恋愛小説   作:まなぶおじさん

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1~36P

「はあ……」

 

 陽気さが装甲を身につけているようなアンツィオ高校学園艦で、やや南側に設けられた森林公園の中で、そのベンチの上で、ポモドーロは心の底からため息をつく。

 失恋を目の当たりにした。

 なぜ、人間は愛に泣かされなければならないのか。恋を尊重したはずなのに、どうして恋に心を殴られなければいけないのか。

 目頭が熱くなる。それに伴い、感情や血液や脳ミソに火が灯る。

 放課後という、開放された世界もあいまってか――ポモドーロ(あだ名)高校二年生は、誰を気にすることも無く涙を流していた。

 

 失恋を観たはずなのに、めちゃくちゃ悲しいはずなのに、どうして心地良く泣けるんだろう。

 たぶん、こうした恋の形も、好きだからなのだろう。自己陶酔にも程があるが、感情移入をして何が悪い。

 声が漏れる、うつむく。

 ――今、何時だっけ。

 腕時計を見てみると、もう午後四時だった。まだ春先だから、そろそろ暗くなってきている。

 少し泣いてから、公園を出ようか。そうしようと、ポモドーロが決めて、

 

「おい」

 

 声がした。

 

「おい、そこのお前」

 

 お前、とは誰だろう。さ迷うように、公園全体を見渡し、

 ポモドーロのすぐ近くに、女性がいた。アンツィオ女子高の制服を、着用していた。

 ――現状を把握した瞬間、ポモドーロはうわやべえ恥ずかしい逃げようと思考した。だから、「何でもありません」とだけこぼして、女性から遠ざかろうとして、

 

「待てっ」

 

 腕を、しっかりと捕まれた。呼吸が止まるかと思った。

 

「どうしたんだ? なんで泣いていたんだ?」

 

 その質問に対して、黙秘するしかなかった。

 

「良かったら、私が相談に乗るぞ?」

 

 誠実な言葉に対し、ポモドーロの顔が真っ赤になっていく。

 

「だ、大丈夫、ですから」

「大丈夫なわけ、あるか。あれだけ泣いておいて」

「き、気にしなくてもいいですから」

「気にする」

 

 断言された。

 

「同じ、アンツィオ高の生徒だろう?」

 

 思わず振り向いてしまう。ツインテールが特徴的な女性は、あくまで鋭く真剣にポモドーロを凝視している。

 ――ふと、冷静になる。至近距離で顔を見たからだろうか。頭が「あ、この人は戦車道の」と呟いていた。

 

「……あ、えーと」

「ああ」

 

 頭を小さく振るう。詮索よりも、今は話すべきことを話さなければ。

 

「その、理由を聞いても、怒らないでください、ね?」

「誰が怒るか。そこまで、本気で泣いておいて」

 

 音もなく呼吸する。確かに、感情のままに涙を流していたのは事実だ。それは間違いない。

 ――だが、それが、

 

「これ」

「? ん、本、か?」

「本、です。小説、恋愛小説」

「れっ、」

「この恋愛小説、失恋モノなんです。で、結末に思わず大泣きして……」

 

 それが、現実に基づいているとは限らない。

 ――全体的に騒がしいアンツィオ高校学園艦の中で、珍しくも静かな場所がここ、森林公園だ。学生の間では、「憩いの場」と呼ばれている。

 風が吹かない、だから人工林は何も語らない。先ほどまで腰かけていたベンチが、何か手助けしてくれるわけでもない。案内板があったが、この場の切り抜け方など書かれているはずもない。少し進むと石碑とご対面するが、大抵は「なんとかなる」としか刻まれていない。

 どうにもならなかった、もうどうにでもなれだった。

 

「……それ」

 

 幽霊のような手つきで、自分が指さされた。もっと正確にいうならば、「それ」こと失恋小説に注目していた。

 

「それは」

「あ? ああ、これ……その」

 

 観念するように、水色の本を掲げてみせた。表紙には、「凡人物語」と書かれてある。

 女性の目が、口が、ぽかんと開いた。本を指さしたままで、停まっていた。

 ――終わった。

 このまま怒られるのだろうか、それとも無言で立ち去られるのかもしれない。どちらかといえば後者がいいなあと、唇を噛み締め、

 

「なあ」

 

 明確に声をかけられた。もう死ぬ。

 女性は、二度、三度ほどまばたきをして、怒声まで三、二、一、

 

「これ、私も読んだぞ!」

 

 ――大声だったもので、理解が追い付かなかった。

 

「そうかー、そうかそうか、これ読んだのか」

 

 先ほどまで掴まれていた腕が、ぱしゃりと離される。

 女性は両腕を組み、「そうかそうか」と納得したように頷いている。

 

「それは、泣いてしまうのも仕方がないな。いや、悪かった」

 

 女性が――安斎千代美、「アンチョビ」が、アンツィオ女子高等学校の有名人が、心底気まずそうに苦笑する。ポモドーロも、「あ、あはは」と流されるしかなかった。

 今更、風が吹く。人工林が、静かに音を鳴らし始めた。

 

 今日もやっぱり、アンツィオはアンツィオだった。

 

―――

 

「いやな」

 

 改めてベンチに座り直し、アンチョビも女の子らしい動作でポモドーロの隣に腰かける。高校二年生の野郎からすれば眼福であり、緊張したが、なけなしの平常心で堪える。

 

「ここに来るのは、今日が初めてだったんだ」

「へー」

 

 アンチョビが、ゆったりと見上げる。

 

「まあ、あれだな。気分転換がしたかったのと、三年も在校しておいて『ここ立ち寄ったことないな』と思ったからなんだ。ない? そういう感覚」

「ありますあります。意外と、近所のことって知らないっすよね」

「だよな?」

 

 同意が得られて嬉しかったのか、アンチョビの口元が釣り上がる。

 見られるもの全てが新鮮なのか、人工林から垣間見える空を、ただじいっと眺めていた。

 

「これでも学園艦のことは知っているつもりだったが、森はノーチェックだった。迷ったらおっかないしなー」

「分かります。まあ、ここは森林公園なんで、道はありますけどね」

「そうなんだよなー。あー、なんで気づかなかったんだろ」

 

 改めて、アンチョビが首を下ろす。視線が、ポモドーロと合う。

 

「お前は、よくここに来るのか?」

「そうっすね。自然の中で恋愛小説読むのって、こう、サイコーで」

「ほう」

「外で読書するの、好きなんですよ。特に放課後は」

「なるほど……良い趣味じゃないか」

 

 女の子から、それもアンチョビから褒められて、ポモドーロはみっともなく破顔する。

 アンチョビは「あ」と声を漏らし、

 

「そういえばさっきのあれ、凡人物語」

「ああ、言ってましたね」

「お前、もしかして恋愛小説、好きなのか?」

「んー」

 

 はっきり言うべきか、誤魔化すべきか。たったの数秒程度葛藤しつつ、

 

「好きですね」

「お、そうなのか!」

 

 食いついてきた。正解を引いたらしい。

 

「いや実は、私も恋愛小説が好きなんだ」

「いいじゃないっすか」

「分かってくれるか。いやー、なかなか同好の士が見つからなくてなー」

「あー、分かります分かります。ウチは男子校だから、恋愛小説読んでますっていうのハズくて」

 

 恋愛小説は、世間的には認められたジャンルではある。だが、「男子校」で「男」が「恋愛小説」を読んでいます、というのは思春期的にめちゃくちゃ恥ずかしい。

 しかも、ここがアンツィオ高校学園艦なのもまずかった。他校からは「ノリとメシとナンパの本場」と評されているほど、ここはとにかくナンパが多発する。そのくせ、事件が起こったりはしない。

 つまるところ、恋愛に関しては「実行派」が多いのだ。そんな集団の中で、「俺は恋愛小説読んでます」なんて口が裂けても言えやしない。これでも、アンツィオ野郎なのだ。

 ましてや、恋愛小説とは「女性のもの」というイメージが強いのに。

 

 ――そんなフクザツな事情があって、ポモドーロは森林公園という安全地帯にまで逃げ込み、今日この日まで一人で読書会を開催していたのだ。

 今日、この日までは。

 

「なるほど……私も正直、中々言い出せなくて」

「そうなんすか。女子校なら、案外受け入れられると思ってましたけど」

「いやー」

 

 アンチョビが、右手でツインテールをいじくる。

 

「ほら、アンツィオってノリがいいだろ? 凄く明るいだろ?」

「ですね」

「しかもここ、ナンパが多いだろ? それに乗っかる子も多くて。……そんな中で、恋愛小説読んでますっていうのは、ちょっと恥ずかしくて」

 

 ポモドーロが、分かったように「あー」と口を開ける。

 

「なるほど。どこも、同じみたいっすね」

「みたいだな」

 

 分かり合えた気がして、ポモドーロは初めて笑えた。アンチョビも、共感するように微笑した。

 

「なあ」

「はい?」

「良かったら、恋愛小説仲間になってくれないか? ……語り合いたいことが沢山あってなー」

「あ、いいっすよいいっすよ」

 

 快諾するのに、コンマも要さなかった。

 アンチョビが、これまた分かりやすく笑顔になった。

 

「そうかそうか、ありがとう! いやー、気分転換はしてみるもんだな」

「大変そうですもんね、ドゥーチェ」

 

 アンチョビが、「へ」と目を丸くする。

 

「安斎先輩……あだ名はアンチョビ。あなたは、ウチでも有名人扱いっすよ――衰退していたアンツィオ戦車道を立て直した功績者で、しかも凄い美人っていう認識をされてます」

「ええ、ホントか?」

「ホント」

 

 アンチョビが、視線を逸らしながら「そっかー……」と声を漏らす。頬が随分と赤い、口元なんか「~」と歪んでいる。

 

「じゃあ、なんでナンパされないんだろうなー……」

「有名人だからじゃないっすか?」

 

 アンチョビが「そんなもんか?」と不満げに口にし、ポモドーロが「そんなもんすよ」と知った風に口にする。

 多少の間、両者からは「まあいいか」という空気が生じ、

 

「そういえば」

「はい?」

 

 アンチョビは、明快に口元を曲げる。アンツィオではよく見られる、アンツィオらしい表情。

 

「お前の名前、聞いてなかったな。聞かせてくれ」

 

 ポモドーロは、頭の中で「そういえば名乗ってなかったな」と納得し、

 

「本名は赤石、あだ名はポモドーロって呼ばれてました。アンツィオ高校二年生、趣味は恋愛小説、ナンパはしたことないっす」

「そうか」

 

 そうして、アンチョビが何の躊躇いも無く手を差し出してきた。

 ――ポモドーロは、納得した。

 

「これからよろしくお願いします、先輩」

「ああ、こちらこそ」

 

 アンチョビの手と、ポモドーロの手が、間違いなく握りしめ合う。

 ポモドーロは、納得した。

 

 どうしてこの人が、総帥と呼ばれているのかを。

 

―――

 

「ところで」

 

 昨日という日までは一人読書会を、今日という日から二人きりの読書会が始まった。勿論、誰にも口外はしていない。

 この瞬間が訪れるまで、どれほど待ち望んだことか――それまでは欠伸を漏らして登校して、教師と目が合わないように授業を受けて、昼になれば屋台を巡って「おいポモドーロ、食ってけ」と友人相手に誘われ「しゃあねえなあ」とパスタをやっつけて、珍しくも何ともないナンパを目撃して、周囲から「やるねー」と囃し立てられて、午後の授業ではみんな死にそうになっていて、教師が眠気の脱落者に対して「お前、これ答えてみろ」と当てて、脱落者が瞬間的に蘇生して「はい! ……調査中です」とコメントして、生徒からは笑われ教師が呆れ果てた。

 特に何の事件も無く、変わったこともなく、そのまま平和的に読書会が開催された。良いことである。

 

「はい? 何すか?」

 

 良い気分のまま、良い表情でアンチョビに応える。アンチョビが、「命の富」という失恋小説を掲げながら、

 

「お前って、失恋小説は『どの』ペースで読む?」

「あー、そうっすね……」

 

 そうだなあと、顎に手を当てる。

 

「凄く甘いヤツを読み終えた時とか、純愛モノを三冊読了した後……っすかね」

「あー、やっぱり間を開けるんだな」

 

 頷く。

 失恋小説というのは、読み終えてみると思った以上にダメージが大きい。だからこそ印象に残るし、余韻にだって浸れる。かといって連続的に失恋小説を読めるほど、強靭なタマ持ちでもない。

 それ故に、適当にペースを開けつつ、「よし読むか」的な感覚で失恋小説に手を出すことが多い。

 

「俺、すぐ泣いちゃうんですよね。だから、悲しいことだらけってのはちょっと」

「あー、わかるわかる。私も、感情移入しまくるからなぁ」

「へえ。泣くんですか」

「泣いちゃうんだよ」

 

 アンチョビの勇ましさは、噂を通して知っているつもりだ。いつも高らかに笑っていて、堂々と背筋を伸ばして、アンツィオ戦車道を強くしようと躍起になっている――そんなアンチョビでも、だからこそ、物語には感情移入してしまうらしい。

 なんとなく、知れて得したなと、ポモドーロは思う。

 

「誰にも言うなよ」

「もちろん。先輩もお願いしますね」

「もちろん」

 

 アンチョビが、歯を見せてにっかりと笑う。

 

「……しかし、しかしだ。苦しいはずなのに、どうして失恋小説を読みたくなるんだろうなあ」

「反動じゃないっすか? 甘いものばかり読んでいると、気分転換したくなりません?」

「あー、やっぱりそれか。バッドエンディングを見たくなる時期ってあるもんなー」

「あるっすよねー」

 

 ポモドーロが、恋愛小説のページをめくる。今読んでいるのは、映画化もされた「戦車の上で躍りましょう」という恋愛小説だ。

 

「何かおすすめの失恋小説、ないかな?」

「んー、定番の『世界の全部が嫌いな大人の物語』は?」

「読んだ」

「じゃあ、『ゼラニウムの姫』は」

「死んだ」

「では、少しマイナーな『流れ星』は」

「……思い出して、泣きそう」

「いやー、ホントに恋愛小説好きなんすね」

 

 暗い表情から一変、アンチョビは「まあな」と微笑する。

 これから先も、心を傷つけられて哀しんだり、納得はしつつも涙を流したり、大喜びして笑っちゃうのだろう。これから先も、そんな風に恋愛小説を読み続けていくのだろう。

 アンチョビは、ポモドーロの目を見て笑っていた。ふっと気が抜けて、安心して、身軽になって、何となく、

 

「先輩は、どうして恋愛小説を読み始めたんですか?」

 

 何となく、そんな質問を投げかけてしまった。

 アンチョビが「え」の一言で、手も足も止まる。目も口も丸くしたままで停まる。

 

「あ……何か、まずかったっすか?」

「あ、いやいや、そんなことはない。ないんだが……」

 

 アンチョビが、口に手を当てる。ポモドーロから目を逸らして、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、瞳が揺れていて、

 どきりとした。なんて可愛い顔をするんだろう、と思った。

 

「話すから、秘密にしておいてくれないか? いや、子供の頃だから、何か恥ずかしくてなー」

「あー、分かります分かります。その頃の事を口にするのって、テレが出ますよね」

 

 アンチョビが、「だよなー」と気楽そうに応える。

 これくらい背が伸びると、良くも悪くも「カッコつけ」の意識が芽生える。それ故に、未熟な頃の話をするのに、少しばかりの恥が生じるのだ。

 

「ああ、無理にとは言いません。忘れても、」

「いや、話す。話したい」

 

 アンチョビと、視線が合った。

 アンチョビが、視線を合わせた。

 

「初めて、同好の士と会えたからな。……こういうぶっちゃけた語り合いに、憧れてたんだ」

 

 たぶん、アンチョビは今までも幸せだったのだと思う。戦車隊の皆から親しまれ、戦車隊の皆を導いて、ドゥーチェと称えられて、毎日が楽しかったに違いない。

 けれど、アンチョビはもっと幸せになれるのだと思う。自分にとって絶対に外せない趣味を、生き甲斐を、楽しみを、これから語り合えるのだから。

 ――それに応えないで、何がアンツィオの男だ。

 

「先輩」

「うん?」

「俺も、恋愛小説を読み始めたきっかけを語るっす。まあ、先輩と比べたらカンタンなものですけど」

 

 アンチョビが、口を開けたままで沈黙する。カッコつけたは良いが、滑ってないかコレと今更になって思考する。

 

「……そうか」

 

 風が吹く。

 

「いいこと言うな、お前。モテるだろ?」

 

 人工林が揺れる、アンチョビが笑う。

 

「モテたら、今頃はここにいないっすよ」

「そうか、そうだな」

 

 アンチョビが、安堵したように両肩で呼吸する。

 ポモドーロから視線を外し、ふっと斜め上に首を傾けた。

 

「――小学六年の頃、だな。その時は結構真面目に生きてて、勉強ばっかりしてたんだ」

「へえ」

「戦車道にも興味が無くて、とりあえずは『真面目に勉強して真面目に頑張って、いいお嫁さんになる』ぐらいしか考えてなかったよ」

「わ、かわいい」

 

 アンチョビが、「可愛い言うな」と抗議する。すみませんと、ポモドーロが逃げた。

 

「宿題も済ませて、さてどうするかなーとヒマしてた時に――弟がな、スペシャルドラマ番組を見てたんだ。『戦車恋道』というタイトルなんだが、知ってるか?」

 

 首を横に振るう。ドラマには疎い。

 

「いわゆる弱小校救済モノでな。戦車道が好きで好きでしょうがなかった主人公……この場合はヒロインになるのかな? まあいいや。そいつがな、たるみきった戦車道履修者を変えようと奮闘するんだ」

 

 想像する。

 

「その主人公は、もう笑っちゃうほど強くてな。妥協しないし、精神力は強靭だし、戦車乗りとしても一流だし、弱音は吐かないし……これで高校一年生だぞ?」

 

 想像する。

 その主人公のヘアスタイルは、間違いなく黒髪のロングだ。目はナイフのように鋭くて、寡黙で、そのくせ声がデカい。恋愛小説好きとして、「絶対こうだろ」と心の中で断言した。

 

「一年のくせに強くて、しかも厳しく振る舞うから、最初は履修者たちに反発を食らっていたんだ。……だが、主人公は決して見捨てはしなかった」

 

 アンチョビの表情が、明るくなっていく。アンチョビが今視ているものは、きっとスペシャルドラマの映像なのだろう。

 

「履修者全員の名前はもちろん、良いところ、悪いところも全部把握していた。それを一人ずつに公言した時、履修者の表情が変わっていったんだ――そこから、弱小校の戦車道は進展を迎えていく」

 

 そこで、アンチョビが両肩をすくめる。嬉しそうに、寂しそうに、苦笑する。

 

「履修者のみんなが、心配そうに『あの人、鉄そのものだよね。趣味とかないのかな』とか言い始めるんだ。――趣味というか、安らぎは、主人公の幼馴染が――正確に言えば、幼馴染のお父さんが経営する喫茶店へ寄ることだったんだな」

「ほう!」

「それがもう可愛くてなー。幼馴染に対して、『あいつら、根性を見せてきて嬉しいよ』とか『キミコの奴、彼氏に電話ばかり……羨ましい』とか言うんだぞ。今まで、軍人高校生だった主人公が、だぞ?」

 

 うわ―――かわいい―――。

 みっともなく声が漏れる、感想が口から出る。アンチョビがこちらに目を合わせ、そうだろうそうだろうと笑い、

 

「そして、高校戦車道全国大会が近づく。主人公はあくまで冷徹に、しかし的確に導いていくんだ」

 

 そこで、アンチョビが「でもな」と一声つける。

 

「緊張、していたんだな。でも、絶対に弱音なんかは吐かなかった、みんな主人公を信頼していたから」

「……ああ」

「そう。弱音や本音、『勝てるのかな』という言葉は、全て幼馴染が受け止めていた。――そして、幼馴染は言うんだよ」

 

 縋るように、アンチョビの目を見る。

 

「『君が復活させた戦車道は、絶対に強い。だって、君がずっと見守ってきたから』と……あ、まずい、泣きそう」

 

 感情が過去に遡っているのだろう、鮮明に思い出したのだろう。アンチョビが、手のひらで両目を覆い隠す。

 

「だ、大丈夫っすか?」

「あ゛あ、語らせてくれ。――それでな、結局は大会に負けてしまうんだ」

 

 アンチョビが鼻をすする。

 ――その言葉を聞いて、一瞬だけ錯覚した。アンチョビが負けたのだと、錯覚してしまった。

 

「でも、履修者のみんなが、一年と二年と三年が、『あなたのお陰で、戦車道を歩めました!』って頭を下げるんだ……まず、私はここで半泣きした」

 

 現在のアンチョビも、瞳が水のように揺れ動いている。

 ――スペシャルドラマ、見たかったな。

 

「そこで、そこで、なっ、主人公が、」

 

 スペシャルドラマ、見ておけば良かった。

 心の底から思う。

 

「主人公が、敬語でなっ、『この一年、凄く楽しかったです。本当に、ありがとうございました』って、言うんだよ。初めてここで、敬語でなっ」

 

 戦車恋道は、間違いなくアンチョビの人生を変えたのだろう。大事な台詞をここまで熱演し、熱演に伴って涙目になって、涙目のままスペシャルドラマの素晴らしさを語っている。

 戦車恋道を見たわけではないから、ポモドーロは涙を流すことが出来ない。だからこそ、恋愛小説で鍛えられた想像力を以てして、自分なりに映像を構築していく。

 

「……まあ、ここまではな。まだ、まだ耐えられたんだ」

「え」

 

 アンチョビが、震えた声で深呼吸する。

 予感する。

 次に出てくるのは、もしかして――

 

「最後に、喫茶店へ寄るんだよ。幼馴染とそこで会ってな、幼馴染が主人公のことを称賛するんだ」

 

 アンチョビの語りが途切れる、ひと呼吸する。ここから先は真剣勝負だとばかりに、アンチョビの目つきが鋭くなる。

 

「それでな、主人公がこれまでのことを語るんだ。悪口から罵倒まで、そして称賛を投げかけて――」

 

 ポモドーロの隣に座っているアンチョビが、ポモドーロの目を見つめながら、

 

「なんで、あいつらが負けたんだろうって。なんで、誰よりも強くて輝いているあいつらが負けるんだろうって。めっちゃ、め゛っちゃ泣くんだよ……」

 

 アンチョビは、ずっとずっとドラマのことを忘れないのだろう。この先も、ドラマのことを思い出すたびに火が入るのだろう。

 恋愛小説好きらしい、と思った。間違いなく、同好の士だと思考した。

 

「それで、幼馴染が、主人公を抱きしめて……大好きだよって、言うんだよぉ……ッ」

 

 今初めて、アンチョビの涙を目の当たりにした。

 ――そうか。

 この瞬間から、恋愛のことが好きになったのだろう。

 

「……もうわんわん泣いちゃってな、弟は凄く困ってた。『大丈夫?』って背中をさすってくれたけど、しばらくは駄目だったなー」

 

 目をぬぐい、鼻をすすり、何も無かったように笑う。

 

「――それからだな、戦車道と恋愛に興味を持ったのは。恋愛ドラマも良いんだが、心理描写が書かれてある恋愛小説の方が、私には向いていた」

「なるほど」

 

 恋愛小説における心理描写とは、読者との共感が重要視されていることが多い。だからこそ「この人を応援しよう」と肩入れも出来るし、時には「頑張ったな」と、達成感にも似た喪失感を共有することも出来る。最後の文章を読んで、「自分は、幸せだ」と感極まっても良い。

 アンチョビはとてつもなく感情豊かだ。それこそ、語るだけで泣いてしまうほど。

 羨ましいな、と思う。ここまで、恋愛小説向きな人はそういないだろうから。

 

「……これで、私の話はおしまいだ。すまないな、泣いちゃって」

「いえいえ。そのドラマへの想い、伝わったっす」

「そうか」

 

 話し終えて、心底満足しきったのだろう。「ああ、話しちゃったなー」と、悔いがないように呟いていた。

 ――さて。

 

「じゃあ、次は俺っすか」

「そうなるな」

 

 アンチョビの目が、小動物のように光り出す。それを見て、ポモドーロは困ったように唸る。

 何せ、ありきたり過ぎるエピソードで恋愛小説に興味を抱いたのだ。こうなれば先に語っておけば良かったかなあと後悔する、アンチョビが顔で「はやくはやく」と急かす。

 

「……普通過ぎる理由なんすけどね」

「うんうん」

 

 ポモドーロが、観念するように語り始める。

 アンチョビは、じいっと耳を傾けていた。

 

 

「それじゃあ、機会があったらまた会おう。ばいばい」

「さようなら、先輩」

 

―――

 

 「よし、赤石。アンツィオ高校学園艦の創設者の名前を答えてみろ、フルネームじゃなくてもいい」

 

 教師から死刑判決を受けながら、「あれ、何処かで聞いたことある」と思考する。

 ノリが良く、明快なアンツィオ高校だろうと、間違いなく勉強はするしテストだって行う。こうして、教師からお呼ばれされることも珍しくはない。

 ポモドーロが深刻な表情になる、皆が「答えられるんかなコイツ」な目をする。男の教師は、答えを聞くまでポモドーロから目を離さない。

 ポモドーロは模範的なアンツィオ高生徒だから、基本的には勉強しなかったり、宿題を出されても「後でいいや」と考えつつ後日泣いたりする。運動はそこそこ、将来は百年後と、実に実に模範的なアンツィオ高生徒だった。

 ――そんなポモドーロのことを、教師はよく知っている。なぜならば、教師はアンツィオ高校の「先輩」なのだから。

 それ故に、「これは流石に答えられるだろう」と信じてご指名したのだ。

 

「先生」

 

 この四文字を口にするのに、実に八秒もの時間がかかってしまった。正解ならそれでいい、不正解でもそれはそれで。

 

「なんだ」

「――調査中です」

 

 最悪な返答を言葉にするのに、実に八秒もの覚悟を用いた。

 教師は、両肩で深呼吸する。

 

「なるべく明日にまで済ませておけ」

 

 教師がため息をつく、クラスメートが「健闘を祈る」と茶化す。特に不機嫌になることもなく、ポモドーロは「うるせー」と毒づいた。

 恥かいた、まあいいや。

 

 今日も、ポモドーロは健全な男子生徒として息をしている。

 

―――

 

「マリオ・ポーロだろ」

 

 おすすめの恋愛小説を教え合い、好きな文章を語り合って、ふと「今日、センセーからご指名受けまして。分かります? 学園艦の創設者の名前」と質問してみて、見事瞬殺された。

 八秒もの苦労が、水の泡と化した瞬間である。

 

「す、すげえ」

「いや凄くないだろ、基本だろこれ。横文字だから覚えやすいし」

 

 そういうものなのだろうかと、ポモドーロは顎に手を当てる。日本語でもカタカナでも、分からないものはわからない。

 

「あーでも、実在の人物の名前と、登場人物の名前って、覚えられるのに差がつくよなあ」

「そっすよね?」

 

 共感出来るものだから、ポモドーロの目が、表情が明るくなる。そこでアンチョビが「でもな、」と言葉を挟み、

 

「恋愛小説は素晴らしい、それは私も思う。けど、勉強もした方がいいぞ」

「あー、やっぱりそうなんすかねえ」

「そうだぞ。勉強出来ると、人から信頼されやすくなるからな」

 

 へえと、考えなしにポモドーロは返事する。

 

「先輩は、成績はどれくらいで」

「うーん、まあ、戦車隊隊長を務められるぐらいには」

 

 戦車隊隊長と聞いて、考えなしの頭の中で「あ、そういえば」と閃く。

 

「具体的には?」

「……まあ、自画自賛になるけど、中の上。隊長って頭を酷使するから、これぐらいはな」

「……すげえ」

「いやいや」

「いやいや。前から思ってたんすけど、先輩って天才っすよね」

「そうか?」

 

 閃きが、頭から口めがけ走る。

 

「だって先輩、戦車道の特待生じゃないっすか」

 

 何てことはない、アンツィオ戦車道公式ウェブサイトで簡単に確認出来る情報だ。特待生ということで、沢山の画像が、これまでの経歴が暑苦しく書かれてある。

 公式サイトによると、アンチョビは、戦車道界隈ではかなりの有名人らしい。真面目で、知恵者で、冷徹で、「中学生なのに」、指揮能力がずば抜けて高かったから、だそうだ。

 アンチョビが通っていた中学校は、「それなりの」戦車道が築かれていたようで、勝つも負けるも「まあいいや」だったとか。戦車道を始めた動機も、「派手だから」とか「モテたいから」とか、いたって「普通」揃いだった。

 

 その普通さを、中学二年になったアンチョビが真面目に正してしまったらしい。主に無表情で。

 一年で「流れのコツ」を掴んだようで、二年になればすぐに台頭したとか――先輩相手でも意見をまかり通し、履修者の名前を呼んでは良い点悪い点をしっかりと指摘しつつ、最後には称賛する――このスタイルが徐々に力となっていって、最終的には中学戦車道全国大会で初優勝、全員から胴上げされたようだ。

 それは中学三年でも変わらなかったようで、「鋼鉄の安斎」に憧れて戦車道を歩み始める一年も数多くいたとか。今となっては、その中学は強豪校としてぶいぶい言わせているらしい。

 ――優勝の際、アンチョビは無表情でインタビューを受けた。内容は『どうして、戦車道を正したのですか?』というものだ。それに対し、アンチョビはただ一言。

 

『戦車道が、大好きだからです』

 

 ――そうして、アンツィオ高校学園艦から「ウチに来て、アンツィオ戦車道を復活させてくれ」と懇願され、今に至る。

 

 

 アンチョビが、「ああ」と声を出す。「そうだったっけ」と笑う。

 

「……気付けばもう、三年か」

 

 アンチョビが、音を立てて本を閉じる。ベンチに背中を預ける。

 

「よく、ここまで育ってくれたなあ、あいつら……」

 

 あいつらと聞いて、ポモドーロが「ああ」と声を出す。

 

「アンツィオ戦車道履修者の皆、っすか?」

「そう。最初はホント大変だったんだからな、戦車は無いしあいつらマイペースだし何だしで」

 

 そう愚痴るアンチョビは、何処か楽しげに口元を曲げる。

 遠い過去の事――ではない。戦力は相変わらずギリギリらしいし、気分によってはめちゃくちゃ強かったり、しこたま弱くなったり、よくメシを食ったりと、根は変わってはいないらしかった。

 が、

 

「でも、何だかんだでみんな頑張ってるっすよね。先輩のこと、称えてますし」

「ああ。友達に、なったからな」

 

 意外な言葉の登場に、ポモドーロは目を丸くする。

 

「中学時代は、まあ……『隊員』らしく付き合ったのさ、友達とかじゃなくてな。私も隊長らしく振る舞えるよう、勉強したり気合を入れたり、気分転換に恋愛小説を読んだりして持ちこたえた」

 

 ぼうっとした目つきで、人工林の何処かを見つめている。もしかしたら、それすらも見据えていないのかもしれない。

 

「何だかんだで、あそこは『普通』だったから、それでも通じた。――問題はこっち、何せ心底ノリノリな学校だし」

 

 喋り、唇が乾燥したのだろうか。アンチョビが、ぺろりと舌をなめた。

 

「戦車道履修者といったら、最初は五人くらいしかいなかったよ。その五人も、派手で刺激的でノれそうだから、受けてみたとさ――で、最初はいつも通りのスタイルで練習した」

「いつも通りっていうと」

「ほら、大真面目な、メタルな感じ」

 

 ああ。

 昔のアンチョビは、「鋼鉄の安斎」と呼ばれるほどのクールな人物だったようだ。経歴ページを眺めてみても、大抵は無表情のアンチョビの画像と目が合う。

 笑った顔なんて、初優勝を果たして胴上げされている画像でしか見られない。

 

「――で、なかなか上手くいかなかった。どうして私の言うことを聞いてくれないんだ、なんでここまで陽気なんだって。一年はずーっと悩みっぱなし」

 

 だろうなと思う。真面目とアンツィオが両立するなんて、それこそ学園艦が沈みでもしない限り成立すらしないだろう。

 いや、沈む瞬間すら「泳げば平気だって」とか抜かすかもしれない。容易に想像がつく。

 ――アンチョビが、感慨深そうに鼻息を漏らす。

 

「二年になって、練習試合に負けて、その時はもう苛立ちが全盛期だったよ。特待生っていう焦りもあったし、前は上手くいったのに何で? っていうギャップもありありだったし。こんな安請け合い、するんじゃなかったって思ってた」

 

 あくまで笑ったまま、樹木を見つめたまま、

 

「昼休みになって、忌々しげに屋台を巡ってた。なんでこいつら楽しそうなんだって、舌打ちしてたらさ、」

 

 アンチョビが両目をつぶる。

 きれいだ、と思った。

 

「ペパロニが――私の副官で、友達な。そいつが、『これを食べて、元気出すっすよ』って、にゅっとナポリタンをくれたんだ」

 

 アンチョビが、嬉しそうに目頭を細くする。

 ペパロニという人物についても、公式サイトでチェック済みだ。公式サイトには戦車道履修者の集合画像が張り付けられており、真ん中にはアンチョビが、左には親指を立てたペパロニが、右には微笑むカルパッチョ(副官なので覚えた)が、周囲には私が私がと笑顔になっている履修者が映っている。

 

「横から出されたものだから、最初は驚いたよ。でもまあ食ってみると、これがもう最高に美味くてなあ……ペパロニは、『落ち込んだら、遊ぶか食うか寝るに限るっす!』とかなんとか言って。まあ、次第に友達関係になっていったんだ」

「ほう……」

「それで、とんとん拍子にペパロニも『アンチョビ先輩が戦車道履修者なら、私も入るっす!』とかノリで決めちゃって、ペパロニの友人であるカルパッチョ――この子も副官で友達な? が、『では私も』とついてきて、」

 

 アンチョビが、両腕を頭の後ろに回す。少年のように、おどけるように口元を曲げ、

 

「――なんだろな、身が軽くなった気がしたんだ。授業中でも、そうじゃない時でも、隣に誰かがいてくれる。いいじゃないか、こういうの」

「分かるっす。独りぼっちは、耐えられません」

 

 恋愛小説が好きで、程ほどに明るくて、それしかないポモドーロからすれば、アンツィオ高校学園艦は「居場所」そのものだ。

 スポーツにもあまり興味が無かったから、体育会系のノリで友情が結ばれる期待も抱けない。かといって勉強も人並みに嫌いだったから、人を引き寄せる何かを身に着けることも出来なかった。

 そんなポモドーロが無事平穏に青春を送れているのも、アンツィオ特有の「皆で仲良くなりゃ楽しい」に救われたからだ。いつの間にか、友達だって出来た。

 

「で、ペパロニの顔を見たり、カルパッチョの言葉を聞いているとな、こう、考えが変わっていった。前のノリが通用しないなら、アンツィオのノリで生きてみればいいじゃんって」

「お」

 

 ポモドーロが、嬉しそうに口元を緩ませる。アンチョビが、「ここへ」やってくるからだ。

 

「――その結果、みんなついてきてくれたよ。がははと笑って、一緒にメシ食って、友達になろうと手をとって、それを繰り返していたら四十名以上の仲間が出来ていた」

「良かったじゃないですか、流石先輩」

「ああ、良かった――が」

 

 アンチョビが両腕を組み、はっきりとポモドーロを睨みつける。シリアスな表情を目の当たりにして、ポモドーロは声を失った。

 

「何だかんだいって、私に隊長としての『説得力』があったからこそ、みんなついてきてくれたんだ」

「……つまり?」

 

 アンチョビが、よくぞ聞いてくれましたとばかりに笑顔になる。

 

「ちゃんと勉強してたから、隊長として自然と振る舞えたってことだな」

 

 ああ、結局はそこに行きつくのか。

 辛いなあと、手のひらを額に当てる。なんて心優しい先輩なのだと、頭を悩ませる。

 

「いきなり難しいことは言わん。だが、学園艦の創設者の名前くらいは覚えておくように」

「へい」

「勉強すれば、お前の人生はより良いものになる。これは間違いない」

「……先輩を見てると、信じざるを得ませんね」

 

 ふふんと、アンチョビが自信満々に笑う。参りましたとばかりに、ポモドーロはうなだれた。

 ついでに、腕時計を見る。午後五時くらい。

 良い子は、そろそろ帰る時間だ。

 

「――今日は、いい話が聞けて良かったっす。また、色んな話を聞かせてください」

「ん、そうか。なんだかすまないな、長くなってしまった」

 

 とんでもないと、ポモドーロは首を横に振るう。

 

「愚痴とか、そういうのも、俺なんかで良ければ聞きますよ」

「ええ? そこまでしなくても良いんだぞ?」

「何言ってるんすか」

 

 恋愛小説を、桃色の表紙をしたそれを、アンチョビに見せつける。タイトルは「明恋」という。

 

「俺達、仲間じゃないっすか」

 

 少しの硬直と、ひと時のまばたきと、多少の間を置いて、

 

「そっか」

 

 アンチョビは、安堵したように笑った。

 

 

「ところで」

「うん?」

「中学時代の先輩のキャラ、ドラマの影響でしょ?」

「バレたか」

 

―――

 

「いつも聞いてくれてありがとな」

 

 恋愛小説を片手に、アンチョビが小さく頭を下げる。ポモドーロも、恋愛小説を右手に「いえいえ」と力なく笑う。

 ここ最近は、ほぼ毎日といってもいいくらいにアンチョビと読書会を開いている。最初は読み終えた恋愛小説についてとか、途中まで目を通した恋愛小説に関しての評価、これから買う予定の恋愛小説、映画化された恋愛小説についてなど、まずは恋愛小説をきっかけに交流することが多い。

 そうして会話に慣れが生じた頃は、アンチョビの現状がよく語られる。毎回「お前は何かなかったか?」と聞かれるのだが、帰宅部で、明快で、何の責任も背負っていないポモドーロは「いえ、今日も気楽に生きてましたっす」と、よく返答する。

 

 そんなポモドーロに対し、アンチョビの「現状」とは昨日も今日も明日もまるで違う。大抵は戦車道に繋がるのだが、「今日の指示はうまくいった」とか「今日はてんでバラバラだった。あの子らは悪くないんだけどなあ」とか「ペパロニが……」とか「時々、隊長の身分が重く感じるよ……あっ、これは秘密だぞ?」とか、間違ってでも口外してはいけない本音を口にすることが多い。

 それに対し、ポモドーロは「言いませんよ」とか「先輩、無理をしないで。寝れば解決するっすよ」とか、そんな気休めを言うことが多い。戦車道については疎いが、戦車道とは人の手で動かされるものだ。不機嫌になれば遊べばいい、疲れたら寝ればいい――そんなふうに、ポモドーロは考えている。

 

「ほんと、愚痴ばっかりで悪い」

「いえいえ。俺は、戦車道とは関係ありませんから。どしどし相談してください」

「……そうだな。思うと、友達のほとんどが履修者だったから、こういうことはあまり言えなかったんだっけ」

 

 改めて、男に生まれて良かったと思う。どうしても戦車には乗れないし、快くアンチョビの相談にも乗れる――美人だし。

 戦車道に縁がないというだけで、心境的にはあれこれと言えたりするのだろう。一生無関係だからこそ、チクったところで得はしないし、逆にアンチョビに嫌われるだけで終わる。

 ――それだけは嫌だった。

 

「しかし、今日はホントにお疲れモードっすね」

「ああ。大会もあと数か月後だからな……内心焦りまくりだよ」

 

 春になって、ずっと春かと思っていたのに。

 アンチョビと顔を合わせ続けていたら、いつの間にか夏の兆しが訪れようとしていた。

 少しばかり、気温が高い。

 

「アンツィオだからしょうがないんだが、やっぱり結果にムラッけがなあ……どうしたら確実性が高まるかなあ……やっぱり戦力不足感も否めないしなあ……」

 

 アンチョビが頭を捻る。その中では幾多もの思案が、浮き上がった提案が、没になった作戦が、戦力だとか士気だとか地形だとかを考慮に入れた計算が、上機嫌と不機嫌のせめぎあいが、大会への緊張が、そういったものが一つの脳ミソの中で渦巻いているのだろう。

 ポモドーロでも、「大変だろうな」と察する。ポモドーロですら「すごいな、この人」と感じる。ポモドーロだからこそ「なんとかしてあげたい」と思考する。

 

 アンチョビの、真剣な横顔を目にする。

 この顔をしたアンチョビのことが、ポモドーロは好きだった。

 

「……あ、」

 

 そんな顔をしたアンチョビのことが好きだからこそ、「なんとかしてあげたい」からこそ、ポモドーロは声を捻り出す。

 

「あのっ」

「んー……うん? 何か用か?」

 

 思考の海から、アンチョビが戻ってくる。恋愛小説からポモドーロへ、視線を向ける。

 ――アンチョビと目が合った。アンチョビと、目が合ってしまった。

 

「え、えーと……その、結構深刻そうっすね」

「ん、そうか、そう見えたか……いやすまない、こんな空気にしてしまって」

「ああいや、いいっすいいっす。それだけ、真面目にアンツィオ戦車道の事を考えているんでしょうし」

 

 ポモドーロがへらへら笑う、アンチョビが「すまない」と頭を下げる。

 ――自分なんかに気を遣わなくていいのに、感情を発散してしまっても良いのに。この人、アンツィオで一番の真面目人なんじゃないだろうか。

 

「……その、」

「うん?」

 

 心底、心配するように、

 

「えっと、最近その、遊んでます?」

「あー」

 

 そういえばと、アンチョビが声を漏らす。

 

「遊んでないなあ。最近はほんと、学校からつかず離れずな気がしてきた」

「そっすか……」

 

 アンチョビが、疲労混じりの苦笑を漏らす。――そんなアンチョビの表情を目の当たりにして、ポモドーロの口が閉ざされた。

 同時に、闘志めいた決意が生じる。同時に、男気らしい気分が芽生える。

 

「――あの」

「ん?」

 

 アンチョビがまばたきする、ツインテールが揺れる。

 アンチョビは美人だ、間違いない。声だってよく通るし、性格だってアンツィオらしく明快で、かつ思慮深い。しかも、趣味繋がりで気が合っているとまできた。

 その上、アンチョビは「他では話せない」ことをポモドーロに漏らしてくれる。それも、己が弱さを――高校二年生ナンパ未体験野郎からすれば、それはあまりにも刺激的な特例だった。

 そんな特例を、毎日のように受けていれば。特例ならではの、アンチョビの様々な表情を目の当たりにしていれば、

 ――そんなの、

 

「あの……えっと! こ、今度の週末、空いてます?」

「え? ……空いてるかな?」

「――じゃあ」

 

 そんなの、

 

「今度、街に行って、一緒に恋愛小説のお買い物でもしないっすか?」

 

 そんなの、男なら惚れるに決まっていた。

 アンチョビを守りたくなるに、決まっていた。

 ポモドーロの、なけなしの知力を集めた結果がこれだった。

 

 アンチョビが固まる、人工林が風に揺れる。あまりにも静かすぎて、空気の音まで聞こえてきた。

 

「……本格的な気分転換、したほうがいいんじゃないかなーって。それにほら、無関係なことをしていると、大切な何かを閃くって……ありません?」

 

 その時、アンチョビが「おお」と声を出した。

 

「なるほど、いいなソレ。そうだな、今の私にはそれがいいのかもしれない。……そうだなあ、恋愛小説といえば通販ばっかりだった」

 

 うんうんと、アンチョビが頷く。それを見て、ポモドーロはほっとして、

 間髪入れず、アンチョビがポモドーロの手を取った。

 

「いいないいな! 仲間同士で、恋愛小説探しか……いいな、なんかいいな!」

 

 アンツィオ生徒は、良くも悪くもノリが良い。こうしたスキンシップは珍しくも何ともないし、初対面に対して肩を抱くこともある。

 だから、アンチョビは純粋にスキンシップを図っているのだろう。けれど、ポモドーロの頭の中は興奮一色でそれどころではなかった。

 

「そ、そっすか! 良かった、よかったー」

「ああ。そうだなー……たまには、戦車道を忘れるのも、いいな」

 

 そして、アンツィオ生徒はよく笑う。

 

「ありがとう。お前は、素晴らしい仲間だ」

 

 アンチョビも、よく笑う。

 ポモドーロは、怯んでいるんだか嬉しいんだかな調子で「いえいえ」と言うことしかできなかった。

 

 好きな人とデートが出来る――自分もようやく、アンツィオの男らしくなったのかもしれない。

 

―――

 

 休日なんて、あっという間に訪れた。

 デート前夜になって、嬉しさ半分緊張半分で「これ眠れんのかな大丈夫かな」と意識を張り切らせていたのもつかの間、気付けば夢の中でスキーをしながら当日を迎えた。

 なんでスキーしてたんだろうと思考しつつ、歯を磨き、顔を洗い、全力で私服をセレクトしつつ、朝飯をいただきますしてごちそうさまでした。後はデートの集合地点である、街中にあるトレヴィーノの泉前まで赴けば良かった。

 

 そんな普通を通り抜けて、ポモドーロは普通じゃない存在を目の当たりにした。

 真っ先に、「その人」に気づいたと思う。何故かといえば、その人がトレヴィーノの泉前一の美人だったからかもしれないし、只ならぬ魅力に惹き寄せられたからなのかも。或いは両方か。

 

 その人は、ポモドーロを目にしては、手を控えめに振った――最初は、気のせいかと思った。最初は、誰かと待ち合わせしてるのかな、と考えた。

 しかし、その人はポモドーロに近づいてきたのだ。赤いベレー帽と赤ふちの丸い眼鏡を何の違和感もなく組み合わせ、白いトップスに青のプリーツスカートを着こなしつつ、薬莢の首飾りを静かに揺らしている。髪型は、一つのおさげで見事にまとめていた――まず、ポモドーロの脳ミソは、「なんだこのモデルさんは」と思った。次に、「まさか俺じゃないよな」と、ある一種の危機感を覚えた。

 また一歩モデルさんが近づいてきて、「いやまさか」と予感して、モデルさんは鞄から本を取り出した。

 

 「30007日間」と書かれた、赤い本だった。

 恋愛小説だった。

 馬鹿でも分かるようなヒントを提示されて、ポモドーロは「あ」と口にして、ようやく現実を把握した。

 

「せ……先輩?」

 

 先輩――アンチョビは、にっかりと笑う。

 

「やっと気づいてくれたか。ふふ、どうだ?」

 

 プリーツスカートを左手でつまみ、おどけるようにウインクする。

 どうだもなにも、どうにかなりそうだった。

 

「せ、先輩……どうしたんです? イメチェン?」

 

 もうちょっと気の利いたことも言えないのかと、口にして後悔した。しかしアンチョビは、気にすることも無く、

 

「ああ。せっかくの休日だし、生まれ変わってみようかなーとか思って」

 

 着こなしてまだ慣れないのだろう。腕時計を見るように、己が腕をじろじろと眺めている。

 

「私なりのおしとやかスタイルにしてみたんだが……ど、どだ?」

「……さ、」

 

 今度こそ、気の利いたセリフを考え付く。後は勇気を振り絞るだけだ、言え。

 

「最高に似合ってます。モデルさん、みたいっす」

 

 その評価を耳にして、アンチョビの顔がみるみる赤く染まっていく。明るく笑い、喜ぶように拳を作って、

 

「そうか! いやあ良かったよかった、私服なんて二の次みたいな生活してたしなー」

「真面目っすね」

「いやー、お金の使い道というと、戦車道に食べ物に恋愛小説だったからな……久々に、服なんて買っちゃったよ」

 

 どきりとする。

 この日の為に、わざわざ買ってきてくれたという事実に。

 

「なんというか……いいな、うん。生まれ変わったみたいで、いいな」

 

 喜色満面の笑みを浮かばせながら、アンチョビがその場でくるりと回る。スカートが、嘘みたいに舞った。

 まばたきなんか、出来なかった。どんな有名人よりも、どんなモデルよりも、どんなアイドルよりも、どんな女性よりも、目の前で無邪気に笑っている(アンチョビ)しか、ポモドーロには見えない。

 

「え、ええ。俺も、そう思うっす」

 

 そして、アンチョビが不意に手を握りしめた。

 心臓が飛び出るかと思った。

 

「お前が、遊びに誘ってくれたお陰だ。ありがとう」

 

 アンチョビが、主張するように笑顔を浮かばせる。

 対してポモドーロは、表情はへらへらと、頭の中はくらくらしていた。

 嘘偽りなく、はっきりと、「あ、この人のこと好きだわ」と自覚した。

 

「あ、いえいえ。喜んでくれれば、何よりです」

「ああ。――さて、早速買い物でもするか?」

「そっすね」

 

 よし、決めた。

 今日は精一杯、アンチョビを楽しませよう。

 

 

 アンチョビが「街中なんて久々だなー」とコメントし、それを聞き逃さなかったポモドーロが「いい店、知ってますよ」と、堂々と宣言する。

 休日になると、大体は西洋風の街中へ出向いて恋愛小説を探し求めたり、少しはたいてイタ飯屋で昼食をとったりもする。後は気分転換にゲーセンとか、映画とか、パンテオンへ寄って意味もなく絶叫とか。

 建造物は数あれど、「本を買う場所」と「メシを食う場所」は把握している。なので、エスコートをする自信は一丁前にあるのだった。

 

「――でな、店員が、『お客様にぴったりですよ!』って服を薦めまくってくるんだ。何着も何着も! 怖いよそりゃ」

「先輩美人っすからね」

 

 アンチョビが「そおかあ?」と、恥ずかしげに苦笑する。しかしポモドーロは、何の遠慮も無く頷き、

 

「美人で、しかも賢い。そういうのって分かるもんすよ」

「そうかなあ……」

「そうそう。先輩はアンツィオの偉人っすから」

 

 アンチョビが、「おだてるな」と、ポモドーロの胸元を軽く叩く。ポモドーロは「あいて」と情けなく漏らした。

 

「偉人といってもな……やるべきことをやっただけだ。いや、正確に言えば、好きなことをしただけだ」

「好きなことでも、何かを成せば十分に偉いっす」

 

 好きでも嫌いでも、何らかの目的を達することは難しい。それはお気楽に呼吸しているポモドーロですら、分かり切っていることだった。

 アンチョビは、「そうか」と口元を曲げる。恥ずかしくなったのか、ずれてもいない眼鏡を中指で直した。

 

 今日は普通に晴れ、見上げれば洋風の建造物がずらりと顔見せする。全体的に赤色の屋根が目立ち、なんとなく「ここは日本なんだけど日本っぽくないんだよなあ」とポモドーロは思う。飛び交う言語、案内板に書かれた内容、店の看板は、全て日本語なのだが。

 

 私服姿のアンツィオ生徒とすれ違い、観光客が何処かを指さしていて、客引きが「おいしいパスタだよー!」と心地良く叫んでいる。車道では車とともに、タン色の豆戦車が颯爽と駆け抜けていった。少し鼻を動かせば、そこかしこから食べ物の匂いが感じ取れる。

 誰もかれもが明るい表情をしていて、しみったれた空気など微塵も感じられない。ポモドーロも、アンチョビも、お上りさん気分で街中を眺めていた。 

 

 そして、街の一角で、ある集団を目にする。

 アンツィオ高の制服を着た男女が、トングを片手にゴミ拾いに勤しんでいる。人数は六名くらいで、皆が「ボランティア部」の手腕を身に着けていた。

 キャリーケースを引きずる観光客が、一瞬だけボランティア部に注目するが――それだけだ。家族連れも、バックパッカーも、私服姿のアンツィオ生徒も、誰もボランティア部のことなど気にも留めない。

 メガネをかけたロングヘアのボランティア女子部員が、「観光客が多いのはいいんだけどねー。気ぃ遣ってほしいなー」とこぼしつつ、ゴミ袋の中へ紙コップをシュートインする――休日なのに、偉いなあと思う。

 

「あいつ……偉いなあ」

 

 ポモドーロの思考を読み取ったかのように、アンチョビがぽつりと呟いた。ポモドーロが「知り合いっすか?」と聞き、アンチョビが「ああ。戦車道履修者だ」とだけ会話して、後はそのまま本屋へ足を進めていく。

 

 

 それから数分もしないうちに、アンツィオ高校学園艦の本屋へ辿り着いた。

 全部で二階建てで、店内の壁や天井は全て白でまとめらている。床はライトグレー一色で、それ故に静寂な印象を自然と抱かせてくれるのだ。極めつけは店内に流れている聖歌で、それによって形成された「和」が、浮かれている観光客を、ノリが良いアンツィオ生徒を、何ら不自然なく物静かに仕立て上げてしまうのだった。

 ポモドーロが一番気に入っている本屋である。

 

「へえ……いいな、ここ」

「でしょう」

 

 大きすぎず、小さすぎない声を出しながら、羅列された本棚をぼうっと眺める。ビジネス書から専門書、戦車道関連の書物から戦闘機道まで、一階は「真面目な」ジャンルで統一されている。

 アンチョビが、戦車道関連の書物を手に取る。茶色い表紙が「いかにも」といった雰囲気を醸し出しており、分厚さだって並みの小説に負けてはいない。たぶん、有力な情報が徹底的に、1ページ1ページに描かれているのだろう。

 ビニールにくるまれているので、ページをめくることは叶わない。アンチョビが本をひっくり返してみると、「げ」という表情を露わにした。

 見てみる、ポモドーロも「げ」と声を漏らした。

 4500万リラ――もとい、4500円だった。

 

「高え」

「そ、そうだな」

 

 そこで、アンチョビが「あ」と、声にならない声を出した。

 

「悪い。今日は、戦車道に関わらないって決めてたのに」

「あ、いえいえ、いいっすよそんな」

 

 アンチョビが、申し訳なさそうに頭を下げる。逆に自分が悪いような気がして、ポモドーロも小さく頭を下げた。

 

「えっと……あ、二階に行きましょう。そこに、恋愛小説が置いてあるっす」

「あ、ああ、わかった」

 

 にこりと笑う、アンチョビを導くように二階へ移動する。

 ――雰囲気そのものは、それほど変わらない。ただ「文学コーナー」という案内板が、「恋愛小説コーナー」という文字が、ポモドーロを安堵させた。

 ちらりと、アンチョビを見つめる。アンチョビも心なしか柔らかく笑っていて、目がきらきらと光り出した気がした。

 

「行きましょう」

「ああ」

 

 もちろん向かうは、恋愛小説コーナーだ。先ほどまでの空気は何処へいったものやら、勇ましいノリで恋愛小説コーナーにまで進軍し、

 

「お」

 

 アンチョビとポモドーロが同時に声を出し、同時に足が止まった。

 恋愛小説コーナーの前で、「30007日間」が台の上に山積みされていたのだ。台には沢山の広告がでかでかと貼られており、「永遠の名作」とか「80年の愛」とか「映画化決定!」とか、それはもう完膚なきまでに称賛し尽くしていた。

 おまけに、映画のPVを繰り返し再生しているモニターつき。

 

「そうそう、これ気になってたんだよな」

 

 だから30007日間をチョイスしたのか。今更ながら、ポモドーロが納得する。

 30007日間は、前に随分と流行った恋愛小説だ。とある学園艦で大学生の男と、高校生の女性が運命の出会いを果たすところから始まるのだが――紆余曲折あって、無事に二人は結婚する。そこからも様々な挫折、苦悩、壁にぶち当たるのだが、愛の力と砲弾でそれをぶっ壊していくのだ。

 そうした愛の人生を、80年もの歳月を描いたのが30007日間である。勿論読了済みで、アンチョビと語り合ったこともある。

 

「どします? 映画、見るっすか」

「うーん、名シーンは……ちゃんと再現されているみたいだな。どうしよう」

 

 特設モニターの中で、男が女性に赤いバラを手渡している。込み入った事情があって、65日間ほど出会えなかったのだが、このシーンで全て報われた。

 

「……うっ」

 

 突如として、アンチョビが目頭を押さえる。どうしたのかと首を伸ばしたが、

 

「いいなあ……このシーン、ちゃんとしてるじゃないか……」

 

 泣いていた。

 一瞬にして、アンチョビが陥落した。

 

「……見よう、かなあ……」

「いいんじゃないすかね」

 

 背中をさすろうとした、あまつさえ肩を抱こうとした。

 だが、なけなしの理性がそれを止めてくれた。何故なら、アンチョビとは「そういう」仲ではないからだ。

 そう。アンチョビとは、趣味仲間に過ぎないのだ――

 

「あ、ああ、悪い。泣いてしまって」

「いや、いいんすよ。俺は気にしないっす」

「そうか? そうか……」

 

 アンチョビが、体全体で呼吸する。そして、

 

「いい奴だな、お前」

 

 きっと、アンチョビは本能のままに笑いかけてくれたのだと思う。

 はじめての私服を身にまといながら、眼鏡をかけながら、首飾りを揺らしながら、アンチョビはポモドーロに微笑んでくれた。

 心臓がやかましくなる、激痛が走る。理性も本能も自分そのものも、「この人が好きだ」と叫んでいる。

 

 アンチョビと愛の人生を送りたい、80年もの歳月を体感したい。アンチョビの涙を、自分がぬぐってあげたい。

 生きてきて十七年。ポモドーロは明確な夢を、目標を、愛する人を見つけた。

 ――決めた。

 俺は、この人に告白しよう。

 

 帰り際に、告白してみよう。

 

―――

 

「しっかし」

 

 本屋でいくつかの恋愛小説をセレクトして、映画に関しては「見るか」で決定。その後はおすすめのイタ飯屋でピザを食らい、パンテオンへ立ち寄っては絶叫を「見物」した。ここも、観光アトラクションの一つである。

 これが意外にもウケが良く、腕を組んだアンチョビが「わかるぞ」とか「うむ」とか「考えるのも楽じゃないよな」とか「私も叫ぶか!」とか、それはもう楽しそうに頷いていた。ちなみにアンチョビは、「うちは強いんだぁぁぁぁぁッ!!」と、高らかに吠えていた。

 ポモドーロはといえば――特にこれといって不満なんて無かったので、「うああああああッ!」と叫んだ。

 

 そんな風にアンツィオ日和を堪能し、世もすっかり夕暮れに包まれた。何の悔いも無く、帰路につきながら、アンチョビがこう一言漏らし、

 

「これだけ観光客が多いのに、なんでウチは貧乏なんだかな……」

「そうっすねえ」

 

 両肩で呼吸する。今日一日は色々見て回ったが、観光客がいない場所なんて無かった気がする。

 どこもかしこも活気に溢れていて、金回りも良さそうで、その裏では街中の清掃人がいて――

 

「『アンツィオ』だからじゃないっすか?」

 

 アンチョビが、「ああ」と、納得したように頷き、

 

「『アンツィオ』だからな」

 

 アンツィオだからである。

 アンツィオ高校学園艦は、「ローマよりもローマ」と呼ばれるくらいの観光名所だ。メシも美味ければ人当たりも良い、デザインセンスも完備と、観光客ウケする要素は世界レベルといっても良い。

 生徒からは「ああ、あったね」と評される場所も、はるばる遠い地からやってきた他人からすれば「これが……!」となるのである。そんな個所があちらこちらに点在するものだから、時間はかかるし金だって落ちる。更には「歩いて腹減ったし」と、アンツィオ料理をたっぷり堪能するのだ。

 クラスメート情報によると、アンツィオ高校学園艦は「独身で大食らいのトラベラ―じゃないと制覇できない」とか言われているらしい。

 

 観光名所とグルメのお陰で資金は溜まりに溜まるのだが、何の偶然かここはアンツィオ高校である。程度の差はあれど、生徒全員がノリで生きることを肯定していて、みんなでノリノリになれば人生が楽しくなることもよく知っている。

 そうした願望を実現しやすいのが、「宴会」というツールだ。みんな騒ぎたい年頃であるから、動機は日常から多少外れた程度のもので良い。例えば「期末テストが終了したから」でも良いし、「寄港した! 本土の空気もいいもんだな!」でも構わないし、「アンツィオ女子高三年のロゼッタさんが退院したから」なら、なおの事大歓迎される。

 こうして宴会が開催され、何やかんやで活動費が消えていくのがいつもの流れだ。

 

「……先生がたは、対処法とか……そういうの、分かってますよね?」

「分かってるはずなんだけどな、なんだけどなー」

「――アンツィオですしね」

「――アンツィオだからな」

 

 普通の宴会を行う分には「生徒の規模」で済むのだが、アンツィオ高校学園艦は子供も大人も教師も校長ももれなくアンツィオ気質持ちだ。なので「美術部がコンクールで金賞をとった」とか、「アンツィオのOGが歌手デビューした」とか、そうした「立派な」動機が絡むと、大人にだってスイッチが入る。

 最初は、宴会の準備をする生徒に向かって「無駄遣いはするなよ」と教師らしい指摘を行う。だが内心盛り上がっているのは教師も同じで、「俺も企画に参加させてくれ!」の一言と共に、アンツィオマンと化す。

 大人の熱気は空気感染するらしく、校長までもが「わしも参加するしかねえッ!」と決意表明する。こうなれば怖いものなど何も無く、ノリと勢いで学園艦全体を宴会の会場にしてしまうのが恒例の流れだった。

 収入と消費量が奇跡的に同じくらいなのも、ノリの賜物なのかもしれない。

 

 ……一応、「反省会」は開かれるのだが、これに懲りたことはない。なぜかといえば、「アンツィオだから」だ。

 

「まあ、船が沈みでもしない限りは、これはこれで良いのかも……」

「そうかもしれないっすね」

 

 あまり物を考えないままで、ポモドーロが同意する。

 アンチョビは買い物袋を片手に、学園艦の空を、海の空をじいっと見つめた。

 

「――今日は、本当に楽しかった」

 

 感慨深そうに、目を細める。

 それを見て、心の底から「よかった」と思考する。

 

「気分転換は?」

「できた」

「そっすか……」

 

 安心する。少なくとも、今日のデートは「余計な事」ではなかったらしい。

 

「あの本屋、いい雰囲気だったな。いつも通ってるのか?」

「ええ。好きなんすよね、あの空気」

 

 なるほどなあと、アンチョビが小さく頷き、

 

「また、寄ってみようかな」

「ええ、それが良いと思うっす」

 

 何でもなく会話が続き、何でもなく会話が途切れる。

 アンチョビの視線が、空から地上へ。同時に、眼鏡がきらりと光った気がした。

 振り返る。

 アンツィオにとって、偉大なアンチョビも愛に泣くのだと。アンツィオ戦車道を立て直した総統も、叫びたい時はあるのだと。

 こうして見て――アンチョビと、目が合った。

 安斎千代美もまた、普通の乙女なのだと実感する。

 

「……あの」

 

 言え、あの美術館を通り過ぎるまでに言え。勝手にラインを敷いてしまったが、そうでもしないと本心なんて、とてもでないが叫べなかった。

 アンチョビは、微笑を浮かばせたままでポモドーロの言葉を待っている。大丈夫だいける、一番言いたいことを口にするだけだ。

 せーの、

 

「あれ」

 

 声がした。男のような、女性のような、中性的な声色が耳に入った。

 スキだらけの意識があっという間に持っていかれ、ポモドーロがあたふたと視線をさ迷わせる。アンチョビも同じような心境らしく、「え? え?」と狼狽していた。

 

「もしかして……アンチョビ姐さんっすか?」

 

 アンチョビ。

 その名前が頭の中に入り込んだ瞬間、ポモドーロの口や手、両足などは停止せざるを得なかった。

 気付く。美術館の入り口方面から、二人組の女性が手を振っているのを。

 

「お……ペパロニか? ……よく分かったな」

「え、すぐに分かったっすよ。な、カルパッチョ」

「いえ、私は分からなかったなぁ」

 

 アンチョビが、ペパロニに聞こえない程度の声で「凄いなこいつ」と口にする。

 

「……で、お前達は、なんでこんなところに」

「え? 休日ってことで、遊んでただけっす」

 

 ペパロニという名前を聞いた瞬間、小さな「あ」が漏れた。

 アンチョビの副官であり、アンチョビの友人でもある存在。そうだその人だ――ペパロニの隣で、にこやかに笑う女性と目が合う。名前を思い出そうとして、少しだけ考えて、「カルパッチョ」という答えに辿りつく。

 

「今、ペパロニと美術館で絵を見ていたんですよ」

「え、ええ~? こいつが、絵ぇ?」

 

 アンチョビの声に、疑心が孕む。対してペパロニは、不機嫌そうに唇を尖らせ、

 

「私だって、絵には興味があるっす。むしろ、結構好きだったり」

「ホントか?」

「ホントホント」

 

 アンチョビが、心底びっくりした顔で「へー……」と唸る。

 そこで会話が止まったからか、真顔のペパロニがポモドーロへ目を移す。不意だったものでポモドーロは何も出来ず、ペパロニの視線は再びアンチョビに戻り、

 

「え、え? こ、これって……」

「え、何」

「これって、」

 

 ペパロニの人差し指が、アンチョビとポモドーロをひとまとめにして突き立てる。

 

「デートっすか!?」

 

 間、

 

「あ、あー、そういうことに……なるの、かな?」

 

 アンチョビの、困ったような回答を耳にして、ペパロニは、

 

「もしかして、付き合ってるっすか!?」

 

 遂に、言った。

 とんでもない質問、というわけではない。むしろ、思春期的にはまるで正しい問いだ。

 立場を入れ替えたとしても、自分だって同じような質問をすると思う。

 

「どうなんすか? そこの兄さん!」

「あ、えーと」

 

 正直に言うなら、「違う」。アンチョビとは趣味仲間なだけで、そういう関係ではない。

 なのに、ポモドーロは否定したくなかった。かといって、肯定も出来なかった。「アンチョビは俺の運命の人っす」なんて言える程、立派な男でもなかったから。

 なのに、

 期待するように、アンチョビの顔を覗う。その横顔は、

 

 実に、困ったように表情を曇らせていて、

 

「おい、ペパロニ」

「あ、はい?」

 

 しょうがないなあとばかりに、アンチョビがため息をこぼす。

 

「あんまり、こいつを困らせるようなことを言うな」

 

 ペパロニが「え?」と首をかしげる。

 

「こいつは、ポモドーロっていうんだが、私の趣味仲間でな……それの関係で、街中へ遊びに行ってたんだよ」

「あ、そうなんすか?」

 

 黙ってアンチョビがうなずき、

 

「だから、交際してるとか、そういうのじゃない。れっきとした友人だ」

 

 だから、交際してるとか、そういうのじゃない。れっきとした友人だと、アンチョビは言った。

 ――全くもってその通りだった。何の間違いも口にしてはいなかった。

 

「ああ、友人! へえ、男の友人っすか? 珍しいっすねー」

「そうだな、私もそう思う。いい奴だぞ」

「へー! あ、私はペパロニって名前をもらってるっす」

「あ、どもども。アンツィオ高二年、先輩の友人をしてるっす」

 

 へらへら笑いながら、自己紹介をする。ペパロニと握手を交わしながら、友人、と言う。

 ポモドーロのアタマでも、この現実はすぐに解った。ポモドーロが抱くそれは一方的な片思いであって、手前勝手に「もしかしたら?」と盛り上がっていただけで、願望にしても「いやいやまさかそんな」程度の矮小なものでしかなくて。

 

 ポモドーロは、今更ながら現実を察する。

 相手はあのアンチョビで、アンツィオ戦車道の戦車隊隊長で、総統なのだ。対して自分は帰宅部で、真っ当に勉強嫌いで、明日のこともロクに考えていない、実に実に普通な学生でしかない。

 そんな偉人と、個人的な交流が出来るだけでも嘘に近いというのに。

 

 自嘲するフリをする。

 何を一丁前にショックを受けているのやら。何度も会ったからって、何度も趣味について語り合ったからといって、弱さを耳にしたからといって、デートしたからといって、それで「想い」を抱かれるとでも思っていたのか。

 アンチョビは一言も、「匂わせるような」ことは口にしなかった。単に自分が、好き勝手に誤解していただけだ。

 無い頭のどこかでも、そんなリアルは解り切っていたはずなのに。それなのに自分ときたら、アンチョビが恥じらいながら「つ、付き合っているだなんてそんな!」みたいなリアクションを欲していたのか。

 ……欲していた。

 

「あ、カルパッチョといいます。よろしくお願いしますね」

「あ、はい、どうもどうも」

 

 ポモドーロがへらへら笑う、カルパッチョとも握手を交わす。

 アンチョビとペパロニが「そういえば、美術館でイイ案を閃いたんすけど……」と話し合いを始めた。真剣な顔だった。

 アンチョビはこうして明日も、数日後も、その先をも考え抜いてきたというのに、自分ときたら何をしているのだろう。将来は百年後に考えれば良いのか。

 

「ほー、戦車の絵で数を誤魔化す、か。確かに、ルール的にも違反していない……」

 

 「なにもしていない」自分に対し、「なんとかしようとする」アンチョビが、男として見てくれるはずもない。

 カルパッチョと目が合う、ポモドーロがにこりと返す。カルパッチョは、無表情だった。

 

「よし、その案、乗った」

「ほんとっすか!? いやー、参謀らしいことが出来て光栄っす!」

「勉強も頑張ってくれ」

 

 ペパロニが、「えー?」と表情を歪める。

 勉強と聞いて、ポモドーロの思考がぞくりとする――自分のような勉強嫌いと、アンチョビが横で並んでみろ。そんなの、アンチョビに恥をかかせてしまう。男として、恥をかいてしまう。

 

 ペパロニに対し、心の中でお礼をする。勢いのまま告白しようものなら、心優しいアンチョビは戸惑っただろうから。あまりの釣り合わなさに、どうしようどうしようと迷っただろうから。断り方にしても、丁寧で繊細で後に引かない言葉を選んでくれただろうから。

 

「……ポモドーロさん?」

「あ、はい?」

 

 カルパッチョの目に、くぎ付けにされる。心中を読み取られているかのような錯覚。

 

「その、大丈夫ですか?」

「あ、ああ、大丈夫っすよ、カルパッチョさん」

 

 大丈夫に決まっていた。なぜなら、何もしていないのだから。

 アンチョビのことを諦めるのなら、気楽に生きて気楽に呼吸して、気楽に今日をどうにかすればそれで良い。自慢話の一つも持っていない自分は、普通の恋愛を行うのが正しいのだ――その普通すらも怪しいが。

 すっからかんな自分が、アンツィオのメインヒロインと結ばれるなんて、いくらなんでも嘘過ぎる。断言しても良い、これくらいは解る。

 

 なぜなら自分は、恋愛小説が好きだから。

 

「……ああ、すまない。戦車道の話をしてしまって」

「あ、いえ、いいんすよ。大事な話っぽかったですし」

 

 アンチョビが申し訳なさそうに、頭を下げる。ポモドーロは、首を横に振るう。

 

「お邪魔して申し訳なかったっす。それじゃあ、私らはこのへんで」

「あ、はい。お疲れ様でした、ペパロニさん」

 

 力なく手を振るい、ペパロニとカルパッチョの背を見送る。

 ――沈黙。

 

「……じゃ、私たちも帰ろうか?」

「あ、そっすね」

 

 足が勝手に動く、自分勝手な悲観がまだ渦を巻く。

 ――俺なんて、この後は公園に行って、あのベンチでめそめそ泣くのがお似合いだ。失恋ぶって自己陶酔に浸るがいい。

 それがいい、と思った。それがいいと思って、

 

「さっき話した、ペパロニとカルパッチョ――あいつらは二年なんだが、うまくメンバーをまとめてくれているよ」

「……そうなんすか?」

「ああ。私はあと少しで卒業だが、あの子らに任せればアンツィオ戦車道は安泰するんじゃないかな。いや、する」

 

 二年。

 その単語を聞いて、ポモドーロが当たり前の事実に気づく――自分はまだ、だいたい一年半くらいしか在校していないということに。

 まだ、時間が残されている、ということに。

 

「……そうっすね。俺も、そう思います」

「ああ。もし隊長になったら、応援してやってくれ」

「もちろん」

 

 そうだ。

 自分はまだ、何もしていない。何も間違えてもいない。

 時間はまだ残されている。アンチョビが卒業するその日まで、数か月もの時間が残されている――将来に悲観するのなんて、百年後に考えれば良い。

 

 空を見る。春の夕暮れが、少しばかりの暖かさが、四月の空気が、こんな自分すらも受け入れてくれた。

 深呼吸する。

 

「……どうした?」

 

 両足を動かしたまま、

 

「先輩。俺、明日から勉強するっす」

「……え?」

 

 ちらりと、アンチョビの顔を見る。

 心の底からびっくりしたように、両目を見開いていた。

 

「今日は、先輩と遊べて本当に楽しかったっす。俺も、良い気分転換になりました」

 

 アンチョビのおさげが、揺れる。

 

「さっき、ペパロニさんとカルパッチョさんに会いましたよね? その時の、真面目な話を耳にして、先輩の顔を見て……なんだろう、俺も頑張らないとって考えました」

 

 アンチョビの瞳が、きらりと輝く。

 

「まあ、ただの思い付きっすよ。でも、勉強をやるっていうのは本当です、このデートのお陰で生まれ変われました」

 

 頭を、きっぱりと下げる。

 

「今日は付き合ってくださって、本当にありがとうございました」

 

 アンチョビの無言。

 ――そうして、数歩歩いたところで、

 

「そうか」

 

 そして、アンチョビのいつもの微笑。

 

「それは、よかった。役に立てたようで、何よりだ」

 

 この顔を見て、決めた。

 今日から何かをしようと、気楽に真面目に色濃く生き抜いてやると。アンチョビの隣に立つに、相応しい男になると。

 今度こそ、自信満々に告白してやろうと、いま決めた。

 

「はい――先輩も戦車道、頑張ってください。応援します」

「ありがとう」

「いい恋愛小説も探しておきます。ああ、気分転換がしたくなったら、いつでもお相手するっす」

「そうか――」

 

 そうして、アンチョビがポモドーロの手をとった。

 少しだけ驚いた。

 

「ありがとう。お前は、素晴らしい仲間だ」

「いえいえ」

 

 へらへら笑わなかったと思う。まだまだだけど、力強く笑い返せたと思う。

 

―――

 

 そうして、森林公園前でアンチョビと別れた。互いに手を振って、ばいばいと告げて。

 ――さて。

 

 買い物袋から、恋愛小説を引っ張り出す。

 これまでたくさんの恋愛を読んできたが、どの男達も「何か」を秘めていた。だから、恋を成せた。

 その何かとは、献身力だったり、誠実さだったり、時には手芸であったりした。相手が眩しい存在であろうとも、そこに追いつくまで努力した奴だっていた。

 

 そして、どの恋愛にも決定打があった。これも断言できる――自分に対しての、自信だ。

 自信のない男に、女性が惹かれるはずがない。自信があるからこそ、男達は一世一代の告白に全てを捧げられるのだ。

 今の自分は、気楽なだけで自信がまるで無い。これといった自身も存在しない――これでは、輝ける総統に特別視されるはずもない。

 

 見上げる。己が頬を右手で叩くが、勢い余って強くぶってしまった。情けない声で「いって……」と漏らしてしまう。

 まあいい、これでいい。今一度決意する。

 今日から自信を得よう。それをものにして、一人前の男になろう。

 自分は、総統にふさわしい男になる。自信をつけて、堂々と告白してみせる。

 ――俺も、恋愛小説の主人公になってみせる。

 

 これからやるべきことは、まずは勉強だ。勉強して、実に分かりやすい成果――期末テストで、良い点を取ってみせる。

 知力はこれで証明する。

 

 次は、精神面の向上だ。食って騒いで寝るのも学生の本分だが、アンチョビに恋した以上、それは許されない。

 授業は真面目に受けるとして、後は――「あ」と間抜けな声が出る、当たり前の発想が思い浮かぶ。

 

「部活があるじゃん」

 

 そう、部活動だ。部活動もまた学生の本分であって、規律とか体力とか自分の存在価値とかを高めてくれることは、ポモドーロも薄々ながら知っている。どうしたって部活特有のアレコレはあるだろうから、青春の良い味付けにもなるはずだ。

 

 部活の本領が発揮されるのは、主に放課後だ。だから、日によってはアンチョビと会えなくなるだろうが――このままでいてもなし崩しに時を過ごし、何も言えないままで先輩卒業おめでとうございます縁があったらまた何処かで――

 寒気がする。絶対に何処かへ入部して、男にならなければ。

 どこへ入部したものかと、うんうん唸っていると、

 

 風に煽られ、ころころと転がっていく空き缶が、ポモドーロの目の前を横切っていった。

 

「んだよ、ポイ捨てかよ」

 

 何となく――放っておけなくて、空き缶を拾い上げる。無糖のコーヒーの空き缶だった。

 誰だよ、捨てた奴は。アンツィオ高校学園艦を汚すなよ、

 

 観光客が多いのはいいんだけどねー。気ぃ遣ってほしいなー

 

 ――決めた。

 

 

 街並みの熱気からは既に程遠く、森林公園付近には何の人気も無い。いつも目にする住宅地で、いつも踏み入れる通学路で、ポモドーロは深呼吸する。

 これから忙しくなるだろうが、一年間ずっと遊んできたのだ。まるで丁度良いし、恋愛小説の主人公なんてものは恋に振り回されてナンボだ。

 告白は、期末テストで良い点を取るまでお預け。良い点を取るまで、自信がつかなかったら今度こそ退場だ。

 

 アンツィオ高校学園艦に、今こそ乗ろう。

 アンツィオ高校学園艦に、今こそ誓おう。

 

 アンチョビから認められたいか。

 認められたい。

 アンチョビから認められるには、何をすべきか知っているか。

 知っている。

 「何か」を持つ主人公になりたいか。

 なりたい。

 なりたいのか、なるのか。

 なる。

 

 ――最後の質問だ。お前は、安斎千代美のことが好きか。

 

「俺は、安斎千代美のことが好きだ」

 

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

あらすじにもある通り、このSSは原作キャラをマイナスに描写することを厳禁としています。
何度か推敲はしましたが、もしかしたら決定的なミスが存在するかもしれません。その時は、遠慮なくご指摘ください。

展開が展開なだけに、投稿してもの凄く緊張しています。
プロットは最後まで出来上がっているので、後は書くだけです。

お気軽にご指摘、ご感想をいただけると、本当に嬉しいです。

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