東方古々録 作:ddd
誰かの鼻歌が聞こえて、俺の意識がゆっくりと浮上していく。
美しい女の声だ。楽し気に紡ぐリズムは今まで聞いたことも無いもので、酷くゆったりとした静かな歌だった。
俺はゆっくりと目を開けた。視界がかすんでいて、碌に輪郭すら捉えられない。次いで身体が何かに固定されているかのように動かない事に気づいて、俺はあまりの異常事態に思わず声を吐き出していた。
「あう、あうあー」
「あらあら、起こしちゃったかしら?」
女が困った風に眉を下げて、俺に近づいてくる。そこで気が付いたのだが、その女は身長が2mはあろうかという程でかく、しかもこともあろうに俺の事をひょいと抱き上げてしまったではないか。
俺はもうわけがわからずに頭にはてなを浮かべて女の方へと顔を向ける。女は美しい顔をしていて、目じりを下げて優し気に微笑んだ。暖かな体温に包まれて、場違いな安心感を覚えた俺はそのまましばらくぼおっと女に抱かれ続けていた。
そうして数分して、俺の頭がやっと動き始めた。というか唐突に思い出した、と言った方がいいだろう。
トラックが俺を引いて、そのまま死ぬまでの瞬間を、俺は鮮明に覚えていた。当たり前だ。あんな経験、一度すれば二度と忘れない自信がある。
というかなぜ今まで忘れていたのか逆に疑問である・・・いや待てよ、俺がこうして意識があるっていう事は一応助かってはいるのか。確実に死んだと思ってたのだが、人間意外としぶといもんだ。
だが、そうなるとこの状況は一体何なんだろう。あそこまでの大けがだ、普通は病院で目を覚ましそうなものだが、壁は木だし、光はオレンジ色でゆらゆら揺れていて火の明かりの様だし、女の格好も動物の皮をはいでそのままくっつけたような酷い格好だ。
というか、大けがをした筈である俺を抱きかかえるっていう状況が想像できない。そもそも一応俺はいい歳した高校生だ。身長は普通の男子高校生レベルであり、こんな風に軽々と持ち上げられるほどひょろっちい身体はしていない筈である。
「~♪」
鼻歌を歌って俺を腕ごと揺らし始めた女に、俺はさらに疑問を増やすこととなった。
俺が赤ん坊で、彼女が俺の母親である、という事実に気が付いたのは、それから数日はかかったのだった。
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転生、という言葉を思い出すのにそう時間はかからなかった。まさしく今の俺の状況を一言で説明するのであれば、その言葉が一番しっくりくるからだ。
そしてここが少なくとも現代の日本ではないという事も分かった。人は文明のぶの字も知らず、石で削った槍で動物を狩り、岩穴や簡単な作りの家を作ってそこで暮らしている。服と言えるものも無く、人は裸の上から動物の皮を羽織ったり腰蓑にしたりしているようだ。
縄文時代よりも前。石器時代と縄文時代の間、と言った感じだろうか。いや、その時代を見たことがないから分からんが。
俺は村、という規模でもない程小さな集落にて、非常に美しい母親とまだ年若い父親の間に生まれたらしい。
まだ乳幼児の俺は、たまに外に散歩ついでに連れ出される事もあるが、ほとんどの時間は家、っていうかあばら家以前の住まいの中でお留守番をしている事が多い。と言っても良く様子を見に来てくれるので完全に1人ってわけじゃないが。
ハイハイもまだ出来ないし、やれることと言えば腹が空いた時に出来る限り気付いてもらうように大声で泣きわめく事ぐらいである。だから必然的に1人で物思いに耽るしかないのだ。
どうして転生して来たのか、だとか前世の俺のPCの中身だとか親の事とか…初めの頃は色々と考えてはいたものの、すぐに「まあいいか」という結論に至った。なんせ前世の俺はあまりにも悲惨だったので。
逆にこうしてせっかく転生して来たのだから、前世よりも充実した人生を過ごしたいという気持ちがだんだんと膨れ上がってきたのも、当たり前と言えば当たり前だったのだろう。
何故転生して来たのか、という疑問が、これからどうするのか、という疑問に変わるまでそう時間はかからなかった。
だが、俺は…と考え出したところで、一体何がしたいのか、何を成したいのか、それが一切無いことに気がついた。このままでは目標もなく夢もなく、ただダラダラと人生を過ごしていくだけ…すなわち前世の俺と同じ轍を踏む事になるのでは無いかと危機感が頭の中でアラートを鳴らした。
何がしたい、何をしよう、とうんうんと頭を抱えて悩めど答えは一切出てこない。せっかく転生したのだから一生懸命生きたいが、それをする為の理由が見つからない。
そもそもこの世界で何が出来るのか、という所まで行くと、今の段階ではそもそも考えても無駄になる事が危惧された。しかし、こういう事は早めに決めて損はないと思うのは間違っているだろうか。
そういう風に頭を悩ませて数日。
何というか当然の結果というか情けない結果と言わざるを得ないのだが、俺は知恵熱で倒れた。
いや、そもそもまだ立てないんですけどね。赤ん坊だし。