
これでは『BIT』は使えない。火力の低い『BIT』一基では、とてもじゃないがISの一騎討ちを『BIT』だけで制することは到底不可能だ。
「そんな!ありえませんわ!」
セシリアは驚愕し声を荒げ、肩を震わせる。だがそれは、『BIT』を壊されたことへの怒りではなかった。
「まさか、わたくしも知らないブルーティアーズの弱点を、あなたは知っていますの!?」
◇ ◇ ◇
「どういうことですか?私には、セシリアさんのレーザーが消えてしまったように見えたんですが……」
コロシアムの管制室、そこでは山田真耶と織斑千冬の二人がISを駈り戦っている様子をモニター越しに観戦していた。
「それに、セシリアさんのいっていた「わたくしの知らない弱点」とは……?」
「そうか、ブルーティアーズの弱点は、そういうことだったのか……。ロランの奴、土壇場でよくやってのけたな」
「え、な、なにをですか?」
真耶は隣で勝手知ったる態度をとる千冬に驚きながら、先を促す。先の一瞬のうちに起きた出来事を、千冬は説明出来るようだった。
「山田先生、イギリスが現在秘匿しているIS専用のレーザー兵器の特徴は、なんだか分かりますか」
「は、はい。えぇと、IS操縦者の力量次第では、レーザーを偏光することができるんですよね?」
「そのとおりです。イギリスはこの技術を、戦場が入り組む市街地戦における切り札になりえるとして、今現在も偏光可能なレーザー兵器の技術を秘匿、そして独占しています」
「はい。そう、ですね……?」
千冬のいうとおり、レーザー兵器の偏光技術をイギリスは独占している。それゆえに、IS学園の教科書に記述されてる「レーザー兵器」の項目内容は、非常に少ない。
だが、それがレーザーの消滅となんの関係があるのか。真耶はいぶかしむ。
「簡単な話ですよ、山田先生。ロランは砂ぼこりを撒くことで、レーザーを消滅させたんです」
「は、はい?」
真耶は千冬の言葉に困惑する。いや、なにも話自体がトンチンカンで分からない為に困惑しているわけではない。むしろレーザーが空気中の物質により、威力が減衰してしまうもしくは消失するのは有名な話だし、理解できる。だがだからこそ、困惑しているのだ。
「千冬先生。確かに、レーザーが雨や雲によって威力が減衰してしまうのは分かります。でも、レーザー兵器ですよ?」
そう。レーザーは確かに、砂ぼこりなど空気中の分子等が原因で減衰してしまうことがある。だが、セシリアの『BIT』はあくまで軍事用の殺傷目的で使われているものだ。レーザーサイトやホログラフィーのような一般的に使われる非殺傷目的のレーザーとは訳が違う。むしろTHELのような、三キロ四キロ先まで届くような威力の高いレーザー光を使っているはずだ。
それがたかだか砂ぼこり程度で消失するはずがないのだ。
「仮に砂ぼこりによるものだとしても、照射距離が近すぎます。セシリアさんとロラ……じゃなくてローラさんの距離は50メートルです。砂ぼこりで大気減衰を起こすのは無理が……?」
「そうです、それが答えですよ」
「……え?」
「セシリアのレーザーはその実、推定5キロにも及ぶ距離を経ているんですよ」
「はあぁ?!」
今度ばかりは理解できない。レーザーは5キロもの距離を飛んでいたとは、どういうことか。どう見ても、セシリアとロランの間に5キロなんて距離は無いじゃないか。真耶はますます頭のなかがこんがらがり、訳が分からなくなる。
「『光ファイバー』ですよ。真耶先生」
「光、ファイバー……?あッ!」
その言葉で、真耶は千冬が言おうとしてることが分かった。
「まさか、セシリアさんのレーザーが偏光出来るのは、光ファイバーによるもの!?」
「恐らくそうです」
真耶は先ほど迄の混乱が嘘のように、さながら砕けたパズルのピースが合致したかのように、合点がいった。
光ファイバー、それは世界でもっとも一般に近しいレーザーと言って差し支えないものだ。この光ファイバーは透明なプラスチックチューブに光を通すことによって、本来直線に進むレーザー光を自在に曲げることができる技術だ。
これによってインターネットや電話、無線LANなどの様々な機器の情報を光に変え、その光を光ファイバーによって世界中に行き渡らせるのだ。
そして、この光ファイバーには一つ欠点がある。
「光ファイバーは本来直線にすすむ光を、屈折させることで歪曲させれる。つまり、見た目上よりも実は長い距離を光は進んでいる!それはセシリアさんのレーザーも同じ!」
「そのとおりです」
そう、光ファイバーはプラスチックチューブの中を屈折しながら通っている為、見た目よりも長い距離を光は進まなければならない。そのためレーザー光の進む速度は遅くなり、プラスチックの汚れによる減衰を受けやすいのだ。
これらの情報を踏まえた上で、セシリアのレーザーはどうだ。
レーザー光はあり得ないほど弾速が遅く、カタログスペックでは自在に偏光できる、しかも先の通り砂ぼこりによってレーザー光が減衰して消滅した。
あまりにも、光ファイバーの特徴に合致しすぎているではないか。
「レーザーはイギリス政府が言っていたように、市街地戦における切り札として運用するつもりだったのでしょう。閉所でも戦いやすいよう、より偏光しやすくするために、光の屈折を強くして照射しているはずです」
「だから、普通の光ファイバーのレーザー光よりも遅く、そして大気減衰しやすいんですね!」
「そうです。分かってみれば単純な話ですが、単純故に分かりづらい」
「ですね。だって普通はそんなことしませんもんね……。流石は下手物好きのイギリスと言うべきでしょうか……ん?」
真耶はようやくタネがわかって一安心する。が、そこで彼女は一つ見逃していることがあることに気付いた。
「千冬先生、セシリアさんのレーザーが光ファイバーによって出来てるのは分かりました。でも、光を通すチューブは一体何なんですか?」
光ファイバーにとってプラスチックチューブは核というべき重要な部分だ。このチューブによって、レーザーを歪曲させることができる。
だが、セシリアのレーザーにはそう言ったチューブのようなものは見当たらない。
見落とすのはあり得ないだろう。あの太さのレーザーを照射している以上、かなりの太さのチューブが使われている筈だ。そんな大きさのものを、見落とすわけない。
じゃあ、一体何がチューブに使われているのか。
「……これはあくまで推測ですが、私はそのチューブの正体は『シールドバリアー』だと考えています」
「シールド、バリアーですか?」
「はい、今に至るまでISを保護するシールドの構造については多くの謎が残されています。シールドが無色透明なのも、シールドバリアーが強固な耐衝撃性能をもっているのか、例を挙げればキリがありません」
「そうですね、当たり前のように使ってますけど、原理自体は分かってないことが多いですよね」
「イギリスはそのシールドバリアーの展開、もしくは生成の仕組みを突き止めたのでしょう。そしてその技術を、光ファイバーを元に応用した」
「……なるほど。だからブルー・ティアーズのカタログスペックには、『中距離戦が得意』と記されてたんですね。本来レーザーは遠距離戦に特化していますが、シールドバリアーをチューブとして長く伸ばす事が難しいから……」
「私はそう考えています」
あくまで予想として千冬は話していたが、実態はその通りであった。
千冬の予想通り、イギリスの科学研究班は『シールドバリアー』の展開の仕組みを突き止め、それをチューブがわりにしていた。
しかし展開の仕組みを突き止めたはいいが、シールドバリアーを細長く伸ばしたり壁のように展開できても、バリアーの強度が上がる訳じゃなかった。限りなく実用性は低かったのだ。
そこで、ある研究者がこう提言したのだ。「これで偏光自在のレーザー兵器を作ろう」と。
こうして生まれたのが、ブルー・ティアーズだった。射程は50から100メートルとレーザー兵器にしてはあまりにも短いが、自在に偏光可能な夢のレーザー兵器を扱えるISとしてつくられたのだ。
が、実はこのレーザー兵器には、弾速の遅さと射程の短さ以外にも問題を抱えていた。
このレーザー兵器は前述したとおり、シールドバリアーをチューブ状に展開することで、自由自在に偏光することができる。レーザー光の周りを、シールドバリアーで包み込んでいる訳だ。
つまりそれは、レーザー光を包むチューブに何らかの攻撃が当たればシールドエネルギーが減少してしまうということでもあった。
それは中距離から銃撃してるようでいて、実際は近距離で弾を撃っている様なものなのだ。
先の戦いの一幕で、ロランは一回『ガンダムハンマー』でセシリアのレーザーの射線を遮ろうとしたが、ハンマーの軌道が不自然に逸れた場面があった。
実はこの時、ハンマーはチューブ状になっていたシールドバリアーに触れた為に、軌道が変わっていたのだ。ブルーティアーズのシールドエネルギーも、実際大きく減少していたのだ。
イギリス政府はあまりにも決定的すぎるその欠点を秘匿することに決めた。
代表候補生であるセシリアにさえ、何らかの要因で流出してしまうのを怖れてその弱点を隠した。
だから、セシリアは砂ぼこりが舞っている中でも構わずレーザーを撃ったのだ。まさか砂ぼこり程度では減衰するとは思っていなかったのだから。
セシリア自身が知らないブルーティアーズの弱点、それが隙の無い筈のブルーティアーズに大きな隙を産み出してしまった。
「……」
真耶は画面に写る『ターンエー』とセシリアをじっと見つめる。
セシリアは射殺さんと言わんばかりの目でロランを睨み、『ターンエー』はそんなセシリアの瞳をジッと見つめていた。
同じ戦いの場でありながら二人の思いは悲しいほど正反対だ。
少女は差し出された手を振り払おうとし、少年は拒まれた手を差し出し続ける。
本当は少女も自分が間違っていることに気づいている。だがその間違いに気づくことを、過去の自分が許さない。
「そうやってまた騙されるのか」「男はわたくしを苦しめたじゃないか」過去、世界に男に絶望した自分の思いはも呪いであり支えでもあった。
だから、彼女は過去の自分を裏切れない。
裏切ることができない。
「……ローラさん」
彼女は教師だ。ロランとセシリアどちらかの勝利を応援することも、夢想することも許されない。例えそれが友人であっても、生徒であるならば例外ではない。
だから、真耶は、目を閉じて静かに祈った。
神様どうか、ロラン君の思いがセシリアさんに届きますように。
勝てなくてもいい、負けたっていい。ただ、彼の優しさが彼女を救いますように。
ただそれだけを、真耶は祈り続けた。
真耶の頬を、風が撫でたような気がした。
後書きになりますが、投稿が遅れてしまい申し訳ありませんでした。そちらの件に関しては、活動報告のほうで謝罪の意を表させて頂いてます。お手数ですがそちらもよろしくお願いします。
今回の裏設定
真「ロランくんにあんなファンクラブが出来てたなんて……。これがロランくんの人徳によるものとは……」
千「話を聞く限り凄かったらしいぞ。ISの整備を手伝ったり委員会の手伝いを買ってでたりと、困っている人を見かけたら直ぐに飛んでいったそうだ」
真「しかもロランくん、もうすでに全校生徒と面識が出来ているとかなんとか……」
真・千「「……ロラン(くん)のコミュ力はバケモノ(です)か!」」
結論『白い天使』
ロ「……出てきたのは良いですけど、このハンマー、どうしましょう?」
千「……使っても良いんじゃないか、別に。というかハンマーなのかそれ」
ロ「そうですよ?振り回して使うんです」
ホロビヨッ!ホロビヨッ!ホロビヨッ!
ロ「ね?ハンマーでしょう?」
千「いや鞭だろ」
結論『ヴァンパイアを刈る形をしたハンマー』