新米P渡瀬柚希   作:ユユ

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第1章 シンデレラガールズ
第1話 銀の卵


大寒があと数日に迫った真冬の東京は、今朝33年ぶりの寒さを記録したらしい。前日日曜日に降った雪は、なれない東京に大きな爪痕を残した。凍った路面は電車やバスの道筋を阻み、交通のダイヤは大混乱、多忙な日本人に多大な被害を与えたのはつい2時間前までのことだ。

混乱もひと段落した午前10時、それでもまだ吐く息が白い霧となり消えていく時間帯に、私、渡瀬柚希は駅構内で壁に寄りかかって立っていた。

 

「あー、さむっ」

 

1時間前に買ったあたたかーい缶コーヒーは、もうキンキンに冷えていて、両手でコロコロと転がしてもカイロ代わりになることはない。仕方なく悴む手で蓋を開けて、1口飲んでみる。……冷たい。

 

「ったく、何でこんな寒い中……」

 

芸能界の大手事務所である美城プロダクションに入社して早3年目、短かったような長かったような下積み時代を経て、初めて任された仕事は、新設されるアイドル部門のプロデューサーだった。

私が元アイドル――とはいっても、眩しいライトが当たり、大勢の観客の前で笑顔を振りまく輝かしいものではなく、空いてる地下劇場にて、十数人の常連客の前で変わり映えもなく歌い踊る売れない地下アイドルだったが――というのも理由の1つではあるだろうが、単純に下積みが評価されたと捉えると舞い上がるような気持ちになった。

だがそれもつかの間、プロデューサーとなって、まず初めの仕事はアイドルの卵探し、つまりスカウトだった。これが結構難しい。まず、相応の容姿を持つ少女というだけでも数が絞られる。その上、アイドルに意欲を持っているなんていうのはほんの一握りしかいない。

にもかかわらず、アイドル部門に配属された事務員(兼指南役)のちひろさんには『1人でも見つけてくるまで事務所出入り禁止です』なんて横暴なことを言われてしまった。

 

「あぁ、もう!」

 

ここが都会ど真ん中とはいえ月曜日の午前10時、学生は冬休みが開け、憂鬱な気分で眠い授業に励み、受験生は前日までのセンター試験の結果に一喜一憂している時間帯。当然人通りは多い訳では無い。こんな時間に女ながらスーツ姿で女の子の品定めをしている自分を映し出す正面の大きな鏡に嫌気がさして、私は逃げるように場所を移動した。

 

 

5分ほど歩いて駅の建物を出ると、外は太陽の光が、積もった雪をキラキラと輝かせていた。

 

「うわ、さっむ!」

 

今日は北風が強いって言ってたっけ。冬独特の乾燥した冷たい風に震えながら、コーヒーをまた1口。……うんやっぱり冷たい。微糖の缶コーヒーの苦さが、乾燥した口内に沁みていく。

昨日の雪はそんなに大したものではなかったが、それでも路肩に除けられるくらいには積もったらしく、濡れた地面は薄く氷が張り、滑りやすくなっていた。その上なれない革靴だ。缶コーヒー片手に、滑っては耐え、滑っては耐えの危なっかしい足取りで、10分ほどかけてようやく駅近くの広場に着いた。ベンチで一息ついて辺りを見回してみる。

この辺りは都会ど真ん中では珍しく緑が多い。太陽はまだそんなに高くはなく、心地よい日差しが緑を撫でて、雪と共にきらめいているように見える。

 

「……おや?」

 

そんな風に思いを巡らせていると、少し離れた別のベンチに座っている少女に目が止まった。青い小さなスーツケースを持ち、ベージュのコートを着ていて、何よりショートの髪は雪のような銀白色をしていた。まるで妖のような、この場所に不釣り合いな雰囲気を醸し出している彼女に、私はしばらくの間見とれていたように思う。

下積み時代に学んだスカウトの極意その1『相手に惚れよ』。そう簡単に惚れまいと自分では思っていたが、どうやら一目惚れには勝てないようだ。喉に残り少ないコーヒーを全部流し込んで、空き缶をゴミ箱に捨てる。苦味が広がるが今はそんな些細なことはどうでもよかった。

少女は近づいていく私の気配に気づいた様子もなく、遠くにはっきりと見えるスカイツリーをただぼんやり眺めていた。今日の東京は空気が澄んでいて、雲一つない青空のもと垂直に立った電波塔の頂上はいつもより高く見えた。

 

「そこの君!」

 

声をかけると少女はハッとしたように体を震わせ、こちらに振り向いた。

 

「ん、あたしに何か用ー?」

 

一瞬困惑の色を見せた後、すぐに慣れたように笑顔を浮かばせる。惚れた弱みだろうかその笑顔だけでも緊張がどんどんと湧いてきて――

 

「えっと……あ、アイドル、興味ありませんか」

 

予想以上に震えてしまった声は、私の後ろからの強い北風に乗って吹き抜けていった。

 

 

 

 

カタン、カタンと心地の良いリズムの揺れが微睡みを誘い、ドアの窓の外で流れゆく景色は白く雪化粧をしていた。

昨日の全国的な大雪は雪に弱いと言われる東海道新幹線に大きな影響を与え、今日午前中は徐行運転だという。おまけに新幹線の自由席は、京都駅で乗った時にはもう既に埋まっていて、ずっとデッキで立ちっぱなしだ。あたし、塩見周子の初めての一人旅の出鼻は見事にくじかれた。

 

「んぅ……」

 

小さな青いスーツケースを持ってデッキの壁に寄り掛かり眠ろうとしても、やはり立ったまま寝るのは難しく、すぐに目が覚めてしまう。時計を見ると午前9時、京都を出てから既に2時間立ちっぱなしだ。

せっかく親の目を盗んで朝早くに出発したのに、こんなことになるなら500円ケチってないで指定席にしてればよかったなーなんて。そんな後悔を今していても仕方ないのは分かっているが、体は休息を求めているようで、瞼は閉じては開いてを繰り返していた。

 

「あ、そうだ」

 

スマホをコートのポケットから取り出して、周りに人がいないのを確認してから窓から見える風景を写真に撮り、一言『いざ東京へ!』とだけ書いて写真と共にtwitterに投稿する。

大学に行かずに実家を継ぐつもりの私が、勉強なんてどこへやら、東京に旅へ行くだなんて、センター試験直後の同級生に怒られるかなーとか思っていたら、早速お叱りのリプが届いて少し面白い。適当に返すと、『楽しんできてね!』の一言、やっぱ優しいなぁとちょっぴり感動してしまった。

 

「もうすぐかなぁ」

 

東京へ行くことは昔からの夢でもあった。子供の頃は東京のことは何にも知らなかったけど、テレビや本で見た東京タワーなんて、あんなにも高い京都タワーよりずっと高いときたもんだから、東京行きたい登ってみたいって親に泣きついたものだ。

最近は東京タワーの2倍近い高さのスカイツリーなんてのも出来たというから、登ってみるのもいいかなぁ。

 

『次はー、東京ー東京ー」

「おっ」

 

そんな思い出を思い起こしていると、車内アナウンスが長かった立席乗車の終わりを告げる。寄りかかっていた壁から背中を離して、スマホをコートにしまい、とりあえず外へ出る準備をすると、アナウンスからあっという間に駅のホームに着いていた。

 

『終点、東京ー、東京ー』

 

実に2時間半もの間立ちっぱなしだったあたしはついに東京へと降り立つ。途端、乾燥した冷たい空気があたしを出迎えた。暖房の効いた新幹線の中が恋しくなったが、グッと堪えて駅の出口へ向かう。

 

「さて、と」

 

こっから先は本当にノープランだ。お金なら実家でコツコツアルバイトしたものがたんまりとあるが、行く場所も帰る日時も、ましてや泊まる場所だって決めていない。とりあえず、改札を出て駅の出口へ向かった。

 

 

駅を出て、周辺をぶらつく。東京に出て最初に思ったことは、月曜日の午前10時、こんな時間なのに人がとても多いということだった。辺りを見れば、人、人、ビル、人。

あたしと同じかそれより若いくらいの女子がグループを成して、盛り盛りのメイクをして歩いているのも見た。何だかピアス開けてオシャレになった気になっていたあたしが馬鹿らしくなるくらい、都会のファッションは進んでいるんだなぁと、ちょっとしんみりしてしまった。

信号を渡るだけでも人の多さでめまいがするくらいだ。このまま人混みにいるといつか倒れてしまう。あたしは早足で近くにあった広場に逃げ込んだ。

 

「ふあぁ〜」

 

ベンチに座るやいなや出てしまった気の抜けた欠伸が恥ずかしくて、辺りを見回す。

 

「あっ」

 

見回した先にあったのは、スカイツリー。東京タワーとは違って鉄骨は白く映え、雪の白さもあって輝きが増して見えた。こんな遠くからでも京都タワーとの違いは一目瞭然で、高々と突き上がったその塔には確かに武蔵の力強さが宿っているように思えた。

あの頂上から見る景色はどうなんだろう、あそこでプロポーズなんてされちゃったらどんな気分なんだろなぁなんて、柄にもない乙女チックなことを考えていると、それだけでテンションがうなぎのぼりで、東京に来たんだなぁという実感に満たされた。

 

「そこの君!」

 

不意に背後から若干上ずった声が聞こえた。振り返ってみると、そこには男物のスーツを着てきちんとネクタイを締めた、細身で長身の女性。綺麗な黒色をした前髪はきっちり分けられていて、チャラチャラしている雰囲気はなかった。

チャラい男性からのナンパは向こうでも受けたことはあるけど、こっちでは一見ちゃんとしてそうな女性からもナンパされるのか、と軽くカルチャーショック。だけどこんな綺麗な女性となら、遊ぶだけいい暇つぶしになるかなぁなんて考えながら、実家の和菓子屋の売り子で鍛えた笑顔で対応。

 

「ん、あたしに何か用ー?」

 

なんて言われるのかなー、なんて考えてドキドキしていた心臓は――

 

「えっと……あ、アイドル、興味ありませんか」

 

顔を少し赤く染めた彼女の一言で、一瞬止まったような気がした。


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