友達料と逃亡生活   作:マイナルー

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15 『ゼロカラツグナウトウボウセイカツ』

 空が厚い闇に閉ざされ、静けさが街に広がりつつある夜。

 今日も今日とてパーティを追い出された爆裂狂いの紅魔族は、自分の使い魔(ちょむすけ)が未だに戻っていないことに気がついた。

「ゆんゆん、起きていますか? うちのちょむすけが帰ってきていないのですが、心当たりはありませんか?」

 小さく揺れるのは、肩の当たりで切りそろえられた黒髪。

 眼帯を外し、両の紅瞳を露わにして、めぐみんはライバルの部屋のドアを叩く。

「ゆんゆん? いないのですか、ゆんゆん?」

 数回扉を叩くも、まるで反応が見られないことを不思議に思い、めぐみんは首を傾げる。

 経験からいって、ゆんゆんがここまで自分の呼びかけに応えないことは考えづらい。

 だが、部屋にいないというのもどういうことだろうか。

 ぼっちとはいえ、秘めたる才は紅魔族屈指のゆんゆんだ。その実力はめぐみんも目の当たりにしている。

 クエストで意味もなく無茶をする性格でもないし、この街の周囲にいる魔物程度なら相手にならないだろう。軽く敵を一蹴し、とっくに部屋に戻ってきていると思っていたのたが。

 そこで、今の彼女が一人ではなかったことを思い出す。

「まさか…………」

 これが、仲間と朝まで飲み明かしているのなら構わない。

 だが、もしも足手まといをかばい、魔物を相手に大きな傷を負い、帰れなくなっているとしたら。

 動けなくなったところに、多くの魔物に群がられれば、あるいはその生命も。

 自身の想像が最悪の図に行きついて、自分の顔から一気に血が引くのを感じた。

 血の気が失せた顔で、めぐみんは急ぎ階段を駆け下り、ゆんゆんを見なかったか聞こうと階下の酒場に向かい、

「うう………ひっく、ひっく…………ぐすっ…………あぅぅぅぅぅ……ふぇぇぇぇぇええええええええええええええんっ!」

 そこで大泣きする、自分のライバルの姿にずっこけた。

「んぐっ………んっ…………ごくりっ……。うっ……うっ……どうして……うぐっ……どうしてよおおおぉおぉぉぉぉぉぉぉ! 私の何がいけなかったっていうのよぉぉぉぉっ……!」

 ゆんゆんはその瞳から大粒の涙をこぼし、嘆きの声を上げながら遅い夕食を摂っている。

 彼女の隣で突っ伏す酔っぱらいは、ゆんゆんの声にうるさそうにもぞもぞしていた。

 よくよく見ると、近くの椅子ではちょむすけが丸くなって、我関せずといった態度を見せている。

 めぐみんが目の当たりにしたその光景。

 そこになんとなく事情を察しながらも、一応声をかけた。

「ゆんゆん、公共の場所で大声を出すのはやめておきなさい」

「め、めぐみん……?」

 そこでようやくこちらの存在に気づいたらしく、ゆんゆんは紅潮させた顔をこちらに向ける。

「というか一人でブツブツ愚痴っているなんて、らしくないですね。ゆんゆんは多少嫌なことがあっても、死んだ目をして一人溜め込んでいそうだと思っていましたが」

「う、うん……。私もここまで荒れるつもりはなかったんだけど……」

 そう言ってゆんゆんは恥ずかしそうに顔を伏せ、ちらりと横で突っ伏している酔っぱらいに視線を移し、

「この人が、辛い時に溜め込むのはよくない、自分が話を聞いてやるって言ってくれたから。お酒を奢りながら話してるうちについついヒートアップしちゃって……」

「たかられてるじゃないですか! 弱っているところにつけこまれてないで、しっかりしてください!」

 全く、隙の多い娘である。

「で、こんな人前でバカみたいに大泣きして、そうなる前に一体何があったんですか?」

 めぐみんの放つ、核心的な問いかけ。それを聞くとゆんゆんは長い髪を揺らし、気まずそうに顔を伏せた。

 彼女の反応から、自分の考えが間違っていなかったことを確信し、小さく嘆息する。

「まあ、想像はつきますけどね。大方、パーティから無理矢理外されたといったところでしょう」

 ぐさっ。

 そんな擬音が聞こえてきそうなほど、ゆんゆんの身体が大きく震えた。

「まったく。どうせ初めての仲間が出来て浮かれた挙句、自分本位に動いて愛想を尽かされたのでしょう」

 単純な実力ならば、ゆんゆんが切り捨てられることは考えづらい。中級魔法しか使えない半人前の紅魔族とはいえ、そんなものはここでは大したハンデにならない。

 確かに経験自体は不足していると言わざるをえないが、駆け出し冒険者が集まるここで、それだけの理由で拒絶されるとは考えづらい。

 やはり、初めての仲間に浮かれて、一日中冒険に行かず買い物に連れ回していたとか。

 あるいは逆に気を遣いすぎて、ドン引きレベルの行動を始めたとか、そんなところだろう。

 まったく、バランスを考えて相手に合わせるということを覚えてほしいものである。

 爆裂道(じぶん)を貫いた結果、今日もパーティから追い出された少女は、自信満々にそう推察した。

「……………………違うの」

「ん?」

 めぐみんの確信を込めた推測、それに返されたのは力なきつぶやきだった。

「本当に、どうしてかわかんないの。……ナツキさんが、あんなこと言い出した理由。考えても、考えるほど、わかんなくなっていくの」

 そうして。ぽつり、ぽつりと。

 ゆんゆんは目を伏せて、声を震わせながら話し始めた。

 ナツキ・スバルという、目つきの悪い冒険者職とパーティを組んだこと。

 彼は魔王を倒そうという強い熱意と、危険な状況下で素早く的確に動ける判断力を持っていたこと。

 反面、その熱意とは裏腹に、彼はまだまだ実力不足だったこと。

 ゆんゆんは、魔王討伐まで付き合う気はなかったものの、しばらくパーティとしてやっていきたいと思っていたこと。そのことはきちんと話し、スバルも合意していたこと。

 にも関わらず今日、森に走っていったちょむすけを連れ帰ると、突然スバルから解散を告げられたこと。

 涙混じりな彼女の話をまとめると、そんなところであった。

「なるほど…………」

 ゆんゆんの言葉を聞き終えて、めぐみんは腕を組む。

 確かに、スバルの行動は不可解だ。

 もちろん、待ち合わせに気持ち悪いほど早く来ているなど、確かにゆんゆん側にもアレなところは散見されている。

 だが、ゆんゆんの話が確かならば、スバルの態度が変わったのは森を出たあたりらしい。アレなゆんゆんに付き合いきれなくなったなら、もっと早くに言いそうなものだ。

 互いの道が交わるべきものではない、というのもわからない。

 確かに、ゆんゆんは魔王討伐を本気で目指すような勇者様志向ではないが、だからといってあっさり解散する必要性が見いだせない。

 スバルの立場からすれば――言葉は悪いが――ある程度の期間はゆんゆんを利用した方が合理的なはずである。

 情報が少なすぎて、スバルの考えを導き出すことはできない。できないが、確かに彼に何かの事情があることは間違いなさそうである。

 しかし。

「理由はわかりません。ですがゆんゆん。そう悩む必要などないのではありませんか?」

 できるだけ優しく、慰めるように。

 ショックで見解を狭くしている彼女に、珍しく親切に。

「悩まなくていいって…………どういうこと?」

「ええ。だって――――――――」

 

 

 

 

 

「別に――――誰でも良かったのでしょう?」

 

 

 

 

 

 ぴたり、と。

 ゆんゆんの瞳が見開かれたきり、身体の動きが静止した。

 それに構わず、めぐみんは言葉を続ける。

「ゆんゆんにとって、その男はたまたま声をかけてきただけの相手。別に、こだわらなければならないような、かけがえのない相手ではないはずです」

 そう考えると、この出来事は決してマイナスにばかり働くまい。

 パーティを解散して、ゆんゆんは一時的にショックを受けているようだが、ナツキ・スバルとのわずかな時間は決して悪い経験ではなかったはずだ。

 初対面の相手とそれなりにコミュニケーションを取れたのだから、ゆんゆんも少しは人に慣れただろう。

 後は、スバルとの別れなどそれほど大事ではないということを理解すればいい。うまくいく『次』を探せばいいと、割り切れられれば、きっとパーティを組めるはずだ。

「ゆんゆん。もう頭も冷えたでしょうし、私は部屋に戻ります。落ち着いたらゆっくり眠って、それから今後のことを考えなさい」

 だが、そこまではっきりとは言わない。

 これはゆんゆんの問題。彼女自身が考えて答えを出さなくては、きっと彼女は変われない。

 自分はゆんゆんの師ではなく、あくまでライバルだ。

 言うべきことを言い終えためぐみんは、眠たそうにしているちょむすけを拾い上げ、そのままゆんゆんに背を向けた。

「わた、し、は…………」

 歩き出した背中に、そんなつぶやきが聞こえたが、振り返りはしなかった。

 

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 ――――――――42周目

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 大きく風が流れ、濃密な木の香りが鼻孔を刺激する。

 ひとつひとつの木々が伸び、青々と茂った葉が重なり合うその森を、四人の男が歩いていた。

 男たちの動きによどみはなく、迷う様子もなく進んでいる。それはこの森を知り尽くした動きであり、動きを止める際も、念のための確認という色が強そうだ。

 戦士風の男が身につける鎧は、高い防御力を持ちながら、動きを損なわない軽さを持った高級品だ。見識を持つ人間ならば、その機能性を追求した作り手の在り方に感服しただろう。

 盗賊風の男と魔法使い風の男も同じようなもので、優秀な装備とそれに見合った経験があることが見て取れる。

 そんな中、唯一人異質感を放った少年がいる。黒と白を基調にし、橙のラインが入った衣装を着ている。それなりに鍛えているのか、一般人に比べれば筋肉質ではあるが、それも冒険者の中では特筆するほどでもない。

 他人が見て印象に残るのは、常人と比べて凶悪な雰囲気を見せる三白眼程度であろう。

 少年の名はナツキ・スバル。この世界の異邦人にして、なりたての冒険者だ。

 ある少女が縫った、”ジャージ”を模した衣装を纏い、ショートソードをホルスターにセットしている以外は目立った装備も荷物も見られなかった。

 衣服をジャージへと切り替えたのに、それほど深い意味はない。

 単に前日着て、冷や汗でびっしょりになった冒険者風の衣服よりは、こちらを着ているほうがマシだと思っただけだ。

 新しい服を買うような時間的余裕は、今のスバルのスケジュールに存在しない。

 歩いていると、パーティにいる盗賊職の男が声を放った。

「おい、敵感知に反応がある。とりあえずこちらに向かうでもなく、さまよってるだけみたいだがな」

 その報告にスバル以外のパーティメンバーは顔を見合わせて、話し合いを始める。

 三人の話し合いにスバルは蚊帳の外だが、それに不満などこぼしはしない。

 スバルはこの三人の仲間ではないからだ。

「一体か……ギルドの報告に上がってた悪魔型モンスターかもしれねえな」

「となると、油断は禁物だな。俺たちもそれなりにレベルが高いが、悪魔とあっちゃ相手にしたくねえ」

「ああ、しょぼい悪魔ならともかく、上位の悪魔には知能も戦闘能力もおっかねえからな。ここは安全に索敵したほうがいい」

 その判断は正しい。

 彼らも上位悪魔の危険性はギルドでも十二分に知っているし、わずかでもその危険性があるなら、決して無理をしないのが熟練の冒険者である。

 事実、この森にいる悪魔は、この街の冒険者たちが挑んでもまず敗北する。

 それはスバル自身がよく知っている。

「おい命知らず、お前の出番だぞ」

 槍を持ったの男はそういって、スバルに顔を向けた。

「わーってるよ。お役目はきっちり果たしてくるからさ」

 もちろんスバルもやることはわかっている。何度も何度も繰り返してきたことだ。言われるまでもない。

 盗賊の男の『潜伏』スキルによって、三人の男が気配を消す中、スバルはゆっくりと三人から離れ、前に出る。

 慎重に音を立てないようにそっと足を進めていく。足元の枯れ木を折らないように、頭の先端に生樹の枝がぶつからないように。

 だが、スバルは『潜伏』スキルは発動させていない。

 完全に気配を殺しては、スバルの役割が果たせない。

 慎重に音を立てないように、それでも微かな気配を帯びながら、スバルは確実に前に進んでいく。

 やがてスバルの視線の先に獣の姿が映る。それは、黒い小山のような巨体を持ち、鋭利な爪で木の根を掘り返すようにしている猛獣だった。

 一撃熊だ。

 討伐クエストならば、数百万エリスは下らない凶悪なモンスター。ギルドでの話では近隣の山に生息するものであり、こちらの森には来ないはずの敵である。

 ホーストがこの街に来る過程で山を通り、こちらのあたりにまで追い立てられてしまったのだろうか。

 まあ、それはどうでもいい。以前も考えたが、結局答えを出しても意味のない問いだ。

 一撃熊は、男たち三人ならば勝てない相手ではない。

 スバルは後ろ手で予め決められたサインを示し、三人に合図を送る。

 そこからしばらく間をおいてから。

 スバルは意図的に近くの枝を踏み潰す。

 音を聞きつけた一撃熊からよく見えるよう、片手に持った刃をわかりやすく振りかざす。

「さあ来やがれ。くまさんこちらってやつだ」

 スバルが手に持つのはショートソード。もちろんこんなもので一撃熊の相手などできるはずもない。

 剣の才能がないのは自分が一番よくわかっている。今のこれは飾りのようなものだ。

 一撃熊はスバルを獲物と認識すると同時に、歓喜の咆哮をあげ、一目散に突進してきた。

 巨体に似合わぬその速さに、スバルは大きく右に跳び、茂みへと突っ込む。

 すると獣は、逃さんと言わんばかりに身体を旋回させ、方向を修正した。

 その名の通り、人間の頭など一撃でもぎ取る力を持った前足。

 スバルが何かに足を取られるだけで。

 いや、この音を聞きつけた他の魔物がちょっかいをかけるだけで、スバルは回避できずに、その身を引き裂かれるだろう。

 しかしスバルはそれを恐れない。

 どのあたりで接敵すれば、余計な障害物のない状況にできるか。

 どの道をどれだけのペースで進めば、他の魔物が来ないタイミングになるか。

 スバルはそれを知っている。

 姿勢が崩れたまま強引に跳躍し、スバルが二度目の回避をした直後。

 男の声が響いた。

「『ファイアーボール』!」

 声は遠く。木々の影からアークウィザードの男が放った火球は、唸りをあげて一撃熊の後脚部に突き刺さる。

 当然、跳躍していたスバルに被害はない。一撃熊の下半身が火に包まれ、その瞳が恐怖に染まった。

 同時に、近くで潜伏していた盗賊と槍を持った男がそのまま一撃熊に襲いかかり、目を、胴体を貫いた。

「相変わらずナイスな威力だな」

「なに、どうってことねえよ」 

 これらの動きに迷いはなく、淀みもない。

 まず後衛が遠距離から魔法でダメージを与えつつ動きを止める。

 そしてパニックになった相手を潜伏で接近していた前衛が致命的なダメージを与える。シンプルだが、単純なモンスターには効果的な作戦だ。

 これまで強力なモンスターを処分するため、何度もやってきたのだろう。

「スバルも囮役よくやったぜ」

「ま、俺はこのくらいしかできねえしな。弱いなりにやれることはしっかりやらねえと」

「おら、話しながらでいいから、とっとととどめを刺せよ、スバル。血の匂いを嗅ぎつけられないとも限らねえんだから、長居はしたくねえ」

 男達の指示に従い、スバルは死に逝く一撃熊に、最後の一撃を下した。

 

 冒険者がパーティ組む場合、基本的にはビジネス的な性格が強い。

 なにせ、命をかけてモンスターと戦うための協力関係だ。

 長い付き合いになれば、情や信頼関係も湧くだろうが、基本的にはお互いがお互いの役に立たなければ意味が無い。

 役に立たないとなれば、それらしい建前で戦力外通告を受けたとしても文句は言えないのだ。

 逆に言うなら、冒険者になりたてで、最弱職”冒険者”でしかないスバルであっても。

 何らかの形で有用であると判断されれば、高レベルのパーティに入れてもらえるし、そのおこぼれに預かることが出来る。

 そう、どんな形であっても。

 このパーティに混ざったスバルの役割を表現するなら、偵察、探知機。あるいは炭鉱のカナリアだ。

 要はモンスターの潜んだ、森という地雷原を進み、先の危険を具体化していく仕事である。

 最も戦闘力で劣るスバルが率先して危険な場所を確認しにいき、問題ない程度の敵ならばそのまま合流。敵を蹴散らして進んでいく。

 逆に、悪魔のような危険な相手ならば、スバルの合図を受けて、あるいはスバルの殺害を感じて撤退するのだ。

 撤退のケースでは、たとえスバルを置いて三人だけで逃げ出したとしても、スバルは文句を言えない。

 本来このパーティは男たち三人のもの。スバルは頭を下げて一時的に手伝わせてもらっている立場である。

 駆け出しの街に不相応な熟練パーティが、最弱冒険者ナツキ・スバルを仲間に入れる理由は、上位悪魔ホーストを警戒しているからに他ならない。

 スバルは命がけだからこそ、”有用”と判断されるのだ。

 この三人の冒険者には、魔王を討伐する気など全くない。

 なんでも、基本的にはほとんど働いていないニート生活を送っているらしい。

 この街でもたまに出る、指名手配済の強力な魔物を狩り、莫大な報酬を得て、後はひたすらぐうたら怠けて過ごしている。

 そして、最近は懐が寂しくなる周期に入ったものの、ちょうど冒険者ギルドが悪魔への警告を出していたため、リスクを恐れて途方にくれていたのだ。

 そう、この三人。

 スバルがゆんゆんと初めて出会った日、受付で「格下のモンスターしか相手したくない」と騒いでいた、トンチンカン二号である。

 このパーティで命を賭したスバルの報酬は、金銭ではない。

 彼らが挑む凶悪なモンスターとの戦いで、可能な限りトドメを――経験値を譲ってもらえることだ。

 自分の中に、一撃熊の経験値(たましい)が流れ込み、全身に力が漲ってくるのを感じられる。

「敵を倒しさえすれば、訓練の時間もなしに強くなれる。こんなわかりやすいシステム、これまでなかったもんな…………」

 駆け出し冒険者の集まる街、アクセル。周囲の弱いモンスターの大半は駆除され、最もお手軽とされるジャイアントトードすら、スバルが戦えば喰われて死ぬだろう。

 スバルが得るものは、最低限の強さを得るための、迅速なレベルアップ。

 スバルが差し出すものは、命を落とすリスクと、皆の安全。

 これで良い。

 ゆんゆんと一緒では、決してできなかった戦い。

 スバルを見捨てようとしなかった彼女が、決して許してくれないような戦い。

 他の誰でもない、スバルだからこそ。

 狩り取った命という結果のみで強さが決まる、この世界だからこそできる。

 短時間で最高効率の強さを得るための戦いだ。

 これで良い。

 罪深い自分のせいで誰かが死ぬよりは何倍もマシだ。

 命を差し出すリスクなど。爪が身を裂き、牙に臓腑を喰い尽くされるリスクなど。

 今のスバルにとっては、心が磨り減るだけの、安い代償に過ぎないのだから。

 とはいえ、経験値が莫大に入る強力なモンスターはそうそういない。

 スバルには脅威でこそあれ、それほど高い糧とならないモンスターに出くわしながら、同じような作業を繰り返し。

 何度目かの先行で、スバルの肩の上に、ポトリと何かが落ちてきた。

 目を向けると、そこには怪しく蠢く、ゲル状の生物が映った。

 その生き物の体色の緑が、スバルの眼球が映した最後の色になった。

「スバル!」

 男の声がスバルの鼓膜を揺らすより先、緑色の軟体生物はスバルの顔に飛びついてきて、そのまま眼から口にかけて一気に覆い尽くす。

「――――ぁ――――」

 スバルの視界が全て緑に染まり、外界から酸素を取り入れるための鼻や口を、ぐにぐにとした感触が侵食してくる。

 手で顔から引き剥がそうと足掻くものの、何の取っ掛かりもないそれの前に、スバルの指は無力に泳ぐばかりだ。

「おい、スバル!」

「そいつはもうダメだ、木にびっしりスライムがいやがる。あれを全部殺そうと思ったら、どうやってもスバルも巻き込んじまうぞ!」

「……ちぃっ! しょうがねえ、往生しろよ!」

 三人の男の声が遠くなるのを感じ取りながら、自分の眼球が、鼻孔が、口内が溶けていくのを感じながら、スバルは場違いにも思い出す。

 スライム。

 そういえば、ゆんゆんにも注意されたものだったか。

 スライムは物理攻撃がまともに効かない、危険な生物だと。

 手足が痙攣し、胸が張り裂けそうな激痛にまみれ。

 酸素を失い、息苦しさで頭を蹂躙されながらも。

 何故か妙に落ち着いたような感覚で。脳が停止するのを、他人事のように見ている自分が、どこかにいた。

 

 

 この世界も終わりだ。

 さあ、もう一度。

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 少し前のことを追憶しよう。

 

 

 ゆんゆんに別れを告げたあの後。

 ナツキ・スバルは、気配を絶ちつつも、森の奥へと足を進めていった。

 異世界は基本的に優しくない。それはスバルもよく知っている。

 自身の気配を消し去る『潜伏』スキル、その対抗策を持ったモンスターがいないとも限らない。むしろ、いて当然と思うべきだろう。

 その可能性に気づいた上でなお、無力なスバルは魔物ひしめく道を突き進む。

 僅かな光すら徐々に消え、闇に満ちた道を進んでいく。

 それは、例え『死に戻り』を知っている人間がいたとしても、蛮勇に見える行動だったかもしれない。

「――――――――よう。俺様は上位悪魔のホーストってもんだが…………探してる相手がいてよ」

 だが、悪運が強かったと言うべきか、スバルは無事に目的の相手の元にまでたどり着くことが出来た。

「懐かしいウォルバク様の匂いを嗅ぎつけて来てみれば、なんで人間がこんな夜中に一人でうろついてるんだ? まあいいか、それよりお前、どこかでウォル――――」

「俺は、『死にも――――」

 ぶつくさ言うホーストの言葉に被せるように、スバルは自身の空気を一変させる一言を放った。

 定められた禁忌を破る言葉とともに、世界から色が消え失せる。

 目の前の悪魔の表情がぴたりと固まり、スバル自身の唇も動きを止めた。

 二人だけではない。

 目に、耳に、肌に、五感すべてに働きかける世界のすべてが停止する。

 その中でスバル自身の意識だけが明確に、自身に這い寄る黒い靄を感じ取る。

 その黒い靄は腕の形を――否、腕だけではない。

 スバルが『死に戻り』を明かそうとするたび、徐々にその輪郭は明確となり、今ではぼんやりとした形で全身すら見せることがある。

 禁忌を犯すスバルの心臓を掴み取り、辛苦という罰を与えにやってくる魔女の腕。

 覚悟を捻り潰すような苦しみを、叫び出したくなるような激痛を、白色に染まる視界の中、意志の力でねじ伏せてただ耐える。

 そのまま痛覚以外がすべてを置き去りにするように流れ去り――――。

「お前、悪魔だったのか…………」

 ホーストの驚いたような言葉に、スバルは時間が動き出したことを理解した。

「それも相当な力を持ってやがる。なんでそんな弱そうな人間の身体を借りてるんだ?」

「――――事情があってな。今はちょっと人間の姿(こんなかっこう)をする必要があるんだよ、まあ察してくれ」

 意図的な誤認の誘導。

 まずそれが成功したことを理解して、スバルは激痛に軋む意識を立て直しながら、小さく安堵する。

 時間の止まった世界で、魔女から禁忌を破った罰を与えられたスバル。

 魔女に心臓を掴まれたスバルは、全身から魔女の残り香が――――つまり、悪魔の臭いに限りなく近いものが漂い始めている。

 スバル自身には感じ取れないそれを、ホーストは確かにそれを感じ取ったはずだ。

 事実前回のループで、当初ホーストはスバルの『臭い』を感じ取り、それを根拠に悪魔だと勘違いしそうになっていた。

 ならば、人間の身体を借りている悪魔であるという誤認をさせることは、決して不可能ではないはずだ。

 上位悪魔ホースト。

 生物神器エンシェントドラゴン。

 この二つの脅威は、どちらも森というテリトリーにいるにも関わらず、潰し合わせることができない。

 否。これらが潰し合う時は、エンシェントドラゴンがより凶悪な脅威となってしまう可能性も高く、潰し合わせるわけにはいかないのだ。

 一時で構わない。どちらかを一時的に退場させておきたい。

 それができるのならば、曲がりなりにも会話・交渉の余地があるホーストしかいないだろう。

 そして、ホーストを相手に交渉するならば、スバルの身体に漂う瘴気は、間違いなくプラスに働く。

「俺には俺の目的がある。それに横槍を入れないで欲しいと思って、話し合いに来たんだよ」

 そう言ってスバルは、悪い目つきをなるべく柔らかになるよう、笑みを浮かべてみせた。

「俺はスバル。ナツキ・スバルだ」

「あ、ああ……俺様の名はホーストだ。こっちも話しておきたいことがある。ウォルバク様――――黒くてでっかい魔獣を探していてな。今は匂いが混じってわかりにくいが、確かにお前からウォルバク様の匂いがした。心当たり、あるんだろ?」

 そう、確信を込めた声と共に、ホーストは生気のない瞳をこちらに向けてきた。

 今の時点でウォルバク様とやらに接触されている。

 スバルの脳裏にちょむすけ=ウォルバク様説がよぎるが、それを表に出さないままスバルは答えを返す。

「ああ――――知ってる。でも、教えることはできない」

「おい、なんでだよ? そっちも何か要求があるんだろ? なら、教えてくれたっていいだろう」

 その要求は正当なものだ。だが、それに応えてやるわけにはいかない。

 ホーストの言うウォルバク様がちょむすけだとすれば、ゆんゆんもめぐみんも、決して渡そうとはするまい。

 それでは何の意味もない。スバルは彼女たちを危険に晒さないために、今ここに一人でいるのだから。

 だが、正直に理由を話したところでホーストは納得するまい。

 故に、スバルはこう答える。

「そう、契約しているからだ」

 ナツキ・スバルは悪魔である。

 この嘘を信じさせることができれば、自動的にこの嘘も信じ込ませることができる。

「そうか……なら仕方ねえなあ。契約したんなら、無理強いはできねえ」

「ああ、悪いな。破るわけにはいかねえ」

 悪魔は一度した契約を破らない。これは、前回のループでホースト自身が言っていたことだ。

 当たり前のようにに言っていたこれは、ホーストの個人的な考えではなく、種族としてそういうものなのだろう。

 親が子を愛するように。

 悪魔としての誇りか矜持か、それとも掟というべきか。

 そんな当たり前のことにつけこんで、相手を欺き、利用する。

 きっとこれは、悪魔にすら最低と呼ばれる、そんなやり口だろう。

 だが、今ここでそれを使わない手はない。

 力のないスバルにとって、少しでも前に進む切り口になるなら、それ以上のことはないのだから。

「その代わりと言っちゃなんだが…………お互いにとっていい結果となる話を持ってきた」

 怪しいセールスマンのようなことを言いながらも、スバルの喉は緊張で乾燥していく。

 だが、不自然さを悟らせないために、唾を飲み込むこともできない。

 確実にホーストを説得するために、冷静を装い切るのだ。

「エンシェントドラゴンが、この街に来る」

 一息に告げたスバルの言葉、その単語にホーストの肉体が緊張したのがわかった。

 驚きは刹那。

 すぐに顔を引き締め、悪魔は強い眼力でこちらを見つめてくる。

「――――そりゃ、確かか?」

「ああ、確かだ。間違いない。他の誰でもない、俺の主に誓ってもいいぜ」

 かつての世界に置いてきた、銀色のハーフエルフの姿を想起しつつ、スバルははっきりと断言した。

 そこに込められた確信を感じ取ったのか、ホーストは

「クッソ、冗談じゃねえぞ。あいつがいるとしたら、今の力を失ったウォルバク様じゃ危ねえ。とっとと見つけ出して逃げねえと……」

「俺はエンシェントドラゴンを倒すつもりだ。そのためにここにいる」

 スバルの決意。

 それはホーストからすれば理解できないものだったのか。ホーストは訝しげに見るばかりだ。

「まさか、そのために人間の身体に取り憑いてんのか? いや、あのドレインがそれで防げるのかは知らねえけどよ。仮にそうだとしても、無理があるんじゃねえか?」

 ホーストはスバルの身体を見つめ、そう忠告してきた。

 それは、エンシェントドラゴンを倒せなければ困るというような自身の都合というよりも。

 無謀な若者を諌めるような声色だった。

「俺様も大昔、あの野郎とやりあったことはあるが、ありゃそんな状態でどうこうできる相手じゃねえぞ。俺様の見る限り、いくらなんでも弱っちい身体を選び過ぎだと思うぜ?」

 全くもって同意見だ。

 スバルも自分がもっと強固な身体をしていたならと、どれだけ願ったことだろう。

 まして、魔法を受け付けないエンシェントドラゴンの恐ろしさを知っているのなら、尚更そう思うことだろう。

 それでも。

「やれるかやれないかじゃない。やるしかないし、やれなくっても、街の人間たちが避難するくらいの時間は稼いでやる。だから、この件が終わるまで、俺が森に入って何をしていようと、街にも手を出さず、大人しくしていてほしいんだ」

「……………………バカ言うんじゃねえよ。危険が来るとわかってる場所でウォルバク様を放置するなんてできるかよ」

「どこにいるかはっきりしない相手を、闇雲に探して、か? それこそ街の人間たちが総出で抵抗してくるだろ。ろくなことにならねぇ。今のあの街には、魔剣の勇者だっているんだ」

 そう言って、ホーストの浅慮を止めようとするスバル。

 エンシェントドラゴンの動きを読み切ることはできないが、少なくとも最初に遭遇した時は、ホーストとエンシェントドラゴンは衝突していなかったはずだ。

 変に動かれるよりも、森で大人しくしていてくれたほうが勝率は高まる、と思う。

 ホーストの視点で見れば、『大切な存在が危険に晒されている。どこにいるかわからないが、絶対に口を割らない手がかりが眼の前にいる』というところか。

 最悪、ここでもう一度殺されてでも、ホーストの思考の傾向を読み切って次に生かさなければならない。

 スバルのそんな思考が見えるわけでもないだろうが。ホーストはじっとスバルを見つめて、

「無謀なことしてまで街を守ろうとする姿勢。それほど時間が経ってないくらいの、ウォルバク様の匂い。…………なるほど。あの街に、お前の契約者がいるってことか。ウォルバク様を捕まえ――保護してるのもそいつだな?」 

 そう、若干だが核心を掠めた推測を述べてきた。

 別に契約しているわけではないが、スバルが関わっている人物が、”ウォルバク様”らしき猫を保護しているのは事実である。

 さて、どう反応すべきか――――

「お前の邪魔をすれば、ウォルバク様の安全は保証できないってわけか。クソッ、人質なんてたちの悪いことしやがって」

「……………………」

 そこまでは言っていない。

 だが、迷った末に、スバルはその推測に沈黙で応える。

 この悪魔、案外頭が悪くない。

 変に何か言えばもっとこじれるかもしれないし、そこからスバルのハッタリが見通される可能性だってある。

 スバルにできるのは、悪魔の視線にまっすぐ見返すことのみだ。

「…………一つ聞かせろ。ウォルバク様は、無事なんだろうな?」

「ああ、ピンピンしてるよ」

 目を逸らさない。

「ウォルバク様の身に危険が迫ったと判断した時点で、こっちも好きに動かさせてもらう……容赦はしねえぞ」

「ああ。誓ってもいい。必ず、やり通してみせる」

 目を逸らさない。

「なら…………それまでは好きにしろよ」

 

 そう言って。

 完全な形とはいえないものの。

 ホーストからの休戦を勝ち取った。

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 追憶を終える。

 スバルが『死に戻り』から舞い戻ったのは、ホーストとの会話を終え、森から出た時点。

 そこで、セーブポイントは更新されていた。

 

 さあ、続きを始めよう。

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 ――――――――49周目

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 レベリングの最中に、囮役として再度死亡。

 敵感知スキルは敵の数はわかっても、その脅威度が測れないのが欠点と言えるだろう。

 探索ルートの変更を勘案して、リスクとリターンを両立させた、様々なパターンを逐一試していくしかない。

 三人を説得するのには骨が折れそうだが、そこはなんとかしよう。

 

 さあ、もう一度。

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 ――――――――55周目

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 初日、高効率のレベリングと、生存したままの帰還を両立させるルートを仮構築。

 ただし、このルートは肉体の損傷が大きいのがネックだ。

 街にいるエリス教のプリーストに治療を依頼するものの、完全な回復には至らず、二日目以降の活動に差し障りが出た。

 初日は負傷の出ないような安全なルートでちまちまレベルを上げ、ステータスが向上した二日目以降に危険なルートを選ぶべきだろうか。要検討。

 

 さあ、もう一度。

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 ――――――――67周目

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 効率を落としての戦いには、思わぬ欠点があった。

 基本的に同行者達は金目当てである。つまり、一定の賞金首モンスターさえ狩れば、それ以上の戦いをする必要はないのだ。

 やむなく一人で狩りに向かったが、効率を落としすぎたのが仇になったのか、途中であっさりと死ぬ羽目になった。

 やはり、限られた時間でリスクを取って、可能な限り多くの敵を狩るしかないだろう。

 少なくとも三人が切り上げる前に、ソロででもある程度戦えるような力が欲しい。

 

 さあ、もう一度。 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 ――――――――95周目

 

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 幸いなことに、腕のいい治療の伝手が見つかった。

 色々とアレなところがあったため交渉は難航するかと思われたが、ある情報と引き換えに、快く治療役を引き受けてくれた。

 これで存分にリスクを負える。

 ただ、やはりこの調子でレベルを上げても、それだけではエンシェントドラゴンに対して勝ち目は見えない。

 ある程度の身体能力(ステータス)はあくまで前提条件。

 後は、考えていた戦術がどれだけ可能かだ。

 三人の同行がなくなった後のソロ狩りで、そこそこの金は溜まっていく。

 魔道具の方を利用するのもいいだろう。

 以前出会った、顔色の悪い店主の店にでも出向くとしよう。

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 ――――――――周目

 

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 こうして、戦いを続ければ。

 守るべきものを守り、倒すべきものを倒すことができるなら。

 すべてを終えた時、きっと自分の罪を償えるから。

 

 

 だから、もう一度。

 

 もう一度。

 

 もう一度、『―――、――――』。


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