逃げるように走り去る白哉を見ながら、井塚はやりすぎた、と頭を掻いた。去り際に見えた表情は、とてもいつもの彼らしくない、絶望しきったものだった。
「まぁ、これが最善なんだよね」
自分以外、誰もいない裏庭で、ぽつりと言葉を零す。
誰かを大切に思うのはいいことだ。だが、その感情を無視して、非情な決断を下さなければいけないことも多々ある。それが死神の業務の中で起きうることだと、生前の仕事から井塚は理解も納得もしていた。だが、白哉は違う。まだその現実を目の当たりにしたこともない、井塚からしたらひよっこだ。あの状態から精神的な成長が見えないのなら――彼は死ぬだろう。
無論、井塚は死ぬ気も、殺される気も、化け物になる気もない。今のペースでの成長が続くなら、恐らく卒業頃には、神機使いになりたての自分より少し上の実力に到達する。あの頃でさえ、激戦区と呼ばれた極東で、アラガミをばっさばっさと討伐していけたのだ、下っ端としては優秀な部類にはなるだろう。へまをしない限り死なないとも思っている。
だが、だからと言って重傷を負わないわけでも、化け物にならないとも言い切れない。どれほどの実力を持っていても、どうしようもない状況、相手がいるのだ。確約なんてできない――出来るはずがない。
だからこそ、井塚はふわふわとあちらこちらの関係に顔を出しながらも、深くは付き合っていなかった。白哉が、実質初めての学友だったのだ。
「耳飾り、送ったのは痛手だったかなぁ」
初めての友人に浮かれていた自分が、飛び級祝いとして送った耳飾りを思い出す。厄除けの鈴が付いている、という謳い文句のそれは、なんとなく似合いそうだなと思って送ったのだ。小型な上、本人にしか、厄が近づいたときの鈴の音は聞こえない、というので、邪魔にもならないだろうと。
彼のあれは、気の置けない友人に対するそれにしては、少々執着がすぎた。何度か釘を刺してみたが、さしたる効果もなく今日のあの言動だ。午前の授業中、最悪の可能性に思い至って頭が痛くなった。
好いてもいない人間に対するそれとは違う、依存にも似た感情。見る人によってはそれを――愛と呼ぶのだろう。
恋愛的な愛かは兎も角、白哉が自分に、そういったものを抱いているのには気づいていた。というか、好いてもいない相手にこうまでして関わるはずもない。もし関わるのなら、それは何らかの目的がある場合のみだ。
だからこそ、これからの未来に置いて、自身が深い傷を負うか、命を落とす前に、切っておく必要があった。彼の人生に、自分のせいで暗い影を落とすことになるのは避けたかった。
鉄は熱いうちに、傷は浅いうちに。何事も、初動が肝心なのだ。
にしても、先ほどの反応は驚いた。あそこまでショックを受けるとは思わなかったのだ。
「ずいぶんと、朽木くんのことを色眼鏡で見ていたのかな」
ぽつり呟いても、答えは返ってこない。
冬晴れの寂しさだけが、彼女を包んでいた。
――――――――――――――――――
「ってことがありまして、目出度く朽木くんとは疎遠になってしまいっだ!?」
「お前バカだろ、いやバカだったな生前から、根っからのアホだ」
「馬鹿からアホに格上げされた!?」
「お前はまず、その他人に関して鈍感な部分治してこい!」
「ひっどいですよ海燕先生!」
新年度になり、最初のテストが終わったころ、再び海燕と顔を合わせた井塚がふと、白哉との決別を語っていると、突然頭を叩かれた。井塚にしてみたら、白哉を傷つけてしまったとはいえ、将来的には結果オーライ。ここまで言われるようなことはしていない、といった気持ちである。
不本意だ、と言いたげな表情で井塚は茶をすする。対して海燕は眉間にしわを寄せ、困ったような顔をして井塚に話しかける。
「生前の話のあれこれを聞いていた時から思ってたが……お前、やっぱり人の機微に鈍感だな」
「そんなことありませーん、生前からきちんとメンタルケアは出来てましたー」
「大半が仲間からの助言と感応現象のおかげだろ」
「うぐっ」
言葉に詰まると、海燕からため息が漏れる。実際、仲間の存在と、触れた相手の記憶や感情を覗くことが出来る感応現象のおかげで、なんとか良好なコミュニケーションがとれていたのも事実だ。それをわざわざ、人から指摘されると何故か腹が立ってしまうが。
「通常とは違う対応をされると、人ってのはそればかりを見てしまう、お前だってわかるだろ?極東初の第二世代神機使い」
「生前の話を引っ張んないでくれぇ……」
神機。アラガミと戦うための武器には、生前三世代の段階があった。
剣形態か、銃形態のみのどちらかな第一世代。
剣と銃、二つの形態を変形によって一つにまとめた第二世代。
第二世代とほぼ同じだが、使用する偏食因子が上記二つと違う第三世代。
井塚が最前線の極東支部にて適合試験を受けた際、他の神機使いは皆第一世代。当時貴重だった、初の第二世代神機使いということで、色々な意味で注目を集めていたのだ。
「お前が朽木の奴にした接し方は、いい意味で特別だったんだろうな。それで近づいて、そこにお前が中途半端に親切にするからこうなった」
「……」
「生前の記憶があるんだ、それをちゃんと活用しろ。お前自身も傷ついたら意味ないじゃねえか」
「え?」
井塚が首を傾げると、海燕が本格的に頭を抱え始めた。自分が傷ついている?そんなことはない。寧ろ、傷ついているのは白哉で、傷つけたのは自分だ。加害者なのに被害者であるわけがない。
そういい返すと、海燕は何言ってんだこいつ、と言いたげな白い目でこちらを見る。なんでさ。
「お前、自分の感情にも鈍感だな。よくそれで朽木に説教できたものだ」
「んなっ」
どういうことだと言いかけ、その言葉が出る前に強引に頭を撫でられる。というか痛い痛い痛い、いつも以上に力が強い。頭がぐわんぐわんと揺れる。
「ま、俺はお前の味方だからよ。意地でも離れねえし死なねぇから心配するな」
「海燕先生のことは心配してませんよ、エリートで強いんですから」
「それはそれで複雑だな……」
満面の笑みから苦笑に変わる。実際強いのだ、よほどの敵でなければ死なないだろう。
――その『よほどの敵』が後々出ることを、彼らは知らない。
さりげなく力を込めて、海燕の手を頭からどける。これ以上かき混ぜられては酔ってしまう。と、そのどけた右手に、海燕の目が行く。
「右手首のそれ、治らないのか?」
「治んないでしょうね。ここに来た時からこれですから」
ひらひらと振る右手の手首の皮膚は、ぐるりと一周するような形で爛れている。海燕と会ったあの日、こちらで物心ついた時からあったそれ。恐らくは『腕輪』の名残だろうと推測している。
『腕輪』は精神伝達や、神機の制御の関係上、人体と完全に癒着し、死ぬまで外れなくなっている。衣服の着脱に不便だからと、サイズの縮小が叫ばれていたが、終ぞそれは実現しなかった。
「これは、神機使いであったことの証明です。私は別に傷跡とか気にしてませんよ」
これはあの頃が自身の妄想でも何でもなく、現実にあったことを示してくれる、支えでもある。もし跡形も消せるといわれても、井塚は拒否するだろう。
と、海燕が顎に手を当ててなにやら考え始めた。どうしたのだろうか。
「どうかしましたか?あ、これ普段は包帯で隠しているんで大丈夫ですよ」
「いやそうじゃなくてな……なあ」
それと同じ痕がある人間がいる、って言ったら、どうする?
「――は?」