「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者!」 作:ルシエド
レッドの発言、イエローの発言、そしてウィズによるスキル『不死王の手』の解説。
それらを拾っていけば、発想のブレイクスルーで至ることができるものが一つある。
"不死王の手を使ったスキルポイント稼ぎ"だ。
不死王の手が起こす状態異常には、レベルを下げるというものがある。
これでレベルを下げても、既に取得したスキルは失われない。
ならばレベル上げ→スキル取得→レベルダウン→レベル上げのループを繰り返せば、その人間は無制限にスキルポイントを得られるというわけだ。
無論、これも利点ばかりの方法ではない。
一つ目の欠点は、レベルドレインスキルを自分の力として持っている者が人間側には存在しないこと。そして魔王軍にはウィズしか居ないこと。
二つ目は、過酷なこの世界において全ての生物は本能的にレベルダウンを恐れるということ。
そして最後に、このスキルで死ぬ可能性があるということだ。
不死王の手の効果は毒、麻痺、昏睡、魔法封じ、レベルドレインの五つ。
カズマはウィズの不死王の手でレベルを下げ、むきむきと一緒にレベル上げをするというサイクルを繰り返していたが、本職リッチーの不死王の手ともなれば付与される毒は即死級だろう。
レベルダウンで体力が下がった人間であれば即死は不可避だ。
それを回避するには、毒死という未来を捻じ曲げるだけの圧倒的な幸運、それもレベル1の頃から持っているような生まれつきの幸運が必要である。
それを持っていても運任せ。
理詰めでこれを運用するためには、毒の状態異常耐性を持たなければならなかった。
耐毒のスキルは毒のダメージを軽減、あるいは無効化する。
これで即死さえ免れれば、後は解毒し回復すればいいだけの話だ。アクアが居る時であれば死亡さえ気にしなくていい。
……幸運、アクアの二重安全装置だけでは飽き足らず、耐毒という安全装置まで盛るのが、実に基本小心者で保守的なカズマらしい。
カズマはその時持っていたスキルポイントの全てを毒耐性の取得とスキルレベルの上昇に使い、不死王の手サイクルですぐに元を取り、満足するまでスキルポイントを確保していった。
その甲斐あって、カズマは取ろうと思っていたスキルのほとんどを取った上で、そのスキルのレベルを上限一杯にまで上げることが出来た。
今のカズマはイエローと同じ、スキルを盛れるだけ盛ったオールラウンダー。
現在の自分のレベル以上にはスキルレベルを上げられないという制限のせいで、スキルレベルこそ一定以上には上がっていないが、それでも極めて多芸な存在となった。
今の彼はテレポートの魔法さえ自在に操ることができる。
そのため、カズマはとても調子に乗っていた。
怪獣サイズにまで巨大化したハンスに、カズマが弓を構える。
弓矢での攻撃に補正が乗るスキルを複数備えた今、カズマの矢の威力も上がっていた。
「狙撃!」
なのだが、その矢は放たれハンスに当たっても、小さな傷一つ付けられないまま飲み込まれてしまった。
「……あ、あれ? 狙撃!」
今度はダイナマイトもどきを付けた矢を打ち込むが、ハンスの体内に飲み込まれた爆弾は爆発するも、ハンスの体内を小規模に膨らませるだけに終わる。
ハンスは体内で生まれた爆発を、軽くゲップのように吐き出した。
「……『ライトニング』!」
とうとう習得した中級魔法をなけなしの魔力で撃ってみるが、それも静電気程度のダメージさえ与えられずに霧散する。
それどころか、レベルリセットで魔力が下がったカズマの魔力は、その一発で魔力の半分以上を消費してしまっていた。
「効かねえ!?」
驚くカズマに、巨大化したハンスが毒を吐き出した。
球体のゲロのようなそれを、跳び上がったむきむきが体で受け止める。
「ぐあああああああっ!!」
「むきむきー!」
毒はむきむきの膨大な体力を一気に削り、その体を強酸で溶かしていく。
されども一瞬で殺すには至らず、アクアの回復魔法が間に合っていた。
「『セイクリッド・ハイネスヒール』!
『クリエイト・ウォーター』! 『ピュリフィケーション』!」
致命傷になる傷が消え、連続して毒が水と浄化の魔法により消し去られる。
水の魔法と水質浄化の魔法は傷口を洗い流し血中の毒も消すという効果を生み、アクアは一瞬にして怪我と毒の両方を無かったことにしていた。
「アクア様、ありがとうございます!」
「ちょっと、気を付けなさいよむきむき! 死体の損壊が大きかったら蘇生もできないのよ!?」
巨大化したハンスは毒性が増した上、攻撃の規模が拡大している。
アクアはむきむきに支援魔法を送るが、支援魔法で強化したむきむきでも即死しかねないと、支援魔法をかけているアクア自身でさえ思っていた。
むきむきに守ってもらって即死を免れたカズマが叫ぶ。
「どういうことだアクア! 俺の攻撃全然効かないんだけど!」
「そりゃそうよ。だってカズマ、レベルもステータスも凄く低いじゃない」
「!?」
「スキルだけ取っても全部みみっちい効果になるだけよ。
しかもあのハンスってやつ、耐性もステータスもサイズも凄いでしょ?
前から爆弾の固定ダメージに頼りきりだったカズマが倒せるわけないじゃない」
「畜生こんなんばっかか! ようやくチートになれたと思ったら!」
スキルポイントを集めてスキルを習得し、ステータスの底上げをするのはいい。だが結局、それはレベルを地道に上げて得た本職のステータスには敵わない。
技スキルを得て使えるようになった技も、レベルが高い者達が何気なく行う動きには敵わないということさえある。
レベルドレインで自分のレベルをリセットするということは、すなわち比較的少ない経験値でレベルが上がる低レベル帯をうろうろするということであり、高レベルに至るために必要な経験値の積み上げを脇に置くということである。
言ってしまえば、今のカズマは器用貧乏なのだ。
攻撃力を始めとした、各種最大発揮値が低いため、単純に強い相手を相手取れない。
爆弾も比較的大きいものなら威力はあるが固定値ダメージ。流石に高ステータスでこのサイズのハンスに決定的なダメージを叩き込むことはできないようだ。
一種の『酔い』でもあった自分の強さへの幻想が醒めて、カズマもようやく姑息に立ち回るための観察力と思考力が戻って来た。
そうして気付く。
ハンスは、明らかに理性的に行動していない。
アクセルの街のど真ん中に陣取るまではいい。
ここに陣取っている限り、ハンスに致命打を与えられる上級以上の魔法は使えない。
なのだがハンスは、その立ち位置を活かしていないように見えた。
街中にガンガン毒を撒き散らしつつアクアを狙えばそれだけで詰みに持っていけそうなものなのに、そうしていない。
それどころか足元の人間をいちいち気にしている。
カズマの観察力は、それが知性有るモンスターの動きより、カエルなどの知性の無いモンスターの動きに近いことに、気が付いたのだ。
(……ん? あいつ、もしかして理性飛んでるのか)
ハンスが最初から巨大化してなかったことには、ここに理由があった。
巨大化の際に理性の大半が失われ、本能で動くようになってしまうのだ。
今やハンスは人間を始めとする食料を狙って動き、片っ端から捕食していこうとするスライムの本能の権化である。
だからこそ新たに脅威になる部分があり、だからこそ失せてしまった脅威があった。
(……だったらまだやりようはあるか?
アクアがゆんゆん達を治したら、一緒に見晴らしのいい場所に移動すれば……)
カズマはアクアを拾って、ゆんゆんとめぐみんと合流して距離を空けようとする。
ハンスが撒き散らす毒の息がアクセルの住民を苦しみの内に毒死させていくが、カズマは駆け出そうとするアクアの襟首を掴み、ハンスに捕食される気配がまだないそれらの蘇生を止める。
「いい、アクア、あいつらは蘇生しなくていい!
蘇生してもすぐ殺されて俺達の行動が邪魔されるだけだ!
後ろ髪を引かれまくる思いだが、死なせとけ! 死んでる奴は毒で殺せない!」
「ひどい!」
「いいからむきむきとか強いやつだけ死なせないように徹底してくれ!
多分勝機がワンチャンスあれば良い方だぞ、このクソデカスライム野郎は!」
「……あの人達恨みで夢に出るわよ、カズマ」
「やめろ! 後で蘇生させても夢に出て来る気がしてくるだろ!」
カズマの判断は正しい。
毒は死体に蘇生不能な損壊を残していないため、捕食に気を付けていれば手遅れにはならない。
蘇生する意味がないというのも正しい。
今の地上で何らかの行動を起こしている冒険者達の行動は、そのほとんどが"ハンスを倒す"という目標達成のためには意味を為さないものだった。
街の様々な場所から魔法が飛ぶ。
だが、巨大化ハンスには蚊が刺した程度にも効いていない。
ミツルギとその仲間やダクネス等、物理攻撃を主体とする者に至っては、地上で一般人を抱えて逃げたり避難誘導をすることくらいしかできていなかった。
「『ルーン・オブ・セイバー』!」
ミツルギが魔剣の力に自身の魔力を上乗せし、物理攻撃・魔法攻撃・神器攻撃の三重攻撃を叩き込む。が、ハンスの体を裂くことはできても、切った傷はすぐに塞がれてしまう。
あまりにもサイズが違いすぎた。
ハンスの体表からスライムの触手が伸びて来たのを見切り、ミツルギはバックステップで跳ぶ。
「くっ、このサイズだと流石に駄目か……!」
ミツルギの攻撃は無効化されているが、そもそも彼くらいでなければこのハンス相手には攻撃を仕掛けることさえできない。
体が大きいということは、身じろぎ一つで大勢の人間さえ飲み込めるということだ。
しからば近接物理攻撃主体の冒険者は、ハンスに近寄ることが自殺と同義になる。
ミツルギレベルの速さと見切りを持たなければ、攻撃する前に触れて死ぬか、攻撃した直後に触れられて死ぬかの二択しか無いからだ。
今のハンスに触れれば死ぬ。
体内に取り込まれれば捕食されて蘇生もできない。
そしてそのどちらも実行に一秒さえかからない。
既に前衛は全員役立たずになっているも同然だった。
「!」
ハンスの巨体が空を仰ぎ、小さな毒の塊をいくつも吹き出していく。
まるで、上に向かって唾を吐くような仕草。
『天に向かって唾を吐く』が如きその姿は、神と人の敵対者に相応しい所業だった。
地面に落ちれば甚大な汚染を拡大させ、人に当たれば即死させるそれを、むきむきとミツルギは見逃さない。
「「 させるか! 」」
むきむきは殴って、ミツルギは慎重に剣の腹で殴って、落ちてくる毒の塊をハンス本体へと打ち返す。
打ち返された毒はハンスの体内へと還っていくが、その過程で毒に触れざるを得ないむきむきは数秒に一回は死にかけ、そのたびにアクアの回復魔法で持ち直すというサイクルを繰り返す。
「っ!?」
だが、流石に二人だけでは余裕も無いようだ。
打ち漏らした毒の塊がカズマの頭上から降ってくる。
死を覚悟するカズマ。されども毒はカズマに当たらず、彼を庇った一人のクルセイダーによって遮られていた。
「ダクネス!」
「間一髪だったな」
ミツルギはカズマ達の方を見てほっとする。
むきむきはダクネスを信頼していたためか視線さえやっていなかった。
毒の塊を弾き終えたミツルギが、その場で膝をつく。
人が顔を洗った時、睫毛に水滴がつくことがある。その水滴サイズの毒の飛沫が、ミツルギの右腕にくっついていた。
(……飛沫だけで……これか……! まともに、受ければ、死に、かねない……!)
アクアの魔法が飛んで来てなんとか持ち直すが、ミツルギは動揺を抑えきれていなかった。
触れれば即死。ならば飛沫にも相応の毒性があると理解してはいた。だが、ここまでのものであるとは思っていなかったのだ。
(この毒が街中に飛び散ったらアクセルは大変なことになる!
あまりにも大規模な威力の魔法はぶつけられない上……
こいつが街の中を這いずり回ったら、それだけでアクセルが死の街になってしまう!)
アクセルは始まりの街。
この世界における冒険者達はまずこの街を目指し、この街で冒険者がなんたるかを知り、各々が望む場所・街・戦場へと向かっていくという。
ここは全ての冒険者が始まりを迎える場所。
言い換えれば、ここが潰れるということは、人類側の戦力供給の大半が止まるということ。
すなわち、人類の敗北に王手をかけられるに等しいことだった。
このままハンスが毒を撒き散らしていけば、いずれはそうなるだろう。
(師父は一体何を……)
毒性を消された飛沫を拭うミツルギは、ハンスに立ち向かうむきむきの背中を見送っていた。
むきむきは三階建ての建物の屋上――ハンスの正面位置のほどよい場所にあったほどよい高さの建物――に立ち、支援魔法で強化された体の調子を確かめるように腕を回す。
今のハンスと同じ目線の高さ、ハンスが少し体を伸ばせば見下されてしまう高さだ。
やや緊張するむきむきの足元に、何かが触れる感覚があった。
むきむきが足元を見下ろすと、めぐみんの飼い猫であり使い魔であるちょむすけが、彼の足に体をすりつけて鳴いていた。
普段はめぐみんの帽子の中に居て、風呂嫌いなもんだからむきむきに定期的に体を拭いてもらっている怠惰な猫である。
戦いの時には滅多に出て来ないのに、珍しいこともあるものだ。
「ちょむすけ? 駄目じゃないか、めぐみんから離れちゃ……あ、毒か。ちゃっかりしてるなあ」
どうやらめぐみんが毒で倒れた時に身の危険を感じ、毒を浴びる前にめぐみんの帽子の中から逃げて、守ってくれそうな人の足元に駆けてきたらしい。
……めぐみんが倒されてしまうという事態は、本当に希少である。
昔からずっと彼女はむきむきという前衛が守ってきて、今ではダクネスという親友までもがめぐみんを守ってくれているからだ。
その辺りは、めぐみんの態度にも出ていたりする。
めぐみんがむきむきという守り手に全幅の信頼を置いているのは、アクセルの冒険者ギルド周知の事実だ。
ちょむすけも飼い主に似たのか、あるいは飼い主から学んだのか、むきむきに全幅の信頼を置いている様子。
「頑張れ」とでも言っているかのように猫は鳴く。
少年の後ろに隠れる猫の鳴き声は、何故かめぐみんを彷彿とさせた。
「応援してくれてるのかな?」
むきむきは気合いを入れ、その気合いで拳を唸らせる。
「分かった、頑張る。安全な場所から見てて」
レベルを下げて、低いステータスの上にスキルを山盛りにしたカズマとは対照的に。
強敵を打倒してきたむきむきは、高いレベルと高いステータスをその身に備えていた。
「はッ」
裂帛の気合い。
上半身の服を一瞬で脱ぎ捨てたむきむきが気合いを入れると、膨らんだ筋肉が周囲の空気をそれだけで爆裂させる。
そして、むきむきは目にも留まらぬ速度での掌底連打を繰り出した。
「だらららららららららららッ!!!」
普段の彼の拳は、空気抵抗を極力生まないようにして、敵を吹き飛ばす力も極力生まないようにして、パンチのエネルギーを相手の体の破壊に全て使おうと意識している。
だが、これは違う。
この掌底は衝撃波を生むためだけのものであり、空気を叩いて前に飛ばすためだけのものだ。
つまりは、先の戦いでハンスの上半身を吹き飛ばしたものを拡大化したものである。
掌底の連打が、空気のハンマーを生んでハンスの体をぶっ叩き、後退させる。
直接殴れば毒で死ぬ? なら、触れなければいい。
鉄球等を投げたら毒が飛び散る? なら、ハンスの体が飛び散らない飛び道具を使えばいい。
空気だってハンマーにできるのだ。そう、筋肉ならね。
建物の上から空気を殴ってハンスをタコ殴りにしているむきむきを見て、アクセルの街の冒険者達は歓声を上げていた。
「や、野郎……デストロイヤー戦で対巨大生物戦に慣れやがった!」
「いや、違うぜ! 俺は知ってる!
あのおねショタとかいう上級悪魔との戦い以降!
あいつは巨大な敵と戦うための修行を、郊外でこっそり続けてたんだ!」
「頑張ってむきむき先輩! 幼馴染にいいとこ見せるチャンスですよ!」
「お前の筋肉の力はそんなもんじゃねえぞ! 爆発させるんだ、力を!」
「皆の衆、解毒のポーションはいかがかな!
バニル印の無駄に効力も値段も高い解毒のポーションはいかがかな!
魔王軍幹部クラスの毒でも解除できるが高過ぎるポーションはいかがかな!
こんな時くらいしか買う必要はないが、こんな時だからこそ役に立つ一品であるぞ!」
逃げる冒険者。応援する冒険者。特に意味もなく煽る冒険者。普段売れない高額商品をここぞとばかりに売り逃げに走る仮面の謎の商人。皆好き勝手していた。
ハンス相手だと冒険者の大半が役立たずになるのは仕方ないにしても、図太いというかへこたれない者達であった。
「お、し、きっ、てっ、やるッ!」
むきむきは凄まじい拳打の連打でエアパンチを叩き込み続ける。
それは屋敷サイズのハンスという化け物を一方的なボクシングの試合以上にタコ殴りにし、後退させるものだった。
ダメージこそ通っていないが、ハンスはむきむきに接近しようとしては拳圧に押し返されているため、事実上動きを封じられているに等しい。
空気を弾き飛ばすという無茶苦茶な攻撃の性質上、むきむきの周囲はちょむすけが必死に踏ん張らないとよろめきそうな暴風領域となっていた。
ここにカズマが居て、風を掴むように指をわきわき動かせば「これおっぱいくらいの柔らかさじゃね?」と言っていたかもしれないくらいの風である。
おっぱいの風の中、むきむきは相手がただの人間なら圧殺しかねないほどの殺意に満ちた拳圧を叩き込み続けた。
そして、ハンスが動く。
ハンスは体内で毒を練りに練って、むきむきに狙いを定めた。
「!」
少年はそれを察知し、上空へと跳び上がった。
一瞬後に、狙いを修正し空のむきむきへとハンスが毒の塊を吐き出す。
その一瞬後に、むきむきは空を蹴って横に跳ぶ。
むきむきに回避された毒の塊はアクセルの近辺の森、モンスターが生息する森林地帯の端に着弾して、無数のモンスターと森林と土壌をまとめて『毒殺』した。
死体になったモンスター、枯れる森林、微生物さえ死に行く大地。
空から見下ろすむきむきが、それを見て驚愕の声を漏らすのは当然のことだった。
「なんて汚染……!」
ハンスがその気になれば、おそらく山でさえ汚染できる。山をも毒殺できる。
むきむきは急いで空を蹴って落ちて行き、ちょむすけの横に猫のような身のこなしで着地する。
そしてハンスに向き合い直したむきむきは、ハンスが万t単位の毒の塊を形成して頭上に吐き出すのを見ていた。
小さい毒の塊を吐くのなら、それは天に唾を吐くようにも見える。
だが、ここまでの量を吐くとなると、天にゲロを吐いているようにしか見えない。
吐き出された毒液はむきむき達の屋敷の内部を埋め尽くしかねないほどの量で、今のハンスの体のサイズと比べても大差はないように見えた。
吐き出された毒液は、天頂で踵を返しアクセルへと落ちてくる。
落下の際に飛び散り拡散する毒液だけで、アクセルを全滅させる一撃だった。
「で……デカッ! あのゲロ野郎、やりやがった!」
カズマは慌てて後ろの三人の後衛を見やる。
ゆんゆんは今全魔力を練ってもらっている。動かせない。
めぐみんは爆発被害と毒物拡散が絶対に起こるため自宅で核爆弾を使うようなもの、却下。
となればカズマが頼れるのは、意味もなく足元のタイルの数を数えている青髪のアホっぽい女神しかいない。
「アクアー! アクアー! 何か水出せ水っー! 受け止めろ!」
「そんなすぐには沢山出せないわよ! ええいっ、『セイクリッドクリエイトウォーター』!」
アクアは顔を上げて、抜き打ち気味に清浄な水を大量召喚する。
力を溜めれば洪水クラスの水が出せるアクアでも、流石に空から振ってくるこの規模の毒を相殺することはできない。
水は空に厚い幕のように広がり、毒液を受け止めるが、そのまま毒液と共に落ちてくる。
まるで、空に天井が出来てそれが落ちて来るかのような光景。
街のいたる所から悲鳴が上がるが、むきむきはそれを無視して空へと跳び上がった。
アクアの聖なる水が、毒液の一部を浄化してくれていた。
毒液に触れられる部位を作ってくれていた。
むきむきにとっては、それだけで十分だった。
「黒より黒く闇より暗き漆黒に、我が深紅の混淆を望みたもう!
覚醒の時来たれり、無謬の境界に落ちし理! 無形の歪みとなりて現出せよ!」
むきむきは現在自分の内にある魔力・支援魔法効果・全筋力を右腕一本に集める。
そしてアクアの水を突き抜けるようにして、ハンスの毒液を殴り飛ばした。
「『エクスプロージョン』ッ!」
ゴキン、と右肩が脱臼する音がした。
むきむきの拳は拳打の秘奥・浸透を極めた域にあり、拳の衝撃は毒液全体に伝搬し、毒物はアクセルの街の外へと一滴残らず吹っ飛ばされる。
そして街の外にあった荒野を、大規模に
まだだ。まだ取り返しは付く。
街中のような複雑な場所ではなく、荒野や森林のような場所であるのなら、アクアの水で押し流しつつ浄化すればなんとかなる可能性はある。
問題は今の一撃で、むきむきさえもが肩を抑えて膝をついてしまったことだ。
ハンスが何かするたびに、アクセルの街は存亡の危機に立たされている。
"もう限界だ"とカズマは判断した。
「やべえやべえ、もうこれ以上は無理だろ! ゆんゆんまだか!」
「……できました!」
ゆんゆんは流石だ。
このタイミングで、間に合わせてくれるのだから。
「ぶっ放せゆんゆん!」
「『カースド・クリスタルプリズン』ッッ!!」
ゆんゆんの魔力はめぐみんにこそ及ばないだけで、紅魔族でも指折りのものである。
めぐみんという天才を通り越した鬼才が居なければ、彼女が紅魔族随一の魔法の使い手を名乗っていた可能性だってあっただろう。
その全魔力を込めた氷の魔法。
言い換えれば、命中してもハンスの毒を撒き散らさない魔法が、ハンスの巨体へと直撃する。
これで決まると思っていた。
これで決めないといけないと考えていた。
何故ならば、今のアクセルの街には『ゆんゆんの全力の氷魔法』以外には何一つとして、巨大化したハンスから街を守る手段が無かったからだ。
「―――」
ハンスは流石だ。
魔王軍幹部として、この魔法にさえ耐えてしまうのだから。
「いや、そこはくたばってくれよ……!」
物理を無効化し、魔法にも強い抵抗力を持つハンスは、ゆんゆんの魔法にさえ抵抗してみせる。
ハンスは体の下半分こそ凍っていたが、体の上半分はいまだ元気に動いていて、そのままの状態でも毒を撒き散らすことは容易であるように見えた。
下半身の凍結も徐々に剥がれている。
このままでは、ゆんゆんの渾身の魔法もただの足止めに終わりかねない。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
だが、ゆんゆんも全魔力を使ってしまった以上、二発目は撃てない。
「まだだ! まだ、終わってない! アクア様、僕に支援魔法を!」
それでも諦めない者は居る。
むきむきは外れた肩を力任せにはめ、アクアから来た回復魔法と支援魔法で再度ハンスの足止めを始める。
支援魔法の反動は効果が切れた後に来る。
連続支援魔法は無謀で、それ相応の反動が来るものだ。
されども、折れる理由がそれでは男の子など名乗れない。
むきむきは空気を掌底で押し、またしても空気を使ってハンスを押し留めた。
「僕が時間を稼ぐから、その間に―――」
されども、ハンスはすっかり本能的にむきむきを脅威と見定めたようだ。
またしても小さな毒を、唾でも吐くようにむきむきだけを狙って吐く。
そんなむきむきに、ミツルギがグラムを投げつけた。
「師父! バットです! 使って下さい!」
回転しながら飛んで来たグラムを、むきむきはいとも容易くキャッチ。
「そぉいっ!」
そしてグラムをフルスイングし、剣の腹で毒の全てを打ち返した。
筋力、スピード、器用度全てが高いむきむきは、打順の一番から五番までどこに置いても活躍が期待できる逸材である。
「流石は師父! 師父ならば六割打者で三冠王も夢じゃない……!」
「楽天コーマゾクマッスルスか何かか」
むきむきという鬼に
むきむきが作ってくれた時間に頭を動かすカズマの背中を、めぐみんの手が叩いた。
「カズマ、カズマ」
「ん? どうしためぐみん」
「いつもはトドメの一撃を撃つ私に集めているからか忘れているかもしれませんが……
その『逆』だってありでしょう。あなたのドレインタッチの力を使うのであれば」
「!」
めぐみんが爆裂魔法を撃ちたがっているとばかり思っていたカズマは、自分以上に冷静な視点で物事を見ていためぐみんに、少し驚く。
「ゆんゆん、私の魔力であなたが魔法を撃つんです。決めて下さい」
「―――!」
「あなたにしかできないことです」
そして少女は、めぐみんがその力を託してまで自分を頼ってくれたことに、心底驚いていた。
「い……いいの? めぐみん、そういうの嫌いじゃない?」
「いいんですよ、別に。今回は私の出番も無さそうですしね。
いつものことです。私よりゆんゆんの魔法の方が小回りが効く分、役に立ちますから」
その言い回しに、カズマとアクアは何かひっかかるものを感じた。
ゆんゆんはハッキリとした違和感を感じた。
むきむきであればその違和感の正体に繋がる何かくらいは見つけられていただろう。
それでも、今はハンスを倒すべき時だ。皆の思考はすぐに切り替えられる。
カズマによってめぐみんの魔力が、ゆんゆんへと受け渡されていく。
以前アクアの魔力をゆんゆんに注いだことがあるカズマだからこそ理解できたことであるが、アクアの魔力よりもめぐみんの魔力の方が、ゆんゆんと相性が良いようだった。
おそらく、アクアの魔力とウィズの相性の対極に位置するものだろう。
「ですが、撃てますか? 私の魔力はゆんゆんよりも大きいですよ」
「……分かってるわ」
「魔力制御の難易度は先程ゆんゆんの全魔力を込めた魔法以上です」
「うん、分かってる」
めぐみんがゆんゆんの全魔力を制御するのは容易だが、その逆は困難だ。
されどめぐみんは、自信さえあればゆんゆんがそれを可能とすると信じていて、ゆんゆんは失敗を恐れる様子など微塵も見せてはいなかった。
「私はね、めぐみんが私より凄い魔法使いの資質を持ってるってことくらい、分かってる」
めぐみんは自分の道を進む者。
ゆんゆんはその背中に憧れながら、めぐみんを追い越すことを夢見る者だ。
「それでも勝てないって思ったことはない。
私はずっと勝ちたいって思ってる。負けたくないって思ってる。それは、どんな勝負でも」
だから。
めぐみんの同年代で、めぐみんに本気で勝とうとする者は彼女だけだった。
里一番の天才とめぐみんが認められた後も、ゆんゆんは本気で勝とうとし続けた。
そんなゆんゆんだからこそ、めぐみんが向ける信頼もある。
「だって私は、めぐみんのライバルなんだから」
めぐみんがゆんゆんのライバルだから、ではない。自分がめぐみんのライバルだから。
『自分は○○』だという揺るぎない意識。絶対的な定義。
めぐみんに負けるたび「勝てないかも」と弱気になる彼女を奮い立たせてきたのは、自分はめぐみんのライバルなんだから、という自意識だ。
それは、きっと強さでもある。
めぐみんは口元に笑みを浮かべて、ゆんゆんと並んでハンスを見据える。
めぐみんの魔力のほぼ全ては既にゆんゆんへと譲渡され、ゆんゆんの杖の先にて練り上げられ、魔法の発動を今か今かと待っている。
「なら、普段私がゆんゆんが倒せないモンスターを倒してる分!
今日は私が倒せないモンスターを、ゆんゆんが倒してみて下さい!」
「ええ、見てなさい!」
魔力に反応したハンスがゆんゆんに毒を射出するが、むきむきはそれも打ち返した。
振り返ったむきむきとゆんゆんの目が一瞬だけ合う。
少女の胸の奥が、少しだけ熱くなった気がした。
「我が名はゆんゆん!
紅魔族随一の魔法の使い手のライバル!
紅魔族随一の筋肉の持ち主の親友!
紅魔族随一の上級魔法の使い手にして、いずれ長として里も二人も統べる者!」
誰にも断ることなく、少女は勝手に名乗って、勝手に魔法を放つ。
「私の魔法が、私の誇りよ! ―――『カースド・クリスタルプリズン』ッッッ!!!」
ただ、その魔法は、紅魔族随一の上級魔法の使い手を名乗っても、何ら問題がないくらいのものだった。
凍らせられたハンスの死骸を一人で抱え、街の外に投げ捨てるむきむき。
そんな彼を、影から見ている二人の姿があった。
「死人ゼロで終わらせるなんて凄いですね、皆さん」
「ふむ……数人はやられるだろうと、あたりをつけてはいたのだが。
いかんな、あの筋肉紅魔族の力が伸びて見通し難くなってきた。
力が強過ぎる者は我輩の見通す力が効き難くなる。
ただでさえあの女神のせいで見通すのが難しくなってきたというのに……」
「バニルさん?」
「これで幹部は三人撃破。奴らもやるではないか」
彼らが見ていることにも気付かず、元ハンスという名の粗大ごみをアクセル街郊外に不法投棄する無礼者と化したむきむきは、付いて来てくれたカズマが自分のことをじっと見ていることに気付いた。
「どうしたの?」
カズマの中に葛藤はない。迷いもない。苦悩もない。後悔もない。憐憫もない。執着もない。
ただ、カズマは自分の中にある想いをどういう言葉で表すべきか、数秒の時間をかけて選んでいた。
「いや」
言葉を選ぶ意味がないとしても。
今のむきむきが何も覚えていないとしても。
カズマは
「人付き合いってのは、何も考えないでするのが一番だって思い出しただけだ」
「あ、分かる。それとっても共感できるな」
それが、カズマの出した答え。
前の世界でも、今の世界でも、この少年とカズマが仲良くなった理由だった。
「そうだそうだ、何も考えずにくっちゃべってるのが楽しかったんだよな」
「だね」
「あーすっきりした。考えることは減らすに限るよな」
納得した様子のカズマが、完全に以前の雰囲気に戻っているのを確認し、むきむきはちょっとだけほっとした気分になる。
ここまで付いて来ていたちょむすけにむきむきが手を差し伸べると、その手の先をちょむすけがちろっと舐めた。
「おいで、ちょむすけ。めぐみんの所に帰ろう」
ちょむすけがむきむきの太い腕を登り、彼の肩の上に乗る。
そこはめぐみんの定位置だった。めぐみんが見たら怒ることだろう。
彼らは見られていることに気付かない。
ウィズとバニルが遠目に見ていることに気付かない。
千里眼持ちの悪魔が自分達を見ていることにも気付かない。
「……見つけた。ウォルバク様の半身」
一つの戦いの終わりは、新たな戦いの始まりであった。
小勝因:アクセルの街のしぶとい人達が元気に四方八方走り回っていたせいで、ハンスがどれを食おうか目移りし時々動きを止めていたため。回転寿司で回ってる寿司のどれを取ろうか迷ってる内に寿司が行ってしまう現象の近似