針妙丸は口に含んだ水を吐き捨てた。
レミリアから逃走した際、針妙丸は霧の湖に飛び込んだ。
おかげで撒けたようだ。
「あらあら、満身創痍なようね」
「…おかげさまで。あんたが言う切り札とやらを見せてもらおう」
情報提供者はにっこりと微笑んだ…気がした。
如何せん面をかぶって素顔を隠しているため、表情が読み取れない。
ふらつく針妙丸を支えるように、三人の妖怪が周りにつく。
「この奥ね…」
針妙丸達は歩みを進めた。
太陽が照りつける中、奴隷達は紅魔館の修理に追われていた。
「まったく、俺は大工じゃないんだぞ!」
パチュリーの魔法が完成するまで、ある程度修理しておこうというレミリアの提案だった。
毒を盛られたせいで永遠亭で療養していたのだが、わずか一日で完治した。
ルナサによる素早い行動のおかげで、治療が長引かずに済んだという。
ルナサに紅魔館まで飛んでもらい、礼を言った。
そして紅魔館に帰宅した後にこれだ。
病み上がりの人間に働かせるのはどうかと思ったが、まあ、逆らえるわけもなく…。
パチュリーの魔法が完成し、無事紅魔館は元に戻った。
メイド妖精やホフゴブリン、美鈴と共に昼食を食べる。
美鈴にあの後のことを教えてもらった。
話を聞いた奴隷は、特に驚きもしなかった。
当然のように思えた。
「ねえ奴隷」
その声のトーンで、何となく先が読めた。
「あー…悪いなフランドール。病み上がりだからとても遊べそうにない」
「えー、つまんない」
フランドールは駄々をこねた。
「少しでいいから」
「駄目」
「じゃあ十分」
「十分間の耐久スペルはきつい」
「むー…」
フランドールの機嫌を損ねてしまったようだ。
困った奴隷は、ある一つの提案を思いついた。
「分かったフランドール。今度一つだけ何でも言うことを聞くから。だから今は休ませてくれ、な?お願いだ」
「へえ!」
フランドールの目に輝きが映った。
何やらまずい事になった気がする。
「一応訂正しとくが…」
言い終わる前にフランドールはどこかへ行ってしまった。
吸血鬼のスピードに追いつけるわけもなく、奴隷は何を言われるかガタガタ震えながら休憩をとった。
夕食を終え、奴隷は寝支度をした。
相変わらず地下の檻の中で寝ているのだが、何年かいると愛着が湧いてくる。
その檻には鍵はついてなく(昔はあった)寝具などが揃っている。
奴隷が月傘を置いていると、フランドールから声をかけられた。
「なんですか?」
フランドールは手招きした。
奴隷は首を傾げ、フランドールに近づいた。
「一緒に寝ようよ奴隷」
出し抜けにこう言った。
奴隷は目が点になり、慌てて咳払いをした。
「フランドール。俺より数百歳以上歳食ってるだろ?まさか一人で寝れないとか、そういう訳じゃ…」
こう言ってみたはいいが、奴隷は昼に言ったことを思い出した。
フランドールからはこぼれた含み笑いが浮かんでいる。
「わかった、わかったよ!」
奴隷はあまりにも大きすぎるフランドールのベットに潜り込んだ。
フランドールも満面の笑みで潜り込んだ。
電気を消し、奴隷はさっさと寝ようと目を瞑る。
しかし、吸血鬼の夜は長かった。
フランドールから質問攻めをされたのだ。
あれこれ質問されたが、印象に残ったのはこれだろう。
「奴隷は外の世界に帰りたい?」
この質問には悩まされた。
奴隷はしばらく沈黙し、やがて小さな声で話した。
「初めてここに連れられた時は帰りたいと強く思った。こんな未知の世界で生きていけるはずがないと思った。だから逃げ出したんだ。
でも、正邪異変の時に一度外の世界に流された。あの時は実感が湧かなかったよ。念願の外の世界だった。
だが俺は幻想郷に帰りたがった。不思議だよな!俺はすっかり、外の世界より幻想郷に居たいと思っていたんだよ。
幻想郷にはまだ見ぬ世界がある。外の世界より
それに、幻想郷の弾幕は美しい。初めて見た時は感動したよ。
…それもあって、俺は外の世界に帰りたいと思わないな」
一応今は、と付け足しておく。
幻想郷には人間のみならず、妖怪、妖精、幽霊などーー人の好奇心を燻る何かがある。
もし、その事に気づいてしまったら…他の人も帰りたいとは思わないだろう。
奴隷はフランドールに質問した。
「フランドールは俺を奴隷にしたのは、シャベルで突き刺したから…てのが大まかな理由だよな。それは本当なのか?」
「本当よ。その時にも言ったように、今までの奴隷は私に反抗なんてしなかった。皆ビクビク怯えて反応もつまらなかったの。それに、全部あいつが連れてきた奴だから」
「たった一人の姉をあいつ呼ばわりするな」
「むー、分かったわ。でも、私の奴隷なら私が決めたかった。そう考えていた時に貴方がやって来た。
私に反抗した人。私に怯えずに。それで私は貴方を奴隷にしようと思ったの。
予想外だった!あろう事か、奴隷は紅魔館を抜け出した。
私は喜びに打ち震えたわ。奴隷以外の奴隷はいないって思った。それから人生が楽しく感じてる」
フランドールは羽を忙しなく動かす。
興奮しているフランドールの頭に手を置いた。
「俺も楽しく感じているよ。心が満たされてる気がするんだ。外の世界では感じられないものだなぁ…。本当に、幻想郷に流れ着いてよかったよ。最初は自分の程度の能力を恨んでいたが、今では感謝しているよ」
「あらゆるものを消し去る程度の能力…だっけ?」
奴隷は視線を天井に向けた。
「名前だけ聞くと凄いよな。何でも消し去れるんだぜ。と言っても、元々の霊力とやらが少ないせいで全然酷使できないけど」
せいぜい小さな針をたった数秒消し去れる程度だ。
誰かから霊力(又は妖力)を借りれば力を発揮できるのだが。
パチュリーは寺子屋の先生に似ていると言っていた。
「(慧音先生…いつか話してみようかな)」
フランドールは興奮から落ち着いたのか、声のトーンも少し下がった。
「私も、昔は程度の能力を恨んでいたわ。この能力のせいで大切なものがどんどん壊れちゃうもの。精神が不安定だと見境なく破壊しちゃうってお姉様が言ってたわ」
「なら俺は、フランドールの精神安定剤かな?」
笑いを混じえて言った。
「そうかもね。奴隷がいると落ち着く」
フランドールが暴走しているところを見てみたいという好奇心が生まれたが、その考えは即座に捨てた。
あの量の弾幕を展開されたら、間違いなく死ぬ。
時計を見て、すでに午前三時を回っていることに気づく。
「フランドール、そろそろ寝ようか」
「うん」
「あー…あと」
奴隷は周りを見渡しながら言う。
「このことはレミリアには内緒な」
フランドールは笑みを浮かべた。
「うん」
そうして二人は目を閉じた。
とある洞窟の中を、針妙丸達は進んでいた。
情報提供者が突然立ち止まった。
「そろそろよ。私は結界を張っておくわ」
「結界?」
針妙丸は不審に思った。
情報提供者は人差し指を立てる。
「ああ、言ってなかったわね。あれは強い妖気を発生させるから、賢者達に感づかれないようにするための結界よ」
「…確かに、感づかれたら面倒だ」
針妙丸は納得し、ここで情報提供者と別れた。
しばらく進むと、
「針妙丸様…」
周りの妖怪達が不安に思うのも当たり前だ。
これだけの札で封印されているのだから、間違いなく只者ではない。
針妙丸は一枚剥がそうとしたが、封印の力によって弾かれた。
「流石の封印ね。これを使えと言われるのも頷ける」
懐から取り出したのは、情報提供者に渡された紙。
そこには、博麗に代々伝わるインチキな封印の解除法が描いてある。
針妙丸はその通りに行った。
すると、強固な封印はバラバラと崩れ落ちていった。
妖怪達が奥を覗く。
さほど広くない空間の中央に、何かが蹲っていた。
「あれは…?」
一人の妖怪が声を発した瞬間、得体の知れない何かがこちらを振り向いた。
「ひっ」
桁違いの妖力を感じた。
自然と妖怪達は逃げ腰になった。
得体の知れない何かは一人の妖怪に飛びついた。
悲鳴を上げる間もなく捕食されてゆく。
とうとう妖怪達は逃げ出した。
「何事!?」
針妙丸が針を抜いたが、目の当たりにして敵わないことが一瞬で分かった。
針妙丸は天井を壊して時間を稼ぐ。
出口に向かおうとするも、先に逃げていた妖怪が立ちすくんでいた。
「針妙丸様…結界です!逃げられない!」
「結界…!」
針妙丸は結界に飛びついた。
結界の外では、情報提供者が手を振っている。
「貴様!騙したな!」
針を突き立てるも、結界に触れた瞬間折れてしまった。
針妙丸はインチキ解除法を思い出した。
咄嗟に紙を取り出すも、情報提供者は針妙丸を指さして笑っていた。
「ああ…」
針妙丸達は気づいた。
あいつが追いついてきたんだと。
情報提供者は結界を解除した。
得体の知れない何かは情報提供者にも襲いかかったが、代わりに一枚の札を叩きつけた。
それだけで、得体の知れない何かは動きを止める。
「(まぁ、この状態だから止められるんだけどねぇ)」
力をつければ、こんな札なんか引き剥がすでしょう。
それを見越して、情報提供者は得体の知れない何かに命令した。
「さあ、
無鬼夜行は吼えて、どこかへ行ってしまった。
情報提供者は、しばらくは移動もせず笑っていた。