ストライクウィッチーズ オストマルク戦記   作:mix_cat

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第七話 ダキア軍の撤退戦

「おい、しっかりしろ。」

 声を掛けられて、アリーナは意識を取り戻した。それと同時に、ずきん、ずきんと響く痛みも戻ってきた。薄目を開けると、どこの部隊だろうか、ダキア軍の士官がアリーナをのぞき込んでいる。

「どうだ、立てるか?」

 そう尋ねられてアリーナは身を起こそうとする。

「うっ。」

 体を動かすと激痛が走って、とても立てそうもない。どうやら無理そうだと見たのか、その士官は一旦その場を離れて、数人の兵士とともに担架を持ってきてくれた。しかし、担架に移すために持ち上げられるだけでも激痛が走る。墜落した際に随分ひどく体を打ちつけたようで、かなりの重傷を負ってしまったようだ。負傷の具合によっては、ひょっとすると、もう二度と復帰はできないかもしれない。折角故郷のダキアが解放されて、これから復興だというのに、もう何もできなくなってしまうのかと思うと涙が滲む。

 

 トラックの荷台の荷物の間に乗せられて、トラックは走り出す。どこの部隊で、どこへ行こうとしているのだろうかと思うと、さっきの士官が話してくれる。

「俺たちは先遣部隊に物資を届ける途中だったんだが、ティギナのあたりでネウロイに襲撃されて、命からがら逃げて来たんだ。あんたたちが防いでくれたおかげで、逃げられたようなものだな。」

 なるほど、撃墜はされたが、自分たちの戦いもそれなりに役には立っていたようだと思えば、アリーナにも少しは慰めになる。

「キシナウに行くんですか?」

 アリーナは尋ねるが、戦況はもっと悪いようだ。

「いや、キシナウはもうだめだ。多分守備隊も長くは持たないだろうから、ひょっとするともう占領されているかもしれない。だから主要道は迂回して、渡河点まで撤退する。」

 

 そう言えばさっきからトラックの揺れが酷い。キシナウを通る主要道以外はまだほとんど整備されていないので、道路の状態が極めて悪いのだ。その荒れた道路状態そのままに、トラックは上下左右に激しく動揺し、時に跳ね、そして激しく落下する。トラックが跳ねるたび、アリーナの体も跳ね上げられて激痛が走る。そして、荷台に落ちるときに再び激痛が走る。繰り返される酷い揺れに全身を激痛が襲い、とても耐えられない。

「もう少し、ゆっくり走ってもらえませんか。」

 そう言うアリーナに、その士官は心底同情するような表情を見せるが、答えは否だ。

「いや、少しでも早く逃げないと、敵中に取り残される恐れがある。辛いだろうが堪えてくれ。」

 本当の所を言えば、こうやって拾ってもらえただけでも僥倖と言っていいほどの状況だ。敵中に取り残されて、逃げる手立てもなくネウロイに蹂躙されている人たちがたくさんいるはずだ。そう思えば痛み位耐えなければならないとは思うが、しかしこれはほとんど拷問だ。意識が飛べば痛みを感じないで済むかとも思うが、一瞬薄れかけた意識も、トラックが跳ねるたびに引き戻されてしまう。耐え難い激痛の連続に、もういっそ死にたい。

 

 それでもその強行軍が功を奏したのか、どうやらネウロイよりも早く渡河点まで撤退することができたようだ。しかし、渡河点に近付くと、各方面から撤退してきた部隊が集中し、ほとんど前へ進むことができなくなってくる。このまま進むに進めない状態でいるところへ、もしもネウロイが襲撃してきたら、その惨禍は目を覆うばかりになるに違いない。アリーナとしても、こんなに苦しい思いをして撤退してきたのに、ネウロイに踏みにじられて死ぬのはいかにも口惜しい。そんな思いでいると、先ほどの士官が外に身を乗り出して叫ぶ。

「道を空けてくれ。ウィッチを運んでいるんだ。」

 するとどうだろう。先を争って押し合いしていた人たちが、端に寄り、路外によけ、脇に固まって道を空けてくれる。先に立って誘導してくれる人までいる。何と有難いことだろう。そして同時に、周りの人たちの自分たちウィッチに対する期待の大きさが、痛いほど感じられる。責任は重大だ。たとえどんなに苦しくても生きて帰り、必ず復帰してこの人たちを守らなければならない。果てしない激痛に翻弄され、朦朧とした意識の中ではあるが、アリーナはそう胸に誓う。

 

 

 ブカレストの芳佳の司令部に、ダキア軍の司令部から連絡が入る。

「支援感謝する。現在ウンゲニの渡河点から部隊を撤退させている所だ。ウンゲニに集まった部隊の撤退が終わったら、橋を爆破してプルト川の線に防衛線を張る。済まないが、それまでネウロイを押し止めて欲しい。」

「了解しました。」

 了解と答えたものの、現地の状況が必ずしも良くわからないので、本当に守り切れるか心許ない。芳佳自身が現地に行っていれば、状況もよくわかるし、的確な指示も出せるのにと思うが、司令官の立場では軽々しく出て行くこともできない。何分、芳佳の指揮下には、黒海上の航路を防衛しているブリタニア隊も、マケドニア方面の警戒と対地支援をしているモエシア隊も、トランシルヴァニア山脈の防衛線を警戒している扶桑の哨戒飛行隊も、そしてオストマルク隊もいるのだ。

 

 仕方がないので、芳佳は茅場に通信を送って、状況を確認する。

「桃ちゃん、状況はどう? 地上部隊が撤退するまで、ネウロイの侵攻を押し止めて欲しいんだけど。」

 しかし、茅場から帰ってくる応答は、あまり良い知らせとは言えない。

「ダキア隊の2人と、うちの3人は弾薬補充のためにヤシ基地に行っています。近いのですぐに戻って来るとは思いますが、今戦っているのはわたしたち3人だけで、ネウロイの侵攻を抑えきれません。ネウロイはまだ続々と続いていて、途切れる様子がありません。」

 そう言われても、遠くブカレストにいる芳佳にできるのは励ますことくらいだ。

「頑張って。ダキア軍の撤退が終わるまで何とか凌いで。」

 

 司令官からそう言われてしまうと、まさか無理ですとは言えない。

「了解しました。」

 茅場はそう答えつつも、どこまで凌げるものか自信が持てない。茅場自身は上空で飛行型ネウロイの襲来を警戒していなければいけないので、実際に地上型ネウロイを攻撃しているのは桜庭と望月の2人だけだ。ダキア軍の地上部隊も死に物狂いの抵抗を見せているが、それでも押され続けている。振り返って見れば、橋の架かっているウンゲニにはまだ大量の車両と人員がひしめいている。土台、プルト川に架けた一本だけの橋で、これだけの部隊を速やかに退却させるなど無理な相談だ。橋の上流と下流でそれぞれ舟艇が往復し始めたので、今までよりは退却が進むかもしれないが、それでもまだ相当の時間がかかりそうだ。ここはもう、車両も装備も資材も捨てて、人員だけ撤退させるようにしないと間に合わないのではないだろうか。しかし、茅場はダキア軍司令部に直接意見を言える立場にはない。

 

 そうするうち、左翼で地上部隊が突破されそうな形勢になってきた。隊員を回したいところだが、動かすと今の場所が突破されそうで動かせない。自分が行くか、とも思うが、そこへ飛行型ネウロイが襲撃して来たら大変なことになる。はらはらしながら見守っていると、背後で砲声が連続した。振り返って見ると、対岸の陣地から砲撃が始まった所だ。正に突破されそうだった辺りに次々着弾する。爆風でネウロイが転がるのが見えた。砲弾が直撃して砕け散るネウロイもいる。どうやらすんでの所で突破されないで済みそうだ。

 

「遅くなりました。」

 そう通信が入って、基地へ補給に行っていた3人が戻ってきた。ダキア隊の2人もいる。戻ってきた隊員たちはすぐに降下すると、押して来ている地上型ネウロイの一団に機銃弾の雨を降らせる。やれやれ、これでしばらく凌げそうだ。

「桜庭中尉、望月一飛曹、基地へ行って弾薬を補充して来て。」

「了解。」

 応答があって2人が上昇してくる。表情を見ると、疲れてはいるがまだ疲労困憊という程ではない様子だ。茅場は2人に手を振って見送る。基地に戻れば、弾薬の補充とユニットの整備の間だけだが、少しは休憩できる。みんな幼い頃から剣術で鍛えているので、多分まだしばらくは戦えるだろう。対岸の陣地からの支援砲撃もようやく増えてきたので、何とか全部隊の撤退まで凌げそうだ。撤退が済むまで、隊員たちには今しばらく頑張って欲しいと思う。

 

 

「で、ダキア軍部隊の撤退は成功したんだね。」

 司令部にいて断片的な情報しか入らないのでやきもきしたが、ヤシの基地に降りた茅場から連絡が入って、芳佳はやっと憂いを払う。

「はい、撤退を確認して橋を爆破しましたから、プルト川を防衛線にして、とりあえずこれ以上の侵攻は防げました。まだ、遠方に行っていた部隊が対岸に取り残されているようですが、個別に舟艇で撤退させるとのことです。」

 結果的に作戦は失敗に終わったが、損害を最小限に抑えて、防衛線を再構築できたので、まあ良しとすべきなのだろう。しかし、もう一つ大きな心配がある。

「それで、ダキア隊の人たちはどうなの?」

「はい、ヴィザンティ大尉とニコアラ軍曹は、撃墜されましたがダキア軍部隊に救出されて、基地に戻ってきています。いま治療を受けている所ですが、2人とも重傷ということです。」

「重傷? それで?」

「はい、まだわかりませんが、様子を見ると命に別状はないようです。」

 芳佳は大きく息をつく。行方不明と聞いたときは不安に駆られたが、基地に戻って命に別状はないというのなら、最悪の事態は回避されたということだ。

 

 しかし、こうしてはいられない。

「うんわかった。」

 芳佳は電話を置くと、がたっと音を立てて立ち上がる。すぐにヤシ基地に行って治療してあげなければならない。しかし、走り出そうとした芳佳の前に、鈴内大佐が立ち塞がる。

「宮藤さん、どこへ行くつもりですか。」

「え? どこって・・・、アリーナちゃんたちを治療してあげなきゃ。」

 しかし、鈴内大佐は言下に否定する。

「いけません。司令官が、部下の治療のために司令部を留守にするなんて、あってはならないことです。」

「それもそうだけど、これは非常事態だよ。そんなこと言ってる場合じゃないよ。」

「いけません。非常時だからこそ、司令官は司令部から動いてはいけません。」

「そんなこと言ったって、大怪我してるんだよ。痛いんだよ。苦しいんだよ。少しでも早く治療してあげなきゃ可哀そうじゃない。」

 だんだん激してくる芳佳だったが、鈴内大佐は梃子でも動かない。

「そういう問題ではありません。どうしても治療が必要なら、扶桑から魔法医を呼びましょう。」

「呼ぶって言っても、1週間はかかるんだよ。その間ずっと苦しいんだよ。命懸けで戦ってきた、年端もいかない女の子に、そんな仕打ちをするの? 人でなし!」

「何とでも言ってください。人でなしにならないと指揮官は務まりません。」

「う~。」

 芳佳は唸りながら鈴内大佐を睨みつけるが、鈴内大佐は眉一つ動かさない。

 

 そんな所へ、扉がノックされて副官が顔を見せる。

「宮藤さん、お客様がお見えです。」

 そんな呑気としか思えない副官を、芳佳はキッと睨みつける。

「こんな時に何をそんな呑気なことを言ってるの? お客なんか追い返して!」

 しかし生憎、既にその客はもう扉の前まで来てしまっていた。その客、少女は扉の陰から怯えたような表情をのぞかせている。芳佳はしまったと思う。関係ない人に八つ当たりをしてしまったと反省しつつ、改めて見ると見知った顔だ。

「あ、バルバラちゃんだ。」

 モエシア奪還作戦の時に、ロマーニャから派遣されて来ていたバルバラ・バランツォーニ軍医中尉だ。芳佳自身も治療してもらったことがある。

「ごめんね、バルバラちゃんなら追い返したりしないよ。それで、今日は何の用事?」

「はい、オストマルク奪還作戦をやるなら負傷者も出るだろうからってことで、ロマーニャ軍から派遣されて来ました。」

 これは、絶妙のタイミングだ。芳佳はぽんと手を打つ。

「ありがとう、ちょうど魔法医がいて欲しかったんだ。早速で悪いんだけど、ヤシ基地に負傷したウィッチが2人いるから、すぐに行って治療してあげて。」

「はい、了解しました。」

 バランツォーニ軍医中尉は、来た甲斐があったとにっこり微笑むと、早速ヤシ基地に向かう。

 

 芳佳は興奮が冷めて、崩れ落ちるように椅子に座りこむ。

「鈴内さん、その・・・、酷いこと言ってごめんなさい。」

 鈴内大佐の表情が緩む。この素直さが芳佳の魅力だ。

「いえ、気にしないでください。むしろ、そうまでして隊員たちの心配をしたことは、隊員たちにとってはとても嬉しいことだと思いますよ。大丈夫です。自分は憎まれ役でいいですから。」

 鈴内大佐の言葉が芳佳にはありがたい。こうやって支えてくれるから、未熟な自分が司令官の大任を果たせているのだ。

「それから、バルバラちゃんが来てくれたけど、一人だけだと心許ないから、鈴内さんが言ってたみたいに、扶桑から魔法医を呼んでおいた方がいいね。」

「はい、早速手配します。」

 駄目だとなったら梃子でも動かないけれど、必要なときは即座に対処してくれる、安心と信頼の参謀長だ。芳佳は心地よい安心感に身を委ねる。




登場人物紹介

◎ロマーニャ

バルバラ・バランツォーニ(Barbara Balanzoni)
ロマーニャ軍医中尉
芳佳がモエシア奪還作戦に参加した際に、ロマーニャから派遣された軍医で、治癒魔法の使い手。基地が奇襲攻撃を受けて負傷した芳佳を治療したことがある。

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