「大洗フラッグ車戦闘不能。よって聖グロリアーナ・プラウダ高校の勝利!」
「あーあー負けちゃったー。」
大洗・知波単学園と聖グロリアーナ・プラウダ高校とのエキシビジョンマッチはダージリンの策略によって聖グロ・プラウダ連合が勝利を収めた。これでダージリンは大洗戦において2勝したことになる。
「整備長ー終わったよー降ろしてー」
「あいよー」
アキの合図で二人が座っていた展望台がゆっくりと降りてくる。
「それじゃあ学園艦に撤収~」
元の形に収めたことを確認するや否や春樹は助手席にいたミッコの肩に手を置いた。
「先に行っててくれ、俺はちょっと用事がある。」
「え、ちょっと学園艦の出航時間までそんなにないよ!?」
慌てたアキが止めようとするが、春樹はランサーのエンジンを始動させてあっという間にどこかへ行ってしまった。
「何だか最近整備長がミカに似てきた気がする…。」
「ハルにとって大切なことだからね。」
ミカはどこ吹く風でポロロンとカンテレを鳴らすだけだった。
山を下り、規制が解除された街中を走る。そしてエキシビジョンマッチの会場で車を停めた。丁度試合が終わった戦車たちが回収されているところだった。
その中の一角でポルシェティーガーの消火作業をしている自動車部チームの所へ行く。
「あれ本田君だー」
「ホントだ、どうしたのー?」
いち早く気が付いたナカジマとツチヤが駆け寄ってきた。
「ちょっと音がおかしい気がしたので気になって。」
「あー分かっちゃった?」
ツチヤがいたずらがばれた子供のような反応を見せる。つまりは不調ではなく、何かをやろうとしているらしい。
「車両は大丈夫ですか?」
「うん、燃料タンクがやられて派手に燃えてるけど案外無事。すぐ直る。」
破損の状態を見ていたホシノの言葉でナカジマはほっと安堵の息を付いた。
「モーターの回転が滑らかになった気がするが…制御系で何かをやったのか?」
「うん、ちょーっと抵抗のつなぎ方を変えてみたんだ。昔の電車みたいに並列と直列を切り替えるみたいに。」
ツチヤの言葉で春樹はようやく理解した。
「成程…その手があったか…。」
春樹自身も盲点だったようで感心したな声だった。確かに継続の戦車は規定違反ギリギリのエンジンを作ることに日々精を出しているが、この戦車に限っては別のアプローチをすることができる。
「でもね…まだ足りないかなぁ。」
「あーやっぱり焼き切れてる。」
降ろしたモーターを開いたスズキが春樹に中身を見せてきた。コイルが黒く焦げ付いていて、使い物にならなくなっていることは明らかだった。
「直流だからね…急に抵抗下げるとすぐ焼き付くんだ。」
「モーターを変えたんですか?」
「うん!こっちの方が制御が簡単だし、まだ効率が良いかなって。」
「でもここまで負荷がかかるとは思わなかったなぁ…」
これは失敗だとナカジマはため息をついた。
電車などに使われていた直流モーターは初め大きな抵抗に繋いでゆっくり始動させるものだが、急発進を必要とする戦車の場合は初めから低い抵抗に繋ぐ必要がある。そのためいきなり流れてくる大電流に耐えられずにモーターが悲鳴を上げてしまうのだ。
「もとの交流モーターは駄目だったんですか?」
「だってあれエンジンの発電量でしかモーターが制御できないんだもん、効率最悪だよ。」
つまり20km/h出すためにはその分エンジンを回さなければないのだ。貯める場所も無いので余った電気は熱として捨てられる。それでは確かに効率は最悪だ。その点直流であればバッテリーに蓄電することが出来るので、必要な電力をバッテリーから賄うことが出来る。その分エンジンを回す必要もない。
「…ずいぶん勉強したんですね。」
「次は足を引っ張りたくないから。」
ホシノの言葉に四人は強くうなずく。どうやら並々ならぬ思いでモーターの開発をしているらしい。様子を見に来てよかった、春樹の機械オタクセンサは完全に振り切っていた。
「いつか是非手伝わせて下さい。俺も勉強しておくので。」
「おぉ!本当に!?」
四人にとっても願っても無い申し出だった。春樹としてもエンジン以外のことを勉強するのも悪くないと思っていた。どうせ来年には新しい授業も増えるだろうし、そのための予習と考えれば何も問題は無い。
『みなさん、お疲れさまでした。これより大浴場を解放しますので是非ご利用ください。』
そんなアナウンスと共に周りから「やったー!」という歓声が上がる。
「もうそんな時間か、本田君はここでお別れ?」
「そうですね、今ならギリギリ間に合うかもしれないので。」
「そっか、それじゃあ次に会う時を楽しみにしてるよ。」
ナカジマと握手をして春樹は急いでランサーに乗り込んだ。
海沿いの道を飛ばし、学園艦が停泊していた場所まで急ぐ。しかし、あと一歩のところで間に合わなかったようだ。黒い煙を上げながら学園艦はゆっくりと遠ざかっていく。
「…はぁ、逃したか。」
「そういう日もあるさ。」
ポロロンとカンテレの音が聞こえる。
「……お前何やってんだ?」
「ハルを待っていたのさ。一つのことに夢中になれるのはハルの素敵な長所だけど、周りが見えなくなるのが玉に瑕だね。」
はぁと小さくため息をつく。学園艦が金沢港に停泊するのはおよそ2週間後の予定だ。
「うるせー…とりあえず石川に帰るぞ。」
こうなってしまっては腹をくくるしかない。恨めしそうにミカの横顔を睨みつけるが、当の本人はどこ吹く風だった。
「あらあら、まぁ…」
小松の実家に帰るなりニヤついた顔の母親が出迎えてきた。途端に胃がきゅっと痛む。
「学園艦に乗り損ねた先輩を泊めたいってのは聞いてたけど、まさかこんなに美人さんを連れてくるなんて。」
アンタもやるわねーと春樹の脇腹を肘で小突く。
「それで、泊めるけど問題はおありでございますか?」
「ぜんっっぜん問題ないわ!こんな美人さんならいつでも大歓迎だから。」
とりあえず母親の許可が下りたので、ミカが路頭に迷うことは無さそうだ。父親の意見?残念ながら本田家では母親が最高権力者なのだ。
「親父は?」
「あの人ならまた海外のサービスに行っちゃったわ。」
「……最悪だ。」
春樹の父親はそのメカニックとしての腕を買われて度々海外ラリーに行くことがある。最近はWRCに出ているチームにも声を掛けられたとか。肉親が活躍するのはとてもいいことだが、今回に限っては海を渡っていった父親を恨めしく思っていた。
「それじゃあ久しぶりに一緒に寝る?ミカちゃんも一緒に。」
「それはやめてくれ。」
いつもなら父親が注意してくれるのだが、今回はそのストッパーがいない。しかもミカという爆弾付きだ。
「なんだいハル、いつも一緒に寝―」
「はーい、ここで立ち話もなんだからお上がりなさいませー!」
恐ろしいことを口走りそうになるミカの口を塞ぎ、春樹は急いでミカを家に上がらせた。
「どうしたんだい?ハル、そんなに慌てて。」
「何って余計なことを言おうとしたからだよ!」
ミカは全く悪びれる様子が無かった。むしろ、この状況を楽しんでいるようでもあった。
「ハルにはお世話になりっぱなしだからね。だから日ごろの感謝を親御さんにも伝えようと…嫌だったかい?」
ミカは明らかにシュンとした様子で春樹を上目で見つめる。
「嫌とか駄目とは言ってない。いらぬ波風を立てるなって言ってんだよ。」
「それはそうとアンタちゃんと栄養のあるご飯作ってあげてるんでしょうね?」
ひょっこりと現れた母親の言葉が頭の中で引っかかる。作って……”あげてる”?
「誰が誰に作ってるって?」
「あんたが、ミカちゃんによ。まさか保護者がそこらへん分かってないと思ってんじゃないでしょうね?」
「情報源を求む。」
「学校から直接連絡があったのよ。学園主席の不登校を改善して頂いたことに感謝してますって。今後とも”監視”の方をお願いしますだって。」
どうやら学校側もある程度把握しているらしい。それもそうだろう。ミカは継続の戦車道を立て直し、尚且つ隊長として名だたる強豪校を苦しめた実績がある。学校側もミカの不登校には頭を抱えていた様子で、多少のことには目を瞑る方針のようだ。
「どうやらハルの早とちりだったみたいだね。」
「……はぁ。」
こちらが必死に誤魔化そうとしていたのが馬鹿みたいだ。勝手に重いため息が出る。
「はいはい、お母さんお夕飯の材料買ってくるからアンタたちはゆっくりしてなさい。」
銀色のレグナムVR-4に乗り込み母親は出かけて行ってしまった。
「とりあえず洗濯でもするか…。」
ふと、隣にいたミカの姿がないことに気が付く。嫌な予感がして自分の部屋に行くと、案の定ミカがベッドの上で横になっていた。春樹の視線を察知するや否やごろんとうつ伏せになる。
「おい、何真っ先に欲に走ってんだ。」
「………スゥ……」
うつ伏せになっていたミカの肩がゆっくりと持ち上がり、ぴたりと停止すること十秒。
「……ハァ……」
そして再びゆっくりと下がっていった。
「おい変態。」
「邪魔をしないでくれないかい。」
急いでミカを引きはがそうとするがベッドの両端をしっかりとつかんでなかなか離れようとしない。
「…もう好きにしてくれ。」
ここまで食い下がるミカも珍しいので、春樹が折れることにした。暫く静かに深呼吸をしてからミカは枕から顔を上げた。
「アルバムは無いのい?」
「見たければ探せ。俺は洗濯してくる。」
このまま羞恥心を蓄積するのも時間の無駄なので、お互い好きなことをしてた方が有意義だ。
「…なんか恐ろしいほどいつも通りだな。」
違いがあるとすれば場所が学園艦か、春樹の実家かという事だけだ。母親が返ってくるまで春樹は家事と車のデータ整理をミカはいつの間にか見つけ出した春樹のアルバムを読み更けていた。
「ハルは昔から年上に好かれる子だったんですか?」
夕食を食べ終わり食後のコーヒーを飲んでいる最中、ミカがそんなことを母親に尋ねる。
「そうなのよねー。一人っ子だからってのもあるんだけど、昔はほら小っちゃくてヨタヨタしてたから~」
「ちょっと待った。俺はそこまでひ弱じゃなかったぞ、むしろ喧嘩っ早かったはずだけど?」
「喧嘩ぁ?いや、あんなのじゃれついてただけだって。」
実際幼いころの春樹が一方的に突っかかってきただけなのだが、いくら母親が訂正しても頑なに譲らなかった。
「ハルは…優しい子だよ?」
「うぐっ……。」
じっとミカに見つめられると、言葉が詰まりそれ以上の反論が出来なくなる。それを見た母親が楽しそうに笑っていた。
「やっぱり親子だねぇ。アンタも将来尻に敷かれるタイプだわ。」
「分からねーだろ。もしかしたらお淑やかな年下の奥さんを貰うかもしれねーぞ。」
「ミカちゃん、この子年下の女の子と仲良いのかい?」
「特に心当たりは…。」
ミカの言葉に反論したかったが、身近な親しい女性陣の殆どが同い年か年上なので何も言うことが出来なかった。
「ちなみに本当にミカちゃんとは同居するだけの関係なんでしょうね?」
「俺がコイツの生活の殆どを見てる限りはそれ以上の進展は無いよ。」
それを聞いた母親がにやりと笑った。
「よし!それならこの2週間でミカちゃんに家事のやり方を徹底的に教えてあげようかな!」
「それはありがたい。俺の負担が減るのは良いことだ。」
ミカの頬に少しだけ冷や汗が流れるのを春樹は見逃さなかった。これを機にミカには一人で生活できるようになってくれないと。…来年には卒業してしまうのだから。ほんの少しだけ寂しさを感じる春樹であった。
「ふぅ、やっと船から降りられるわ。」
黒森峰の学園艦が母港である熊本港に停泊してからおよそ1週間が経過し、ようやくエリカは実家に帰る時間を取ることが出来た。大きな大会も無いこの夏季休業中に出来るだけやれることは終わらせておきたかっため、予定よりも大幅に船を降りる日にちが遅れてしまった。新しい部の設立のための申請書類や、敷地や設備を整えるための下準備などなど…。途中エリカのチームの操縦手が”自主練”をしたいと言うので、ティーガーの使用許可書を書いた以外は全て自動車部の新設に関するものばかりだった。
『もう向かってるから待っててね~!』
帰省の連絡を家にするや否やすぐに迎えに来るという返事を受け、港の待合室で待つこと十数分。やかましいエンジンの音が聞こえてきた。
今どきのハイブリッドカーのような静かなでエコな車を真っ向から否定するかのごとく古臭いガラガラ音交じりのエンジン音だった。曲線を主体とした赤いボディに愛嬌のある丸目のヘッドライト。かつてドイツの国民の脚を支えたフォルクスワーゲン・タイプ1である。
「お待たせエリカちゃん。」
太陽の明かりに照らされて絹のような髪が光る今日は三つ編みにして一つに束ねていた。エリカの月の光を束ねたような銀髪とは対照的だが、二人に共通しているのはその美しい灰色の瞳だった。
「ただいま、姉さん。」
フォルクスワーゲン・タイプ1に乗る女性は、先日春樹が人吉駅であったイェシカ本人であった。
後部座席に荷物を載せてエリカは助手席に乗り込んだ。
「もう、すぐ帰ってくると思ったのに…一週間もなにやってたの?」
「こっちも色々忙しいのよ。それよりなんでわざわざ迎えに来たの?」
学園艦に駐車してあるポロで帰るのが一番手間がかからない筈なのに、この姉は迎えに行くと言って譲らなかったのだ。
「ふふふ、良いことがあったからですよ~。」
気持ち悪いくらい上機嫌の姉はその良いことを妹に披露したくてたまらなかったらしい。エリカは小さくため息をついて頬杖を着いた。
「で、良いことって何よ?」
エリカが質問をするや否やイェシカの口元が「えへへ…」とだらしなく緩んだ。それを見たエリカは「うわっ…気持ち悪。」と思わず呟いてしまった。
「…実はあの学生ラリーチャンピオンの本田春樹君に会っちゃって~、握手してもらちゃったうえに写真まで撮ってもらっちゃって~」
そう言って彼女は赤信号で止まっている時間に自分のスマホの待ち受け画面をエリカに見せる。そこには若干顔を引きつらせてこちらを見つめる春樹がイェシカと共に写っていた。
「……は?」
まさかこんなところで春樹の名前を聞くとは思いもよらなかったエリカは驚いた声を出した。
「あれエリカちゃんは知ってたっけ?本田春樹君は今学ラリで2連覇中で今モータースポーツ界で注目されてる存在なの。」
イェシカが楽しそうに春樹について説明する中、エリカはどうリアクションをすればいいのか迷っていた。恐らく隣にいる姉よりも本田春樹という人物を知っているという自信があるが、それを言うのも何となく憚れる。
「それに運転技術だけじゃなくて整備技術も凄いんだよ?一週間あれば壊れた車も新品みたいに直しちゃうの!」
「へ、へぇ…。」
きっとイェシカはエリカが戦車道ばかりでモータースポーツ界隈の情報など知らないと思っているのだろう。自分が知ってる凄い人に会ったという事を自慢したいのも分かる。それに春樹が凄い人だという評価にエリカもまんざらではなかった。
「やっぱり生で見ると迫力あったな~。だけどやっぱり年下の男の子ね。ちょっと緊張してて可愛かったなぁ。」
しかし何故だろうか、イェシカが春樹のことを”可愛い”とか”素敵”などと言うたびにエリカの中に少しずつイライラとした感情が湧き上がってくるのだ。
またアイツは年上の女性と仲良くなったのか。それも実の姉とは…。
「エリカちゃん?なんだか機嫌悪くなってない?」
「べつに…アイツがどこで誰と何をしようが私には関係ないですしー。」
その言葉でピンときたようでイェシカは片手で口を押えて「あら、まぁ…」と少しだけ驚く。
「まさか本田君と知り合いだったの?それなら早く言ってよー。」
「……。」
そんなこと誰が言うものか。言ったら言ったで面倒なことになるのは明らかなのに。それに―
「あ、まさかお母さんが言ってたエリカちゃんに好きな人が出来たっていうお相手ってもしかして!」
今すぐこの車から飛び降りたい気持ちで一杯になる。あぁ…なんでこんな時に限って察しが良いのよこの姉は…。
苛立ち、羞恥心、嬉しさ、いろいろな感情が一気に湧き上がってきてエリカの頭はパンクしそうだった。
「そうよ…悪い?」
「んーん、全然。ずっと戦車と西住流ばかりだった妹がやっと男の子を好きになったんだもん。嬉しくない筈が無いでしょ?」
「…帰ったらサンドバッグにしてやる。」
はいはいお手柔らかにねーと姉はケラケラと笑う。自分の今一番言いたくなかった事項を真っ先に自白されエリカは小さく舌打ちをした。次に会ったら徹底的に問い詰めてからとっちめてやる…。窓ガラスに薄く映り込むエリカの顔は少し頬を赤くしながら険しい顔をしていた。
「廃校…ですか?」
『ええ、今月末で大洗女学園が廃校になることが決まりましたわ。』
詳しいことは良く分からないが、戦車道大会で優勝すれば廃校は免れるという話は嘘だったらしい。考えても良いというただの口約束。今更決定は覆せない。相手を子供だと思って随分と好き勝手にやる人間があちらにはいるようだ。話を聞くだけでも腸が煮えくり返る思いなのだ、彼女たちは今頃深い憤りや悲しみにくれているだろう。
「それで、打つ手は考えてあるんですよね?」
『ええ、近々大学戦車道チームと試合があるはずよ。』
「それに勝てば今度こそ廃校は免れるんですか?」
『ええ、でもその戦力差は火を見るよりも明らかですわ。』
30対8。これが今回の車両の差だ。そこまでして大洗を潰したいのか…。
「あまりにも一方的ではありませんか?」
『ええ、そこで私たちが横槍を入れて差し上げるつもりですの。』
そのためにウチからも一台、それも一番腕の良い人間を出してほしいそうだ。成程、それは面白い作戦だ。しかし春樹は一つの懸念があった。大学戦車道ということはあの島田愛里寿が出てくる可能性が非常に高い。いや、そのお偉いさんのことだ必ず出して来るに違いない。継続高校でエースと言えばミカ達のBT-42だ。
「アイツが出る気になるか分かりませんよ?」
『あら、あなたがお願いすれば簡単に了承するのではなくて?』
「そう簡単に行けば良いんですがね…。」
なにせミカと島田アリスは深い因縁がある。それにここまで自分の身分を隠しているミカのことだ。公の場で島田アリスと顔を合せるのは避けたいと思っているはずだ。春樹自身もミカが嫌がることは極力避けたいと思っている。
『ミカさんの事は置いておいて、春樹さん。あなた自身はどうお考えなのかしら?』
「助けたいですよ。大洗は戦車道から一度逃げたみほがやっと見つけた居場所なんです。そう簡単に取り上げさせやしない。」
しかし継続高校は戦車道に関してはあまりにも立場が弱すぎる。自動車連盟側からアプローチをかけても良いのだが、下手に動いて折角の高等専門学校になる話を白紙に戻される可能性もある。軽率な行動で全校生徒に迷惑をかけるわけにはいかない。つまり春樹たちはダージリンの口車にのるしか方法が残されていないのだ。参加台数が一台だけというのもダージリンなりの配慮なのかもしれない。
『だったら…分かってますわね?』
「……はい。日時と場所は分かり次第教えて下さい。」
『ええ、良いお返事をお待ちしてますわ。』
通話を切り携帯電話をポケットに入れると、重いため息が無意識に漏れる。心なしか肩も重い。家の隣にあるガレージから微かにカンテレの音色が聞こえる。春樹はその音のする方へ向かった。
「ミカ、ちょっと良いか?」
春樹が話しかけるとミカは演奏の手を止めてカンテレの上に手を置いた。近くに置いてあったペール缶の上に座りミカの顔をじっと見つめる。
「何だい、改まって。」
「単刀直入に言う。近いうちに大洗と大学チームが試合をする。それに大洗チームとして出て欲しい。」
「………ハル、それは何を意味してるか分かってるのかい?」
ミカの質問に春樹はゆっくりと頷く。ミカはしばらく黙り込んでから静かにカンテレの演奏を再開した。
「君は私にアリスの敵になれと、そう言ってるんだよ?」
「………。」
今度は春樹が黙り込んだ。ミカの気持ちを知っているからこそ自分のこの頼みごとがいかに卑怯なのか、いかに彼女を苦しませることになるのか分かっていた。
「よりによって……なんでハルからなんだ…。それ以外の誰かだったらよほどマシだったさ。でも…なんで……。」
ミカは片手で顔を抑えて苦悶の表情を浮かべる。春樹にしてもミカにはこんな顔をさせたくなかった。しかし、どうあっても避けることが出来ない。
あぁ…どうしてもこうなってしまうのか。みほを思うからこそ。アリスを思うからこそ。互いに譲れないものがありそれはどうあっても相対してしまうのだ。そう、西住と島田の名がある限り、この話は平行線をたどり春樹とミカを傷つけていくだけだった。
「やっぱり…嫌いだ、流派なんて。」
「……そうだね。」
ミカはカンテレをパイプ椅子に置いて立ち上がり、春樹の頭を抱きしめた。そして大切なものを扱うように優しく、ゆっくりと春樹の後頭部を撫でる。
「今のままじゃその提案には乗れない。ここままじゃハルが傷ついてしまうよ。」
「お前もだろう。」
ミカはそうだね…と呟いて春樹の頬を包むように両手を当てる。そしてミカの眼に春樹自身が見えるまで顔を近づけた。そのまま見つめていたらどこか別の世界へ連れていかれてしまうような―
ゾクリとするほど危険で、恐ろしいほど美しい瞳に息を飲む。
「ハル…理由が欲しいんだ。アリスの敵になるに足る理由が。…それを探してほしい。」
ミカは静かに口元を緩める。しかしその顔はとても辛そうで、今にも泣いてしまいそうだった。こんな顔を見るのは初めてだった。
「…分かった。分かったからそんな顔するな。」
ミカのチューリップハットを掴んで下ろし顔を見えないようにする。
「何をするんだい。」
「うるせー、ミカのクセにドキッとする顔しやがって。」
やけに心臓の鼓動が早い。2年近く一緒に過ごしていてこんなことは初めてだった。帽子を元に戻したミカはいつも通りに雲をつかむような笑みを浮かべていた。
「それじゃあよろしく頼むよ。留守番はもう慣れたものさ。」
つまりは今から行けという事らしい。全く、実家に帰ってゆっくりできたためしがない。
「分かったよ。それじゃあ行ってくる。」
ランサーに乗り込み、セルモーターを回す。
ギュルルル…ドッ…ドドドッ…ドドドッ…
今の春樹の心臓に呼応するかのようにランサーは力強いリズムを刻んでいた。
「あれ、春樹はどっか出かけたの?」
「はい、学園艦が来るまでには戻ってくると思います。」
ガレージにはランサーが残していった生ガスの匂いが微かに漂っていた。
「ミカちゃん…あなた…。」
春樹の母親はミカの頬に涙の痕があることを見つけ、それを手で拭った。
「すみません…情けない所を…。」
「あのバカ息子がなんかやったのかい?」
「いえ…彼は関係ありません…。」
もしあのまま頼み込まれ続けたらきっとミカは折れていた。春樹の頼みだったらどんなことでも受け入れる覚悟はしているつもりだった。しかし春樹はそれをしなかった。そんなことをしてしまってはミカがどんなに辛いか良く分かっていたから。きっと春樹がもっと非情になることが出来たなら、こんなに胸を締めつかれるような思いをすることは無かった。
「まぁ、いっか。それならミカちゃん、今日は二人でどこか食べに行こっか。馬鹿な男どもは抜きにして!」
「……はい。」
ハルと出会った時から彼はずっと味方でいてくれた。だから今回もきっと大丈夫だ。
ハルは…私のヒーローだから。
「ホシノー?どうだった?」
「駄目…やっぱり焼き切れてる。」
スズキとナカジマが横からモーターを覗き込んだ。見事に真っ黒になったコイルから少しだけ煙が出ている。
「やっぱ直流はすぐ駄目になるなぁ…。」
「これじゃあ試合でもっと足を引っ張っちゃうよね…。」
直流電源を作り出すためにオルタネーターを間に設置して、尚且つバッテリーも搭載してみたが元々スペースがないエンジンルームに熱に弱いバッテリーを押し込んだものだから不具合が多発していた。これなら交流モーターに戻した方がまだましだ。
「ツチヤはなんて言ってた?」
「なんか違和感しかないって。。パワー感もないし、これなら軽の方がマシなんて言ってたよ。」
ツチヤは転校手続きの書類を作るために朝から実家がある栃木県に帰省していた。しかしレオポンが気になるからと夕方には帰ってきていてテスト走行に参加していた。長旅の疲れが溜まっていたのだろうか、今はぐっすりとテントの中で眠っている
「ツチヤは地元のアンツィオに転校かなぁ?」
「いや、どうせ転校するなら継続が良いって言ってたよ。と言うかナカジマもでしょ?」
「まーね。あ、そうだ君らにもお知らせしておこう。来年から継続が高専になるのは知ってるよね?」
ホシノとスズキは頷く。それを確認してナカジマはスマホを取り出して、画面を二人に見せる。
「編入試験?」
「そう、いわゆる四年次の学生を他校から募集するらしいよ。」
「でもそれ、普通の大学試験と変わらないんじゃ…。」
ちっちっちとナカジマは指を振る。
「今から継続に転校しちゃえば来年卒業するか、編入試験無しに高専生として残るか選択できるんだよ。」
つまりは今みたいに少ない資料で勉強する必要もないし、その先の大学へは編入試験で進めるし、作業着で構内を移動しても怒られないわけだ。
「最後のは別によくない?」
「まあまあ、それにさツチヤを一人にしたくないじゃん。」
現状で自動車部はツチヤを除いて全員が今年で卒業する。もし来年1年生が入ってこなかったらツチヤは一人になってしまう。その前に部員が足らずに廃部になる可能性の方が高かった。
そうなってしまうのであればいっそのこと継続高校へ転校してしまった方がツチヤにとっても幸せなのかもしれない。
「継続には本田君がいるからね。」
「それが本音でしょナカジマ。」
ばれちゃったかーとナカジマはおちゃらけて見せる。しかしスズキとホシノも内心はその方が良いのではないかと思い始めていた。
「大洗がなくなったのは悲しいけどさ…。ポジティブに考えていこうよ!これでツチヤが一人にならなくて済むってさ。」
どんなに難しい状況が襲ってきても今出来うる最良の選択肢を選ぶ。これは三年間の自動車部生活で培われてきた考え方だった。
「それもそうだね。」
「それじゃ、どっちにしろ勉強もしなくちゃ。」
スズキとホシノが力強く頷いた。
『会長が帰還されました。戦車道履修者の皆さんは至急体育館に集合してください。』
そんな放送がなぜが誰かの鳴き声と一緒に流れてきた。
「何か会長が思いついたのかな?」
「十中八九そうだろうね。スズキ、可哀そうだけどツチヤを叩き起こしてきてくれる?」
「あいよー!」
スズキがテントの中に潜りこむと「おっきろー!」という声と「ングェ!?」という悲鳴が同時に聞こえててきたのだった。
「さーて、どっから調べようかね。」
春樹は大学戦車道チームが紅白試合をしている会場に足を運んでいた。ここで成績を残したチームが選抜されて大洗戦に出場すると踏んだためだ。
しかし、そんな春樹の思惑は瞬く間に崩された。ほとんどの車両を島田愛里寿が指揮する戦車によって撃破されてしまったからだ。これでは偵察の意味がない。
「ここまで来て収穫なしは勘弁願いたいぞ…。」
仕方がないここは直接乗り込むか…。
作業着に着替え、メカニックグローブを装着し、適当な書類を挟み込んだバインダーを持って整備ドッグへ向かった。これならすぐに怪しまれることは無いだろう。
「友人の応援に来ました。」
「本当!?助かった~人手が足りなくてさ!」
春樹の使い古された作業着のおかげで全く疑う様子もなくドッグへ案内された。そこには先ほどまで試合をしていた戦車たちが整備を受けている最中だった。
「島田隊長はどこへ?」
「用事があるとかですぐに帰ったよ。」
「そうですか。」
そっけなく返事をして春樹はすぐに整備に取り掛かった。なるべく目立たないように、気配を殺して…。ふとドッグの隅にビニルシートがかけられた大きな物体を見つけた。全体像は分からないが砲塔なようなものが端っこから覗いている。黒森峰にあったマウスとは比べ物にならないくらい巨大な出で立ちであることは確実だ。
「うわぁすっごいトルクレンチさばき!どこで習ったの?」
しかし運悪く話しかけた生徒が工具オタクだったらしい。その巨大な構造物に気を取られいつものようにトルクレンチを使ったつもりだったのだが、彼女には一発で分かってしまったようだ。春樹の整備力がちょっと齧った程度の人間では到底たどり着けない領域だということを。
「普段からやってるので。」
「という事は大型機械の整備士さんですか?」
「いえ、機械であればなんでもやりますよ。」
「うわー本当に凄い人だ!」
思ったよりも騒ぎが大きくなってしまったのか、この大学チームの名物トリオが春樹所に寄ってきた。
「なになに~どこかの整備科の子かしら?」
真っ先にメグミが話しかける。出身がサンダースなためなのか初対面の男子生徒にもフランクな態度だった。
「本田と言います。まぁしがない整備士ですよ。」
「私はメグミ。こっちのエッチな体してるのがアズミで、眼鏡っ子の方がルミ。私たちバミューダ三姉妹なんて呼ばれてて結構有名なんだよ!」
バミューダ三姉妹の名前は戦車道に疎い春樹も聞いたことがある。普段は中隊長を率いることが多いのだが、いざこの三人が集まりフォーメーションを組むと手が付けられなくなると言われている。噂によると戦車で直ドリをするとか…。オープンゲットが出来るとか…。そんな耳を疑うような話が沢山あるのだ。
「ええ、存じ上げてますよ。実際にお会いできて光栄です。」
春樹は三人をみてふと疑問が思い浮かぶ。この三人の中で一人だけ違う格好をしている人間がいるのだ。正確にはぱっと見て同じ格好に見えるが、アズミだけジャケットの下に見えるべきシャツが見えていないのだ。
「ところでアズミさん、いくら普段男性の目がない環境だからと言ってその恰好はいかがなものかと思いますが?」
「べ、別に良いじゃないの。涼しいし、隊長にはお許しを貰っているし。」
アズミは悪びれる様子もなく腰に手を当ててそう答えた。
「貰ってるって言ってもほとんど黙認だけどねー。」
「良いぞ良いぞ!もっと言ってやれ!」
ルミとメグミも春樹の言葉に同調する。どうやら普段からこの二人も気にしていることのようだ。
「自分の知り合いにも普段タンクトップ一枚でいるのがいますけど、流石に試合中はシャツくらい着てますよ。」
「うぅ……。」
今更羞恥心が沸いてきたのかメグミは胸元を隠して俯いてしまった。
「まーまーアズミをイジメるのはそこらへんにして!折角知り合ったんだからどこか飲みに行かない?」
メグミが二人の間に割って入りそんな提案をする。
「俺未成年なんですけど。」
「「「えぇえ!?」」」
三人の驚いた声がドッグに響き渡った。
「未成年ってことは…と、年下?」
「てっきり年上か同級生かと…。確かによく見たらちょっと幼い感じするけど…。」
「未成年に説教されたの……私。」
本当は十七歳ですとは言えない春樹は黙って三人の様子を見ていた。するといち早くショックから立ち直ったメグミが春樹の肩をがしっと掴んだ。
「こ、この際年下でも…この出会いを逃すわけには……っ!」
若干目が血走っている彼女から言いようのない迫力を感じた。
「こら、そこの中隊長たち!さっさとブリーフィングに行ってくださーい!」
「げっ、鬼が来た…。」
真っ先にルミの顔が青くなる。確かに笑顔で青筋を浮かべながら近づいてくるその様子は鬼と言っても差し使いない迫力があった。
「いやいや、ちょっとお話をしてただけですから…。」
「決して忘れてた訳じゃないから!」
「分かりましたから早く言ってください!島田師範がお待ちしてるんですから!」
最後の言葉が効いたのだろう、三姉妹たちは血相を抱えてどこかへ走って行ってしまった。
「助かりました。」
「まったく、こんなとこまで何しに来たの?ナンパ?」
春樹の救いの女神もとい、ミミは呆れた顔だった。
「いや部長に会いに来たんですよ。」
その瞬間ミミはばっと春樹から距離を取り両腕を交差させて顔を隠す。一見今から格闘ゲームが始まるかのような綺麗なフォームだった。
「ま、まさか私が目的?そ、その手には乗らないわよ!」
威勢よくそんなことを言うが、よく見るとミミの口元はだらしなく緩んでいた。
「残念ながらまじめなお話をしに来ました。」
「……まぁそんなことだろうと思ったよ。」
相変わらず食えない子だねーとミミはため息をついた。立ち話もなんだからと案内されたのは図書館の談話スペースだった。ここなら一般の人間も利用するので、春樹がいても怪しまれないだろうというミミの配慮だった。
「で、聞きたいことってなに?」
「なんか整備ドッグの隅にバカでかい砲塔が見えましたが、あれなんですか?」
「あーあれ?」
ミミは嫌なものを思い出したようで、椅子の背もたれにだらしなく両腕をかけて深いため息をついた。
「なにやら高校生と試合するらしくてさぁ。どうしてもアレを出せって上が煩くて。」
「上って隊長ですか?」
「いーや、もっと上の連中。むしろ隊長はそんなもの必要ないって断ってるよ。でも立場上受けるしか無い感じ。」
ほんっとに困るよねーとミミは乾いた笑い声をする。
「そうですか……。」
「それはとうと本田君。ミカとは上手くいってる?」
「今頃慣れない家事に四苦八苦してますよ。」
「本当?すごい成長じゃん。あのミカが家事の勉強してるんでしょ?」
「まあ、料理に限っては未だに殆ど俺がやってますけど。」
「ははは!ミカって本田君の料理大好きだもんね!」
春樹自身毎度毎度美味しそうに作った料理を食べるミカを見るのが密かな楽しみであるので、炊事に関してはあまり厳しく言っていない。
「あら、お久しぶりね。本田さん。」
暫くミミとミカの事で盛り上がっていたら見覚えのある人物が声を掛けてきた。
「し、島田師範…!」
ミミはなぜここに島田千代本人がいるのか分からず、硬直する。
「あ、どうも。」
「お勉強かしら?」
「まあ、そんなところです。」
わざわざ大学まで、偉いわ。と千代は柔和な笑みを浮かべていた。
「ミーティングは終わったのですか?」
「ええ、この後彼女たちのチームには”自主練を”命じました。操縦手のあなたも急いだほうが良いわよ?」
途端にミミの顔が青ざめていく。
「し、失礼します!」
すぐさま席を立ち図書館を去っていった。
「…愛里寿さんはお変わりないですか?」
「ええ、センチュリオンの出来がとても良いのであの子も喜んでいたわ。」
「それは良かった。彼女は少し頑張りすぎる様子が伺えたので。」
「そうね…ミカが家を出てから尚更。」
それはそうと…と、春樹は世間話を中断し本題に入ることにした。もちろんあの武骨な自走臼砲についてだ。
「これは高校戦車道と大学戦車道の交流戦のはずでは?あのようなレギュレーション違反の産物を使ってしまってはスポーツ精神に反するのでは?」
「あなたには知らなくても良いことよ。」
「あの姉妹のことを知っている身としては無関係ではないのでは?」
ピクリと千代の眉毛が反応した。
「そこまで島田流が大切ですか?あの二人をないがしろにしてでも。」
「黙りなさい。」
たった一言でその場の空気がピンと張り詰める。並の人間では簡単に逃げ出してしまうほどの重圧が襲うが、春樹は黙らなかった。
「確かに破門されたとはいえ西住みほは西住流の人間です。どうしても勝ちに拘るのは分かります。でもやり方ってものがあるでしょう。ただでさえ数に差があるのに。」
文部省からの要請とは言え、西住しほから直々に声を掛けに来たということはつまりはそういうことなのだ。大人たちの勝手な都合に振り回されるのは何時だって子供たちだ。
「島田アリスはもっとフェアな試合を望んでいるはずでは?」
「……いいえ、あの子も納得しているわ。」
「これは内密にして頂きたいのですが、ミカが試合に参加しようとしていると言ったら驚きますか?」
「……はぁ。あなたの差し金かしら?」
千代は小さくため息をついた。
「まだ未定ですけどね。彼女と戦いたくないらしいです。理由があれば考えるとは言ってますけど。…その理由を今見つけましたよ。」
「愛里寿には絶対に言えないわね。」
「言っていただいても良いんですよ?」
春樹はニヤリと笑う。もしそうなってしまっては愛里寿が試合に集中することが出来なくなる恐れもある。それは千代にとってはあまりよろしくない状況だ。
「言えないわこんな大変なこと。」
「それでは現地でお会いしましょう。俺も整備士としてやることはきっちりやります。」
「ええ、楽しみに待っているわ。」
大学を出るころにはすっかり空が赤く染まっていた。生暖かい風と共にひぐらしの声が運ばれる。
「ミカ、お前が納得できる理由を見つけたぞ。」
春樹は大学戦車道チームがカール自走臼砲を次の大洗戦に投入しようとしていることをミカに伝える。
「そんなものが…。」
「ああ、だからミカ。お前がその下品なデカブツをぶっ壊すんだ。それが島田愛里寿にとってプラスになる。」
「………分かったよ。君の言うことに従おう。」
「ありがとうミカ。」
「それで日程は決まったのかい?」
春樹はミミから聞いた場所と日時を伝える。今から港で学園艦を待つよりも高速道路で青森に行き、プラウダの連中と合流した方が早い。そのことをミカに伝える。
「分かった。それでは現地で会おう。」
「ああ、移動しながら詳細は伝える。」
ミカとの通話を切る。するとタイミングよくダージリンから着信が来た。
「どこかで監視でもしてるんでしょうか?」
『あら失礼ね。やっとこちらの作戦が決まったからいち早くお伝えしよう連絡を差し上げたのよ?』
楽しそうなダージリンの声がスピーカーの奥から聞こえてくる。
「それは悪ぅござんした。」
ともあれこちらもギリギリだが準備を進めることが出来る。ダージリンの説明を聞きながら春樹は別の作戦も頭の中で練り始めていた。
「はぁ…散々な目に会ったわ…。」
実家で散々弄ばれた疲労からかエリカの眼は光が無かった。
「これもぜんぶアイツのせいよ…。」
ベッドに取れ込むと途端に疲労が睡魔に変換される。
「駄目…シャワーも浴びてないのに…。」
己の中の乙女心が睡魔に打ち勝ち体を起こす。その時部屋のドアをノックする音が聞こえる。エリカの部屋に用があるのは一人くらいだ。急いで身だしなみを整えてドアを開ける。
「帰省から戻って早々すまない。今から北海道へ飛ぶぞ。」
まほはそんな突拍子も無いことをエリカに言う。相手がまほであってもせめて一日休養が欲しい所だったが、隊長の顔を見てそんな考えを放り出す。まほの顔は一見無表情を装っているがその瞳の奥には力強い意志のようなもの感じたからだ。エリカはなにも言わずにただ一度だけ頷き、いつものようにまほの後ろを歩いた。
「試合ですか?」
「ああ、大学連合チームと大洗が試合をする。それに我々も加勢することになった。」
移動中の飛行船の中でまほから細かい説明を受ける。
大学連合チームと言えば島田流の幼き後継者である島田愛里寿が率いる超精鋭集団だ。社会人チームも彼女たちの前では成すすべなく敗退し、国内最強チームと言っても過言ではない。そんな強敵に試合を挑むなど彼女たちは何を考えているのだろうか?…いや、もはや彼女たちにはそうするしか道は残されていないのだろう。しかし、条件を受け入れるしかない彼女たちに付け込んだ試合条件は一方的なものだった。大洗が8両に対して大学チームは30両。フラッグ戦であれば僅かながらでも希望はあったかもしれない。しかしそれは殲滅戦という試合形式によって打ち砕かれてしまった。もはや彼女たちは風前の灯火も同然だった。
「ダージリンの呼びかけで聖グロリアーナ、サンダース、プラウダ、知波単、継続、そして我々がその試合に参加する。」
「聖グロリアーナの隊長が…。」
戦車道が発足したばかりの彼女たちと試合をしてからダージリンは大洗の試合を欠かさず観戦した。西住みほの仲間を見捨てず最後まで全員で試合に勝つという戦い方を決勝戦までずっと見続けていた彼女は誰よりも大洗女学園に強いこだわりを持っていた。だからどんな手を使ってでも彼女たちを助けたいと、大洗とまた試合をしたいと思っているはずだ。だから今、ダージリンが用意できる最高のカードを切ったのだ。地道に他校との交流を欠かさなかったダージリンだけが切ることが出来るカードを…。
「熱い紅茶ですね。」
「たまには良いだろう。」
テーブルの上にはいつものコーヒーではなく、今のダージリンの心境を表したような真っ赤な紅茶が用意されていた。銘柄はもちろんダージリンだ。
「そう言えば隊長、帰省はいかがでした?」
「ああ、学園艦が来ずに途方に暮れていた春樹を実家で保護した。」
「……はい?」
「運悪く家政婦が不在で春樹にカレーを作ってもらったんだ。知っていたか?彼の作るカレーは美味いぞ。」
アイツが料理好きで味もなかなかだという事は分かっている。問題は”保護”というところだ。
「保護という事はつまり……。」
「一晩泊めたが?」
いつの間にがギリギリ…という音が聞こえる程固く拳を握っていたらしい。エリカは自分を落ち着けるべく紅茶を一口飲んだ。この湧き上がる感情は誰に対して向けられたものなのだろうか?あの隊長の実家で一晩過ごした春樹に対してだろうか、それとも―
「今度は3人で来ると良い。夏季休業中であれば融通は利くだろう?」
「……はあ。」
「明日には現地に到着する。今日はゆっくり休むと良い。」
まほは先に自室に戻り、広い空間にエリカだけが残された。外の景色を見ると能登半島が一望できる。
ズキンと胸の奥に鈍い痛みが走る。
「……っ!」
苦悶の顔を浮かべて両手で胸を抑える。
もうしばらくアイツの顔を見ていない。でも会いに行く勇気さえも沸いてこない。いつの間にか顔を合せることに恐怖感を覚えるようになってしまった。
しかし、この湧き上がる焦燥感はそんな気持ちすら軽く踏みにじってしまう。
……会いたい、直接会って自分の早とちりを謝りたい。そして今のこの気持ちをすべて吐き出してしまいたい。こんなに苦しいのはもう御免だ。
いつの間にかポロポロと涙がこぼれ落ちていた。顔を手で覆い必死に止めようとするがそれはあとからあとから溢れて止まらない。
「なんで…なんで止まらないのよ…っ」
嗚咽交じりの声が会議室内に響いていた。