獣殺しの人間性 ——修羅吸魂—— 作:AM/RFA-222
目の前のデーモン達は……見た目こそは人間だが、身体から溢れる
それこそ、【老王 オーラント】のそれを超える位に。
「どうかなさいましたか、坊ちゃま。あの者が気になるので御座いますか?」
二人組のデーモンの片割れ、黒装束の老婆が喋り出す。その声の先には、自らが手を繋ぐ金髪の子供がいた。
子供と言って侮ってはいけない。この子供一人でも軽く、先ほどの部屋にいたデーモンの何百倍も強い。
恐らく、【獣】が自らのソウルを使って攻撃したら、良い勝負するくらいだと思う。勿論、サイズ補正ありで、だ。
それほどまでに、目の前の存在は格別だった。
歯軋りしながら、身体を硬直させる。
目の前の相手に対して動いたら、死ぬ。そんな感覚すらあった。
そんな風に俺が固まっているのなど露知らず、金髪の子供は老婆に耳打ちをする。
子供の背丈に合わせて、老婆も少し身体を斜めにさせた。
それから暫く。
子供の告げ口が終わると老婆は、そうでございますかと言って、うんうんと頷く。
「ですが坊ちゃま、今は忙しゅうございます。後にいたしましょう」
その言葉を輪切りに、老婆と子供は消え去った。一瞬で、瞬きもしていないと言うのに。
「……なんだか、悪い事が起きそうなフラグがかなり立っているな」
裕子先生、病院の異変、デーモン、そして今の二人組み。
そして裕子先生はこれから何かが起こると言っていた。悪いフラグが立ちまくりの、大嵐状態だった。
これから何が起こるのだろう、そんな疑問を抱きながら、エレベーターに乗ったのだった。
エレベーターを降りた先は曇り空が覗ける屋上……ではなく、静かな大空間が広がる病院のロビーだった。
俺は裕子先生に会ったが、勇や千晶はまだ会っていない。彼女を探して歩き回ったと言うのに、彼らは会えなかったらそれは骨折り損だろう。
俺は今の裕子先生の居場所を知っているのだから、教えるのは当然の義務と言える。
そう思いロビーへと戻ってきたのだが……おかしい。誰もいない。
勇はともかくとして、千晶までもが居ない。探しに行かないと言って居た彼女までもが、だ。
ここで更なるフラグが建った。即ち、仲間との分断、だ。
なんだか、悪い事ばかりが続いて、かなり不安になって来る。こう、青騎士5人に囲まれた時のような。
とりあえず、千晶と勇に会えないのはわかった。だとすればこの後行く場所は限られている。
「……仕方ない、行くか」
覚悟を決めてエレベーターに乗った。
新宿衛生病院の屋上。そこは裕子先生が言っていた通り、辺りが良く見渡せる、絶景のポイントだった。
天気は生憎の曇り空だが、景観に大差はない。普段であればこの絶景をインスタにでもあげる若者が出ると思うのだが。
生憎ここには俺と裕子先生しかいなかった。
「……来たのね、シン君」
東京の街を眺めていた先生が此方を振り向き、悲しそうな瞳で見つめてくる。
特に答える事もなく、無言を継続させた。
「さっきは間に合って良かったわ……君が、『悪魔』に殺られなくて」
安堵の言葉と共に、よく分からない単語を喋り出す。
今先生は、『悪魔』と言ったか? おかしいぞ、先ほどの化け物は
俺は悪魔とはなんだと問い掛ける。
「……説明しなくても、すぐに分かるわ。だってこれから、その存在はあって当たり前のものとなるのだから」
いまいちパッとしないその回答に、俺は首を傾げる。
俺が聞きたいのはアレがデーモンかデーモンでないかだ。いるかいないではない。
再び問い掛けようとした時、先生に先制を取られてしまう。
……オヤジだったらここで、【先生だけに!】というフレーズを使うだろうが、生憎俺は使わん。まだそんな歳でもない。
「あの人の……【氷川】の話を、君も聞いたでしょう?」
勿論だ、とYESの返答を返す。
世界のリセットなどという、馬鹿げた理想を掲げているらしいな。まあリセットした所で、またリセット、リセットリセットリセットと続けなければ満足いく事にはならないだろうが。
「実はね、間も無くこの世界は沈むのよ、『混沌』という名の闇にね……。
それが、【受胎】」
受胎……リセットする溜めの準備期間、とでも言ったところか。
そう言うと先生は笑って言った。
「ふふっ、そうね。人がかつて経験した事のない、世界の創造よ」
世界の創造……【色の無い濃霧】に包まれたあの世界も、その受胎を経て出来た世界なのだろうか。だとしたら、あれもある意味可能性の一つなのかも知れないな。
先生は突然、表情を暗くさせる。
不謹慎ながらも、ここに勇が居たらどうなるのだろうな、と楽観的な考えを頭に浮かべていた。
「でもね……今この病院にいる人間以外の人達はみんな、命を失ってしまうの」
その言葉にああ、やはりな、と納得する。
リセットと言うからには、削除の過程が含まれる。その対象に人間が含まれていても、驚きはない。
そもそも、世界のリセットと言う事を受け入れていえう時点で、俺の感覚はおかしいのだから。
「こんなやり方……きっと誰も許しはしないでしょうね」
勿論だ。世界全体の事を考えた上でとは言え、無抵抗に死ねと言っているようなものなのだ。
大のために小は死ね。こんな理論はどこの世でも、通るはずが無い。
「でも、今のまま老いた世界を生き永らえさせても、いずれ力を失ってしまう。
世界はまた生まれるために、死んでいかなければならない……その罪を背負うのは、私の役目」
それで氷川は先生の事を『巫女』と呼んでいたのか。
世界をリセットする時発生する罪を背負う……具体的な事は分からないが、いい事では無さそうだ。
でもね、と言って先生は続ける。その顔には、何処か晴れ晴れしい表情があった。
「私は後悔はしていないわ。最後に決まった運命で、君はここに辿り着いた。これで君は【受胎】を生き残れる」
何故ここにいれば……なんて、野暮な事は言わない。
結局、人は愚者なのだ。他者の命は平気で奪うくせに、自分の命には執着する。自己中心的なのだ。
「でもね、それはもしかしたら死よりもずっと辛い事かもしてしれない」
それならば大丈夫だ、と言って軽く笑い飛ばす。
俺は"あっちの世界"で、幾度となく死んできた。何度も何度も死んで、生き返って、それを繰り返してきた。
死などつまらな過ぎて今更怖く無いし、戦いだって慣れている。化け物だって大抵の場合は耐性があるし、人を殺す事にも抵抗は無い。
かなり大ごと出ないと、俺は感情を動かせられないのだ。
「そうね……私も信じてるわ、貴方の事を」
懐かしむように
「だからね、シン君。私に会いにきて」
噛みしめるように
「例え世界がどんな姿に変わっても、私が力になってあげる」
此方の瞳を覗き込んで、そう優しく囁きこむ。
別に、今まで通り一人でも良いがな。
「これから訪れる世界で、私は『巫女』として創世の中心を成す……きっと、貴方に道を示して上げられるわ」
ああ、それは良かった。俺はあんたの事を頼れるんだな。有難い。有難いから……頼むから、そんな哀しそうな顔をしないでくれ。
「分かってるわ、貴方の事。理解出来ないことばかりよね……でも、ごめんなさい。もう時間がないの」
謝るくらいなら、哀しむくらいなら、辞めればいい。だから……後悔しないで欲しい。自分の好きな道を進んで欲しい。他者に示された道ほど、茨の道は無いだから。
「シン君……もしも貴方が自分の力で私の元に辿り着いたなら……教えてあげるわ、貴方の…全ての疑問の答を。
そして私の本当の心の内を……」
彼女がそう言い切る前に、変化は訪れた。訪れてしまった。
——バガァァアアン!!
そんな激しい雷雨の時でも鳴らないような雷鳴が、辺りに響く。
それと連動するように、東京の街に黒い稲妻が迸る。
ビルに、家に、公園に。
あらゆる場所に、無差別に雷が投下され、街が壊れていく。
割れていくのではない。粒子が結合を崩壊させるように、少しずつ崩れ、壊れていく。
ドロドロと溶けていくように壊れ、ぐにゃぐにゃに曲がっていく街。そこら中に黒い粒子が舞い、それはある意味で、幻想的だった。
そして地が剥がれていく。
ぺりぺりと剥がされるように反れていき、丸くなるように動いていく。端に消える土地は既に、遥か頭上まで昇っていた。
気付けば、中央には光り輝く球体が浮かんでいた。
あと少しで天井が閉じられてしまう空に浮かぶ、本当の太陽が微かに見える。
その姿はまるで、自分の役目を未だに主張する、真面目人のように思えた。
太陽が隠れると同時に、更に激しく発光する球体。意地汚い怠け者のようなに思える。他者から仕事を奪い取った、勝者とでも言うのだろうか。
隣では、先生が目を閉じて、身をまかせるような体制を取っていた。身体を空虚に預けるように、腕を広げて。
反面、俺は盾を構えるように左手で学生カバンを持ち、その後ろに体を隠す。
光を見ないように、最後まで瞬間を見届ける為に。
まあ結局、俺も意識を失ったんだがな。
■
目を開けると……いや、正確には目なんて開けていなかったのかもしれない。なんだか、朧げな意識を繋ぐ事で、今は精一杯だった。
そんな俺の目に前には、真っ白に光る球体があった。太陽のような優しい光ではなく、蛍光灯のような、ただ光源としての役目を果たすだけの存在。
そんな印象が頭の中に浮かんだ。
「我が世界に入りたる者よ。お前の心を見せよ……」
何処からともなく、声が聞こえた。とても低い、男の声だ。意識がはっきりしないせいか、何処から話しかけられているのか、そして何を話しかけられているのか、俺には分からなかった。
すると、相手側から驚きの声が上がった。
「おお、お前の心は、何も見えない。深い霧が掛かっていて、何も見えない」
何も見えない。それは当然だろう。人の心を覗き見るなど、人の出来る範囲内ではない。
そんな考えとは裏腹に、男の声は続ける。
「これは面白い。そして、不安だ。この者が創世する世界とは、一体どのようなものか」
俺は、創世などしない。俺がやるのは、ただ敵を殺すだけだ。
「良いだろう。行くが良い。
そしてお前は、此処へと辿り着かなければならぬ。全ては、新たなる世界の為に……」
そんな声は、朦朧としている俺の頭には届かなかった。
■
次に目を開けると、そこは真っ暗だった。
照明など、何もない、深淵の世界。
それでも、俺には意識があった。微かに覚えている先ほどの真っ白い世界よりは、しっかりしていた。
そんな空間の中に、二人の人間……いや、
あの時俺と出会った、老婆と金髪の子供だ。何故か二体とも俺を見下ろすように覗き込んでいる。
「恐れ多くも、坊ちゃまは貴方に大層興味を持たれています。ヒトに過ぎない哀れな貴方に、特別に贈り物をあげようと申しております。
貴方は、この贈り物を受け取らなければなりません」
そう機械的に喋る老婆に、俺は少しの疑問を持った。
こいつらは、デーモンである筈だ。なのに何故、意識があるように話すんだ?
デーモンとは、あくまでソウルの塊でしか無く、意識などと言うものは有りはしない。それ故に力しか鍛えれず、戦術などと言うものを扱えない。
だからこその、
そんな俺の疑問を知らない老婆は俺の頭を抑えて、続ける。
「動いてはいけません。……痛いのは、一瞬だけです」
何が痛いのだ、と言おうとして……辞めた。
金髪の子供がニヤリと笑って、ある物を持っていたからだ。
それは一言で言えば……蟲。
サソリのような、骨状の蟲の尻尾を掴んで、俺の目の前まで持ってきていたのだ。
この後、子供が何をしようとしているのか、嫌がおうにも、分かってしまった。
老婆が俺の口を強引にこじ開けた。
それを見て子供が満足そうに呟く。
「……これで、君はアクマになるんだ」
——瞬間、激痛が走る。
蟲が俺の中を這いずり回り、食い破る。キャベツの葉を食べる幼虫の如く、俺の中身が壊れていく。
数秒しない内に、視界に赤みが増して来る。血管のようなものもちらほらと見え、千切れていく。
そして、その痛みが胸の中心部にまで回った時。
——俺の意識は途切れた。