「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者!」   作:ルシエド

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 スピンオフでウィズが魔法でも壊せない地下牢を強制テレポート先に設定したスクロール出したせいで、テレポートが超の付く畜生スキルになった気がします


2-7-5

 勝った。イエローがそう確信した瞬間に、ゆんゆんはむきむきを召喚した。

 

「『サモン』!」

 

 ドレインタッチは殺害に至らず、少年は少女の下に呼び寄せられる。

 仕留めきれなかったことに舌打ちしつつ、イエローは召喚という手段を何故今まで使わなかったのか、そこを疑問に思った。

 

(テレポートには失敗することがあると聞くでゲス。

 ならば召喚魔法も同様で、巻き込みによる人と人の召喚合体事故を恐れた?

 いや、単純に使い慣れてない魔法という可能性もあるでゲス。

 こやつが攻撃偏重のタイプなら、どの攻撃魔法が効くか見定めるために一手使った可能性も)

 

 推測を重ね、召喚された少年が何かを少女の方に耳打ちしているのを見て、その疑問は少しづつ氷解していく。

 

(あ、これそれだけじゃないでゲスな。

 ギリギリまで待った。ギリギリまであの筋肉に足掻かせていた。

 つーまーり、拙に肉薄できるチャンスにあの筋肉がこちらの情報を得ようとしていたゲス)

 

 もがいたむきむきの抵抗を無効化したのも、むきむきの強引な指剥がしを無効化したのも、こうなってしまってはイエローの能力を見抜くための情報になってしまう。

 命がけの選択だ。

 そうそう選べるものではない。

 ある意味、先日の竜の時の反省を活かし、ギリギリまで粘ったむきむきとゆんゆんの勇気の選択だったとも言える。

 

「ただそいつは、賭けに出すぎじゃあないでゲスかね、ゲースゲスゲス」

 

 けれども、代償はそこそこに大きかった。

 めぐみんは爆裂直後で動けず、むきむきはゆんゆんから渡されたポーションと魔力を回復させる呼吸で気息を整えていて、平常時と同様に戦えるのはゆんゆんのみ。

 むきむきは疲労しているわけではない。生命力と魔力を吸われただけだ。疲労という要因がないため、時間経過での回復は幾分か早い。

 それでも、よくて平均的な高レベル前衛職程度のものだろう。

 

 能力を見切るためにギリギリまで粘ったようだが、少年の表情に浮かんでいるのは消耗の色、そして敗北感と何も変わらない打ちのめされた感情だった。

 

「むきむき、後どのくらい戦え……むきむき?」

 

 ゆんゆんが聞く。むきむきは答えない。

 前衛のむきむきはゆんゆんに背中だけを見せているが、その背中が弱々しく見える。

 それは生命力と魔力が弱っているだけではなく、もっと深いところが弱っているのだと、ゆんゆんは感じた。

 ゆんゆんと違い今のむきむきの表情を真っ向から見ることができているイエローは、少年の今の顔を見て鼻で笑う。嘲笑の仕草であった。

 

 さあ紅魔族を片付けよう、とイエローが踏み出すと、その足元に矢文が突き刺さる。

 

「うおあぶね。いや危なくもないんでゲスが……」

 

 敵の一挙手一投足さえ見逃せないほど余裕のない紅魔族達に対し、イエローには彼らから目を離すだけの余裕があった。自分には傷一つ付けられないという確信があった。

 イエローは敵の前で堂々と矢文を広げ、それを読む。

 

「……え? 襲撃予定日が一日ズレてた? 魔王城からの通達ミス?」

 

 そして、眉間を揉み空を見上げた。

 

「じゃ、拙帰るから! また明日よろしくでゲス!」

 

「は?」

 

 走り去るイエロー。

 ステータスの素早さが大したことないのか、走り去るスピードはそこまで速くはない。

 ただ、突然の逃走に誰もが呆気に取られ、その後を追うことができなかった。

 

「ほ、本当に帰った!? 何しに来たのよ!」

 

 何を考えているのか。

 何が目的なのか。

 それを全く明かさずに、襲撃日程を間違えた力が強いだけのアホな魔王軍の男は、消えた。

 

「皆さん、無事ですか!?」

 

「レインさん!」

 

「魔法の罠で逃走経路を作っていたのですが……無駄になったみたいですね。

 実はそこでラグクラフト宰相とも会ったんです。

 宰相は弓矢を持って自分の身一つで援軍に来ようとしてくれていたようなんですよ」

 

「それはすごい! 勇気ありますね、宰相さん!」

 

「は、はは……それほどでもありませんよ」

 

 レインとラグクラフトも合流。レインはどうやら逃げの一手を打つ気でいたらしい。

 褒めるレインとゆんゆんに対し、弓を持ったラグクラフトは引き攣った笑みで目を逸らす。

 ゆんゆんは、とりあえずめぐみんとむきむきと話し合わないといけない、と考えていた。

 

「むきむき、めぐみんをお願い。……むきむき? 本当にどうしたの?」

 

 だが、むきむきの様子がおかしい。

 安堵と恐怖、その他諸々の感情がいっぺんに顔に浮かべられていた。

 普段なら友に話しかけられればすぐに応え、子犬のように駆け寄ってくるはずなのに、今はゆんゆんが呼びかけても返事さえしない。

 聞こえていないのではなく、反応しないのだ。

 

「むきむき?」

 

「……だ、大丈夫。大丈夫だから」

 

 ようやく反応したと思えば、出て来た声はとても弱々しい。

 

 "これは重傷かもしれない"と、なんとなくに少女は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幸い外国からの客に被害はなかったらしい。

 現代日本ならば――SNSに上げる写真を撮るために――大きな爆発があればそこに人が集まってくるが、ここは世界が世界だ。爆発が起きれば人はそこから自然と遠ざかる。

 目撃者もおらず、エルロードが「賭けに負けた冒険者が暴れて国軍がそれを取り押さえた」という噂を流し、公式発表を"綿密な調査を行って明後日行う"という形で先延ばしにすることで、なんとか問題を後送りにすることに成功していた。

 

「逃げてもいいぞ。俺は誰も恨まん」

 

 その日の夜、めぐみん・ゆんゆん・むきむきのベルゼルグ紅魔組に対し、レヴィ王子が出会い頭に言った言葉がそれだった。

 

「ですが、王子……」

 

「一戦交えて本当にどうしようもなかっただろう。

 ここはお前達の国でも何でもない。

 お前達が守るべき土地もコミュニティも、ここにはないんだ」

 

「……」

 

「俺は王族だ。

 エルロードの兵士に死ねと命じ、その死の責任を取る人間だ。

 だが他国の人間に死ぬまで戦えと言う権利はない。

 むしろ、そんな風に他国の人間に死なれれば寝覚めが悪くなるだけだ」

 

 今日、イエローが口にしていた目的は二つ。この国の破壊と、王族の抹殺だ。王子レヴィを第三目標と言っていたことからも、第一と第二は国王とこの国と見て間違いないだろう。

 

「一日ズレ? エルロードをベルゼルグより先に落とす?

 物騒なワードをばら撒いていったものだ。あいつは口が軽いのか?

 この分だとベルゼルグも平穏無事とはいかないかもしれんな、これは」

 

 エルロードの兵士の兵士はさほど死んだわけではなかったが、全員戦闘不能状態だ。

 イエローの言葉に不安を感じてレヴィは即座に馬でベルゼルグに使いを送ったが、片道十日の道のりは素早い連絡を行うにはあまりにも遠かった。

 徒労に終わるであろうことは、王子も分かっていることだろう。

 

「テレポートでベルゼルグにすぐさま連絡を取れば……」

 

「バカか? テレポートで人や者が頻繁に行き来してるわけがないだろう。

 それなら国使が、片道十日以上の国家間を陸路で行き来するわけがあるか」

 

「バカか? は一言余計ですよ」

 

「む……確かにそうだ、すまない」

 

 めぐみんとレヴィの仲は良いんだか悪いんだか。こういうやり取りを見てると、ゆんゆんの認識は揺らいでしまいそうになる。

 

「とりあえずゆっくり休んでくれ。どう転んでも、明日はロクな日にならなそうだ」

 

 レヴィもかなり忙しそうにしている。

 魔王軍が来たのだ、無理もないだろう。

 市民に流す噂はどうするのか。明日はどう対応するのか。

 ほとんどの職務は宰相が回しているが、国王代理として動けるレヴィが忙しくないわけがない。

 

「レインさんはどこに?」

 

「戦いで生き残ったうちの兵士から話を聞いて回っている。

 聞けば、街であの魔王軍に石を当てた子供を見つけたらしくてな……

 一度でも戦った人間から話を聞くことで、奴の能力にあたりをつけたいそうだ」

 

 レインは地味な活動を続けていた。

 彼女の行動は地味で目立たないが、大抵はその場の最適解に近い。

 街の子供の何気ない武勇伝――イエローに石をぶつけたという武勇伝――を目ざとく聞きつけ、そこから兵士達に話を聞き、"何かないか"と探し続けているようだ。

 魔法使いの仕事は、パーティで一番多くのことを考えること。

 

「私達もレインさんを手伝いましょうか、ゆんゆん」

 

「うん、めぐみん」

 

 それはつまり、めぐみんとゆんゆんがするべきことでもあった。

 王子は二人の選択に、眉をひそめる。

 

「ギリギリまで思索を続ける気か?」

 

「知らないんですか? 紅魔族は知力が高い、知の種族なんですよ」

 

「知っている。お前らと会ってからはそれがただの噂だったのだと気付いただけだ」

 

「よし表に出ろ」

 

 やっぱり仲悪いなあ、とゆんゆんは苦笑する。

 二人からちょっと距離を取ると、レヴィ王子の前だと言うのに俯いたまま何も言わないむきむきが視界に入った。

 少女は一瞬だけ悲しそうな顔をして、少年に呼びかける。

 

「むきむき」

 

 出来る限り優しい声で呼びかけたつもりだった。

 だが、その声でさえ少年を過剰に反応させてしまう。

 少年はビクッとし、恐る恐るゆんゆんの顔を覗き込み、彼女の様子を窺っている。

 

「……ごめん、ゆんゆん……」

 

 今の少年は怯えている。怯えていて、怯えている自分を恥じている。イエローに怯え、戦いを恐れている自分を恥じている。

 自分の全力の拳を無効化し、自分の中の強さのイメージのことごとくを打ち砕き、ドレインタッチによる殺害という恐ろしいことをしてきたイエローは、彼にとって心底恐ろしいものだった。

 立ち向かう勇気が、絞り出せないほどに。

 勝てるイメージが浮かばないほどに。

 その黄の手に触れられることさえ恐ろしいと、そう思ってしまうほどに。

 

 少年の中には逃げられないと思える理由がある。レヴィ王子や、レヴィ王子の守りたいもの、普通に幸せに暮らしている人が、この国には大勢居る。

 逃げられない。けれど怖い。恐怖を克服しようとして、けれどもできない。

 恐怖に立ち向かう度に恐怖に打ちのめされるため、よりいっそう恐怖は膨らんでいく。

 

 『敗北』。

 レッドにも、ホーストにも、イスカリアにも、結局のところ本当の意味では味わわされなかったもの。明確な殺意と、死の向こう側を彼に見せたもの。

 イエローが、むきむきの強さの全てを真正面から踏み潰し、その隙間に流し込んだもの。

 それが、少年の心をへし折っていた。

 

「大丈夫、大丈夫だから……明日になったら、ちゃんと戦う勇気を出してみせるから……」

 

「むきむき……」

 

 強がりで強張った笑みを見せるむきむきを見て、ゆんゆんは悲しそうに、レヴィは辛そうに目を逸らす。

 めぐみんは、その目元を帽子で隠していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 イエローがまた来ると宣言した日。

 街を一望できる高い建物の屋上で、レヴィ、レイン、ゆんゆんは、街の入口である門を見つめていた。

 今日中に、またそこに魔王軍の襲撃があるだろう。

 

「いいのか、逃げなくて」

 

「はい」

「ええ」

 

 王子の言葉に、二人の魔法使いが強く頷く。

 めぐみんがここに居ないのは当然だ。爆裂魔法が通じないのであれば彼女に活躍の場はない。爆裂魔法しかできない彼女に他にできることもない。

 残念ながら、ダンジョンで荷物持ちをするより役に立たないことだろう。

 

「あいつは……」

 

 王子は王城に目をやった。

 正確には、王城でむきむきにあてがった部屋の窓を見ていた。

 むきむきはあてがわれた部屋に引きこもっている。窓を王子が見つめても、その向こうに居るむきむきの姿は見えない。

 来てくれるだろうか、と王子は思う。

 来ない方がいい、とも王子は思う。

 短い付き合いではあるが、それでも王子はむきむきのことを理解していた。

 国と天秤にかけても、無理矢理には戦わせたくないと思えるくらいには。

 

「……いや、期待しすぎか。

 ゆんゆんとやら、今からでもあいつを無理矢理連れてベルゼルグに……」

 

「大丈夫です!」

 

 逃げろという最後通告。

 だが、その勧めをゆんゆんは力強く断った。

 

「むきむきはレヴィ王子を友達だと思ってるんです。

 レヴィ王子が大切に思うものを、同じように大切に思っているんです。

 ちょっと恐ろしくなったからって、それを守れなかったら、きっと気に病んでしまいます」

 

「……お前」

 

「今日の私はむきむきの代理です! 頑張りますよ!」

 

 ふんす、と気合いを入れているゆんゆん。

 ゆんゆんは魂レベルのぼっちだ。……が、それは、逆に言えば一人でも頑張れるということ。

 精神的に一人では駄目なむきむきや、能力的に一人では駄目なめぐみんとは、そこが違う。

 仲間が居れば更に強いが、仲間が居なくても彼女は強い。

 友人のために戦うなら、それよりももっと強くなれる。

 

「! 来たぞ!」

 

 逃げる逃げないの話をしている内に、とうとうイエローの再襲来が来てしまった。

 門が吹き飛び、その向こうからゆったりと黄色の男が現れる。

 

「ゲースゲス!」

 

 対応できる兵士はもう居ない。

 応じて動いたのは、レインとゆんゆんだけだった。

 爆発が人々を爆心地から遠ざけて、レインとゆんゆんはその流れに逆らい爆発した場所へと駆け出していく。

 

「レインさん、ではまず……」

 

「そうですね。仕掛けたルートに誘導しましょう」

 

「死ぬなよ、二人共!」

 

 二人を送り出し、街に大量に残された人々の姿を見て、レヴィは舌打ちする。

 そして、宰相ラグクラフトの執務室へと殴り込んだ。

 

「ラグクラフト、どういうことだ!

 昨日、魔王軍の襲撃前に観光客含む街の全員を避難誘導させると決めたはずだぞ!」

 

「私が変えさせました」

 

「何!? 説明しろ!」

 

「彼らが何事もなく魔王軍を撃退すると信じたのです。

 町の住民には何も伝えておりません。情報工作も続けております。

 昨日も今日も、賭博に負けた冒険者が暴れて取り押さえられた、という体で。

 これでエルロードの安全なイメージを守り、国益を守るのです」

 

「それでは、万が一の時の被害が!」

 

「王子」

 

「なんだ!」

 

「レイン殿達を……彼女らを信じておられないのですか?」

 

「―――っ!」

 

 そういう言い方をされては、レヴィに返す言葉はない。

 ましてレヴィは、自分がラグクラフトという偉大な政治家には敵わないことを知っている。

 

「信じて見守りましょう。彼女らが勝ってくれることを」

 

「……ああ、分かった。お前の考えは分かった。

 ラグクラフト、お前はいつも誰よりも正しい。

 お前の判断より俺の判断が正しかったことなんて一度もない」

 

 だから王子は、ラグクラフトの選択を否定しない。否定できない。

 民を逃がすという自分の判断より、全てを秘密裏に終わらせるという宰相の判断が正しいと、そういう風に自分に言い聞かせてしまう。

 自分の正しさを蔑ろにしてしまう。

 

 されども、そこで終わらない。

 少し前までの王子なら、宰相の選択を肯定し、言われた通りに見守ることを選んでいただろう。

 けれども、今の彼は違う。

 『正しくなくてもいい』という思いがあった。

 『それなら自分は正しくなくていい』という思いがあった。

 『死なせたら寝覚めが悪い』という、捻くれた決意があった。

 

「だが今日は、お前の判断に逆らわせてもらう! 俺にもできることがあるはずだ!」

 

 王子は執務室を飛び出し、ゆんゆん達の後を追って走り出す。

 執務室はまたラグクラフトしか居ない空間となった。ラグクラフトは自分以外誰も居なくなった執務室にて、ほくそ笑む。

 

「避難などさせない。誰も逃がすものか」

 

 彼はゆんゆん達の勝利など信じていない。

 ラグクラフトはただ、この王都の人間を皆殺しにするお膳立てをしただけだ。

 イエローならば、時間をかければそれができる。

 

「人間どもはここで死ぬがいい、全員、一人残らず」

 

 ドッペルゲンガー・ラグクラフト。

 

 彼は魔王軍の命で、自分の正体が明らかにならない範囲で、魔王軍に便宜を図る。

 

 

 

 

 

 レヴィ王子が見ていた王城の一室。むきむきがあてがわれた部屋の中。

 むきむきは床に膝をつき、自分の胸を拳で叩いて気合いを入れていた。

 痛々しい音が響くも、そんな痛みで恐怖が消えるわけがない。

 

「……!」

 

 床を叩く。

 弱りきった心を反映した今の肉体では、頑丈な岩石の床にはヒビも入らない。

 泣きそうな顔で、少年は髪をかきむしった。

 死にそうな顔で、少年は自分の頭を床に打ち付けた。

 恐怖に勝てない自分を嫌悪し、その嫌悪を自分自身にぶつけているのだ。

 それで、勇気が出るわけでもないのに。

 

「くぅっ……!」

 

 行きたい。怖い。守りたい。恐ろしい。逃げたくない。逃げたい。

 勇気を絞り出そうとする度に、全力を何度ぶつけてもビクともしないイエローの嘲笑、ドレインタッチで命そのものを吸い上げられるおぞましい感覚が蘇ってしまう。

 死にかけた。殺されかけた。敗北した。

 それも、心を折る最悪の形で。

 

「……立って……立たないと……」

 

 こんなにも敵を恐れている自分ではただの足手まといにしかならないと、他の誰でもない彼自身がよく分かっている。

 自分の弱さを、彼はずっと見つめてきたからだ。

 弱い自分など嫌いで。

 強い人に憧れて。

 強くなろうと決意して、何度も心を成長させて、そして心は折られてしまった。

 

「勇気が……」

 

 今、彼が欲しがるものはたった一つ。

 

「勇気が、欲しい」

 

 衝動のようなその欲求は、かつて彼が魔法の才能を求めたものよりも遥かに大きかった。

 その変化の意味に、彼は気付かない。

 彼は今、魔法の才能を求めた気持ちよりも強く、勇気と心の強さを求めている。

 目の前にその二つを並べられたなら、勇気ある強い心を選ぶだろうと、そう言えるほどに。

 

「こんな、臆病者で怖がりな自分なんて、大嫌いだ……!

 めぐみんみたいに、何にだって立ち向かっていける勇気が欲しい……!」

 

 魔法を使えない自分を嫌う気持ちを、心弱き自分を嫌う気持ちが凌駕した。

 それは、彼の中に生まれた変化の証。

 魔法を使えない自分を変えることはできないが、心を変えることはできる。

 

「なんで僕は、男なのに、こんなに情けないんだ……」

 

 彼はまた、心の分岐点の前に居た。

 

 

 

 

 

 自分達の仕込みが機能してイエローが想定通りに動き始めたことを確認し、ゆんゆんとレインは安堵の息を吐く。

 どうやら、誘導に逆らって適当に街や人々を破壊し始めるということはしないようだ。

 あの男の能力は強大だ。

 だが、頭はよくない。

 付け入る隙があるとすれば、そこだ。

 

「色々仕込みましたけど、通じるんでしょうか? レインさん」

 

「どれかは通じる……と、思います。完璧な『無敵』なんてありえませんから」

 

 身を隠して、不安げなゆんゆんをレインが勇気付ける。

 

「言い方を変えましょうか。

 魔王を倒した勇者やベルゼルグ王族が持ったこともないような力を……

 ぽっと出の人間が普通に扱っているという時点で、おかしいんです」

 

「あ」

 

「どんな能力にも攻略法は無数にあります。

 それを無敵に偽装するのはメリットよりデメリットの方が大きい。

 けれども、弱点と攻略法が少ないものなら……」

 

「無敵に偽装する手間を考えても、メリットの方が大きい?」

 

「その通りです」

 

 レインの予想は、あの能力は完全な無敵でもなんでもなく、何か小細工をして完璧な無敵に見せかけているというもの。

 反則の限りを尽くすベルゼルグの勇者達と比べてもなお格上に位置する、世界を救った勇者・ベルゼルグ王族・魔王軍幹部でさえ実現できていない『無敵』など、あるわけがないというもの。

 イエローの性格的な弱点から連鎖して突くことができる、能力的な弱点もあるはずだろうというものだった。

 

(気を引き締めないと。私もレインさんの足を引っ張っちゃダメだ)

 

 彼女らはこの国に存在する、兵士の訓練場へとイエローを招き寄せようとしていた。

 

 

 

 

 

 坂の上にボトムレス・スワンプがある。

 坂の上に発生させられた沼は坂道を泥で塗り潰し、坂を登れなくした。

 街中にボウガンが設置されている。

 王城の職業さえ持たない人々が対イエローのため徹夜で設置したものだ。

 街中に目では察知できない落とし穴がある。

 レインが魔法で設置したものだ。

 設置されたスクロールもあり、触れると魔法が放たれるようになっていた。

 

「これだから魔法使いは面倒な」

 

 イエローは沼の泥で濡れた坂を登れない。

 ボウガンが放って来た矢も受けられず、舌打ちしながら回避する。

 落とし穴はスキルを総動員して察知し回避。

 スクロールの魔法に関しては、回避する素振りさえ見せず無効化する。

 

 イエローは、自分を傷付ける可能性がある物をきちんと理解していた。

 

「……感づかれてるでゲスかね? いやまさか」

 

 イエローがどの道を通るか、どの罠を避けているか、どの罠を踏破しているか。

 それを確認しているだけで、イエローの能力が推測できるという仕組みだ。

 成程、効率的である。『無敵』に対する弱者の対策としてはかなり有効だ。

 魔法使いらしい、とも言える。

 

 イエローは盗聴スキルを発動し、広範囲の音を拾う。

 今の街に零れ落ちる小さな音の一つ一つを拾って、イエローは進路を決めていた。

 曲がって、進んで、戻って、進んで、無敵故にかなりサクサクとしたペースで罠のある道を進んで行くと、その内盗聴スキルが"王子は訓練場に居る"という情報を拾った。

 そして、王子が囮となってイエローを訓練場に誘い込もうとしているという情報も拾った。

 

「ふうん? 王族自ら囮になってくれるのであれば……歓迎でゲス」

 

 罠だと分かってはいるが、彼にはたとえ罠であってもそれを踏破できる自信があった。

 

「ここでゲスな」

 

 訓練場に辿り着き、イエローは盗聴スキルをカットする。

 まずは王子。その次に王。最後にこの国。

 ラグクラフトが情報操作で"崩しやすくした"今のこの国は、攻撃力にイマイチ欠けるイエローでも容易に壊滅状態まで追い込めるだろう。

 

 イエローが訓練場に入ると、まず目に入ったのは塞がれた道だった。

 面倒臭い曲がりくねった道を歩いて踏破しなければ、訓練場の中に入れないようになっている。

 火力とステータスが高くないイエローは壁を吹き飛ばすのにも、訓練場に外から飛び込んで上から入るのにも向いていない。

 

『魔王軍』

 

「む。この声、王子レヴィ……魔道具でどこからか声を飛ばしてるんでゲスか?」

 

『ああ、そうだ』

 

 次に耳にしたのは、レヴィの声だった。

 魔道具を通して、この訓練場のどこからかイエローまで声を届けているようだ。

 

『お前は何者だ? 勇者の同類か? その力はなんだ?』

 

「拙らの力はお前ら人間を救うため、女神が拙らに与えた力でゲス」

 

『……女神』

 

「我々は遠い遠い場所からお前らを助けに来た、沢山の人間の……その中の、ほんの一部」

 

 女神がもたらした山ほどの救いの中の、一掬いの零れ落ち。

 

「自分がどうしようもないクズだと分かっていても。

 自分がやっていることが殺人だという罪だと分かっていても。

 自分達が手を貸している相手が人類種の敵だと分かっていても。

 それでも助力してしまっている、擁護しようのない本物のクズ。それが我々でゲス」

 

『好感は持てそうにないな』

 

「好感持てるクズより好感持てないクズの方が多いに決まってるじゃないでゲスか」

 

『だろうな』

 

「その能力を魔王様の力で強化・変化させたものが我らの能力でゲス」

 

 女神の力+魔王の力。それゆえ、例外に例外を重ねた形。

 

『DT戦隊、だったか。紅魔族から聞いた。DTとはなんだ?』

 

「この世界にはない言葉でゲス。ま、最初はただ『童貞』を意味する言葉だったんでゲスが」

 

『は?』

 

「レッドの発案だったと聞くでゲス。

 上司のセレスディナ様の処女を餌にして、女性関係に転生者を引っ張り込む。

 美人の処女を餌にして、童貞を釣っていけば性欲で動く理想的な駒ができると……」

 

『細かい事情は知らんが、上司の貞操を平気で餌にするのか……』

 

 DT戦隊五人にいい意味でも悪い意味でも"良い人"は居ない。

 

「まあでも今はセレスディナ様の処女を狙ってるのは拙とピンクくらいのものでゲス」

 

『お前は狙ってるのか……』

 

「おっぱいデカい美人でゲスし」

 

 なんて野郎だ、とレヴィは思った。

 イエローはエロ、ピンクは淫乱。

 DT戦隊の各個人に担当の色を振った人間のセンスが確かなことだけが窺える。

 

『……ん? 待て、ピンクは女性だったと聞くぞ』

 

「ピンクの能力は指定した効能を持つ薬の作成。

 あいつは彼氏持ちで前も後ろも非処女。んで非童貞にもなるつもりなんでゲス」

 

『変態しかいないのかお前らは』

 

「拙が比較的普通人でゲスから」

 

 イエローは捻くれた性格を魔王軍の流儀で染めただけ。本物の変態には遠く及ばない。

 

「ただまあ、DTの今の意味は次元旅行者(Dimension Tourist)

 あるいは死んだトリッパー(Dead Tripper)のどっちかでゲス。

 呼称がそうなったのは新参の拙が

 『誰も転生じゃねえ、トリップだこれ』

 って以前レッドにうっかり言っちゃったからなんでゲスが」

 

「転生?」

 

「どうでもいいことでゲス。拙の個人的感覚の問題だったでゲスし」

 

 死んで赤ん坊から生まれ変わるのが転生。その人間がそのまま別世界に行くのがトリップ、トリップした人間がトリッパー。死んで行くならデッドトリッパーでいいんじゃないか、というのがイエローの主張であったが、この世界の常識を基準にすれば転生者をトリッパーとは呼称しない。

 そのため、身内ネタに近い呼称法であった。

 

「しかし女神に選ばれた集団か、怖いことだ。

 案外、戦隊の中じゃお前の能力が一番弱かったりするんじゃないか?」

 

「はぁぁぁ!?

 レッドは他人を思い通りにするだけの力!

 ブルーは醜い自分を美しくするだけの力!

 グリーンはトンマな自分を変えるだけの力!

 ピンクは望みどおりに薬を作るだけの力!

 どう考えたって拙の能力が一番強いに決まってるでゲス!」

 

(こいつは本当に頭が足りてないな)

 

 喋れば喋るだけ情報が出て来る。揺さぶれば揺さぶるだけ情報が出て来る。本当に能力だけが強力な人間だった。

 レヴィ王子が情報を引き出す時間が終わり、イエローは回り道を越えようやく訓練場内部の広い空間に辿り着く。

 闘技場に似た楕円の空間。

 遠く離れた場所にはレヴィ王子。

 そして、そこに足を踏み入れたイエローの目の前には――

 

「しっかし鬱陶しい喋り方だな。

 聞いているだけで不快感が伴う……だが、それもここまでだ!」

 

 ――グリフォンが、居た。

 

「は?」

 

 この街にあるとある娯楽のためにと捕獲された大型モンスター、グリフォン。

 大きな牛でさえあっという間に食らいつくし、民家にも匹敵するサイズを持つモンスター。

 それが、猛然とイエローに襲いかかった。

 

「うおおおっ!?」

 

 イエローがここに来て初めて、大きな焦りを見せた。

 流石は魔王軍といったところか、ほどなくして冷静さを取り戻し、魔法とスキルでグリフォンを一方的に無力化したが……その焦りと、グリフォンの攻撃を回避した行動が、レヴィ達に一つの確信を与えてしまった。

 

「やはりな」

 

 レヴィが、そして身を隠してそれを見ていたレインとゆんゆんが、昨晩散々話し合って絞り込んだ推測の中から、正解を見つけ出した。

 

「仮説の一つが当たったわね」

 

 レインは指差し、イエローに突きつける。

 

「あなたの能力、それ『職業を基準にした攻撃の無効』でしょう?」

 

「―――たった二回分の戦闘行動で見抜かれるとは、思ってなかったでゲス」

 

 リッチーには物理攻撃が効かない。

 たとえ山を砕く攻撃だろうとも、通常の物理攻撃であれば通じない。

 高レベルの毒耐性スキルがあれば、どんな毒もその冒険者には通じない。

 人体を溶かすような毒でさえ通じない。

 魔法無効の聖鎧アイギスには、鉄を蒸発させる魔法の熱も通じない。

 でなければ無効化とは言われない。

 神器で高い防御力を得ても、友人の髪引っ張りは無効化されない。

 

 この世界の仕組みはどこかシステマチックで、地球とは違う物理法則の元に動いている。単に、地球の物理法則とは似ているだけなのだ。

 

 高い防御力があっても、熱い湯に触れて火傷することもあれば、素足で走り回って足をすりむくこともある。防御力は"その肉体がどれほど硬いかを示す指標"ではない。

 "その肉体を守るステータス的な力を示す指標"なのだ。

 女性の腹筋を触って硬く感じるかは防御力より筋力値が基準である。

 

 『効かないものは効かない』。

 『攻撃には攻撃と認識される一定の基準がある』。

 イエローの逸脱した能力の基幹には、この世界にあるその二つの法則性があった。

 

「ご名答。拙の能力は職業に由来する攻撃の無効。

 もっと正確に言えば三つ指定した職業以外の攻撃に類するもの、その全無効化でゲス」

 

 敵の職業を見切ってあらかじめ防げるようにしておけば、魔法攻撃も物理攻撃も通じない。

 職業もカードも持たない子供の石投げは当たる。

 むきむきがゆんゆんを投げる時のように"傷付けないよう"投げれば、投げられる。

 イエローが抵抗すれば投げは荒っぽくなり、攻撃判定となる。

 むきむきの筋力であれば、自分の手首を掴んでいる人間の指を引き剥がそうとすれば、引き剥がした指がそのまま折れる。ゆえにこれも攻撃判定。

 

 アークウィザードが設置した罠のダメージは無効化できる。

 職業を持たない人間が設置した罠は無効化できない。

 職業持ちが設置した落とし穴には普通に落ちるが怪我はしない。

 レインが坂道に撒いた泥では普通に滑る。

 そして、グリフォンの攻撃も当然無効化できない。

 

 一見付け入る隙がありそうにも見えるが、相手の職業さえ見切っていれば大抵の搦手は無効化できる、そんな面倒な転生特典だった。

 

「普通、岩を投げるのと魔法で岩をぶつけるのは変わらないはずでゲス。

 けれどこの世界ではその二つが明確に差別化されているでゲス。

 魔法が効かない相手には、片方が効き片方が効かない。不思議なことでゲスな」

 

 この黄の男の能力は、この世界の法則の延長であり、この世界の法則の外側にある。

 

「手で触れれば柔らかい女の柔肌があるとするでゲス。

 けど、物理防御スキルがあれば物理攻撃は通らないでゲス。

 女の柔肌にも、何故か不思議と剣や槍は刺さらなくなっている不思議現象でゲース」

 

 この世界の人間はそれを不思議に思わない。

 地球出身で、この世界の外から来た人間だけがそこを不思議だと感じる。

 

「女神に力を貰った時、拙はそんなこと知りもしなかったでゲス。

 "自分を無敵にする力をください"と言って、この特典を貰ったでゲス。

 指定した三つの職業に由来する『攻撃』を無効にする、この力を。

 で、すぐに後悔したんでゲスよ!

 モンスターには職業無しも多いって、そんなん知らんでゲス! 詐欺じゃないでゲスか!」

 

 この能力は、魔王軍やモンスターの一部に対し完全に無力だ。神から貰った反則技だが、使いこなせなければカエルにも負ける。

 職業に由来する攻撃やスキルの無効となるため、デュラハンの死の宣告のような『種族に由来するスキル』も無効化できない。

 冒険者のスキルとなった種族スキルなら防げるが、それが何になるというのか。

 相当に頭を使わないと魔王軍相手には無双できない特典であり、イエローの頭の悪さが最悪に能力の足を引っ張っていた。

 

 ……この能力は、むしろ。()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 人間には、種族に由来するスキルはほぼ存在しない。

 あるとしても女神特典のスキル等であり、それさえも転生者がどれか職業を獲得した時点でどれかの職業のカテゴリの中に入る。

 人間は職業がなければ戦えない。

 モンスターと違い、カードがなければ戦う力もまっとうには得られない。

 この世界の人間の強さの地盤は、全て職業とスキルに由来している。

 イエローが得た能力は、人間キラーと言っていいものだった。

 

「でも、拙はレッドに勧誘されて気付いたでゲス。

 この能力は、むしろ人相手にこそ有効だと。

 んで『三つの職業の攻撃を無効にする』特典を魔王様に強化して貰って!

 『三つの職業以外の攻撃を無効にする』ものに強化してもらったでゲース!」

 

「……そこに躊躇いは持たなかったのか」

 

 レヴィが吐き捨てるように言う。

 

「別に? 魔王軍の方が生きやすそうだったからこっち来ただけでゲス。

 人間サイドの方が生きやすそうだったなら、そっちに居ただけの話でゲス」

 

「……」

 

「拙は生きやすい場所で生きたいだけでゲース」

 

 あるはずだ、他にも。女神が特典として与えられるものの中には、人類の味方としてではなく、人類の敵として使うことで最大限の力を発揮するものが。

 仮に他者と体を入れ替える道具なんてものがあれば、それは人が人から略奪する、あるいは人を陥れる時にこそ最大限に運用されていると言えるものだろう。

 

 女神は人を信じている。根底には人への信頼がある。

 それは盲信ではなく、人に世界を任せる者が持たなければならない信頼である。

 イエローの行為は、それを裏切るものだった。

 

(女神の力と魔王の力、三下の性格……誰だこんなキメラ生み出したやつ)

 

 イエローはレインの推測通り、この能力の穴を気付かせないために偽装している。

 『基本的に職業を持つ人間としか戦わない』。

 『職業を持たない一般人の殺戮は優先せず、職業持ちの打倒を優先する』。

 『モンスターに狙われる可能性がある場所では戦わず、市街地でのみ戦う』。

 イエローはその他諸々の偽装行動を行っていたが、王族教育係に紅魔族と、知力が極めて高いメンツを敵に回したのが痛かった。

 

 職業基準での攻撃無効という特性が見抜かれた時点で、もはや偽装をする意味はない。

 

「けれど、能力は見切りました。これで……」

 

「で?」

 

「え?」

 

 第一この効力は、"種が割れたから弱くなる"なんてことはない。

 

「レベル相応の耐久力が有る拙には、職業無しの弓矢も刺さらないでゲス。

 職業補正、スキル補正がなければ、この世界の人間は拙が前に住んでた場所の人と変わらない。

 拙の能力を理解したところで、事前準備無しに拙を倒すのは不可能でゲス」

 

「……っ」

 

 職業持ちでない人間が刃物を持っても、イエローはまず倒せない。

 ゆんゆん・レイン・レヴィでも、職業を持ってしまっている以上、どう手を尽くしてもダメージを与えることはできない。

 アークウィザードの攻撃を無効にすると設定すれば、アークウィザードが作った落とし穴でも怪我をしなくなるのがこの能力だ。

 依然状況は変わりなく、ピンチは何も変わらない。

 

 聖鎧アイギスが『スキル』『魔法』といった広いカテゴリを全無効にする鎧なら、イエローのそれは『職業』というカテゴリの攻撃を全無効とする能力。

 

「やってみないと分からないわ。

 めぐみんには無理かもしれない。でも私ならできるかもしれない。

 私に無理だったとしても……むきむきが来てくれれば、きっとなんとかしてくれる」

 

「あーんな期待外れに何期待してるでゲスか」

 

「……!」

 

 昔魔王軍が無敵の聖鎧の勇者に対しそうしていたように、反則級の防御性能を持つ人間と向き合い、それに対し不屈の意志を見せるゆんゆん。

 自分は諦めないという覚悟と、自分が駄目でも仲間がやってくれるという信頼。

 その両方を、特にあの少年を信じた言葉を、イエローは笑った。

 少女は、そこに大きな怒りを覚える。 

 

 気付けば、苦手で苦手でしょうがない紅魔族の名乗りを使って、普段思ってもいないようなことをのたまっていた。

 

「我が名はゆんゆん! 紅魔族随一にかっこいい男の子の友にして、上級魔法を操る者!」

 

 本当はイエローよりもずっと彼のカッコ悪いところを知っているはずなのに、彼の情けないところを知っているはずなのに、少女はそう言わずにはいられなかった。

 それは、普段何かの作品をダメダメだと思っているくせに、ネットでその作品が叩かれていると擁護せずには居られない、面倒臭いファンに似た心理か。

 あるいは、普段彼氏の悪い所を友人に散々愚痴っているくせに、その友人が彼氏のことを悪く言うとたいそう怒る、そんな面倒臭い女の心理から、恋愛感情を引っこ抜いたものに似た心理か。

 

「彼の良い所も悪い所も何も知らないくせに、勝手なこと言わないで!」

 

 ゆんゆんは、友人のことをよく知らない者が友人のことを馬鹿にすることに、心底腹を立てる女の子であった。

 

 

 

 

 

 むきむきはベッドに腰掛け、時折胸と頭をかきむしっている。

 彼が戦場に未だ向かっていないのは、奇跡的な幸運だった。

 今の彼が衝動的に戦場に向かうことは十分にあり得る。

 そうなれば十中八九誰よりも先に死ぬだろう。

 せめて、ドレインタッチで命を吸われ、命そのものを食われながら殺されていくあの感覚を克服できなければ、イエローに立ち向かえるかさえ怪しい。

 

 自分が死ぬよりも友人が死ぬことの方が怖いはずなのに、それでもロクな勇気が湧いてこない。

 

「今、居ますか?」

 

 コンコン、と扉をノックする音。少年はそれに応えない。

 

「居ますよね。入りますよ」

 

 居留守を無視して、少女は部屋に踏み込む。

 こういう時、躊躇いなくガンガン行くのはとても彼女らしい。

 

「……めぐみん」

 

 少年は顔を上げられない。

 少女と目を合わせられない。

 今は言葉を交わすことも避けたかった。

 

 少女は少年の心情を探るまでもなく理解していて、少年は少女の心情を声だけで探らなければならない。

 うつむく少年を見つめる、その少女の心情を、声だけで理解できるわけがない。

 少女がその時どんな心境であったか、むきむきには読み取ることができなかった。

 

「隣、座ってもいいですか?」

 

 返答はない。

 なかったが、少女は遠慮なくベッドに座る少年の横に座った。

 少年が断っても、彼女は強引にそこに座っただろう。

 座る二人の間には、人一人分の距離がある。

 

 少年がベッドに腰掛けても、その足は床につく。

 少女の場合は足がつかない。

 子供のように足をプラプラさせることもなく、少女は膝を揃えて腰掛けていた。

 

「私とゆんゆんは、今したいこと、しなければならないことが二つあるんです」

 

「……?」

 

「一つは戦うこと。一つはゆっくりと励ますこと。

 でも私達の体は一つずつしか無いので、一人一つで役割分担ですね」

 

 恐る恐る、少年は少女の顔色を窺う。

 少女は隣で、彼に優しく微笑んでいた。 

 

「お話しましょう。今のあなたには、きっとそれが必要だと思うのですよ」

 

 

 

 

 

 能力を解明しても、イエロー攻略は困難を極めた。

 職業を持たない人間が設置した投石罠でさえ、レインが起動スイッチを押すとイエローの攻撃無効対象となってしまう。

 それだけでなく、イエローは多種多様なスキルを保有していた。

 

「ゲース!」

 

 バインドスキル、近接格闘スキル、中級以下の魔法スキル。

 千里眼や盗聴などの五感強化系スキルに、リフレクトなど各職業が持つ強力なスキル群。

 高い毒耐性に、少々のその他状態異常耐性と防御スキルまである。

 吸魔石等の魔力を回復する魔道具と併用し、これらのスキルをくるくる回して攻めるのが、イエローの得意とする攻撃手段であった。

 

「まるでスキルのバーゲンセールだな」

 

「ゲースッスッス!」

 

「あの調子に乗ってる顔をぶん殴りたい……! できないんですけどね!」

 

 イエローのステータスはそれなりに低い。おそらくDT戦隊で最も低い。

 冒険者特有のスキルの効果の低さも相まって、どれもこれもが必殺にはならなかったが、攻撃の多様さは洒落にならない脅威であった。

 

「毒で死ななければ、スキルポイントはいくらでも荒稼ぎする裏技があるんでゲス!」

 

 教えてもらえばあらゆるスキルを習得できるのが冒険者の長所。

 かつ、イエローはそれらのスキルをえげつなく使いこなすタイプではなく、次から次へと敵にぶつけて対策を取らせないタイプである。

 ここに無敵の防御が加わると、攻めるも防ぐも難しい難敵が完成してしまう。

 

 沼にでも沈めれば殺せるだろうが、腕を掴むことさえ困難な現状、沼に沈める手段がない。

 

「うう、やりづらい……」

 

 訓練場という有利なフィールドに誘い込めたのはいいものの、ゆんゆん達の体にも傷が増えてきた。

 精神的・魔力的消耗で言えば体の消耗以上に大きい。

 イエローの能力が分かった以上、ちんたらと長引かせるのは得策ではない。

 

「あの作戦で行くぞ。やるのは俺だ、四の五の言わせん」

 

「王子様、でも危険が……」

 

「お前が言ったことだぞ、胸がでかい紅魔族」

 

「む……!? せ、セクハラですよ!?」

 

「お前はむきむきの代理だと。

 被害が出るとあいつが気に病むと。

 まったくもってそうだろう。

 凡俗の発想だが、俺もそうなるのは嫌だと感じているらしい」

 

「……王子様」

 

「女にばかり頼っていられるか。反吐が出る!」

 

 ひねくれ王子は、イエローの前に跳び出した。

 

「うん? 『バインド』!」

 

 イエローは敵がようやく姿を表したと思ったら、それが探していた王子であることに少し驚くも、短い紐でバインドスキルを発動。

 数十cmの紐はレヴィの足に絡みつき、両足首を纏めて縛る。

 イエローは転ぶレヴィを受け止めるようにして、その首を掴み上げた。

 

「ぐっ」

 

「よーやく捕まえたでゲス。王族一人目、さて次の目標は……」

 

 発動するはドレインタッチ。攻撃と回復を同時に行える優秀なスキルだ。

 スキルレベルも高いらしく、大抵の相手にはレジストさえ許さない。

 

「お前、やはり近接ではドレインタッチがメインスキルか」

 

「だったらなんだって言うんでゲスか?」

 

「やりやすくしてくれて、ありがとう」

 

「?」

 

 互いに手で触れられる距離。

 そこで、王子は懐に忍ばせていたスクロールを起動した。

 

「『テレポート』」

 

 魔法の発動は一瞬。

 一瞬でレヴィとイエローは消え、そこから一瞬の間を置いて、レヴィだけが戻って来た。

 戻ってきたレヴィは、青い顔をして膝をつく。

 

「王子!」

 

「心配するな、少しドレインタッチで吸われただけだ」

 

 あの一瞬でどれだけ吸われたのか。

 あるいは、吸われる感覚がそれほど気持ち悪いものだったのか。

 恐るべきはドレインタッチ。だが、その使い手ももう居ない。

 

「地下百mの位置に埋められた鉄の箱。

 そこをテレポート先に設定したスクロール。

 脱出用のスクロールと合わせて二枚一対の、必殺だ」

 

 一枚目のスクロールは、敵を自分諸共死地に送るテレポートのスクロール。

 二枚目のスクロールは、鉄の箱の中からこの訓練場にテレポートするスクロール。

 スクロールを読める程度の灯りはあるが、水も食べ物も無い鉄の箱の中ならば、ほとんどの生き物は餓死で死ぬ。

 確殺のテレポートコンボであった。

 

「やりましたね!」

 

「ったく、本当に高いんだぞこのスクロールの作成代金。

 金はあるが戦う力はないエルロードの切り札だ。これで……」

 

 相手さえ選べば、確殺だった。

 

「まさかバカ王子がそこに気付いてるとは思わなかったでゲス。

 正解、正解、大正解! 拙を倒すのに一番有効なのは『テレポート』でゲス」

 

「……あ」

 

 イエローがテレポートを使えなかったなら、念の為にとこの訓練場をテレポート先に設定していなかったなら、今の策で殺せていたはずだ。

 だが、それはただの『もしも』の話。

 

「それが分かってるのであれば、先にテレポートスキル取っておけばいいってだけの話でゲス」

 

「お前……テレポートを……」

 

 イエローはテレポートで使った魔力を魔道具で回復させながら、ポケットから取り出した別の魔道具で顔を微妙に変えた。

 変えた顔に、カツラを乗せる。

 魔道具と普通の道具を併用する変装。変わった顔を見て、王子は目を見開く。

 

「こーの顔に見覚えは?」

 

「お前……! その顔は、俺の護衛の騎士の!

 いや、そうか。お前が護衛の一人に選ばれたのは、テレポートが使えるからだったな……」

 

「黄金竜に殺されてくれてればよかったんでゲスが」

 

「あの時は、それが目的だったのか……!」

 

「DT戦隊のメイン業務は人間であることを活かした工作員業務でゲース」

 

 エルロード初日に、めぐみんを怒らせたレヴィを謝らせていた一人が。

 めぐみんにレヴィの事情を話していた護衛の騎士が。

 黄金竜討伐に同行していた護衛の騎士が。

 役に立たなかったなと戦いの後に減給されていた彼が。

 

 イエローの変装だった、というだけの話。

 

 何故、マンティコアが王子の馬車を襲い殺しかけるという事態が起きたのか?

 何故、黄金竜の街襲撃時にレヴィ王子の傍に護衛が居なかったのか?

 何故、黄金竜討伐の最中に、あの騎士は王子を安全のためテレポートで逃さなかったのか?

 こうして見ると、全てが繋がって見えてくる。

 

 賭博で成立した国、エルロード。

 この国には、有能であればハッキリしない出自でも宰相や王族の護衛につけるという、魔王軍のスパイが入り込みやすい下地があった。

 

「レッドは強化モンスター開発局局長シルビア様の補佐。

 ブルーは魔導指導部隊の顧問。

 ピンクは魔道具開発室の主任。

 グリーンはハンス様のお気に入り。

 拙が頭足りてないことなんて分かってるんで、拙の仕事は簡単なものだけでゲス」

 

 DT戦隊はそれぞれが得意分野を持つが、イエローはただ無敵で器用貧乏なだけ。

 彼に振られる役目など、難しくないものしかない。

 

「例えば、経験も警戒心も無いバカ王子の護衛に潜り込め、とかでゲスな」

 

「―――っ!」

 

 その言葉が、その暴露が、王子のプライドを傷付けた。

 だが、激昂はしない。

 カッとなって冷静さを失いはしない。

 レヴィは歯を食いしばって、その屈辱に耐える。

 

「そうだな、俺はバカ王子だ。お前の存在にも気付いていなかった」

 

 これで激怒させられるだろう、と踏んでいたイエローは眉をひそめる。

 本当に察しの悪い転生者だ。

 レヴィ王子のこの変化を、この成長を、この覚悟を、何一つとして気付いていなかったのだから。

 

「だからバカらしく、バカみたいにお前がくたばるまで足掻かせてもらうぞ!」

 

「ゲースゲスゲスゲス!」

 

 戦いは、まだ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今のむきむきは、めぐみんかゆんゆんでしか励ませない。

 二人のどちらでもいい、という話ではない。

 ただ、二人のどちらに励まされたかで、彼が立ち上がる方向は変わっていただろう。

 

 めぐみんと話す内、むきむきは自然と自分の心中を吐露していた。

 12歳相応の、情けない自分を嫌う気持ち。それを誘発させる敵への恐れ。

 めぐみんはそのどれもを否定せず、笑わず、ただひたすら聞き役に徹した。

 

「なんでこんなに、怖いんだろう。なんで、こんなに……」

 

 自分で自分のことが分からなくなっている彼に、彼女はゆっくりと優しい口調で語りかける。

 

「助けられた命だからではないですか?」

 

「助けられた命……幽霊さんに、ってこと?」

 

 人は変わる。

 

「あなたが死ねば、その献身の価値は無に還る」

 

「―――」

 

「あなたの中の恐れを膨らませているのはそれです。

 自分の命を助けてくれた誰かの犠牲を、0にしてしまうかもしれないという恐れ」

 

 よい意味で変わったことが、悪い結果を呼ぶこともある。

 悪い意味で変わったことが、よい結果を呼ぶこともある。

 

「それに、ですよ。

 里の外に出て、生きることがとても楽しくなったでしょう?

 もっと生きていたいという気持ちも強くなりましたよね?

 人生が楽しくなったなら、そりゃ人生が終わるのも怖くなりますよ」

 

「あ」

 

 ごく当たり前の感情だ。

 むきむきがこんなにもイエローを恐れていることに、変な理由はない。

 ごく普通の人間が持つ、ごく普通の感情の動きでしかない。

 生きているのが辛い人より、生きているのが楽しい人の方が、より死を恐れるものだ。

 

「……じゃあ、やっぱり僕のせいなんだ。問題は、僕の中に……」

 

 むきむきは額に拳を当て、恐れを追い出そうとする。

 けれども上手く行かない。どうしても上手く行かない。

 

 必死に変なことを頑張っているむきむきを見て、めぐみんは少し笑ってしまう。

 生真面目過ぎる、もっと気楽に生きればいいのに、と思ってしまう。

 けれども、そう生きるのも難しいだろうというのも分かっている。

 

(それはきっと、私が爆裂魔法を捨てるようなものですからね)

 

 めぐみんの人生を変えたのは、間違いなく幼少期に出会ったあの女性の魔法。

 爆裂魔法を操るあの女性と出会った日に、少女の未来は決定された。

 あの日、めぐみんはあの女性に魔法をかけられたのだ。

 魂も魅せる爆裂に、己が人生の全てを懸けたくなる魔法を。

 

「さて」

 

 少女はベッドから立ち上がる。

 ベッドに座ったままの少年と向き合い、少女は思うままに言葉を紡いだ。

 

「我が名はめぐみん、紅魔族随一の魔法使い。あなたの心に、今から魔法をかけてあげます」

 

 立ち上がらず、立ち上がれず、座ったままの少年の額を、少女の人差し指が触れる。

 

「ただ、ゆんゆん曰く私は爆裂魔法しか使えない欠陥魔法使いらしいですからね」

 

「……」

 

「魔法はかからないかもしれませんが、それならそれでいいとも思います」

 

 微笑むめぐみんに、むきむきは思わず顔を逸らしてしまう。

 今の自分の情けない顔を、見られたくなかったからだ。

 逸らした顔に、じわりと涙が滲む。

 めぐみんに気を遣わせているという情けなさが、尚更に少年(こども)を追い込んでいた。

 

「……え?」

 

 めぐみんは自分がいつもかぶっている大きな帽子を脱いで、むきむきにかぶせた。

 

「めぐみん、何を……」

 

 大きな帽子はつばも大きく、むきむきがかぶってもその顔の上半分を隠せる。

 少年の涙を、その表情を、少女の帽子が隠してくれていた。

 

「情けない顔を見られたくないなら、私が隠してあげますよ。

 でもその帽子、私のお気に入りですからね。

 できればさっさと情けない顔はやめて、ちょっとはかっこいい顔してください」

 

「……どんな顔してたって、今の僕が何もできないことには変わりないよ」

 

 だから頑張って勇気を出さないと、だから頑張って心を強くしないと、と言おうとした少年の言葉を、少女の言葉が強引に遮る。

 

「あなたがどんな道を選んでも、私は嫌いにはなりませんよ。

 だから、恐れなくていい。

 あなたはどんな道を選んでもいいし、何も選ばなくてもいいんです」

 

「……え」

 

「人にとって大切なのは、どの道を選ぶかじゃないんです。

 本当に大切なのは、選んだ道の先を、どんな未来に繋げるかなんです」

 

 めぐみんはむきむきを戦わせたいわけでもない。ここから逃したいわけでもない。

 ただ、後悔せずに選んだ道を進んで欲しいだけだ。

 

「私は、きっと……

 爆裂魔法の道を選ぼうと選ぶまいと、里の外に出ることを選んでいたでしょう。

 魔王を倒す道、自分の身の証を立てる道、未来の仲間と出会う道を選んでいたでしょう。

 どんな道を選んだとしても、私が私である限り、繋ぐ先の未来はきっと似通っている」

 

 彼女の最大の個性は爆裂魔法だ。

 だが、爆裂魔法があってもなくてもめぐみんはめぐみんである。

 短気で、人間関係も恋愛関係もアクティヴなその性質。

 かっこいいものを好み、ふざけた敵をぶっ飛ばし、大火力でぶっ壊すことに快感を覚える嗜好。

 ドライなところもあるが人情家で、頭はいいがバカもやって、面倒見がよく駄目な人を見捨てられない時も多い。

 彼女の本質は変わらない。

 

 どの道を選んだととしても、選択で分岐するどんな平行世界であっても、彼女は彼女だ。

 彼女は、選んだ道を自分らしい未来に繋ぐ。

 それは、むきむきも同じこと。

 

「道を選ぶことに迷うより。

 道を選ぶことを恐れるより。

 道を選んだ後頑張ることの方がずっと大事だと、私は思います」

 

 人生の本番は選択の瞬間よりも、その後にあるのだと、めぐみんは言う。

 

「進むのが怖いなら、私があなたの先を行きますよ。あなたはそれを追ってくればいい」

 

 めぐみんには、格好良く誰かの前を進んで行く側面もあれば――

 

「……でも。できれば隣を歩いてくれた方が、私は嬉しいですね」

 

 ――叶うなら、一緒に隣を歩いて欲しいと思う、可愛らしい側面も持ち合わせている。

 

「もう一度言いますよ?

 あなたがどんな道を選んでも、私は嫌いにはなりません。

 だから、恐れないでください。

 あなたはどんな道を選んでもいいし、何を選ばなくてもいいんです」

 

 揺るぎない信頼がある。それが肌で感じられる。

 

「……信じて貰っても、僕はその信頼を裏切ってしまうかもしれない。

 裏切りたくないと思っていても、また情けないことして、信頼を裏切ってしまうかもしれない」

 

 彼はその信頼を裏切ってしまうことも、怖かった。

 望まずして信頼を裏切ってしまうことが怖かった。

 彼女の信頼を裏切ってしまう可能性が怖かった。

 

「花は散るからこそ美しく、価値がある。

 命は尽きるからこそ美しく、価値がある。

 私の爆裂魔法も、欠点と負の側面があるからこそ、あの輝かしい爆焔という価値を持ちます」

 

 対しめぐみんは、"信頼は終わってしまうかもしれないからこそ価値がある"という考え方を口にする。

 多大なデメリットがあるがために、長所が一点突破で大きい爆裂魔法を誇る。

 

「それと同じ。信じるということは、裏切られるかもしれないからこそ価値があるのです」

 

「―――」

 

「でなければ、『裏切られなかった信頼』に、価値が宿らない。

 絶対に裏切られないと保証された信頼に、価値なんてあると思いますか?」

 

 欠陥や欠点があるからこそ価値が宿るという、一つの価値観。

 それはめぐみんの中にある、欠陥のある魔法や、欠点のある人間を愛せるという資質から、生まれ落ちた考え方の一つだった。

 

「散らない造花は美しくない。だから私は好きじゃありません。

 永遠の命も欲しいとは思わない。アンデッドにも憧れません。

 欠点があっても輝いているものの方が、私は好きです。

 欠陥だらけでも、ダメダメでも、頑張っているものの方が好感を持てます。

 信頼を『絶対に』『完璧に』裏切らない人を信じることに、何の意味があるのでしょうか。

 私がその人を信じようと信じまいと、その人は結局成功と勝利を手にするというのに」

 

 もしかしたら、めぐみんは。

 

 信頼を裏切るかもしれない駄目な人を、その人が信頼に応えてくれると心底信じた上で、その人が信頼に応えてくれた未来に至る―――そういうものが、好きなのかもしれない。

 

 

 

 

「私はあなたを信じます。たとえ、あなたがどんな道を選んでも」

 

 

 

 その言葉が、彼女が彼にかけた魔法だった。

 

「さて、私も行きます。ゆんゆんの下に」

 

 魔法使いは、彼の心に魔法をかけて、彼に帽子を預けたままに、戦場に向かおうとする。

 

「どうして、爆裂魔法は通じないって分かってるのに」

 

「駄目ならゆんゆんの首根っこ掴んで逃げて来ますよ。

 私達にこの国と心中する義理なんてないんですから」

 

 めぐみんに真面目に戦う気はない。

 ただ、仲間と生き残ろうとする意志はある。

 

「そうしたら三人でどこかにでも行きましょう。

 あなたが望むなら、レベルを上げてから仇討ちに動いてもいいです。

 ああ、いつかは魔王も倒しに行きましょう。それまではのんびりいきますか?」

 

 紅魔族三人の中で最もたくましく、最もこの世界に適した生き方をしていて、最も安定した精神性を持つのは、間違いなくこの少女だった。

 

「むきむきもゆんゆんも真面目過ぎるんですよ。

 世の中生きたもん勝ちです。

 死にそうになったら死ぬ前にすたこらさっさと逃げるべきでしょうに」

 

 はぁ、と少女は溜め息を吐く。

 

「では、行ってきます。その帽子、後で返してくださいね?」

 

 そうして、部屋を出て行った。

 言うべきことは全て言った、ということだろう。

 部屋に一人残されて、少年はかぶらされた帽子を外す。

 帽子の下の顔には、もう涙は滲んでいなかった。

 

「いいのかな」

 

 めぐみんは信じると言った。

 彼が情けなくても、弱くても、その心を信じると言った。

 どんな道を選んでも、どんな選択をしても、信じると言った。

 むきむきは変わらなくても、成長しなくても、今のままで信じてもらえる。

 

 それでいいのかと、心が己に問うていた。

 

「僕は、情けない僕を、めぐみんに信じさせていいのかな」

 

 情けないままで信じられていいのか? と、口を通して脳が疑問を呟いた。

 

 んなわけあるか、と心は叫んだ。

 

「……いいわけない。僕は―――!」

 

 帽子を抱えて、少年は走り出す。

 

 情けない自分を、情けで信じて欲しくなかった。

 心の中には、信じて貰いたい理想の自分があった。

 まだ成れていない理想の未来の自分があった。

 彼女に信じてもらえるのなら、かっこよくなった自分がよかった。

 彼女に信じられてなお胸を張れる、格好良い自分になりたかった。

 

 むきむきは、男の子だからだ。

 

(行こう!)

 

 足に力が宿る。踏みしめる床が軋む。

 どんな道を選んでもいいと彼女は言った。

 だから、一番選びたかった道を迷いなく駆けて行く。

 

(世界で一番の魔法使いが、僕に魔法をかけてくれた)

 

 恐れは既に、彼女の魔法で爆裂させられている。

 

(この魔法を―――嘘には、したくない!)

 

 心に筋肉が応えていく。

 もはやどこにも憂いはない。

 彼は彼女に、『最強』の爆裂魔法にも匹敵する『最高』の魔法を、かけてもらったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 職業持ちではイエローを削れない。手を尽くそうとしても打つ手がない。

 対し、イエローはある程度気を付けながらじっくり攻めて行くだけでいい。

 次第にレヴィ達は追い詰められ、やがて全員が訓練場の端にて追い詰められていた。

 

「づっ……!」

 

 もがく。

 あがく。

 無駄だと分かっていても続けられる抵抗。

 それが、彼らの中に不思議な一体感を生んでいた。

 

「お前達うちの国で働く気はないか! 今の年収の三倍は出してやるぞ!」

 

「結構です! まだと……と、とも、友達と旅をしていたいので!」

「謹んでお断り申し上げます。今の私は、アイリス様のためにありますから」

 

「義理堅い奴らだなっ!」

 

 彼らからすればイエローは本気でどうしようもない相手。

 だが、イエロー視点からではまた別のものが見えている。

 何せイエロー、能力がなければ普通に弱い。弱者としての視点も持つ彼は、ここまで自分に食い下がってきた彼らの戦力をきっちり高く評価していた。

 

(なんつー奴ら……正直ビビルでゲス。

 こんなに手こずったのは、この世界に来てから初めてかもしれんでゲス。

 特にあの紅魔族の女。なんて魔力と魔法の威力……幹部とも戦えるんじゃないでゲスか)

 

 イエローは魔王を殺せる攻撃さえ無効化できる。

 それは彼が魔王より強いからではなく、相性の問題だ。

 レッドの改造モンスターを仕留め、ブルーやピンクも必死にかわしていたことを考えれば、大火力砲台のゆんゆんに最も相性が良いのはイエローであるとも言える。

 

(『相性』で勝てる拙がここで仕留めておかないと、魔王軍の脅威になりかねんでゲスな)

 

 イエローがゆんゆんに狙いを定める。

 ゆんゆんがそれに気が付き、キッと表情を強張らせて構える。

 男が少女に向けて踏み出して、その瞬間―――男と少女の間に、何かが降って来た。

 

「!?」

 

 降って来たものは、巨躯の巨人。

 2m半を超える巨体で、ゆんゆんただ一人を守るかのようにそこに立つ。

 その大きさと威圧感に、思わずイエローは後ずさった。

 

「き」

 

 特に理由はない。

 何も理由はない。

 だがレヴィは、その姿を見ただけで何故か『勝った』という確信を得ていた。

 

「来てくれたか、紅魔の巨人……!」

 

 めぐみんさえ途中で追い抜いて、王城から訓練場に数秒で到着したむきむき。

 彼はめぐみんの帽子をゆんゆんに預け、勇壮にイエローに立ち向かう。

 

「ごめん、遅くなった。ゆんゆん、これ預かってて」

 

「う、うん! あ、待ってむきむき! あいつの能力は……」

 

 ここまでの彼女らの戦いの成果、すなわちイエローの能力の詳細がむきむきに伝えられる。

 むきむきの知力で理解できるレベルに、かつ短い時間で全てを説明するゆんゆん。流石の知力と付き合いの長さといったところか。

 レインはどこか心配そうだが、ちょっと興奮気味のゆんゆんは全く心配していない。

 

「大丈夫なんでしょうか、彼だけに任せて」

 

「優しい時のむきむきはともかく、気合い入ってる時のむきむきは強いですよ!」

 

 むきむきは戦意を滾らせ、イエローは余裕綽々に、ゆったり歩いて距離を詰める。

 

「昨日は僕の心が負けた。でも、今日は負けない」

 

「ゲースゲス、そりゃ立派な心意気……ん?」

 

 今度は死にかけの恐怖ではなく死を実感させてやろう、と油断と慢心に満ち満ちたイエローが手をわきわき動かしていると、むきむきと目が合う。

 まるで空に輝く赤い星のような、真っ赤な目がそこにあった。

 

(……? 昨日戦った時より、目が赤い?)

 

 はっ、と気付く。

 

(いや、そうでゲス。忘れてたでゲス。

 紅魔族は感情が高ぶると目が赤くなる。そしてこの男に限って、それは―――)

 

 気付いた時にはもう遅く。むきむきは一瞬で歩行速度を0手前からマックススピードまで引き上げ、イエローの懐に飛び込んでいた。

 

「ドレインタッチ!」

 

 モンクの保有スキル・自動回避と同系統のスキルが発動し、確率発動のスキルがイエローに迎撃を行う余裕を作る。

 幸運値の差が、"幸運にも"イエローに対応を許していた。

 

「こう、かな」

 

「!?」

 

 だが、幸運値の無さは工夫で補ってこその冒険者。

 むきむきはドレインタッチとして突き出されたイエローの手を、パンチをはたき落とすボクシングのパリングのように、かつ赤子を撫でるように、強烈に優しく叩いて逸らしていく。

 

(『攻撃』に、ならないように)

 

 桁違いの筋力・素早さ・器用度が、筋肉魔法に似た防御行動を成立させる。

 魔法と見分けの付かない防御技術であった。

 

「な、な、何ぃ!?」

 

 柔らかなタッチ、力強い動き、神速のハンドスピードが並立している。

 今の彼なら、砂の城を崩さない手つきと、戦車を投げるパワー、目にも止まらないスピードを並立した防御行動さえ容易いだろう。

 事実、イエローの手には一切の攻撃判定が発生していない。

 自分の手が猛烈な勢いで叩き落されているのを目で見ているのに、手自体には優しく撫でられるような感覚しか感じないのだ。

 見えるものと感じるものの差異に、イエローは頭がおかしくなりそうだった。

 

「……成程、何か支援魔法をかけてきてもらったんでゲスな」

 

「うん。心に、世界最高の支援魔法をかけてもらってきた」

 

「は?」

 

「ぶっ飛べ」

 

 魔法で強化して得た一時的な力でもなければ、ここまで急激なパワーアップはありえない。

 落ち着けば怖くはない。いくらパワーアップしても、自分には傷一つ付けられない。

 そう思っていた。

 ……そう思っていたがために、イエローは、吹き飛ばされてからその脅威を理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浸透勁、という技がある。

 創作においては防具の上から衝撃を浸透させ生身にまで届かせる技、と扱われることが多いが、この技の本質は浸透による破壊である。

 そも浸透勁という言葉は造語。中国武術における、破壊力を身体に浸透させて相手の体を効率よく破壊する、という概念を言葉にしたものだ。

 

 拳撃の理想は破壊力を全て浸透させ、パンチの威力の全てを人体破壊のために使うこと。

 殴って相手を吹き飛ばしてしまうということは、パンチの威力の大半を吹き飛ばすことに使ってしまうということで、相手の体を破壊するためにエネルギーを使えていないということなのだ。

 この世界では、スキルを取ることでその動きが身に付く。

 幽霊もむきむきにこの動きを身に付けさせようとしていた。

 むきむきも未熟ながら、この動きを自然に打てるよう日々鍛錬している。

 

 なのだが、むきむきは今回『浸透勁の逆』を打った。

 攻撃にならない攻撃。常識外の格闘攻撃。破壊せずに吹き飛ばす一撃。

 職業由来でもない力で、スキル由来でもない力で、彼が生来持つ筋力。それを、『攻撃』の判定を発生させないようぶつけた結果。

 人体を決して傷付けず、自身の筋力の全てを移動エネルギーに変換したそれは、イエローの体を雲の上まで吹き飛ばした。

 

「は―――あ―――あっ―――!?」

 

 止まらない。まだ上昇は続く。まだ止まらない。まだ飛んでいく。

 

 そしてイエローは、大気圏外に到達。すなわち宇宙にまで殴り飛ばされていた。

 

(こんなんありえんでゲスー!?)

 

 イエローは冒険者相応にさして高くない自分の魔力と、スキル連発に必要な大量の魔力というミスマッチを解消するため、吸魔石等の魔道具を大量に持ち歩いている。

 それが自分の素早さを低下させないよう、ブルーとピンクが共同作成した重力を軽減する魔道具も身に付けていた。

 

 それが、完全に裏目に出た。

 質量は変わらないため、"軽いものより重いものの方が力がこもる"法則に沿ってむきむきの筋力を大量に受け止めてしまう。

 かつ、重力の影響は軽減状態。

 そこにむきむきの、一生に数回しかないであろう感情爆発のスーパーパワーの衝突だ。

 

 ここまでぶっ飛んでもなんら不思議ではない。

 これこそが、ゆんゆんが見つけた能力の隙に、めぐみんがくれたパワーで立ち向かう、むきむきが見つけた対イエロー用知的攻略作戦。

 『星の外までぶっ飛ばしてやる作戦』であった。

 

(し、死ぬ……『テレポート』!)

 

 肺に残っている残り少ない空気を使って、テレポートを詠唱発動。

 イエローはレヴィのテレポート攻撃に対処した時と同じように、訓練場の真ん中に戻る。

 

「は……はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

 ぶわっ、と冷や汗が吹き出す。

 周囲に空気があるという幸運に、とてつもない幸福を感じる。

 自分の足が地に着いているという奇跡に、感動すら覚えている。

 イエローは両手両膝を地面に触れさせて、弱々しく死にそうな声を絞り出した。

 

「戻って来れなくなるかと、思ったでゲス」

 

 そんなイエローの襟を、むきむきの手が掴む。

 

「お前の魔力が尽きるまで、お前が死ぬまで……

 何度でも、空の上まで飛ばしてやる。何度でも空の星になれ」

 

「―――!?」

 

 火傷しそうなくらいに熱い、言葉の熱。

 本気も本気だ。むきむきはこんな手段でイエローを殺しきろうとしている。

 またしても彼は、とても優しい手つきでイエローを空へと投げ飛ばした。

 

(過大評価だと思っていたのに。

 爆裂魔法の女が一番の脅威だと思っていたのに。

 ヤバい、こいつ、爆裂魔法の女並みに能力がヤバいでゲス―――!)

 

 空に打ち上げられている間に、必死に吸魔石で魔力を回復する。

 重力軽減の魔道具はガッツリと服に固定しているため、この攻撃ループを脱せなければ外せない。

 真空に打ち上げられると、イエローは自分の中にある空気が、血が、全てがおかしくなったような気さえする。レベルとスキルの補正がなければ、とっくにどこかで死んでいるだろう。

 大気圏を抜けたところで、テレポートを必死に発動。

 地上に戻ったところで、イエローは走って逃げようとするが――

 

「!?」

 

 ――足を、沼に取られる。

 

 ゆんゆんのボトムレス・スワンプだ。

 最適なタイミングで最適な場所に放たれていたゆんゆんのサポート魔法が、イエローの決死の抵抗を無に還す。

 沼に足を取られたイエローはむきむきに優しく力強く蹴り飛ばされ、またしても雲の上まで血も凍るような打ち上げの恐怖を味わわされる。

 

(こいつら、こいつら紅魔族三人の内、一人だけでも昨日の内に仕留めておけば―――!)

 

 何か変わったかもしれないのに、と思っても時既に遅し。

 

 魔道具で魔力を補給しても追いつかない。

 無理矢理に打ち上げられたことで、三半規管も揺れて気持ち悪い。

 気圧が何度も変わるせいで呼吸はしづらく、真空にまで至れば呼吸なんてできやしない。

 慣性で血液も体のどこかに寄るものだから、貧血で卒倒しそうになる。

 

(この能力が無かったら、とっくの昔に殴り殺されてるでゲス……!)

 

 イエローは、地球で聞いた言葉を思い出す。

 『大人しいやつほどブチッとキレた後が怖い』。

 更に、この世界で聞いた言葉を思い出す。

 『紅魔族は、勇者と同じかそれ以上に怖い』。

 

 むきむきのこのパワーは今だけだ。

 めぐみんの言葉に引き起こされた感情、それが引き出した現在の最高値のパワー。

 心が成長し、大人になっていくにつれて子供特有の感情の爆発が失われていくことを考えれば、このパワーが今後発せられるかも怪しいものだ。

 だが、それでも。

 

 心までは無敵ではないイエローの心をへし折るには、十分だった。

 

(もしも、この男が、職業を捨てたなら……どうなるでゲス?)

 

 何度も打ち上げられ、何度も地上に戻り、必死に抵抗する最中にイエローは思考する。

 

(恩恵の薄い冒険者カードを捨て、職業の補正を全て捨てたなら?

 この肉体の力だけで拙に襲いかかってきたら?

 この筋力値ならカードと職業の補助がなくても拙は殴り殺せるのでは?

 拙の能力はどうやってもこの男の攻撃を防げないのでは?

 この男が全てを投げ打って拙を倒すことを決めたなら……殺されるんじゃないでゲスか?)

 

 殴り殺されるか。

 宇宙で呼吸困難で死ぬか。

 このまま続けても、この先にある結末は二つに一つ。

 

(ファッキンこの世界! 死ね! 死ねでゲス!

 なんで、なんで……()()()()()()()()()()()()が、普通に生まれてくるんでゲス!?)

 

 イエローはまた地上にテレポートで戻り、またしてもゆんゆんの沼に足を取られ、迫り来るむきむきの手を心底怯えた顔でかわし――

 

「『テレポート』ッ!」

 

 ――心折れて、魔王城へと逃げ帰った。

 

 

 

 

 

 真っ先に王子が喜び、大きな声を上げ、むきむきに駆け寄る。

 "そんな行動は王族らしくない"だなどと、誰が彼を責められようか。

 

「よくやった、むきむき! いやゆんゆんも、レインもそうだな! よく頑張ってくれた!」

 

 能力を判明させた者、仲間を立ち上がらせた者、立ち上がり敵を倒した者。

 全員が貢献した勝利だ。無論、それは王子も含む。

 兵士達がそうしていたように、抗って時間を稼いだ行動も無駄ではなかっただろう。

 結果論ではあるが、ラグクラフトの策謀が逆転して噛み合って、『魔王軍の襲撃』は『酔っぱらい冒険者が暴れた』程度の被害しかこの国に生み出さずに終わった。

 

「国を代表して礼を言う! ありがとう!」

 

 レヴィが満面の笑みで礼を言う。

 

「どうした?」

 

「……王子様のそんな笑顔、この国に来てから初めて見ました」

 

「おい、冷やかすようなら先程の言葉は撤回するぞ」

 

「ふふ、ごめんなさい!」

 

 ゆんゆんの言葉に王子が照れくさそうにする。

 くすくすとゆんゆんが笑っていると、訓練場の通路の向こうから格好付けた少女がやって来た。

 

「ふっ……どうやら私の秘められた力を解放するまでもなく、勝てたようですね」

 

「めぐみん!」

 

 実はめぐみん、"今回自分あんまり役になってない"とちょっと気にしていたのだが、むきむきを筆頭に皆が暖かく迎えてくれたことにホッとする。

 大量破壊兵器むきむきの投入には彼女の存在が必要不可欠だったのだから、邪険に迎え入れられるわけもない。当然と言えば当然か。

 少年は少女に、預かっていた帽子を返す。

 

「これ、ありがとう」

 

「いい顔してるじゃないですか、むきむき。それなら確かに帽子で顔を隠す必要はありませんね」

 

 むきむきはいい顔をしていて、それを覗き込むめぐみんもまた、いい顔をしていた。

 そんな二人を見守りうんうんと頷くゆんゆんもまた、いい顔をしている。

 

「さあ、戻るぞ! エルロードで一番高い飯を食わせてやる!」

 

「流石王子!」

「太っ腹!」

「ありがとレヴィー!」

 

 戦いは終わり、心休まる休息が始まる。

 

「王子! 緊急の連絡です!」

 

 はずだった。

 

「なんだ、後にしろ。今はこいつらをゆっくり休ませてやりたい」

 

「そんなことを言っている場合ではありません!

 伝令はベルゼルグからこちらへの文書テレポート送信!

 彼らの母国の緊急事態です、むしろ彼らにも聞かせなければ!」

 

「……報告を続けろ! ただし正確に、誤解の余地もないようにだ!」

 

「はい!」

 

 終わってなどいない。イエローはただの前座だ。

 彼らの本当の戦いは、ここから始まる。

 

「最前線の砦が魔王軍大部隊の奇襲によって落ちました!

 最前線の勇者達、及び王族は散り散りに!

 ベルゼルグ王、及び第一王子ジャティス様も消息不明!

 魔王軍は小規模軍事拠点を制圧しながら一気に侵攻!

 たった一日で、ベルゼルグ王都の包囲を完了、そのまま侵攻を開始しました!」

 

「……なっ」

 

「ベルゼルグは救援を求めています!」

 

「間に合うわけがないだろう! 隣国のエルロードでも十日以上はかかるんだぞ!」

 

 王都は一週間も保つまい。

 だが、静観すれば全てが詰んでしまう。

 ベルゼルグは、紅魔族やアクシズ教徒、ベルゼルグ王族に転生者の勇者達と、世界最高の戦力を抱える魔王軍侵略を防ぐ壁。

 ベルゼルグが落ちれば、人類の敗北は99%確定する。

 

「奴が日付にこだわったのは、これが理由か!

 昨日エルロードを落とせば、万が一にもベルゼルグに連絡が行く可能性があった!

 今日の大侵攻の際にベルゼルグに余計な警戒心を抱かせておかないために……!」

 

 彼らが思っていた以上に、魔王軍は優勢で。

 

「やつら、ここでベルゼルグとエルロードを同時に落とし……

 人類と魔王軍の戦争を一気に終わらせ、魔王軍の勝利で飾る気だったんだ!」

 

 人類が思っていた以上に、魔王軍は強大だった。

 

 

 




 次回から二章八節開始、その次が三章一節となります。二章はあと投稿数回分ですね

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