路地裏から出た一方通行は、学園都市に戻る手段を探すため、1人で露店街をうろついていた。
通りは先ほどと同じように、うるさいくらい賑わっていて、一方通行にとってはあまり居心地の良いものではなかった。
路地裏での一件もあったせいか、心底面倒くさそうな表情で通りを歩く。。
「随分と時間を無駄にしちまったが、結局、情報がなンも足りてねェ、これからどうするか」
わけもわからずこの世界に呼び出された一方通行には土地勘がない。会話は通じるようだが、店の看板やチラシなどに書かれている文字はまったく読めないのだ。
「言葉は通じるが、文字は別物ってか。ハッ、ますますわからねェな」
相変わらずまわりにいるのは巨大なトカゲ、二足歩行の獣たちなど、理解できないものたちばかりだ。もちろん人間もいるのだが、日本人らしき人は1人も見当たらない。
一方通行は、以上のことを踏まえた上であらゆる思考を繰り返し、場所だけでも限定しようと試みるが、
「街全体が大規模な実験場だと仮定しても、この広さはありえねェ。そうなると、やっぱここが学園都市の外部ってのは間違いねェわけだ」
と、そんなことを考えてはみるが、結局何の意味もなさない。
現代風の杖をつきながら歩く一方通行の姿は、街の人間から見ると少々珍しいようで、道行く人はみな一方通行に視線を向けている。
「チッ……ここじゃおかしいのは俺の方ってわけか」
注目を浴びながら歩くのが嫌なのか、ますます、苛立ちを隠せなくなる一方通行。一通り露店街を歩き尽くし、気づけば人目を避けるため、貧民街のような場所へと足を運んでいた。ここなら賑やかな露店街よりは人目もいくらかましになるだろうと踏んだようだ。
しばらく進んでみると、死んだ目をした貧民街の連中がちらほらと見られた。
「クズの、掃き溜めか。こういうところは学園都市と大差ねェな」
貧民街の重い雰囲気を見てポツリと呟く一方通行。
あてもなく、とりあえず前へと歩いていると、前方の角から人影が現れて、一方通行とぶつかった。
「あら、ごめんなさい。大丈夫かしら?」
おっとりとした仕草で話す、黒装束の女性。顔立ちは、目尻の垂れたおっとりした雰囲気の美人で、病的に白い肌はまるで雪のようだ。
「……」
瞬間ーー
2人の視線が交わる。
一方通行は直感で理解した。
この女は自分と同じ、根っからの悪党だと。それが分かった時点で、一方通行は反射的に相手を睨みつけていた。
「ーーそんなに睨まなくても、何もしないのだけれど」
「チッ……」
睨みつける一方通行を無視して、女はその双眸を嫣然と細める。
「臭い……」
警戒する一方通行に対して、彼女はその形の良い鼻を小さく鳴らして言う。
「あなた、私と同じ匂いがするわね。もしかして、ご同業?」
質問が癇に障ったのか、一方通行はわずかに眉をひそめる。
「あ?」
一方通行の直感が正しければ、この女は間違いなく人をヤっている面だ。「ご同業?」という質問が「あなたも人殺し?」という質問に自然と脳内で変換された気がした。
「同業だァ...? くだらねェ冗談なら、普段は頭に一発ブチ込んでから笑って済ませてやるけどよ、今は取り込み中だ。とっとと失せろ三下」
圧倒的な敵意を込めて女に告げるが、女の方はまったく動じる気配もなく、唇を舌で濡らしながら言う。
「三下……ね…あなたのこと、少し気にかかるのだけれど、いいわ。今は騒ぎを起こすわけにはいかないから」
女は軽く手を振り、
「それじゃあ、失礼するわ。また会えそうな気がするわね」
それだけ言うと、悩ましげな微笑だけを残し、黒い外套を翻して路地の闇に溶けていった。
「アレは根っから腐ってやがるな。木原とはまた違うタイプのクズ野郎ってわけだ」
女を見送った一方通行は再び貧民街を、歩きだす。あてはない。ただじっとしているよりはいくらかマシだった。
相変わらずここは生ゴミと腐臭で気分が悪い。だが、一方通行のような悪党にはこのような場所のほうがしっくりくる。
しばらく一方通行が歩くこと5分。
小汚いボロ屋が一方通行の行く道を塞いでいた。
「行き止まりってか」
目の前のボロ屋の大きさは、おおよそ工事現場などの仮設トイレ二つ分といったところだろうか。立って半畳寝て一畳を地で行く感じだ。
「チッ……汚ねェな。鬱陶しい」
「言いすぎだろ、胸糞わりーな。人の寝床見て、どんだけだよ、兄ちゃん」
声をかけられて振り返る。
視線の先、じと目で一方通行を睨みつけるのは金髪の小柄な少女。路地裏で風のごとく駆け抜けていった、あの少女だ。
「こん貧民街にいるってことは、アタシに用か? ……格好からして、ここの住人じゃなさそーだしな」
「っつーかよォ、ここの人間はなンでどいつもこいつもスキルアウトみてェなチャチな真似してやがンだ?」
少女は右手に何やら光る石を大事そうに握りしめている。
「なんだよ、兄ちゃん、物欲しそうにこの徽章を見つめて。苦労して手に入れたんだ、絶対やらねーかんな」
少女は、しまったとばかりに背中に徽章を隠す。
徽章……。
推察するに、あれはエミリアと呼ばれていた銀髪の少女のもので間違いないはずだ。苦労して手に入れたというのは、銀髪少女から徽章を盗んできたということなのだろう。
別に一方通行にとってあの銀髪少女がどうなろうと知ったことではない。かつての、いや、普段の一方通行ならこのくだらない事情を放って置いたはずだ。しかしどういうわけか、一方通行は少女に徽章のことを聞かずにはいられなかった。
「オマエその石ころ、どうするつもりだ?」
面倒くさそうに尋ねる一方通行。
「はあ?これはアタシのもんだ。兄ちゃんには関係ねーだろ?」
少女は、一方通行を警戒し始める。
「あァ、まったく、これっぽっちも関係ねェな。オマエがそれをどうしようとも、俺の知ったことじゃねェ」
そう言うと、一方通行はため息をつきながら徽章について考える。そうして、2、3秒してから何か決心したように、徽章を見つめて考えを言葉にした。
「ーーだがなァ、さっきの猫連れの女を目を思い出すと、どうしても脳裏にあのヒーローの姿がちらつくンだよ。それこそ鬱陶しいくらいにな」
一方通行はだるそうに頭を掻いて、舌打ちすると、右手を差し出し少女に言う。
「だから、ソイツをこっちに渡せ」
少女は意味がわからないとばかりに呆気にとられた顔をすると、
「何言ってるかわかんねーけど、兄ちゃんもこの徽章が欲しいってわけか?悪りぃけど、これには先約があるんだ。諦めてくれ」
と、徽章を後ろに隠しながら言った。
「チッ……だったら、どういう条件ならその石ころをこっちに寄越す気になる?」
「アタシは商売してんだ。兄ちゃんがアタシの依頼人より高値でこの徽章を書い取るってなら話は別だぜ」
「要は金かよ。なら話は早ェ……いや、待て」
一方通行はポケットから一万円札を取り出すと、目の前の少女に見せつける。
「オマエ、これがなンだか分かるか?」
「急に何言ってんだ兄ちゃん、ただの紙切れだろ、そんなもん見せてどうしようってんだ?」
やっぱりかとため息をこぼす一方通行。
ここでは、学園都市、いや、日本と通過価値も違うらしい。
「クソったれが」
自分にしか聞こえないような声で一方通行は呟いた。
「兄ちゃん、よくわかんねーど、交渉する気があんなら、この貧民街の奥にある盗品蔵までついて来てくれ。そこで最初の依頼人と会う手筈になってる」
少女がこっちだと一方通行に方角を指し示すと、一方通行もそれに従って彼女について行く。
「兄ちゃん、依頼人と交渉するときは、その目付き悪さはどうにかしたほうがいいと思うぜ。あと強く生きろよ」
「ほっとけ」
一方通行は静かに呟いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
盗品蔵へやってきた一方通行はカウンターの上に腰掛けて、一緒に来た少女は他人の住居で自分の家よろしくミルクを勝手に傾けている。
目の前には盗品蔵の主、大柄で禿頭の老人が立っていた。
「それでお前さんがフェルトの2人目の交渉相手というわけか」
フェルト……
ここにきて初めて知ったが、この少女の名前らしい。
「そういうことだぜロム爺。目付きの悪さには目を瞑ってくれ」
そしてこちらの大柄の老人がロム爺。
わかってはいたが、どちらも日本人ではない。
「チッ……横で聞いてりゃァ好き勝手言いやがって。とにかく、とっとと本題に入れクソガキ」
「誰がガキだ。アタシだって兄ちゃんとそんなに歳は変わらねーだろ。ったく」
そう言うとフェルトは残りのミルクを酒でも飲むかのように全て飲み干し本題に入る。
「で、兄ちゃんはいくら出せんだ?それがわからなきゃこっちとしても話にならねーよ」
「俺が出せンのはこれだ」
一方通行は前もって用意していたかのようにケータイを取り出すとそ れをテーブルの上に乗せた。
「なんじゃこれは?初めて見るの」
「ケータイだ。どうせここじゃ、こンな代物もってたところで使い道は無いからな。オマエらにくれてやるッ」
コンパクトなサイズの青い携帯電話。初めて見るその姿に目を白黒させるロム爺に対し、一方通行は素早く操作を入力し――直後、薄暗い店内を白光が切り裂いた。
パシャリ、と効果音が鳴り響き、光を向けられたロム爺が大げさに驚いてカウンターの向こうに転げる。そのリアクションの大きさに呆れると、
「大丈夫かロム爺⁉︎」
フェルトが立ち上がる。
「なんじゃ今のは! 殺す気か! 怪しげな真似しおって、あまりジジイを舐めるでない」
「はしゃいでンじゃねェよ。これを見ろ」
一方通行はずいと携帯の画面を押し付ける。
胡乱げな目でロム爺は下がり、その小さな画面に目を凝らして――その目を見開いた。
そこに映っているのは、今しがた撮影したロム爺の顔だ。携帯電話のカメラ機能、それを使っての撮影。当然、そんな技術はこの世界には存在しない。
一方通行の予想通り、ロム爺は食い入るように画面を見据えながら、
「これは……儂の顔、じゃな。どういうことじゃ?」
今度は、隣に座るフェルトの顔を撮影すると、それもロム爺に見せてみる。
「ちょっ、アタシにも見せろ」
一方通行からフェルトがケータイを取り上げると、ロム爺と、同じように画面を覗き込む。
「なんだよこれ、すげー絵だな。どうなってんだ兄ちゃん」
「写真だ。オマエらの言うとうり、瞬時に出来るただの絵だ。」
本当は絵とは少し違うが、説明が面倒なので、一方通行はその辺を端折ることにした。
「ううむ、なるほど、これが噂に聞くミーティアというやつか。」
「高値がつくのかロム爺?」
「高値どころではない。聖銀貨20枚はくだらぬぞ?」
「にじゅう⁉︎ そいつは確かにすけーな」
驚くフェルト。
「分かったらしのごの言わず、あの石ころを出せってンだよ、こンなぐたらねェ事、こっちもやりたくてやってるワケじゃねェンだからよォ」
「何そんなに急いでんだ兄ちゃん、怪しいな」
「オマエがノロマなだけだろォが」
「ってかそもそもこの徽章は何なんだ?なんで、兄ちゃんも依頼人もこれを欲しがる? この徽章にはミーティアを出すだけの価値があるのか?」
「ンなこと俺が知るかよ、ケータイごときでそンなにはしゃげンなら、もうそれで手を打てばいいだろォが」
「そういうわけにもいかねーよ。まず兄ちゃんには、依頼人に会ってもらわなくちゃだなーー」
そこでフェルトの言葉は途切れる。
盗品蔵の入り口からノック音がしたからだ。
「誰じゃ⁉︎」
ロム爺がいち早くそれに反応した。