カルデア全体に沈痛な空気が満ちていた。
歴戦の英霊の多いサーヴァント達はそうでもないが、カルデア職員らの顔は一様に落ち込んだものがあった。
その中にあって気丈にも己の職務に陰りがないのは流石と言えるが、それは全員ではない。
特に、素人であった唯一のマスター藤丸立香と彼の最初のサーヴァントであったマシュ・キリエライトはとてもではないが平常とは程遠かった。
「ドクター、サドゥの調子はどう?」
立香はロンドンでの特異点修復の後、一日一度はこうして医務室を訪れている。
あの魔術王との遭遇から既に一週間、それだけ経過しても全く変わらない。
それはレイシフトで帰還後、サドゥを抱えて血相を変えていたマシュが医療班にサドゥを預けた直後に突然血を流して倒れた後も変わらない。
二人が治療室に缶詰の状態で、立香は事の次第の全てをDr.ロマンから訊いた。
即ち、二人の生まれと境遇、その寿命を。
その上で、立香は二人に対してその秘密を明かさない事を選んだ。
ただ、今まで以上に誠実であろうと心に決めて。
あれから一週間、ずっと二人を見舞い続け、マシュが意識を取り戻した後は二人でサドゥを見舞い続けていた。
「病状に変化は無しだ。ロンドンから今日まで彼女は眠り続けている。脳波を測定したデータでは時折夢を見ている様だが、それだけだ。外界からの刺激には一切反応せず、決して覚醒しない。サドゥは魔術王によって呪いを、彼が言うには褒美として“終わらない眠り”を与えられたんだ。」
魔術王ソロモン。
72の魔神柱を率い、人類史を焼却し、レフ教授によってカルデアを破壊させた、オルガマリー所長の仇。
そして、新たにサドゥを呪った張本人と言うのも加えられた。
『あまりにも幼い人間よ。人類最後のマスター、藤丸立香よ。これは私からの唯一の忠告だ。お前はここで全てを放棄する事が、最も楽な生き方だと知るがいい。――灰すら残らぬまで燃え尽きよ。それが貴様らの未来である。』
そう言い捨てて去って行った魔術王に、誰もが勝てるビジョンが浮かばない。
魔術王の言を信じるなら、この状況は彼からすれば救いなのだろう。
人類史が、カルデアが完全に焼却するその日まで、苦しまない様に安らかな眠りを。
だが、だが…
「すまない。メディアやレオナルド達も手は尽くしてくれたんだけど…。」
「いえ…忙しい所すみません。失礼しました。」
「大丈夫さ。また何時でも来てくれ。ボクでも些細だけど愚痴を聞く位は出来るから。」
それは何かを致命的に間違えてると、立香は思った。
……………
「姉さん…。」
普段のカルデア制服の上に白衣の姿になりながら、マシュは液体で満たされたコフィンによく似た機械、無菌室と集中治療室、個人用シェルターを兼ねた医療ポッドの中で保護液に浮かぶ姉の姿を見つめていた。
「姉さんは、こんなに傷ついていたんですね…。」
マシュよりも細いその肢体の至る所に大小無数の傷があった。
それの極一部はサドゥ自身が付けたものだが、その多くは嘗ての英霊降臨実験と特異点修復で追加されたものだった。
そう言えば、姉が半袖等の薄着を着ていた記憶がない。
思えば、これを隠すためだったのだろう。
それが心配されるのを厭ってか、或は羞恥心や美意識か?
それはさて置き、既に全ての傷が完治しているが、人よりも治りの遅いサドゥの肌にはハッキリと痕が残っていた。
冬木で、フランスで、ローマで、ロンドンで、姉は必ずと言って良い程に先陣を切っていた。
時折敏捷の差でクー・フーリンらに先を越されていた時もあったが、それに負けぬ程に前に出ていた。
その姉の背を、マシュは立香と共に追っていた。
「無茶し過ぎですよ、もう。」
それはあの魔術王との遭遇の時もそうだった。
他のサーヴァント達が悉く鏖殺された後も、立香とマシュを後ろに庇いながら、勝機は微塵もない状況でただの一人で前に出たのだ。
戯れの一撃で戦闘不能になる程のダメージを負い、血塗れになりながら、それでも魔術王に一矢報いてみせた。
そして、立香とマシュの命を盾に宝具の解除を迫られ、それを飲み、呪いを受けた。
「少し、休んでいてください。必ず私達が勝ちますから。」
もう頼ってばかりではいられない。
眠り続ける姉に、静かにマシュは誓いを立てた。
それが人類史上屈指の難題であっても、必ず果たすと。
その果てに、自身も姉も生きてはいないと知りながら。
……………
立香がトレーニングルームを後にする。
全身汗だくになる程に、普通の人間には過酷なトレーニングを一日も欠かさず行う。
今も身体が重く、節々が痛い。
しかし、確かに少しづつだが筋肉がついていると実感する。
だが、それでは余りにも遅すぎる。
絶対に彼女に、彼女達に、カルデアの人々に報いなければならない。
その責務のために、慕っていた少女の一人のために、今の立香はまともに休んですらいなかった。
「おやおやぁ?随分と酷い顔じゃぁないですかぁぁぁ?」
そこに道化師の様な特徴的な衣装とメイク、そして余りに長い鋏を持った男、メフィストフェレスが現れた。
黒髭を抑え、カルデアで最も信用してはならない男性サーヴァントTOPに位置する男の登場に、マスターである立香は露骨に顔を顰めた。
「ごめん、今は余裕ないんだ。後にしてくれる?」
「まぁまぁマスター、そんな急がず慌てずに。別に貴方が今何をしたって、あの復讐者のお嬢さんは起きないですから、ほんの少しだけ私に構ってくれてもよろしいでしょう?」
その人を小馬鹿にした態度にグッと怒りを我慢しながら、立香は努めて冷静になろうと努力した。
「…分かった。手短にお願い。」
「えぇえぇ、構いませんとも。直ぐに終わりますから。」
ニタニタと、まるで、否、立香が苦悩しながら足掻く姿が本当に楽しくて仕方ないと態度で示しながら話を始めた。
「マスター、貴方はあの復讐者のお嬢さんがどうして貴方の事をマスターと呼ばないか知ってます?」
「…え?」
それは、自分も疑問に思っていた事だった。
ただ、自分がサドゥに訊ねた時は「立香は立香だから、だよ」と返されただけだった。
それ以来、訊く機会もなかったのでずっとそのままだった。
「あのお嬢さんに気になって以前訊いてみたんですよぉ」
それを
「何故マスターと呼ばないのかって。」
その先を
「そしたら彼女、なんて言ったか分かりますか?」
聞いてはいけない気がした。
「『これ以上、立香の負担を増やしちゃいけないから』って。健気ですねぇ~!」
………
……………
……………………
気づけば、立香は自室のベッドの上だった。
何処をどう辿って来たのか、一切の記憶がない。
ただ、メフィストフェレスの言葉だけは消えずに残っていた。
『これ以上、立香の負担を増やしちゃいけないから』
あの控えめだけど自らを省みない少女は、いつもの様な困った笑顔で、そんな事を言っていたのだろう。
このカルデアでは、最後のマスターである自分に多大な負担がかかっている。
勿論、残されたカルデア職員ら全員にもその双肩に人類そのものの重さがかかっているのだが、立香のそれは一等に割合が多い。
サーヴァント達ですらそれを少しでも軽くしようと指示に従ってくれたり、指導してくれたりするが、結局はその立場から負担を肩代わりする事は出来ない。
そして、マシュと言う立香へ大きくも無垢な信頼を向けてくる者がいる以上、立香は常にその重すぎる使命を意識しなければならない。
そのマシュと同じ立場と生まれで、自分だって何かに縋りたいだろうサドゥはしかし、自分達を気遣いながら、唯一人で自身の意思を胸に歩んでいたのだ。
「ッ、ぐ、ぅぅぅぅぅぅ…ッ!!」
誰もいない自室で、袖で目元を隠しながら嗚咽を漏らす。
もう二度と、この旅の間は無様は晒さない。
だから、だから、今この時だけは
「ぜっだいに、かづッ!」
どうか許してほしいと、未だ眠り続ける彼女に願った。
……………
「フンフフンフ~ン♪ 仕込みは上々、って所ですかね~?」
「現在の入居者数はほぼ満杯。だって言うのにまだまだ増加中!これは増築すべきですかね~?」
「ですがまぁ。これ以上はどうやっても工期が間に合わないので、良い感じに揺れてくれたマスター殿に頑張って貰いましょうかねぇ。」
「あぁ!マスターの願いを叶える手伝いをするなんて、私なんて主思いのサーヴァントなんでしょう!フフ、フヒィーヒヒヒヒヒヒヒヒ!」
……………
( ˘ω˘)スヤァ
“おーい起きろー。ヤベー事になってんぞー。”
( ˘ω˘)zzZ
“はぁ…マスター、早く来てくれー。手遅れになっても知らんぞー。ったく。”
このメッフィーは立香と話した時点で既にオガワハイムへのお誘いを終わらせてた悪メッフィーの一体です。
なお、他の描写のない鯖連中は息抜きにオガワハイムに行くか(そして殆どが悪墜する)、又は落ち込んでるマスターやカルデア職員を励まそうと頑張ってます。