瑞の鳥は片想う-蒸気浪漫の世界で-   作:黒灰

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2017/02/06
プロローグを追加しました。


浪漫は時代をも停めて

 地面には、鋼の心肺が埋まっている。

 息吹は神々の熱が染み付いた蒸気だ。

 

 井戸のように深く、深く穴を掘る。神に祈りを捧げ、文字通り神―――――厳密には八百万の神々、世界標準で言うならば妖精―――――の力を借りて。

 そこから水を呑ませて、高熱・高圧の蒸気に変えて吐かせて吸い上げる。

 そして、それは社会という巨人のあらゆるところで行われ、かつあらゆる所へと張り巡らされた血管―――――高圧蒸気管を以て送り出され、街という臓器を動かしていた。

 

 街は、赤い。

 曇りの白と錆の赤で、まるで煉瓦色。けれどそれは汚れた色。

 ”国土全体”を襲った震災を機に一気に更地から建て替えられたそれは、西洋を真似た瀟洒な街並みのはずだったのに、垢に塗れたような色に変わって偽物のようだ。

 それでも、街は湯気で白く霞んで人の営みを覆って隠す。赤い鉄錆を、”汚い”を”綺麗”に取り繕っている。

 赤く濁って浮かび上がった汚れの上で、小人のような、”今ひとつ見えざる”、”見える人もいる”神々が眉を顰める。

 ”いきすぎた”

 困り顔で首をかしげる彼ら。

 

 神が宿る、とはよく言ったものであり、そのままを表した言葉である。

 宿る宿らざるを意思表示とし、神々は確かに文明の発展を良しとし宿った。それは”そうあるべき”ものを増やすことを選択したということであり、蒸気機関、ないしそれで動くもののそこかしこにも、彼ら彼女らは存在を示すこととなった。

 だが、その結果は人の信仰を忘れさせるほどのものだったのだ。

 いる、というのに敬われない。いつしか本当にただ利用されるだけになっていた。

 しかし、宿ったからには離れられない。その器物の類を捨て去ることはもう出来ないのだ。

 

 蒸気機関。

 解析機関。

 発電機。

 電灯。

 電信。

 電話。

 そのあらゆるを一旦肯定してしまったのだから。

 蒸気機関の神に、解析機関の神に、なってしまったのだから。

 

 ―――――つむじ風のような音を慣らして、蒸気自動車が曇った街並みの中をゆったりと往来する。後部から白い息を吐いて。一方で、それを浴びた後方の車は前部硝子の曇りを拭う。拭き取り機械が手を振るような動きで。

 

 蒸気、蒸気、蒸気。

 この世は蒸気で出来ているかのよう。それは社会においては真実である。

 それを浴びる人々は蒸し暑さに煩わしさを感じている。

 ”ああ、暑い。なんて暑いのか”。

 人々もまた、蒸気だらけの生活にうんざりとしている。蒸し暑すぎるのだ。

 

 

 汽笛が鳴った。甲高い音。途切れ途切れの音。それを聞いて、黒く舗装された道路を人の群れが横切っていく。

 人の姿は様々で、けれど皆一様に額に汗を伝わせていた。

 

 ……整備された交通法規が、進行方向ごとに”信号灯”を用意している。車に乗る者たちはそれを見上げては止まり、あるいは進む。

 湿気た着衣を着て歩く歩行者もそうだ。

 法律は道路を横切る歩道を作ることを命じた。まっすぐ横切る、二本の線。ペンキで出来た歩道を。描いただけだ。車の道路を横切って敷かれた図の上を渡る、そういうことに過ぎない。

 だからそちらにも、”信号灯”を。汽笛が鳴らす音、緑と赤の硝子の向こうで光る電灯を報せにして、車がその筋を通らない時に人々は道路を横切っていく。

 どちらも電気じかけの仕組みだ。それを蒸気と歯車の仕掛けが管理する。

 

 ”信号灯”、そこからは蔦のように2本の線が伸びていて、横に突き出た”信号灯”を支える棒に絡みつき、その根本たるコンクリートの柱へ沿う。柱からは更に線が伸び、一方は地面へ。他方は空の上をさらに次の柱へ、柱から柱へと線を渡し続けている。どこへ向かうのかは、誰もが知っている。

 発電所だ。鋼の心肺が息を吹き込むタービンが建つところだ。

 ほとんど誰も、そこに向かって散歩しようとは考えないけれど。

 

 このように。

 世界を支える白い血潮に飽きた人々は、街にコンクリートの柱を建て始めた。

 線と線で柱を結んで鋼の心肺と縁を結んで、そして建造物との間に糸を垂らしている。

 それが送電線だ。そして柱は、それに空を渡らせるための橋桁、”電柱”だ。

 

 電気。

 次は電気だ。

 文明開化から幾十年かが経った今、知識人はこう言う。

 

 蒸気で出来ることは、電気でも出来る。

 電気に出来ることは、蒸気に出来ないこともある。

 蒸気にはもう、次がない。

 

 そういうことで、今や蒸気機関は発電のためだけのものとなり始めている。

 ニコラ・テスラなる神域の碩学が発展させた、“モーター”と呼ばれるもの。

 それは電気で以て動き、逆に言うと――――――動かせば電気が発生した。

 そして、日本で発生する地熱蒸気は、電気の発生に格好の材料でもあったのだから、知識人は考えたのだ。

 

 ”井戸”から湧いた蒸気をそのまま使うのではない。

 蒸気でタービンとモーターを回し、電気を作る。

 

 彼らは全くもって正しかった。

 各所に蒸気を送り、その建物の発電タービンを回すよりも、ずっと割に合った。

 神の力を借りて所々に蒸気井戸を掘っていくよりも、どこかで大規模な蒸気井戸を掘って発電してそれを送ったほうが、ずっと効率的だったのだ。

 掘るにあたって一々神々のご機嫌を取るのは一苦労、それもしなくてよい。一度大掛かりにやれば、それで幾十万もの人々の生活のための電力を賄える。

 

 次は電気の時代だ。社会という巨人は歯車と蒸気の機構から電気じかけになる。

 蒸気はいずれ生活という舞台からは去っていくだろう。

 

 けれど、次。

 次なのだ。

 

 まだ蒸気は時代を回している。

 まだ高度な電気じかけには神が宿っていない。電灯やら何やらまでの存在までは許したのだけれど。

 まだ神々が、妖精達がそれを認めていない。

 彼らが頷かなければ、宿らなければ、それは祟りのごとく、正常に動作しない。

 道理は合っているはずそれは、道理の合わない彼らの力なくしては動かないのだ。

 

 そう。

 パラダイムは、彼らが選択する。

 例え敬われることがなくなろうと、その力は絶大だった。

 神域の碩学の御業でなければ、彼らの判断を翻させることなど出来ないだろう。

 

 

 日本の、いや世界の各国、その地下深くで、文字通り”神を宿した”超巨大解析機関が蠕動している。

 際限なく拡張されていくそれは今や国民のほぼすべての情報、そして電話交換を扱いきっている。動力は無論、蒸気だ。膨大な量の蒸気だ。

 だから、止めるわけにはいかない。

 そう、止められない。

 根底を覆す訳にはいかない。

 そもそも未だ神の宿らぬ複雑な電気じかけではこの解析機関を再現できないのだ。

 理論上は可能だ。理論上であれば。実践を神が妨げている。

 ならば、この国が、世界が蒸気で動いていること、それを変えることは誰にも出来ない。

 少なくとも、今はまだ。

 

 ここは日本。大日本帝国。

 尊き方の治める島国。この世界においてほぼ唯一、空が白く青い国。

 

 どうにも変わることの出来ない、そんな世界。

 ”次”がいつなのか、誰も分かっていない。

 神のみぞ知る。それが、この世界の未来。


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