継続高校自動車部   作:skav

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傷跡

戦車道の流派の屋敷と聞いたら、それはそれは大層な豪邸を想像するだろう。

島田家が住む家は、そんなイメージ通りの大きさだった。石で囲まれた家に様々な木々が植えられていて、日本庭園のような大きな庭に西洋風の建物がある。

その出で立ちは上品でありながら、様々な文化が融合されていてまさに島田流の家元が住む家と言った印象を受ける。

「すぐに戦車を?仕事熱心なのは良いけれど、段取りという物を覚えて頂戴。」

千代は春樹たちを応接間へ案内する。座り心地の良いソファはゆっくりと自身の体重を受け止めて、包み込む。

「2年ぶりの我が家はどうかしら?」

「特に何も感じないね。」

ミカは出された紅茶をゆっくりと啜って、そう答えた。もう少し取り乱すと予想していたが、ミカはとても落ち着いた様子だった。

「あの子はどうしたんだい?」

「今年から大学生へ進学して本格的に戦車道を学び始めたわ。」

ミカの肩がピクリと動いた。

「彼女はまだ13歳のはずでは?」

「優秀な子には相応の場所があると思わないかしら?」

ミカはため息をつき、それ以上の質問をすることは無かった。

「さて、本田春樹君。早速だけど本題に移りましょうか。」

千代に連れられた先は、まるでどこかの研究室かと思わせる程綺麗なドッグだった。

埃一つ落ちていない床に、家具のように整理された工具入れ。普段春樹が使っている場所とは雲泥の差だった。

「ここは普段使ってるんですか?」

「いいえ。今回初めてここを使うの。あの子がどうしても外には任せたくないって聞かなくて。」

「はぁ…。」

どう考えても外部に出した方が設備はあるし、ノウハウを持っている人間も沢山いるので確実に修理をすることが出来るだろう。それに作業者は春樹だけで、効率も悪い。どうやら”あの子”とは結構な頑固者のようだ。

工具箱を開けると小奇麗なスパナが出てくる。どうやら本格的に未使用のドッグの様だ。

「工具は持ち込んだ自前の物を使っても問題ないですか?」

「ええ、構わないわ。」

急なことだったので大掛かりな道具は持ち込めていないが、普段から慣れ親しんだ工具があると無いとでは気持ちの面でもだいぶ違うものだ。

千代の言葉を聞いて春樹は小さく安堵のため息をついた。

「それで、こいつはどこをいじれば良いんですか?」

「これを読めば分かるわ。」

千代は一つの紙の束を手渡す。そこには目の前にいる戦車の現状と要求しているスペックの比較が事細かく記されていた。

各モジュールの強度や重量バランスの改善など要求はさまざまであったが、一番の問題は足回りとエンジンだった。

10%の出力向上と、超信地旋回に耐えうる強度。

「…出来るかしら?」

「やりますよ。」

出来るかどうかは分からないが、やりようは沢山ある。ノウハウもある。だから後はやるだけだ。

かくして何度目か分からない戦車の改造が始まる。

 

「……。」

「やっぱりここにいたのね。」

島田邸のある一室、そこは綺麗に掃除をされクリーニングにかけられたままの制服が壁に下がっていた。まるでそこには何年も人がいないような雰囲気さえ感じ取れる。

「いい加減処分したらどうだい?」

「そんなことしたら愛里寿に嫌われてしまうわ。」

ミカは机の上の写真を手に取る。そこには家の前に並んだ二人の少女が写っていた。一人は熊のようなぬいぐるみを抱きかかえていて、その右手はもう一人の少女が握っている。

「なぜ進学を許したのです?」

「あの子は才能がある。教養もある。今のうちにしかるべき場所で学ぶべきではないかしら?」

「あの子がそう望んだのですか?」

「…ええ。あなたに追いつきたいからだそうよ。」

ミカはそっと写真を元の場所に戻し、おもむろに窓を開けた。新鮮な空気が部屋に入り込んでくる。

「もういない人間なんて追ったところで意味なんて無い。彼女にはもっと目指すに相応しい人間がいるんじゃないかな。」

「…今回はどういった風の吹き回しかしら?」

「ハルさ。」

窓の外からドッグを眺める。早速作業を始めたようで、金属音が微かに響いている。

「彼はとても優秀な整備士になるわ。このまま放っておくのは危険よ。」

「西住が関わっているからかい?」

「ええ、彼を西住流に取り込ませるわけにはいかないわ。」

はぁ、とミカはため息をつく。

「ハルは流派とかそんなちっぽけなものに拘る器じゃないさ。」

「そうかしら?現に黒森峰には大層な執着を見せているようだけど?」

千代の問いにミカは楽しそうに微笑む。

「あそこにはハルにとって必要な人がいる。それだけさ。」

流派やしきたりに固執しているならば、本田春樹という人間にここまで様々な人が立場を超えて頼るはずがない。

「…ふふ、愛されてるのねミカは。」

「……?」

今度はミカが頭上に疑問符を浮かべる番だった。

「じゃあ、彼が今回整備を了承したのはミカのためなのでしょう?」

先ほど自分が言っいた言葉と、春樹がここに来る前の言葉を照らし合わせる。…確かに、言われてみればそうなのかもしれない。

なんだ、とっくに彼の中に根付いていたんじゃないか。

そう自覚すると自然と口角が上がってしまう。

「全く、久しぶりに帰ってきたと思ったらのろけに来たのかしら?」

「そうさ、惚気に来たのさ。彼の凄い所、素敵なところを自慢するためにね。」

「さあそろそろ昼食の時間よ。彼を呼んできてくれないかしら?」

ミカは何も言わずに小さくうなずいてから、かつての自室を後にした。

 

 

ドォン…

ガン…!ガン…!

遠方で演習中の戦車の砲撃が直撃する音が木霊する。春樹は現在大学戦車道の紅白試合を視察しに来ていた。

曲がりなりにも戦車道に関係している身であるため、大学で行う戦車道というものにも少しばかり興味があったのだ。

試合形式は高校戦車道と同じくフラッグ戦で、今まさに白チームの戦車が撃破されたところだった。

「あっちのは良い動きするな…。」

フラッグ車とは別に3両の戦車が抜きんでた動きをしていることに春樹は気が付いた。噂だけは耳にしたことがあるが、バミューダ3姉妹という有名なトリオがいるらしい。

どうやら、あの3両はその有名トリオのようだ。そしてその一台の操縦手に去年の部長がいるはずだった。

「あれ~?本田君だ!久しぶり~。」

試合が終わり、戦車から出てきたミミが春樹を見つけるや否や駆け寄ってくる。

「お変わり無いようで。」

「本田君はでっかくなったね~見間違えたよ。うん、いい男になった!」

ミミは嬉しそうに春樹の頭を撫でようとしたが、届かないことを察知したのかそのまま背中を叩いた。

「ランサーの調子はどうですか?」

「バリバリ元気だよ~今日だってこの後この演習場使ってダートの練習するつもりなんだから。本田君も久しぶりにどう?」

「折角のお誘いなんですが、今日は先約がありまして…。」

「そっかぁ…残念。そういえば、ミカはちゃんとやってる?」

卒業してやはり心配なのだろう。ミミは小さな声で尋ねる。

「今のあれを見たらびっくりしますよ。飯は良く食うわ、髪はとかさせるわで。」

「そっか、なら安心だ。継続の活躍は小耳にはさんでるよ!ミカの作戦が黒森峰を追い込んだって。やっぱ二年目に隊長押し付けて正解だったわ!」

ミミは一年生にして戦車道の隊長を務める程の実力の持ち主だ。それを裏付けるように今もこうして大学選抜の操縦手を担っている。

「今も進路担当を困らせてるそうですよ。」

「あっはっは!むしろ本田君と一緒に卒業してくれた方がこっちは安心だけどね~。」

さらりととんでもないことを口走るので、春樹は何も言わずに笑って誤魔化した。

「あなたが、本田春樹?」

すると、この場にそぐわない幼い声が耳に入る。

「そういうあなたは島田愛利寿さんで?」

島田愛里寿。13歳でありながら現在大学生として生活をしている。その才能は誰もが認める程で、先ほどの紅白戦でもフラッグ車として勝利を収めていた。

「お母さまから話は聞いている。申し訳ないが、要件は後にしてほしい。」

愛里寿はミミをじっと見つめる。その目には口答えを許さない威圧感さえもあった。

「は、はい!ごゆるりとお過ごしくださいませ!」

「すみません先輩。また次の機会に誘ってください。」

「いいのいいの!それじゃあ隊長どの!失礼します!」

ミミはそそくさと二人の下から去っていった。

「さて、本題に入りますか。」

二人は近くのテーブルと椅子がある場所に移動して腰を掛けた。

「進捗はおよそ半分と言った具合。後はカーボンパーツとエンジンが終われば終了といった感じだ。」

「…分かった。」

先ほどの威圧的な雰囲気とは打って変わって今は絶えず俯き、声も小さい。どうやら戦車に乗っているときといないときでは、人が変わるらしい。

成程…みほと同じタイプか。

「どうして、そこまでこだわるんだ?」

「……さまの。」

「……うん?」

愛里寿はぎゅっと服のすそを握ってから顔を上げた。

「お姉さまの大切な戦車だった…から。」

「…だったという事はそのお姉さんは今はいないと?」

ゆっくりと頷く。

外には出したくないほどの理由になるほどそのお姉さまの存在が大きいという事が分かる。

「そのお姉さんについて聞いても?」

愛里寿は少し迷うように瞳を揺らしてから、ゆっくりと口を開いた。

 

 

物心ついたときからその人は私のお姉さまとしてそばにいた。

あまりおしゃべりなタイプではないが、何でも知っていて音楽が上手でそれにとても優しくて。私の大好きな人。

戦車道に興味を持ったのもお姉さまがきっかけだった。…でも、最初は戦車道が良く分からなかった。

あんな大きな機械を使って、耳が聞こえなくなるくらいの大きな音が出て、戦う意味が分からなかった。

ただお母さま達が戦車道の事になると少しだけ怖くなる時がある。それが少し嫌だった。

そんな時だった、お姉さまが出ている試合を見る機会があったのは。

まるで雲をつかむような作戦で、相手を攪乱し気が付けば相手の戦車が全て撃破されていた。まるで作戦が無いように見えることがあの人の作戦。

島田流戦車道を応用した全く新しい戦車道だった。しかし、当の本人はそっけない様子で勝利を喜ぶことも反省をすることも無かった。

楽しくは無いのだろうか?嫌ではないのだろうか?

私にはそれがとても不思議なものに感じた。

「戦車道には人生に大切な全ての事が詰まっているんだよ。」

そう答えるだけで、肝心の答えは教えてくれなかった。だけど、その言葉は不思議と抵抗なく私の中に入ってきた。

勝利のためでもなく、島田流のためでもなく、自分の思うままに。

それから私は再び戦車道に打ち込んだ。そうすればお姉さまの考えていることが理解できるような気がしたから。お姉さまに近づけるような気がしたから。

そしてある日。突然お姉さまがいなくなった。

お母さまに聞いても、誰に聞いても教えてくれない。

「あの子が望んだことだから。」

それはどういう事だろうか?お姉さまがいなくなることを望んだ?

どうして?ここが嫌いになってしまったのだろうか?

程なくして家に見知らぬ戦車が一台やってきた。その名前はセンチュリオンと言うらしい。

その戦車は…。

 

「もう、それ以上は話さなくていい。」

春樹は近くの自販機でココアとコーヒーを買ってきて、ココアをアリスに渡した。

「…ありがとう。」

「とにかく、あの戦車が特別な思い入れがあるのは理解した。」

今目の前にいる小さな少女はあの戦車が必要なのだ。だから自分のやるべきこと一つだけ。

「最高の一台に仕上げてやる。」

「…ほんとう?」

「ああ、約束する。」

二人は小指を差し出しそれを交差させた。

 

 

 

「ナカジマー?モーターの準備できた?」

「大丈夫だよ。それよりエンジンの方が心配かな?」

日がすっかり暮れ、暗くなった大洗女子学園のガレージにて自動車部の部員たちの声が響く。

「いやーまさか決勝戦に進むなんて思わなかったよねー。」

「ほんとほんと。やっぱ西住さんって凄いんだねー。」

現在新しく発見された戦車を動かすために整備を急ピッチで進めているところだ。

ポルシェ・ティーガーと呼ばれるこの戦車はあの有名なポルシェ博士が大戦中に開発した重戦車だ。

その特徴と言えばエンジンで発電した交流電源を用いてモーターを駆動させる方式を採用していることだ。モーターが複雑な変速装置やステアリング操作を担うため、従来のエンジンで駆動する方式よりもアドバンテージがあると言われていた。しかし、当時はモーターや発電機の効率が悪く発動機関係が大きくなってしまい、その車体の殆どがエンジンやモーターに占められている。つまりは信頼性に乏しく、およそ実戦では使えるような代物では無かった。そのため、ティーガーⅠとして採用されることは無く、ついには別の戦車として作り替えられてしまった。

「それにしてもこんな駄々っ子を良くまだ持ってたよね。」

「エンジンとモーターが二つずつ、それに加えて発電機もだもんね。」

まさに動く発電所と呼ばざるを得ない弱点だらけのこの戦車だが、その砲塔から放たれる砲弾は大洗でも指折りの威力を持っている。

重戦車をメインに運用する黒森峰に対抗できる数少ない戦車なのだ。是が非でも動くようにしなければならない。

「昔の人は凄いこと考えるよねー、今のWECとかで使われてる技術でしょ。」

「だよね…っと、これでひとまず完了。」

ホシノがトルクレンチで最後のボルトを締め、一息つく。

「それじゃエンジンかけるよー。」

ツチヤがV型十気筒エンジンに火を入れる。

ヒュウゥゥ…ヒュオン!ガガガガガガ…

何年動いているか分からないエンジンが動くと分かり4人はほっと一息つく。

「何だちゃんと整備されてたんだね。」

ナカジマが興奮を抑えられない様子で震えるティーガーを見つめる横で、ホシノは厳しい表情だった。

「…なんか音おかしくない?」

ホシノがそう呟いた瞬間車体の後部、丁度エンジンのある場所から煙が出始めた。

「ツチヤエンジン切って!」

「あーやっぱり熱でやられちゃうか…。」

まだまだ実践投入は遠そうだ。しかし四人の眼はとても楽しそうに輝いていた。

「よし、もう一回全部降ろして見直そう!」

ナカジマの声に全員が静かに頷いた。

 

 

「お疲れ様でーす!戦車を引き取りに来ましたー。」

金沢港に二隻の学園艦が停泊していた。丁度日本海沖を航行中だった黒森峰女学園の学園艦が燃料補給のために、この港に寄ることになっていた。それに継続高校が合わせる形になったのだ。

黒森峰のドッグの前には水色のRX-8が止まっている。戦車道と自動車部の代表が二人とも不在のため、自動車部の副部長であるユミが代役になったわけだ。

まったくどこ行ってんだろうか、ウチの部長さんは…。折角あの人に会えるチャンスだというのに。

「…隊長はどうした?」

「あーちょっと諸事情により学園艦を離れてまして。」

「そうか…本題に入ろう。こっちだ。」

まほに連れられてドッグの一番奥へ進む。シートで覆われることなく、ボロボロの戦車がむき出しのまま鎮座していた。

「うわぁ…こりゃ酷い。」

ここまで大破してしまっては運ぶのも手間がかかりそうだ。

「ちなみにこの戦車の人たちは?」

「ああ、代わりのティーガーⅡを用意したから問題ない。」

微かに遠方で砲撃の音が聞こえる。休日だと言うのに訓練を行っているようだ。流石強豪校は違うとユミは感心する。

「それじゃあ早速取り掛かりますね!」

「ああ、任せる。」

重機やトラック等を呼び早速搬出の準備を行うことにした。

「とりあえず細かいところはトラックに、出来るだけ車体を軽くね。」

工具などを取り出した継続高校の生徒たちは無駄のない動作でてきぱきと戦車を解体していく。あっという間に部品単位まで解体されて、トラックに運び込まれていく。

「噂に違わずか。」

まほは興味深そうな様子でその作業の様子を見守る。詳しいことは分からないが、とてつもなく高いレベルの仕事をこなしている事だけは分かった。

「そういえば逸見さんはどこに?」

当事者であるエリカもここにいておかしくは無いはずなのだが、姿は見えない。

「エリカも訓練中だ。乗り換えた車両に早く慣れたいらしい。」

「そうですか…。」

ストイックなエリカにユミも感嘆の声を漏らすしかなかった。

 

 

「命中弾確認…どう?慣れてきたかしら。」

「まあ、同じ車両ですからね。」

砲手は自信満々な様子でそう答えて見せた。

「それは頼もしいわ。…操縦は?どこか変なところは無いかしら?」

「若干変速が固いですが、許容範囲です。問題があるとすればエンジンが少しもたつくと言いますか…。」

それは仕方がない。古いエンジンで尚且つ12気筒もあるのだ。動かないシリンダーがあっても不思議ではない。あの戦車が特別すぎた。

「動き自体は問題ないわ。これなら本番でも十分戦える。」

決勝まで日数は少ないが、何とか遜色なく動けるところまで持っていくことが出来た。やはりこのメンバーは優秀だ。

「今日はこれでおしまい。午後はゆっくり休みなさい。」

「そういえば今日引き渡しの日ですよね。見に行かなくて良いんですか?」

装填手が肩をもみながらエリカに尋ねる。

「…そうね。最後なんだから見に行こうかしら。」

必要ないわと言って見に行かないと思ったメンバーは驚いた様子でエリカの顔を一斉に見つめた。

「…なによ。」

「いえ、素直な副隊長も素敵ですよ。」

「…ふん。」

通信手の茶化しにエリカは鼻を鳴らすだけで何も言わなかった。

ドッグへ戻ると丁度ティーガーの車体が巨大な台車に乗せられて、運ばれようとしているところだった。

「お、丁度良いタイミングで。」

エリカたちが乗るティーガーⅡにユミが駆け寄る。

「お疲れ様。」

「今最後の搬出準備が終わったところですよ。」

戦車から降りたエリカは台車上の相棒だったものを見上げる。

「明日からは所属が変わるけど、たまには見に来ても良いんだよ?」

そうね…とエリカは少しだけ感がるような仕草をする。

「遠慮しておくわ。次に見るときは試合会場にしましょう。」

ここですっぱり縁を切ってしまった方があと腐れなくて良い。

「その方が逸見さんらしいね。」

「そうかしら?」

「それじゃあ出発します。」

そんな言葉の後に継続高校のマークが付いたトラックが動き出した。

自然とエリカは振り返り、去っていくティーガーⅡを目で追ってしまった。別れの挨拶は小さく手を上げるだけ。

…さようなら。良い戦車だったわ。

ふっと目頭が熱くなりかけたので上げた手を握り締めてそれに耐えた。

「ねーねー逸見さん、午後は時間ある?」

「何か用かしら?」

ユミはエリカの手を掴んでにっこり笑う。

「これからデートしよ!」

 

ユミに半ば強引に押し切られるように青いRX-8に乗り込んだエリカは、鼻歌を歌いながら運転するユミにジトっとした視線を送る。

「それで、どこへ連れていかれるのかしら?」

「うーん…未定!」

「…はぁ?」

ユミの奔放な返答にエリカは呆れたような声を漏らした。あれだけ強引に連れていかれたのだからさぞや重大な用事があるのかと思ったのに。

「…どこへ行く気よ。」

「天気良いから能登半島の方までドライブってどう?」

ユミの言う通り雲一つない快晴で確かにドライブ日和だ。

…そういえば最近ポロを運転する暇が無かったわね。

「好きにしなさい。」

そういうとユミは満面の笑みを浮かべて車を発進させた。

学園艦を降りて車は海沿いの道を走り出す。窓を開けると潮の香りが風に乗って車内に入ってきた。助手席側からは日本海が見える。

「あれが立山?」

右側の景色には遠方に大きな山が連なっている。

「そうそう。あそこで見る星ってね、すっごく綺麗なんだよ!ちょっと寒いけど。」

「ふぅん…。」

あの時北海道で見た星も綺麗だったと、エリカは何となく思い出す。

「あ、今別の事考えてたでしょ?ごめんね、今ここにいるのが春樹君じゃなくって。」

「べ、別に関係ないでしょう!?」

突然出された春樹の名前にエリカは動揺を隠せないでいた。…そこまで顔に出ていたか。

「あはは!もう、分かりやすいな~逸見さんは。」

可愛いな~と言ってにやけるユミの横で、エリカはふんとそっぽを向く。

「別に可愛くなんかないわよ…私みたいな捻くれた女なんて。」

もっと可愛げがあって魅力のある女子なんていくらでもいる。例えばあの子とか…。

「それにあなただって明るくて、面倒見が良くて、十分魅力的だと思うわ。」

「……。」

ユミはいきなり褒められたのが恥ずかしいやら嬉しいやらで、口を真一文字に結び顔を真っ赤にする。

「…どうしたの?」

「いや…こんな綺麗な子に褒められるのは初めてで…ご馳走様です。」

褒められるのが苦手なユミはにやける口を片手で隠してどうにか体裁を保とうとする。

「何よそれ。」

そんなユミの仕草が面白くてエリカは自然と笑みがこぼれるのだった。

一時間半ほど車を走らせて、ユミは一見民家のような場所に車を止める。

「はい、ここが知る人ぞ知る古民家カフェでございます!」

駐車スペースがあることから店であることは予想できるが、看板が無ければ人の家に迷い込んだと思い込みそうな場所だった。

「カフェ?」

「そうだよ~デートと言えばおしゃれなカフェって相場が決まってるでしょ!」

訝し気なエリカの背中を押してユミは建物の中に入る。一番最初に目に飛び込んだのは囲炉裏だった。吹き抜けの窓から差し込んだ日差しが丁度囲炉裏を照らす。回りに置かれているソファも雰囲気を崩すこと開く鎮座し、洋と和が絶妙なバランスで調和していた。

「良い雰囲気でしょ?」

「え、ええ…。」

しかし女子高生二人が入るにはいささか敷居が高そうな気がしないでもなかった。

「だから良いんだよ~知り合いが来ないし。」

そういうものなのだろうとエリカはこれ以上の詮索するのを止め、囲炉裏の近くのソファに座る。

「逸見さんもコーヒーで良い?」

「ええ。」

コーヒーを二つ注文し、エリカは店内を見渡す。すると隅の方にある薪ストーブに目が留まった。気温が温かいこともあり火は着いていないが、否が応でも薪の暖炉を想起させる。

「あのストーブがどうかしたの?」

「いえ、アイツの家に薪の暖炉があるじゃない?それを思い出して。」

「へ?」

ユミが素っ頓狂な声を上げるので、思わずエリカも首を傾げてしまう。そこまで変なことを言ったつもりはないのだが…。

「春樹君の家に行ったことあるの!?」

今日一番の食いつきでエリカに詰め寄る。

「あなた副部長でコドライバーなんでしょ?」

聞けばユミと春樹はクラスも同じと言うじゃないか。普段から一緒にいることが多いのだから一度や二度は行ったことがあるものだと思っていたのに。

「一回もないよ!何回か連れてけって脅してるのに頑なに拒否するんだよ。」

あの人がいるからだろうか?。

「ミカさんと一緒に住んでるくせになんで入れてくれないのかなー?」

ああ、それは知ってるのね。じゃあ、なおさらその理由は分からなくなる。

「もしかして前に継続に来た時?」

「ええ、そうよ。大洗の隊長と一緒に。」

「あの西住みほさんも来てたの!?あんの色男めー!あんな美人と同居に飽き足らずよその子まで手を出しおってからに!」

だんだんとユミの反応が過激になってきたところでコーヒーが来る。とりあえず一口飲んで落ち着いた。

「ま、あの男の事は置いとくとして。黒森峰はさ、自動車部作らないの?」

黒森峰と言えば戦車道、戦車道と言えば黒森峰と呼ばれるほどイメージが強すぎるというのが現状だ。中には個人の活動で優秀な成績を収める生徒もいるにはいるが、やはり戦車道の陰に隠れてしまう。

「戦車道って授業でしょ。黒森峰って部活動はあるんだよね?」

「ええ、一応あるわよ。」

吹奏楽部やサッカー部等も一応あることにはあるのだ。戦車道履修者の中にも部活動に励んでいる生徒は少なくない。だが戦車道で有名な高校は必ずと言って良いほど自動車部が存在する。

強豪校の中で自動車部が無いのは黒森峰とプラウダだけと言っても良い。

「せっかく連盟同士が仲良いんだからやってみるのも良いんじゃないかな?」

しかし現状で自動車に興味があることが公言している生徒はエリカくらいだ。そのことをユミに言うと、彼女は不思議そうに首を傾げた。

「おっかしーなー?サービスの時黒森峰の制服を結構見たんだけどな?」

全国学生ラリー大会が黒森峰で開かれた時、黒い制服を着た生徒が遠巻きに色とりどりの競技車が並んでいるところを見ていた事を、ユミはしっかり覚えていた。戦車道の手前言い出しにくいのかもしれないが、募れば数は集まるのではないだろうか。

「でなきゃラリーの主催ができる程生徒が集まらないよ。」

「…そうかしら。」

「まあ最初からラリーがやれるとは思ってないよ。最初はジムカーナとか、最近はオートテストなんて言う競技も出来たし、敷居は思ったよりも低いから。」

確かに彼女の言う事も一理ある。自動車部の設立によって生徒の整備技術向上も見込まれる。それに―

「戦車道履修者の子たちがもっと機械に関心が向けば尚良いわね。」

「ただの戦車だよ?」

「違うわ。」

ユミの発言を即座に否定した。自分でも驚くほどすんなりと出てきた言葉だった。

「以前の私なら道具よりも腕を磨くように言うでしょうね。でも今は違う。戦車道は戦車と共に自分達を成長させる場所だと思ってるわ。整備はその手段の一つ。」

整備だけじゃない操縦、砲撃、通信、装填全てにおいて戦車と”会話”をする術はある。

「へぇ…それを春樹君が聞いたら驚くだろうね。」

「まあ、十中八九アイツが原因ね。まったく、いい迷惑よ。」

「ふーん、そっか~」

ユミはニヤニヤしながらエリカを見る。

「…なによ。」

「黒森峰の人がそう言ってくれるだけで嬉しいなーって。」

黒森峰の生徒は良くも悪くも規律正しい人間が集まる場所だ。西住流という絶対的な存在がなんでも吸収する十代の少女に与える影響は大きい。現に一年時の逸見エリカは雲森峰らしさを色濃く持った生徒だった。

それが原因であるか定かではないが、黒森峰は予想外の事態の対処に弱いと言われている。その弱点を補うための重戦車であり、完璧な統率が取れた運用というわけだ。

一般の眼には今のエリカは黒森峰らしく見えないだろう。それ故西住まほばかりに注目が集まるのだ。

 

見てなさい、邪道は叩き潰してやるわ。

 

いつかそのようなことを戦車道を発足したばかりの隊長に言ったことがある。今思えばそれは大きな過ちだったのかもしれない。邪道と馬鹿にした本人が自分の進むべき王道に疑問を持ちだしたのだから。

「いつかあの子にも謝らないといけないわね。」

「やっぱり逸見さんは変わったね。私は今の逸見さんが好きだな。」

「そう、ありがとう。」

エリカは小さく微笑みコーヒーを飲むと、ゆっくりテーブルに突っ伏した。

「…廃車されたくなかったなぁ。」

そう呟くと途端に寂しさと悲しみが込み上がってくる。

突然落ち込みだしたエリカに慌ててユミがフォローする。

「ほ、ほら逸見さん!ここカレーも美味しいんだよ!二番人気はサンドイッチだって!」

「二番…2…ツヴァイ…うぅぅ……。隊長…なんでですかぁ…。」

しかしそのフォローは逆効果だったようだ。いくら強豪校の副隊長で格好つけた事を言ったとしても、中身は悩み多い女子高生だ。たまには周りを憚らずに愚痴を言いたくなる時もあるのだ。

「よし!そんなら全部吐き出しな!ユミちゃんが全部聞いてあげよう!」

女子高生二人による年相応の空気はまほから心配の電話が届くまで続くのだった。

 

 

薄暗い部屋の中でキーボードを叩く音が響く。

「……ふぅ、もうこんな時間か。」

新しく新造するカーボンパーツはデータさえ作ってしまえば、後日完成品が送られてくるらしい。立体のCAD自体は授業でいくらでもやったが、実際に形にするのは初めてだった。

「ハル、まだ起きてるのかい?」

壁にかかっている時計を見ると、既に日にちが変わっている時間だった。

「クライアントの事情を知ったからな。本腰を入れる気になった。」

「それならしっかり休むことが大事だよ。」

ミカは椅子に座っている春樹を後ろから腕を回した。

風呂上りなのか、石鹸の香りと彼女特有の甘い香りが鼻をくすぐる。火照った身体から発せられた熱が首元から背中にかけてジワリと伝わる。

「…お前ここでも髪はそのままか。」

頬に触れるミカの髪の毛はしっとりと濡れていた。このまま放置すればまたボサボサになるだろう。風邪をひく可能性だってある。

「ハル。」

「はいはい…。」

ミカの自室に行き、ドライヤーと櫛を準備する。

「今日アリスに会ったんだね。」

「ああ、憧れのお姉さまがいなくなって寂しいんだとよ。」

今も彼女は大学の近くの別荘に住んでいて、ここにはいない。件の姉が帰ってきていると言うのに。

「…そっか。」

「それとな、自分が原因でお前が去ったって思ってるらしいぞ。」

「そんなことはない!」

珍しくミカが声を張る。春樹と距離を取って正面から向かい合う。彼女の眼は揺れていた。

「こら、逃げるな。」

そんなミカを半ば強引に定位置の目の前に座らせる。ミカは観念したのか大人しくドライヤーの風を受ける。

「ハル…実はね。島田千代とは直接の血縁関係は無いんだ。」

ミカは俯いたまま静かに話し始めた。

「じゃあ、本当の両親は?」

「今から13年前。丁度アリスが生まれる直前にね、亡くなったんだ。海外のラリー中で。」

最後の言葉で春樹の手がぴたりと止まった。

…ミカの両親がラリーを?そしてそれが原因で亡くなった?

「お前は海外には行かなかったのか?」

「まだ5歳だからね。島田千代と母は特別仲が良かったんだ。それで海外には付いていかずにここに預けられることが多かったんだ。」

「それでそのまま引き取られたと。」

ミカの後頭部が微かに縦に揺れる。

「それで、どうして家を出たんだ?」

「あの子は才能に恵まれている。こんな流れ者なんかじゃなくて、彼女こそが島田流を受け継ぐべきなんだ。だから島田の名を捨てたんだ。」

ミカの才能を見出した島田の関係者は、彼女をを流派の後継者として仕立て上げようとした。最初はそれでも構わないと思っていた。もとよりここ以外に行く当てなどない身だ。この人生を他人に捧げてしまっても良かった。…愛里寿と生活を共にするまでは。

いつも後ろを着いて歩き、姉と呼び、慕ってくれていた。彼女との本当の姉妹のように日々は、ぽっかり空いていた心の隙間を少しずつ埋めていった。

愛里寿が戦車道に興味を持ち始めてすぐミカは彼女の非凡さを知ることになった。彼女こそ島田の名を背負うに相応しい。しかしこのままでは島田の名はいずれ紛い物の手に渡ってしまう。だったらここから出ていくべきだ。

もとよりいなかった存在、あるべき形へ戻るだけ……。

だから高校は島田流も何も関係のない小さな学校を選んだ。住む家なんてどうでも良い。食べる物もあり合わせで何とかなるだろう。

高校生活一年目は日を重ねるうちにどんどん疲弊していった。あの口うるさい元隊長が三日に一度パンを持ってきてくれなかったらきっと倒れていただろう。いや、死んでいたかもしれない。

「ハルと初めて会った日を覚えているかい?」

「あの魚泥棒の時か?」

あれは悪かったと思ってるよと、ミカは懐かしそうに目を細める。

「あの時久しぶりに…本当の久しぶりに焼きたての魚を食べたんだ。…美味しかったなぁ。」

久しぶりの温かい食事、温かい空間、そして人の温もり。一口、一口と食べ進めるうちに涙が止まらなくなりその日は急いでその場から姿を消した。

「ありがとうハル。あそこに住ませてくれて。」

「そーかい。終わったぞ。」

櫛とドライヤーを元に戻そうと立ち上がろうとした瞬間に、ミカにグイっと引き寄せられそのままお腹あたりに収まった。

「……寝ぼけてるのか?」

「本当はハルにはラリーをやって欲しくない。」

ぎゅっとミカは春樹の頭を抱きしめる。

「そうはいってもな…。」

「分かってるよ。それはハルの人生に必要なものだ。誰もそれを止めさせる権利なんかない。」

ミカの手は明らかに震えていた。無理もない。ラリーはミカの大切なものを奪った張本人だ。家族のような存在である春樹を同じことで失いたくないと思うのは当然だ。

「ハルの運転はとても丁寧で、安心する。まるでゆりかごの中みたいだ。」

「あんな車でか?」

関係ないさとゆっくりと春樹の頭を撫でる。その優しい手つきと日中の疲労とが相まって、勝手に瞼が降りてくる。

「関係ないさ。だからね、ハル。これ以上大切なものを失いたくないんだ。これだけは分かって欲しい。」

分かっている。俺だって周りを悲しませることなんてしたくない。

「島田愛里寿とはいつ会うつもりだ?」

「まだその時じゃない。だけど、そんなに遠い未来じゃないはずだよ。」

相変わらず訳わからない良い分でこちらをはぐらかす。まあ、これもいつもの事だ。

「よし、それじゃあ俺は寝るぞ。」

ミカから離れるとあからさまに残念そうな顔をした。

「一緒に寝てくれないのか?」

「馬鹿言うな。」

島田愛里寿とミカ。この二人の間に生まれた溝は深い。そうやすやすと埋められるようなものじゃない。それにこれは二人じゃないと解決できないことだ。

だから今は自分の仕事に集中しよう。あれが二人にとって良いきっかけになればそれで良い。

 

 


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