「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者!」   作:ルシエド

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光のボッチ(処女)と対になる闇のビッチ(処女)再襲来


3-4-1 カードゲームで言えば「相手ターンでも手札から発動可能な強制コントロール奪取」カード

 魔王軍八大幹部の一人、大悪魔バニルは感心したような声を出していた。

 

「露骨に特定の一人を狙い撃ちか」

 

「厄介な奴に的を絞って相性で嵌める。常套手段だろ」

 

 ただの人間でありながら、搦め手においては魔王軍屈指の腕を持つ幹部・セレスディナ。

 彼女へ、バニルは素直な賞賛を送る。

 

「悪くない。幹部複数であたるのであれば、よほど状況が悪くなければ勝利を得られるだろう」

 

 バニルとセレナがこうして話しているのを見れば、作戦の内容も大体は分かる。

 つまり、アクアの周りの特定の人間にきっちりと対策を立てた上で、かの女神を幹部複数できっちり追い詰めて仕留める。

 そういう作戦であるということだ。

 

「あたしの指示通り動いてくれよ?

 これはお前の宿敵を仕留める作戦でもあるんだ。

 勝手な行動は慎んで、一手一手丁寧に詰ませて行こう」

 

 セレスディナはホッとしていた。

 彼女主導で始めた幹部複数人による女神抹殺作戦だが、この作戦にはバニルという特大の不確定要素が存在している。

 『敵の強みであり弱み』を嫌らしく狙うというのがこの作戦の肝であったが、そのために必要な人物でなければ、セレスディナもバニルを誘いたくはなかったのだ。

 

(魔王でさえこいつは制御できない。

 いや、誰にも制御なんてできるわけがない……)

 

 そもそもの話、()()()()()()()()からこその大悪魔なのだ。

 人が神に唾吐いても神はそれを微笑んで許すだろう。

 されども大悪魔が神に弓引けば、神は全身全霊を懸けてそれを滅しようとするだろう。

 大悪魔バニルは、そういう存在だ。

 

「その素晴らしい作戦に、我輩はあえて従わぬ」

 

「!?」

 

 セレスディナの話をちゃんと聞き、その作戦の上等さを褒めちぎった上で、ホッとしたセレスディナを梯子外しで蹴落とす。

 それがバニルである。

 

「息を合わせての共同作戦など真っ平御免被る!

 我輩は先に行かせてもらおう!

 梯子を外されたその悪感情、美味である! フハハハハハハ!」

 

「待てコラァ!」

 

 セレスディナはバニルを止めようとするが、本気で移動する大悪魔に追いつけるわけもない。

 バニルはセレスディナを置いてけぼりで、アクセルの街に直行した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その悪魔は、ある日突然むきむきの前に現れた。

 

「ほう、よく育ったものだ」

 

「え?」

 

「両親の面影が見える。あの赤子が、こうまでなったか」

 

「! 父さんと母さんのお知り合いですか!?」

 

 街中の路地裏に佇んでいた仮面の男。

 その男は仮面・話し方・雰囲気で、胡散臭さと掴みどころの無さを第一印象で叩きつけてくる者だった。

 むきむきもそれは感じていたが、両親の知り合いということで、警戒心が多少薄れる。

 

「うむ、知り合いと言えば知り合いか」

 

「あの、あなたは……?」

 

「奇縁という言葉は言い得て妙だな。

 奇妙な縁というものはあるものだ。

 全てを見通す我が眼が見通せないものもある」

 

「……? すみません、会話を成立させてもらえませんか」

 

「『全』とは定義の物であるからだ。

 未来には全に含まれないものも多い。

 神界や神の類もまた、全には含まれまい。

 全知の力があったとしても、可能性が生まれ続ける世界の全ては、知り得ないだろう」

 

「……ええと、結局どういうことなんですか?」

 

「結論から言ってしまえば」

 

 とん、と顔に何かが触れて、むきむきの視界が暗くなる。

 仮面を被せられたのだ、とむきむきが認識したその時には、彼の意識は闇に落ちていた。

 意識を失った筋肉の巨体を、仮面となった悪魔が動かす。

 

「我輩が見通し難いと思った者は、ほぼ確実に女神の縁者であることだ」

 

 仮面の悪魔は、その名に相応しい奇天烈な戦い方を始めようとしていた。

 

 

 

 

 

 今日は皆でクエストに出かける予定であった。

 カズマ達は全員揃い、街の外でむきむきを待つ。

 

「お、来た来た。

 おーいむきむきー、こっちだぞー。

 その仮面どうしたんだ? また露店で買わされたのか?」

 

 仮面を付けてやって来たむきむきは、無言。

 不思議に思うカズマだが、紅魔族の二人は何か違和感を感じて、近寄ってくるむきむきとカズマの間にアクアが割って入る。

 

「待ってカズマ。臭うわ」

 

「臭う? アクアお前、誰かが屁をこいた時はスルーしてやるのが優しさで……」

 

「違うわよ、これは悪魔の臭い!

 むきむきからとびっきりに臭い悪魔の臭いがするのよ!」

 

「また酔ってるのかお前」

 

「たまには信じなさいよ! 私の偉大さを理解してよ!」

 

 カズマは信じない。

 

「そっか、この感じ、悪魔!

 巧妙に隠してるけど、この魔力……最上位クラスの悪魔よめぐみん!」

 

「神話で神とガチンコで戦っているレベルの悪魔ですね。

 ……むきむきを真っ先に手中に収めに来るとは、なんと厄介な」

 

「なんだって!? どういうことだ二人共!」

 

 カズマは信じた。

 

「おかしい! この反応の違い絶対におかしいわダクネス!」

 

「よしよし」

 

 女神が神に祈るクルセイダーに泣きつくという事案が発生。

 

「お初にお目にかかる。

 魔王軍八大幹部の一人にして、七大悪魔第一席。

 我輩は見通す者にして地獄の公爵、仮面の悪魔のバニルである」

 

 バニルは仮面の下のむきむきの顔で、にたりと笑う。

 カズマのこめかみに、一筋の汗が流れた。

 

(……この肩書き、ラスボスより強い裏ボスとかのやつじゃね?)

 

 物凄く強そう、という印象はない。

 この上なく恐ろしい、という印象もない。

 なのに勝てる気がしない。打倒の想定に現実感が伴わない。不思議な雰囲気の悪魔であった。

 バニルと相対しているのがアイリスであったなら、"勝ち負けにこだわっているようにも、勝ち負けの枠の中に居るようにも見えない"と評していただろう。

 

 バニルの肩書きと雰囲気は相乗し、どうにもよく分からない印象を抱かせていた。

 仮面とは正体を隠すもの。

 しからば『仮面の悪魔』とは、『自分の本質や本音を他者に読み取らせない』という性質を表しているものなのかもしれない。

 

「むきむきをどうしたんですか? 返答によっては……」

 

「我輩が体を使っているだけだ。

 この男は魔法抵抗力がずいぶん低いようでな。

 特に労せず我輩はこの肉体を操ることができているのだ」

 

「めぐみん、こんなやつと話す必要なんてないわ!」

 

「管理者気取りでろくに管理もできていない神がよく言う」

 

「お生憎様、私達は世界の命運は人に決めさせる方針で一貫してるのよ! ぷーくすくす!」

 

 神と悪魔は、敵対関係にある。

 見方を変えれば、人と魔王軍以上に鮮烈に敵対している。

 

「いいカズマ? 悪魔っていうのはね、人間の感情を餌にしてるの。

 人間が居ないと食料が足りなくて今のまま生きてもいけないの。

 分かる? 寄生虫よ寄生虫! 寄生虫みたいなものなの!

 人間に寄生しないと生きていけないくせに、人間を食い物にする上位種を名乗ってるのよ!」

 

「……お前、本当に悪魔嫌いなのな」

 

「そりゃそうよ。

 神が愛し守る人間を苦しめて感情を食べたりするのよ?

 カズマだったら愛する子にでっかい寄生虫がくっついてたら、嫌な気持ちになるでしょ?」

 

「まあだいたい分かった。神と悪魔が殴り合ってる理由とかもな」

 

 人間に形のない恵みを与える神。

 人間の形のない感情を食らう悪魔。

 人間を挟んだ敵対関係なのだ、これは。

 知力が足りず小心者で欲に流されてしまうことも多いアクアだが、そのベースには人間や信仰者への愛がある。

 アクアの悪魔への嫌悪は、人間への愛の反転なのだ。

 

「くだらん。神も人間の信仰で力を得ているではないか。

 そういうのはな、寄生ではなく共生と言うのだ。

 神と人、悪魔と人。どちらも変わらず共生の関係でしかなかろう」

 

「じゃあなんで人を滅ぼすことが目的の魔王軍に居るのかしら! はい論破!」

 

「……ふむ、確かに。

 昔馴染みの魔王からの頼みとはいえ、そこを突かれると答えに困るな」

 

「ぷーくすくす! 反論できないとかやっぱり悪魔なんて頭悪いのね! この私を見習ったら?」

 

 悪魔は好みの感情を人間に出させるため、人間を攻撃したり、人間の敵に回らないといけない場合も多い。

 魔王軍に所属している悪魔には、人間に絶望や苦しみの感情を出させるためだけに、魔王軍に所属している者も少なくない。

 だが、人間が滅びてしまえば悪魔は糧を失うわけで。

 そこのところの矛盾はどうしようもなく、指摘されても仕方のない箇所なのだ。

 バニルは人間の死は望んでいないが、彼以外の悪魔は普通に人間を殺しているのだから。

 が。

 他の誰でもなく、宿敵の女神にそこを指摘されると、流石のバニルもイラッとする。

 

「だが貴様の煽りは、ちょっとどころではなく癇に障る!」

 

 バニルはむきむきの体を操って、アクアに殴りかからせる。

 無造作なパンチが女神に振るわれ、割って入ったダクネスの大剣に受け止められた。

 地面を強く踏みしめるダクネスは、巨大ロボを揺らすむきむきの拳を受けてもビクともしない。

 まさしく、人の形をした要塞だった。

 

「ふむ。硬いな」

 

 日々レベルを上げ、得たリソースを全て防御に回しているダクネスは、大悪魔から見ても驚くほどの頑強さを獲得している。

 

「……お前は知るまい。私とその男は、このPTの二枚盾なのだ」

 

 ダクネスは凛々しい表情で、よく通る声で、金の髪を揺らして叫ぶ。

 

「仲間を守るため、前に出る。それが私達の役割。

 ならばむきむきがその役目を果たせない間は、その分まで皆を守るのが私の役目だ!」

 

「やる気十分ではないか、最近気になる男が出来ていいところを見せたいと思っている娘よ」

 

「思っていない!」

 

 むきむきが居ない今こそ、ダクネスが最高にかっこよく活躍するチャンスなのだ。

 ダクネスが気合を入れている理由がそうであるか、そうでないかは別として。

 精神攻撃を食らって揺らいだダクネスの背後で、アクアが強気に大声を出す。

 

「いいわダクネス! そのままそいつ抑えておいて!

 私のとっておきの神聖魔法でぎゃふんと言わせて消し飛ばしてやるわ!」

 

「さて、この中で厄介な者が誰かと言えば……まず二人」

 

 瞬間、むきむきの姿がダクネスの視界からかき消える。

 バニルがむきむきの体を適当に扱うのをやめ、その肉体に備わっていたスペックを強制的に引き出したのだ。

 バニルの魔力がむきむきの肉体に流れ、滑らかに筋肉が躍動する。

 

 仮面の悪魔と化したむきむきは、一瞬でダクネスの前からアクアの背後に回り込んでいた。

 

「ぎゃふんっ!」

 

 後頭部をぶん殴られ、ぎゃふんと言わされたアクアが倒れる。

 そして、倒れたまま動かない。

 

「アクア!」

 

「女神。そしてそこの小賢しい男、であるな。

 13歳の同性の友人を風俗の道に引きずり込もうとしている男よ」

 

「し、してねーし! 思い留まったし!」

 

「……」

「……」

 

「めぐみん、ゆんゆん、その目を止めてくれ!

 これは仲間割れを狙う魔王軍の卑劣な策略だ!」

 

 卑劣。それは真実を隠し、他人に濡れ衣を着せる者の呼称。

 はたして本当に卑劣なのはどちらなのか。

 ……なんてことは、どうでもいいのだ。

 カズマが弁明に思考を割いてしまったその一瞬に、カズマもいい筋肉の一撃をもらってしまっていた。

 

「うぶらっ!」

 

 カズマも轟沈。

 事実上むきむきの体を人質に使っているバニルに対し、有効な手を打てそうな二人があっという間に沈められてしまっていた。

 

「なんだ、この動きは……!?」

 

 ダクネスはカズマ達を守ろうとしていたが、バニルの高速移動に付いて行けていない。

 今は紅魔族の二人を守っていたが、少しでも離れれば今の二の舞いになりそうですらあった。

 

「速度が足らんのだ。それでは我輩に追いつくなぞ夢のまた夢よ!」

 

 このバニルの強さはシンプルだ。

 言葉で相手を誘導し、揺さぶりをかけつつ殴りに行く力技一体。

 小細工が上手い曲者の頭脳と、むきむきの超スペックのコラボレーション。

 すなわち、普段カズマとむきむきが見せている強さと、近しいところがある強さであった。

 

「『ストーンバインド』!」

 

 ゆんゆんが土属性の拘束魔法を放つも、むきむきの体がひょいひょい跳んで当たらない。

 まるで、子供が伸ばした手を素早くかわすバッタのようだった。

 

「魔法のキレは悪くない。

 が、この肉体の持ち主を気にし過ぎでは当たらんぞ?

 幼馴染に胸を揉まれてから夜な夜な悶々としているいやらしい娘よ」

 

「し、してませんから!」

 

「そこな娘に至っては、使える魔法がネタ魔法のみ。

 使い勝手の悪い爆裂魔法では、この局面では何もできまい。

 なあ、最近色々あって女らしさを出すため髪を伸ばそうか悩んでいる少女よ」

 

(冷静に、冷静に、動揺したらこの悪魔の思うツボです……

 というか、むきむきの口を使われてこういうこと言われるのは、こう……!)

 

 バニルは本当のことを言う必要も、嘘を言う必要もない。

 仮面の悪魔が求めるのは自分の好みの味をした悪感情。

 相手の本質を見抜き、相手が言われたくないことを虚実入り交えて語ればそれでいいのだ。

 嘘で動揺させることも、真実で動揺させることも、等しく話術なのだから。

 もっとも、バニルが語ることはその多くが真実である。

 

「めぐみん、ゆんゆん、どうすればむきむきを助けられる?」

 

「あの仮面を引き剥がせば、どうにかなる気はします」

 

「一度捕まえなければ無理か」

 

 バニルの魔力が少年の体を巡り、豪快な連打が瞬時に放たれる。

 跳ね回るむきむきの拳が、ダクネスの鎧に拳の形の凹みをいくつも残していた。

 

「ぐっ……!」

 

 普段のむきむきより一段上の強さが発揮されている。

 他人の体を使って元の持ち主より強いのは、流石大悪魔といったところか。

 ダクネスの体にでも取り憑いていれば、攻撃が当たり巧みな剣技も使うスーパーダクネスが爆誕していたかもしれない。

 

 この状況でキーマンとなるのは、緻密な魔力制御と多彩な魔法を使えるゆんゆんだ。

 

「『ボトムレス・スワンプ』!」

 

「『デコイ』!」

 

 ゆんゆんの魔法だけであれば、まず当たらなかっただろう。

 だが、バニルが跳躍に入るその瞬間に、ダクネスがデコイを発動させていた。

 デコイは敵の敵意と注意を引きつけるスキル。

 言い換えれば、敵の意識に作用するスキルだ。

 

 タイミングを間違えなければ、他人の魔法の成功率を多少なりと引き上げられる。

 

「しまった! このバニルともあろうものが……!」

 

「やった!」

 

 キールからの指導と日々の研鑽によってゆんゆんの腕が上がっていたこともあり、泥沼は魔法抵抗力の低いむきむきの体を見事に捕らえる。

 バニルが焦りを見せ、皆がここでひとまずの決着を確信した。

 

「なんちゃって」

 

 が、バニルはむきむきの両の手を平手にして沼に叩きつける。

 技巧と剛力を組み合わせた一撃が、泥沼の泥をたった一発で形も残らず吹き飛ばしていた。

 

「やった! 成功だ! と思った直後の台無し感。その悪感情、美味である」

 

「超殴りたい……!」

 

 他人を手玉に取る手合いが、むきむきのパワーを扱えるとこうも厄介になるというのか。

 めぐみん達は普段カズマとむきむきに蹂躙されている敵に同情の念を抱きつつ、それと同じくらいに大きな危機感を抱いていた。

 再開される豪快な連打。

 バニルが特に何も考えずむきむきの体を動かすだけで、ダクネスの鎧が面白いようにベコベコになっていく。

 

「しかしいい肉体だな、これは。

 我輩が使うだけでこれなのだ。

 普段どれだけ宝の持ち腐れになっているか察せようというもの」

 

 バニルは()()()()のことを思い出す。

 そして()()()()()()のことも思い出す。

 この悪魔から見ても、むきむきの肉体はそれらに比肩するものであるようだ。

 ただ、その精神は戦闘者としてはあまり評価されていない様子。

 

 見通す悪魔はそう言って、めぐみんは露骨に眉を顰めた。

 

「持ち腐れかどうかは、勝手に体を使っているあなたが決めることじゃありません。

 その肉体はむきむきのもの。あの甘ちゃんだけが使っていいものです」

 

「おお、こっ恥ずかしい台詞確かに頂戴した。

 その調子で言いたいことは素直に言い合い、男女で続々繁殖するが良し」

 

「煽り芸だけはカズマ並な悪魔ですね……!」

 

 バニルに人間を殺す気はない。

 アクアは殺す気で攻撃したが、カズマは気絶で済むように手加減していた。

 今また、めぐみんの背後に一瞬で回り込んだバニルは、手加減した一撃をめぐみんのうなじに叩き込もうとする。

 

「……む?」

 

 だが、その手が止まった。

 

「やっちゃいけないことが……やっちゃいけないことは、あるんだ……!」

 

 むきむきが意識を取り戻し、内からその攻撃を止めたのだ。

 めぐみんを殴るなど、彼にとっては最大級の禁忌である。

 

「ほほう、魔力由来の力ではなく精神力で抗うか。

 ……む? いや待て、まさか貴様、これは……」

 

 まさか、と思いバニルは倒れたアクアを見る。

 バニルは殺したつもりだったようだが、アクアは情けない顔で気絶しているだけだった。

 そも今のむきむきの肉体のパワーであれば、殴られたアクアの頭はスイカ割りのスイカのようになっていなければおかしい。

 むきむきの干渉で、拳が当たる寸前に手加減されていたという証左だ。

 

 アクアは確定死の攻撃を確定気絶の攻撃にまで軽減されていた。

 ならば、バニルが気絶させるつもりで殴らせたカズマはどうなのか。

 それに気付いたバニルがカズマを探すが、カズマの姿はどこにも見当たらない。

 

「そういうことか!」

 

「そういうことだよ! くたばれ!」

 

 カズマは攻撃を食らって気絶したふりをして、潜伏スキルを発動してゴキブリのようにこっそり這い回り、草むらに隠れてじっと期を待ち、今この瞬間にバニルに奇襲気味に飛びかかっていた。

 

 "女神の近くでは見通す力を含む悪魔の異能が十全に機能しない"という『幸運』が、カズマにとっての望外の幸運となり、彼の後押しをする。

 

(だが、この男は冒険者! 大したスキルはあるまい!)

 

 何をしてこようとも、一発ではやられないだろうという考えが、バニルの中にはあった。

 されど、その認識も一撃で覆される。

 カズマの手が仮面に触れると、バニルの中にとんでもない苦しみと不快感と倦怠感が流し込まれて来たのだ。

 

「こ……これは!?」

 

 カズマは僅かな躊躇いもなく、気絶したアクアから魔力をドレインタッチで吸い上げ、それをバニルに流し込んだのだ。

 それも、アクアが羞恥から決して吸わせないようなアクアの深奥にある『濃い』神聖な魔力を。

 

「いつか悪魔かアンデッドにやってやろうと思ってたんだよ!

 喰らえ必殺、逆ドレインタッチィ! アクアパワーで死ねえ!」

 

「な、なんということを考えつくのだこの男!

 ぐ、ぐぐっ、女神の忌まわしい魔力が……ぐぅっ……!」

 

 ……タイミングと状況さえ理想的であれば、ウィズ相手でも仕留められる可能性がある裏技であった。

 

 アクアは流した涙でさえアンデッドの王を弱らせるほどの、全身洗剤女神である。

 浄化の象徴である流水の概念も内包しているのは伊達ではない。

 魔力そのものに神聖な浄化の力が宿っており、バニルにもダメージを与えるものなのだ。

 

「いいぞカズマ、そのままやれ!」

 

「くっ、離せ!」

 

 ダクネスが背後からむきむきを捕まえる。

 器用度はゴミカスダクネスな彼女だが、筋力は十分にある。

 彼女がむきむきの胴を捕まえ、そしてめぐみんとゆんゆんがむきむきの両腕を捕まえる。

 

「むきむき! そろそろ正気に戻ってください!」

 

「戻って来て! そんな悪魔に負けないって、信じてるから!」

 

「ぬぅ、ここぞとばかりに……!」

 

 "めぐみんとゆんゆんに怪我なんてさせない"と、今日一番に強烈なむきむきの抵抗がバニルの内部で大暴れする。

 その抵抗のせいで、三人をロクに振りほどくことができない。

 カズマは継続して、アクアの魔力を流し込み続けた。

 

「お前の大嫌いなアクアの魔力でくたばれ!」

 

「御免被る! それだけは絶対に受け入れられん!」

 

 バニルは仮面と化した自分をむきむきの腕で掴み、仮面だけでも逃がすべく投擲しようとする。

 その逃げ方を見て、カズマは反射的にドレインタッチを解除し、その手の平を仮面を掴むむきむきの手に向けていた。

 

 今のバニルは装備品扱いになっているため、召喚などでむきむきだけを助けようとしても助けられない。

 が、"手に持った"今のタイミングであれば、分かりやすくスティールの効果対象だ。

 

「『スティール』!」

 

 アクアの魔力で弱ったバニルに、スキルが決まる。

 カズマが反射的に撃ったスティールが、バニルの仮面を引き剥がしていた。

 仮面が外れたむきむきの体が、バタリと倒れる。

 

「なんだと!?」

 

「投げろダクネス!」

 

「あい分かった!」

 

 カズマがダクネスに仮面を投げ、ダクネスが思いっ切り空へと投げ上げる。

 

「おのれぇ、人間ごときにぃ!」

 

 コテコテのテンプレな『やられる悪役の台詞』を吐いて、バニルの仮面ははるか上空へ。

 

「行け、ゆんゆん!」

 

「はい!」

 

 カズマはアクアの魔力をこれでもかと吸い、ゆんゆんはカズマから渡されたアクアの魔力を、光の刃の形に練り上げる。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 神聖で、上質で、底無しであるアクアの魔力。

 

 それを紅魔族の超スペックで練り上げた最高の光の一撃が、バニルの仮面をとても綺麗に両断していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もうこんな戦いは嫌だ、とカズマは心底思っていた。

 バニル撃退から約一時間後。

 彼らは自宅である屋敷に帰るだけの気力も持てず、近場のウィズの店に寄り、まだ普通に使える類の回復薬を買って、そこで傷の手当てをしていた。

 

「いちちち……」

 

 カズマはゆんゆんに手当されながら、後からじわじわとダメージが増してくる傷口をさする。

 むきむきの一撃は、寸前でむきむきが手加減してくれてなお重かった。

 アクアはまだ意識を取り戻していない。

 ダクネスの鎧もボコボコだ。

 アクアが起きて上位の回復魔法でもかけてくれなければ、今日一日はカズマもダクネスも戦えなさそうだ。

 ゲーム的に言えば、負傷は少ないがHPが真っ赤っ赤、といった感じだろうか。

 

 つくづく、最初にヒーラーを落とすという王道戦術の恐ろしさを思い知らされる。

 

「敵に回して初めて理解したぞ。むきむきの素の戦闘力の恐ろしさ……」

 

「単純なステータスの暴力は、本当にどうしようもなかったな。見ろ、私の鎧がベコベコだ」

 

「RPGのラスボスだわアレ。こっちが一回行動する間に三回行動してくるやつ」

 

「あーるぴーじー?

 それが何かは知らないが、行動回数というのは分かる。

 バニルの立ち回りが上手かったのもあるが、戦闘速度の差が大きかった」

 

 この世界には素早さのステータスは存在するが、素早さ特化の存在はそこまで多くない。

 むきむきレベルのスピードでも少なく、グリーンレベルの速度特化ともなれば更に少なくなるだろう。

 敵が速く、味方に速い人間が居ないだけで、今日のように後衛から落とされかねない。

 

「バニルとかいうあの幹部。

 敵戦力を減らして自分の戦力増やす乗っ取りスキルとか、二度と見たくないな」

 

 今回は、普通に全滅があり得た戦いだった。

 特にむきむきというエースを奪われ、カズマとアクアというジョーカーを先んじて潰された流れは、もう二度と繰り返してはならない流れである。

 カードゲームで言うところの、メタカードを使われたに近いどうしようもなさがある。

 

「公爵級の大悪魔にしては弱かった気がしますけどね。

 本気を出さないまま魔界に帰ったのかもしれません」

 

「おいめぐみん、怖いこと言うなよ。他の幹部が更に怖くなるだろ」

 

「公爵級の悪魔といえば、本来は神々の宿敵です。

 世界の終末に現れ、世界の存続を賭けて神々と戦う存在ですよ?

 人類の存亡を賭けた戦い程度の些事に出て来るような小物じゃありません。

 ま、当たれば私の独力の爆裂魔法でも、一回くらいは殺せると思いますが……」

 

「違った。一番怖いのはそんな魔法をやたらと撃ちたがるお前だった」

 

 危険な戦いが終わり、カズマ達の間には弛緩した空気が広がっていた。

 

「まあ、それも過ぎたことだ。私達は奴を倒したのだから」

 

「ほほう、誰を倒したと? 我輩にも教えてくれ」

 

「そりゃお前魔王軍幹部のバニルに決まってうわあああああっ!? なんでいんのお前!?」

 

 その空気が、何故かまた現れたバニルの存在に引き締められる。

 

「いやはや、我輩を一度打倒するとは見事見事。

 それとご苦労。

 これで我輩も面倒臭い役目から解放されたというものだ」

 

「ど、どういうこと?」

 

 バニルはそうは言わないが、これはバニルが自身のために仕組んだことであり、同時に人類が魔王軍に勝つ目を作るための"戦争のバランス調整"でもあった。

 

「幹部は魔王城の結界維持を担当していてな。

 我輩も魔王への義理から手伝っていたが、最近飽きてきたのだ。

 とはいえこの結界維持、手っ取り早く辞めるには死ぬしかない。

 お前達の奮闘(笑)のおかげで、我輩は晴れて自由の身になったというわけだ!」

 

「カズマ、こいつにここまで苛つくのは……

 私がエリス様に仕えるクルセイダーだからなのだろうか……!?」

 

「いや、誰でも苛つくだろこれ。

 戦いに勝っても負けても最終的な勝者になってるとか……

 勝っても負けても満足して笑ってるとか、勝負の土俵に立ってすらいねえ」

 

 "イラッとくる敵"の最上位存在は、勝敗の外側に居て勝とうが負けようが笑っている者である。

 殴るだけではどうにもできない者である。

 他者の性格や思考を把握している者である。

 何故ならば、そういう存在は敵対したり排除しようとしたりしても、相手を楽しませる結果にしか終わらなかったりするからだ。

 

 バニルは、そういう悪魔であった。

 

「い、いやちょっと待ってください!

 あなたがここに居る説明にはなってませんよ!?」

 

「友人の家を訪れるのに、理由がいるか?」

 

「友人? ……あっ」

 

 めぐみんが問い、バニルが答えて、二人の紅魔族が瞬時に察する。

 二人の視線がウィズに向けられたのを見て、カズマとダクネスも察した。

 ウィズがほんわかした雰囲気で微笑む。

 

「バニルさんは私のお友達です。

 私も魔王軍の幹部で、結界を担当している一人ですからね」

 

 そして、予想外の事実までもを明かしてきた。

 

「さらっと言うことじゃねー!」

 

「え? ……あっ。確かにそうですね」

 

「フハハハハハ! まったく、この天然貧乏店主め!」

 

 カズマが叫んで、ウィズが"あ、うっかり言っちゃった"といった顔をして、バニルが爆笑する。

 

「え、じゃあウィズはマジで魔王軍の幹部なのか……?」

 

「はい、そうです。魔王様の頼みを断れなくて」

 

「この貧乏店主の開店資金はどこから来たと思う?

 冒険者時代の貯金。そして魔王の私財を売った金だ。

 リッチーになって調子に乗った当時のこやつは、魔王の私財を魔王城で売り払い……」

 

「わー! わー! バニルさんそれは内緒にって言ったのに!」

 

「とまあ、そういうことである。魔王の頼みを断れなかった理由も分かるであろう?」

 

「……ウィズもちゃっかりしてんのな」

 

「昔はこういう人間ではなかったのだがな……

 リッチーになる前、冒険者だった頃とは大違いだ」

 

 カズマはもう呆れるしかない。

 

「で、その魔王城の結界ってのは?」

 

「魔王城の結界は幹部全てを倒して初めて消えるものだ」

 

「……ウィズも?」

 

「無論である」

 

 カズマが、ダクネスが、めぐみんが、ゆんゆんが、ウィズを凝視する。

 ウィズが生きている限り、魔王城は結界に守られたままだという。

 この流れに身の危険を感じたのか、ウィズは慌てて代案を出してきた。

 

「わ、私を倒す必要なんてないですよ。

 アクア様なら、残り幹部が三人くらいになった段階で破壊できると思います。

 私が街の周りに張った魔物避けの結界を、怪しいからとまとめて吹き飛ばしていましたし」

 

「あいつマジで何やってんの?」

 

 無くてもいい結界でしたから大丈夫ですよ、とウィズは苦笑する。

 

「私も昔魔王城に一人で殴り込みをかけた時、五人で維持していた結界を壊しましたし」

 

「お前もマジで何やってんの?」

 

 俺の周りには危ない女しか居ないのか、とカズマは戦慄した。

 ウィズは代案を出し、戦いを避けるべく必至に言葉を尽くしていた。

 

「で、ですから、私と戦う必要なんて無いんです。

 第一私はリッチーですよ? アンデッドの王なんですよ?

 戦ったら苦戦は必至です。死んじゃうかもしれませんよ?

 がおー! ほらほら、リッチーです、怖いでしょう?」

 

「いや全然。その辺歩いてる野良犬の方がまだ怖い」

 

「!?」

 

 カズマのワードパンチがウィズに突き刺さり、涙目にした。

 ウィズの事情や、ウィズを倒さなくていい理由は分かったが、敬虔なエリス教徒であるダクネスはこれを素直に受け入れられない。

 

「待て、魔王軍幹部の言葉だぞ?

 ウィズが敵だから戦えとまでは言わない。

 だが、少しは疑ってかかるべきではないのか?」

 

「以前むきむきが人を介してある占い師から聞いた内容と一致します。

 魔王城にそういう結界があるのは本当のことですよ。

 逆に言えばウィズは、嘘もつけたのに本当のことを話していたことになります」

 

 それはある程度の信用要因になるのでは、とめぐみんは言った。

 確かに、ウィズに昔むきむきが占い師から聞いた内容を確かめるすべなどあるはずがない。

 ダクネス個人としても、むきむき経由で知り合ったこのウィズという女性には好感を持っている。その人格も信用できるものだと思っている。

 ダクネスは口をもごもごとさせ何かを言いたそうにしていたが、結局何も言わずに、むすっとした顔で佇んでいた。

 

「じゃ、ウィズのことは皆内緒ってことでいいな?」

 

 カズマの確認に、首を横に振る者は居なかった。

 

「いいんですか?

 さっきまで必死に言い訳してた私が言うのもなんですけど……

 その、私は、魔王軍の幹部でリッチーなんですよ?」

 

 ウィズが不安そうに言って、キール(リッチー)の弟子でもあったゆんゆんが微笑む。

 

「……『リッチー』ですからね、ウィズさんは」

 

「そうです。人類の敵、リッチーです」

 

「良いリッチーも、悪いリッチーも居ると思うんです」

 

「……! ありがとうございます!」

 

 他の人間ならばともかく、このPTには『リッチー』や『魔王軍』を受け入れることができる、少し特殊な下地があった。

 先日、そういう事件があったからだ。

 

「今更ウィズを倒そうなんて思いませんよ。今ここに居ないむきむきも悲しみそうですしね」

 

「めぐみんさん……」

 

 ウィズの人格や性格をよく知っているめぐみん達が、今更彼女を突き放すことはない。

 

「アクアが起きてなくてよかったな、マジで……

 こいつだったら問答無用で消しに行ってたぞ、絶対。

 明日あたり俺が教えて、ついでに説得もしておくよ」

 

「す、すみません、お手数をおかけします……」

 

 ただし、アクアは除く。

 その場のノリで消しに行っていた可能性も否めない。

 アクアとウィズは気が合うフシがあるので、もうちょっと親しむ時間が必要だろう。

 カズマは今日沢山入って来た情報を脳内で整理しつつ、いつまで経っても帰って来ないむきむきをちょっと心配していた。

 

「めぐみん、ゆんゆん、むきむき迎えに行ってくれ。

 医療道具買ってくるって言ってたが、流石に遅い。

 多分気に病んでどっかで泣いてるぞ、むきむきのやつ」

 

「……そう言われるとそんな気がしてくるのが不思議ですね」

 

「カズマさん達を攻撃したこと、本当に気にしてたもんね」

 

 むきむきはバニルの支配から開放されるなり、これでもかと頭を下げて謝り倒していた。

 外に出て行っていつまで経っても帰って来ないことから、どこかでぐすぐす泣いているのではないかとカズマは予想する。

 どうせカズマとダクネスは歩くのも辛いレベルでダメージが蓄積されているのだ。

 気心知れた、紅魔族二人に行ってもらった方がいい。

 そう思っての、カズマの指示であったのだが。

 

 そこで、商品の陳列を整理していたバニルがぼそっと一言呟く。

 

「いや、もう手遅れだと思うが」

 

 見通す悪魔のその一言に、その場の全員がぎょっとした。

 

 

 

 

 

 カズマの予想は半分くらいは合っていた。

 

(やっちゃった……)

 

 むきむきは罪悪感で今にも泣き出しそうな心境で、包帯や薬を買い漁っていた。

 だが、泣いてはいない。

 彼は自分の頬を両手で叩き、"もう二度とこんなことは起こさないようにしないと"と気合いを入れる。

 そして仲間に手を出してしまった分、仲間によくしてあげないと、と思っていた。

 怪我させてしまった分、仲間に優しくしてあげないと、と思っていた。

 

(もう操られないようにしないと。気を付けないと)

 

 失敗を反省し、次に活かす。

 次からはもうあんな仮面の乗っ取り攻撃は食らわないぞ、と奮起していた。

 気合いを入れているむきむきに、その時背後からかかる声。

 

「財布落としましたよ?」

 

「え? あ、本当だ。ありがとうございます!」

 

 財布を拾ってもらって、むきむきは拾ってくれた人に感謝する。

 

(何かお礼した方がいいかな)

 

 財布を拾ってくれたのは、印象に残らない人間だった。

 フードを被ってはいるが、顔を隠してはいないため怪しい印象は受けない。

 服は厚手で、フードと合わせて体格や髪の色さえ分からない。

 声は中性的、顔も平均的で、性別すら判別しにくい。

 まるで、魔道具で顔や声を誤魔化しているかのよう。

 

 印象に残らないその人に、むきむきは恩を感じていた。

 

「お前ちょろいな。

 こんなことであたしに『借り』が出来たと思ったのか。

 あたし相手に、"ありがとう"を何か形にしようとしたな?」

 

「……え」

 

「義理堅いやつはあたしのカモだ。とても扱いやすい」

 

 その人がそう言った時点で、むきむきの思考から平静さは失われていた。

 一秒前のことを覚えていられない。思考が繋がらない。目はちゃんと開いているのに、視界が揺れる。

 

 むきむきは他人をちゃんと見ている人間だ。

 恩を感じ、それをちゃんと返そうと考える子供だ。

 周りの人達が自分を助けてくれたことを、貰った恩を、彼は小さなものであっても忘れない。

 だからこそ、周りの人から助けて貰える少年だった。

 

 その性格の天敵に成り得る人間というものも、この世界には存在する。

 例えば、『"借りが出来た"と相手に認識させた瞬間、その相手を強制的に隷属させる能力』を持つ人間などだ。

 

「意識が朦朧としてきたろう?

 このタイミングなら、あたしが何を話してもお前は覚えていない。

 お前が普通の人間から、邪神の力の傀儡になってしまう瞬間だからだ」

 

 意識が途切れ途切れになる。

 むきむきはいつの間にか、財布を拾ってくれた人物と暗い路地裏に居た。

 連れて来られたのか、と思考し、その思考が次の瞬間蒸発する。

 違う、僕は自分の足でここまで歩いて来たんだ、と気付いて、その思考が霧散する。

 

「邪神レジーナは傀儡と復讐の女神。

 信者に与える権能も同じ。

 あたしはあたしに『借り』『恩』を感じたやつを傀儡に出来る」

 

 もう指一本も動かせない。

 自分の意志で呼吸を続けることもできない。

 なのに体は動いて、呼吸していて、勝手に目の前の人物に跪いている。

 『むきむきの意志に反して』、『むきむきは自分の意志でその人物に跪いていた』。

 

 たった一回、自分が落とした財布を拾われたというだけのことで。

 

「貸し借りは目に見えない首輪と鎖だ。

 誰かにデカい借りがあると思えば、そいつによくしてやろうと思う。

 そいつにデカい貸しがあると思えば、そいつの態度の横柄な部分が目につくようになる。

 人間っていうのは大昔から、貸し借りってものに心を操られてきた生き物だ」

 

 恩を着せて、着せた恩を操って、対象の人間を傀儡とする。

 それが、この人物の固有能力。

 国に全てを捧げてきた忠臣でさえ、ほんの数秒で国を裏切ったスパイへと変える外法。

 

「お前もそうなる。ようこそ、新しい心の世界へ」

 

 魔王軍幹部セレスディナの『傀儡』。

 

 それは、どんなに善良で心の強い人物であったとしても、悪の手先と化す洗脳能力であった。

 

 

 

 

 

 むきむきを手駒として確保したセレスディナ。

 街の人に話を聞いて、むきむきの足跡を追うめぐみんとゆんゆん。

 二人の紅魔族が追いついたのは、セレスディナとむきむきが街の外の森に入ろうとする直前だった。

 

「おーおー、見つかるのが早いな。

 森の中であと何時間か様子を見ようかと思ってたんだが」

 

「むきむきはその巨体です。

 アクセルに来た余所者と一緒に歩いていれば、嫌でも目立ちますよ」

 

「だろうな。工作員とは相性が悪いんだよ、こいつは」

 

 フードを深く被った人物は、それが男なのか女なのかも分からない、そういう小細工を服装の各所に仕込んでいた。

 

「むきむき、帰りましょう?」

 

「帰らないよ。二人とはここでさよならだ。僕はこの人と一緒に行く」

 

「……むきむき?」

 

 むきむきの様子までおかしい。これはもう役満だ。

 ゆんゆんは時々発揮するとんでもない決断力を見せ、詠唱無しの抜き撃ちで魔法をセレスディナにぶっ放す。

 

「『ライトニング』!」

 

 その雷を、むきむきは小虫でも払うかのように叩き散らした。

 

「……! この感じ、まさかまた……!」

 

 異常な光景だった。

 アイリスが見たなら、これは夢だと思うような光景だった。

 むきむきが今日初めて会った人間を守り、めぐみんとゆんゆんに敵意と拳を向けている。

 

「むきむき、その二人を殺せ」

 

「―――!」

「―――っ!?」

 

 セレスディナの指示で、むきむきは殺意のこもった拳を振るった。

 いつも自分達を守ってくれた彼の殺意に、二人の紅魔族は驚愕と動揺でまともに対応することさえできない。

 

「『アンクルスネア』!」

 

 ゆんゆんの拘束魔法でさえ、むきむきは飴細工のように粉砕して来る。

 これが傀儡。人の情を利用して、同士討ちと仲間割れを誘発する外法。

 敵を簡単に寝返らせて、絆を容易く壊す邪悪な技だ。

 これで一体、どれほど多くの人の繋がりが壊されてきたのだろう。

 

「……っ……ッ……!」

 

 だが、むきむきはその悪意から、自分の大切なものを守らんとする。

 彼の拳は、ゆんゆんの目の前で止められていた。

 

 少年は自分の意志で歯を食いしばろうとして、自分の意志でセレスディナに指示されていないことはしないようにして、歯がガチガチと音を立て始める。

 意志と意思がぶつかり合って、全身から冷や汗と脂汗が吹き出していた。

 むきむきは自分の意志で二人の紅魔族を殺そうとして、自分の意志でそれを止めようとして、こんな二人を殺す程度のことに自分は何を躊躇っているのだろう、なんて疑問を持ちながら、必死に拳を止めていた。

 

「頑張って、負けないで、むきむき!」

 

 ゆんゆんが応援するも、セレスディナは特に驚いた様子も見せず、彼に向けて手をかざした。

 

「これじゃ容量不足か。なら、もう少し増やすかね」

 

 むきむきに向けられる傀儡の強制力が、十倍に増えた。

 

 セレスディナの力の総容量を100とする。

 むきむきはこういった魔法への抵抗力が極端に低いため、容量を1使うだけで簡単に操れる。

 簡単に操れるのにたいそう強いという、傀儡の理想と言ってもいい少年だ。

 が、今は10ほど容量を割いても、めぐみんとゆんゆんを殴らせることもできないでいる。

 

 傀儡はより多くの容量を割くことで、より強力な強制力を発揮することができるのだ。

 ここまでの道中でセレスディナは義理堅いむきむきに多くの『貸し』を作っており、それが尽きるまでの間は、むきむきは彼女の傀儡で居続ける。

 

「お前ら二人、いいところに来てくれた。

 こいつに身内を殺させるには、どのくらいの容量が必要か……

 その指標が欲しかったんだよ。お前らは最高の指標になってくれそうだ」

 

「あなたは一体、何者なの!?」

 

「お前達の敵だ。それでいいだろ?」

 

 情報なんて欠片も与える気のない返答。セレスディナは名乗りもしない。

 彼女は本当に操りたい相手には、しっかりと多くの容量を割く。そういう堅実な人間だ。

 割かれる容量が13、14、15と増えていき、セレスディナがむきむきに着せた恩が彼に対する強制力を増していく。

 

 むきむきは、ここに来るまでの間にセレスディナにジュースを一本奢ってもらっていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、めぐみんとゆんゆんを殺させられそうになっていた。

 

 それが、到底釣り合うものでなかったとしても。

 着せた恩と隷属行動のトレードオフを、傀儡の力は強制させる。

 今度こそ、殺意を込めて振るわれた拳は止まることなく振るわれた。

 

「むきむき――」

「大丈夫――」

 

 逃げても無駄。抵抗も無駄。されども、二人は自分が死ぬとは思っていない。

 

 めぐみんは、彼を信じる。

 何度転んでも、何度落ち込んでも、彼は立ち上がる人物だと信じている。

 立ち上がるたびに強くなる人物だと信じている。

 本当の窮地にこそ、彼の底にある強さは見えるのだと、彼女は知っている。

 

 この窮地も、彼ならばその強さで乗り越えられるはずだと、めぐみんは信じている。

 強く成れるのが彼であると、彼女は信じている。

 周りが彼の弱さを知り、どれだけ彼を弱い人間だと思ったとしても、自分は誰よりも彼の強さを信じようと、そう決めていた。

 

 他人に優しくできる強さ。

 めぐみんは、彼の優しさは強さであると想っていた。

 

 ゆんゆんは、彼を信じる。

 何度も転ぶのは、何度も落ち込むのは、彼が弱い人間であるからだと、ゆんゆんは考えている。

 弱い人間が挫けてもなお立ち上がろうとするからこそ、その熱い覚悟と選択には価値があるのだと、ゆんゆんは思っている。

 強い人の勇気ではなく、弱い人の勇気だからこそ、本当の窮地に信じられるものになってくれるのだと、彼女は信じている。

 

 敵に操られても、そんな弱さを乗り越えて、またいいところを見せてくれると、ゆんゆんは信じている。

 弱くても頑張っているのが彼であると、彼女は評している。

 周りが彼の強さを知り、どれだけ彼を強い人間だと思ったとしても、自分だけは彼の弱さを見ていてあげようと、そう決めていた。

 

 弱い人だからこそ、他人の弱さに優しくできる。

 ゆんゆんは、彼の優しさは弱さから生まれるものだと想っていた。

 

 付き合いの長い三人だ。

 本当の本当の窮地には、信じてやれる。信じて懸けられる。

 今日までの日々に積み上げたものを思い返して、そこに懸けられる。

 

「――信じてますよ」

「――私、信じてるから」

 

 イスカリアの時も、めぐみんはむきむきの強さに救われていて、ゆんゆんはむきむきの弱さを目にしていた。

 めぐみんは最強の魔法使いを名乗っている。

 その強さを補い合えると、むきむきを心から認めている。

 ゆんゆんは自分の弱さや情けなさをよく知っている。

 むきむきとなら、互いの弱さを補い合えると思っている。

 

 勿論、めぐみんはむきむきの弱さをよく知っているし、ゆんゆんもむきむきの強さをよく分かっている。

 それでも、根本の部分が違う。

 二人が共に"その優しさが拳を止めるだろう"という同じ結論に至ったとしても、その過程(プロセス)は全く違うものだった。

 

 めぐみんがむきむきを「あの子」と呼ぶのは、彼を普段見守る心持ちで居るから。

 弱い彼の強さを見て、強さを信じる。それがめぐみんのスタンス。

 ゆんゆんがむきむきを「あの人」と呼ぶのは、彼を普段見上げる心持ちで居るから。

 強い彼の弱さを見て、弱さの中に価値を見る。それがゆんゆんのスタンス。

 

 と、いうわけで。

 

 これでカッコつけられないのなら、男なんて辞めるべきだ。

 

「―――ッッッ!」

 

 振るわれた左拳が戻って、右拳が振るわれて、その右拳も戻される。

 "セレスディナ様に命令された、殴ろう"。

 "でも左拳より右拳の方が良さそうだ、左拳を戻して右拳を出そう"。

 "でもやっぱり左拳の方が良さそうだ、右拳を戻して左拳を出そう"。

 といった、支離滅裂な思考が拳を二度戻させる。

 PCでプログラムがループに入ってしまうような異常(エラー)が、行動を先に進ませない。

 

「どうしたのさむきむき! さっさとやってしまいな!」

 

 傀儡に抵抗するたった一つの手段、それがこれだ。

 思考も意志も精神も完全に洗脳された状態で、術者の指示の範囲内で、術者の意に反した行動や選択をするという抜け道。

 思考は完全に支配されているため、頭で考えていては絶対にできないことである。

 本能レベルで、『二人を守らないと』と思っていなければ絶対にできない。

 

 カズマのような、普段から善良寄りの本音と捻くれた思考が乖離したりする人間であれば、もっと露骨にセレスディナに嫌がらせできたかもしれない。

 カズマであれば「あの二人を殺せ」と言われたなら、「じゃあその見返りにセレスディナ様の胸をじっくり揉ませて下さいよ」と言って抵抗するだろう。

 思考を支配された状態にて本能で逆らうとは、そういうことだ。

 

 その拳が引かれたのは、むきむきが弱かったからなのか。それとも強かったからなのか。

 ともかく、彼は抵抗した。

 傀儡と化しても、その本能で抵抗して見せた。

 

 時間にしてしまえば本当に短い時間の抵抗であったが、それで間に合う助けがあった。

 

「『テレポート』! でもう一回『テレポート』!」

 

 スキルレベルの高いテレポートは、ある程度融通が効く。

 これは負傷しているカズマやダクネスではない。気絶しているアクアでもない。

 バニルの言葉に不安を煽られ、めぐみんやゆんゆんと一緒に店を跳び出していた、一人の優秀な魔法使いだ。

 彼女は二人の紅魔族を抱え、テレポートで少し離れた地点にまで移動していた。

 

「ウィズ……!」

 

 あるいはこの状況でさえも、見通す悪魔は見通していたのかもしれない。

 

「お久しぶりです、セレスディナさん。

 あの、邪魔する気は無いのですが……

 今日はもうお帰りいただけませんか?

 むきむきさんには、今日うちの店の商品を紹介する約束があるんです」

 

「嫌だね。むしろ、あたしはここであんま好きじゃないお前を潰してもいいとさえ思ってる」

 

「私はこの戦争においては中立です。

 ですが、危害を加えられそうになれば反撃もしますよ?」

 

「だから出て来たんだろ、お前。

 そうやってあたしから攻撃させて、正当防衛っていう大義名分を得るために。

 お前はあたしがお前に対して思ってること、それなりに察してるフシがあったからな」

 

「なんのことですか?」

 

 ウィズが気に食わないセレスディナ。

 中立のままセレスディナと戦う大義名分を得る立ち回りをしようとするウィズ。

 二人の目的は合致していて、二人が戦うことに後顧の憂いはない。

 

「でも、いいんですか? 結界の維持要員が減ってしまうと思いますが」

 

「だからDT戦隊とか、色々用意してたんだよ。

 結界要員に使えるやつを、あたしの部下として一定レベルまで育てるためにな」

 

「……あら」

 

「そうすりゃ、幹部だって任意で入れ替えできるだろ?

 幹部を二桁にまで増やして五、六人城に常駐させておけば、魔王軍は永遠に安泰だ」

 

 先日、人類に勝利しかけた陣営の人間とは思えないほどの長期的な視野とプランだ。

 後ひと押しで魔王軍が勝つ、という雰囲気が広がる魔王軍の中で、セレスディナは十年、二十年かけて勝利するためのプランも進めていた。

 ある意味、時間をかけて結果を出す工作員らしいと言えるのかもしれない。

 

「だから、お前一人くらい居なくなっても問題はねえんだ」

 

 むきむき一人に、今セレスディナが割ける支配力の最大値が注がれる。

 事ここに至っては、むきむきがウィズ相手に手加減する可能性などありはしない。

 

「お二人は下がっていてください」

 

「でも!」

 

「お願いします。二人が下がってくれないと、最悪負けます!」

 

 ウィズの有無を言わせぬ一喝に、二人は渋々下る。

 通常の魔法が届かず爆裂魔法が届く距離まで、二人は下がった。

 ウィズは単身、最強の前衛であるむきむきと、そのサポーターであるダークプーリストのセレスディナに挑む。

 

「行け! 叩き潰せ!」

 

 一歩で遠い距離を詰めたむきむきの豪腕が、ウィズの顔面を叩く。

 衝撃波が地表の土を巻き上げ、周囲の草木を揺らし、離れたセレスディナにまで冷えた風を届けていた。

 冷たい風が、彼女の肌を粟立たせる。

 

「悲しいです、むきむきさん。でも、ちょっとだけ待っていてくださいね」

 

 その一撃を顔面に貰っても、ウィズの体はビクともしない。

 ビルを粉砕するような一撃でも、物理攻撃であれば完全無効。それがリッチーの強みだ。

 

「私もちょっと、本気を出しますから!」

 

 ウィズは自らの身体に支援魔法をかけ、魔力の大きさを身体能力の強化幅に反映させる。

 リッチーの身体能力+魔法での強化度合い=彼女の今の身体能力。

 中堅冒険者を格闘だけで圧倒するほどの身体能力をウィズは得ていたが、むきむきの身体能力はそれでも相手にしたくないほどの規格外であった。

 

「っ」

 

 詠唱無しに、むきむきの光の手刀が飛んで来る。

 ウィズは豊富な戦闘経験から来る先読みでそれを回避したが、かすった手刀はリッチーの固有能力で物理ダメージをゼロにされた上で、ウィズの頬を切り裂いていた。

 

(肉体の技だけで、ここまで練り上げているなんて)

 

 紅魔族は遊びの種族でもある。

 時に非人道的な領域に足を踏み入れるくらいに効率重視な彼らだが、彼らの里や人生には、あってもなくても変わらないような楽しい遊びがそこかしこに見られる。

 無駄な詠唱などがそれだ。

 むきむきの筋肉技の前の無駄詠唱は、この上なく紅魔族らしい。

 言ってしまえば、あれこそが彼が紅魔族であるという数少ない証でもあった。

 

 されども、セレナに洗脳された今となっては、そんな無駄は存在など許されない。

 むきむきは本人が望まぬままに、本人の意志でかの詠唱をする権利を捨てさせられていた。

 

「っ、とっ!」

 

 容量を多く割いた傀儡の強制力、及び引き出せる能力の上限は、バニルによる乗っ取り能力のはるか上を行く。

 感情、情動も一種の思考だ。

 支配力さえ強めれば、感情でスペックが変動する人間の最高スペックを引き出すことど容易い。

 

 ウィズは人間離れした動きで迫り来る筋肉由来の多彩な攻撃をかわすも、むきむきは空気抵抗・重力・慣性等さえも力任せに無視し、自然法則離れした動きでそれを追い詰める。

 人間だった頃から一流の冒険者で、今は最上級のモンスターであるウィズだからこそ避けられる猛攻。

 セレスディナはそこで油断も慢心もせず、更にもう一手追加した。

 

「魔法がかけられた武器はリッチーにも通じる、だったよな?」

 

「……ええ、そうですね」

 

 むきむきの手足に、魔法ダメージを追加するダークプリーストの魔法を付与したのだ。

 ここからは、一撃も貰えない。

 今のむきむきの拳は、ウィズを殺し得る武器なのだ。

 

「あたしはな、お前がちっと嫌いなんだよ」

 

 セレスディナはむきむきの強化、ウィズへの回復魔法攻撃と並行し、ウィズへと声をかける。

 ウィズは『むきむきを殺さない』『むきむきの妨害を掻い潜ってセレスディナを攻める』『セレスディナを倒す』『自分も倒されない』という無茶な条件を満たすため、返答する余裕も無い。

 

「人間の味方として全力も尽くさねえ。

 モンスターとして全力も尽くさねえ。

 力はあるくせに中立とかほざいて、戦争の中でフラフラしてる蝙蝠だ」

 

 セレスディナは、普段積極的にウィズを殺そうとは思わないが、こういう流れになればウィズを殺すのも已む無しとあっさり決断できる。

 

「そのくせ、気に入った個人が居たら、保身も考えずほいほい力を貸しやがる!」

 

 中立のくせに、魔王軍のバニルに友人として肩入れする。

 "リッチーの自分を好意的に受け入れてくれたから"なんて理由で、こんな風に人間達にも肩入れする。

 そういうスタンスが、セレスディナは気に食わない。

 

 バニルが言っていたように、リッチーとなる前のウィズの精神性と、リッチーとなった後のウィズの精神性は大きく違う。

 リッチーと成って変質したウィズのスタンスは、本当の意味での()()()()だ。

 人間全体への魔王軍の攻撃を止めようとは思わない。

 だが、罪なき個人を魔王軍が殺そうとすればそれを止めようとする。

 冒険者も多いアルカンレティアに満ちる水に猛毒を流し込む程度であれば微笑み見逃すが、冒険者でないアルカンレティア一般人一人を殺せば激怒する、そういう人物だ。

 

 両勢力に言い分を認め戦争を罪であると定義せず、けれども一人が我欲で一人を殺す殺人は許さないような、大視点と小視点を併せ持ち人間倫理で再構築したような精神性。

 バニルへの恩義から今の生き方を決め。

 魔王への義理から魔王軍に加わり。

 カズマに対する恩返しとしてスキルを教え。

 ゆんゆん達への好意からこうして中立を維持しながら戦いに身を投じる。

 彼女は広い視点で見れば、人間とリッチーの中間の理性をもって、個人を尊重する生き方をしていると言うべきだろう。

 

 ウィズは優しい、優しいが……彼女はあくまで中立であり、人間の味方としてその優しさの全てを行使しているわけではなかった。

 

「戦争やってんだ! どっちの味方するかくらいは決めとけってんだよ!」

 

 セレスディナは天然で優しく情の深いウィズは嫌いではなかったが、そのスタンスだけは好きではなかった。

 彼女が普段こなしている仕事の中に、優秀な冒険者を策謀で戦わずして中立の立場に追い込む、というものがあったから尚更に。

 

 ウィズの魔法をむきむきの手足が砕き、空振った蹴りが地面にクレーターを作る。

 光の手刀をウィズが後方宙返りをしてかわし、空振った手刀が巨岩を切断する。

 なのに、ウィズ自体には当たらない。

 

(……おかしい)

 

 セレスディナはローブの下の肌を手で擦りながら、この状況に違和感を覚え始めていた。

 

(いくらなんでも、あいつの身体能力で一発も当たらないって、ありえるのか?)

 

 これだけ攻撃していれば、一発くらいは当たりそうなものなのに。

 ギリギリのところで当たらない、惜しくも当たらない、という状況が続く。

 ウィズが僅かに反応を遅らせれば、判断を間違えれば、それだけで当たるのに、当たらない。

 セレスディナの吐く息は白く、大気の中にうっすらと溶けていく。

 

「ああ、クソ、寒い……寒い?」

 

「あ、気付きましたか、セレスディナさん」

 

 セレスディナに気付かれるや否や、ウィズは偽装をやめた。

 ()()()()()()()()()()()()()()あった冷気が、一気にその範囲を拡大し、セレスディナが立って居た場所も飲み込んでいく。

 地面が凍って、土の水分が氷に変わって地面が割れる。パキっと小気味のいい音がする。

 

「寒っ―――!?」

 

 セレスディナはむきむきの我慢強さを甘く見ていた。

 彼女の忠実な部下と化したむきむきは、凍えるような寒さにも耐えてセレスディナのために頑張っていたのだ。だが、頑張って寒さが消えるわけもない。

 関節の稼働能力の低下。

 筋肉の発揮力の低下。

 酸素消費量の増大。

 エネルギー消費量の増大。

 疲労の加速。

 寒さは人間の肉体から、加速度的に力を奪う。

 むきむきは膨大な筋肉で莫大な熱を作っていたものの、ウィズの魔法の前に徐々に、徐々にと力を削ぎ取られていたのである。

 

 ウィズは氷の魔法(カースド・クリスタルプリズン)ではなく、冷気の魔法(フリーズガスト)を無詠唱で密かに使い、このフィールドを作り上げていたのだ。

 

「私はアンデッドですから、寒くても死にません。

 ……でも、ただの人間にはこたえる寒さですよね?」

 

「!」

 

 自分がリッチーであるという強みと、相手が人間であるという弱みを最大限に利用した、真正面から策と力でねじ伏せる正統派な強者のスタイル。

 

「お忘れですか? 私の冒険者時代の二つ名は……」

 

「『氷の魔女』……!」

 

 魔王軍にも恐れられるアークウィザードとして、人間の冒険者であった頃から、ウィズは変わらず強者だった。

 『強い』。

 戦闘時のウィズに受ける印象は、その一言に尽きる。

 

「では、眠っていて下さいね。

 ……めぐみんさん達ほど付き合いの無い私が言うのもなんですが。

 悪者になってしまったあなたは、きっと素敵なところが無くなってしまいますよ」

 

 ウィズは寒さで動きが鈍りに鈍ったむきむきの腕、胴、足を、ウィズがすれ違いざまに四度叩いた。昏睡、麻痺、昏睡、魔法封じの状態異常が連続で彼の体に付与される。

 『不死王の手』。

 ウィズの手は、ただ触れるだけで行動不能級の状態異常を起こさせるもの。

 

「まだっ―――」

 

 ダークプリーストであるセレスディナならば、むきむきの状態異常も体力も回復させ、あっという間に戦線を立て直してみせるだろう。

 されども、ウィズはその行動を許さない。

 

「『カースド・クリスタルプリズン』」

 

 回復魔法を唱えようとした喉の少し下辺りの気管支の内側に、小さな氷の固まりがくっつく。

 セレスディナの肺の中に、小さな氷の塊が放り込まれる。

 気管支の内側と、肺の内側に放り込まれた氷の妨害。

 そして、地獄の苦しみが始まった。

 

「げほっ、ゲホッ、ガ、ガハッ!? ウエッ、ゲヘッ、カハッ、カハッ、ゲホォァ!?」

 

 手で取れず、外部から熱源を当てて溶かすこともできない氷。

 体温で溶けるのを待つしかなく、固体から気体へと昇華される特殊な氷は、体温で溶ければ綺麗さっぱりと消えていた。

 セレスディナが地獄の苦しみから解放されたその瞬間、ウィズは彼女の首を掴んで持ち上げ、テレポートする。

 

 セレスディナはぐつぐつとマグマ煮え滾る火山の火口で、不死者の手に吊り下げられていた。

 

「く……ぁっ……!」

 

 ドレインタッチ、不死王の手。リッチーの手に触れられている時点で、普通の人間は半ば詰みだ。

 抵抗しようとしても、首を締められて妨害されれば魔法発動もできない。

 にもかかわらず、セレスディナはこの状況で不敵に笑ってみせた。

 

「……レジーナは、傀儡と復讐の女神。

 あたしを害すれば、そのダメージはお前にそのまま返る。

 あたしを殺せば、広範囲の周囲全てに死と呪いが振りまかれるぞ」

 

「そう、ですね」

 

 先程セレスディナを苦しめた時、ウィズにも同等の苦しみがあった。

 こうして首を掴むことで与える痛みも、実はウィズの首元に返って来ている。

 どこまでも面倒臭い能力の幹部だ。

 直接的な能力を持たないでこれなのだから、むきむきという強力で操りやすい手足を手に入れた途端、ちょっと調子に乗っていたフシがあったのも頷ける。

 

「周りに人が居ない火山の火口に連れてきたのは、それが一つの理由ですよ?」

 

「はっ、あたしを殺せばお前も死ぬぞ?」

 

「ここであなたが勝手に火口に転がり落ちるようにしていけば、私が殺したことになりますか?

 仮にあなたの心臓を刺して、その死が返って来たとしても不死者の私は死にますか?

 そうでなくても、ここにあなたの体を固定していけば、あなたは干上がってしまいますよね?」

 

「……な」

 

「あ、そんな顔はしないで下さい。別に殺すつもりはないですから」

 

 空気が、一瞬淀んだ。

 

「分かってるでしょう? セレスディナさん。

 あなたは私がこう言うであろうことを知ってるんだから。

 だってセレスディナさん、こうなっても生き残れるよう保険をかけていましたもんね。

 だから一般の人には一切迷惑がかからないようにしていた。

 私とこういうことになった時、私に殺されないように、交渉の余地を残していた」

 

 今のウィズにはセレスディナにトドメを刺す理由がない。

 セレスディナが、そう仕向けたからだ。

 彼女が今日の戦いで一般人に一切手を出さないように立ち回っていたからだ。

 ウィズはセレスディナをゆっくりと岩の上に降ろし、微笑む。

 

「セレスディナさんは、頭が良い人ですね」

 

「……全部見抜いた上で微笑んでる、お前が言うか?

 お前は天然でも、ふわふわしていても、頭が悪いわけじゃないからな」

 

 ウィズは天然だ。商才がなく商売においては学習能力も発揮されない。真面目な顔をしている時より、ぼけぼけした顔や涙目になっている時の方が多いだろう。

 されども、それを前提にしたとしても、ウィズはとても頭が良い。

 そういう意味では、頭が良いくせに普段は頭爆裂なめぐみんにも少し近いのかもしれない。

 むきむきがウィズに情が湧いてしまったのは、必然だったのだろう。

 

「でも、今日は帰って欲しいなって。

 これはお願いです。命令でもなんでもないです。

 もしもあなたが明日同じことをすれば、私にそれを止める手段はないですし」

 

「……よく言う」

 

 ウィズは『魔王軍の内情を知っていて』、中立であるがゆえにそれを人類側に明かしていないものの、いつだってそれを『人類側に伝えられる』人間でもある。

 特にセレスディナの情報は、ウィズが人類側にその能力の詳細を語るだけで、その強みが大幅に削がれる類のものだ。

 

 これは交渉である。

 お願いという名の駆け引きである。

 

「わぁったわぁった。今日はあたしが退いてやる。

 その代わりお前は中立として、最大限の誠意を以て動け。分かるな?」

 

「は、ありがとうございます。セレスディナさん」

 

 ―――ウィズが、本気を出して魔王軍と敵対すれば。

 

 イスカリアもベルディアも、爆裂魔法か上級魔法の連射で押し切れる。

 幹部の半数以上も同様にスキルと魔法の連射で押し切れる。

 めぐみん以上の威力の爆裂魔法で、状況次第ではホーストさえ消し去れる。

 レッドは配下のモンスターごと消し飛ばされ、ブルーは才能と種族の差で魔法合戦に敗北し、イエローは溶岩の中に放り込まれて骨となり、グリーンは広範囲魔法で消し飛ばされ、ピンクも小細工の甲斐なく粉砕されるだろう。

 そんな彼女でも敵わない幹部が居るのが魔王軍ではあるが、それは一旦置いておこう。

 

 彼女は優しいだけで、柔らかに微笑む美人なだけで、温厚なだけで、非情に徹する強さも蹂躙する強さも持っている。

 かつて魔王軍と凄惨に殺し合い、ベルディアに仲間諸共皆殺しにされかけて、仲間を救うために人間を捨てリッチーとならなければならなかった彼女は、今の日常でほわほわと幸せに生きていることも含めて、この世界の形を体現する人物の一人である。

 

 彼女が人類と魔王軍の戦いに関わることはめったにない。

 人類を山ほど殺す魔王軍幹部の大半を駆除できるのに、彼女はしない。

 どんな幹部よりも多くの人を殺せるのに、そうしない。

 彼女は中立だ。

 

 彼女は心だけでも人間であろうとしているからだ。

 人間が好きな気持ちを失っていないからだ。

 ゆえに、天秤は人間側に傾く。

 

 けれどもその体は、既に人類の敵たるリッチーのものだ。

 いつかは、人間社会に紛れ込むこともできなくなるだろう。

 彼女の同族は、本質的な意味では魔王軍の中にしか居ない。

 今の彼女の本当の意味での理解者である友人は、人間ではなく悪魔だけ。

 ゆえに、天秤は魔族の側に傾き、天秤は吊り合う。

 

 心は人間のつもりでも、人を大好きな気持ちがあっても、ウィズが人間の味方として魔王軍と敵対しない理由。

 それは、こうして吊り合う心の中の天秤にあった。

 

 彼女が魔王軍と戦う時があるならば、それは人類のための戦いではない。

 踏み躙られる力無き人を守るための戦い。

 あるいは、友人を守るための戦い。

 あるいは、人として許せない何かを倒すための戦い。

 今日のウィズは、友人達に一回だけのコンティニューをあげただけだ。

 

 ウィズを単純に人間の守護者と見てはいけない。

 魔王軍の幹部という一面だけを見てはいけない。

 人間なのだと認識して接するとズレが目立つ。

 リッチーだと思って敵対すると拍子抜けする。

 無慈悲な強者だと決めつけても、温和で戦いを嫌う女性と決めつけても間違える。

 

 彼女は元人間のリッチー。人間の街で平和に暮らす魔王軍の幹部。

 昔は敵を無情に薙ぎ倒す武闘派の魔法使いで、今はほんわかとした貧乏店主。

 非情になれる優しい女性。そういうものなのだ。

 

「セレスディナさん」

 

「あ? んだよ」

 

「セレスディナさんが私を嫌っても、私はセレスディナのこと嫌いじゃないですよ?」

 

 ウィズの言葉に、セレスディナは虚をつかれる。

 

「私はリッチー。

 魔王軍に属するべき種族です。

 人の社会の中でずっと生きていくことはできません。

 それでも……どうしようもない人の敵にはなりたくなくて、人の中で生きています」

 

 ウィズは人と人外の間の中立で、セレスディナは明確な人の裏切り者。

 それでも、共通する部分はある。

 

「あなたは人間。

 人の国に属するべき種族です。

 本来なら魔王軍に居場所はありません。

 それでもあなたは……人の敵に、ならずにはいられなかった」

 

 二人はある意味対称だ。

 人の敵になりたくない人外と、人の敵でいたい人間。

 人の心を半ば失いながらも、人の心を保ち続けようとする人外。

 人の心を持ちながら、人の悪意で人と敵対する人間。

 人の滅びを望む人間と、人の存続を望む人外。

 

 ウィズの中には、セレスディナへの共感があった。

 

「くっだらね。お前が中立で居る内は、お前に仲間意識を持つ気なんてねえよ」

 

 セレスディナは、その共感を鼻で笑う。

 その言葉の意図は、"お前の言葉に同意なんかするかよ"という悪意か、それとも"お前が味方になると決めたなら歓迎してやるのに"という善意か。

 どちらにせよ、工作員らしくない感情まみれの言葉であったことだけは、確かだった。

 

 ウィズはセレスディナを連れてテレポートで戻り、セレスディナはいつの間にかウィズの傍から消えていて、ウィズは寂しそうに微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セレスディナの能力は、結局謎に包まれたままだった。

 断片的な情報からそれなりに推測は立てられたものの、ウィズが取り引きで口止めされていたのもあって、あまり正確なところは分からずに終わる。

 何はともあれ、めでたしめでたし。

 幹部の二連続襲撃で死人が出なかったなど、本当に奇跡だったと言えることだ。

 今はただ、その幸運に感謝していればいい。

 

 ……とは、ならず。

 

 バニルが襲撃してきたのが朝の八時頃。セレスディナが襲撃してきたのが十時過ぎ。

 そして今、昼を少し過ぎた頃。

 

「ふざっけんなああああああああああああああっっっ!!!」

 

 カズマの叫びが、アクセルの郊外に響き渡った。

 

「知ってるぞこの感覚!

 遊戯王でゴヨウ・ガーディアンが環境に初めて現れた時のあれだ!

 クソぁ! やめろ! 寝取られとかそれに類するものは皆滅びろ!」

 

「落ち着けカズマ! お前普段の冷静じゃない時の五割増しで冷静さを失ってるぞ!」

 

 遊戯王はこの世界に転生者が持ち込むほどの大人気カードゲーム。

 そこに何かしら過去の想い出を刺激されたカズマが、寝取られだのなんだの叫んで、この状況に対し烈火の怒りを見せていた。

 

 そのカズマを、美女の姿をしたモンスターが笑う。グロウキメラのシルビアが笑う。

 

「あら、お怒りのようね。でも残念! もうこの子はアタシのものよ!」

 

 シルビアの膝から下はむきむきの背中と一体化し、シルビアに吸収されたむきむきはもう自分の意志で抗う抗えない以前の問題で、シルビアの体の一部と化していた。

 

「ふざっけんなよてめえらー!

 なんでこんな初見殺しが多いんだ!

 『強力な敵を問答無用で自分の力にする』

 とかいう反則級の初見殺しがバリエーション豊富にいくつも揃ってんだ!」

 

「カズマ! 気持ちは分かるが、前に出るな!」

 

 ダクネスがカズマの抑え役に回るほどの異常事態。

 

「離してめぐみん! むきむきは名誉アクシズ教徒だけどもうほぼうちの子なのよ!」

 

「分かります! 気持ちは分かりますが!」

 

「あんな悪魔臭い奴に取り込まれちゃってるのよ助けないと!」

 

「助けたい気持ちは私にも痛いくらい分かります!

 でもそもそもの発端が!

 アクアが転んで吸収されそうになったのをむきむきが庇ったことだって分かってます!?」

 

「わあああああああああっ!!」

 

「いいから離れましょう! あいつ姿が美しくて力が強い女性を狙ってます!」

 

 めぐみんがアクアを引っ張ってずりずり後ろに下がって行かなければならないような非常事態。

 

「ど、どうしよう!?

 あの接続部分をライト・オブ・セイバーでぶった切ったらなんとかなる!?」

 

「思い留まれゆんゆん! やめろ!」

 

 セレスディナは、何故むきむきを手に入れた後森の中に潜もうとしていたのか。

 簡単な話だ。彼女には、援軍のあてがあった。

 仲間を待って合流してから戦えば、より安全により確実に女神を潰せるという公算があった。

 バニルとシルビアを作戦に組み込むという必勝の前準備が、彼女にはあったのだ。

 

 バニルが先行して突っ込んだから。

 バニルが店で皆の前にて不穏なことを言ったから。

 人間達はかろうじて、魔王軍幹部複数人と戦うという最悪の自体を回避できていた。

 が、それもこれまでだ。

 連戦は厳しい。

 敵は強い。

 アクアが起きてカズマとダクネスが復帰しても、むきむきがまた敵に回ってしまっては状況は何も好転していない。

 カズマ的に言えば、無理ゲーは続く。

 

「助けてむきむき!」

 

 カズマは叫ぶ。

 むきむきは反応しない。

 

「残念だったわねえ! この子の融合童貞と融合処女はアタシがいただいたわ!」

 

「「 紛らわしい言い方をするなあああああああっ!! 」」

 

 めぐみんとゆんゆんの絶叫が、虚しくアクセルの郊外に響き渡っていた。

 

 

 




一話で三回も敵に回るとか主人公として恥ずかしくないの?

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