ギシギシと、誰かの足音で目が覚めた。
「…あれ?」
見慣れない天井。
だが、紅魔館ではないことは確かだ。
紅魔館が洋風なら、ここは和風だ。
左腕に生暖かい感触が伝わる。
そちらを向いてみると、なんとフランドールが寝ていた。
「…はぁ!?」
素っ頓狂な声をあげながら慌てて逃げようとする。
しかし、動いた瞬間腹が痛んだ。
「痛っ…、そういや妖怪に腹を切られたんだっけ」
腹には傷口が残っている。
縫われた跡もある。
逃げられない事を悟り、奴隷は布団に寝る。
フランドールを起こさないようにしていると、奴隷がいる部屋の襖が開いた。
「あっ、起きましたか?」
入ってきたのは、なんとも特徴的な兎の耳を生やしている…妖怪?
「え、ええ」
兎耳の妖怪は奴隷の前にお粥を置く。
「どうぞ食べてください。今、師匠を呼んできますから」
ああそれと、と兎耳の妖怪は言う。
「隣で寝ている吸血鬼、かなり泣きじゃくってましたよ」
そう言って行った。
フランドールを見ると、少し泣いていた跡があった。
師匠とは誰だろうと思いながらお粥を食べる。
久しぶりに食事をした気分だ。
完食した頃に、おそらく師匠と呼ばれていた人がやってきた。
「体の調子はどうかしら?」
「動くと痛いです」
師匠と呼ばれていた人はボードに書き、それを兎耳の妖怪に渡す。
奴隷は辺りを見渡し、質問する。
「ここはどこなのですか?」
「ここは永遠亭。外の世界でいう病院みたいな所よ。私は
「そうですか。腹の怪我を治療してくださってありがとうございます」
「私に礼を言うなら、ここまで運んできた吸血鬼姉妹に言うことね。相当必死だったみたいよ」
「レミリアとフランドールが?」
「ええ。深夜に貴方を運んできたのよ」
どうやら奴隷はレミリアとフランドールによってここに運ばれてきたらしい。
美鈴に追われていたはずだが…。
「もう二、三日安静にしてなさい。そうすれば退院できるわ」
「ありがとうございます八意先生」
奴隷は永琳の言葉に従って安静にした。
奴隷は目を閉じて、再び睡眠を始める。
真夜中の永遠亭。
そこに吸血鬼のレミリアが現れる。
「悪いわね」
通してくれた優曇華院に礼を言い、奴隷がいる部屋に入る。
「…!起きていたのね」
「吸血鬼は日中活動できないだろ?来るなら夜かなと思ってね」
これでも紅魔館に一年はいたので、それぐらいは分かる。
「眠れる妹を連れ戻しに?」
その問いにレミリアはため息をつく。
「奴隷、言いたいことはわかっているわよね?」
「…逃げたことか?」
「それもだけど、時間帯のことよ。夜の森に人間が出歩くなんて自殺行為よ。美鈴がいなかったら死んでいたわよ」
「…そうだな。メイド長の忠告を無視した結果だ」
あの時の忠告を聞いていれば、こんなことにならなかったかもしれない。
「…奴隷、貴方が逃げ出そうとしていることは分かっていたわ。でも、夜に逃げるなんて思いもしなかったわ」
「俺が逃げだそうとしていた事を知ってたのか?」
「それぐらい分からないと紅魔館の主には務まらないわ」
五百年以上生きているのは伊達ではないようだ。
カリスマを感じる。
「…悪かったよ。確かに、俺はあんなところから逃げようとした。実際にはメイド長に危害を加えて逃げた。失敗に終わったけどな。もう逃げられない。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。ただ、これだけは言わせてくれ」
奴隷は一度深呼吸する。
「ありがとう、俺を助けてくれて。そして、俺のために泣いてくれて」
寝ているフランドールの寝顔を指で突っつく。
今見ると愛くるしい。
レミリアはしばらく沈黙し、奴隷に手を差し伸べる。
「奴隷、私も気に入ったわ。貴方のことを」
「え?」
「紅魔館から逃げ出した奴隷も初めてよ。そして、素直にお礼を言える奴隷も初めてよ。…奴隷、ひとつ問うわ」
レミリアは一度咳払いを行い、話す。
「紅魔館に戻る気はないかしら?」
「…!」
突然の選択肢に戸惑う。
奴隷はしばらく考え、レミリアに質問する。
「拒否した場合は?」
「貴方を外の世界に送り返すわ。…もっとも、貴方を覚えている人はいないでしょうけれど」
「…」
この選択肢の答えを出すのに、一時間は掛かった。
奴隷は答えを出した。
「…奴隷だ」
レミリアの手を掴み、握手をする。
「紅魔館は歓迎よ」
手を離し、レミリアはフランドールを背負う。
「そういえば…」
レミリアは奴隷に質問する。
「本名はなんなの?」
「えーと…忘れた。奴隷でいいよ」
自分の名前を忘れてしまったが、それはどうでもいい気がした。
レミリアがくれた名前があるのだから。
奴隷は、幻想郷に来てから初めての満面の笑みをうかべて寝た。
後日、八意先生の話によると、失血時のショックなどで記憶が一部失っていると通告された。
きっと、名前を忘れたのもそのせいだろう…。