友達料と逃亡生活   作:マイナルー

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13 『紅魔族の意地』

 孔を空けられた少女の肉体、それは何かに支えられているように浮いたままだ。

 少女は鮮血を流しながら、血と同じくらい紅い瞳を見開いて、今起きていることへの驚愕と苦痛で手を震わせている。

 スバルは知っている。これはかつて見た、エンシェントドラゴンの認識偽装だ。

 自身の周囲の空間を、異常のない光景のように見せるそれが、今展開されている。

 めぐみんが力なく頭を垂れると、そのまま”何か”が引き抜かれたのか、胸から多量の血を吹き出しながら肉体がゆっくりと傾く。

 先にとんがり帽子が滑り落ち、続いてめぐみんの肉体が重力に従い、崩れるように落下した。

「――――めぐみん!」

 真っ先に反応したゆんゆんは、戦闘の高揚で紅潮していた頬を一気に蒼く染める。そのまま、悪魔と戦闘中ということも忘れたように、めぐみんに向かって駆け出した。

 彼女に遅れて反応したスバルも、近くに落下するめぐみんを受け止める。小柄とはいえ、人一人だ。スバルの腕へと伝わった落下の衝撃は小さくなかったが、その痛みを感じている暇などありはしない。

 受け止めためぐみんの肉体から温かい血潮が流れ出し、支えるスバルの手にもぬるりとした感覚が伝わる。彼女の苦痛を和らげるため、慰めにもならない激励を言おうと顔を覗き込む。だが、彼女の瞳は力を失っていない。そのまま手の方へと視線を移すと、スバルはそこに予想外のものを見た。

 彼女が未だ握りしめたままの杖は、未だに破滅の光を抱え込んでいる。

 この制御を失えば、膨大な魔力が破壊を生み、この場にいる全ての人間を死に追いやることは間違いない。

 それを理解しているからこそ、死の淵にある今であっても、彼女はこれを手放そうとしないのだ。

 そんな尊い意地を見せつつも、苦痛の呼吸を繰り返すめぐみん。

 彼女の傷に、スバルはある姿を重ね合わせる。かつて見た、同じような傷を負った桃色の少女だ。

 あの時、主の腕に心臓を身体もろとも貫かれたラムは、即座に高度な治癒魔法をかけられてなお、すぐに命を落とす結果になった。

 おそらくめぐみんも、もう長くはあるまい。この世界の人間の生命力はわからないが、例え心臓そのものが無事だったとしても、胸部を貫かれてそう長く持つとは思えない。

 彼女の命の灯火は、すでに消されつつある。

 そしてここには、魔法で彼女を治療できるような存在はいないのだ。

「クソ、どうすりゃいいんだ……!」

 ひとまずスバルは上着を脱ぎ、めぐみんの傷口を塞ぐように巻きつけようとする。

 めぐみんと一緒に落下したとんがり帽子から、ちょむすけが顔を出し、彼女のそばでそれを見つめていた。

「『バインド』っ!」

 瞬間。クリスの声が響く。

 長い長いワイヤー、その片方の端部が見えないドラゴンの方向へと飛んでいき、偽装の範囲に入ったのかそのまま見えなくなる。

 もう片方の端部は、おそらくは罠として用意してあったのか、大きな岩にキツく何重にもくくりつけられている。

 岩から伸びるワイヤーの張り具合が、獲物に命中していることを示している。

「めぐみんっ!」

 それと同時に、ようやく駆け寄ってきたゆんゆんは、スバルの抱えためぐみんの容態を確認する。

 ただでさえ恐怖で青ざめていたゆんゆんの顔が、みるみるうちに蒼白に染まった。彼女はそのまま言葉を失って、瞳に絶望の色を宿す。

「めぐ、みん…………」

 思わず漏れた、といった感じの声。

 今のゆんゆんにどうするのか、などと問えるはずがない。

「とりあえず、今のうちに逃げよう。すぐ街に戻って診てもらえば、めぐみんもきっと……」

 そう声をかける。

 こんな言葉は気休めに過ぎない。それは、口にしたスバルがよくわかっている。

 それでも今は前に進まなければ――――『何のために? 彼女はもう助からない。続けるわけにはいかない、この世界で』――――うるさい。

「逃げるんなら急いで! これ、抑えきれる気がしないから!」

 スバルが自分の内なる声を黙らせた時、クリスの叫びに呼応するように、ワイヤーをくくりつけてあった大岩に変化が起きた。

 波間に揺蕩う小舟のように大きく揺れ、大地に隠れていた部分が見え隠れしている。

 まずい。逃してもらえるかはわからないが、今急いでここを退散しなければならない。

 スバルはそう考えて、ちょむすけを肩に乗せ、めぐみんを抱えなおそうとして。

 ――――瞬間。

 スバルの肉体に何かが巻き付いて。

 そのままスバルは視界が置いてけぼりになるほどの速度で、一気に引っ張られた。

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

「ナツキさん!」

 スバルの肉体が突然後方へと飛んで――いや、急上昇していくのが見えた。

 ちょむすけは彼の身体に引っ張られて、そのまま一緒に連れていかれたものの、スバルが抱え直そうとしていためぐみんは、その勢いで手から離れて宙に浮いた状態となる。

 とっさにゆんゆんはめぐみんの身体を支え、

 ――――軽い。

 そんな場違いなことを考える。

 意識のない人間の身体は重い。そんな話を覆すほど、友達の身体は軽かった。

 今、見えない『何か』によって、死の淵にある友人。

 今、見えない『何か』に捕らえられたパーティメンバー。

 今朝は女盗賊と敵対し、先程までは悪魔と対峙してその女盗賊と共闘し。そして今はわけのわからない敵に襲われている。

 どうしてこんなことになっているのか。

 目まぐるしく変わる状況に、ゆんゆんが判断に迷った時。

「『インフェルノ』ォッ!」

 ホーストが放った巨大な炎が、ワイヤーの先――スバルを捕らえる『何か』に襲いかかる。

 スバルが巻き込まれるのでは、と考えた刹那、視界が揺らぐように変化し、一瞬の間を開けて巨大な竜が出現した。

 業火は蜃気楼のように消え失せる。あとに残されたのは、竜尾に身体を巻きつかれ捕らえられたスバルとちょむすけ。そして、竜尾の持ち主たる巨大な竜。

 おそらくは、これがスバルの言っていたエンシェントドラゴン。

 ホーストがこのドラゴンを攻撃した理由、それはおそらくウォルバク様(ちょむすけ)を守るため、だろう。

 ならば、自分はどうする?

 ――――めぐみんなら、ここで仲間を置いて逃げたりしない。

 ゆんゆんは、めぐみんの身体を素早く、しかし優しく地に横たえると、手をドラゴンの方へと突き出し、叫んだ。

「『ライトニング』!」

「『カースド・ライトニング』!」

 先刻までぶつかりあっていたゆんゆんとホースト。二人の放った光と闇の雷撃は、今度は協力し合うようにそれぞれ進む。

 しかし、ドラゴンに触れる刹那、白と黒の雷は霧散し、先の炎と同様にその効力を失う。

「ちっ! 見えない相手だから嫌な予感はしちゃいたが、よりによってこいつかよ!」

 吐き捨てるように言うホースト、その言葉に呼応するように、竜尾に捕らえられているスバルも叫ぶ。

「ゆんゆん、ダメだ! そいつには魔法はほとんど効かないはず……がぁっ!」

 その叫びは竜尾の締め上げによって、中途でかき消された。

 スバルの発言は真実だろう。だが、魔法がダメとなると、どうすればいい。自分の切れる札から魔法を消せば、ほとんど何も残らない。

 竜の咆哮が鳴り響き、同時にドラゴンの周囲に風の刃が出現して、強力なはずのワイヤーがいとも簡単に断ち切られる。

 そしてゆんゆんの迷いを見たのか、ドラゴンは一気に彼女の方へと接近し、その刃物のような爪で引き裂くべく、左腕を振り上げた。

「ゆんゆん! クソッ……『――っ……!」

 スバルが何事か叫んでいるが、ドラゴンの動きは一向に止まることなく、殺戮の魔手を振り下ろす。

 かわさなければ死ぬ。

 しかし、ゆんゆんは動けない。背後にはめぐみんがいるのだから、逃げることなどできはしない。

 彼女をかばうように、咄嗟の判断で短刀を抜き放つ。

 人の手で作られた鋭利な刃。それを、型も何もなく、感覚の赴くままに突き出して、ドラゴンの爪にぶつけにいった。

 当然、そんなもので受けられるはずもない。衝撃をダイレクトに受けたゆんゆんの右半身は、大きく後方へと流されかけて。

(倒れちゃ、ダメ――――!)

 強引に姿勢を前に戻す。

 結果、ゆんゆんの左半身が、竜の眼前にあった。

 正確に言えば、大きく開かれた、顎の前にあった。

 目の前に迫った『死』の象徴に、心にしまった怯えが一瞬だけ顔を出し、それを再び押さえ込むまでの僅かな時間。

「――――――ぅ――ぁ――ぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 その僅かな逡巡の後、脳に灼熱のような感覚が走った。

 全身を駆け巡る熱、その起点に目をやると、左腕が肩から肘の付け根のあたりまでしか見えない。

 鱗に覆われた皮膚や、鈍く輝く牙に隠れて、左腕が見えない。

 その牙が赤く染めているのが、自分の血でできた汚れだと気づいた時。

 自分の左腕が、竜に食らいつかれたと理解して。

 脳に走る焼け付くような焦熱が、ようやく痛みだと認識した。

「あああああああああ――――ッ! ぐっ……ぁぁぁあああああああああああああああああああああっ!」

 絶叫。

 視界が点滅する。世界が明滅する。

 痛い。

 痛い。痛い。痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!

 全神経が激痛を伝えるためだけに作用し、意識の全てがそちらに持っていかれる。

 自分の左腕はどうなっているのか、本当にまだくっついているのか。そう言った疑問すら蹂躙し、ただ痛みだけに脳が支配される。

 苦痛、恐怖、絶望。

 ただ負の感情がないまぜになり、現実と幻夢の境目が曖昧になる。もはやゆんゆんには戦う気力など――――――――。

 

 現実から目をそらした、視界の端に。

 胸から流れ出る血で地面に紅を描きながら、それでも爆裂魔法を制御し続ける友達の姿が入った。

 

「うわあああああああああああああああああっ! 『ファイヤーボール』!」

 左の掌……否、左腕の先端から放たれた火球は、当然ドラゴンの口内に出現し、そのまま起爆する。

 密閉された空間の中、焔がただただ荒れ狂う。わずかな牙の隙間から見えるその光景は、まるで煉獄のよう。

 ただし、その焔が竜の体内と共に焼き尽くすのは、咎人の罪ではない。

 めぐみんをこうした竜の罪も、友達を守れなかった自分の罪も、この程度の焔で焼き尽くせるわけがない。

 焼き尽くしたのは、竜の口内と、焔が放たれた左手自身だ。

 口腔を炙られる痛みに怯んだのか、竜の上顎と下顎に僅かに隙間ができる。

 ゆんゆんはそれを見逃さず、

「『ファイヤーボール』! 『ファイヤーボール』! 『ファイヤーボール』!」

 追い打ちを叩き込む。

 そして、その圧力で広がった隙間から、自らの左腕を引き抜いた。

 黒く変色し、細い細い肉でかろうじて繋がっていたその腕は、引き抜いた時の勢いで完全に千切れて、ぼとりと落ちた。

 傷口が焼け焦げている。焼灼か、ちょうどいい。血止めをする手間が省けたと考えよう。

 左腕喪失。それがどうした。めぐみんの受けた傷を思えばどうということはない。

 めぐみんはもっと大切なものを失いながら、まだ戦っている。自分がこの程度で止まれるわけがない。

 まっすぐに見据えた視線の先にいる竜。その感情を正確に読み取ることなどできはしないが、少なくとも平静であるようには見えない。

 体内ならば、効果はあるのだ。

 活路はある。

「来なさい、大トカゲ! 紅魔族を舐めるんじゃないわよ!」

 残った右手を向け、叫ぶ。

 喉が張り裂けそうなほどに、後ろで倒れ伏すめぐみんにも聞こえるよう、竜尾に捕らえられたスバルにも聞こえるよう、高らかに。

 この声はただの強がりで、何の力も持たないのかもしれない。

 それでも、彼らに聞こえるよう、力いっぱい叫んだ。

 その時。

「『スティール』ッッッ!」

 ゆんゆんの叫びに呼応するかのように、高らかな声があがり、竜尾に身体を拘束されたスバルと、その肩に身を載せたちょむすけが姿を消した。

 全ては一瞬の出来事。

「お…………重い」

 気がついた時には、頬に小さな傷痕をつけた、銀の髪をした少女の手にスバルとちょむすけが乗っていた。

 盗賊の持つスキル『スティール』。幸運依存の判定により、相手の持ち物を問答無用で盗み取る力。

 そのスキルにより、エンシェントドラゴンに『持た』れていたスバルは、ちょむすけごとクリスの手元にまで、まるで転移するかのように引き寄せられたのだ。

 スバル達が突如として消えたことに困惑するように、自らの竜尾へと視線を向けるドラゴン。

 そして、ホーストはそれを見て大きく跳躍。スバル達のそばへと着地し、そのまま巨大な手をかざしてたった一言。

「『テレポート』!」

 その言葉によって、スバル、クリス、ちょむすけの姿が虚空へと消えた。

 その光景に、ゆんゆんは胸を撫で下ろす。

 スバルたちがどこに飛ばされたのかはわからないが、狙いのちょむすけを飛ばす場所だ。

 少なくともここよりは安全な場所だろう。

 彼らの安全が確保されたのならば、後は――――。

「ゆん、……ゆん……」

 背後から声が聞こえた。

「めぐ、みん…………」

 

 肌は生気を失い。

 血に染めた大地に倒れ伏し。

 立ち上がるどころか、一秒後に死んでもおかしくない。

 それでも、友達の紅い瞳は、手に握った杖と同じくらい、強く輝いていた。

 ただひたすらに血を流し、もはや脳にそれが回っているとも思えない。

 それでも、めぐみんが輝きに込めた強い意志は、心に痛いほど伝わった。

 ――――紅魔族は、売られた喧嘩は必ず買う。

 

 

 焼け焦げた左肘を大地につけ、口の中で詠唱を開始。

 ドラゴンの次の行動次第でタイミングを変えるつもりでいると、この場に残っていたホーストが横から魔法を唱えた。

「このまま逃げたら、あのガキに何されるかわかったもんじゃねえからな……『ボトムレス・スワンプ』!」

 泥沼魔法。

 文字通り大地を泥沼に変えるその魔法は、ドラゴンの足下を広範囲に渡って一気に液状化させる。

 偶然か。それともこちらの意図を察しての絶妙なサポートか。そこまではわからないが、この状況はありがたい。

 ドラゴンは抜け出すべく足に力を込めているようだが、それは抜け出そうと力を込めれば込めるほど引きずり込まれる底なし沼だ。

 二度、三度と抜け出そうと試すものの、抜け出せはしない。

 ならば、ドラゴンがその後に取れる手段は限られている。

 飛翔だ。

 竜翼を広げ、身体全体を沼から抜け出そうとするタイミングで、ゆんゆんは魔法を解き放った。

「『クリエイト・アースゴーレム』!」

 選んだものは、ゴーレムの作成魔法。

 もちろん、飛翔しようとしているドラゴンを殴りつけるためのもの()()()()

 ゴーレムを生成する場所は、先程クリスがワイヤーをくくりつけていた、巨大な岩のそばだ。

 大きさも持続時間も考えず、ただ力強さだけに特化して作られたゴーレムは、全力でその巨岩をドラゴンへと投げつける。

 飛翔しようと翼を広げたばかりのドラゴンに、それをかわす手段はなく、必然的に対応は迎撃に限られる。

 そして、今迎撃に最も有効な手段は、魔法だ。

 

 このドラゴンには、自分を拘束するワイヤーを切断できるほど、繊細な魔法を扱える。

 だが、自分の腕に食らいついてきた時には、その魔法を使わなかった。

 体内を灼かれる痛みを負いながら使わない、それが口が塞がったまま詠唱できないためだと、ゆんゆんは直感していた。

 

 魔法を使うため、詠唱をするため、咆哮をあげるため。

 当然、竜は大きく口を開ける。

「今よ、めぐみん!」

 全ては計算のうち。

 その合図を持って、友達は死に体の身でありながら、声を絞り出す。

「『エクス――――」

 魔法使いとして特化した強力な紅魔族。ゆんゆんの知る限り、その才能を誰よりも色濃く顕現させた少女。

 その少女が、生涯唯一愛した、最後の魔法を解き放つ。

「――――プロージョン』!」

「―――――――――――!」

 破滅の光が視界を灼き尽くす。

 その瞬間。

 最後の竜の咆哮には、これまでにない憎悪と激昂の色で染まっていた。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

「なー」

 耳元で囁かれたちょむすけの鳴き声を聞いて、スバルの意識は急速に浮上する。

 自分が気を失っていたという事実に恐れおののき、慌てて目を見開いて顔を上げると、西に傾いた太陽の光が目に差し込んできた。激しい輝きにまぶたを閉ざし、数秒目を休め、それから薄目をあけて目を光に慣らす。

 そして、ようやく目の前の景色を確認した。

 目の前にドラゴンはおらず、もちろんその彫像もない。

 鬱蒼とした木々は消え、代わりに大きく開けた道があり、すぐ近くには見たことのない建物が見える。

 知らない光景だ。

 そこでスバルの脳裏に、気を失うまでに起きていたことがフラッシュバックする。

 エンシェントドラゴンの襲撃。致命的な傷を負っためぐみん。

 軋むゲートは、シャマクの発動すらできず。ドラゴンを止めようと行使した『見えざる手』も、妙な温もりを感じる程度のことしかできず。

 そのままゆんゆんの死闘を目の当たりにするしかできなかった。

 そしてクリスの手でちょむすけごと助けられた後、ホーストが『テレポート』と唱えて――――。

「テレポートってことは、空間転移の魔法、だよな…………」

 おそらくスバルの精神は、必死で『見えざる手』を行使した反動で疲弊し、転移の瞬間に気を失ったのだろう。

「あ! よかった、目が覚めたんだね」

 スバルの覚醒を見て、銀髪の少女が駆け寄ってくる。

「ここ…………どこだ?」

「えっと……街の名前言ってもわかんないよね。さっき軽く聞いてきたけど、アクセルからそれなりに離れてる街だよ」

 つぶやいた疑問にクリスの答え。

「なんで、俺達だけこんなところに……」

「キミは気を失ってたからわかんないかもだけど、悪魔にテレポートで飛ばされてきたんだよ。行き先をランダムに設定してたのか、悪魔がこの街を登録してたのかまではわかんないけどね」

 ここにいる理由についてはクリスと見解の一致を見た。見たが、だからこそ、悪魔がスバル達を逃した意味がわからない。

 ウォルバク様とやらの手がかりを失うことを恐れたのだろうか。スバルが行方不明になっては同じことだろうに。

「他の街か……………………」

 この世界に来てから、アクセル以外の街を見たのは初めてだ。だが生憎、今のスバルはこの街にそれほどの興味はない。

 見たところ綺麗な街並みだが、スバルが見せてあげたいと思える相手は今、ここにいない。

 この世界でも前の世界でも、スバルのミスで失われる相手ばかりだ。

「ゆんゆんと、めぐみんは……」

「……………………」

 自問するようなスバルの言葉に、クリスは目を伏せると、そのまま首を横に振った。

「――――――――ぁ」

 わかっていたことだった。

 ゆんゆんもめぐみんも、あの状況で助かったとは思えない。

 彼女たちの傷も、痛みも、苦しみも。スバルの迂闊が引き寄せた。

「ねえ…………」

「…………うん?」

 声に顔を上げると、頬に傷をつけた盗賊の少女が瞳に映る。

 額に深いシワを寄せ、顔を憂鬱そうな色で染めた彼女――クリスはスバルの黒瞳をまっすぐ見つめて、

「ごめんなさい」

 そう、頭を下げた。

「なに、を……」

「あたしがキミを疑ったせいで、取り返しのつかないことを引き起こしてしまった。償っても贖っても許されることじゃないけど……でも、ごめんなさい」

 そう、深く深く、頭を下げた。

 クリスの謝罪、それがスバルに疑いをかけたことから来るものだと気づいて、スバルは言葉を返す。

「ああ…………いいよ」

 口から自然とこぼれたのは、そんなそっけない一言。

 実際、もういいのだ。

 彼女がどれだけ謝り、どれだけ省みてくれたとしても大した意味はない。

 この世界は終わらせる。スバルがそう決めた。

 ならば、意味はない。

 どんな悔いも、どんな苦しみも彼女は覚えていられない。

 ――――違う。

 今謝って、省みてくれただけで十分だ。

 何度同じことがあったとしても、スバルは今のことを覚えているのだから。

「だから……いいんだ」

 彼女の謝罪は受け取った。それでいい。

 後は、スバルがなかったことにしてみせる。

 ――だが、今はまだピースが足りない。

 自分の死は、決して償いにも贖いにもなりはしない。

 こんな命などで、スバルの罪は軽減されたりはしない。

 今のままでは足りない。

 死の安寧に抱かれ、次の周回に行く前に、きっと次につながる『何か』を掴まなくては。

「他の街――――ここの冒険者ギルドから、アクセルに応援って頼めるかな?」

「えっ?」

 思いついた言葉を口に出すと、クリスは意表を突かれたように顔を上げる。

 その瞳には困惑の色が浮かんでいた。

「応援だよ、応援。あのドラゴンを倒すために、他の街から冒険者を呼ぶんだ、この街からでもいいし、他の街にも連絡がつくなら、そこから呼んでもらえばいい」

「そりゃ、できると思う――――けど」

 スバルの提案、それは元々考えていた、『アクセルの街から応援を呼ぶ』の延長線だ。

 アクセルから応援を呼んでもらう場合は、魔女の残り香を嗅ぎ取れるクリスがいる関係上、信頼を得られないという点がネックになっていた。しかし、他の街にスバルが働きかけ、連絡を取ってもらうのなら、クリスと関わらずに応援を向かわせることも可能なのではないだろうか。アクセル側としても、悪魔が来て困っている状況ならば、優秀な冒険者が来ても無下にはするまい。

 もちろん本当に実行するのは次周だが、今のうちにこの案がどこまで可能なのか、不可能ならば別の手段はあるのか。それらを分析しておかなくては。

 スバルはそこまで考えると、足を街の方へと向けた。

「…………怒らないんだね」

 次の周回に向けてつながる一手を求め、思考に埋没し始めたスバル。

 街へと邁進する彼の頭にはクリスの言葉は届かない。

「力がない。なのに死を恐れない。誰かを救いたいと行動してる。なのに仲間を喪ってからの切り替えが早すぎる。まるで『死』に慣れきった――日本人」

 クリスの言葉は届かない。

「やっぱり変だよ、キミは」

 クリスの言葉は届かない。

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 だが、スバルの思いつきは、早々に却下されることになる。

 

「――――それ、どういう……」

「ですから、今この街には、他所に援軍を出す余裕がありません」

 その街の冒険者ギルドで、受付嬢の言葉をスバルは呆然としながら聞いていた。

 同じようにその言葉を受けたクリスは、努めて冷静な顔で問いかけた。

「理由……聞かせてもらってもいいかな」

「はい。おそらく時間が経てばアクセルにも連絡が行くと思いますが…………。実は、魔王軍幹部のデュラハンが、多数の魔物を連れて魔王城を後にしたということなんです。相手の狙いも目的地も、何もかもが不明な以上、我々としても迂闊に戦力を他所に送るようなことはできないんです」

 受付嬢は、内面の心苦しさを表情に匂わせつつ、しかしはっきりとした言葉で言った。

「ってことは…………他の街も!?」

「はい。おそらく、ベルゼルグのすべての街が同じような対応をするかと。さすがに駆け出しの街に魔王軍幹部がわざわざ出向くとも思えませんので、アクセルの優先度は低くならざるを得ません」

 

 そんな出来事がギルドの中であったためだ。

 

「クッソ……これもダメか…………」

 ギルドから出た通り道。スバルは更なる事態の悪化に、顔を地に伏せて嘆息する。

 ――――アクセルの脅威は自分たちの手でなんとかしなければならない。

 総括すると、この街の受付嬢が語ったのは、そういうことだった。

 例え、クリスとの誤解がなかったとしても、応援を呼びたいという案は無為に終わっていたわけだ。

 つまり、戦力として数えられるのは、駆け出しの街ことアクセルにいる冒険者たちのみ。

 そして倒さなければならない相手は、上位悪魔のホーストと、エンシェントドラゴン。

 ホーストの目的は、巨大な漆黒の魔獣”ウォルバク様”の保護。

 そして、エンシェントドラゴンの目的は目下のところ不明だ。現状、めぐみんを狙っているように見えないこともないが、偶然かもしれない。

 今見たところでは、冒険者たちが束になっても、個々の相手にも未だ勝利できていない。

 ただし、かつて見た白鯨と魔女教のケースとは違い、この二つは決して協力しあっているわけではないようだ。二週目を見る限り、スバル側が完全に放置していた場合はぶつかり合わないようだが。

「なら……うまく悪魔とドラゴンが潰し合うように仕向ければ、漁夫の利を狙うチャンスはある……か?」

「……それは無理だと思う」

 スバルのつぶやきは、クリスの言葉にあっさりと否定される。

「何でだよ。実際、あいつらはとっさにとはいえ、戦ってたじゃねえか。まさかその場のノリで助けてくれたわけじゃないだろうし、なんか理由があるんだろ?」

「確かに、あの悪魔とエンシェントドラゴンの対立は必然的なものだよ。でも、漁夫の利を狙えばそれでいい、という単純な話でもないんだ」

 その瞳に迷いの光はなく、そこには単なる主観ではなく、絶対的な事実を語っているという確信が見えた。

「どうして、そんなことがわかるんだよ。それに単純な話じゃないって……」

「……そうだね。テレポート屋で戻るにせよ、次の便まで時間はたっぷりあるし。……お詫びも兼ねて、今ちゃんと話したほうがいいかな」

 そう言って、クリスはスバルの近くの壁に寄り、そこに背中を預ける。

「この世界には、神器――――神様が作った、超強力な装備や魔道具がある。その話は知ってるかな?」

「超強力な装備…………」

「そう。神器を持っている人には共通点があった。キミのように変わった名前をしていて、黒髪黒目の人間っていう、ね」

 神様が作り上げた強力な装備。

 黒髪黒目の、変わった名前を持った人間。

 その言葉でスバルの脳裏に、かつて出会った女神の言葉がよぎる。

『だから、日本人で若くして亡くなった人に強力な武器や才能なんかを持たせて、異世界への援軍にしたい――っていうのが、今実施されてる計画なんだけど』

 なるほど、おそらくはこの『神器』というのが、あの水色髪の女神が言っていた、転生者に持たせるための道具なのだろう。

「ああ……なんとなく心当たりっていうか……そういうものがあるってのは聞いたことがある」

「話が早いね。神器は道具である以上、当然、それが存在する理由――――つまり、作られた目的がある」

 そこでクリスは一旦間を開け、スバルの瞳を覗き込んだ。

 目的――――ただ転生者に持たせる装備、という以上の目的だろうか。

「さて、昔々。とても偉い神様は考えました。ただ強力な武器を作るのではなく、そこにある指向性を持たせよう。例えば――――神の敵を殺すことに特化した武器……いいや、兵器を作ってみよう、とね」

「兵、器…………」

「そして生み出されたものは、対悪魔用に作られた、悪魔を殺すための試作型の生物神器。今から見てはるか昔、ある人間に与えられ、悪魔やモンスターを滅ぼすべく戦いに赴いた旧き竜。神に造られ、力なき主を守り、戦い続けて。そして主を失った後も、神の意志に背き、現世に残っている伝説の存在」

 

 

 

「人はいつしかそれを、最古の竜(エンシェントドラゴン)と呼んだ」

 

 

 

 


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