友達料と逃亡生活   作:マイナルー

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2 『漆黒の獣』

 お風呂でさっぱり、汗や粘液を流したゆんゆんとスバルは先の言葉通り夕食に向かった。

 場所は冒険者ギルド、その酒場。つまりスバルの元アルバイト先である。

 カエル肉の代金と討伐報酬をあわせて少し豊かになった財布から、ゆんゆん基準で少し豪華な食事が二人前並ぶ。

 テーブルの向かい、ゆんゆんの目の前で立ち上がったスバルは、冷えたシュワシュワを片手に語り始める。

「じゃ、料理も揃ったことだし乾杯の音頭いくぞー。えー、ただいまご紹介に預かりましたナツキ・スバルですー」

「しょ、紹介……?」

「はいそこゆんゆん、こういうのは気分よ気分。突っ込まなーい!」

 そういうものなのだろうか。

 このような宴会では何が常識なのかそうでないのか。ほとんど一人で食事を取り、誕生日パーティすら一人だったゆんゆんには、その判断がつかない。

 不承不承、というよりは戸惑いを見せながらも、自分もシュワシュワを片手に取り、話を聞く姿勢になる。

「まずはゆんゆん、今日はお疲れ様でした。俺としても、ゆんゆんという優秀な人間と一緒に働けるようになって、嬉しい限りです」

 社交辞令的なものだと思いつつも、ゆんゆんはスバルの言葉にくすぐったいような気持ちで、頬を赤くした。

「俺達はお互いのことをまだまだ知らないわけで、わからないことも不安なこともいっぱいだと思うけど、俺としてもできることはなんでもするつもりです。お互い失敗や苦労もあると思いますが、一緒に頑張っていきましょう!

 では、俺という期待の新人のデビューから始まり、俺とゆんゆんのパーティ結成。それに初クエストの成功という今日の日を祝って。乾杯!」

「か、かんぱい! はわぁ…………」

 勢いで杯を合わせたゆんゆんは、思わず感嘆のため息を漏らした。

 目の前でカエル肉の唐揚げを頬張るスバルを、うっとりと見つめる。その視線に乗せる感情は、もちろん恋やあこがれではない。同じパーティでの仲間意識という初めての感覚だ。

 ひとりじゃない。

 その事実が自分の胸に温かい感情を呼び起こしている。

(ふにふらさんやどどんこさんとご飯を食べた時とは、また違った感じ……)

 私達友達よね、と自分の奢りで一緒に食事に行ったことを思い出す。あれはあれで楽しかったが、どことなく違和感があったのも事実だ。

 定食とは別注文した小鉢にフォークを伸ばし、小さく切り分けただし巻き卵を口に運んだ。舌の上で転がる感触に、思わず頬が緩む。

「ここでバイトしてた時は思わなかったけど、ゆんゆんって凄い嬉しそうにご飯食べるのな」

「そ、そうですか?」

 乾杯で口にしたシュワシュワも、今口に運んだだし巻き卵も、別段特別な仕上がりというわけではない。

 ただ、それでも、仕事を終えて仲間と一緒にご飯を食べるというプロセスを経るだけで、こんなにも美味しく感じるものなのか。

「やっぱり一人で食べるより、誰かと食べるほうがいいんだなあ……ってことなんでしょうね」

「話する相手がいた方が色々捗るしな。ちょうどいいから、お互い質問でもしようぜ。答えたくないことは答えないって方向で。

 ゆんゆんはさ、確か紅魔族の次期族長とか言ってたよな。そんな立場の人間までここにいるってことは、紅魔族って皆外に出て修行することみたいな決まりでもあんの?」

 ゆんゆんの了承を得る前に、ささっとスバルは話を進めてしまう。急いで話すのが苦手なゆんゆんは、「え、と……」と少し考えて。

「特にそういうわけじゃないんです。私がちょっとした理由で、勢いで修行に出ただけで。ほとんどの人は、紅魔の里で上級魔法を覚えて、そのまま職人になったり、お店を継いだり。あとはニートもいますね」

「ニートいんの!? っていうかニートって言葉があんのここ!?」

「? もちろんあります、けど…………」

 スバルは腕を組みながら、「先輩がた、伝えるならもうちょっとマシな概念あるだろ……いや似たような意味の言葉が翻訳されてるだけか?」などとつぶやいている。ゆんゆんには意味がよくわからない。

「ま、いいや。ゆんゆんもどんどん質問してくれていいぜ。男の子にも秘密はあるから、答えられないものは言わないけど、そこは勘弁してくれな」

 冗談めかした言葉を交えるスバルに、ゆんゆんは少し考える。

 一旦間を置き、カエル肉の唐揚げを一口ぱくり。淡白でさっぱりしていて、やはり美味しい。

 行儀よく唐揚げを噛み締めて、ゴクリと飲み込んでから。

「えー、今日はいい天気ですね?」

「俺じゃなくて天気の話!? しかも質問になってないし!」

「でも、あんまり踏み込んだこと聞くのも失礼なのかなって……」

「大丈夫大丈夫、嫌なことなら断るしさ」

 どんとこい、とスバルは自分の胸を叩いてみせる。

 ならば、してみたかったけれど、故郷ではいまいち感性の合わなかった話題に挑戦する。

「じゃあ……ナツキさんは、恋人とかいるんですか?」

 恋バナである。

 紅魔の里で同級生とそんな話をした時は、やれ前世の恋人がどうの、やれイケメンがダンジョンの奥深くに封印されてるだの、やれ前世は破壊神だっただのという相手ばかりだったのだ。

 正直恋人がいそうな感じには見えないが、それは自分も同じである。これを切り口に、好きなタイプとか、将来結婚したい理想の相手とか、そういう方向へとシフトしていくのだ。紅魔族の知能による高度な作戦である。

「故郷にいるっちゃいるな」

「いたんですか!?」

「聞いておいてそのリアクションは酷くない!?」

 高度な作戦、いきなり失敗であった。

「す、すみません。……故郷じゃ意外とモテたんですか? プレイボーイだったとか?」

「プレイボーイってきょうびきかねぇな。俺はこれでもエミリアたんとレム一筋だからな、そんなことはしてねえよ。できたかどうかは別として」

「エミリアタント=レムさんですか……」

 一筋なのに二人いるのかよ、という本来あるべきツッコミは、ゆんゆんの素のボケの前に霧散した。

 名前の常識が狂う、紅魔の里出身ならではの現象である。

「じゃあ……ナツキさんは、どうして冒険者になったんですか? 恋人を置いてまで」

「んー、ステータス的に他の職業つけなかったからな」

「い、いえ、そういう意味ではなく。冒険者稼業のほうです」

 出てきた問いは単純なものだった。

 身体はそれなりに鍛えているように見えるが、職業『冒険者』ということは、ステータスが足りなかったのだろう。有り体にいえば才能がないと判断されたということである。

 自分の才能を信じ、一発当てる夢を見て冒険者稼業につく人は多い。が、そういう人は才能がないと聞くと、場合によってはやる気を失って冒険者の道を諦めることもしばしばなのだという。

 スバルの場合も、故郷に帰って恋人の側で定職につく、となっても何もおかしくはないはずだ。

 逆に言うなら、才能なしと言われてもやる気を失わない人間は、なんらかの理由で冒険者の道を選んだという可能性が高い。

「ん、ああ…………」

 ゆんゆんの問いに、スバルはポリポリと後ろ頭を掻く。

「なんつーか…………俺、魔王を倒したいんだよ」

「――――――――」

 魔王討伐。

 それは、この道を志す者なら、多くの人間が考えていることだ。

 しかし同時に、恐ろしく困難な道。

 なにせ、人類が総力を持って挑む戦いだ。最前線とも言われるこのベルゼルグ王国には、各国から精鋭部隊を送られているし、時折人智を超えた力を持った、黒髪黒目の英雄も現れる。それでも、未だ魔王軍を打ち破ることはできていないのだ。

「ナツキさん、本気ですか? はっきり言って無茶だと思いますよ」

 自分のライバルならば、これを聞いて「なるほど面白い。いいでしょうやろうじゃないですか魔王退治。我が爆裂魔法で魔王を討ち滅ぼし、私が新たな魔王として降臨してあげましょう!」くらいのことは言うだろうが、ゆんゆんにはさすがにそんな根性はない。

 紅魔族は優秀だし、紅魔族が集まる紅魔の里は、魔王軍の強者どももそうそう手出しはできない。

 が、だからといって、魔王軍を滅ぼせているわけではないのだ。

 ましてや、今のスバルを見て魔王を倒せるとは思う者はいないだろう。

「無茶も無謀も承知だよ。でも、諦められない理由があるんだ」

 自分の弱さ、それを理解した上での目的だ。そう、言外に示すスバル。

「…………………………………………」

「…………………………………………」

 覗き込んだスバルの黒の瞳、そこには確かな決意があった。理由の詳細について口にしないということは、ゆんゆんに対してそれを話すつもりはないということだろう。

 出会って日も浅いゆんゆんでは、聞くには信頼が足りないのか。それとも、そもそも誰かに語るようなことではないのか。そこまではわからない。

 それでも、彼の決意はそうそう揺らぐものではない。人付き合いの少ないゆんゆんにもそれは理解できたし、説得できるほど自分の口に自信もなかった。

 がやがや、がやがやと。ギルド内に人間が増え始め、必然的に酒場も騒がしくなってくる。ゆんゆんとスバルの会話が途絶える中、酒場の喧騒が空間の音を支配する。

 やがてゆんゆんは、根負けしたように顔を背け、

「……わかりました。ナツキさんにはナツキさんの理由があるんでしょうし、止める権利もないので深くは聞きません。

 でも、私は魔王城に乗り込むなんてそんな無茶やりませんし、ナツキさんも絶対勝てるって時以外行っちゃダメですからね」

 そう言っておくだけにとどめる。

 ゆんゆんのその言葉に、スバルは苦笑交じりの顔を浮かべた。鋭く、ゆんゆんから見れば結構怖い三白眼が弧を描く。

「魔王とドンパチかますときまで手伝えとは言わねえよ。ただ、しばらくは一緒に頼むぜ」

 そう言って、再び杯を前に差し出すスバル。

 ゆんゆんはそこに自分の杯を合わすことで、了解の意を示した。

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 さて翌日。つまり初クエストを終えた次の日。スバルは馬小屋、ゆんゆんは宿屋から起き出して、冒険者ギルドの前で合流した。

「今日は先に買い物してきたいんだけど、いいか?」

 スバルの言葉にゆんゆんは僅かに頭を傾け、不思議そうな顔で返す。

「えと、はい、構いませんけど……昨日の報酬だと、そんなにいい装備の新調はできないと思いますよ?」

「そんな大層な買い物じゃなくて、ほら、昨日カエルに飲まれて大変だったじゃん?」

 スバルはそう言うと、自分の着たジャージ風の洋服、その襟元を軽く引っ張ってみせる。この服は日本のジャージをモデルに、前の世界のロズワール邸で仕立ててもらったもので、デザインにも服そのものにもそれなりに思い入れがある。

 ジャイアントトードに飲み込まれた時の粘液は当然洗ってあるが、スバルとしてはあまりこの服を同じ目に遭わせたくはなかった。

「ジャイアントトードは金属を嫌うっていうし、鎧――――は手が届かないかもだけど、カエルよけになる何かとか、せめて代わりになる服でもないかなって」

 ゆんゆんは得心したように手を小さく叩き、

「わかりました、それなら任せてください! 昨日あの後、いくつかお店をリサーチしましたから。その中に服屋さんや魔道具店もあったはずです」

「お、用意がいいな! 強さといい気遣いといい、総合力の高さに俺も鼻が高いぜ!」

 そう言って親指を立てて、感心してみせた。

 ちなみにゆんゆんがリサーチしていた理由は気遣いや念のためといったものではなく、パーティ結成に浮かれて『いつか友達と行きたい店リスト アクセル編』を作り始めたからである。 

 もちろんそんなことをスバルは知る由もない。

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 そんなわけで、場所は変わってとある魔道具店。

 貧乏で顔色の悪い店主――ではなく、ごく普通のおじさんが経営している一般店であった。

 全体的に雑多に並べられている気もするが、個人経営の店などこんなものかもしれない。

「ま、日本だってテキトーなところはとことんテキトーだしな……。ゆんゆんは、何か欲しいものとかあるのか?」

「いえ、杖も変えるほどではないですし、駆け出しのうちに贅沢するわけにはいきません」

「そっか、そりゃそうだよな」

 ゆんゆんはそこで一度思案するように上を見て、小さな声で

「あ、でも誰かとただ商品を一緒に見て回るのも――――――――」

「じゃ、悪いけど向こう側から見て回ってもらえないか? カエルよけか何かに使えそうなやつもそうだし、それ以外でも良さげなの探そうぜ。俺はこっち側から見て回るから、お互いなんか見つけたら声かけるってことで」

「あっ…………はい」

 食い気味に言ったスバルの言葉に、何か言いかけたゆんゆんは意気消沈したように頷いた。

 その顔を見て悪いことをしたような気もしたが、ゆんゆんはそそくさと店の反対側に去っていってしまう。

 スバルはやむなく、順々に店の商品を見て回っていった。

「ふむふむ……よく効くポーション、バインド用ロープ、同用途鋼鉄製ワイヤー、オンオフスイッチ付き嘘発見ベル……嘘発見ベル?」

「それはそのまんま、嘘ついたらそれを感知して音が鳴る魔道具だね」

 スバルの独り言に、返す声があった。

 振り返るとそこには少年――いや、少女の姿が。

 頬には小さな傷痕があり、短く切り揃えた髪は銀。さらに瞳は青碧の色を持っている。盗賊風というのか、起伏の少ない身体を、胸当てとショートパンツで隠している。腹部を露出したその姿は、扇情的というよりも健康的な印象が強い。そこに緑の上着を羽織り、薄藍色のマフラーを首に巻いている。

「そこ、よかったらちょこっと退いてくれないかな? 欲しいものがあるからさ」

「あ、悪い」

 言葉とともにスバルが身を引くと、ありがと、と盗賊風の少女が手を伸ばす。バインド用と書かれた、鋼鉄製のワイヤーだ。

 なんでも、盗賊のスキルと組み合わせることで、大物モンスターでも動きを封じられる優れものらしい。

「しかし……嘘ついたら鳴る? それってマジか?」

「んー……じゃあ試してみようか。さっきのは嘘だよ、嘘ついても鳴ったりしない」

 チリーン。

 甲高く小気味良い音が響いて、小さな魔道具はその機能を証明してみせた。

「うっわぁ……マジだよ。こんなの普通に売ってるんだなあ」

「あたしもこんなのがアクセルで売ってるのは初めて見たよ。警察とかの取り調べで使うものなんだけどねえ」

 嘘を看破する加護を持った知り合いの顔を連想する。確かにああいった力は、取り調べや交渉の場に置いて非常に有用だ。

 しかし冒険者にはそれほど必要なものなのだろうか。

「需要あんのかな、こういうの。冒険者ってモンスター倒してギルドでお金もらうのが基本だし、クエストもギルドに仲介してもらうから、あんまり使わなさそうだけど」

 そうスバルが疑問に思っていたところ、おじさん店主が声をかけてきた。

「大した値段はしないよ、駆け出し冒険者でも少し貯めれば買えるお値打ち価格さ。こういうの置いてれば、それで店に来る客も結構いるよ」

 冒険者同士での取引に嘘がないか調べるのに、使用料を払うとかね。

 そう続ける店主の言葉に、スバルの疑問も氷解した。

 確かに、冒険者は基本的にはギルドを介してクエストを受けて依頼を果たす。しかし冒険者同士、パーティ同士でも取引するケースはいくらでもあり得るのだ。

 ダンジョンで見つけた武具や宝石の売買、あるいはトレードなど、そういったケースは十分考えられる。『この場での合意に嘘はない』という信用の証明のために借りる人間はいるだろう。

「ちなみにおっさん。カエルよけになりそうなものってないか?」

「残念だけど、うちじゃそんなの扱ってないねえ。カエルよけって言ったら、素直に全身鎧でも身につけたほうが早いし他の戦いでも使えるし、確実だと思うよ」

「やっぱそっか……」

 そんな金はないからこその、お手軽なカエルよけ探しだったのだが。うなだれるスバルに対し、盗賊風の少女が声をかけてくる。

「そういえば、あたしの友達が今行ってる店が、そんな感じの薬を仕入れたとか言ってたっけ」

「マジか!?」

「うん、あくまで人づてに聞いた話だけどね。カエルが触ることも嫌になるような薬らしいよ。その代わり全身地面から湧いてくる虫にたかられて、まともに動けなくなるらしいけど」

「意味ねええええええ! 仕入れた方も何考えてんの!?」

 全力で叫ぶスバルに、彼女はケラケラと笑う。

「後は瀕死の重傷を負うと自爆して敵を倒すけど、威力が強すぎて近くにいる愛する人も巻き込んじゃう『愛のペンダント』とかもあるって聞いたねえ。一年後の完成を目処に作った試作品なんだってさ」

「それ作ったやつ馬鹿じゃねえの!?」

 そんなことをして遊んでいると、突然少女を呼ぶ声が聞こえてきた。

「クリス! あっちの魔道具店で凄いものを見つけたぞ!」

 見た感じ女騎士っぽい人が突然店の入口から入ってきて、盗賊風の少女――クリスに声をかけた。

 黄金色の髪はまるで輝くよう。緑がかった青い眼は、どことなく潤みを帯び、本来純白であろう肌が紅く染まっている。

「どしたの、ダクネス。凄いものってなにさ。世間知らずなんだから、変なの買わされちゃダメだよ?」

「ふふふ、今回は間違いない。さあ、これを見ろ!」

 ダクネスと呼ばれた女騎士らしき人は、そういって赤い輪状の物体を懐から取り出す。

 首輪状のアクセサリー――いわゆるチョーカーだろうか。

「これは向こうの売れない店で珍しく売れている人気商品らしい!」

「そんな売れない店とか言っちゃダメだよ、失礼だなー。あたし会ったことないけど、あっちの店主さんは大型クエストの前に差し入れとかしてくれるいい人らしいじゃない」

 そう言って、クリスはダクネスが差し出してきたチョーカーを手に取った。

 横から覗き込んだスバルがタグを読み上げる。

「願いが叶うチョーカー……10万エリス……高っ! おまじないにしては高すぎだろ! なにこれ、パワースポット的な謎パワーでも込められてんの!?」

 会話に割り込むつもりはなかったが、思わず声をあげてしまった。

 願いを叶えるという女神の言葉を信じてこの世界に来たスバルが言うことではないのかもしれないが、いくらなんでも怪しすぎる。チョーカーの相場はわからないが、それほど高級そうなものに見えないし、ボッタクリか霊感商法にしか見えない。

「ダクネス、こんな説明信じて買っちゃったの? こっちの男の子が言うとおり、シャレにしても高すぎるんじゃない?」

「それは違う! これはただの怪しい詐欺商品ではない、きちんと効果がある魔道具だ!」

 拳を握りしめ、ダクネスは熱弁する。

 その顔の興奮ぶり。鳴らないベル。これは完全に、心の底から信じているようだ。ただの馬鹿か、それとも本当に何かがあるのか。

「このチョーカーは自力で願いを叶えない限り徐々に首を絞め続け、しかも外れないという一品なんだ!」

 やばい、両方だった。

「呪いのアイテムじゃん! それ全然駄目じゃん! ダクネスのことだから、叶いもしない願いとか言い出してろくなことにならない未来が見えるようだよ!」

「大丈夫だ、これは絶対に叶えられない願いには反応しないようになっている。つまり首絞めで死ぬギリギリまで苦しい目に遭って快感を得たいという願望を抱いていれば、まさにギリギリまで首絞めプレイがだな」

「それ絶対そのまま死んじゃうやつだから! ダメダメ、こんなの返品するからね!」

 命を賭けて首絞め窒息プレイがしたいという、美人女騎士の狂った言葉。にも関わらず、一切ベルが鳴らないという事実に、スバルの手は知らない間に震え始める。

 いつの間にかワイヤーを放り出し、チョーカーを持って外に出ようとするクリスと、それを全力で引き止めようとするダクネス。

 銀髪と金髪の美しいコラボレーションが、ここまで残念に見えるとは思わなかった。

 これ以上関わり合いになるべきではないと判断したスバルはそっと目をそらし、再び品物を見定めようとして――近くに来ていたゆんゆんと目が合った。

 彼女は二人が去ったのを確認すると、決まりが悪いという顔で苦笑した。

「その……せっかく来たのに、一人じゃ寂しくて。やっぱり一緒に見て回りたいなって……」

「そりゃもちろんいいけど……いつからそこに? 普通に混ざればよかったのに」

「銀髪の人と話し始めたあたりからですけど……知らない人といるところに話しかけて、『なんでこの人いきなり話に入ってきてるの空気読みなさいよそもそもなんでこんな変な娘がここにいるのよ今すぐ帰りなさいな』って迷惑顔されたら辛いかなあって」

「……………………」

「ごめんなさいごめんなさい、変な子でごめんなさい」

「いや……うん。初対面の人に話しかけられない娘もいるし、変じゃない、よ?」

 チリーン。

「…………嘘つき」

「いや確かに嘘だったけど、これはついてもいい嘘だろ!?」

 白い目で見てくるゆんゆんに、慌てて弁解した。

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 スバルとゆんゆんが冒険者ギルドに着いたのは、太陽が高く登ったころだった。

 魔道具を見て回るだけで、ころころ表情を変わるゆんゆんがあまりにも楽しそうで、結局長々と買い物に付き合ってしまったのである。

 結局安価で手に入るカエルよけらしきものは見つからず、やむなく冒険者チックな服を新調していた。

「今日はナツキさんのレベル上げを目指すのはどうでしょうか」

 再びジャイアントトードのクエストを受注したところで、ゆんゆんからそう提案された。

 冒険者はモンスターを倒すことで経験値を得ることができる。

 言い換えれば、モンスターを倒した人間にしか経験値は入らないということだ。つまり、昨日のようにゆんゆんが敵を倒す戦いを続けていれば、スバルのレベルが上がることは永久にないのだ。

 日本のゲームのように、パーティーで経験値が分散されるような、都合の良いシステムはないらしい。

 そこで、ゆんゆんの出した提案はこうだ。

「昨日で、どの程度の威力で撃てばジャイアントトードを倒せるかは、なんとなくつかみましたから。死なない程度に私が弱らせたところを、ナツキさんが倒してください」

 紅魔族ではこれを『養殖』と言うんですよ、と両手をぐっと握りしめて締めくくった。

 なるほど、単純にして効率的なやり方だ。戦力差のあるパーティーならば、これで一気にレベルを追いつかせ、総合力を上げることができるだろう。

 それに、数多く出てきてしまった場合は、養殖にこだわらずに普通に倒せばいいのだ。

 鞘に入れたショートソードに視線を移す。これを買った意味がようやく出てきたらしい。

 自然と歩みにも力が入る。そのままスバルは、レベル1と刻まれた自らの冒険者カードを握りしめた。

 これならば何も問題はない。

 

 あった。

「ジャイアントトードどころか、モンスターが全然いねえ…………」

 枯渇。考えてみれば、当然起こりうる事態だったのだ。

 妙に大きな胸を強調した服を着た、美人受付嬢の言葉を思い出す。

『悪魔型モンスターが森の中で目撃された。魔法を使い高い知能を持つ個体の可能性が高い。よほど腕に自信がある冒険者でなければ森に入ってはいけない』

 確かそんな内容だったはずだ。

 冒険者達の言葉を思い出す。

『平原は弱いモンスターが多いし、実入りが悪いから普段は行かない。でも今は仕方ないから平原で狩るしかない』

 確かそんな内容だったはずだ。

 どちらも先日から似た情報は聞いていた。

 つまり普段は森に行く冒険者が、ここ数日は平原で狩りを始め、一時的に競争率が爆発的に上昇している、ということになる。

 無論、この程度で絶滅させられるとも思わないが、わざわざ多くの冒険者がいるところに出てこようとは、モンスターたちも思わないようだ。

 冒険者達も、少しでも効率を上げるため、うっかり出てきたジャイアントトードなど目立った獲物は真っ先に狩ってしまったのだろう。

 昨日は早朝からクエストを受けてそのまま狩りに向かったが、今日はすでに昼を過ぎている。

「結果論だが、先に魔道具店に行ったのは失策だったか……」

「ナツキさん……ごめんなさい」

 魔道具店でここぞとばかりにウィンドウショッピングを楽しんでいたゆんゆんが、身体を小さくして頭を下げる。

 スバルは手を振り、ゆんゆんが頭を上げたタイミングで顔を傾け視線を合わせた。

「いいっていいって、っていうかゆんゆんのせいじゃねえよ。元々買い物提案したのは俺。何か買ったのも俺。ゆんゆんはただそれを手伝ってくれただけ。オーケイ?」

「え、と……」

「オーケイ?」

「……お、おーけい」

 ゴリ押し的に頷かせた。

 視線に耐えきれなくなったらしいゆんゆんは、目を逸らして森の方に向ける。

「あっ」

 と、同時にゆんゆんの小さな驚きと、少し喜びを含んだような声。その視線の先に目をやると、森の近くを歩く黒い影に気がついた。

 ピン、と両耳を頭の両端で立て、その肉体を包む毛並みは、全身に闇を宿したような漆黒。顔面に二つ輝くその瞳は、金色に近い琥珀色をしている。その琥珀の瞳と、十字の形をした眉間の傷が、全身を艶やかに輝かせる毛並みの黒の中、自らを主張していた。

 瞳と傷を除けば見事な黒一色。単に全体的に黒っぽいだけの、一般に呼ばれるような黒猫ではない。スバルの知る知識では、小さなクロヒョウことボンベイネコと呼ばれる種類が近いだろうか。

 もっとも、その背に小さな黒の羽根らしきものがある、という点を除けばだが。

 さすが異世界。コウモリの羽根を持った猫もいるらしい。まあ、巨大化する鼠色の猫とも知り合いのスバルだ、多少羽根が生えている程度は許容範囲である。

 自分を三度殺した者の姿を思い出し、やれやれと苦笑するスバル。そんなスバルの姿をよそに、ゆんゆんはその黒猫を呼んだ。

「ちょむすけ!」

「は? ちょむ……」

 今何と言ったのか。

 ちょむすけ?

 まさかそれは名前か。この黒猫の名前なのか。

 確かに彼女自身もゆんゆんという、スバルの感性からしても変わった名前だったが、この世界ではまさか”ゆんゆん”だの”ちょむすけ”だのが一般的な名前なのか。いやそんな馬鹿な、酒場の人達は普通だったぞ。

 一瞬衝撃で戸惑うスバル。しかし、すぐに頬を恥ずかしさで紅潮させ、ぶんぶんと手を振るゆんゆんの姿に、それは否定される。

「ち、違うんです。えと、その、これはそう、私の猫じゃなくって。めぐ……ライバルが『これは私の使い魔だ』って連れてきた子なんです。私はクロって名前を提案して一度は定着したんですけど、センスがないとか変わった名前だとか皆言ってきて……。

 変じゃないですよね!? 黒猫だからクロちゃんって変じゃないですよね! ちょむすけよりずっと普通ですよね!?」

 言葉が進むうちに瞳が潤み、こぼれそうな涙が光を反射してキラキラと光っている。いつの間にか頬の紅潮の理由は、羞恥から興奮に変わっていた。

 ゆんゆんの必死な様子にスバルは目頭を押さえる。そこには、かつての自分のように、周囲から浮いたことのある過去が見える気がした。

「ああ……わかる。自分は正しいと思って行動してるのに、周囲から理不尽かと思うくらい、非難されることってあるよな……」

「わ、わかってくれますか!? ナツキさんも私と同じような経験……」

 大げさな動きをするスバルを見てか、既知のゆんゆんがいるためか。ちょむすけはエサでももらえると思ったのか、黒い尻尾を横にふりつつ、こちらに駆け寄ってくる。

 綺麗に敵がいなくなった平原を確認してから、スバルはその身を強引に抱き上げる。暴れるちょむすけをモフりながら、瞳に寂しげな影を宿す。そして視線をゆんゆんに向けて、言葉を続けた。

「俺にもあったよ。良かれと思って、人様の誕生日パーティーに、呼ばれてもいないのに乗り込んで盛り上げようと盛大に騒いだんだ。まあ見事に白い目で見られることになったんだよ。

 でもやっぱりそういうのは自分じゃなくて周囲が正しくってだな、俺もその後反省して、呼ばれてもいないパーティーに行くのはやめようって思ったんだけど、時すでに遅し。

 以降俺は誰にも呼ばれなくなって……。だからゆんゆんも、そういう時は空気を読んで周囲に合わせた方が……」

「そういう話!? 黒猫にクロちゃんって名付けるのって、勝手に誕生日パーティーに乗り込んで騒ぐようなレベルの酷いことなんですか!? いくら私でもそこまで空気読めなかったつもりはないんですけど!?」

「ああ、自分じゃ自覚できないもんだよな。でもそういう時は往々にして周囲が正しくって……」

「これ私が悪いんですか!? さすがに納得出来ないんですけどぉ!」

 と、ひとしきりゆんゆんをからかっていると、漆黒の獣がスバルの手の中からするりと抜けた。

 そのまま元の場所――を通り過ぎて、森の奥に向かって一気に走っていく。

「ちょむすけ!? そっちはダメ!」

 ゆんゆんは走り出そうとして、一度スバルの方を振り向く。

「ナツキさん、私――」

「追っかけるぞ! とっとと捕まえて戻れば問題ないはずだ!」

 おそらくは一人で行こうとしたゆんゆんに有無を言わさず返答し、スバルはちょむすけを追うために森へ入っていった。


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