「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者!」   作:ルシエド

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描写の濃さは控えめにしましたが、今回ちょっとキツめの描写がありますのでお気を付けください


4-3-2

 群れる安楽少女の大群。

 本来ならば人間を拠点単位で堕落させ、同士討ちさせ誘発させる美少女の群れは、ホーストとあるえの前ではただのカモだった。

 

「『インフェルノ』!」

 

「それじゃ私も『インフェルノ』」

 

 ホーストとあるえの炎魔法が安楽少女を焼き払っていく。

 人の心に訴えるという最悪の特性が働かないのであれば、安楽少女はただのひ弱な植物モンスターでしかない。

 元安楽少女の灰を踏みしめ、むきむきはグリーンに向けて拳を放った。

 

「ゴッドブロー!」

 

 敵が人間であるならば、特攻にはならないスキル攻撃。されども高速の拳撃だ。普通は見切れない速度のそれを、グリーンは欠伸混じりにはたいて落とす。

 アルダープを実験台にもしていた筋力増加薬を投与され、基礎ステータスを上昇させた上で神器で加速させているグリーンは、とんでもないスピードとパワーを手に入れていた。

 

「そぅら!」

 

「っ!」

 

 グリーンは目にも止まらない回し蹴りを放つ。

 少年は諸動作からの先読み及び、回し蹴りが事前動作に要する僅かな隙を利用しガードを間に合わせた。グリーンの蹴りが少年を浮かし、後方のホーストの隣にまで吹っ飛ばす。

 

「おいおいウォルバク様のプリーストやってんだ。もっと格好良く決めてくれや」

 

「頑張るから大目に見て!」

 

 ホーストがからかい、今度はむきむきとホーストが息を合わせて前に出た。

 魔法は効かないため、使えるのは肉弾戦の技のみ。

 されども二人がかりの猛攻でさえ、サイボーグ化したその男は綺麗に対処してしまう。

 

「ゴッドブロー!」

 

(っ、グリーンの職業……僕と同じ、モンクか)

 

 むきむきは初戦の時の記憶を思い出してみるが、初戦でのグリーンは戦闘中にスキルさえ使っていなかった。

 職業を特定できる情報さえ見せてはいない。ただ加速して、むきむきを殴っていただけだ。

 前回の戦いと今回の戦いの間にグリーンが職業変更していたなら、むきむきがそれに気付けないレベルでグリーンは情報を出していなかった。

 

 つまり、前回の戦いではそれだけ手を抜かれていたということだ。

 初戦はむきむき達が勝ったものの、当時のグリーンはアクアに強化されたむきむきよりも速かった上、カズマという強弱を無視するジョーカーを使って勝っただけだ。

 グリーンとまともな戦いで競って勝った者は、人間勢力には存在しない。

 

 むきむきが一回の戦闘でベルディアの魔剣を一本折り、ミツルギがベルディアとの戦いで魔剣を百七本折ったことからも、『特典』の恐ろしさは伺える。

 

(それにしても、本当に速い!)

 

 切れ目の無い二連打撃音が響く。

 ホーストとむきむき、その両方の顔面がグリーンに殴られた音だった。

 人と悪魔でグリーンの左右から攻め立てても、グリーンは右手と右足・左手と左足に対処を役割分担させ、挟み撃ちをあっさりと捌き切ってしまう。

 この男、とにかく速かった。

 

「もっと早く、もっと速く。そう願ってオイラは生きてきたもんさ」

 

 あるえのやる気の無い応援とこめっこの応援をバックに、余裕綽々でグリーンは人と悪魔の攻撃を全て叩き落とし、両者の腹をぶん殴った。

 速く重い拳がめり込み、少年と悪魔を後退させる。

 

「もっと早く生まれてれば、オイラにも何か出来たはずだったんだ」

 

 速さが足りない。早さが足りない。グリーンがこの特典を選んだ理由には、そういう自責とコンプレックスがあるようだった。

 ホーストはとりあえず会話を繋いで、精神的に揺さぶりをかけようとする。

 

「なんだ、守りたい女でも守れなかったりしたのか? そういう悩みはよく聞くが」

 

「女、なぁ」

 

 人間の恥部、思い出したくない過去を思い出させ、悪感情を引き出すのが悪魔である。

 ホーストの読み通り、それはグリーンの急所であり、同時に地雷でもあった。

 

「ピンク、居るじゃん? オイラの仲間で恋人ってことになってるあの人」

 

 今はスピーカーの向こうにいるピンク。かの女性こそが、地球に居た頃のグリーンが抱えていた問題の原因であり、今なお抱えている問題そのもの。

 

「アレはな、普通の女じゃねえ。オイラの父さんなんだよ」

 

「……え?」

 

 かの女性は、グリーンの『父親』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グリーンこと丹那誠二には、丹那誠一という父が居た。

 当然ながら誠一の人生は誠二の人生が始まるよりも遥か以前に始まり、誠二の人生が終わるよりも早く終わった。

 

 誠一は高校時代、同級生に「ギャルゲみたいな人生だな」とよく言われた。

 彼には可愛い幼馴染が居て、小中高とずっと一緒。家ぐるみの付き合いもあり、部活のたびに弁当を作ってもらったりもした。

 趣味も同じで、互いの考えていることもなんとなく分かる。

 それでいて異性としての意識はある。

 誠一は付き合うにしろ結婚するにしろ、その女性の他には誰も候補に上がらないくらいに、その幼馴染のことが大好きだった。

 

「幼馴染だから、彼女は僕の最大の理解者なんだ」

 

 高校から付き合って、大学を出たら二人はすぐに結婚した。

 周囲はその結婚を当然のことのように扱い、それでいて心底祝福してくれた。

 今日は幸せだから、明日はもっと幸せになる。そう信じられる日々の始まりだった。

 やがて夫婦の間には子供が生まれ、誠二と名付けられた。

 誠一の両親も、妻の両親も、初孫の誕生にたいそう喜んだそうだ。

 

 何の不安もなく、ただ幸せな今日を過ごし、幸せな明日を待つ。

 愛する妻と愛する息子のためだけに、限られた人生の時間を使う。

 そうして、息子の年齢が十代の半ばを過ぎた頃。

 

「―――は、あ?」

 

 妻の浮気が、発覚した。

 

「え?」

 

 浮気相手は、妻の大学時代の同級生。

 調べてみれば出るわ出るわ浮気の証拠。その過程で誠一と誠二の間に血の繋がりがなかった事実さえ出てきてしまう。

 つまり、誠二は妻と浮気相手の子。

 誠二が生まれるよりも前から、夫婦の間に相互の愛は無かったのだ。

 

 愛は一方通行でも成立はする。ホモ貴族とダストがそうだった。

 だが、夫婦は一方通行では成立しない。

 夫は妻を愛していても、妻は夫を愛していなかった。

 幼馴染だからその愛が裏切られない、なんて保証があるわけがない。

 

「自分の最大の理解者は、自分を絶対に裏切らないって、何故僕は思い込んでたんだろう」

 

 理解者はイコールで味方ではない。

 相手が自分を理解してくれていても、自分が相手を理解しているとは限らない。

 それに気付くまでに、彼は何十年もかかってしまった。

 取り返しのつかない数十年だった。

 

 離婚までの流れはとても簡単で、誠一と彼女が家族でなくなるまでの日程は、上から下へと流れる川の水のようにするすると決まる。

 彼にとってその離婚は、幸せになるためのものではなかった。

 一区切りを付けるだけで自分をより不幸にするだけのものだった。

 

 彼はただ、彼女が大好きだった。傍に居て欲しかった。愛して欲しかった。

 それだけだったのだ。

 『彼女の愛』があれば誠一は幸せで、『彼女の愛』がなければそれだけで彼は不幸だった。

 

 それでも、もうその浮気が気付かれ公になってしまった以上、二人が夫婦で居ることは許されないことだった。

 

 誠一は親の顔を見ることができなかった。

 初孫だと喜ぶ両親の笑顔を覚えていたから。

 それで「この子はあなた達と一切血が繋がっていない不義の子です」だなどと、どうして言えようか。

 なのに両親は誠一を暖かく迎えてくれた。

 涙が出そうなくらい嬉しくて、両親に対し感謝の気持ちしか感じられなかった。

 

 親権がどうだの、夫婦の間の子はどちらが育てるだの、弁護士があーだこーだと喋っていたが、愛した女性に裏切られた誠一の壊れかけの心には届かない。

 彼を動かしたのは、一人息子の真っ直ぐな一言。

 

「オイラ、父さんと一緒がいい」

 

 それが、離婚調停が終わったらすぐに自殺しようと考えていた誠一を、この世に繋ぎ留めるただ一つの楔となった。

 

 

 

 

 

 誠一は息子の誠二を育てるためだけに生き始めた。

 だが、その心には致命的なヒビが入ったままだった。

 

 酒をかっ食らうように飲む。肝臓を壊すくらいに飲む。

 なのに、いくら酔っても愚痴の一つも吐きはしない。

 人間が酒に酔ってスッキリできるのは、嫌なことを忘れてその場の勢いで心の膿を吐き出すことができるからだ。

 酒に酔っても何も忘れることができず、愚痴の一つも吐き出すことができないのなら、それで解決することは何も無い。

 酒に飲まれても、彼は息子に一切の迷惑をかけることはなかった。

 理想的な父親であり、同時に幸せになる未来が絶望的な人間だった。

 

 次には麻薬に手を出してみた。

 元妻のことを思い出すと衝動的に死にたくなって、その気持ちを忘れるにはもうアルコールでも足らず、麻薬の力を借りるしかなかったのだ。

 麻薬を毎日のように使ってようやく、誠一は少しだけまともな人間のように振る舞うことができていた。

 ヒビの入った心をそうやって取り繕えば、ヒビはどんどん大きくなっていく。

 

 手首を試しに切ってみた。

 手首を隠す長袖やリストバンドが手放せなくなっていく。

 尻の穴に玩具を入れてみたり、耳の穴の中を棒でかき混ぜてみたりもした。

 この辺りでようやく、誠一は『自分を壊したい』という欲求を自覚する。

 壁に頭を打ち付けてみた。

 『結局の所僕は死にたいだけなんだろう』という自覚も得る。

 麻薬の量を増やした。

 もう取り返しがつかないくらいに自分の心が壊れていることも、誠一は自覚し始めていた。

 

 それでも息子の前でだけは、いい父親を演じ続けた。

 息子を育てる責任がある。

 この子には育てられる権利がある。

 その一心で、()()()()()()()()()()()を愛し育て続けた。

 

「父さん、今日はそこで座っててくんな!」

 

「おお、どうした誠二、今日はやけに張り切ってるじゃないか」

 

「今日はオイラが家事全部やるから、父さんはそこに座ってていいよ」

 

 子は父の愛に応える。

 ある日、子は父の庇護からの卒業と、父のための行動を起こすことを宣言した。

 

「父さんに頼り切りの生活は今日まで。

 今日からは父さんがオイラを頼る番だ!

 オイラはもう父さんを頼らないから、父さんはオイラをガンガン頼って欲しい!」

 

 それは子の誠二にとっては愛の証明であり、父の誠一にとっては断頭のギロチンだった。

 

「……ああ」

 

 父は思う。

 『もう自分に果たす責任は無くなったのだ』と。

 『この子はもう一人でも大丈夫なのだ』と。

 『じゃあもう僕は死んでいいな』と。

 

 息子の自立の一言が、父親を愛しているがために口にされた一言が、誠一に自殺を決意させる。

 

 そしてその日の夜、彼は行きずりのトラックを使って自殺した。

 

 

 

 

 

 そして、死した魂は女神アクアの下へ送られる。

 

「……ここまでぶっ壊れた魂、久々に見たわね」

 

 彼の絶望は、千の自殺を行っても目減りすらしないほどのものだった。

 彼の人生は、終盤には自分を痛めつけるだけのものへと変わっていった。

 自分を削り続けるだけの人生に、麻薬を含めた身を滅ぼす物の数々が加わり、アクアが本気の同情をしてしまうくらいに、その魂はボロボロだった。

 心はそれに輪をかけて酷く、まともに記憶を保持しているかさえ怪しい状態だった。

 

 アクアの下にこの魂を運んできた天使でさえ、魂を運ぶ手つきがひどく慎重だったほどに。

 

「ちょっとそこの天使、なんでこんな魂ここに持って来たの?」

 

「アクア様が今言った通りですよ。

 ここまでぶっ壊れた魂の処理担当部署なんて無いからです。

 ですので一番暇そうにしてる神の所に持って来たってわけです」

 

「何よ暇そうって! 私は勤勉に働いてるわよ!」

 

「すみません、暇そうな女神と言えばアクア様という印象だったので」

 

「どういう意味!?」

 

 舐め腐った態度の天使であった。

 アクアが部下にナメられつつ愛されるタイプの上司であるとも言う。

 

「ここまで壊れていると生前がどんな人間だったかも分かりません。

 若者なのか老人なのか、男なのか女なのかも不明。さっさと転生させましょう」

 

「でもこのままじゃ転生にも耐えられないわ。ちょっとは手を加えないと……うん?」

 

 アクアが魂に触れると、誠一のグズグズに崩れた心から、残された本音が伝わってくる。

 

「『この世界にだけは生まれ変わりたくはない』?

 『危険と引き換えにでもまだ見たいものがある』?

 ……なるほど、それがあなたのたった一つの望みなのね」

 

 自然に"それ"を読み取り叶えようと考えるのは、彼女が女神だからだろうか。

 アクアは特典一覧が載っているカタログを魂の前に広げ、『世界を救う』といった高潔な目的をお題目に使うことさえせず、この哀れな魂に私情で"生き残るための力"を与えることにした。

 

「はいどうぞ! ここから魂の本能で欲しい特典を選びなさい!

 ちょっとそこの天使! 魂を整形して特典埋め込んで、すぐ転生できるようにして!」

 

「えー私がやるんですか。まあいいですけど」

 

 男なのか女なのかも分からない魂を、とりあえず転生に耐えうる域にまで整形していく天使。

 壊れた心を直すことも、穴空きになった記憶を戻すことも、失われた正気を完全に復活させることもできなかったが、とりあえず形にはなった。

 

「いっそ転生させず世界に還してもいいと思うんですが」

 

「この魂は不幸な人生を最後に終わりました……なんてかわいそうでしょ」

 

「女神の慈悲だけじゃなく、女神の責任感も持ってくださいよ。

 なんで同情するだけ同情して、後はこっちに丸投げしてるんですかもう」

 

「自慢じゃないけど、私そこまでこの分野が得手ってわけじゃないの」

 

「本当に自慢になりませんよアクア様」

 

 アクアは怠けることも多いが、本質的には怠け者というより、有能だが考えの足りない善意の働き者である。

 働けば働くほど周囲に迷惑をかける『無能な働き者』というフレーズは有名だが、アクアはそれに近いのに別に無能ではないという生来の芸人気質だ。

 彼女は操縦桿を握る者が居て初めて有能に見える者である。

 今この瞬間も、ここまでボロボロになった魂の微かな意志を読み取り、どの特典が欲しいのかを理解していたりしていた。

 

「あ、その特典にするのね。

 今の私の権限だとあっちの世界にしか送れないけど気を付けなさい。

 ちょっと危ない世界だから、その力を使って世界の隅っこで大人しくしてるのよ?

 魔王倒してくれたら嬉しいけど、どうせ他にも送り込んでるからそっちに任せて……」

 

「おい勇者を導く女神」

 

 天使のツッコミもなんのその、アクアは特典を与えたその魂を送り出す。

 

 生まれ変わった誠一は、孤児の『少女』として孤児院で日々を生きていた。

 肉体も精神も魂もズタボロだった誠一は、一から生まれ直すことでまともな命を取り戻す。

 孤児院の院長も、周りの友人も、彼女(かれ)に優しくしてくれた。愛してくれた。

 それが苦痛で、彼女は自然と孤児院を飛び出していく。

 

(この『愛』っていうやつが―――なんでか、ボクには苦痛だ)

 

 過去の自分、今の自分、それさえ定かではないグチャグチャな状態で、『自分は自分だ』という当たり前の自認識さえ持てないまま、少女は彷徨う。

 彼女は、"愛そのものにアレルギーを起こしてしまうようになっていた"。

 

(僕はボクで、ボクは僕。

 そうだ、覚えてる。いや、覚えてない。

 何かを探してボクはここに居て……何を探していたんだっけ?

 ああ、そうだ。探してたのはあれだ。だから愛が邪魔なんだ、要らない)

 

 そして転生して十数年後。

 運命に導かれるように、誠一は()()()()()()()()()()()()誠二と、この世界で再会した。

 

 

 

 

 

 グリーンとピンクは壊れている。

 彼と彼は壊れている。

 彼と彼女は壊れている。

 子と父は壊れている。

 愛を理由に、互いの存在が完膚なきまでに互いを破壊していった。

 

 壊れた改造人間が跳び、飛んで撹乱に動いていたホーストに接近、その羽を蹴り破る。

 

「お前、悪魔なんだってな」

 

「っ」

 

 そして追撃の蹴り落とし。

 ホーストは流星のように叩き落される。

 

「お前より悪魔みたいな人間を、オイラは見てきたんだよ! 実の母親とかな!」

 

 床付近でむきむきが優しくキャッチしたため、なんとか無事に終わったものの、そうでなければ今の一撃でホーストが重傷を負っていてもなんら不思議ではなかった。

 

「っと、悪いな」

 

「今は仲間だから、このくらいはね」

 

 むきむきとホーストは跳び上がったグリーンを目で捉えようとするが、彼らが上を見上げたその瞬間には、グリーンは彼らの背後に居た。

 魔術師殺しと呼ばれるもののコピー品で覆われた銀の拳が、少年と悪魔の後頭部を思いっきり殴り抜いていた。二人はノックダウンしかけるが、なんとか気合いで踏み留まる。

 

(執念……!)

 

 強い念と化した、執着する心。執念。

 肉体改造で肉体のタガが外れると同時に精神のタガも外れたのか、今のグリーンは言葉からも行動からも鬼気迫るものが感じられる。

 むきむきとホーストは、誠二(グリーン)の放つ圧倒的な気迫に気圧されていた。

 

「やや、ボクが来る前に終わってるかどうかは半々だと思ってたが、終わってなかったか」

 

「!」

 

 安楽少女達が出て来た回転扉が動いて、そこから壁に這うようにしてピンクが出て来る。

 ピンクの身の上を知った今、彼女を見る周囲の目には驚愕しかない。

 ただ一人、グリーンだけが、驚愕と一緒に納得の感情を顔に浮かべていた。

 

「あなたがここに来たってことは……そうか、居るのか、この中に」

 

 グリーンの呟きが聞こえているのかも怪しい、危うい表情で、ピンクは熱に浮かされたような語りを始める。

 

「恋は美しいんだ。

 愛は醜いんだ。

 分かってくれ、分かって欲しい」

 

 愛を否定し、憎み、見下す。

 恋を至上のものとし、愛を唾棄すべきものと定義する。

 幼馴染にかつて恋した記憶を美化し、結婚してから愛に裏切られたトラウマを抱えるピンクは、恋の絶対肯定と愛の絶対否定の二律非背反で成り立っていた。

 

 ピンクはむきむきを熱っぽく見る。

 

「恋は恋のまま終わるべきだ。君に恋心を抱く人は居るのかな?」

 

 むきむきは返答を返さない。

 だが、むきむきの表情の動きから、ピンクは『むきむきに恋心を抱く人物』が存在することを確信した。

 しからばピンクは、その恋が愛になることを止めようとする。

 

「ならその恋は、君を殺すことで永遠に恋のまま、愛にはならず、終わるのかな」

 

 恋が愛になることを認めない歪んだ破壊者が、この女の本質だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グリーンこと丹那誠二は、父を愛していた。

 だが、その愛は常に裏目に出ていた。

 

 彼は父を敬愛し、母に漠然とした嫌悪を感じていた。

 それは母が浮気をして、父が大きく傷付き、それでも血の繋がらない自分を引き取ってくれた日から、より大きくなっていった。

 母が憎い。父のために何かがしたい。

 その気持ちが心に定着してしまった時点で、誠二の心もどこかおかしくなっていたのだろう。

 

「オイラだけは、父さんの味方で居てやらねえと」

 

 そしてある日、三つのことに気付いてしまう。

 それに気付いてしまったせいで、彼の根本は本格的におかしくなってしまった。

 

 一つ目。

 父を自分が好ましく思っているのは、母からの遺伝であるということ。

 つまり、誠一の妻は誠一のことを愛してはいたのだ。今愛しているかは定かではないが。

 ただし誠二が生まれるより前に、その愛からは誠実さが消え去っていた。

 誠実でない愛は大抵害悪だ。

 母がそうなったこと、そしてそんな母から性格を遺伝で受け継いでいることに、誠二は心底吐き気のする気分だった。

 

 二つ目。

 母が何故父を裏切ったのか。気付けば簡単な話だった。

 時間の経過が、まず妻から夫への誠実さを薄れさせた。

 そして夫から貰える愛の実感を薄れさせた。

 要するに、妻は夫に『傷付いて欲しかった』のだ。

 自分の裏切りで夫が傷付けば、それは愛の証明になる。

 最後の最後に愛された実感さえ得られれば―――心残りなく、迷いなく離婚できる。

 そういう思考回路で、誠二の母は父を裏切ったのだ。

 

 三つ目。

 浮気の理由を理解できたということは、誠二の性質が憎い母に近いということだ。

 似た者同士だから理解できる。

 同族だから嫌悪する。

 現に誠二の母が浮気した理由は、誠一も、父方の祖父母も、母方の祖父母も知らない上に理解していないようだった。

 誠二は口を噤み、母が浮気した理由を黙秘する。

 

 血の繋がらない自分を愛し育ててくれた父や祖父母にそれを話せば、傷口に塩を塗るようなことになるのは明白であったからだ。

 代わりに彼は頑張った。

 少しでも早く独り立ちできるよう頑張った。

 父の世話にならなくてもいいように、逆に自分が父を支えられるように。

 

「父さん、今日はそこで座っててくんな!」

 

「おお、どうした誠二、今日はやけに張り切ってるじゃないか」

 

「今日はオイラが家事全部やるから、父さんはそこに座ってていいよ」

 

 父の庇護から卒業しながらも、父の傍に居る。

 それが何よりの愛の証明になると、誠二は信じていた。

 誠一にとって、もはや愛などただの苦痛でしかないと知りもせずに。

 

「父さんに頼り切りの生活は今日まで。

 今日からは父さんがオイラを頼る番だ!

 オイラはもう父さんを頼らないから、父さんはオイラをガンガン頼って欲しい!」

 

 そして、息子に自分が必要ないと察した誠一は、自殺してしまった。

 

 誠一の妻は、幼馴染として誠一のことをよく理解していた。

 まごうことなく一番の理解者だった。

 息子の誠二は、母の1/10も父のことを理解していなかった。

 ゆえに無自覚に父の地雷を踏み、愛する父を殺してしまった。

 最悪に、皮肉な話だった。

 

 それが誠二の心にトドメを刺し、薄れた正気が誠二を後追い自殺に追い込んだのだ。

 

 

 

 

 

 誠二は外面だけを見ればかなりまともだ。

 ただ内面の一部が変な壊れ方をしている。

 話し方や振る舞いが自然に――哀れなほどに――笑いを取りに行く形になるが、内心はただの小市民であるイエローとは真逆。

 ピンクも少し話しただけなら頭のイカレたマッドサイエンティストという印象しか抱かないが、その中身はとんでもなくグチャグチャで、そのあたりは血縁を感じさせる。

 

 アルカンレティアを出た後のむきむき達がドリスの街で助けた子供は、グリーンが面倒を見ていた子供だった。

 彼がこっちの世界に来てから子供にだけは優しいのは、気まぐれではない。

 そこに自分を重ねているのだ。

 まともに親に愛されなかった子供を見ると、ついつい面倒を見てやりたくなってしまう。

 それは優しさと言うべきか、甘さと言うべきか、それとも代償行為と言うべきか。

 

 そんな日々も、"こちらに転生してきていた父"を見て終わる。

 誠二は父の後を追ってすぐに自殺したが、転生時の時差によってこの世界に来たタイミングに十数年の時間差が生じてしまっていたようだ。

 女としてこの世界に誕生し、本当の本当に血の繋がらない存在となった父に、誠二はひと目で気付いた。

 息子としての本当にまっとうな愛が、それが父であると気付かせたのだ。

 ありえない、奇跡のような出来事だった。

 

 その奇跡も、幸運なままでは終わらない。

 女として生まれ変わった誠一は、十数年というインターバルで魂の崩壊こそ戻ってはいたが、精神の状態はむしろ悪化していた。

 アイデンティティは崩壊し、既に丹那誠一という自分の名前さえ忘れている。

 その上、彼女(かれ)は『とんでもない精神状態』にあった。

 

「これ、は」

 

 愛に裏切られた。愛を拒絶している。愛を憎んでいる。

 愛にアレルギーを起こしている上、自傷願望に自殺願望に破滅願望まで持っていて、精神崩壊のせいでそれら願望を理性的に実行することもできないという自走地雷。それが今の彼女だ。

 この壊れた思考がなければ、彼女が魔王軍に入ることもなかっただろう。

 彼女と一緒に、誠二(グリーン)が魔王軍に入ることもなかっただろう。

 

 ピンクとグリーンが肉体関係を持つことも、なかっただろう。

 

 愛は嫌いだが、人のぬくもりがないと生きていけない。

 愛されたら自殺しようとする。

 愛がある人間に世話をしてもらわなければ勝手に死ぬ。

 そのくせ衝動的に自滅への道を選ぶ。

 そんなややっこしいピンクに薬を盛られ、肉体関係を持ったグリーンの絶望は如何程だっただろうか。精神が端からぐずぐずと潰れる音を聞きながら、グリーンはフォローに走った。

 

 失われそうな正気を繋ぎ留め、信じていた父に背中から刺されたに等しい諸行に胸を掻き毟りたくなるような衝動に襲われながら、『肉体関係を結ぶという愛の象徴のような行為』を行ってしまい自殺しようとする父に、必死に言い聞かせる。

 

「これは恋人で、夫婦にはならない。

 これは肉欲からの行為で、愛ではない。

 今のあなたは女性であるから、女性に裏切られることはない」

 

 最悪なことに、その言葉がピンクの求めていたものだった。

 

「……あ、そっかぁ、そうだねえ」

 

 そんなフレーズを無限に繰り返しながら、彼女(ちち)を抱いてやるという悪夢。

 傷心の人間が正常な自分を保つために異性と一晩の関係を求めるということはままあるが、これもその一種だろう。

 これは愛ではない、愛ではないと、そう連呼されながら愛されることで、ピンクはギリギリのところで"ぷちっと切れる"ことを回避していた。

 

 その代わりに、ピンクもグリーンも、精神的に追い詰められていく。

 肉体関係は続き、ピンクはふっと前世の記憶を思い出しては自殺衝動に襲われて、グリーンは表面上は取り繕うも、『父として愛していた』彼女との関係に精神を削られていく。

 こんな日々が続いて壊れない()()などあるものか。

 グリーンは、こんな現状早く終わりにしたかった。

 父に救いのある終わりを迎えさせてやりたかった。

 そのために、見つけなければならないものがある。

 

 自殺願望や破滅願望を持つピンクが未だ自殺していないのは、まだ人生にやり残したこと、見たいと思っているものがある、ということだ。

 

「父さんには、見たがってるものがある。地球では見れなかったものがあるんだ」

 

 グリーンはそれがなんであるかという答えに、確信を持っていた。

 

「それはきっと……『愛にならなかった恋』と、『誠実』だ」

 

 恋は愛にならないから美しい。

 人間関係は誠実であるからこそ価値がある。

 ピンクに必要なもの――ピンクを満足させたまま殺せるもの――は恋と誠実。

 ピンクとグリーンは紆余曲折を経て、それが唯一無二の答えであると確信していたが、彼らのリーダーは最初からそれを分かっていたようだ。

 

「大体分かってきたみたいだな、ピンクにグリーン」

 

「……レッド」

 

 彼らのリーダーの赤色は、醜悪な顔を動かした笑みを浮かべて、特典に付随する虹色の目で二人の全てを看破する。

 

「ピンク、お前は愛に裏切られ、愛を嫌うようになった。

 愛でお前は救えない。お前が求めたもの……

 愛にならなかった恋を持つ者、決して揺らがぬ誠実を持つ者が、お前を救うだろう」

 

 それは、彼らに『ゴールがどこにあるか』を助言するような行為だった。

 

「グリーン、お前は報われない。

 報われることをお前が望んでいるわけではないからだ。

 お前の愛は、お前が愛した対象を救わない。

 お前の愛は大切な人の救済には繋がらない。

 希望を父の救済の向こうに見るなら絶対に忘れるな。

 この壊れに壊れた父が救われた時が、お前が救われる時。そしてお前が死ぬ時だろう」

 

「……予言みたいだな。オイラぁ、そういうのは信じないが」

 

「そんな御大層なもんじゃない。

 お前らが死を受け入れるであろう場面を、適当に想定してるだけだからな。

 あれだ、ギャンブル狂に『ギャンブルで破滅する』って予言っぽく言ってるようなもんさ」

 

 レッドは達観している。

 この二人は最終的に死ぬことでしか救われないことを知っているから、二人のことを助けようとさえ考えていない。

 

「ブルーも、イエローも、お前達二人も。

 生まれ変わらなければ救われる道はなく、死ぬことでしか救われない。

 お前達は二度死ななければ救われない畜生だ。救われたいのなら、二度目の死の形は選べ」

 

 ただ、仲間としての忠告だけはしてくれていた。

 

 

 

 

 

 そして今日、グリーンは紅魔と悪魔の混成チームと戦っていた。

 彼女がこの部屋まで降りて来たということは、ここに居るということだ。

 ピンクが見たがっていたもの、『愛にならなかった恋』と『誠実』を持つ者が。

 誠一(ピンク)はそれを見たがっている。

 それだけが彼女の心残りで、ピンクを今日まで生かしているものなのだ。

 

(父さんのためなら、なんだってできるよ。なんだってするよ)

 

 追い詰めれば人の本質は出る。

 グリーンは彼らを追い詰めて本質を暴き、父にそれを見せようとしていた。

 最強の筋肉、加速の神器、魔法無効化が揃っていれば、それもきっと容易いことだ。

 

(だってオイラは、父さんのことが大好きだから)

 

 そうして父が見たがっていたものを見せた後は、父を殺す。

 満足した心持ちのまま苦しみの生から解放する。

 後は用済みの紅魔族と悪魔を一掃して、最後には自殺して終わり。

 

 それが、グリーンの打ち立てたシナリオだった。

 

(なんだってしてやるさ)

 

 むきむきが殴りかかるが、軽くかわされて腹に蹴りを入れられる。

 腹を抑えるむきむきの背後に一瞬で回り、今度はそこにカカト落とし。

 三発目の攻撃で決定打を叩き込もうとするグリーンだが、そこでホーストの爪が飛んで来て、三発目の攻撃は断念。ホーストが助け起こして、むきむきはすぐさま復帰する。

 

(血の繋がらないオイラを愛してくれた父さんを救えるのなら)

 

 むきむきとホーストは背中をくっつけ、互いの死角を完全に消す。

 なのに対応できない。四方八方から飛んで来る高速攻撃を弾くので精一杯だ。

 次第に二人の体に傷が増えていき、むきむきをホーストが守ることも、むきむきがホーストを庇うことも、回数が増えてきた。

 

(そのゴールに辿り着くまでは、走り続けてやる―――!)

 

 戦っているのはグリーンだけで、ピンクは何もせずきゃっきゃ声を上げるだけ。

 自分の意志で戦っているのはグリーンで、心がぶっ壊れているピンクは本質的には自分の意志を何も持っていない。

 ……なのに。

 ピンクが、グリーンを懸糸傀儡の如く操っているかのように見えるのは何故だろうか。

 意志が薄い方が主体で、意志が強い方が補体に見えるのは何故だろうか。

 

 『人形が人間を糸で操っている』かのような気持ちの悪さがそこにはあった。

 

「踏ん張ろう、ホースト!」

「はっ、そいつは余計な気遣いってやつだ!

 お前が紅魔族随一の前衛なら、俺はウォルバク様の配下随一の前衛だぞ!」

 

 前世のことを忘れているむきむきや、前世のことが大きな鬱屈や心残りになっていないカズマやミツルギとは違う。

 グリーンとピンクは、前世の因縁故に『この世界を楽しく生きることができない』者達。

 生きることが救いにならず、死だけが救いとなる者達だった。

 

「ノロマなんだよ、オイラは。いつだって遅い。いつだって手遅れだ」

 

 ホーストの破れかぶれの一撃がグリーンの足先をかすり、それに過剰に反応してしまったグリーンにむきむきが放った拳が、顔に当たりそうになるもかわされる。

 グリーンは腹に力を入れ、そこから更に加速した。

 

「浮気を止めるなら、オイラが妊娠される前に動かなくちゃならなかった。

 オイラが生まれた時点で手遅れだった。

 もっと早く生まれて浮気を止めなきゃならなかったんだ、オイラは。

 でなくても、父さんの歩幅に合わせて進んでいけるようにならなきゃならなかった。

 ガキの歩幅じゃ遅すぎる。対等の立場で父さんを励ますこともできやしない。

 もっと早く気付いて、もっと速く動けるようになってりゃ、他にも手なんていくらでも……!」

 

 更に加速して、加速して、加速する。命を削ることさえ厭わない加速を行う。

 

「もっと早く、もっと速く、もっとはやくっ……!」

 

 先程までなら、残像程度は見えた。影くらいなら目で追えた。

 なのに、今はそれさえできない。

 少年と悪魔は急所のガードだけを固めて、互いの背中を必死に守り合っていた。

 今のグリーンは風だ。姿は見えず、動きは疾く、体を強く打ち付ける暴風。

 手を伸ばしても、風を掴むことは敵わない。

 

(……私の方もちょっと動きづらいかな)

 

 あるえはこめっこがどこかに行かないよう抱えつつ、小さなワンドでちょくちょくピンクを狙っているが、魔法を撃つ前にグリーンにカバーできる位置に入られてしまう。

 なんとか援護したいのはやまやまなのだろうが、魔法が効かないグリーンが跳び回っている上にピンクまで庇っているとなると、どうにもできることがなくなってしまう。

 安楽少女が出て来なくなったことくらいしか、いい情報が目に入ってこないのが歯痒い。

 

 グリーンはピンクを守っている。

 誠二は誠一を守っている。子が父を守っている。

 ここまで壊れて、ここまで手遅れになって、ここまで気持ちの悪い関係性にまで堕ちきっても、なおも守り続けている。

 だから強い。

 グリーンは、だから強いのだ。

 

「ホースト、立てる?」

 

「悪魔をあんまり舐めんなよ、余裕だ」

 

 そんな強いグリーンでも倒しきれず、長々と粘られてしまうくらいには、このコンビが生み出す力も強かった。

 

「かわいそうだとは思うけど! やりにくいとも思うけど!」

 

「同情はしねえ! てめえらまとめて、俺達が叩き潰してやる!」

 

 破れかぶれに、タフな男達の拳が振るわれる。

 理屈も、道理も、作戦さえも無い感情の拳。

 大気を切り裂き暴風を纏う暴虐の使徒達の拳。

 

 ピッ、とグリーンの頬が浅く切れ、一筋の赤い線が彼の頬に刻まれる。

 

 グリーンは更に加速した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あるえは暇だ。

 何もすることがない。

 とはいえむきむきがこうもいたぶられているとじっとしてはいられない。

 彼女は大きな感情を顔に出すことがほとんどないが、無感情ではないのだ。

 むきむきをいじめられているようなこの現状には、普通にイラッとしている。

 ピンクとグリーンは痛い目見ればいい、くらいには怒っている。顔には出さないが。

 

(会話。うーん、会話で揺さぶりをかけられないだろうか)

 

 声をかければ、手が空いているピンクは当然話を聞くだろう。

 ピンクを守ることに集中しているグリーンも、ピンクに話しかければその内容を聞くだろう。

 むきむきとホーストは聞かないかもしれないが、それはそれで好都合。

 

(会話の流れを計算して、一番重要なタイミングで、一番揺さぶりをかけられるように……よし)

 

 下手すれば敵の矛先が自分の方に向かうかもしれないのに、ここで自分に出来る何かを探すあるえには、間違いなくクソ度胸があった。

 

「そこのピンクって人。目の焦点が段々合わなくなって来てるけど、大丈夫なのかな?」

 

 離れた場所からピンクにあるえが呼びかければ、ピンクが怪しい目つきで見返してくる。

 

「自分を見失う、という言葉があるが。ボクも自分を見失って随分長い」

 

 会話が成立している分マシだと考えるべきか。

 

「嘘は筋道立てて整理された虚偽の心。

 対しボクの言葉は俯瞰して見れば支離滅裂だが、間違いなく本当の心だ」

 

「支離滅裂でもいつだって本当のことを話している、と」

 

「そうなんじゃないかな。ボクは正直過去の自分の発言を大体覚えてなかったりするんだけど」

 

 それとも、会話が微妙にズレているからアウトだと考えるべきか。

 あるえは会話の最中に爆弾をぶつけるタイミングと、それがグリーンに致命的な隙を作るタイミングを合わせるべく、言葉を選びながら会話の間を調整する。

 紅魔族の彼女には容易いことだ。

 そうこうしていると、ピンクが会話の流れをぶっちぎってあるえに言葉をぶつけてくる。

 

「それより、君、お前、あなただよ」

 

 定まらない二人称。

 サヴァン症候群の一種なのか、精神と脳が持ついくつかの機能を欠損したピンクは、他人には見えない妙なものが見えているようだった。

 

「ボクには分かる。君は、君が……『愛にならなかった恋』の持ち主だ」

 

 その言葉に、あるえはさらりと返答した。

 

 

 

「そりゃそうだよ、だって私、昔はそこのむきむきに恋してたんだから」

 

 

 

 ピンク以外の全員がぎょっとして、動きを止めた。

 あるえが抱えていたこめっこも、里に居た頃あるえと付き合いがあったホーストも、当然渦中のむきむきも、不意打ち食らったグリーンも、動きが止まる。

 

「殴れ、むきむき!」

 

 あるえの声に、むきむきは反射的に拳を前に出した。

 思考という過程をすっ飛ばした、ノーモーションの強攻撃。

 

「くぅあっ!?」

 

 それがグリーンの土手っ腹に当たり、彼の全身を包んでいた魔術師殺しの模造装甲全てに、大きなヒビを走らせていた。

 だが、それどころではない。

 むきむきからすれば今はそんなことはどうでもいい。

 グリーンを殴って吹っ飛ばしたが、今はそれ以上に揺さぶられることがあるのだ。

 

「あっ、あるえ!?」

 

「昔の話だよ、昔の話。

 女心は秋の空みたいなものさ。

 すぐに移り変わって、後にはその名残だけが残される」

 

「あるえー!?」

 

 昔は恋愛的な意味で好きだった、今はそうでもない、とでも言いたげな口ぶり。

 口元に手を当ててくすくすと笑うあるえの内心は読めない。誰にも読めない。

 かくして、あるえはピンクに言った。

 

「だって、恋は愛よりも儚くて、冷めればすぐに消えてしまう、愛より脆いものだろう?」

 

 容赦なく、ピンクの急所を抉る言葉を。

 

「……違う……それは……いや、だって……愛は、恋より価値がないもの、なんだ」

 

「私も私の価値観をあなたに押し付ける気はない。

 私自身も他人から押し付けられた価値観を信奉する気はないしね。

 けれども、『恋』は盲信や崇拝するものではなく、神格化するものでもないと私は思う」

 

 子供だった頃の幼馴染との関係を上に置き、大人になってからの幼馴染との関係を下に置き、恋を上位とした彼の考え方を、あるえは"恋の神格化"と表現した。

 

「……紅魔族の君。君の恋は、愛にはならず恋のまま終わり永遠になったんだろう?」

 

「その通り。哀れあるえには魅力も勇気も足りませんでした、となったわけだ」

 

 肩をすくめて、少女は自虐する。

 

「でも恋していた時は、普通に愛になって欲しかったさ。過去形だけれども」

 

 けれどもそこに、少女が自分を卑下する様子は、何一つとして見られなかった。

 

「君も過去にはそう思ってたんじゃないか? この恋が結ばれて、愛になったら嬉しいなって」

 

「―――」

 

 ピンクが震えた唇を動かす。

 かすかな声が口から漏れる。

 されどもそれ以上の干渉を、グリーンは認めなかった。

 

「その口を閉じろ!」

 

 あるえを狙って、グリーンが高速移動で駆け出した。

 全身にヒビが入り、凄まじい激痛のせいか速度も落ちていたが、それでも速い。

 されど装甲が割れて魔法が通るようになったなら、ホーストほどの悪魔はそのチャンスを逃しはしない。

 

「『インフェルノ』!」

 

 詠唱カットの上級魔法。

 炎の柱がグリーンの行く手を阻むように立つが、グリーンは自分の肉が焼け爛れることも厭わずに突っ込む。炎の柱を突き抜けたグリーンの前には、むきむきが立ちはだかっていた。

 

「行かせない!」

 

 とりあえず割って入ったものの、むきむきの耳はまだ真っ赤なままだ。

 先日めぐみんに大切な人宣言された時並みに真っ赤になっている。

 あるえは迫るグリーンに危機感を抱くことさえせずに、不思議なフレーズを口にした。

 

「『さあ、幕を引こう。青天の霹靂を待つまでもない』」

 

 そのフレーズが耳に届いたその瞬間に、むきむきは前転気味に地面に転がる。

 

「―――!」

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 そうして空いた射線に、あるえが光の魔法を解き放った。

 光刃は一瞬前までむきむきの上半身があった場所を通過し、魔術師殺しの装甲の残った部分を粉砕しながら、彼の胴体を深く切り裂く。

 

「ん、なっ……!?」

 

 続き、地面に転がった勢いを殺さず立ち上がったむきむきの蹴りが、グリーンを吹き飛ばした。

 

「がッ―――!?」

 

 その衝撃で、残っていた魔術師殺しの装甲も、胸の部分に埋め込まれていた時計の神器も剥がれ落ち、蹴り飛ばされたグリーンは壁に激突する。

 

「バカな……オイラが聞いてた情報じゃ、お前ら共闘したことなんてなかったはず……!」

 

 そう、むきむきとあるえは一度も共闘したことなんてない。

 あるえが魔法を覚えて学校を卒業したのはむきむきが里を出た後。

 共闘する時間も、コンビネーションを鍛える時間も、実は互いの動きを合わせるための打ち合わせさえなかったりした。

 なのに、今の一瞬は、神業の如き連携を見せていた。

 

「なんで、こんな息の合ったコンビネーションを……!?」

 

「あるえは小説家志望なんだ」

 

 むきむきは赤い顔を誤魔化すように、鼻の下をこする。

 

「さっきあるえが口にした言葉は、彼女が昔書いた小説の一文さ。

 そのシーンで、主人公は前に転がって射線を空ける。

 ヒロインは主人公スレスレに魔法を撃って敵を倒す。

 突然のことでちょっとびっくりしたけど、あるえが言いたいことは大体伝わった」

 

「! 小説の動きを、模倣した……!?」

 

「いいファンだよ、本当に」

 

 むきむきはあるえの小説のファンだと公言していた。

 そして、かつて読んだ小説の一部をきっちり再現したことで、その言葉が嘘でないことを証明した。

 あるえは一人の読者を信じた。

 その読者の感想と言葉に嘘はないと信じ、自らの小説を利用した一瞬で終わる作戦指示を実行に移した。

 これもまた、コンビネーションである。

 

 めぐみんとむきむきなら、目を合わせただけで意思疎通できる。

 ゆんゆんとむきむきなら、名前を呼んだだけで複雑な指示も伝えられる。

 あるえとむきむきのこれは、そのどちらにも及ばないが、それでも二人だけの繋がりだった。

 

「あ、あるえ……さっきのは、その……」

 

 むきむきが視線を泳がせて、あるえは淡々と言い放つ。

 

「小説家は話を創作してなんぼだと思うんだよ」

 

「……あっ」

 

「今から私に好かれたいっていうなら相応の行動に応じて好きになってあげるけど」

 

「いやもういいよそういうのは! あるえはあるえだった!」

 

 またからかわれた、と少年は憤慨やるかたない気持ちだ。

 あるえはどこまでが本当でどこまでが嘘かも語らず、含みのありそうな笑顔を作る。

 そんなあるえを見て、ピンクはポツリと呟いた。

 

「……そうか。それで君の恋は終わったのか」

 

 成就されずに終わった恋がそこにあった。

 もう再開はしない恋心がそこにあった。

 そこにあるのは、既に想い出になった恋心。

 幼馴染の少女に恋して、恋の果てに愛し合って結ばれて、その愛に裏切られた彼女(かれ)が見たかったものは……きっと、ここにあったのだ。

 

「……ここまでか。ここで、終わりかな」

 

 グリーンは全てを察し、血でびしゃびしゃに濡れた右手で、床に落ちた時計を拾う。

 

「来い! まだオイラは戦えるぞ!」

 

 もはやこの行動に意味はない。

 座して死を待つ気のない男の意地だ。

 無為でしかないその意地を、むきむきとホースト、二人の男が受け止める。

 

「行こう、ホースト」

 

「ああ、血の花でも手向けてやろうや」

 

 少年と悪魔が踏み込んだ。

 ダメージが足に来ているグリーンは動かない。

 意識の先端を鋭く絞り、彼らを待ち構え、自身の全力加速を迎撃に使う。

 

「ゴッドブロー!」

 

 迎撃のゴッドブローが、ホーストへと向かう。

 限界が近かった体を無理矢理加速させて放った一撃は―――当たらない。かわされる。

 

 特典の強力さゆえに、ズタボロになってからの戦闘の経験値が少なかったグリーン。

 ズタボロになってからの戦闘経験も豊富な少年と悪魔。

 その差が、露骨に出た形となった。

 奇しくもグリーンが持っていたその弱点は、グラムの力に頼っていた頃のミツルギが持っていた弱点の一つと、同じものだった。

 

「ゴッドブローッ!」

「くたばりやがれっ!」

 

 オーラスの一撃は、男二人で息を合わせたダブルパンチ。

 

 むきむきの筋肉を薬剤で模倣した肉体でも、防げるわけがない威力の合体攻撃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 床に取り落とされた時計を拾って、むきむきは片手を上げる。

 

「ナイスファイト」

 

 そして、ホーストとハイタッチ。互いの健闘を称え合う。

 

「おう、お疲れ」

 

 グリーンは薄れていく意識の中で、あるえがむきむきに向ける視線、こめっこがむきむきに向ける視線、ホーストがむきむきに向ける視線から、あることを察した。

 

「お前が『誠実』か」

 

「え?」

 

「裏切らない、傍に居続ける、真心で付き合う、真摯に接する……誠実の、条件さ」

 

 ピンクが見たかったものの『もう一つ』。

 決して裏切らない、一度好きになればずっと好きなままで居てくれる人。

 言い換えるなら、"浮気はいけないことだからしない"という意識と理性が、どんな感情や誘惑にも負けない人、とも言える。

 里の外で誠実に成長したむきむきは、彼女が求めた条件に綺麗に合致していた。

 

 ピンクは見たかったものを見終わった。

 誠実に成長したむきむきも、恋が終わった後のあるえも見た。

 もう、彼女が生に固執する必要はない。

 

「こほっ」

 

「!?」

 

 気が緩んだのか、ピンクはむせこんで血を吐き出した。

 

「心配は要らない。ピンクのこれは、どうせ助からないものなんだ」

 

「薬を作る能力があるなら、それで治療薬を作れば!」

 

「無理さ。この喀血がそもそも、間接的にこの能力のせいで起きたようなものだから」

 

「そんな……薬を作る能力を貰ったってことは、何かを治すために貰った力なんじゃ……」

 

「違う。そんなまっとうな目的で貰ったものじゃない」

 

「え?」

 

「ピンクが欲しがったのは、『タダで麻薬を作れる能力』だ。だからこの能力を選んだんだ」

 

「―――」

 

「この人は、現実から目を逸らす手段しか求めてない。

 麻薬で嫌なことを忘れる。精神安定剤で舵を取る。

 そんなことをずっと繰り返してたから、もう体も心もボロボロなんだ」

 

「なんで、そんな」

 

「そうでもしないと生きてなんていられなかった」

 

 口から血を吐き、死にかける女。

 腹から血を流し、死にかける男。

 アクアが居ればこの二人の傷も損壊も綺麗サッパリ消せるに違いない。

 だが二人は、ここを死に場所に決めていた。

 

「女神は三つの選択肢を提示する。

 天国に行くか、その世界で転生するか、別の世界に行くか。

 『こんな世界で生まれ変わりたくない』と思ったなら、そいつに選択肢は無いに等しい」

 

 グリーンは壁に触れ、その奥に隠されていた魔法陣に触れる。

 すると、施設が大きく振動し、崩壊を始めた。

 

「これは!?」

 

「施設の自壊機能を起動させた。

 この施設もすぐ潰れて山に沈むだろう。

 オイラ達と心中したくないんなら、さっさと逃げるこったな」

 

「!」

 

「地上までの道は開けておいた。道なりに行けば脱出できる」

 

「……グリーン」

 

「行けよ」

 

 丹那誠二は、出口を指で指し示した。

 お前達はここで死ぬべきじゃないだろうとでも、言いたげに。

 

「好きな人が出来て、子供でも出来たら、絶対にいい父親になれよ」

 

 その短い言葉に彼がどれだけの想いを込めたか、余人には知ることも叶わない。

 

「魔術師殺しってのは紅魔の里の奥深くに封印されてたもんだ。

 分かるだろ? その欠片をオイラ達が持ってるってことは……

 オイラ達とは別の魔王軍部隊が、紅魔族をそれだけ追い詰めてるってことだ」

 

「―――」

 

「迷ってんじゃない、さっさと行けよ」

 

 可及的速やかに地上に戻らなければならなくなった。

 二人を連れて行くか迷う少年の肩に、ホーストが手を置く。

 ホーストは無言で首を横に振っていた。

 あるえの方を見れば、こちらはむきむきの目をじっと見てから、首を縦に振る。

 

 そして去っていく紅魔族と悪魔の背中を、グリーンとピンクは見送った。

 なのだが。

 何故か、一人だけそこに残っていた。こめっこがそこに残っていた。

 どうやらまた彼らの隙をついてこっそり逃げ出し、ここに残っていたらしい。

 

「……どうしたのさ、小さなお嬢ちゃん」

 

 グリーンは純粋な疑問から、少女に問いかける。

 こめっこは小さな手でグリーンの頭を優しく撫でて、ピンクの頭も優しく撫でた。

 

「泣いてる子には優しくしてあげないと、って姉ちゃんが言ってたから」

 

 二人の顔に流れる雫はない。

 けれどもこめっこは、二人が泣いているようにしか見えていなかった。

 

「じゃあね!」

 

 二人に優しくしてあげて、こめっこはむきむき達の後を追って走り出す。

 

「……泣いてる子、だってさ」

 

 グリーンは静かに呟く。

 

「オイラも父さんも、泣いてる子だったんかね」

 

 施設が崩れていく。

 

「いつから、泣いてたんだろうかね……」

 

 ピンクは血を吐き、死に近付いていく。

 

「今までありがとう……君も、ボクの救いだった」

 

 最後の最後に、誠一は感謝の言葉を残した。

 

「父さんは、恋が愛になったら醜くなるって信じてたけど……オイラは別に、そうでもないんだ」

 

 最後の最後に、誠二は生まれて初めて、父の言葉に反抗した。

 

「オイラは恋なんてしたことないけど」

 

 最初の反抗期で、最後の反抗期だった。

 

「綺麗な恋が綺麗な愛になって、綺麗なまま終わったら……それが、一番じゃないかな」

 

 施設の全てが、彼らを飲み込んで崩れていく。

 

「次の転生があったら、そしたら今度はもすこしまともな親子に―――」

 

 どことなく清々しい気持ちで、全てをやりきったかのような気持ちで、彼らは輪廻の輪の中へと還っていった。

 一度目の死には全く無かった、不思議な気持ちだった。

 

 

 

 

 

 崩れ落ちた施設の跡を、むきむきが見つめる。

 少年にはそれが墓標に見えた。

 崩れ落ちた瓦礫が、彼らを安らかに眠らせる墓石に見えた。

 

 ダストの依頼で摘んでいたいくつかの恋忘花の一輪を引き抜き、少年は献花する。

 

 墓前には花を添えるものだ。

 それが生者の権利であり、義務である。

 彼らの墓前に捧げた恋忘花の花一輪が、少年が彼らへと捧げる誠意の形だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、この一件の顛末だが。

 アクセルに帰ったところでダストと出会い、むきむき達が恋忘花を渡して使わせたものの、結局ホモ貴族の恋は冷めなかった、というオチがついた。

 どうやらこのホモ、既に愛の領域に入っていたらしい。

 これ以上はむきむき達に付き合う義理もないというわけで、ダストとホモは放置して彼らは帰路につくことにした。

 

「むきむき、浮気してはいけないよ」

 

「唐突だねあるえ! いや唐突じゃないのかもしれないけど!」

 

「兄ちゃん浮気はいけないよー」

 

「しないってば……」

 

 今日の敵が敵だ。あるえがこの話題を振るのは唐突なようで、唐突でもない。

 

「むきむきは他人への好意をあっさり大きくしちゃうからね。私は不安さ」

 

「不安そうな顔してなくて、面白そうな顔してるけど……」

 

「関係の名前が変われば君ほど安心して見られる奴も居ないんだけど、それはそれこれはこれ」

 

 あるえはめぐみんの一人勝ち以外の未来を見ていなかった。

 

「まあ私はむきむきと話してて誰が勝つかとか予想もついたから、後は様子見……」

 

 そう、この瞬間までは。

 

 彼らが屋敷の門を明けると、門が錆からギギギと音を出す。

 その音を聞きつけて、屋敷の中から飛び出して来た少女が居た。ゆんゆんだ。

 ゆんゆんは駆け出し、むきむきに声をかけられても止まらず飛びかかり――

 

「え」

 

 ――少年の唇に、キスをした。

 

「!?!?!?!?!?!?!?」

 

 何かが色々とひっくり返った音がした……と、あるえは感じた。

 

「……あ、ごめん、前言撤回。誰が勝つか私にはまったく想像もつかないね」

 

 こめっこが興奮した様子で声を張り上げる。

 

「ちょむすけはクロネコだけど、ゆんゆんはどろぼーねこだね!」

 

「こめっこちゃん、そういう言葉どこで覚えてくるんだい? 私に教えてくれないかな」

 

 グリーンからの情報で、一刻も早く里帰りしなければならなくなったこの時に、紅魔族の少年少女は何故か新たな問題を次々発生させていた。

 

 

 




初めての相手はめぐみんではないッ! このゆんゆんだッ!

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