「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者!」   作:ルシエド

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 身内の不幸やら連休の用事やら殺生院やらのせいで投稿遅れてすみません


終章 この素晴らしい世界に祝福を
5-1-1 「―――『祝福を!』」


 紅魔の里でカズマが驚いたことは、大きく分けて三つある。

 一つ目は、完全に崩壊した紅魔の里が、ほんの一時間ほどでとりあえず寝泊まりできる程度には復興したこと。

 そして、完全に元に戻るまで三日しかかからないと聞かされたことだ。

 

「お、帰ってたのかりらりら」

「復興要因として呼び戻されたのさ。ほれレッツゴー我が悪魔」

「おーい資材まだか? 組み立ての魔法はもう準備できてるぞ」

「はいはい只今」

 

 里の修復担当の紅魔族達が目まぐるしく里の中を走り回っているのを、カズマは目を丸くして見つめる。

 里の外でぶらぶらしているような変わり者まで呼び戻されているようで、里の中は軽い同窓会のような様相を呈してきていた。

 こめっこのような悪魔召喚オンリーという変わり種は居ないが、補助程度に悪魔の使役を嗜んでいる者の姿まで見える。

 

 カズマが驚いた二つ目のことは、紅魔の里の魔道具の品揃えであった。

 

「これ、アクセルで売ってた高級品だな……すみませーん、これいくら?」

 

「お前は……あの子の仲間の、確かカズマだったか。いいぞ、好きなの持っていけ」

 

「いいのか?」

 

「いいさ、里を救ってくれた英雄一行からは金は取れん。里の英雄よ、期待しているぞ!」

 

「お、おう」

 

「ちなみにアクセルにも下ろしているので、見かけたらご贔屓に」

 

「あれここ産かよ!」

 

 紅魔族の高い魔法資質は全員が誕生と同時に保証されるものだ。むきむき以外は。

 野球で言えば全員がメジャーリーガーになれることを保証された身体能力持ちの一族、のようなもの。紅魔族は魔法関連なら大抵なんでも優秀だ。むきむき以外は。

 なので皆、魔道具作成に使う能力においても優秀なのだ。むきむき以外は。

 彼らは低コストの素材と極めて高い能力を合わせ、里の売店や近隣の街への販売などで高価な魔道具を売りさばき、高い収入を安定して手に入れることができるのだ。むきむき以外は。

 

 カズマは紅魔の里で魔道具を貰ったり、店の売り物を譲り受けたりしつつ、紅魔族という種族自体がいくらでも潰しが利くということを理解する。

 紅魔族の女性には容姿が優れた女性も多かった。

 割と俗物的なカズマは、この里の女性を何人も侍らせている男性を見かけたなら即座にスキルで嫌がらせを仕掛けるだろう。むきむき以外は。

 むきむきは許す。ミツルギは許さない。

 

 紅魔族の魔道具作成能力の数々を見るたびに、"逆になんでこれだけ優秀な種族に生まれてめぐみん達は貧乏なんだ"とカズマは思わざるを得ない。

 めぐみんが子供のむきむきに一家でご飯を貰っていたという話はカズマも聞いている。

 この恵まれた里、恵まれた種族において金を稼げない親とはいかがなものか。カズマはめぐみんの両親に怪訝なものを感じずにはいられなかった。

 

 だがめぐみんの母親の容姿を思い出し、大人になっても膨らまなかったその胸と、めぐみん達に受け継がれたであろう貧乳遺伝子に思いを馳せ、カズマは思い直す。

 めぐみんの恵まれていない胸のこと、ゆんゆんの恵まれた胸のことを思い出し、『人には向き不向きがあるんだよな……』と一人で勝手に納得するカズマであった。

 絶対に巨乳になれない貧乳が居るのと同じように、人にはできないことがあるものなのだ。

 

 めぐみんの両親にもそういう事情があるのだろう、とカズマは思考を結論付ける。

 

(おっ)

 

 約束された貧乳のめぐみんに対し大変失礼なことを考えていたカズマは、約束された相棒のむきむきを発見する。

 むきむきはぶっころりーに靴を見てもらっていた。

 

「うわあ、俺があげた靴随分磨り減ってるね。

 サイズ調整の魔法は保護の魔法との複合だから、磨り減りにくいはずなのに」

 

「すみません、乱暴な使い方をしてしまって」

 

「いや、大事にしてくれてたのは分かるよ。

 親父がよく言ってるんだけどさ、靴の底の減り具合って人によって違うんだよ。

 武術の達人とか超綺麗に磨り減るらしいんだ。

 ほら、むきむきの靴もかなり綺麗に磨り減ってるだろ?」

 

「そうなんですか? 普段、靴の磨り減り方なんて気にしないもので……」

 

「雑に扱われてないのは見りゃ分かるよ。俺も既に一流の靴職人と言っていいからね」

 

「基本ニートのぶっころりーさん、その発言は何割くらい適当言ってますか」

 

「……三割くらい」

 

 あいつら仲良いな、とカズマは思った。

 

「とりあえず靴は新調しようか。

 実は君が里の外に出てから、俺も成長した。

 週に三回くらいは親父の仕事の手伝いをしてるのさ」

 

「おお……!」

 

「腕も上がって出来ることも増えた。

 プリーストになって魔法も使えるようになったんだっけ? おめでとう!

 お祝いと言っちゃあなんだけど、靴を魔法発動媒体にできるよう仕込みをしておくよ」

 

「ありがとうございます!

 魔法発動媒体……杖や指輪と同種のものになる、ってことですか」

 

「慣れればビームとか出せるよ多分」

 

「どういう靴にするつもりなんですか!? ふ、普通のでいいです!」

 

 『足を引っ張る』の対義語で足という単語を使う言葉ってあったっけか、とカズマは真面目に勉強した覚えもない脳内の記憶を探る。

 その対義語こそが、この二人にぴったりな気がしたからだ。

 けれども該当する言葉が見つからなかったので"もう『仲良い』の一言でいいか"と妥協する。

 

「背も伸びたし、筋肉も付いたし、喋り方もハッキリするようになったなあ、むきむきは」

 

「喋り方もですか? そういうこと言ってくれたのは、ぶっころりーさんが初めてです」

 

 この里にも昔からむきむきの味方が居たということを改めて認識し、カズマは不思議な安堵を覚えていた。

 カズマの幼少期はそれなりに普通の範疇だった。過度に幸せだったことも、過度に仲間外れにされたこともない。

 そのせいか結婚の約束をしていた幼馴染を不良の先輩に取られたことで、微妙に打たれ弱かったカズマはそれだけでノックアウトされてしまい、引きこもりの道を進んでしまった。

 

 むきむきが『失われた幼馴染』だったからか、カズマはむきむきの育った環境のことを知る過程で、自然と昔のことを思い出していた。

 そうして結婚を約束した幼馴染(おんなのこ)のことを思い出して、カズマは最近ラブコメっている仲間の紅魔族三人のことを、意外と好意的に見ている自分に気が付いた。

 

(……あー、だから俺は自然と応援してるのか、紅魔族幼馴染三人組の関係)

 

 『幼馴染がくっつくという理想の形』。

 カズマはツンデレで自分の気持ちに疎かったり、自分の気持ちから目を逸らしたりしてしまうこともあるが、時たまこういう風に自覚することもある。

 

「カズマくん、僕は移動するけど一緒に行く?」

 

「おう」

 

 ぶっころりーと別れたむきむきと合流し、カズマは歩き出す。

 地球で紫桜優也が手に入れられなかったもの、この世界でむきむきが手に入れられたもの。

 カズマはその二つを比べて見ることができる数少ない人間である。

 よかったな、とカズマは紫桜優也(むきむき)の背中に向けて、心の中で呟いた。

 

(転生して別の世界に行けば、前世で手に入らなかったものも手に入るもんなんだな)

 

 ほっこりした気分で彼を見るカズマ。

 けれどもカズマは気付かない。

 彼もまた、地球で手に入れられなかったものをこの世界で手に入れているということに。

 心許せる仲間。自分を好いてくれる女の子。気の許せる友人。ニートできる環境。理想の風俗。

 

 普段は「こんなふざけた世界だなんて聞いてねえよ!」と言っているカズマだが―――見方によっては、彼にとってもこの世界は、素晴らしい世界なのかもしれない。

 

「んで、どこに行くんだ? むきむき」

 

「日記を見せに行くんだ。そけっとさんっていう人に」

 

「日記?」

 

「"僕は外でも元気でやってますよ"って伝えるだけで、きっと笑ってくれるお姉さんが居るんだ」

 

 ゆんゆんの両親、めぐみんの家族、里でのむきむきの友人に、むきむきの面倒を見てくれていた大人達。むきむきについて行く過程で、カズマは色んな人を見た。

 紅魔族は誰も彼もがふざけたノリで、カズマはたいそう疲れてしまったが、それでも不思議な充足感があった。

 紅魔族というものが、カズマは嫌いではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日紅魔の里に滞在し、さて明日帰ろうかとむきむきが里の端で伸びをする。

 

(……帰ろうか、か。僕にとって『帰る場所』はもうアクセルなんだなあ)

 

 ごく自然に『帰る場所』が紅魔の里ではなくアクセルになっている自分に気付いて、むきむきは思わず笑ってしまう。

 

「むきむき、手紙だよ」

 

「あるえ?」

 

 そこにあるえが来て、明日帰る予定だったむきむきに、ギリギリのタイミングで手紙を渡す。

 

「手紙? 僕に?」

 

「そう、君にだ」

 

「封筒の中に紙二枚……二枚目はあるえがこっそり忍ばせた創作小説と見た」

 

「その分かってる感のある対応、嫌いじゃないよ」

 

 封筒の中身を確認するなりすぐに、少年は少し驚いた。

 

「アイリスからだ」

 

 そして手紙を読み進め、更に驚く。これでもかと驚く。

 少年の顔を見ていたあるえが「顔が小説ほどに物を言ってるよこの人」と言ってしまうくらいに驚いていた。

 むきむきが仲間達にその内容を語ると、一人残らず驚くという珍事が起きたという。

 

 そして、その日の夜。

 

「こんばんは、エリス様」

 

「こんばんは、むきむきさん」

 

「あ、昨日の朝くださった幸運、ありがとうございます!

 朝に割った卵の黄身が二つだったのにびっくりして、ちょっと幸せな気持ちになれました!」

 

「それはあなたの自前の幸運ですよ、ふふっ」

 

 紅魔の里での最後の夜に、エリスが夢の中に現れていた。

 

「今日私があなたとお話しようと思ったのは、ベルゼルグがある作戦の準備をしているからです」

 

「僕も今日手紙でアイリスから聞きました」

 

 彼女も、彼も、ベルゼルグ王都で採択されアイリスがむきむきに手紙で伝えたその内容を、重く受け止めていた。

 

 

 

「ベルゼルグが魔王城へ総攻撃を仕掛ける、と」

 

 

 

 すなわち。

 人類で唯一魔王軍とまともに戦えると言われる武闘派国家ベルゼルグと、魔王率いる魔王軍の、最終決戦の決定である。

 

「アクア先輩が居ますから、魔王城の結界はどうにかできると判断したのでしょう」

 

「僕が手紙で色々伝えてましたからね、アイリスには」

 

 現在、魔王軍の幹部は半数以下にまでその数を減らしている。

 悪魔を従える大悪魔バニルと邪神ウォルバクの脱落。

 アンデッドを従える死霊騎士ベルディア、対魔法混成部隊を従えるシルビアの脱落。

 人間の天敵であり戦略毒使いのハンスの脱落。

 これだけあれば、人間が決戦に踏み切るのも妥当な判断であると言えよう。

 

 魔王軍に対するアイリスの認識は、ニアイコールでむきむきの認識である。

 アイリスの認識は、そのままベルゼルグ上層部が伝え聞くことができるものである。

 アクアが魔王城結界を破壊できることも、そのために必要な幹部撃破数を超えたことも、幹部を次々と倒しているPTが居ることも、ベルゼルグは理解しているのだ。

 だからこそ、今この瞬間に十分な勝機があると確信している。

 

「むきむきさん達のこと、天界でもちょっと話題になっていますよ。

 今回はこの流れで、この勇者パーティが魔王を倒すのかもしれない、って」

 

「僕ら勇者なんてガラじゃ……あ、でも、僕の仲間には勇者っぽい人は居ますね」

 

「女神としては、魔王軍に立ち向かう勇気ある者達は皆勇者と呼んでいいと思いますよ?」

 

 今の人類には勢いがある。

 何故か? "御伽噺における勇者"に相当する者達が居るからだ。

 今まで人類を一方的に追い詰めてきた幹部を次々と倒す者達が、突如現れたからだ。

 女神の特典で武装した転生者達が頑張っても覆らなかった戦況が、今や逆転しているからだ。

 

 むきむきとめぐみんとゆんゆんが里を出た時と、カズマとアクアがこの世界にやって来た時に、この世界の『流れ』は二度明確に変化した。

 

「むきむきさん。次の戦いが最後の戦いになるでしょう。

 おそらく、戦いの規模からして仕切り直しになることはありません。

 人類か魔王軍か、次の戦いで負けた方がそのまま戦争の敗者となると思われます」

 

 女神の忠告が少年の心に染み渡る。

 

「どうか、半端な心持ちでは挑まないでください」

 

「……忠告、ありがとうございます」

 

 油断して勝てる戦いでもなく、後がある戦いでもない。

 勝ちが決まっている戦いならば、女神はこんなにも真剣な声色で忠告などしないだろう。

 エリスはその忠告に加え、"本気で勝とうとする理由"もむきむきにあげた。

 

「先輩に伝えてください。

 魔王を倒せたならば、特例として地に堕ちた女神達の天界復帰を認めると」

 

「……!」

 

「無論、これは選択権です。

 魔王を倒した後帰るか帰らないかは、その後で先輩達が決めること。

 それと、魔王さえ倒されれば倒した人は問いません。

 最終的に魔王が倒され人類が救われれば、その時点で天界に帰れるということです」

 

「よかった……アクア様、戻れるんですね」

 

 少年は心底安堵した様子で息を吐き、女神はそれを見て微笑ましい気持ちになる。

 アクアとウォルバクが天界に戻れるかもしれないというだけで、むきむきはそれを自分のことのように喜んでいた。

 

「アクア様、前からカズマくんと何度も喧嘩してたんですよ。

 よくも私を引きずり下ろしたわねー、俺の特典なんだからまともに役に立てー、みたいに。

 これで喧嘩する理由も……あ、でも、アクア様が帰ってしまったら、寂しいですね……」

 

 と、同時に。もしもの別れを、寂しがってもいた。

 

「さて、どうでしょうか。先輩の本音は、先輩にしか分かりませんから」

 

 くすくすと、エリスは可愛らしく笑む。

 『分からない』と言いつつも、その言動はいかにもアクアのことを分かっている風だった。

 エリスにはアクアが天界に帰る権利を前にして、どう動くか、何を考えるのか、選ぶ道はどれなのか……それらが全て、分かっているのかもしれない。

 

「それと、もう一つ。最後の戦いの前に、あなたに謝らせてください」

 

「え?」

 

「ごめんなさい、むきむきさん」

 

 エリスは深々と頭を下げる。

 彼女は紅魔の里でむきむきがようやく仲間として迎え入れられたという話を耳にして、むきむきの幼少期の苦労を再認識し、そこに責任を感じてしまったようだ。

 

「あなたがその肉体に生まれついた遠因の一つが私です。

 子供の頃、あなたはその体のせいでしなくていい苦労をしてしまいました。

 もしも私があの時、あなたの生誕にもう少しでも気を遣っていれば……」

 

 エリスの責任ではない。エリスが悪いというわけでもない。

 "仕方のないことだ"の一言で片付けるべきことだ。

 それでも女神はそこに罪悪感を感じてしまい、少年はその罪悪感を的外れであると感じ、同時に女神の生真面目な責任感の強さも感じた。

 

「違います。どんな事情があったのかは知りませんけど、それは絶対に違います、エリス様」

 

「……え?」

 

「僕が子供の頃にしてた苦労の責任は、僕の人生の責任は、全部僕が背負うべきものです」

 

 エリスは悪くないと、当の少年が言い切った。

 

「最近になって僕、昔のことや出会いを思い返すたび、思うことがあるんです」

 

「それは、一体何ですか?」

 

「自分の周りに人が居てくれるかどうかは、自分の生き方で決まるんだって」

 

「……!」

 

 めぐみんに聞けば、子供の頃のむきむきはよく泣いていたと言うだろう。

 ゆんゆんに聞けば、最近のむきむきは滅多に泣かないと言うだろう。

 心は変わり、在り方は変わり、生き方は変わった。

 

「女々しかった頃の僕がダメダメだったのは当然だったんです。

 カズマくんは別世界の常識とこの世界のズレを感じながらも、すぐ溶け込んだ。

 ダクネスさんも貴族と一般の常識の差異に気付きながらも、努力でそれをすり合わせた。

 ゆんゆんは変と言われても僕ほど深く悩んでなくて、学校で友達も作れてた。

 めぐみんなんて色んな場所で頭おかしいなんて言われつつつも、そこかしこに友人が居ます。

 アクア様は変なところも多いですけど、それでもアクセルの街では多くの人に慕われてました」

 

 むきむきの周りには、「お前おかしいよ」と言われてもなんだかんだ人の輪に入って行ける、コミュニティからドロップアウトしてもなんだかんだ楽しく生きていける、そんな仲間達が居た。

 彼らがむきむきより上等な生き方をしていたかどうかは、判断が分かれるところだろう。

 だが少なくともむきむきは、彼らの人生から学べたものがあったようだ。

 

「入りたくても入れない人の輪があることを認めて。

 自分のどこが変なのかを認めて。

 せめて今の僕くらいには、人と触れ合うすべを知っていれば……

 子供の頃の僕は、寂しさも疎外感もそんなに感じないような立ち位置に居れたと思うんです」

 

 "あの時ああしていればもっとよくなった"という思考だが、ネガティブな後悔の色はなく、むしろその逆で何故かポジティブな響きすらあった。

 

「だってほら、現に今僕は里の皆に迎え入れられてます。

 方法に違いはあれど、僕が里の皆に仲間として認められる可能性はあったんですよ」

 

「ううん、そういうものでしょうか……?」

 

「ともかく、エリス様は悪くないんです。それだけは確かなことですよ」

 

 エリスはむきむきの子供の頃の境遇に罪悪感を抱き、精一杯謝ろうと思っていただけに、こうまで真っ向から"エリス様は悪くない"と否定されると対応に困ってしまう。

 女神の意見を否定してまで女神の擁護を行うむきむきに、エリスは少しばかり彼への認識を改めていた。

 

「でもでも! これじゃ私の気が済みません! なんでも言ってください!」

 

「えーと、なんでも、ですか」

 

 ちょっとだけ考えて、思いついたことを少年はそのまま口に出す。

 

「あ、そうだ。それなら応援してください」

 

「応援……ですか?」

 

「エリス様も魔王が倒されたなら嬉しいですよね?」

 

「勿論です。魔王に脅かされている人々に、一刻も早く救われて欲しいと思っています」

 

「なら、僕らのこと、応援してください。

 エリス様に応援してもらえたら、百人力です! きっと魔王だって倒せます!」

 

 屈託のない笑みで、少年は女神様にお願いをする。

 

「魔王を倒すのは僕とめぐみんの約束で、夢です。

 だから二人分で二倍頑張れます。

 ゆんゆんとも一緒に約束しました。だから三倍頑張れます。

 魔王を倒せたなら、アクア様とウォルバク様に『選ぶ権利』をあげられます。

 それなら五倍頑張れます。それでエリス様に応援もしてもらえたなら、六倍頑張れます!」

 

 少年のお願いに、女神様は慈愛の笑みを返した。

 

「他の誰でもなく、あなたが魔王を倒して世界を救ったなら、素敵ですよね」

 

「……?」

 

 意味深で含みのあるエリスの言葉に、少年は女神の内心を推し量れず首を傾げる。

 

「先輩はきっと、カズマさんが世界を救ったら

 『この人が世界を救ってくれてよかった』

 と思うと思うんです。先輩はカズマさんのこと、内心とても気に入っていますから」

 

 エリスはアクアが最も信頼している対象がカズマであることを理解している。

 アクアがもしも転生者で一人選んで賭けるなら、おそらくカズマに賭けるであろうということも分かっていた。

 

「力を持たない人が魔王を倒して世界を救う、というのはロマンです。

 好きな人はとことん好きです。かくいう私やアクア先輩も好きですね」

 

 かくいうエリスも、なんやかんやカズマのことは評価している。

 カズマは"力を持たないまま何かを成し遂げられる"人間だからだ。

 

「でも」

 

 されども、"一人選んで賭ける"なら、今のエリスは目の前の少年に賭けるだろう。

 

「優しい人が世界を救うのも、ロマンだと思いませんか?」

 

 目が覚める。女神とのひとときが終わる。

 普段は慈愛溢れる女神をやっているくせに、唐突にロマンの良さを語り出すお茶目な女神様は、少年に悪戯っぽい笑顔を見せていた。

 少年は最後に、女神に深く頭を下げて意識を覚醒させていく。

 

 頑張って、と女神様に言われた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝。

 魔王軍との最終決戦、及び魔王討伐で女神の天界復帰権が得られるという話を聞いたアクアは、これでもかと狂喜乱舞した。

 カズマに魔王倒しに行こうとねだり、魔王倒しに行きましょうと駄々をこね、魔王倒しに行きなさいよと偉そうに命令し、カズマのスキル盛り盛りデコピンをカウンターに食らう。

 痛みでゴロゴロ転がるアクアに、むきむきは申し訳なさそうに追加情報を告げた。

 

「あの、アクア様? 最終決戦ってすぐ始まるってわけじゃないんですが……」

 

「へ、そうなの?」

 

「時期で言えば来月ですよ」

 

「意外と遠かった!」

 

 テレポートなしの移動でも、紅魔の里とアクセルは数日で移動できることを考えれば、焦る必要などどこにもない。

 むしろじっくりと時間をかけて準備するべきだ。

 カズマも紅魔の里で魔道具を沢山確保できたようで、むきむきから色々と話を聞き、『どうやったらその物騒な大戦争から逃げられるか』『もし逃げられないなら何を準備すべきか』かを考え始めていた。

 

「カズマくん、僕ここから別行動とってもいいかな?」

 

「? いいけどどうした?」

 

「回りたい場所があるんだ。……これが、最後になるかもしれないから。

 心残りを全部整理してから、『もう一度ここに来よう』って心を決めておきたいんだよ」

 

「お前らしいなぁ。さっさと帰って来いよ?」

 

「うん」

 

 アクセルに直帰しようとするカズマと別れ、むきむきは最終決戦の前に世界を巡る。

 

「私も付いていきますよ。一人にさせると心配ですし」

 

「! わ、私も一緒に行っていいかな?」

 

 めぐみんとゆんゆんも、その後に続く。

 

「ん、行こうか」

 

 『決戦』という一区切りの前における、彼らの最後の旅が始まった。

 

 

 

 

 

 彼らがまず向かったのはアルカンレティア。

 

「いってらっしゃい」

 

「いってきます!」

 

 ぶっころりーのテレポートに送られて、彼らはアルカンレティアへと一瞬で辿り着いていた。

 

 むきむきは意気揚々と、二人の少女を連れて街に入っていく。

 靴はぶっころりー謹製の新品、里で仕立て直された紅魔族ローブは新品同然、服はその巨体に合わせて作られたカズマお手製の服、胸元にはこめっこからプレゼントされ多くの人の髪の毛が格納されたペンダントが揺れている。

 進む足取りに迷いはない。

 

「お久しぶりですね!」

 

「うおわぁっ!?」

「ひゃっ!?」

「きゃっ!?」

 

「ようこそいらっしゃいませアルカンレティアへ! 改宗ですか! 入信ですか!」

 

「心臓に悪いからいきなり出て来ないでくださいゼスタさん!」

 

 が、その気持ちも待ち構えていたかのように現れたゼスタに驚かされた瞬間に、欠片も残さず霧散してしまっていた。

 むきむきはゼスタに来訪の連絡をしていない。

 ゼスタに彼らの来訪を予測する手段はない。

 つまり彼は、勘だけで彼らの来訪を予測し、それを待ち構えていたということだ。

 

 いつもながらおかしさが極まっている謎生物である。

 

「ところで、本日は何用ですかな?」

 

「……こほん。

 名誉アクシズ教助祭むきむきとして、アクア様のお言葉を伝えに来ました」

 

「―――」

 

 その瞬間、街の空気が一変する。

 

(あ、これヤバい、ヤバいです。むきむき、もうちょっと近くに寄ってください)

(あ、これ怖い、なんだか怖い、二人共どこにも行かないでよ!?)

 

 むきむき、めぐみん、ゆんゆんが思わず互いの距離を詰める。

 

 彼がアクアの名前を出した途端、ゼスタの目の色が変わった。雰囲気も変わった。

 それだけでなく、街に漂う空気そのものが変貌を遂げていた。

 街全体が息を呑み、耳をすまして、むきむきの次の言葉を聞き逃してたまるかとばかりに耳を傾けている。

 街に奇妙な静寂が広がっていた。

 アクシズ教徒の沈黙が、街の音全てを塗り潰しているかのようだった。

 

「『来るべきその日に、私と共に魔王を倒しなさい』……だ、そうです」

 

 短い女神のお告げを伝えた、その瞬間。

 耳が割れんばかりの大声の大合唱が、アルカンレティアを包み込んだ。

 

「―――ッ!?」

 

 アクシズ教徒はそのほとんどが狂信者。

 女神アクアのためなら笑って死ねるクレイジーペテロの集団である。

 そんな彼らにアクアが直接こうして言葉をかけたのだ。全員揃って絶叫するのも当然か。

 "この少年の嘘ではないか"だなんて思うアクシズ教徒は居ない。伝聞だろうと、それが女神アクアの言葉であると理解できるのがアクシズ教徒だ。

 この瞬間、彼ら異常性癖十字軍の参戦が決定した。

 

「アクア様の性格からして、手伝ってくれた人には後でお礼を言いに来ると思うんです。

 魔王軍との決戦に参加してくださった方は、アルカンレティアに皆で固まって―――」

 

 アクシズ教徒の絶叫と咆哮が、音量を数倍に増した。

 意図せずして火に油を注いだ形となり、アクシズ教徒達のテンションがピークに到達する。

 これはあかん、と判断した紅魔族の少女二人は左右から思い切りむきむきの手を引いた。

 

「むきむき! 逃げましょう!」

 

「掴まって二人共! 『テレポート』!」

 

 ゆんゆんのテレポート、及びテレポート使用後の馬車を使用して逃走。

 むきむきは伝えるべきことだけ彼らに伝え、アルカンレティアを出立した。

 

「アクシズ教徒こわい」

 

「アクア与えると劇薬が劇薬のまま爆薬になった感じですね……うん?

 むきむき、その脇のポケットに入ってる紙切れはなんですか?」

 

「え?」

 

 いつの間にか入れられていた紙切れを見て、そこに書いてあった一文を読み、むきむきは少しばかり驚かされた。

 

『お互いの無事を祈りましょう。生きてまた会えますように  ゼスタ』

 

 あの老人は、本当に食えないキャラをしていた。

 

「……あの人だけはいつまで経っても底が見えないなあ……」

 

 馬車に揺られて、彼らはドリスへ。

 

 

 

 

 

 かつての旅路を辿るように、彼らはドリスへと到着し、昔ドリスで助けた一人の少年をそこで見つけた。

 

「あ、筋肉のあんちゃん! 久しぶり!」

 

「? あー、あの時の子!」

 

 かつてむきむきは、そうと知らぬままアルダープと繋がっていた犯罪者集団とぶつかり、グリーンが面倒を見ていた子供を助け、王都で役に立ったアイテムを貰ったことがあった。

 あれからその子供とは一度も会っていなかったが、今日ようやく再会できたらしい。

 

「元気にしてた?」

 

「元気元気! でもあと一年くらい時間くれな!

 もっとでっかくなって、筋肉のあんちゃんよりムキムキになるから!」

 

「あはは、腕相撲で勝負する約束、ちゃんと忘れてないよ」

 

「よっし!」

 

 久しぶりの再会に、めぐみんは少年に問いかける。

 

「今は何をしてるんですか?」

 

「この辺の身寄りのない子供達集めて、助け合いながら日々の飯を集める組織作ったりしてる。

 昔はグリーンのあんちゃんが孤児とかの面倒見てたり、金くれてたりしてたらしいんだけどさ」

 

「……それは」

 

「多分どっかで死んじゃったんだと思うんだよなー、悲しいけど」

 

 『親の居ない子供』に同情し、面倒を見ていたグリーンも既に死んでいる。

 少年はあっけらかんと死を語りつつも、その死を悲しんでいた。

 

「あんちゃんも、あんちゃんの……恋人? も気をつけてな」

 

「まだ恋人じゃないです」

「まだ恋人じゃないわよ!」

「この二人こうやって僕を玩具にしてるんだけどひどくない?」

 

「お、おう。そうなん? まあいいけど、気をつけて死なないようにしなよ」

 

 この子供とむきむき達の関係は、『他人』だ。

 仲間でもなく、友人でもなく、家族でもない。

 一度助けた、一度助けられた、それだけの『恩』でしか繋がっていない他人。

 されども今、その『他人』がむきむき達の旅路の幸運を本気で願ってくれていた。

 

「人が簡単に死ぬのは当たり前のことだけど、人が死んだら悲しいのも当たり前のことだぜ」

 

「……うん、そうだね」

 

「ほんじゃま俺も仕事あるから、んじゃね。また会いに来てくれよなー!」

 

 少年は手を振って去っていく。

 

「魔王を倒せたら、ああいう子も救われるのかな……」

 

「ええ、そうですとも。

 むきむきの知っている人より、むきむきの知らない人の方が多く救われますよ」

 

「めぐみん」

 

「それが世界を救うってことです。

 名前も知らない山程居るモブキャラ達が、一番沢山恩恵受けるんですよ」

 

 むきむきが居て、むきむきと親しい人達が居て、むきむきが名前を知っている人達が居て。

 むきむきが名前も知らないようなそれ以外の人達も、山のように居て。

 世界はむきむきと無関係な大勢の人達で回っている。

 その人達もまた、魔王軍を倒さなければ救われない者達だった。

 

「あれ? ねえむきむき、あそこに居るのテイラーさんじゃない?」

 

「本当だ。テイラーさーん!」

 

「おおっと、紅魔族トリオか。こんなところで会うなんて奇遇だな」

 

 何気なくドリスを歩いていると、彼らはそこでテイラーと出会った。

 どうやらドリスにまでクエストを受けに来たらしい。

 

「ダストさん達は一緒じゃないんですか?」

 

「キースとダストがドリスでナンパして一般客に迷惑かけてな。

 リーンの魔法で股間に凍傷食らって、今は治してくれるプリースト探してる」

 

「……うわあ」

 

 股間のマンモスが氷漬け冷凍保存される痛みはいかばかりだろうか。

 ナ○パでチ○ポがイ○ポになりました、なんて洒落にもならない。チ○コモナカと同じで、一度折れれば二度と元には戻らないのである。

 

「お前らは魔王城に殴り込みかけるあれ、当然参加するんだろ?」

 

 テイラーが問えば、むきむきは首を縦に振った。

 

「決戦の参加者はもうギルドで募集開始してると思うんですが、参加されないんですか?」

 

「するわけないだろ」

 

 だが、どうやらテイラーパーティは最終戦には参加してくれないようだ。

 

「世界の命運に関わるような戦士じゃねえよ、俺達は。

 良くも悪くも普通の冒険者だ。

 お前らが世界を救ってる間にも、俺達は俺達で凡庸な冒険を楽しむさ」

 

「……」

 

 対岸の火事を見るように、遠くの国の戦争をニュースで見るように、テイラーは最後の戦いをどこか他人事のように見ているようだ。

 それも当然。

 テイラーが参加して何かが変わるようなレベルの戦いではない上、テイラーが参加しなかったから何かが変わる戦いでもない。

 決戦とは言うものの、それはテイラーにとっての他人が勝敗を決するものでしかないのだ。

 

 人と魔王軍が雌雄を決している間にも、テイラー達は普通の冒険を続けるのだろう。

 普通のクエストをクリアして、彼らだけの冒険と想い出を積み重ね、"気付いたら魔王軍との戦いが終わっていた"という人生を送るのだろう。

 それは何も間違ってはいない生き方だ。

 最後の決戦に対し、そういう向き合い方をしている人間も居るというだけのこと。

 

 決戦の日の夜に、テイラーは冒険者ギルドで酒でも飲みつつむきむきを待っていることだろう。

 その日のクエストを終え、むきむきの土産話を期待して待っていることだろう。

 あくまでも日常の延長で、テイラーは少年の帰還を待ってくれているはずだ。

 

「が、俺達も英雄譚は大好きだ。勝てよ? お前の土産話を期待して待ってる」

 

「……はい!」

 

 強くなくとも、才能に溢れていなくても、テイラーは彼らの先輩冒険者なのだから。

 

「めぐみん、しっかり手綱握ってやれよ」

 

「言われなくとも」

 

「ゆんゆん、しっかり支えてやれよ」

 

「も、勿論!」

 

 テイラーと別れ、彼らはドリスを後にした。

 

 

 

 

 

 かつての旅路を辿る歩みは、ようやくベルゼルグ王都へと至る。

 王都ではむきむき達をまず守衛が迎え、その後アイリスが迎えてくれていた。

 

「お待ちしておりました、むきむき様」

 

「アイリス様御自らお迎え頂くとは、なんと恐れ多い……」

 

「「 まあそれはそれとして! 」」

 

 儀礼的な挨拶もそこそこに、歳も腕力も近い友人と久々に会えたことで、二人は子供のようにじゃれ合い始める。

 むきむきがアイリスを太陽のシルエットと重なる高さにまで放り投げたり、アイリスがむきむきを雲の下まで投げ上げたり。そりゃもう色々とじゃれていた。

 

「見ろレイン。最近は友人と会うこともできず、王族として固い表情を崩すことも出来ず。

 自然と落ち込み気味だったアイリス様が、あんなにも歳相応に、楽しそうに……」

 

「歳相応の笑顔ですけど人間相応の行動じゃないと思います、クレア様」

 

 空中を走れる二人は、空高く投げ上げられても墜落死することはなく、それどころか太陽をバックに滑空していたりした。

 

 彼らは二人で一つのゴリライブ・サンシャイン。

 力を合わせればグレート・ゴリテン及び北部ゴリランド連合王国並のパワーを発揮する。

 アルトリア・ペンドラゴンという名にもアナグラムでゴリラという文字が仕込まれるこの時代、王族ゴリラなアイリスと、紅魔族ゴリラなむきむきが万全の状態で揃っていれば、まっとうな戦い方で勝てる相手などそうそういないはずだ。

 対魔王軍戦線でも、この二人が組むと思っていた者は多い。

 

 だがこの二人は、同じ戦場には立たないということで話がついていた。

 

「アイリスも好調みたいだね」

 

「むきむきさんも、前に会った時よりずっと強くなっていますよ?」

 

 『魔王を倒す軍』と『魔王を倒すPT』を分ける。

 それが、ベルゼルグが今回の総攻撃に選んだ作戦だった。

 

 むきむきが得た魔王軍幹部の情報は、アイリスとの文通を通じてベルゼルグ王国に全て伝わっている。

 その中でも特に警戒されていたのが、魔王と魔王の娘が持つ『配下の強化能力』だ。

 これは雑魚を強力な敵に、名もなき精鋭を魔王軍幹部クラスへと強化する。

 魔王親子の周りには、常に数十人のベルディアやハンスが居るようなものなのだ。

 

 『魔王』が『魔王軍』と共に在る限り、人間側の勝率は目に見えて低下する。

 人間側が確実な勝利を収めるためには、魔王と魔王軍を引き離す必要があった。

 

 魔王城の結界は、既に女神アクアの手で破壊可能な強度にまで落ち込んでいる。

 そこに『アクアが軍内に居ると見せかけた』王国軍が魔王城に接近すれば、魔王城は総戦力でそれに対抗せざるを得ないだろう。

 そこにはベルゼルグ王族という超小型ウルトラマンも居るからだ。

 生半可な戦力でこの時間制限無しウルトラマン達は止められない。

 

 そうやって魔王軍を城から引き出し、そこに魔王軍幹部撃破の実績を持つむきむき達一行を、女神という超戦力とセットで脇から叩き込む。

 これが、ベルゼルグが打ち立てたシナリオなのだ。

 

 王国軍につられず、魔王軍が城に引きこもるならそれでもいい。

 そうなれば結界をアクアが普通に壊し、王国軍をそのまま雪崩込ませれば良いだけの話だ。

 城内に侵入を許してしまった城など、その時点で防御機能を失っている。

 シンプルに軍を進め、アイリス等の魔王を倒せる個体能力持ちを魔王の下にゴリ押しで押し込めればそれで勝てるはずだ。

 

 魔王軍が城内に戦力を温存して中途半端な戦力で来るなら、王国軍で押し潰してからゆっくり攻めてもいい。

 後戻りを捨て、魔王さえも前に出て来るようなら野戦で決着だ。

 他にも様々なケースが考えられるだろう。

 どの道魔王軍が『攻め込まれる側』である以上、戦場の推移は人間側がコントロールできる。

 その時点で人間は一種のアドバンテージを得ていると言えよう。

 

 アイリスは王国軍に、むきむきは魔王の首を取る刺客に、それぞれ役割を与えられている。

 今回の最終決戦で二人が肩を並べて戦うことは、あり得ないことであると言えた。

 

「めぐみんさんもゆんゆんさんも、むきむきさんみたいに大きくなって……

 ……めぐみんさんの方はあんまり変わってないですね?」

 

「ほほう、アイリス、喧嘩売ってるんですか?」

 

「やめなさいよめぐみん! アイリスにはめぐみんと違って将来性があるのよ!」

 

「最近のゆんゆんの対抗心と喧嘩売りはかなりガチなものを感じますね!」

 

 ゆんゆんとめぐみんがぎゃーぎゃー騒ぎ出し、アイリスが笑いをこらえきれずに吹き出してしまう。

 アイリスには、人を見る目があるという。

 彼女からすれば、今の紅魔族三人の関係は見ていてとても楽しいものであるに違いない。

 むきむきは慣れた様子でスルーして、レインとクレアにおみやげの饅頭を手渡していた。

 

「あ、これどうぞ。買ってきたドリス饅頭です。レインさん、クレア様」

 

「これはどうもご丁寧に。あなたと戦場を同じくするのは王都防衛戦以来ですね」

 

「シンフォニア家の名にかけて、我々は必ず役割を果たすと誓おう。

 ……む、なんだこの饅頭美味いな。皮がもちっとしていて中身のあんこの程よい甘さが……」

 

 レインとは一度旅をしたお陰か、あるいは一時むきむきがレインの授業を聞いていた関係のお陰か、ある程度気心知れた関係だ。

 クレアとも一緒に王都を守った戦友、という関係である。

 饅頭を美味そうに食べつつ騎士の誓いを口にするクレアを見ていると妙に不安になってくるが、こんなでも能力だけは確かなのが彼女なのだ。

 

「いい加減、王都に眠れない夜を持って来る迷惑な奴をやっつけよう、アイリス」

 

 むきむきが大きな拳を前に出す。

 

「そうですね。夜を……皆が安心してグッスリ眠れる時間を、取り戻しましょう!」

 

 アイリスが小さな拳をそれに合わせる。

 

 ベルゼルグが誇る二大ゴリラは、かくして勝利を誓うのだった。

 

 

 

 

 

 一行はそのままエルロードへ。

 魔王軍との決戦を前にして、ベルゼルグ・エルロード間に臨時のテレポート用機関――両国をこまめに行き来できるための機関――が設置されていた。

 今だけは、両国をあっという間に行き来できるようになっている。

 

 むきむきはほぼ顔パス――事実上の筋肉パス――で王城の警備を抜け、道中すれ違った人に何度か軽く会釈して、王子レヴィの私室に足を踏み入れた。

 部屋にはレヴィと側近のバルターが居て、むきむきは彼らにアイリスからの伝言……つまりベルゼルグ王家からの伝言を届ける。

 ご苦労、とレヴィは偉そうにのたまった。

 

「うちの国からは金と武器を出す。おかげで支出がありえんくらいに膨らんだぞ」

 

「ありがとう、レヴィ」

 

「礼ならベルゼルグから既に貰っている。お前にとやかく言われる謂れはない」

 

 発言が微妙に他人の神経を逆撫でするレヴィだが、この空間にはそれを許容できる少年が一人、許容する気はある少女が一人、許容できなくて爆裂魔法を時々撃ちそうになる少女が一人の合計四人しか居ない。問題はなかった。

 

「バルターさん、こちらでのお仕事には慣れましたか?」

 

「ええ、おかげさまで。皆様には感謝してもしきれません。

 決戦の日にはエルロードの希望者をまとめて、義勇軍として戦場の末席に馳せ参じる予定です」

 

「!」

 

「今は遠く離れていますが、ベルゼルグが私の故郷であることに変わりはありませんから」

 

「バルターさん……」

 

「それに、我が国の王子様もとても気にしておられるようでして」

 

 バルターが横目にチラッとレヴィを見て、レヴィがぷいっと顔を逸らす。

 

「余計なことを言うな、バルター」

 

「失礼しました」

 

 どうやらレヴィとバルターは、主従として仲良くやっているらしい。

 王族のアイリスと臣下のダクネスが仲が良いことを考えると、アイリスの婚約者のレヴィとダクネスの元婚約者のバルターが仲が良いことには、不思議な縁さえ感じる。

 あるいは運命、とでもいうものなのだろうか。

 レヴィの毒吐きに近い言い草に、いつものようにめぐみんがつっかかる。

 

「男のツンデレとか流行りませんよ、レヴィ王子」

 

「女の貧乳も流行らんぞ、ちんちくりん」

 

「今日は同じネタでよく喧嘩を売られる日ですね……!」

 

「最終決戦を前にして皆の心が一つになっている……?」

 

「むきむき! あなたはどんだけ前向きな解釈が好きなんですか!」

 

 喧嘩誘発機のレヴィとめぐみんが居ても、むきむきが居ると話の流れが険悪な方向に行かないのだから不思議なものだ。

 

「それにしても……」

 

 レヴィは紅魔族三人組を見る。

 前に会った時とは、また微妙に空気が違う三人を見る。

 めぐみんとむきむきは、並んで立っている時の距離が半歩分近くなっている。

 ゆんゆんとむきむきは、何もしていない時に自然と目が合う頻度が倍くらいになっている。

 この三人の関係がまた変動したことは、よく見れば傍目にも理解できた。

 

 レヴィは解決策を善意で提示する。

 

「うちの貴族になる気はあるか?

 貴族なら別に女を複数囲っても何ら問題はないぞ。

 なんなら明日からでもうちの貴族に叙任してやってもいい」

「王子!?」

 

「レヴィ、そういうところで腰が軽いのがいけないんだと思うよ」

 

 二人とくっつくために貴族になればええやん、という王子特有の飛躍の発想。

 

「……うーん。それは駄目じゃないかな」

 

「別に誰かが禁じたわけでもあるまい」

 

「だってめぐみんとゆんゆん、できれば自分だけ好きになって欲しいって思ってるもん」

 

 ピクリ、と少女二人の肩が動く。

 図星だと言わんばかりの二人の反応に、レヴィはむきむきがこの二人のことをよく理解していること、何故一人を選ぶために彼が苦悩しているのかという理由を察した。

 

「レヴィのその誘いに乗ってしまうのは、卑怯って言うものだと思うんだ」

 

「面倒臭い奴だなお前は。なあなあで片付けることも覚えなければ世の中やっていけないぞ」

 

 むきむきとレヴィなら、レヴィの方がまだまともな恋愛観を持っている。

 恋愛とは求め与えるものであり、自分のエゴを押し通しつつ時には譲歩して、愛した人から押し付けられたエゴを受け入れつつも、それに時に反発することが必要なものだ。

 与えるだけの愛も、求めるだけの愛も、一般的には歪んでいると言われている。

 

 むきむきは理性的に恋愛を判断しようとし、女性のエゴを尊重して、自分のエゴを押し付けようともしていない。

 もうちょっと欲深な方がいいだろう、とレヴィは思う。

 が、そうはなれないだろう、ともレヴィは思っていた。

 面倒臭い奴だな、と思いつつ、王子は減ってきた腹の欲求に従い彼を誘う。

 

「お前の人生だ、お前の選択で不幸になる権利も幸福になる権利もある。好きにしろ。

 そしてこういう面倒臭い案件は、美味い飯を食ってから考えるもんだ。昼飯食っていくか?」

 

「そだね、一緒に食べようか」

 

「私達の里の学校の男子みたいなことやってるよ、この二人……」

 

 ゆんゆんの呆れ声をよそに、今日もレヴィとむきむきは中学生男子の友人同士のようなやり取りを行っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、むきむき達が昔の旅路をなぞるようにして、色んな場所を巡っていた頃。

 カズマ・アクア・ダクネスはさっさと帰り、カズマはとりあえず爆薬と毒薬の作り置きに入り、ダクネスは実家に報告と相談に行き、アクアは晩酌用の酒と肴を買いに行っていた。

 アクアが自分用に買ってきたそれらを自室に隠した後、日が沈んですぐに彼らは三人セットで酒をあおりに動くのであった。

 

 留守番をしていたウォルバクは怠惰が発動してしまったらしい。

 昼夜逆転生活が身に付き、この時間に起床してくるというダメ人間っぷりを発揮していた。

 邪神ちょむすけと転生者ゼル帝の非難がましい視線がウォルバクに痛く突き刺さっている。

 二階で動き回っているウォルバクの足音を聞きつつ、カズマ達は酒を飲む。

 

「お前達に会えてよかった」

 

 酒が回ってきたところで、ダクネスは唐突にそんなことを言い出した。

 

「どうしたダクネス、急にそんな恥ずかしいこと言い出して」

「ホントそれよ、どうしたの?」

 

「恥ずかしさなどあるものか。これは嘘偽りのない私の本音だ」

 

「そうだな、お前の普段の生き方の方がずっと恥ずかしいもんな」

 

「んっ……酒が入ると、カズマの口撃の破壊力が気持ち増すな……」

 

 カズマの言い草は別に言い過ぎというわけでもないが、ダクネスのハートに真正面からぶっ刺さり、その心の痛みでダクネスを心地良く満足させる。

 

「多くは語らない。

 だから酒の勢いに任せて一言で言わせてもらう。

 私は今が人生で一番楽しくて、今の仲間より良い仲間を見つけられる気がしない」

 

 ダクネスはほんのり赤い顔で恥ずかしい言葉を吐き出している。

 頬に差した赤みは、酒のせいだけではないだろう。

 

「お前はどうだ、カズマ。お前も私と同じ気持ちじゃないのか?」

 

「うっせー、お前の魂胆は読めてるっての。

 俺が肯定したら嬉しがって、俺が否定したらツンデレとか言うんだろ?

 どっちで答えても酔っ払いの面倒臭い絡みしか待ってないとかふざけんなコラ」

 

「そうかそうか、お前なら『はい』と言ってくれると信じていたぞ」

 

「いや俺何も答えてな……酒臭っ! お前俺が目離した隙にどんだけ飲んだんだ!?」

 

「カズマーカズマー、そこに酒瓶がいくつも転がってるわ」

 

「アルダープの次はアルコールにしてやられるのかこの駄クルセイダーは……」

 

 ダクネスは次から次へと酒瓶を飲み干している。

 彼女にしては珍しい飲み方だ。一度はこういう飲み方をしてみたかったという意識と、その意識を後押しする酒の力の相乗効果が起こっているのかもしれない。

 

「むきむきがなあ、私と腕相撲したんだ。

 私はあっという間に負けてしまった。

 そしてあいつは言った。『細腕の女性には負けませんよ』と。

 力勝負に負けか弱い女性扱いされたのは、久方ぶりだったよ。

 ……あいつらしい優しさだったが、私は萎えてしまった。

 私がその時本当に欲しかったのは……勝者が敗者にぶつける罵倒だったというのに」

 

「しまった、ダクネスのやつ一人語りに入っちまった。

 こうなった酔っぱらいはクソ面倒臭いぞアクア」

「いいじゃないの、酒の席の恥は見なかったことにするのが粋ってものよ」

 

「そしてそのことを語ったら、カズマお前は『ゴリラにも格差があるんだな』と言ったな」

 

「カズマはそんなこと言ってたわねー。で、ダクネスが殴りかかって」

「クソマゾとか言っても喜ぶくせに、ゴリラとか言うと怒るんだよなお前……」

 

「私が欲しい罵倒をよこせというんだ!」

 

「お前貴族と雌豚の間に生まれたんじゃないだろうな」

 

「あふぅんっ」

 

 ダクネスのノリに合わせて――酒の勢いで――罵倒したことを、カズマは言ってからちょっとばかり後悔していた。

 

「いい出会いだったと断言できる。

 私にとっては幾億の黄金よりも、お前達との出会いの方が素晴らしく(かがやいて)見えた」

 

「ダクネス相当酔ってんな」

「酒の力を借りてでも、言っておきたいことがあったんじゃない?」

 

「……この先に……どんな結末があっても……私に、悔いはない……」

 

「……まったく。普段ドマゾなくせに、こういう時だけこういうこと言うんだからよ」

 

 ダクネスは今の仲間を気に入っている。

 今の仲間とずっと一緒に居たいと思っている。

 だが、魔王を倒した後に今の仲間が全員残っているだなんて楽観は持っていない。

 ぐでんぐでんになったダクネスは放置して、カズマはアクアとのサシ飲みに入った。

 

「なあアクア」

 

「なーに?」

 

「お前、天界に帰りたいか?」

 

 単刀直入に聞くカズマ。

 自分では、軽い気持ちで聞いたつもりだった。だからカズマの口調は軽い。

 自分はどうでもいいと思っていると、カズマはそう思っていた。自分の心も彼は知らない。

 佐藤和真は、どこまで行っても素直ではない。

 

 だからだろうか。

 アクアがたった一言、短い一言に、僅かな寂しさをにじませた時。

 

「帰れるならね」

 

 その一言だけを理由に、魔王を倒そうという小さな気持ちが、彼の中に芽生えたのは。

 

「……」

 

 "ちょっとくらいなら手を貸してやってもいいか"という小さな気持ちが生まれる。

 "いや魔王とか勘弁"という気持ちがそれを吹き散らす。

 それでも、残る気持ちの残滓があった。

 

「でも地上も楽しいから、帰れって言われたら逆に帰る気なくなるかも」

 

「天邪鬼な小学生かお前は」

 

 しかれども、アクアは今日も平常運転である。

 

 天界に帰りたいと思うアクアも居て、地上での生活を楽しく思うアクアも居て、脳天気に今日を生きているアクアも居て。

 そんなアクアが、カズマは嫌いではなかったりした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間側が戦いの前の準備を進めるように、魔王軍もまた戦いの準備を進めていた。

 魔王軍から見れば、今回の戦いはピンチであると同時にチャンスだ。

 女神のせいで魔王城の結界は絶対のものではなくなった。

 何か一つボタンを掛け違えれば、次の戦いで魔王軍は滅びるだろう。

 

 だがもし次の戦いに勝ち、ベルゼルグ主戦力や強力な冒険者、女神とそれに送り出された転生者を一気に仕留めることができたなら、反撃でそのまま人類を詰ませることができるだろう。

 特に女神だ。

 『水』を司る強力な権能持ちのアクアさえ倒せれば、魔王軍の勝利はほぼ決まる。

 人類にとっても魔王軍にとっても、次の決戦は狙った者を倒せるチャンスというわけだ。

 

 イエローはそんな大舞台を前にして、魔王に直訴を行っていた。

 

「どうか拙を、その一番危険な役割にあててくださいますよう、お願いしますでゲス」

 

「……」

 

 残る幹部は三人。将の魔王令嬢、工作員のセレスディナ、最強の預言者。

 残る戦隊は二人。魔物使いのレッドと、アンデッド化で特典を喪失したイエロー。

 魔王はこの五人をどう振り分けるか、という判断を迷っていた。

 そこにイエローが危険な任務を志願した形である。

 

 魔王の娘は軍団を率いて戦う係。占い師の預言者は城を守る最後の砦。

 魔王としてはセレスディナは一番危険な場所に置き、その部下であるレッドとイエローもそれなりに危険な場所に置くべきだと思っている。

 が、そこでイエローが上記の申し出をしてきたというわけだ。

 

「拙が一番危険な役割をやるんで。

 セレスディナ様はそこそこ安全なとこに置いといて欲しいんでゲス」

 

「……ふむ」

 

「敵軍のど真ん中で死なせて呪い爆弾として使うというのを考慮しても……

 セレスディナ様を戦いで使い潰すなんてもったいない。

 工作員の彼女は生き残れる可能性を高めて置くべきでゲス。

 生き残れれば『次の魔王様』のためにも役立ってくれるはずでゲース」

 

 イエローには自分の死を前提とするスタンスと、それによって大切なものを守ろうとする意志、その両方が感じられた。

 

「ワシにはお前が生きようとしている風には見えない。探しているのは死に場所か」

 

「一度目の死は後悔に濡れ。

 二度目の死はどこか満足し。

 しからば三度目の死は、二度目の死と同じ心持ちで居たいんでゲス」

 

「そのために、他人のために死ぬ道を選ぶというのか」

 

「一生にいっぺんくらいはやってみたかったんでゲス。

 美女のために命をかけて、美女のために死ぬってやつを」

 

「―――成程」

 

 イエローがセレスディナのことをそこまで大切に思っているかと言えば、そうでもない。

 かといってなんとも思っていない、と言えば間違いになる。

 美女はセレスディナでなければいけないのか、と問われればNOだ。

 誰でもよかったのかと問われればそれもまたNO。

 

 ただ単純に、イエローの知り合いに"そいつのために死ぬのなら良いか"と思えるような美女は、セレスディナしか居なかったのだ。

 死に場所を探すこの男にとっては、それだけの理由があれば十分だった。

 

「いいだろう。だが、役割は必ず果たすのだぞ」

 

「承知! でゲス!」

 

 魔王への直訴が成功し、意気揚々と部屋を出て行くイエローだが、一秒後にそこで盗み聞きしているセレスディナを発見してしまった。

 イエローの動きが止まる。思考が停止する。心拍数が一気に上がる。

 どうやらセレスディナは、今の会話の全てを聞いていたようだ。

 

「よう、自分に酔ってる馬鹿野郎」

 

「ほげっ」

 

「まさかあたしが気付いてないとでも思ったか?

 あたしを誰だと思ってんだ。自分は暗躍して他人の暗躍は暴く、魔王軍きっての工作員だぞ」

 

「せ、セレスディナ様……」

 

 セレスディナはタバコを咥えて、呆れ顔で煙を吐く。

 

「必ず戻って来い」

 

「え」

 

「お前がそこまでバカだったとは知らなかったからな……

 死んでも治らなかったお前のそのバカを、あたしが直してやるよ」

 

 セレスディナにも人情はある。

 加え、セレスディナはお涙頂戴の自己犠牲や、それを実行に移させる熱意が好きではない。

 だからだろう、彼女がイエローにこういうことを言っているのは。

 死に場所を求める人間に死ぬなと言う。

 その人間を救いたいからではなく、自分の気分が悪くなるから死ぬなと言う。

 セレスディナはまごうことなき悪女であった。

 

「だから死ぬなよ。無事に戻って来い」

 

「……拙の努力目標ということで」

 

 悪女とアンデッドがそんなやり取りをしているのを、少し離れた場所から魔王とレッドが並んで眺めていた。

 

「人間が人間を守り人間を滅ぼす算段を魔王軍でする。世も末だとは思わないか? 八坂」

 

 レッドは気安い口調で魔王に語りかけるが、魔王は応えない。

 魔王の名前を八坂と呼ぶが、魔王は何も反応しない。

 その無礼一歩手間の接し方さえ、魔王は咎めない。

 レッドはつまらなそうにため息を吐き、少し後に控えた決戦に思いを馳せていた。

 

 

 

 

 

 夜が更けていく。

 かなり遅い時間になってからようやく、紅魔族三人はアクセルの屋敷に帰って来ていた。

 

「ただいま」

「ただいまー」

「ただまー」

 

 さっさと国内各地を回るためか、タイムスケジュールは相当にカツカツだった。

 おかげで体力があるむきむきは例外として、めぐみんもゆんゆんも露骨に顔に疲労の色が出てしまっている。

 

「流石に疲れました。さっさと寝ます」

「私もそうするね……」

 

「うん、おやすみ、二人共」

 

 さあ寝よう、と三人の中で一番に早寝早起きなむきむきも部屋に戻ろうとするが、そこでめぐみんに服の裾を引かれてしまった。

 

「むきむき、ちょっとかがんでください」

 

「こう?」

 

 望まれるまま、膝を折って。むきむきはめぐみんの指先が空を走るのを見た。

 めぐみんの人差し指が、めぐみんの唇に触れる。

 その人差し指が、むきむきの唇に触れる。

 目を逸らして顔を赤くする少年とは対照的に、少女は微笑み、彼をまっすぐに見る。

 

「おやすみなさい」

 

 そして何事も無かったかのように、二階に上がっていった。

 ゆんゆんは一瞬思考がショートしていたが、ここで対抗できなければ敗北は必至であると考え、浅い考えでむきむきにぎゅっと抱きつく。

 そしてすぐに恥ずかしくなり、離れて行った。

 

「お、おやすみなさい!」

 

 めぐみんの後を追うように二階に駆け上がっていくゆんゆんの背中を見つめ、顔を真っ赤にするむきむきが、ようやくその口を開く。

 

「……もしや今の僕は、肉食動物に狩られる草食動物の立ち位置なのでは……」

 

「そうよ」

 

「!? うぉ、ウォルバク様……!?」

 

 家政婦(ウォルバク)は見た。

 常に屋敷に居るニートウォルバクは、今の一部始終もバッチリ見ていた。

 見ていただけで何もしない。何も言わない。何も言えない。

 実はウォルバクにも大して恋愛経験なんて無かったからである。

 

「……強く生きなさい、むきむき」

 

「……頑張ります」

 

 この世界の女神達は、恋愛絡みだとそんなに頼りにならない。

 それはきっと、彼女らが本質的には人間に無償の愛を与える者達であるからだ。

 自分の気持ちと相手の気持ちで時に綱引きを行うような"人間の恋愛"は、彼女ら自身が経験するまでは、彼女らの認識と少しズレた場所にあるからだ。

 性愛(エロース)隣人愛(フィリア)家族愛(ストルゲー)神の愛(アガペー)は全て別のもの。

 ウォルバクもまた、恋愛経験豊富で妖艶な美女に見えるだけの純情ウブおばさんであった。

 

 

 

 

 

 ウォルバクと少し話し、役に立たない恋愛アドバイスと役に立つ魔王の話を聞き、むきむきは一人居間に向かった。

 最近はウォルバクも昔の自分に戻りつつあり、脱ニートも近そうだ。

 外見だけを見れば20代半ばで絶世の美女であるため、ニート状態が殊更悲惨に見えるウォルバクだが、このまま行けば普通に女神として復帰できるかもしれない。

 

「おかえり」

 

「え? あ、カズマくん、居間にいたんだ」

 

「さっきまでアクアとダクネスも居たんだが、部屋に帰っちまったんだよ」

 

 居間で一人で飲んでいたカズマとむきむきが、互いの存在を認識する。

 そこかしこに酒瓶やツマミの包み紙が転がっている居間は「汚い」の一言であり、真面目な人間ほど"片付けなければ"という焦燥感にかられてしまう。

 カズマは居間のソファにてちびちびと酒をあおっていた。

 

「行きたかった場所には行けたか?」

 

「うん、全部行ってきた。あとは来月の戦いのために準備するだけだね」

 

 むきむきはカズマの横に座る。

 

「最後の戦いを前にすると、色んなことを思い出しちゃうんだ」

 

「あー、俺もだな」

 

 二人の口は自然と開き、言うつもりもなかったようなことが語られて、心が自然と本音の想いを吐き出していく。

 

 出会ってからの日々。

 出会う前の日々。

 楽しかったクエストのことに、辛いと思ったクエストのこと。

 かけがえのない想い出になった一日のことに、忘れられない悪夢のような記憶の一日のこと。

 好きになれた人のことに、嫌いにしかなれなかった人のこと。

 

「巨乳で男から性的な目で見られたいと思ってもないのに胸元開くとかどうなんだろうな」

 

「誰のことを言ってるのかな、カズマくん」

 

 とりとめもない話は続く。

 カズマが"巨乳だから人権認められてるみたいなやついるよな"と言えば、むきむきが"胸の大きさで人を分けて考えるのは駄目でしょ"と言い、"めぐみんのことがあるからとりあえずで貧乳擁護に回ってるだろお前"とカズマが言えば、むきむきが目を逸らした。

 思春期のむきむきに芽生えた『おっぱいを愛する心』の小さな芽を、カズマは見逃さない。

 

「ああもうこの話はここで終わり! 別の話しよう別の話!」

 

 ジャイアントトードを倒した時の想い出を語った。

 キャベツ狩りの時の釈然としない気持ちを打ち明けた。

 ゴブリン狩りの時に思っていたことを言い合った。

 ブルータルアリゲーター狩りの時に食べた弁当の感想を今更に聞かせ合った。

 魔王軍幹部と戦った時、心の中にあった本音も吐露した。

 

「もう二度と戦いたくねえな、としか思わなかったぞ」

 

「あはは、皆強かったもんね」

 

 二人はなんでも話した。

 "この相手に隠し事なんて必要ない"とでも言いたげに、なんでも話した。

 

 子供の頃のこと。

 自分が育った環境のこと。

 父親のこと、母親のこと、幼馴染のこと。

 子供の頃の夢に、子供の頃なりたかったもの、子供の頃の友達との想い出。

 近所に作った秘密基地。

 振り回した自慢の木の枝の形。

 子供だからしてしまったヤンチャと、その結果大人に怒られたという苦い記憶。

 本当に、なんでも話した。

 

「カズマくんって昔からカズマくんって感じだよね……」

 

「うっせ」

 

 それはむきむきにとっては『未知の話』であり、カズマにとっては『友達が忘れてしまったことをもう一度教える過程』でもあった。

 かつてカズマと優也の間にあった想い出の共有は、「ああそんなのあったあった!」と言い合うことができる権利は、もうこの世のどこにもない。

 仕方のないことだ、カズマは心中にて自分に言い聞かせる。

 

 話は次第に、"むきむきの幼少期に里に魔王軍が来た話"から、"魔王軍にまつわる様々な話"へとシフトしていく。

 

「お前が居ると、魔王退治なんて簡単なことに思えてくるから困るんだよなあ」

 

 魔王と戦うなんて危ないことはゴメンだ、と考えるカズマだが、むきむきが居るというだけで不思議な安心感を持ってしまい、"魔王を倒すくらいならいいか"だなんて思ってしまう。

 

「僕もそうだよ。カズマくんが居ると、それがとても簡単なことに思えてくる」

 

 むきむきもまた、カズマがそこに居るというだけで、己に巣食う不安が消えていくのを感じていた。

 

「お前が倒してくれるんじゃないか、とか思うわけだよ」

「カズマくんが倒してくれるから、って自然に思っちゃうんだよね」

 

「だけどお前は俺が居ないとうっかりやられそうなんだよな、とも思う」

「でもカズマくんには僕の力が必要なんだ、とも思う」

 

「俺には多少考える頭がある」

「僕には君に貸せる腕っ節がある」

 

「だけど、器用貧乏な俺には決定的な力が足りない」

「だけど、僕には勝利を掴むための頭脳が足りてない」

 

 もうこの世界は、力だけでは救えない。

 もはやこの世界は、悪知恵だけでは救えない。

 むきむきの分かりやすい優しさに救われる者も、カズマの分かりづらい優しさに救われる者も居るだろう。

 万人に好かれる人も居なければ、万物に負けない人間も居ない。

 けれども、互いの足りない部分を補い合う―――そんな二人が、居たならば。

 

「僕はカズマくんに必要?」

 

 むきむきの問いかけに、カズマは応えない。

 

「俺はお前に必要か?」

 

 カズマの問いかけに、むきむきは応えない。

 

 もはやこの二人の間には、答える必要さえもない。

 

「カズマくんは次の戦いどうするの? 戦う? 逃げる?」

 

 戦うか逃げるか。

 カズマはどちらを選ぶ可能性も持っていた。

 そんな彼の脳裏に、アクアが一瞬だけ見せた『寂しそうな表情』がチラつく。

 

「お前は俺にどうしてほしいんだ? むきむき」

 

 カズマは他力本願で、選択を他人に委ねがちだ。

 そしてむきむきは、カズマがどんな話を振っても、カズマの期待通りの言葉を返してくれる者。

 

「僕が大好きなこの世界を、一緒に守って欲しいって、ずっと思ってる」

 

 カズマが望んだ言葉を、カズマが期待した返答を、むきむきはごく自然に口にした。

 

 

 

「……しょうがねえなあ」

 

 

 

 凡人・佐藤和真が魔王軍と戦うことを、心に決めた瞬間だった。

 

 魔王というのはラスボスだ。

 ラスボスを倒せばエンディング、その後にクリア後の世界を冒険するパートが始まる。

 魔王を倒した後に始まる冒険もある、ということはゲーマーなら誰もが知っている。

 ラスボスもゴールもない楽しいだけのぐだぐだな冒険―――それを日々送れるのなら、それはきっと楽しいに違いない。

 そんな日々の冒険こそが、カズマが本当に望んでいるものである。

 

「酒飲もうぜ酒。今日くらいはいいだろ、別に」

 

「いいのかなあ。僕まだ成人してないのに」

 

「いいから飲め飲め!」

 

 しまいにはむきむきにまで酒を飲ませ始めるカズマ。

 先程までも無礼講で心中を語り合う時間であったが、酒が入ってなけなしの遠慮までもが吹っ飛ぶと、二人の会話はどんどん隠し事のないものになっていく。

 女体ソムリエのごとく女体を語るカズマと、可愛い女の子に手を握られたらもうダメなむきむきが酒に酔って語り合う光景は、控え目に言ってお笑い番組のようですらあった。

 

「よし決めたぞ! 全部終わったらお前を俺の行きつけの風俗店に連れてってやる!」

 

「えええええ!? い、いいよそんなの!」

 

「大丈夫だ! 俺の世界にも

 『風俗で一発抜いて冷静になれば変な女には引っかからない』

 って言葉があるからな! お前はまず一発抜いて冷静に判断できるようになれ!」

 

「二人は変な女じゃないから! 変な女じゃないから!」

 

「いーやあの二人は変だ! お前はいっぺん冷静になるべきだ!」

 

 もうなにがなにやら分からない。

 

「俺、この戦いが終わったら……むきむきをサキュバスの店に連れて行くんだ」

 

「カズマくーん!?」

 

「あ、これダメだな。死亡フラグだ」

 

 飲んで、語って、飲んで、語って……彼らは馬鹿馬鹿しいことに、二人揃って酒に飲まれて眠ってしまった。

 一時間後。

 そこに二階からめぐみんとゆんゆんが降りてくる。

 

「水、水……」

「ふわぁ、なんだか眠れない……」

 

「「 あ 」」

 

 しかも申し合わせたかのように同時に、だ。

 台所に水を飲みに来た二人は、その途中で居間にて眠るおバカな少年二人を見つける。

 カーペットの上に転がる二人は、放っておけば風邪を引いてしまいそうだった。

 

「おや、むきむきが酒に潰されているとは珍しい」

 

「珍しいというか、私は初めて見たわね……

 カズマさんに悪い道に引きずり込まれそうになってる?」

 

「まさか。この二人は互いに影響を与え合いつつも、自分の道には引きずり込めませんよ。

 『絶対に自分のようにはならない仲間』だからこそ、互いにいい影響を与えてるんですから」

 

 ゆんゆんはむきむきを理解していて、めぐみんはむきむきもカズマも理解していた。

 

「それにしても厄介な。私達の腕力ではむきむきを部屋には運べませんよ」

 

「それならその辺に毛布が……あ、あったあった」

 

 ゆんゆんが毛布を持って来て、カズマにまず一枚かけてやり、むきむきにも一枚かけてやり、めぐみんが自然な流れでむきむきと一緒の毛布に入る。

 

「ちょっと何してるの!?」

 

「どこで寝ようが私の勝手です。

 殿方の部屋に忍び込んでるわけじゃあるまいし、別にいいでしょう」

 

「よくな……ああもう! どうせ何言っても聞かないんでしょ! 私もやる!」

 

 いつものようにさらっと攻めるめぐみんがむきむきの右側に、赤面しながらも対抗するゆんゆんがむきむきの左側に入る。

 

 それから更に一時間後。

 酒が抜け、自分が汚くした居間の後始末をしなければと思い立ったダクネスと、ダクネスの部屋で寝ていたアクアが降りてくる。

 そして雑魚寝していた皆を見て、水の女神様は一言呟いた。

 

「大乱交スマッシュ穴兄弟(ブラザーズ)でもやってたのかしら」

 

「おいアクア」

 

 アクアは欠伸混じりに居間に踏み込んで、カズマの横にごろりと寝転がる。

 馬小屋でずっとカズマと並んで寝ていたのだ。アクアもカズマの横ならば気にならない。むしろ彼の横で寝ることに、懐かしささえ感じているだろう。

 

「ふわぁ……私眠いから、もうここでいいや」

 

「お、おい! アクア!」

 

 皆寝ている。

 見ている者は誰も居ない。

 なのにダクネスは、誰に聞かせるわけでもない言い訳を呟いて、アクアの反対側のカズマの横に潜り込んで行った。

 

「……皆で一緒に寝てるだけだからセーフ」

 

 そして寝る。

 これでもかと寝る。

 カーペットの上で、不思議な安心感に包まれながら、六人はぐっすりと寝る。

 

 彼らは翌朝訪問してきたミツルギが起こしてくれるまで、六人一緒にずっとぐっすり眠っていたそうな。

 

 

 

 かくして、時は流れる。

 

 各々が心と武器の準備を終え―――最終決戦の火蓋が切られる、その日がやって来た。

 

 

 




 事実上の決戦前夜

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