無理だと悟りました。
「ふんふん、なるほどー」
すっかりいつものほんわかした雰囲気に戻った城廻先輩は、つっかえつっかえなうちの説明を聞いて、なぜか嬉しそうに微笑みながらしきりに頷いていた。
……な、なんだろ、うち、何も変なこと言ってないよね?
文化祭で比企谷に助けてもらったことに気づいて、今度は比企谷にクラスでも居場所を作ってあげたい。うちがその居場所になれれば、って思ったけど、文化祭以降うちと比企谷はずっと険悪だったからどうすればいいかわからない。
要約するとそんな感じのことを、うちはたっぷり時間をかけてもごもごと城廻先輩に説明した、はず。
笑われる要素、あったかなぁ…?
「すっごく素敵だと思うよ!」
ぱちん、と胸の前で手を合わせて、城廻先輩は感想を述べる。いや、えっとそういう感想を求めてるわけじゃなくてですね……。
「えっと、素敵って、何がですか?」
でも気になるから聞いちゃう。
「つまり、相模さんは比企谷くんとお友達になりたいんだよね。それってとっても素敵なことだなって思うよ」
友達……ともだち?
「ぁやっ、いや、ちがっ、そんな友達とか、そういうことじゃなくて!」
慌ててぶんぶん首を振って否定する。
うちと比企谷が友達とか、そんなのって……今ならちょっといいなって思わないこともないけど……いやそういうことじゃなくて。そんな棒高跳びクラスのハードルを用意したいわけじゃない。うちはただ、教室にいる時の比企谷がもう少し気楽に過ごせるようにしてあげられないかなって、そう思ってるだけで。
そ、そりゃ友達になるのが一番手っ取り早いと思うよ? うちだって今はぼっちみたいなものだし、クラスで一緒に行動できる、気兼ねしない友達とかすっごく募集中だし。そこへ行くとしょーもないことに関しては一切取り繕う気がない比企谷って選択肢としてはベター以上ベスト未満っていうか、お互いの嫌な部分も知ってるし、結構本音で話せそうかなーとか思わないこともない。
でも比企谷と友達になるとかすっごく難しそうだし、そもそもうちがそんなことを望むなんて図々しいっていうか――。
「……違うの?」
「ちがっ……わない、です」
「よかったー」
うう、これがめぐりんパワーなの?
うちの見栄とか意地とか全部消し飛ばされちゃうんだけど……うっ、笑顔が眩しい。
本音はもちろん、比企谷の友達になりたいし、比企谷に友達になって欲しい。でもそれは、比企谷のためというよりもうち自身のため、うちがそうだったらいいなって思ってること。散々露骨な嫌がらせまでしてきたうちが、これ以上比企谷に何かして欲しいと思うのは贅沢過ぎる。
ただでさえ、お昼にもあんな風に話聞いてもらったのに……アイツ、ちゃんと最後まで聞いてくれたな。嫌そうな顔してたくせに、慣れないフォローまでしてくれて、やっぱ優し――って! だから! そうじゃなくて!
……友達、かぁ。
「違わない、ですけど、でも……うちが、比企谷と友達になりたいなんて、ワガママかなって」
「……どうしてそう思うのかな?」
「だってうちは、比企谷にたくさん迷惑かけて、勘違いで、その、嫌がらせとか、してて。それなのに今更、本当のことがわかったら手の平返すみたいな、そういうのは、ズルいかなって」
ちょっと前のうちだったら、自分のすることにズルいとか、そんなこと考えもしなかったと思う。自分がそうしたいならそうすればいいし、文句を言ってくる奴がいたらそいつの方が身勝手なんだって一方的に決めつけてたはずだ。あの屋上で対面した比企谷を、勝手に嫌なやつだと決めつけたみたいに。
でも今は。
今のうちはちっともそんな風に考えられない。
自分のしょーもなさとか、嫌なトコとか、今まで無意識に目を逸らしていたことがたくさん目についちゃって、ああ、うちってこんなにヤなヤツだったんだな、って理解しちゃって。
屋上で比企谷に追い詰められて、遥とゆっこに責められて、クラスのみんなに腫れ物扱いされて、いまのうちは以前よりもずっと、拒絶されることに怯えている。こんなしょーもないうちのことなんて、受け入れてくれないって、そう思ったらなにもできなくなる。
結局うちは、自分が一番可愛いんだ。
どんなに比企谷のためって誤魔化してみたところで、本音はうちが尊敬する比企谷の近くにいたいだけ。その強さを、もっと学びたいと思ってるだけ。理由をつけて、比企谷にうちを受け入れてほしいだけ。
だから、そんなズルい理由しか持てないうちは、やっぱり比企谷の友達にふさわしくない。
「どんなに比企谷のためって思っても、結局はうちが寂しいってだけ、なんだと思うんです。だけどうちは比企谷にたくさん迷惑かけてきたから、たくさん救われてきちゃったから、もう、これ以上頼っちゃダメだって、思って」
ああ、口にするともっと気分が重くなる。
それが本当のことであればあるほど、自己嫌悪が止まらない。
比企谷のために、なんて。
やっぱりうち、調子に乗りすぎだったのかな。思ってたよりずっと比企谷がうちを見てくれたから。思ってた以上に比企谷が優しかったから。みんなが厄介者扱いするうちのことを、全部知ってる比企谷なら受け入れてくれるかもって、そんな風に勘違いしちゃってた、のかも。
結局タイミングを逸して開けていない紅茶の缶、すっかりぬるくなったその缶に視線を落としていたうちに向けて、黙って聞いていた城廻先輩がふっと微笑んだ。
「ね、相模さん」
「は、はい」
「私とお友達になってくれないかな?」
「……は、はい?」
すっと差し出された先輩の右手に、うちはさっきまでズブズブと深みへはまっていた仄暗い気分も忘れて聞き返してしまった。
「ダメ、かな……?」
突然の申し出にまごつくうちの前で、不安げに首を傾げる城廻先輩。いつものほんわかした年上的な包容力が瞬間的に引っ込んで、小動物みたいな愛くるしさが全開になる。こ、この人マジでこれ素でやってんの!? こんなの絶対断れないじゃん! や、別に断りたいわけじゃないけどさ!
うん、断りたいわけじゃ、ないけど。
「あの、ダメじゃないです。正直、うちからお願いしたいくらいです、けど」
「けど、なにかな?」
「理由を、聞いてもいいですか? 先輩みたいに素敵な人が、うちと友達になりたいって言ってくれるワケを、知りたい、です」
友だちになって、って言ってもらえて泣きたいくらい嬉しいのに。
それでも、どうしようもなく臆病になってしまったうちはその言葉を受け入れられない。比企谷と同じか、あるいは立場上はそれ以上にうちのダメなところを目にしてきた彼女が、どうして今こんなことを言うのかわからない。わからないことが、とても怖い。
脳裏に浮かぶのは遥やゆっこや、クラスの友達の顔。
何の疑いもなく一緒にいられると信じていたのに、気づけばうちから離れていってしまったみんな。
もうやだよ。
もう、あんな気持ちになるのは。
「……私ね、相模さんのことは大事な後輩だってずっと思ってたよ。たくさん失敗しちゃったけど、でも体育祭が終わってからは、任せてよかったなって思ってた。だって、相模さんはちゃんと前に進んでたから」
「前に……?」
「うん。文化祭のときの相模さんだったら、きっと体育祭のときも途中で逃げ出しちゃったんじゃないかなって思うの。でも、相模さんはちゃんと頑張った。頑張れた。今度は失敗から逃げないで、ちゃんとやり通せた。それは相模さんが、文化祭のときよりも前に進めた証だよ」
前に進んだ、証。
そう、なのかな?
先輩の言うとおり、文化祭のときのままのうちだったら体育祭からも逃げ出してたかもしれない、と思う。でも、うちがあの時踏みとどまれたのは、雪ノ下さんや比企谷を見返してやりたいっていう意地があったからで、それを前進とか成長って言っていいのか、うちにはよくわからない。
「相模さんみたいな後輩がいてくれるんだったら、安心して卒業できるなって思ったんだ」
「うちは……うちは、先輩が思ってるような、いい後輩じゃないです」
「うん、そうだね。今日相模さんとお話してみて、私もそう思った」
う、やっぱりダメダメだって思われちゃったかな……。
「相模さんは、私が思ってたよりもずーっといい後輩だったよ」
「……へ?」
にっこり。
屈託のない笑顔でそう言われて、うちはまた呆気にとられる。
「あのね、相模さん。前に進むのは簡単じゃないけど、前に進むよりも大変なこともあるの。なんだかわかるかな?」
「前に進むよりも、大変なこと?」
「うん。前に進む時ってね、前を見ていればいいんだ。横も後ろも足元も見なくていいの。もしかしたら前だって見なくていいのかも。とにかくがんばろーって、そう思ったときにはもう前に進めてると思うんだ」
わかるかな? と言われて曖昧に頷く。
なんとなくだけど、わかる気はする。うちのなけなしのプライドが逃げ出そうとする足を止めたあの体育祭でうちが前進していたのだとしたら、確かにあの時うちは過去の自分とか、その後のこととか考えている余裕なんて無かった。ただ大嫌いだった比企谷に舐められたまま逃げ出すのが嫌で、それだけで頭が沸騰してた。
「それは、自分だけが前進すればいいってことでもあるよね?」
そう、かも。
あの時のうちには、他のことなんて何も見えてなかった。ある意味、それは文化祭の時と同じ。自分のやりたいようにやるってこと。成長したいとか、目立ちたいとか、認められたいとか、それは全部うちのためのものだった。
「だけど、いまの相模さんは違うよね?」
「え……? それは、でも、いまもうちは、寂しいから、比企谷を頼りたいとか、考えちゃってるし」
「でも、比企谷くんに迷惑かもしれないから、できないんだよね?」
「っ、はい……」
「そういうことなんだよ」
え、と……どういうこと?
「理由は何でもいいの。ただ、誰かを想って立ち止まれるっていうのはね、前に進むよりずっと大変で、立派なことだと思うんだ」
「で、でもっ、うちは比企谷のことなんて、考えれてないっていうか……結局うちが考えてるのって、うちのことだけだし」
「ううん、相模さんはちゃんと考えてるよ。比企谷くんに迷惑かけられないから、っていうのはね、相模さんが自分のために、比企谷くんを気遣えてるってことなの」
「うちのために、比企谷のことを……」
「うん。それって大事なことなんだよ? だって、自分のことを考えずに誰かと居続けるなんてできないもん。その場だけはそれでよくても、ずっと一緒にいるためには、自分のことをまず考えなくっちゃ」
「そう、かも」
遥とゆっこが、きっとそうだったんだと思う。
文実で会ったときには、うちに合わせてくれてたんだ。でも、文実でうちがたくさんやらかしちゃって、それで体育祭のときには、うちのことより自分たちのことを優先した。直接の原因はうち自身だとしても、無理をしてうちに合わせてくれていた二人とは、きっと遠からず同じようなことになっていたんだと思う。
「だからね、そんな風に自分のことと相手のこと、一生懸命考えられる今の相模さんだったら、先輩と後輩じゃなくて、お友達になりたいなって思ったんだ」
「先輩……」
素直に頷くのには、正直抵抗がある。
城廻先輩はうちのことをとってもよく見てくれてるけど、先輩自身がすごくいい人だからうちを見る目も優しい。だけどうちは、比企谷を傷つけて、一方的に嫌って、遥とゆっこにも見放されたような人間だってことを、うちは毎日身にしみて感じている。
一人ぼっちのうちは、誰にも必要とされてない。
それどころか、遠ざけられるような、そんな存在。
……でも、うちは。
「いい、ですか?」
「うん」
何が、と聞かずに先輩は頷いてくれる。
だから「うちなんかでいいんですか」と出かかった言葉を飲み込んだ。
「うち……うちも、先輩と友達になりたい、です」
声は震えていたかもしれない。
とても視線を合わせられない。
それでも、うちの気持ちを伝えたくて、キツく握りしめた缶を離して右手を差し出す。
震えるうちの手を、先輩が優しく握る。
「よろしくね、南ちゃん」
「はい、えっと……めぐり先輩」
* * * *
「それで南ちゃん」
「は、はい」
「私とお友達になれた南ちゃんなら、比企谷くんともお友達になれるよね?」
「はい――え? いやそれは……」
「大丈夫だよ。なにも今すぐってことじゃないんだし。私と南ちゃんがこうしてお友達になるなんて文化祭のときには思いもしなかったでしょ? 南ちゃんがそうしたいって思って、そのために頑張ってれば比企谷くんにも伝わると思うな」
「けど、うちは比企谷に嫌われてると思うし」
「でも、南ちゃんはそんな比企谷くんとでもお友達になりたいんでしょ?」
「それは、そうですけど」
「じゃ、頑張ろっ」
ぐっと両手を握って見せるめぐり先輩。
「比企谷くんだって、教室で一人ぼっちじゃ寂しいはずだよ。南ちゃんはしっかり、文化祭と体育祭のお礼をしなきゃだよね」
それは比企谷には当てはまらない気もするけど……。
でも、うん。うちはやっぱり比企谷に恩返しがしたい。うちなんかよりよっぽど優秀な比企谷にうちが教えてあげられることがあるとしたらそれは、誰かと一緒の喜びだけだろうから。
それに何より、うちだけだと心細かったことも。
「大丈夫だよ、私がちゃんと、南ちゃんの頑張りを見ててあげるから」
優しい友達が見守ってくれてるなら、うちだってきっと頑張れるはず、だよね?
「一緒に頑張ろー! おー!」
「お、おー」
「ほらほら、もっと元気に。せーの、おー!」
「……お、おー!」
気恥ずかしさを誤魔化して突き上げた拳と、嬉しそうなめぐり先輩の声。
――久しぶりに胸に広がるこのあったかさ、いつかちゃんと、比企谷にも届けられるといいな。
どうにかこうにか第二話・完です。
八南だと思った? 残念めぐ南でした☆
……どうしてこうなった。こんな展開になるなんて作者が一番予想してなかったよ。
一応この流れにも作者なりに意味はありまして、6.5巻の『それでも、城廻めぐりは見ていてくれる』という章題を拙作にも引き継ぎたかったという思いがあってのことです。主人公はさがみんなので、ちゃんと見守ってもらえる関係になっておいてもらわないとネ。
……まぁ、それでこんなに八幡が出てこないとは思ってなかったワケなんですけど。
今後もこんな具合に八南とは思えない回もあるかと思いますが、少しずつ八南の外堀を埋めていくつもりです。よろしければお付き合いください。