マシュの姉が逝く【完結】   作:VISP

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日常編(ほのぼのなんてあると思ってるの?編)

前半はマシュ、後半はサドゥです。


その13 日常編

 

 

 『…初めまして、2号。』

 

 いつもいつも、自分の先を進んで、振り返って、待っていてくれる人だった。

 

 『…そう、その調子。』

 

 何でも知っていて、とても暖かくて、優しくて。

 姉というのは、こういう者なんだって。

 

 『…マシュは前向きだね。うん、それで良いんだよ。』

 

 些細な事でも褒めてくれて、でも叱らなければならない所は叱って。

 自分のたった一人の姉は、本当に素晴らしい人なんだって。

 

 『…私の名前、決まったよ。サドゥって言うの。』

 

 でも、その名前が自分の分の不幸も背負って、死に行くためのものだなんて思いも寄らなかった。

 生まれて直ぐに、己自身の生に絶望してるなんて、知りもしなかった。

 姉はこんなにも自分を大切にしてくれたのに、自分はその内心を知ろうともしなかった。

 

 『死にたい…。』

 

 そう虚ろな目のまま呟く姉を、自分は見た事が無かった。

 その姿に、心臓が止まりそうになる。

 

 『…苦しみ、たくない…。』

 

 そう思って、前に出る姉。

 冬木で、フランスで、ローマで、ロンドンで、姉は常に前に出ていた。

 その背に、勇気づけられていた。

 内心を知って、悲鳴が喉から飛び出そうになる。

 

 『…きっと、悪い事しか起きないから…。』

 

 人間は生まれた時点で、既に祝福されている。

 だが、己が生まれた事すら喜べない者は、確かに存在する。

 この短い人生で、どれ程の事が出来ただろう?

 否定したくても出来なくて、悔しくて涙が零れそうになる。

 

 『…私は死にたい…。』

 

 自分達姉妹の生は短い。

 人よりも幸福になれる機会も時間も少ない。

 今も辛く厳しい旅の途中、高すぎる壁に突き当たっている。

 その果ては電池切れの様な、呆気ない惨めな終わり。

 

 「…ぃぃぇ、いいえ!それでも、私は諦めたくありません!」

 

 涙を流しながら、諦めを拒絶する。

 立ち上がる。

 それすら泥に呑まれた状態では厳しいのに、そんな事はお構いなしにマシュ・キリエライトは身体を駆動させていく。

 

 「悲しい事も、辛い事も沢山ありました!でも嬉しい事も、幸いな事も同じ位沢山ありました!例え不幸と幸福の天秤が傾いていても、私は生まれてきて良かった!この旅に参加できて良かった!」

 

 これが幻覚ではなく現実だと知りながら、それでもマシュは諦めたくなかった。

 心身ともにボロボロになりながらも、姉との日々を、この旅路を否定させはしない。

 短い生の中で、この厳しい旅の中で、確かに尊いものがあったのだと信じているから。

 

 「私は!マシュ・キリエライトは!諦めたくありません!」

 

 泥の中から完全に立ち上がり、視界が正常なものへと復帰する。

 高い対魔力であっても浸食してくる泥の中、繋いでいた手を引いてマスターを抱き締める。

 気を失っている大事な人の温もりに縋る様に、それでもとマシュは声高に叫んだ。

 

 「例え相手が誰であっても!姉さんであっても!私は、この旅を止めたりなんてしない!先輩と、姉さんと、もっともっと一緒に色んな空を見てみたいから!」

 

 吠える。

 孤軍奮闘、救援どころかカルデアからの支援すら無く、マスターの意識は不明。

 絶望的な状況の中で、それでもなおマシュ・キリエライトは己の想いの丈を叫んで魅せた。

 

 「魔力防御、全開…!」

 

 デミ・サーヴァント固有の特殊スキル、憑依継承。

 憑依した英霊が持つスキルを一つだけ継承し、自己流に昇華するものだが、マシュの場合は魔力防御と言う、魔力放出の防御版だ。

 魔力をそのまま防御力に変換し、高じれば国家規模の魔力障壁を展開する事も可能となる。

 

 「っ、う、ああああああああああああああああああああああ――ッ!!」

 

 それをマシュは後先考えずに全力で使用する。

カルデアのバックアップがない現状、使用できるのはマスターからの供給と自己生産可能な魔力のみ。

 それでも自滅を恐れずに、彼女はその力を以てマスターと己を沈めんとする泥を跳ね飛ばした。

 

 (長くは、持たない…!)

 

 しかし、当然の理に脂汗が流れる。

 相手は聖杯に匹敵し、今なお成長している呪詛の集合体。

 こちらは限りある魔力を身を削りながら回しているデミ・サーヴァント。

 そして此処は相手の領域で、自分達は味方から分断されている。

 端的に言って、窮地だった。

 

 (それでも先輩だけは…!)

 

 どうにかして脱出の方法を探る。

 嘗て炎の中で手を繋いでくれた、優しい人。

 この人だけは守りたかった。

 

 「―――三界神仏灰燼と帰せ! 我が名は第六天魔王波旬、織田信長なり!」

 

 真名解放と共に轟、と視界が炎に染まる。

 織田信長が誇る神殺しの固有結界、人の世に再現された大焦熱地獄。

 

 『―――――――ッ!』

 

 この空間そのものを満たす泥が悲鳴を上げて後ずさる。

 マシュも立香も知らないが、この泥の大本はこの世全ての悪の烙印を押された亡霊だ。

 そして、アンリマユは元々神霊の名であり、後にインドの神ディーバの一人とされた。

 正真ではなく、斯く在れと願われた存在でも、その名を持つからには相応に有効であり、何よりこの場を満たす泥は元々人の悪意が源である。

 地獄と言う、生前に悪行を犯した人間を裁く場であり、故に悪である泥もまたその炎を本能的に恐れたのだ。

 

 「うははははははは!魔人アーチャー登場!マスターとマシュマロは無事かー!?」

 「信長さん!」

 

 マントと軍帽に炎と裸な、どう考えても痴女一直線の姿で高笑いしながらの味方の増援に、それでもマシュは笑顔で応じた。

 よし、これで形勢逆転…

 

 「あ、ヤベ、魔力切れそう。」

 

 プスン、とあっさり固有結界が消えた。

 同時に、これ幸いとまた泥が這い寄って来た。

 

 「な、なんでこんな時までグダグダなんですかー!?」

 「だってなんか魔力全然来ないんじゃもーん!」

 

 まさかマスターを干物にする訳にも行かない。

 そしてあっさりと、今度はノッブも加えて泥塗れになるかと言う所で…

 

 「何やってやがんだよテメェらはぁ!?」

 

 赤い雷が宙を奔り、泥の一部を焼き切っていく。

 

 「全くだ。とは言え、よく間に合ってくれた。」

 

 そして空けた空間を仕切る様に幾本もの剣が突き立つ。

 どれもこれも破邪、防護、聖の概念を纏った投影品であり、即席ながらも高い結界を形成してみせた。

 

 「モードレッドさん、エミヤさん!」

 「私達もいるわよー!」

 「アルテミスさんにオリベェさん!」

 「遅れた分も頑張るけどさ、オレもうオリベェ確定なんだ…。」

 

 そしてカルデアの夫婦漫才担当の月の女神とその恋人も合流した。

 

 「取り敢えず、こいつら全部殺すのは骨だ。何とか根本を叩こうぜ。」

 「式さんも!」

 

 そして直死のアサシンも加え、漸く突入時のメンバーが揃った。

 

 

 

 

 ……………

 

 

 

 

 そして、マスターの奮戦もあって、漸くどうにかカルデア一行はカルデアに帰還した。

 無論、その足で立香とマシュ、サドゥはあの泥に触れたとして即行で検査入院と相成ったのだが。

 

 「うーん、話を聞いた限り、そんな呪詛の塊に呑まれたのだとしたら、もっと深刻なダメージがある筈なんだけど…。」

 

 不思議そうに検査結果を確認するDr.ロマン。

 実際、マシュと立香は多少の消耗こそあれど、全体的に軽傷で、これ以上の入院の必要は無かった。

 

 「ん?まだ悩んでいるのかいロマン?もう原因なんて分かり切っているじゃないか。」

 

 それにあっさりと答えを出すのが、突き抜けた芸術家にして万能の天才のダ・ヴィンチちゃんだ。

 

 「あ、レオナルド。そう言うって事はもう検討が付いているのかい?」

 「あぁ。フランスやロンドンと同じさ。サドゥが二人に行く筈だった呪いを吸収したんだろう。その場にあった他の呪い共々ね。」

 「そりゃまた、途方もない話だ。」

 

 あの場にあった呪いは、それこそ全方位に開放すれば大国ですら滅び去る様な、そんな濃度と量を伴った代物だった。

 それこそ、使う場所を吟味すればその時代を滅ぼせる程度には。

 

 「魔術王が作り、変質してしまった特異点を満たす呪詛。それを吸収し、ステータスが大幅に向上した。果たして、その程度の影響で終わるのかな?」

 「どう言う意味だい?」

 

 意味深な言葉に、ロマニの顔も俄然真剣みを帯びる。

 普段は飄々とした彼の珍しい医者として、司令官としての顔だった。

 

 「果たして、単なるデザインベビーの範疇なのかな?彼女の肉体構造は明らかにマシュと比べて複雑に過ぎる。何らかの隠しギミックがあっても不思議じゃない。」

 「まだ何かあるって言う事かい?」

 

 サドゥとマシュはカルデアの人理継続と言う大義のため、サーヴァントを安定して戦力化するための研究成果の一つだった。

 そう、あくまで一つなのだ。

 

 「人理を救う手立ては一つでも多い方が良い。あの外道ならそれ位すると私は思うね。」

 「…否定する要素は無い。なら今後も調査を続行するべきだね。」

 

 だが、一概に調査と言っても、身体を解剖し、分子レベルで調査する訳にもいかない。

 そんな事をすれば、今度こそカルデアは終わる。

 他ならぬ最後のマスターとサーヴァント達によって。

 

 「そして、あの子達の延命方法もだね。ここまで頑張って来たんだ。ハッピーエンド位は許されて然るべきだよ。」

 「…それを、サドゥが望まなくてもかい?」

 

 特異点で何があったのか、それらは既に報告書として纏められている。

 無論、あのカルデアの観測が届かなかった間の出来事も含めて。

 

 「苦しい事を味わいたくないから死にたい、か…。確かに人生は苦難の連続で、幸福の総量がその対価に合うかどうかは…。」

 「それこそ、最後まで生き切ってからでないと答えは出ない。余人には如何に無価値でも、本人にしか分からない価値はあるからねぇ。」

 

 例えば、英霊ではエミヤの生がそれに該当する。

 彼の場合、自身を救うものとせず、生涯を賭け、死後すら擲って少しでも多くの者の命を拾い続けた。

 その死後においてはアラヤの走狗となり、人類の滅びとなる事象を無関係な周囲の人間ごと殺戮する日々を過ごし続けていた。

 それこそ時間の枠組みを超えてまで。

 だが、そんな彼の苦難の道には確かに価値が、救いがあったのだと、彼自身は認めている。

 

 「僕は、彼女達の事もそうだけど、マリスビリーを止められなくて、本当に口惜しい…。」

 「それは嘗てのマスターへのサーヴァントとしての悔恨かい?」

 

 ロマニの本当の姿を唯一知るが故に、二人の関係は他の誰よりも近い。

 謂わば共犯者の、同じ秘密を共有する者同士の距離感だ。

 

 「いいや。一人間として、悪を見逃し続けた故のものさ。」

 「ふふ、言う様になったじゃないか。」

 

 その言葉に、人間になった当初の無垢とも無機質とも言える彼を知る万能の天才は、嘗て彼が愛したモナリザそのものの笑顔で微笑んだ。

 

 「人間は成長する。良くも悪くも不変ではいられない。彼女もまた、そうだと信じよう。」

 「だと良いんだけどね…。」

 

 特に変人奇人英雄悪漢の集う此処ではね。

 そう言ってニコニコと楽しそうに微笑む友人にロマンは嘆息した。

 

 

 

 

 ……………

 

 

 

 

 (どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう…)

 

 カルデア内の倉庫の片隅で、サドゥは膝を抱えて蹲り、顔は膝の間に沈んでいた。

 そして、その顔は哀れな程に蒼白で目は虚ろ、全身から脂汗がダクダクと流れ、ガタガタと身体が震えていた。

 明らかに尋常な精神状態ではなかった。

 それもそうだろう。

 彼女はつい先程、特異点より帰還して検査入院していたマスターと妹から、極めて衝撃的な事を明かされたのだから。

 

 「サドゥ、落ち着いて聞いて。実はボク達、サドゥの記憶を…」

 

 そこまでがサドゥの覚えている事だった。

 こちらに気まずげな視線を向けてくる二人の前から、敏捷A+を遺憾なく発揮してその場から一瞬で姿を消したのだ。

 ほんの僅かに自分を引き留める声も聞こえたが、顔も見られたくないサドゥは一切振り返らなかった。

 今現在、こうして最大限気配を断って人気の無い倉庫に身を隠しているのも同じ理由だ。

 

 (合わせる顔なんて、ない…。)

 

 マシュも、立香も、英霊達も、カルデアの善良な人々も、皆が皆、必死になって人理修復のために己の出来るやり方で戦っている。

 だと言うのに、自分だけは身勝手な私欲だけで戦っていたのだ、例え負けても構わない等と思いながら。

 それはどう考えても他の仲間達への裏切りで、背信で、冒涜だった。

 

 “あーあー、遂にバレたって言うべきか、漸くって言うべきか…。”

 

 そして唯一人、全ての事情を知っている者は溜息を吐きながら頭を悩ませていた。

 元々後ろ向きな思考のサドゥを慰めるのはとても骨が折れるのだ。

 しかも、死ぬまで所か死んでも秘密にしていたい事を知られてしまった以上、今すぐ喉笛を掻き切ってもおかしくはない。

 だが、突破点はある。

 

 “こいつの価値観は自身をマイナスに見てるが、周囲の人間は逆にどんな屑でも常に一定以上の価値がある。となりゃーどっかで誰かが困ってるのを見つけるのが一番か。”

 

 取り敢えずはそれで良いだろう。

 今の彼女の材料となった者は、元々自身の都合よりも他者のそれを優先する根っからの善人なのだから。

 

 (此処からも、逃げないと…。レイシフトして、大きなドラゴンとかの巣に…。)

 

 フラフラと、覚束ない足取りで顔を蒼白にしたまま、サドゥは歩き始める。

 目的の場は管制室及びレイシフトルーム。

 行くのは何処でも構わない、ただ危険な場所とだけ決めて、彼女は歩き始めた。

 

 “さっすが主人公と言うべきかねぇ…。おーい、それ行くのも有りだけどさ、取り敢えず左側、なんか聞こえないか?”

 

 だが、そんな彼女を内側から響く声が一時制止した。

 倉庫を出て直ぐ、そちらの方に視線を向ければ、直ぐに誰かが走ってくる足音が聞こえた。

 瞬時にそれが速さからサーヴァントのものでなく、人間のものだと判断、その場からの離脱を図るが…

 

 『令呪を以て告げる!サドゥ、その場から動くな!』

 「ッ!?」

 

 念話を介して伝えられた令呪による強制停止に、サドゥの身体が盛大につんのめって派手に転んだ。

 ドゴッと、結構な音を響かせて。

 

 「サドゥ、そこ、か!?」

 「来ないで!」

 

 予想通り、立香が来た。

 大きく息を荒げ、礼装も纏わずに身一つでその場に立っていた。

 その必死そうな表情に、サドゥの顔が盛大に恐怖で歪む。

 苦しみたくないと、それだけで死を望んでいた彼女にとって、他者への期待に応えられない事、他者から嫌われる事すら過大なストレスとなる。

 根本的に臆病で、ロマニを笑えない程にチキンな彼女では、自身の内心を知って立香がどんな反応をするのか気が気ではなかった。

 

 「行こう、サドゥ。そんな顔しないで。誰も君を嫌いになんてならない。」

 「うそ…うそ…!」

 

 廊下に倒れたまま、涙を零してガタガタ震えながらも、無様に後ずさろうとして、しかし令呪によってその場からは動けない。

 一歩一歩近づいてくる立香の姿に、恐怖と絶望の籠った視線を向ける事しか出来ない。

 

(また苦しめられる、また怒られる、またガッカリされる!また、また、また!)

 

 それは彼女の魂の一部の叫びだ。

 ずっと頑張って、弱音も吐かずに努力して、何とか一人で立ち続けようとして、しかし挫けてしまった男の魂。

 その叫びはラインを通して、マスターにも痛い程に伝わってくる。

 

 (くるしいのもいたいのもいや!なんでほうっておいてくれないの!?あなたもまたわたしにひどいことをするんだ!)

 

 それは彼女の魂の一部、生まれて直ぐに砕けてしまった哀れな女の子の魂の叫び。

 そしてその叫びのどちらも、サドゥと言う少女の叫びだった。

 

 「大丈夫。ボクは君を傷つけないし、酷い事なんてしない。ただ、君と話がしたい。」

 「うぞ!」

 

 もう完全に泣きじゃくっているサドゥではまともに話す事も出来なかった。

 

 「わだし、うぞついてた!みんなにりつがにましゅに、うそづいてた!ひどいことした!だからひどい゛ことされるんあ!」

 「確かにサドゥから嘘をつかれて、ボクもマシュも悲しかった。」

 

 後2m。

 その距離で立香は立ち止まり、サドゥを優し気な目で見つめた。

 

 「でも、それ以上に悔しかったんだ。」

 

 だが、彼の右拳は血流が止まる程に握られ、怒りの余り震えていた。

 それは、彼が自身へと抱くものの発露だった。

 

 「サドゥの苦しみを知らず、ボクはのうのうと旅してた。今度の特異点も何とかなるって、そんな軽い気持ちで。フランスでもローマでもあんなに大勢人が死んだのに、ボクは油断して…そして、こんなに近くにいたサドゥの苦しみすら分かっていなかった。」

 「ち、ぢがうちがゔ!それはわだじががっで「違わない。」

 

 はっきりと、今までに見せた事が無い程に力強く立香は断言した。

 

 「ボクは結局サドゥに、皆に甘えてたんだ。」

 「ゔうぅ!」

 

 泣きながら首を横に振るうサドゥ。

 彼女は知っていた。

 在り得ざる知識と立香を直に見ていたから、彼が彼なりに悩み、心と身体を軋ませながら人理修復の旅を続けている事を。

 そんな彼に多くを求めるのは余りにも酷だと思ったからこそ、少しでも助けになればと思ったのだ。

 

 「サドゥやマシュに甘えてもらって、頼ってもらえなかった時点で、ボクはマスター失格だ。こうして今も君を泣かせてるだけなんだから。」

 「ぅーぅー」

 

 ボロボロと、大粒の涙を流しながら、フルフルと小さく首を振る。

 ちがうの、わたしがわるいの。

 もしまともに口を利けたら、サドゥはそう言って何時も通りに己が全てを背負っていただろう。

 

 「だからサドゥ、死ぬなんて言わないで。せめてボクが君から受け取ったものを返させて。マシュも、ロマンやダ・ヴィンチちゃんも、カルデアの人達も、英霊の皆だって、色んな事をやってくれたサドゥに何も返せないまま死んじゃったら、絶対に悲しくなるから。」

 「…ぅぁぁ……っ」

 

 その言葉を拒絶する様にサドゥは耳を手で抑え、廊下に座り込み、頭を抱えてしまう。

 

 「そんな、こといっでも!あとでみんなきらうんだ!みんなおこるんだ!」

 「なら、ボクとマシュで一緒に皆に謝ろう。嫌われても怒られても、3人なら何とかなるよ。」

 「だめ!ましゅもりつかもだめ!」

 

 完全に幼児退行した物言いだが、これが本来のサドゥの言葉なのかもしれないと、立香は思った。

 知識だけは豊富で、人生経験だけは真っ新で、人の悪意に敏感なだけの、ただの子供。

 嫌われる事を恐れて、少しでも誰かの役に立とうとしているだけの、ただの子供。

 

 「かるであのひとがゆるしても!ぜったいひどいこどがあるんだ!くるしいもいたいもやだ!もうやだぁ…!」

 「うん、ボクも痛いのも苦しいのも酷いのも嫌だ。でもね…」

 

 一歩、踏み込む。

 そこはとっくに英霊にとって一挙手一投足の間合い。

 況してや殆どのステータスがAランクのサドゥにとり、少し力を入れた腕の一振りで、立香をミンチに出来る距離だ。

 泣きじゃくり、精神の均衡を著しく欠いた状態の彼女に、それでも立香はゆっくりと歩み寄る。

 

 「それを分かち合う事は出来る。苦しいのなら分担して。分担できないなら後ろから支える。嬉しいのなら共有して。その分だけ多くの嬉しい事が増えていく。」

 「こないで―ッ!」

 

 月並みな言葉だった。

 だが、同時に自身を一撃で絶命させて余りある腕の一振りを見舞われながらとなれば、その精神力は最早常人の域ではない。

 即ち、彼はもう守られるだけの子供ではない。

 

 「ボクも、マシュも、ロマンやダヴィンチちゃんや他の皆も、全員良い人達だらけだ。サドゥが怖がって苦しがってたら、絶対に手を差し伸べてくれるし、嬉しいを分け合いたいと思ってる。」

 「あ、ぁあぁ…!」

 

 ポタリと、立香の左肩から真っ赤な血が垂れている。

 数cmで掠める程度の警告の一撃は、しかし、それを見てなお踏み込んだが故に、掠り傷となって立香に刻まれた。

 

 「お願いだ、サドゥ。」

 

 膝を突き、目線を合わせる。

 立香の母譲りだと言う碧色の瞳と、サドゥの人工物めいた藤色の瞳が正面から向かい合った。

 

 「ボクに、君の幸福と不幸を分けてほしい。代わりにボクは君を嫌わないし、酷い事なんてしない。ボクの幸福を分かち合ってほしい。」

 

 まるで告白の様な、誠実で切実な言葉。

 

 「ぁ…ぅぁ…。」

 

 その言葉とそこに込められた意思を前に、サドゥはパクパクと、金魚の様に口を開閉させる事位しか出来ない。

 少なくとも、彼女の知識と短い経験ではこの様な事態は全く想定されておらず、どうしたものか全く分からなかったのだ。

 

 「わた、し、は…」

 

 それでも何とか言葉を返そうと口を開いた所で

 

 

 

 ドサリと、立香がサドゥに寄り掛かる様にして倒れた。

 

 

 

 「ぇ…?」

 

 瞳を薄らと開けたまま、立香は微動だにしない。

 その力が完全に抜けた身体を反射的に支えながら、サドゥは突然の事に理解が追い付かなかった。

 それでも分かった事がある。

 サドゥのデミサーヴァントとしての部分が、今この瞬間に立香の魂が何処かに連れ去られてしまったのだと言う事が。

 今、立香は自分の前からいなくなってしまったのだと。

 はっきりと、解ってしまったのだ。

 

 

 「ぁ…あ、ぁ、あァあぁぁぁぁあァァァァァァァァぁあああ――ッ!?」

 

 

 人気の無い通路で、狂乱と絶望の入り混じった叫びが響き渡った。

 

 

 

 

 


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