「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者!」   作:ルシエド

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このエピソードで四章は終わり、次から最終章に入ります


4-4-1 泥にまみれた彼が見た星

 『魔術師殺し』。

 全ての魔法を無効化する、魔道技術大国ノイズで作られた対魔王軍兵器。

 バッテリーの問題で既に稼働しない状態になっているものの、当時の時代にあの紅魔族が『我々の天敵』と評した程の恐るべき兵器だ。

 

 今は紅魔の里の地下格納庫に収められ、『世界を滅ぼしかねない兵器』を始めとするノイズの遺産と一緒に、紅魔族の手で封印されている。

 その封印はノイズ滅亡の際に失われたと言われる解除方法でしか解けないと言われ、地下格納庫に部外者が近寄ろうとすれば紅魔族がそれを止めるという。

 

 魔術師殺しの一部がピンクの手に渡っていたということは、紅魔族の地下格納庫にまで魔王軍の手が及んだということ。

 最低でもそのレベルで紅魔の里の中核が脅かされているということだ。

 里の中枢まで攻め入られているか、いつでも暗殺できるレベルで里に侵入されているか。

 ありえないが"もはや紅魔の里は存在しない"という可能性もある。

 

「出来る限り早く行くべきだと私は思う。

 ゆんゆんのテレポートがあるのだ、行くだけならすぐだろう」

 

 ダクネスがそう言うと、対面のカズマ・ウォルバク・アクアが思い思いに返答を返してきた。

 

「え、やだよ行きたくねえよ」

 

「何言ってるの、彼らの故郷は私達でちゃんと守ってあげないと……うっ、怠惰の波が」

 

「私もパス! この麗しき水の女神アクア様は魔王軍にずっと狙われてるのよ!」

 

「このダメ人間集団が!」

 

 仲間の故郷が滅ぼされるかもしれないというこの時に、何故こんなにもこの面子はやる気を出してくれないのだろうか。

 

「むきむきは故郷を守りたがっている。

 故郷に家族が居るゆんゆんもそうだ。

 めぐみんは故郷をそもそも心配していないが、この二人が行くなら行くだろう。

 お前達が嫌がることは予測していたが、だからといってお前達は仲間を見捨てられるのか?」

 

「三人が行くの止めるって手もあるぞ」

 

「それはそうかもしれないが、しかしだな……」

 

「むきむきは帰りたがってるけどさ、あいつ里でロクな扱いされてなかったんだろ?

 ゆんゆんからもめぐみんからも聞いたことあるぞ。助けに行く必要とかあるのか?」

 

「それはむきむきの心の問題だろう。

 奴にとって紅魔族とは嫌いな相手ではない。

 むしろ好きだから、その輪の中に入れて貰いたいのではないか」

 

「……」

 

「紅魔の里にもしものことがあれば、むきむきはその輪の中に入る機会を永久に失うんだ」

 

 ダクネスの視野は広い。カズマのような常識外れな結論を出すことはできず、アクアやウォルバクのように神の視点を持つわけでもないが、人間の範疇で常識的に広い。

 彼女は仲間のことをよく分かってくれている。

 カズマは頬杖付いて口を開いた。

 

「ぶっちゃけるとうちの紅魔族三人が里帰りすればそれだけで即ゲームセットだと思うんだが」

 

「ぶっちゃけるわね……」

 

「めぐみんの爆裂魔法で吹き飛ばせない敵とかもう居ないだろ、ワンパンだよワンパン」

 

「……まあ、元幹部として否定はしないわ。

 今のめぐみんちゃんの爆裂魔法なら、魔王でも一発で消し飛ぶわよ」

 

「……ええぇ……」

 

 対軍兵器めぐみんは、むきむきが贈ったコロナタイトの杖で超強化されている。

 彼女が放つ爆裂魔法の威力たるや、ウォルバクが女神のスペックを総動員して放つ爆裂魔法を様々な点で凌駕してしまうほどだ。

 当てるまでが大変だろうが、当てられれば魔王だろうと女神だろうと一撃必殺。

 紅魔の里を襲っている誰かとやらも、余程のことがなければ一撃で吹き飛ばせるだろう。

 むきむきが居る以上、それを当てることも難しくはない。

 

 ならば不確定要素は、里近辺に居るであろう敵が誰か、ということだけだ。

 

「ウォルバク殿。

 私は魔王軍にそこまで詳しくないが、貴女はそうではないはずだ。

 紅魔の里を危機に陥れられるほどの魔王軍であれば、誰か分かるのではないか?」

 

「そうね、私が魔王城を出た時点での役割分担は……

 ベルゼルグ主戦力対応担当が魔王の娘。

 魔王城の最後の砦、兼魔王城戦力掌握担当が預言者。

 セレスディナが各街への工作。

 シルビアが……紅魔の里とアルカンレティア、どっち担当だったかしら?

 まあいいわ。それとレッドはまた魔王から直接密命を受けてたわね」

 

「密命?」

 

「レッドはなんだかんだ魔王と仲が良いのよ。

 直接の上司はセレスディナだけど、魔王が指示を出してる時もあったわ。

 だから今は幹部の誰かと行動してるか、どこかで秘密裏に動いてるかどちらかでしょう」

 

 魔王軍の内情を喋ってくれるウォルバクは、カズマにとってもありがたい味方だ。

 最近は怠惰化で"微妙に頼りにならなそうな人"というイメージが定着しつつあったが、こうして貢献することでちょっとづつイメージを回復させている。

 

「しかしこうして魔王軍の内情喋ってもらえるのは素直にありがたいな」

 

「今の私はウィズと立場が変わらない中立だもの。女神としてはどうかと思うけど……」

 

「俺は魔王の娘と預言者って奴のこと全く知らないんだが、どのくらい強いんだ?」

 

「魔王より強いわよ」

 

「は?」

 

「魔王より強い」

 

 魔王軍には、魔王よりも強く魔王を絶対に裏切らない、それでいてベルゼルグ王族と転生者の軍団とやりあっても負けない規格外の駒が二つある。

 将棋で言うところの、王の左右に配置される二枚の金。

 それが魔王の娘と預言者だ。

 

「というか、私の目算だとバニル・ウィズ・娘・預言者は確実に魔王より強いわよ」

 

「どうなってんだ魔王軍……幹部の半分が魔王より強いって……」

 

「魔王も寄る年波には勝てないのよ。

 神や悪魔のように歳を取らない種族でもなければ、単体で最強というわけでもないから。

 軍将としての能力でなら、明確に上と言えるのは娘とバニルだけになるでしょうけどね」

 

 話が盛り上がり始めたが、今話すべき内容はこれではない。

 

「話を戻しましょうか。

 ぶっちゃけた話、シルビアとセレスディナに一人で紅魔の里を落とす力はないわ」

 

「ぶっちゃけた!」

 

「だからレッドの支援か、でなければ小細工があると思うのよ。

 紅魔族に対して、これまでになかったような斬新な手段を用いたはず」

 

「斬新な手段、ねえ」

 

「シルビア……あの男は性根が弱者だから、そういう手段を躊躇わない男だったわね」

 

 ほうほう、と頷きかけたカズマ達が『男』という部分を聞いてピタリと止まる。

 ウォルバクは話を戻そうとしたが、戻そうとした話が一気に脇に逸れていった。

 

「え、男?」

 

「男よ? シルビアは美人のエルフやヴァンパイアを吸収して姿を変えた男なの」

 

「「「 うわあ…… 」」」

 

「そういえばベルディアが私に

 『魔王軍幹部は巨乳ばかりで嬉しい限りだ!』

 『男まで巨乳なくらいだからな!』

 『……正直どうなんだと思わんでもない』

 とか言ってセクハラ発言してきたから、一発蹴り入れてやった覚えがあるわ」

 

「魔王軍はレベル高えなあおい……」

 

 色んな意味でレベルが高い。

 

「だから気を付けて。

 捕まったが最後、最悪むきむきは前も後ろも蹂躙されるわ。

 シルビアは男好きで、彼に執着してる上、ベッドテクにおいては魔王軍最強とも―――」

 

「やめろ! 想像させるんじゃない!」

 

 ホモの因果はまだ続いている様子。

 

「セレスディナならもっと話は簡単ね。彼女の能力、傀儡で紅魔族を操ったのよ」

 

「傀儡か……前提知識がないと抵抗もできないエグい能力なんだよな……

 おいアクア、お前そういうことできないのか?

 そういう便利な能力貰えるなら、俺もお前の信仰者になってやってもいいんだけど」

 

「私の信徒になるなら水に関する能力ゲット、芸も上手くなるわよ!」

 

「……それだけのメリットでお前の信徒になるのはなんか嫌だな」

 

「!? あ、アンデッドが寄ってくるようにもなるらしいわ!」

 

「ただのデメリットじゃねえか!」

 

 現状、カズマが信仰してもいいなと思える女神はエリスくらいしか居なかった。

 掴みかかってくるアクアをカズマが手で制していると、部屋の扉がノックされ、あるえが部屋に入って来る。

 

「失礼するよ。私達は明日紅魔の里に向かうことに決めたのだけれど、そちらは結論出たかな?」

 

「もう出たようなものだけど、もう少し時間を頂戴」

 

「ふむ。了解した」

 

 部屋に入ってきたあるえの、服の上からでも見える胸の揺れをカズマは見逃さなかった。

 椅子に座る時も揺れる。あるえと話しているダクネスとウォルバクも室内用の薄着を着ていたため、自然と彼女らの胸の方へとカズマの視線は向かってしまう。

 このままではいかん、と思ったカズマは、アクアを見ることで興奮しそうになった自分の性欲を強制的に萎えさせた。

 

 現在、この部屋の中の巨乳率は100%。貧乳の人権が許されない空間だった。

 

(巨乳率高くなったなうちの屋敷……というか貧乳がめぐみん姉妹しか居ねえな……)

 

 ただそこに居るだけでムラっとしてしまいそうな異空間。

 "もしやめぐみん達が貧乳遺伝子を持っている異常個体なだけなのでは?"という思考さえ、カズマの脳内に生まれ始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、ゆんゆんの部屋では。

 

「わああああああああああっ!!」

 

 ゆんゆんがうつ伏せになって枕に顔を埋め、ベッドの上で足をぱたぱたさせていた。

 

「なんで私あんなことしちゃったの!? 勢い……勢いで!? んあああああっ!!」

 

 クリスに相談して背中を押されたゆんゆんは、めぐみんからリードを奪うがために自分の中の衝動と思いつきに従った。

 冷静な状態の彼女だったなら、あんなことはできなかっただろう。

 よくも悪くもノリと勢いで突っ走った形だ。

 

 が、顔を真っ赤にしてむきむきにキスをした甲斐はあったと言える。

 記憶の中の、キスをした時の少年の真っ赤な顔が、見たこともない表情が、パクパク動くも何も言えない口の動きが、少女の頭の中をぐるぐる回る。

 可愛い、と少女は思った。

 私のこと意識してくれたかな、と少女は微笑んだ。

 

 ベッドに仰向けに寝て、ゆんゆんは天井に向けて枕を投げる。

 投げた枕は落ちてくるので、ぽふんと胸に落ちて来た枕をまた投げ上げて、その繰り返し。

 彼としたキスのことを思い出すだけで、なんとなくじっとしていられない気持ちになるのだ。

 

「……キスとかするのは、恋人が出来て、二回くらいデートした後だと思ってたんだけどな」

 

 ゆんゆんは恋愛というものに乙女的な理想像を持っている少女だ。

 彼女が思う理想的な恋愛の流れというものは、少女漫画の中にありそうなものばかり。

 誰かを好きになって、その人と自然に好き合うようになって、気持ちが通じ合うようになって告白して、デートで手を繋いで、やがてある日のデートの終わりに初めてのキスをする……というのが、ゆんゆんが夢見ていた恋愛の形だ。

 

 彼女の理想の男性像は、『物静かで大人しい感じで、私がその日にあった出来事を話すのを、傍で、うんうんって聞いてくれる、優しい人』。

 そういう男性と、上記のような恋愛を経て結ばれるのが理想中の理想であったが、彼女のファーストキスはそういう形では使われなかった。

 それどころか、結ばれてもいない男性に対してするという予想外の形で使われたのだ。

 理想から大きく外れた形になったが、何故かゆんゆんは不満も感じてさえいなかった。

 

「恥ずかしいけど、不思議。後悔はしてないんだな、私……」

 

 恥ずかしさで顔が火照る。

 なのに、"しなければよかった"とは思わない。

 "してよかった"としか思えない。

 ただキスをしただけなのに、"嬉しい"という気持ちで胸の中がいっぱいになっていく。

 

「ふふふ」

 

 少女の指が唇をなぞる。

 キスをした時の感触が、暖かさが、唇に蘇っていく。

 たまらず、少女は奇声を上げてベッドの上を転がり始めた。

 

「きゃー!」

 

 真っ赤な顔で枕を抱きしめ、ゴロゴロとベッドの上を転がる少女。

 ここにめぐみんが居れば「アホ面晒してる」「色ボケ」「バカみたいなことしてる」と散々な評価を容赦なくしただろうが、いい年した大人が居れば生暖かい反応をしたことだろう。

 後者の場合、ゆんゆんは憤死するかもしれないが。

 

(思い出すだけでドキドキして、ウキウキして、じっとしていられなくなっちゃう)

 

 投げ上げた枕がくるりと回って、少女の顔の上に落ちて来る。

 その枕を――真っ赤な顔を隠すように――顔に押し付け、少女はぼうっと言葉を紡いだ。

 

「あー……私、本当にどうしようもないくらい、好きなんだなあ……」

 

 赤裸々な青春であった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、めぐみんの部屋では。

 

「くああああああおのれゆんゆんめ!」

 

 めぐみんがうつ伏せになって枕に顔を埋め、掌でベッドの端をばたばたと叩いていた。

 

「ファーストキスぅ……」

 

 その動きが、ピタリと止まった。

 

「互いのファーストキス交換とか……そりゃもう憧れですよ……」

 

 自分の初恋がその人で、その人の初恋が自分。

 自分のファーストキスの相手がその人で、相手のファーストキスが自分。

 互いが互いの初めてで、互いが一番の特別になる。

 そういうものに憧れる気持ちは、めぐみんの中にも確かにあった。

 彼女もまた、少女なのだから。

 

「お互い初めてとか、憧れるじゃないですか……」

 

 初めてとは一回限りだから初めてなのだ。

 ファーストキスは人生に一回しか使えない恋の魔法のようなもの。

 ゆんゆんに取られてしまった時点で、それはもうめぐみんのものにはならない。

 ならめぐみんも同じように彼にキスすればいい、と考える者もいるかもしれないが、もはやこうなった時点でそれは『後追い』にしかなれない。

 

「二番目……二番目なんですよね……はぁ……」

 

 後追いで手に入るのは二回目以降のキスだけだ。

 ゆんゆんがあの時勇気と暴走と勢いで勝ち取ったものは、めぐみんにはもう手に入らないものであり、ゆんゆんに強力な後押しを与えるものだった。

 めぐみんの動きが止まり、大きな溜め息が吐かれて、少女はガバッと顔を上げた。

 

 カチッ、と少女の意識が切り替わる。

 

「いや、ここからですよ。勝負はここからです」

 

 一番目のキスは取り戻せなくても、一番愛されている人にはなれる。

 そう、ここからだ。

 ゆんゆんはめぐみんが持っていた恋愛的リードによる差を埋めただけで、まだ勝ったというわけではない。勝敗はまだ決していない。

 

 むきむきとゆんゆんの関係は変わっただろうが、『関係の名前』は変わっていないのだ。

 二人の少女は、未だ少年の『友人』でしかない。

 友達以上恋人未満なんてものは、言ってしまえば全部友達なのだ。

 関係の名前が『恋人』になるまでは、誰も勝ってはいない。負けてもいない。

 勝負はここから。ここから頑張らなければならないのだ。

 

「私は彼のもので、彼は私のもの! そういう風にしてみせます!」

 

 ゆんゆんも初恋なら、めぐみんも初恋だ。

 『この恋だけは負けられない』と、二人共強く決意している。

 本気の本気でぶつかり合う二人は、まごうことなくライバルだった。

 

「終わりよければすべてよし!

 ライバルが居ても勝てばよし!

 最終的に私の横に居てくれるなら、その過程の困難全てがただの試練となるはずです!」

 

 赤裸々な青春であった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、むきむきの部屋では。

 

「ぬあああああっ!!」

 

 むきむきが自分の額に拳を打ち付けていた。

 小さな衝撃波が発生し、余波だけで椅子が倒れる。当然額は無傷であった。

 額がジリジリと痛むが、今の彼はそれどころではない。

 

「や……ヤバい! ゆんゆんのことしか考えてない!」

 

 今のむきむきの年齢は中学生男子のそれに相当する。

 女の子に手を握られただけで惚れ、微笑まれただけで「おっとどうやら俺のことを好きになってしまったようだな」と勘違いするような年頃だ。

 可愛い女の子からキスなどされればこうもなる。

 今の彼は四六時中ゆんゆんのことしか考えていなかった。

 

「唇がやわらかかっ……何思い出してんの僕は!?」

 

 脳内のもやもやを蹴飛ばそうとするかのように、少年の膝蹴りが額へと突き刺さる。

 むきむきの心中における"異性として意識されてる女性ランキング"では、現在ゆんゆんがぶっちぎりの一位であった。

 異性に感じるドキドキや、異性として意識する感情は、そのままその人物への好感度へと転換することもあるものだ。

 

 そういう点を考慮すれば、彼の中のゆんゆんとめぐみんを左右に置いた両天秤は今、限りなくつり合った状態でグラグラと揺れていると言えるだろう。

 ゲーム的な表現をすれば、むきむきというヒロインに二人のギャルゲー主人公が迫り、好感度をカンストさせた上で、一枚絵付きイベントをガンガン起こしているようなものだ。

 

「今改めて考えてみても、今の自分が誰が一番好きとか分からない……ま、マズい!」

 

 真面目な彼にとって、現状の自分は嫌悪対象だ。

 彼は恋愛感情が一途であるべきだと考えているし、恋愛とは自分の人生を一人の愛した人のために使い切ることだと考えている。

 ピンクが察した誠実の資質は、こういったところにも見られていた。

 

 それなのに『君が今一番好きな女性は誰?』と問われても答えられない、この現状の心情。

 死にたくなるくらいの自己嫌悪が、これでもかと彼を苛んでいる。

 平均的な人間はガムを路上に吐き捨てても何とも思わずすぐ忘れるが、真面目な人間は一度出来心でポイ捨てしたコンビニのレシートのことを一生忘れない。

 これは、そういうものなのだ。

 

「僕のことを誠実とか言ってくれたグリーンさんに対する裏切りみたいなもんじゃないか……」

 

 ポックリ逝ってしまった彼らは、今頃輪廻の輪に乗って転生待ちをしている頃だろうか。

 彼らの霊がここに居たら「君はそのままでいいんだよ」「童貞こじらせてるな君」「河原でエロ本でも拾って耐性つけろ」とかなんとか言ったかもしれない。

 死人に口無しとも言うので、実際何を言うかは定かではないが。

 

「……ま、まず自己分析しよう」

 

 自分自身とちゃんと向き合えば答えは出るはずだと、少年は自分に言い聞かせる。

 

「めぐみんは凄い人だ。

 僕に最初に出会った日から道標になってくれて、その後も何度も導いてくれた。

 どんなことがあっても僕を嫌わないって、そう言ってくれた。

 爆裂魔法は最強で、僕はその強さをいつだって信じてる。

 抱き上げると体は小さくて、華奢で、僕が体を張って守らないとって思えて……」

 

 万の言葉を費やしても、きっとその気持ちを語るには足りない。

 

「ゆんゆんは優しい人だ。

 僕の最初の友達で、僕の世界に光明をくれた。

 泣いていた時に僕の頑張りを認めてくれて、優しく抱きしめてくれた。

 僕が知る限り最も優秀な魔法使いで、何度背中を預けたかも覚えてない。

 抱きかかえると柔らかくて、脆く思えて、僕が体を張って守らないとって思えて……」

 

 万の言葉を費やしても、きっとその気持ちを語るには足りない。

 

「さあ、僕はどっちの方が好きなんだ」

 

 考えてみる。天秤にかけてみる。思い出されるゆんゆんのキス。少年の顔が赤くなり、考えていた内容が吹っ飛ぶ。思考の海に潜ろうとする度、キスの記憶が彼の意識を引き上げてしまう。

 可愛い女の子にキスされたせいで思考に集中しきれてない、とも言う。

 

「……」

 

 答えが出るのか出ないのかも怪しい段階でゆんゆんのキスが頭の中をチラついて、考えても考えても無為に終わる。

 以前に望まずしてゆんゆんの胸を揉んで大うろたえしたことがあったが、今揉んでしまったらどうなるのだろうか。

 ベッドブローからのベッドレクイエムまで行ってしまうのだろうか。

 いや、貞操観念がしっかりしているこの二人にそれは流石にないだろう。

 

「……大丈夫、大丈夫。よく考えれば大丈夫なはず」

 

 この少年が今盛大に積み重ねている失敗は、恋愛という感情的な問題を、理性的に考えて判断しようとしていることだった。

 

「どっちも選ばないなんてのはただの選択の放棄だ。自分を楽にしたいだけだ」

 

 ただ、その思考も無意味というわけではない。

 最終的に答えに辿り着けるのであれば、その過程の苦悩には全て意味がある。

 

「迷うことも、考えることもやめちゃいけない。

 苦しくてもあの二人と、そして自分とちゃんと向き合って、考えた上での答えを出すんだ」

 

 答えを探して進んで行く意志は、苦悩の果ての結末を少しでも良い物にしてくれることもある。

 

「まずは僕があの二人を好きな所を全部書き上げてみよう。

 あと、あの二人にしてもらって嬉しかったこと。

 あの二人との想い出で良かったと思えたこと。

 全部書き上げてみるんだ。文章に書き出してみれば、客観的に自分を見れるはず!」

 

 むきむきは紙とペンを用意し、机に向かって紙に二人のことを書き出し始めた。

 ペンは止まらない。どれだけ文字を書いても止まらない。

 ここで頑張れば答えが出るはずだと思った少年は、俄然気合いを入れて書きに書く。

 

「僕があの二人のどっちが好きか、ハッキリさせなきゃならないんだ!」

 

 頑張りました。

 

 ダメでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 あるえにこめっこ、こめっこに召喚されたホースト。

 上記三人と一緒に里帰りする紅魔族三人。

 そしてなんだかんだ同行することを決めたカズマ、アクア、ダクネスの三人。

 以上のメンバーが、屋敷を出立しようとしていた。

 ウォルバクとちょむすけはお留守番である。

 

「……よ、よし」

 

 ゆんゆんは横目に時々こっそりとむきむきを見ている。

 本人は気付かれないように見ているつもりなのだろうが、頻繁に見すぎなせいで周囲にはバレバレで、時たま何かを思い出して顔を赤くしていた。

 

「よし、急いで戻って里に何があったか確認して、できることをしよう!」

 

 むきむきは色んなことをあんまり考えないようにして振る舞っていた。

 里で戦闘が起こるなら、余計な思考は邪魔にしかならない。頭の中に何かが浮かびそうになったなら、そのたびにすぐ思考を切り替えて行く思考ルーチンを定着させていく。

 『恋愛問題』という重大案件に取り掛かるのは、里の危機を終わらせてからだ。

 里の危機が二の次になりかけているようにも見えるが、本人がそれでいいのならいいのかもしれない。

 

「……むきむき、喉乾いてますか?」

 

 めぐみんは、いつも通りの彼女のように振る舞っていた。

 異性に告白したことに内心ドキドキしていても、表面上はすました顔で振る舞えるのがめぐみんという少女である。

 告白の翌日でも、高い知性がポーカーフェイスと振る舞いをいつも通りに維持させる。

 そんなだから、彼女に好かれた異性は大抵やきもきさせられるのだ。

 

「あ、うん、よく分かったね」

 

「むきむきは分かりやすいですし、心の動きなんて見てれば分かります。はいどうぞ、水ですよ」

 

「ありがと」

 

 市販の旅行用使い捨て水筒――地球で言えばペットボトルにあたる――をめぐみんが投げ渡し、少年が受け取って、年相応の笑みを浮かべて水筒に口をつける。

 

「あ、すみません。それさっき私が飲んだやつでした」

 

「ぶふぉぁっ」

 

「!?」

 

「こっちが新品です、どうぞ。それにしても……これ、間接キスですね」

 

「―――!?」

 

 そしてさらっとそんなことを言うめぐみんに、むきむきは盛大に水を吹き出し、ゆんゆんは己が人生最大最強のライバルの強さを再認識していた。

 

「めぐみーんっ!」

 

「お? お? やりますか?」

 

 涙目のゆんゆんを前にして、めぐみんはしゅっしゅっとシャドーボクシングの如く拳を空打ちさせている。

 

「むむっ、私のゴッドセンサーがラブコメの波動を感じてるわ」

 

「おうアクア、それはまた適当言ってるんだよな?

 それともまた忘れてた技能でも思い出したのか? 前者であってくれよ」

 

「カズマ、私は痛みならなんでもバッチコイだが、こういう胃痛は勘弁なのだが……」

 

「うるせー! 恋愛脳のラブティーナも丸投げせずになんか考えろ!」

 

「ラブ……!?」

 

 おそらく今この場で一番お気楽で何も考えていないのは、アクアである。

 

「俺様が認めた男が情けない姿晒してやがる。けっ、失望したぜ」

 

「ホースト、つんでれー」

 

「誰がツンデレだこのロリが!」

 

「生活が落ち着いたらラブコメ小説でも書こうかなー」

 

 出立待ちのこめっこ、ホースト、あるえに至っては、『まあかの紅魔族むきむきさんなら程よい着地点見つけますよ』みたいな顔で何の危機感も抱いていない様子だった。

 カズマはアクアほどお気楽に考えてもいないが、ダクネスほど深刻に考えすぎることもなく、的確な塩梅でこの状況のデメリットを認識していた。

 

(あかんわこれ)

 

 どうにかしないとな、とカズマがちょっと考え始めたその時。

 むきむきがカズマの服の裾を引き、か細い声で訴えた。

 

「たすけて」

 

「俺は! お前がそこまで絞り出すような声で助けを求めたのを! 今初めて聞いたぞ!」

 

 カズマは能力的・人格的に問題がある人間の手綱を握るのは上手い。

 が、PT内で諍いが起きた場合にその仲裁をするのが上手いかと言えば、そうでもない。

 当然他人の恋愛の仲立ちができる恋愛上手でもない。

 が、追い詰められた時の発想力と、窮地で頼られた時に発揮する爆発力だけは、誰にも負けないものがあった。

 

「アクアぁ! 芸達者になる魔法よこせ! 言いくるめてやる!」

 

「そこでどうにかしてやろうと考えちゃうからカズマなのよねえ……

 『ヴァーサタイル・エンターテイナー』! 魔力マシマシバージョン!」

 

 困った時のカズマさん。

 どうにかしてしまえるのが、カズマさんであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先程の一幕は恋愛的修羅場に見えたが、根本の部分でめぐみんとゆんゆんの仲が良かったため、その実そこまで修羅場というわけでもなかったようだ。

 一見危ういバランスのようで、実際には絶妙に安定したバランスを保ち、一行は紅魔の里へと移動する。

 紅魔の里へ到着した彼らが見たものは、人っ子一人見えない上に原型を保っている建物が一つも見えないほどに破壊され尽くした、"紅魔の里だったものの残骸"だった。

 

「……んなっ」

 

「酷いな、これは……」

 

 里に来たことがないカズマ達でさえ、ひと目で理解してしまった。

 これは、既に手遅れだと。

 里に家族を残してきためぐみん、ゆんゆん、こめっこ、あるえの衝撃は殊更に大きく、仲間外れにされていたむきむきも――ぶっころりー達のことを思い出し――大きな衝撃を受ける。

 それでもむきむきが呆けず、周囲への警戒を怠っていなかったのは、彼が里の外での冒険で成長した証明であると言えるだろう。

 

「……ゆんゆん、皆の姿消して」

 

「え? あ、うん、分かったわ」

 

「皆声を出さないで、出来る限り音も出さないように」

 

「『ライト・オブ・リフレクション』」

 

 むきむきが意味もなくそういうことを言う性格でないことは、皆知っている。

 異論や質問が挟まれることはなく、ゆんゆんの光の屈折魔法がその場の皆を包み込んだ。

 カズマは無言でむきむきの腹を手の甲で叩き、目と目を合わせて無言で意思疎通する。

 

(何か居るのか?)

 

(居る)

 

 やがて、むきむき達が姿を消した後のその場所に、人ならざる者の警邏がやって来た。

 

(魔王軍……)

 

 破壊された紅魔の里。

 姿が見当たらない紅魔族。

 徘徊する魔王軍。

 ここまでくれば、誰でも何があったか察せようというものだ。

 

(付いて来て)

 

 頑丈で土地勘のあるむきむきが皆を先導し、ホーストが中程の位置、ダクネスが最後尾を固めて静かに彼らは移動する。

 むきむきが彼らを誘導した場所は、里の北東に位置する魔神の丘と呼ばれる場所だった。

 

「ここまでくれば大丈夫。生き残りの人が居たなら、こっちに逃げ込んでるはずだよ」

 

「ここは?」

 

「ここは魔神の丘。

 ここで告白して結ばれた恋人は、魔神の呪いで永遠に別れることができないんだって。

 紅魔族や観光客に人気のロマンチックな観光スポットで、いざという時の避難地なんだ」

 

「どこがロマンチックだ! ヤンデレチックも大概にしろ!」

 

 目敏いカズマは、めぐみんとゆんゆんが一瞬チラッと視線を動かしたのを見逃さなかった。

 むきむき以外の紅魔族は基本的に頭が良い。

 事態が進めば高い知性ですぐ思考を切り替えるため、戦いの最中に好いた惚れたで仲間同士足を引っ張り合う可能性もない。

 そういう点を考慮すれば、今はとても安定していると言えた。

 

 里を出た時の少女二人は、この丘を観光名所程度にしか思っていなかったに違いない。

 だが、今はどうだろうか。

 今のめぐみんとゆんゆんに、この丘はどう見えているのだろうか。

 彼女らの思考内容は、カズマやむきむきにはきっと予想もできないものだった。

 

 魔神の丘周辺を探ろうとした彼らの前に、その時紅魔族の生き残りが現れる。

 

「むきむき! お前、帰って来てたのか!」

 

「ぶっころりーさん! 無事だったんですか!」

 

 彼らは魔神の丘の更に北東、山に生える木々の合間に身を隠していたようだった。

 

 

 

 

 

 木々の合間で、むきむき達は故郷の仲間達と再会する。

 そして、絶句した。

 幼い子供や老人を数に数えても―――20人も、残っていない。

 人数だけで言えば、めぐみんの学生時代の女子クラスの人数と大差ない。

 ほぼ全滅に近い惨状だった。

 

「残っているのは、この人達だけ、ですか……?」

 

「これだけだ。後は全員シルビアに吸収された」

 

「シルビアに!?」

 

「ああ。里をこんなにしたのは、魔王軍幹部シルビアだよ」

 

 状況は、むきむき達の想定よりも遥かに最悪である様子。

 ぶっころりーやそけっとのように、生き残っている若者も居た。

 

「ぶっころりーさん、そけっとさん、お二人が無事でよかったです……」

 

「遅れたけど、お帰り。俺は正直むきむきが帰って来てくれて心強いと思ってるよ」

 

「お帰りなさい。ゆっくり話したいところだけど……今は、そうもいかないわね」

 

 めぐみんの両親のように、生き残っている大人も居た。

 

「お父さん! お母さん!」

「姉ちゃんとこめっこが帰ったよー!」

 

「めぐみん! ここまで来て無事だったのね!」

「よくぞ帰った娘達よ! だが全体的に成長はしてないな!」

 

「いくら父親でもそこに触れるなら私許しませんよ!」

 

 だが、ここに居ない大人や若者の方が圧倒的に多く、ゆんゆんとあるえの家族の姿も見当たらない。

 

「あの……私のお父さんとお母さんは……?」

 

「ゆんゆんの両親もそうだが、私の両親も見当たらないね」

 

「ゆんゆん、あるえ……二人の両親は、シルビアに……」

 

「そんなっ……!」

 

「……だろうね。そうだろうとは思った」

 

 ゆんゆんにとって救いだったのは、奇妙な縁で結ばれた友達二人が残っていたことくらいか。

 

「ふにふらさん! どどんこさん!」

 

「や、久しぶり」

「あんたも随分な時に帰って来るもんだね、ゆんゆん」

 

 里の皆を守るために族長さえもがやられたこの窮状で、めぐみんの両親は不安を顔に出すこともなく、むきむきの帰りを家族のように暖かく迎えてくれていた。

 

「よく帰って来たな、むきむき。お前は……目に見えて大きくなったなあ……」

 

「おかえりなさい。私の娘達の面倒を見てくれてありがとう。元気そうで安心したわ」

 

「……ただいま帰りました。ひょいざぶろーさん、ゆいゆいさん」

 

 いい光景だな、とカズマは思うが、一部の紅魔族を除いた紅魔族が、ゆんゆんやむきむきに妙な視線を向けているのが気になった。

 変なもの、余所者、そういうものを見るような目。

 田舎の学校に都会からの転校生がやって来たらこういう目を向けられるんだろうか、とカズマが思うような視線。

 変人のゆんゆんと才無しのむきむきが里でどういう扱いだったか、カズマにもなんとなく分かるような気がした。

 

 周りを見ているカズマの横で、むきむきはぶっころりーに単刀直入に疑問を投げつけた。

 

「あの、ぶっころりーさん。何があったんですか?」

 

「……」

 

「魔王が来てもやられないのが紅魔族だと、僕は思ってました。

 そもそも紅魔の里がこんな風になってることが信じられないです」

 

「だよなぁ。俺もそんな風に思ってたよ」

 

「敵は……シルビアは、何をしたんですか?」

 

 そう、こんなにも簡単に紅魔の里が落ちるわけがないのだ。

 紅魔の里は魔王軍が最重要攻略目標として設定したほどの場所。今まで魔王軍が全力で攻め続けていたにもかかわらず、その侵攻の全てを跳ね返して来たほどの魔境である。

 王都を落とせる戦力を投入しても、この里を落とせるかは怪しい。

 

「ジャイアント・アースウォーム、知ってるよな?」

 

「太さ1m以上、体長5m以上、けれども体が大きいだけのミミズモンスターですよね?

 雑魚モンスターの部類に入る、一般人を捕食するモンスター。それがどうかしましたか?」

 

「奴らはそいつを手懐けて地中に、遠方から地下格納庫への道を作ったんだ」

 

「!」

 

「そして何ヶ月・何年かけたかは分からないが、地下格納庫の外壁を破壊して、そこに侵入した」

 

 『モンスターを手懐けて』という部分を聞いた瞬間、むきむきにはシルビアに協力しているであろう魔王軍が誰か、ある程度想像がついていた。

 

「それで取られてしまったんだ。『魔術師殺し』を」

 

「やはり、魔術師殺しは取られてしまっていたんですね」

 

「後は分かるだろ? 魔法が完全無効なら時間はシルビアに味方する。

 抵抗してた紅魔族の皆も、シルビアの策略と魔法無効能力にやられ、皆取り込まれていった」

 

 シルビアはなんでも取り込み、自分の一部としてその力を行使することができる。

 人間を取り込み自分の力とすることも、美しい生物を取り込んで自分の姿を変えることも、戦車や戦闘機を取り込んで融合することさえできる。

 転生者を取り込めば特典を使うこともあるだろう。

 吸収進化の特性を持つシルビアに、力の上限値は存在しない。

 

「吸収……」

 

「俺達も皆を助けようとは思ってるんだが、難しいんだ。

 昔からテレポート事故での合体ってのはあったから、研究自体はあったんだけどね。

 シルビアが吸収した人達を分離させるには、研究で導き出した理論だけじゃどうにも足りない」

 

「理論ってその手に持っている紙に書いてあるやつですか?」

 

「ん? そうそう、これのこと。

 せめてシルビアを生け捕りにして実験材料に出来れば違うんだけど……」

 

 魔法無効化能力と吸収能力持ちで、紅魔族の大半を取り込んだシルビアを生け捕れとは、ぶっころりーも無茶を言う。

 だが、無茶を言っている自覚は彼にもあるのだろう。

 彼も「シルビアを生け捕りにしてくれ」とは言わないし、仲間を助けようとして被害が拡大するくらいなら、すっぱり諦めてシルビアごと倒すべきだとも考えている。

 ただ、ぶっころりーは基本ニートなのでそういう内心を周囲には語らない。

 仲間殺しを割り切るにもちょっと迷っていたりする。

 彼も中々のニート気質なのだ。

 

「今はシルビアは動いてないみたいですが、どこにいるんでしょう」

 

「分からない。ただ、眠っているんじゃないかと俺は思ってる」

 

「眠ってる……?」

 

「シルビアは睡眠を取って魔力を回復させているんだ。

 奴は一度創り、一度その全てを壊した。

 推測だが奴は『アレ』を作るのに全魔力の半分を使う。それだけの大魔法だった」

 

「『アレ』?」

 

「紅魔族は睡眠時、膨大な魔力を吸収回復する。

 魔力の自然放出が下手だと、魔力の過剰吸収で内側から爆発してしまうくらいに。

 シルビアは紅魔族を沢山取り込んで、膨大な魔力と魔力回復力を得たんだ。

 紅魔族の皆はそれにやられたんだよ。シルビアのあの―――」

 

 そこまでぶっころりーが言いかけた所で。

 

「みぃつけた」

 

 山の木々の奥の奥、薄暗く見通せない空間の向こうから、シルビアの声がしんと響いた。

 

 一瞬の間、一瞬の沈黙。そして、紅魔族は逃走を開始した。

 

「逃げろおおおおおおおおおっ!!!」

 

 何が何だか分からず、戸惑うむきむき達には逃走の動作さえ許されない。

 

「また『ダンジョン創造』が来るぞッ!!」

 

 紅魔族も、むきむき達も、全てがまとめて創造されたダンジョンへと飲み込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンジョンの創造に必要なものは二つ。

 膨大な魔力と、ダンジョン作成を可能とする魔法の技だ。

 魔法を極めてリッチーになったような人物であれば、ダンジョン創造は難なくこなせる作業でしかない、と言っている学者もいたりする。

 

 紅魔族を大量に取り込む過程で、シルビアは膨大な魔力と魔法の技を得た。

 しからばダンジョンを作ることなど造作もない。

 周囲の人間を巻き込むように地表にダンジョンを生成すれば、ダンジョンの各所に人間達を分断することもできるため、開けた場所で真価を発揮する紅魔族も封殺可能だ。

 

 しかもダンジョンの生成範囲が里とその周辺を丸ごと飲み込んでいるため、里近辺をテレポート先に設定している紅魔族は全員テレポートを封じられてしまう。

 適当に空間跳躍して壁と融合などしてしまったら大惨事だ。

 必然的に、上級魔法という大火力を使いづらい、ダンジョン内という密閉空間を歩いて突破せざるを得なくなる。

 

 里が全体的に壊れていたのもこれのせいだろう。

 ダンジョン生成の際に、里に最初からあった建物はその大半が押し潰されてしまったのだ。

 里を破壊しながらダンジョンは紅魔族を取り込み、分断されテレポートも封じられた紅魔族は魔法無効化シルビアに手も足も出ず、その時生き残っていた者達も吸収されてしまった。

 

 これが、シルビアが紅魔族をここまで追い込んだ手品の種である。

 

「……シルビアが、そんなとんでもないことをしてくるとは。驚きです」

 

 むきむきは以前に出会った、吸血鬼達との会話を思い出していた。

 

―――先輩は凄いんですよ? この世界で最も恐ろしいダンジョンの主なんです!

―――それだけを理由に、奴はヴァンパイアを『最後の繋ぎ』として使うためだけに吸収した

 

 ヴァンパイアはダンジョンを造れる。

 シルビアはヴァンパイアを吸収している。

 ヒントはあったのだ。小さいヒントではあったが、シルビアに魔力さえあれば巨大なダンジョンを造れるということは、予想できたことだった。

 これで予想しろという方が酷なのだが、むきむきは悔しい気持ちでいっぱいだった。

 

 ウィズはダンジョンを造れるが、バニルはダンジョンを造れないという話も聞いたことがあったので、ダンジョン作成技能をとても希少なものだと勘違いしてしまっていたのだ。

 

 今、むきむきの前にはこのダンジョンのことを説明してくれている、ぶっころりーとそけっとしか居ない。

 仲間達も、他の紅魔族の姿も見えない。

 彼らはシルビアの狙い通り、まんまと分断されてしまったのだ。

 

「奴に、何かがあったんだ」

 

 ぶっころりーは、真剣な面持ちでシルビアを語る。

 シルビアが今日まで紅魔族でも対処できていたのは、シルビアが本当に追い詰められるまでは、美人の女しか吸収しようとしてこなかったからだ。

 追い詰められればそのポリシーをも投げ捨てるのがシルビアだが、ウィズの魔法さえ無効化する魔法抵抗力を持ったシルビアは、紅魔族相手にもその域までは追い詰められることもない。

 なのに、今。

 シルビアは追い詰められているわけでもないのに、吸収し進化する能力を、こだわりを捨ててまで最大限に使用している。

 

「今までは無制限に吸収を行わない理由があって、今はそれがない。

 シルビアに何かがあったことは間違いないと思う。その理由を捨てる何かがあったんだ」

 

「何か……」

 

 シルビアの心境に変化を起こした何かがあり、それがこの現状を招いていた。

 それが何かは分からないが、むきむきはダンジョンの壁に触れるだけで、空恐ろしい気分になってしまう。

 薄暗く、外の光が入らない、蝋燭だけが頼りの暗き世界。

 冷たい床と冷たい壁は、おそらく中級魔法では傷一つ付かないほどの強度がある。

 道は入り組んでいて、出口がどちらにあるのかも分からない。

 ……もしかしたら、入り口も出口も無いのかもしれない。

 

 まるで監獄として作られた城であるかのようだ。

 外部からの敵を撃退するのが城の存在意義であるが、これは中に取り込んだ人間を逃さず、永遠にその中を彷徨わせようとする意志がありありと見える。

 ここは狩場だ。

 紅魔族という反則を一方的に、かつ確実に狩るために作られたダンジョンなのだ。

 

「……そけっとさん達、よくこんな絶体絶命の状況から逃げられましたね」

 

「追い詰められた紅魔族が四方八方に魔法をぶっ放したの。

 紅魔族は魔法抵抗力も高いから、一部の人は巻き込まれながらも脱出できたのよ」

 

(相変わらず平均的な紅魔族の皆はとんでもないなあ……)

 

 自爆同士討ち上等で上級魔法を撃っている時点で、相当に頭がおかしい。

 ただその手段も、カズマ等魔法抵抗力が低い人間がダンジョン生成に巻き込まれてしまった今、使うことができなくなってしまった。

 適当に壁をぶっ壊してたら里の外の人を蒸発させちゃいました、は流石にマズい。

 紅魔族の誰もが強引な脱出は自重していることだろう。

 

 薄暗い通路を進んで、分かれ道に差し掛かった時、むきむきは後ろの彼に呼びかけた。

 

「ぶっころりーさん、この分かれ道はどっちに……ぶっころりーさん?」

 

 返答がない。

 むきむきとそけっとが同時に振り返るが、ぶっころりーはもうそこには居なかった。

 

「……え?」

 

 代わりに、ずり、ずり、と蛇が這いずるような小さな音が聞こえる。

 それが何であるかは分からないが、それがぶっころりーに何かをしたということだけは分かる。

 

(―――何か、いる)

 

 背後に振り向く。

 何も居ない。

 暗闇の向こうを覗こうと凝視する。

 何も居ない。

 そけっとと話そうと、彼女が居た方を向く。

 何も居ない。

 

 そけっとの姿は既に消えていて、暗闇の向こうから、くぐもったそけっとの声が聞こえてきた。

 

「逃げなさい!」

 

 むきむきは、直感的に察する。

 この敵はむきむきを狙っていた。

 むきむきの背後から仕掛けてきていた。

 そしてぶっころりーとそけっとは、むきむきの背後に居たために、むきむきを庇ってこの敵にやられてしまったのだ。

 

「このシルビアは一人じゃ勝てないわ! あなたが里の外で出会った、信じられる仲間を―――」

 

 蛇が、何かを丸呑みにするような音がした。

 敵は姿を見せないままに彼らを襲っている。

 その敵の正体が分かったのは、その敵が二度も庇われたむきむきを面白く思い、むきむきを後回しにすることを宣言した時だった。

 

「あんたはアタシ直々に、他の人間を全員取り込んでから、最後の最後に仕留めてあげる」

 

 シルビアの声。そう、ぶっころりーとそけっとは、シルビアに吸収されてしまったのだ。

 この薄暗いダンジョンの中で、何の抵抗さえも許されないままに。

 

「させるもんかっ!」

 

 仲間はやらせない。

 残った仲間とシルビアを倒す。

 そう決意して、少年はダンジョンの中を走り出した。

 

 

 

 

 

 めぐみんは走る。

 必死に走る。

 光の足りないダンジョンの中を孤独に走る。

 

「お父さん……お母さん……!」

 

 運命的なことに、彼女もまたむきむきと同じ状況に陥っていた。

 彼女はダンジョン生成時は両親と一緒に居て、はぐれてしまったこめっこを探してダンジョンを彷徨っていた。

 ……そこからが、悲惨だった。

 むきむきと同じように、二人が自分を庇ってくれたことで、めぐみんは一人だけ生き残ってしまったのだ。

 

「行け、めぐみん!」

 

 声もなく吸収された母のこと、一言だけ残して吸収された父のことが頭から離れない。

 むきむきはシルビアに見逃された形であったが、めぐみんの場合は自力である程度逃げて距離を離したこと、そしてシルビアがむきむき達を見つけたことでそっちに行ったという幸運が、生き残りという結果を生んでくれていた。

 

「? あれ、これそけっとの服の装飾の……」

 

 孤独の恐怖。

 暗闇の恐怖。

 見えざる敵の恐怖。

 それらが床に落ちていたそけっとの服の切れ端を拾ってしまったことで倍増する。

 

 めぐみんはおばけが苦手な方だ。

 こういうシチュエーションは、加速度的に冷静さを削られてしまう。

 落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせるめぐみんだが、その時彼女の耳に届いたのは、ここから遠ざかっていく蛇が這いずるような音だった。

 物静かなダンジョンの闇の中だからこそ、その音は恐怖を掻き立てる。

 

(壁の向こう……まさかこのダンジョン!

 シルビアがいつでもどこでも現れることができるような、秘密の通路がある!?)

 

 一刻も早く合流しなければ、とめぐみんは焦る。

 それでいて"下手は打てない"と自分を落ち着かせもする。

 めぐみんがシルビアに吸収されれば、シルビアは爆裂魔法も使えるようになるだろう。

 そうなればもう絶望的だ。

 

 めぐみんの脳裏に、今生き残っているであろう者達の顔が次々と浮かんで、最後にライバルの顔が思い浮かべられる。

 

「ゆんゆんが私より先にやられるわけもなし。

 早くむきむきと合流して、カズマ達とも合流しないと……」

 

 第一に合流すべき幼馴染の少年を思い浮かべて、めぐみんは駆け出した。

 

 

 

 

 

 薄暗い闇の中を、ゆんゆんはおっかなびっくり進んでいた。

 背後にこっそり忍び寄ってわっと大きな声を出せば、それだけで号泣してしまいそうな雰囲気すらある。

 

「ひっ……む、むきむきー? 近くに居たりしない? めぐみーん? 居たりしない?」

 

 頼りになる人を思わず探してしまうゆんゆん。

 そんな彼女に光明が見えたのは、長い通路の向こうから、ふにふらとどどんこの声、及び魔法の音が聞こえて来てからだ。

 

「あっ、くっ、やばい!」

 

「……これは、もう……!」

 

 友達が戦っている。

 声からして友達のピンチだ。

 ゆんゆんは意識を切り替え、友達を助けようと走る。

 

「ふにふらさん! どどんこさん!」

 

 友達に呼びかけるゆんゆんだが、返って来たのは拒絶の言葉だった。

 

「来んなゆんゆん!」

 

「……え」

 

「来たら全滅するから! あんたは踵返して逃げて、無事な仲間と合流しなさい!」

 

「で、でも!」

 

「こっちはもう手遅―――あ」

 

 カラン、と杖が落ちる音がする。

 ふにふらとどどんこの声が聞こえなくなり、戦闘の音も聞こえなくなった。

 ゆんゆんは瞬時に判断し、踵を返して走り出す。

 戦闘地点とゆんゆんとの間に距離があったのもあり、背後からずり、ずりと聞こえる音から逃げ切ったゆんゆんは、息も整えないまま走り続ける。

 

 むきむきを召喚するべきか。

 今むきむきと誰かが一緒に居るなら召喚魔法は使うべきではないが、実際はどうなのか。

 どのくらいのピンチで、どのタイミングで召喚するべきか。

 色々と考えながら、ゆんゆんは仲間を探して駆け回る。

 

(私よりしぶといめぐみんはまだ生き残ってる、はず。

 早くむきむきと合流して、どこか広い場所を見つけて、そこでっ……!)

 

 第一に合流すべき幼馴染の少年を思い浮かべて、ゆんゆんは駆け出した。

 

 

 

 

 

 一方その頃、カズマはこういう状況で輝く能力を存分に発揮していた。

 

「カズマはこういう時は本当に器用だな」

「ねー」

 

「スキル山盛りだとこういう時は楽なんだよなあ」

 

 カズマは暗視が可能になる千里眼、遠くの音を聞き取れる盗聴、シルビアの位置を把握できる敵感知でダンジョン内をすいすい進み、アクアとダクネスをあっという間に回収していた。

 このダンジョンは対紅魔族に特化しすぎていて、カズマから見ればガバガバである。

 他の皆も回収して行こうとするカズマだが、敵感知スキルがシルビアの接近を伝えていた。

 

「っと、敵が来たぞ」

 

「どこから?」

 

「ちょっと待て、集中させてくれ」

 

 大体どの位置に居るか、今どのくらいの距離があるのか、その辺りなら敵感知スキルですぐさま理解できるが、どんな道から来てるのかがイマイチ分からなかった。

 集中してスキルの精度を上げていくと、やがて迫り来る敵の存在がはっきりと感じられる。

 

「―――蛇?」

 

 カズマの敵感知スキルが見せた敵の姿は、彼らが居る細長い通路に巻き付くようにして接近して来る、蛇のような姿の敵だった。

 

「―――」

 

 薄暗い通路にシルビアが無言で現れ、彼らを背後から襲撃する。……かに、見えた。

 だが、シルビアが通路に姿を現した時には、カズマ達の姿はもうそこにはない。

 代わりにあったのは、シルビアに反応するダイナマイトの罠だった。

 

「……!」

 

 ダイナマイトが起爆する。

 シルビアの体に目に見えた傷はなかったが、本人が顔を顰めたのを見るに、どうやら小さいダメージは通ったようだ。

 爆弾で崩れた通路、そしてカズマ達の姿がどこにも見当たらないのを見て、シルビアは感心した様子でその手腕を褒め称える。

 

「爆弾を罠設置スキルで設置し、何らかの手段で遠くに移動……

 アタシを爆弾で攻撃しつつ、自分達は爆弾の効果範囲から脱出。やるわね」

 

 逃さないわよ、とだけ言って、シルビアはその場を去っていった。

 数分後、"崩れた通路の瓦礫の下から"カズマ達が這い出してくる。

 

「……逃げてないんだけどな」

 

「ひえぇ」

 

「お前は本当に、次から次へと小細工の種が尽きないな」

 

 カズマは爆弾トラップを仕掛けた後、ダクネスを盾にするようにして壁に張り付き、三人を対象に潜伏スキルを発動していたのだ。

 壁に張り付くだけの潜伏でも、シルビアが出て来て爆弾が爆発するまでの間隠れるだけなら、まず見破られることはない。

 後は爆風をダクネスという盾で防いで、崩れた通路の瓦礫をダクネスという傘で防ぎ、瓦礫を使って潜伏を発動しておけばいい。

 

 爆弾を仕掛けておきながらその爆風をモロに食らう位置に隠れているなんてありえない、というシルビアの常識的な思考を逆利用した、大胆なやり過ごし策だった。

 

「やーね蛇とか。連鎖的にカエルのこと思い出しちゃうじゃない。ねえ、カズマ?」

 

「つかあいつ、まるっきりホラーゲーム特有の追跡系倒せないボスじゃねえか……」

 

「ほらげ……?」

 

 シルビアは闇に潜み、突如現れ、人にとって致命的な行動を取っていく。

 

 

 

 

 

 ずり、ずり、と下半身が機械の蛇になったシルビアがダンジョン内を這い回る。

 じわり、じわりと、人間達はシルビアに吸収されていく。

 シルビアは、知恵ある敵だ。

 このグロウキメラは、人質を取ることを躊躇わない。

 

「てめえ……!」

 

「おっと、動くんじゃないわよホースト。

 幹部級に強いあなたと戦うなんてまっぴらごめんよ。

 下手に動いたら、この紅魔族のお嬢ちゃんの死体は残らないと思いなさい」

 

 こめっこと分断されたホーストがこめっこに召喚され、ホッとしながら彼女の下に馳せ参じて見た光景は、シルビアに捕まり無理矢理召喚させられていたこめっこの姿であった。

 シルビアはいつでもこめっこを蘇生不可能なやり方で殺せる状態にある。

 この状況が作られた時点で、ホーストに生き残る道はなかった。

 

「大人しくアタシに吸収されるなら、この子だけは見逃してあげてもいいわ」

 

「……おい、本当だろうな?」

 

「ええ、勿論よ。あなたを吸収できるならそのくらい対価としては当然でしょう。

 それに……本当に必要ならともかく、こんなに小さな子を手にかけるのは気が引けるわ」

 

「言ったな? ならこいつは悪魔との契約だ。破ることは許されねえぞ」

 

「どうぞ、お好きなように」

 

 こめっこが暴れ出すが、シルビア相手では逃げ出すことさえ叶わない。

 

「だめ! ホースト!」

 

「覚えておけ、こめっこ」

 

 ホーストはシルビアのかざした掌を見ながら、こめっこに別れの言葉を遺す。

 

「召喚者より後には死なない。

 いつだって召喚者を守り、召喚者より先に死ぬ。

 そいつが召喚された俺達悪魔が持ってる、なけなしの誇りってやつなんだ」

 

 そう言い残し、シルビアに吸収されていった。

 

「ホーストーっ!」

 

 シルビアの体色が変化する。

 身体能力が劇的に上昇し、悪魔の爪・牙・翼が体に備わって、魔力も一気に増大した。

 その姿は、まさしく悪魔。

 残機なるものを使って生き残る悪魔という生物の耐性も、吸収の力の前では無意味だった。

 

「ふふっ……さて、後何人取り込もうかしら……?」

 

 むきむきとも殴り合える幹部級の悪魔を取り込んでなお、シルビアの『吸収して強くなる』という強欲は止まらない。

 

 

 

 

 

 油が砂に染みていくように。

 じわり、じわりと、シルビアの悪意が人間達を侵していく。

 

 

 

 

 

 通路の行き止まりに追い詰められたあるえが、ゆったりと近付いてくるシルビアに恐怖を感じるも、顔には出さない。

 彼女は抵抗の魔法を撃ったが、魔術師殺しを身に纏うシルビアには傷一つ付けられなかった。

 

「アタシも、前の戦いでは希少な素材を使ったポーションで吸収を解除されたけど」

 

 負けて何かを学ばない者は、愚か者だけだ。

 負けた理由を考え、学び、自らを鍛え、より強くなる。

 シルビアもまたそうだった。

 

「今回はそれもない。じっくり時間をかけて、このダンジョンの闇の中で仕留めさせてもらうわ」

 

 吸収解除。ただそれだけを、彼女は徹底して警戒している。

 

「そう、全員ね」

 

 一人も生かして返さない。シルビアからは、揺らがない鋼鉄の意志が感じられた。

 あるえは抵抗を放棄して、保証も確証もなく『助けてくれるだろう』と彼を信じて、昔好きだった男に自分の未来と命運を賭ける。

 

「まったく。これはどうやら王子様を待つお姫様の気分で、待っているしかないみたいだ」

 

 助けは期待するが、彼が自分だけの王子様になることは期待しない。

 恋が終わった後の少女の心情など、そんなものだ。

 

「それは不可能というものよ。私が取り込んだ者は、私でさえ自由には吐き出せないのだから」

 

「私は現実的な話をしてるんじゃないよ。

 何を信じてるかの話を、どう転がれば面白いかの話をしてるんだ。

 私は小説家志望だから、多少荒唐無稽な未来予想の方が好きなのさ」

 

「あら。じゃあ、あのむきむきという子を仕留める時は、あなたの顔を使うことにするわ」

 

「……性悪め」

 

 あるえの両親の顔を一瞬だけ表に出して、それからあるえを吸収するシルビア。

 

 今この瞬間、この世界に生きている紅魔族は、たった四人しか存在していなかった。

 

 

 




 書籍版だと描写カットされてるんですがめぐみんが里帰りすると里の皆が親しみを込めて迎えてくれるのに、ゆんゆんが里帰りすると余所者を見る目で見てくるというのは中々にハードモードでゆんゆんかわいそかわいいと思いました

 どうでもいいことなんですが、プロットの端に
「プロセスは全く違うが"すぐ結論を出せずヒロイン間で揺れる主人公を描写する"ことで、原作のカズマとの対比を行い、むきむきとカズマの『思考も性格も全然違うが目的地と向いている方向は同じ』という友情を婉曲的に見せていく」
 みたいなメモが書かれていました
 メモした記憶が全く無いので多分妖精が書いたんだと思います

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