今現在始解しているかを判別できるのはギルのみ
良からぬことが起きている。
隊長からそのことを聞いたとき、井塚はそう直感した。
「流魂街の変死事件、ですか」
「ああ。ここひと月の間に、流魂街の住人が衣服だけを残して消滅する事件が相次いでいる。九番隊を中心に調査隊はすでに編成されているんだが、一応耳に入れておいてほしかったんだ」
そう告げる浮竹の表情は暗い。それはそうだろう、こんな怪奇事件、今まで起きたことがないのだから。
流魂街出身の死神は多い。消えた住人に友や家族など、親しい人間がいる可能性もあるだろう。こういう時だけだが、井塚は流魂街に親しい人間が少なくてよかったと思う。
「でも、どうして死んだと確定しているんですか?何かの理由で服を脱いで、行方不明になったとかは」
「いや、それはないだろう……そっちの方がまだ救いがあるんだが。平子が言うには、
人の形を保てなくなって消滅した、という言葉に、何かが引っかかった。どういった理由でそうなるのだろうか。井塚は考える。と、その様子を見た浮竹が苦笑した。
「考えるのはいいが、きちんと仕事は熟すんだぞ」
「わかってますよ」
では、失礼します。と一礼をして退出する。手には、もう一つの用事である書類が握られている。五番隊へもっていく書類だ。本当は行きたくないんだけどなあ、と思いながら、井塚は隊舎の入口へ向かう。
予期せず、藍染の斬魄刀の本来の性能を知ってしまった井塚と海燕、そして彼らから事情を聞いたギルは、なるべく普段通りを装うことを決めた。
とは言っても、ギル自身はまだ学生なので藍染と接触することは稀であり、警戒するべきなのは海燕と井塚の二人だけ。その井塚と海燕も、長い対人経験があるので、取り繕うことは慣れたものだった。
だからと言って、件の人物と会うのは些か憂鬱にもなるというもので。
「はぁ……」
「なーに溜息吐いてんだ」
「うひゃぁ!?」
突然話しかけられ、井塚は飛び跳ねるように後ずさる。目の前にいたのは海燕。
「な、なんですか海燕先生」
「なんか暗いもの背負ってるなと思ってな……大丈夫か?」
恐らくそれは、二重の意味を孕んでいる心配だった。
一つは、流魂街の変死事件に、知り合いがいるんじゃないか、という心配。
そして、もう一つは――藍染に会って、冷静でいられるか、という心配。
井塚はきちんと、その二つの意味を読み取り、苦笑する。
「幸い、戌吊には知人と呼べる存在もいませんし、海燕先生の姉弟かギルしか、親しい人はいません。薄情かも知れませんが、彼らが犠牲になってないから、大丈夫です」
何かあったら、どうなるかはわかりませんが。
そう締めくくる井塚に、海燕は苦笑を浮かべながらも、安心したようにそうか、と言った。
「じゃ、行ってきますね」
「おう、行ってこい」
海燕に見送られ、井塚は足早に五番隊の隊舎を目指す。平静を装って対応できるといっても、浮竹の言葉を聞く限り、隊長の平子が今回の事件の調査に関わっている。忙しいだろうから、手早く終わらせたいと考えていた。
隊舎に到着し、書類を持ってきた旨をちょうど近くにいた隊員に伝える。その人に預けようかとも思っていたが、そのまま隊長室にまで連れていかれてしまった、何故だ。
「失礼いたします」
こっそりと顔を出すと、そこには忙しそうに、珍しく書類仕事を熟す平子と、相変わらずまじめに仕事を熟す藍染がいた。いつも通りとはいかないが、よく見る光景だった。
「これ、十三番隊からの書類です」
「ん?おー井塚やないの。あんがとさん」
「ありがとう、井塚君」
手を挙げて応えてくれる平子に、にこやかな笑みを浮かべる藍染。普段通り、のはずだ。
だが、神薙が違和感を訴えてくる。一体、どういうことだろうか。
――今は気にしても、疑われるだけだからやめておこう
井塚はそう判断し、そそくさと隊長室を後にする。と、少年と思しき死神が入り口の方から歩いてきた。誰だろう、腕章からして席官のようだが……。
銀色の短髪に、狐のような顔つき。どこかで聞いたことのある風貌だが、さて誰だったか。
そんなことを考えながらも、廊下の端によって会釈をする。それに向こうは片手を挙げて応えてくれた。
あ、思い出した。確か海燕先生が言っていた。
「お疲れ様です、市丸三席」
「お疲れさまや」
そう、市丸 ギン三席だ。霊術院を僅か一年で卒業した麒麟児。海燕が、どこか好きになれないとぼやいていた少年死神だ。
市丸はどこか含みのある笑顔を浮かべている。その笑みはどこか、生前世話になった博士――ペイラー・榊を思い出す。彼は何を、抱えているのだろうか。
「あんさん、十三番隊の隊員やろ?なんか用事があったんか?」
「……私の事、知っていらしたんですね、恐縮です。今日は書類をお届けに上がりました、今済ませてきたので、帰るところです」
予想外だ。彼とは会ったことは無い、なのにどこで勘付いたのか、自身の所属を知っていた。鍛錬する死神の中にいたのなら忘れるわけがないし、誰かから聞いたのだろうか。
「藍染副隊長達が前、遊びに行かはったやろ?そん時の事、小耳にはさんでなぁ。あの藍染副隊長に、浅打で肉薄しおったって」
あ の 二 人 か
いや特に口止めも何もしていなかったから、あの時の事が噂になっている可能性はあったが、まさかこんなところにまで広がっていたとは。
「いやいや、肉薄なんてしてませんよ。藍染副隊長が始解をした途端、瞬殺されてしまいましたし」
事実である、肉薄なんてとんでもない。自身の実力はまだ、最盛期の足元にすら届いていない。改善点しか浮かんでいないというのに、そんな風に噂されるのは非常に解せない。
「そないなこと言うて、副隊長も褒めとったよ」
「藍染副隊長ぉ!?」
何評価してるんですかあの人は。ああ、頭が痛い。
「確かに実力はまだまだやけど、これからの成長が楽しみやわぁ、って」
期待されとるなぁ、なんて意味深な笑みを浮かべている。やめてください、色々課題があるのに胃痛が増してしまいます。
とりあえずここを離れよう。帰って海燕を弄って憂さ晴らしをしよう。今度こそ、井塚は市丸に挨拶をして五番隊隊舎を出ていった。
その背中に、市丸の視線を感じながら――
――――――――――――――――――
十三番隊の隊舎に戻り、海燕と合流して思い切り弄り倒し。
さて今日の業務も終了だ、となったときだった。
――カンカンカンカンと、警鐘が鳴り響く。
「!!」
思わず立ち上がる二人。直後、響いてくる緊急放送。
〝――急招集!緊急招集!各隊隊長は即時一番隊舎に集合願います!九番隊に異常事態!九番隊隊長六車 拳西、及び副隊長久南 白の霊圧反応消失!それにより緊急の――〟
「――は?」
「おいおいおいおい、どうなってやがる!」
隊長格二人の霊圧消失。まさかの事態に、隊舎の中がにわかにどよめき立つ。
「確か、九番隊って今回の変死事件の調査を行っていましたよね」
「まさか……っ!」
彼らも、同じように生きたまま人の形を保てなくなって――?
――あれ
井塚はまた、何か引っ掛かりを感じた。人の形を保てなくなる。昔、どこかで似たような現象を見たことがあるような。
――制御が利かなくなった神機使いは、
「!!」
「あ、おい!」
思い至った可能性に、居ても立っても居られず、井塚は浮竹のもとへと向かう。
「浮竹隊長!」
「井塚、どうしたんだそんなに急いで」
今まさに一番隊に向かうところだったのだろう。入り口に立っていた浮竹が不思議そうに訊ねてくる。
「論拠も何もないのですが、今回の事件のある可能性に思い至って。……一番隊へ向かう道中でお話しても?」
「――ああ、かまわないよ。こちらも急ぎなわけだし」
浮竹からの了承の返事に、井塚は小さく礼をし、並走しながら話し始めた。
「今回の流魂街の変死事件。もしかすると、なんですが、魂魄が整の状態のまま虚化しかけた故に起きた拒絶反応ではないかと」
「……どうしてそう思う」
伊達や酔狂で話しているとは思えなかったのだろう、厳しい表情で根拠を尋ねてくる。
「経験から、ですかね……以前少しだけ話しましたが、私には生前の記憶があります。そこで、似たような事例をみたことがあったので」
思い至ったのは神機使いのアラガミ化、そして適合試験のことだ。
神機を扱えるのは、まず偏食因子に適合し、神機に適合しなくてはならない。井塚が神機使いになったころこそ、体制はマシにはなっていたが、最初期のころの適合試験はろくなパッチテストも行わず、ただひたすらに適合試験を行っていたという。
適合に失敗すれば、神機に喰われて――死ぬ。アラガミを虚、人間を整ととらえると、虚化に耐え切れなくなった魂魄が、拒絶反応の末に自壊、消滅。そう考えることもできるのだ。
「あくまでも生前の経験則によるものです。恐らく他の隊長達にお話ししても、一蹴されてしまうと思われます。一先ずは、浮竹隊長の胸にしまっておいてください」
「つまり、誰にも話さないでくれ、ということかい?だが、その推測があっていたら、六車と久南は」
「恐らくは、何らかの理由、ないし――
「――そうか、君は尸魂界に裏切者がいる可能性があると考えているのか」
浮竹の言葉に、井塚は頷く。一番の候補はいるが、他にも関係者がいる可能性が高い。だが、浮竹隊長は白だ。十三番隊に入ってからのことを思い出し、井塚はそう判断していた。
「浮竹隊長は信頼しています。もちろん、総隊長のことも。ですが――他の方はなまじ関わりがないので、信頼できるかが分かりません。だから、他の方には口外はしないでください」
自分なりに調べて、答えを見つけ出しますから。
今回の件には間に合わない。だが、いつか裏切者を見つけ出し、その証拠を提示する。
井塚の強いまなざしに、浮竹は頷いた。確かに根も葉もなく、大凡信じられるような推測ではない。が、彼女の普段の行いから、そこには彼女なりの根拠があるのだろうと判断したのだ。
「分かった。俺にもできることがあったら、遠慮なく言ってくれ。それまでこれは――二人だけの秘密だ」
「はい」
――言えない秘密が、また一つ。