恋姫†国盗り物語 作:オーギヤ
数奇な運命に翻弄されること数年。今日まで生きて来れたのは運が良かっただけだ。
この世界へやってきた当時のことを思い返せば苦い記憶ばかりである。そりゃ地を耕したこともなければ漢文の読み書きも出来ない、異邦人の若造に優しくする理由なんてないだろう。
着の身着のままの姿にて荒野の真ん中で目が覚める。それから半年は、ただ日々を生きてくことで精一杯だった。この世界の時代だとか帰る方法なんてことを考える余裕はほとんど無い。その日の口に入れる食事や雨風を凌げる住処を得ることに必死。実にサバイバルな半年間を過ごす。
元の世界じゃオレは単なる大学生に過ぎない。体が強く丈夫であるぐらいしか取り柄も思いつかない。悪い事をした覚えだって大してない。高校時代に友達と飲酒をしたことや、鍵の掛かっていない他人の自転車に勝手に乗ったこと。雨の日に置き傘を拝借したとかその程度のことだ。
だがこの世界では生きるためならなんでもやった。畑泥棒なんて日常茶飯事。罵声を浴びせられて追いかけ回されたことや、石を投げつけられて血を流したことも頻繁にあった。
食べ物を求めて山に入った時に山賊に襲われて、その時に初めて人を斬った。相手は一人で丸腰のオレに油断していた。怯えた素振りを見せたら斬ろうとしてきたので得物を奪って逆に斬ってやった。心得があったわけじゃないが、それは向こうも同じだったようで意外と楽だった。
初めて人を斬った時にオレは何を思っただろう。数年も経てば当時のことなんて鮮明に思い出すことはできない。斬らなきゃ斬られて死んでいた、と納得したような気もするし、自責の念に駆られて吐いたような覚えもある。思い出さない様に記憶を消し去っているような気もする。
賊が油断していなければ勝てなかった。賊が複数人いたら間違いなく死んでいたはずだ。運良くたまたま生き残ったに過ぎない。そして生き残ったことが良かったかは今もわからない。
奪い取った錆びた剣と賊が身に持っていた食料と路銀を手にしてその場を立ち去った。時間にすればたった数分の出来事で、オレは毎日苦労して手にする何倍もの報酬を手に入れた。そうなるとこれまでの苦労が馬鹿らしく感じて仕方ない。こっちの方がよっぽどシンプルで楽ではないか。
色々と考えることに疲れきっていた頃でもあった。倫理観や道徳観なんてものを考える心の余裕は到底なかった。これからは斬って斬って、やがては誰かに斬られて死のうと思った。
そう決意してからは生きる糧のためにお尋ね者や少数の賊を見つけては斬った。中には手強い相手もいて斬られることもあったが、今日まで後遺症の残るような傷は幸いにも負わなかった。
どんなボンクラであっても生き残れば強くもなる。実践ばかり繰り返していくうちにオレはメキメキと力をつけ、次第に憎くもない相手を斬ることに抵抗を感じなくなった。オレはこの先どうなるのだろう。光の見えない夜になるとそんなことばかり考えた。そして二年の月日が流れ経つ。
「おう、兄ちゃん。随分と強いんだってな。ちょっとばかりオレと遊んでいけよ」
いくらか名も売れ出した時期。通りかかった荒野で武者修行の旅をしていた文鴦と出会った。
「…………誰かの仇討ちか」
「そんな安っぽい理由じゃねえよ。これは単なるオレの腕試しだ。断るなら後ろから斬るぜ」
「迷惑千万の極みじゃないか。まあ、いいや。良い矛持ってんな。お前を斬って奪うとしよう」
「ああ、いいぜ。オレに勝てればの話だがな!」
文鴦が強いことは一目でわかった。見た目も雰囲気もこれまでの相手の中でも数段上だ。
勝ち目が薄いことはなんとなく察しがついたが、これまでだってそんなことは何度もあった。負けても斬られて死ぬだけのことに過ぎない。オレは暗く淀んだ目をしながら剣を構えた。
結果だけ述べると勝負は引き分けた。十数合余り打ち合ったところでオレの手に持つ錆びた剣が文鴦の矛によって砕かれた。普通にオレの完敗だが、文鴦がなぜか勝負無しと場を流した。
「得物が潰れちゃ続きはできねえな」
「斬れよ。オレがお前の立場なら斬ってるぞ」
「これは腕試しだからな。斬り殺すことが目的じゃねえ。少なくても途中までは互角だった」
「いきなり絡んできたくせに面倒なことを言うヤツだな。まあ、いいか。どうでもいい…………」
気の抜けたオレはその場に倒れ込んで天を見上げた。心を映すかのような暗い曇天の空だ。
馬鹿力に押されていたせいか、剣を握っていた利き腕の甲や腕の関節が鈍い痛みを発していた。僅か十数合打ち合っただけでこの様だ。続いていても何れは敗れていただろうと確信する。
「そんでお前さんはこれからどうすんだよ」
「そうだな。どっかのデカブツに剣をぶっ壊されたから、一先ずはその調達でもするかな」
「そりゃそうか。名乗るの忘れていたがオレの名は文鴦だ。文次騫。そんで話があるんだが……」
触れ合う袖に多生の縁があるなら、斬り合う刃にも似たようなものがあるのだろうか。
「出会ったのも縁だ。お前さんの旅にオレも連れてけよ。斬るのはお手の物だし役に立つぜ」
「なんでそんな話になるんだよ」
「堅いことは言いっこ無しだ。旅は道連れとも言うだろ。面倒な話も無しだ。オレを連れてけ」
文鴦は挨拶もそこそこに同行したいと申し出てきた。当時はさっぱり理由がわからなかった。
だが裏を考える必要性はない。その気であれば文鴦はオレを斬り殺すことができていたのだから。理由はわからないが、理由がわからない出来事なんてこの世界じゃ然して珍しくもない。
「…………ま、これも縁っちゃ縁なのかな」
「おっ?」
「拒む理由もないことだ。同行したいなら好きにすりゃいい。その代わり働いてくれよ。文鴦」
「話が早くて助かるぜ。これから宜しく頼む」
それから後になって知ったがこの世界、男よりも女の方が優秀で権力者の数が多いようだ。
オレはそんなことにも気づかないぐらい日々の生活に余裕を持てていなかった。考えることを放棄しては鉛の詰まった頭と体を引きずり続け、ただ毎日を意味もなく過ごしていた。
文鴦は女に仕えることを善しとしない男だった。それからも旅を続けていると文鴦のような連中が現れては腕試しを挑んできた。文鴦クラスはいなかったが中々骨のある連中が多い。
そしてどいつもこいつも負けた後は決まって同じことを言った。一人旅が終わったかと思えば、ものの数カ月で多くの仲間と共に旅をするようになっていた。柄が悪くむさ苦しいが気の良い連中ばかりだった。そして人と接するようになればこの世界へ関心を向けようと思うようになった。
「男女の性別逆転と真名の存在か……」
一人旅をしていた頃から薄々気づいていたがこの世界は古代中華も後漢の時代のようだ。
鼻で笑いたくなる話だが全てを明晰夢と割り切るにはあまりにも永い年月が経ち過ぎている。後漢から三国時代にかけて深い見識はなかったが、まったく知らない時代というわけない。
人並みという曖昧な表現を用いるなら人並みには歴史を知っていた。劉備に曹操に孔明に呂布を筆頭に、高い知名度を誇る人物ならわかるだろう。歴史上の重要な出来事についても覚えているはずだ。黄巾の乱に連合戦に赤壁の戦い。曹操と袁紹が雌雄を決した舞台は官渡だったか。
オレの半端な知識には当然漏れはあるだろうし、細かく突き詰めれば間違えて覚えている部分もあるだろう。この性別が逆転している世界で歴史が歴史通りに進むという確証だってない。
だがこの世界にも曹操や袁紹の名前は存在するようだ。劉備や孔明の名を聞かないことも、まだ黄巾の乱が起こっていない年代なら納得がいく。全てを信用するには足りなくとも頭の片隅に覚えておく分には問題ないだろう。信憑性なんてものはこれから時間をかけて見定めればいい。
男女の性別が逆転しているとは言っても全員が全員そうであるとも限らない。国の正規兵は男の方が比率が高いと聞く。領主をしていると耳に入った曹操と袁紹は女であるようだが、劉備は男かもしれないし呂布は男じゃないと違和感が凄いだろう。本当によくわからない世界である。
それよりも気になることがある。ウチの連中は中々の腕利きが揃っていたが、誰一人としてオレは名を聞いたことがなかった。一番強い文鴦の名前ですら耳にした覚えがないのは気になる。
「文鴦。お前は凄く強いけど脳筋の極みのようなヤツだから早く死ぬのかもしれないな」
「藪から棒になんだよ。オレは不死身だぜ」
文鴦は単独で十や二十の相手にだって臆することなく真っ向から打ち倒す程の剛将だ。
本人も言うように死んでも死にそうにない男だが、後の世に名が残っていないということは早くに死んだのだろうか。それとも文鴦の実力じゃ名が残らない程、この時代の武将は強いのか。
呂布を頂点に蜀なら関羽に張飛に趙雲。魏なら夏侯惇に夏侯淵に張遼。呉なら孫堅に孫策の名は有名だ。勿論それ以外に知っている名前はあるし、他陣営にも名の残っている武将は多い。
オレが知らないだけというならそれまでの話だが、知らないということは少なくとも上記の将より格が一枚は落ちるということになる。いぶし銀の活躍はしていても、史に燦然と刻まれるような華々しい戦功は残していないというわけだ。
「戦って散るのも一興だが、わざわざ敵対する道を選ぶこともない。どうしたものかな……」
この時期になると旅をする仲間も増えていた。
人が増えればこれまでとは役割を変え、今では見知った隊商の護衛をしたり、地方の尉が動くかどうかの規模の賊を討ち取り、溜め込んでいる財などを奪い取ることに精を出している。
後漢も末期ともなると仕事には事欠かなかったが評判は微妙だった。感謝されることも多かったがそれと同じぐらい、ごろつき集団や愚連隊と揶揄されることも多い。総じて支配階級に受けが悪く、労働階級層に受けが良い。評判なんて気にしないが、何れ討伐対象となるかもしれない。
ロビー活動にでも取り組んでイメージ改善を図れば回避できるかもしれないが、少なくない犠牲の上に得た報酬で媚を売ることに気乗りがしなかった。だがこのまま放置するのも考え物だ。
どうしたものかと長く考えていると、この日は珍しく居を構える砦に来客がやってきた。
「やいやいやい! お前達が賊を討つ賊と悪名高い連中だな。このワタシが成敗してやる!」
なんとも威勢の良い言葉と共に現れた黒と白のメッシュが目立つハイカラな少女。
手には大きな金棒を握っており、どうやら単身で殴り込みにやってきたようだ。たまにこの手の輩が現れるが、どうも今回の少女はかなり腕が立ちそうな雰囲気を醸し出している。
見張りには少数であれば基本的に中へ通すように伝達していた。押し止めても手強い相手なら破ってくるだろうから無駄な犠牲を出すこともない。今日の少女ならまず通して正解だろう。
「いやいや、賊を討つ賊ってなんだよ」
「この周辺の領主様がそう言っていると聞いたぞ! 神妙に御縄について頭を下げるんだな!」
随分と面倒な噂が出回っているようだ。なまじ間違っていないだけに扱いが難しい。
「知ったことか。話があるならそいつをここへ連れて来い。流石に賊呼ばわりされる謂れはない」
「むむむ! ならば実力行使にでるぞ!」
「ああ、そうですか。姉ちゃんが勝てば頭でもなんでも下げてやるよ。おう、誰か相手してやれ」
そう言うと周りに控えていた連中が色めき立つも、いち早く返事をしたのはやはり文鴦だ。
「つまりはオレの出番ってわけだ」
「数に物を言わせず一対一で挑む気概は認めるが、それが仇となることを思い知らせてやる!」
「威勢がいつまで続くか楽しみだぜ。表に出な」
文鴦が出たならジ・エンドだ。胸も大きく綺麗な少女だが残念ながら斬られるだろう。
この場にいた連中はみんな野次馬根性で二人に着いて行ったが、オレだけは留まって再び考えた。この世界へやってきて三年余り。元の世界に居た頃とはすっかり考え方が変わった。
一番大きな変化は価値観だろう。特に死生観は大きく変わってしまった。他人の命もそうだが自分の命にどれだけの値打ちがあるかわからない。今日まで運良く生きて来られたが、明日にはあっさり死んでいるかもしれない。恨みだって大小問わず腐る程買っていることだろう。
そんな生き方を選んだのはオレ自身だ。今更御託を並べても仕方ない。この世界にやって来た当初にオレを受け入れてくれる人と出会っていれば何か変わっていただろうが今更、今更になって言ったところで全てはもう後の祭りだ。
「…………お、決着が付いたようだな」
長く思考の渦に飲まれていたが、外から大きな歓声が聞こえ意識を起こす。
どうやら決着が付いたようだ。歓声の質からどちらかが斬られたという類のものではないことを察する。予想通り文鴦が勝ったのだろう。負けていればみんな驚いて歓声なんて上げない。
考えることにいい加減飽きたオレは歓声の聞こえた方角へと歩いて行く。文鴦と少女の勝負が行われたであろう現場では、少女が大の字のままうつ伏せになって伸びていた。そしてドヤ顔の文鴦と目が合う。一対一にしては珍しく血を流していた。やはり少女はかなり腕が立ったようだ。
「手心を加えたんだな。派手に伸びてるけど」
「殺し合いって空気じゃなかったからな。そうなってりゃもっと苦戦していたかも知れねえ」
「高評価だな。けっこう手強かったのか?」
「おう。魏延はまだまだ荒削りな部分も多いが、高順や張燕相手でもタメ張れる強さだったぜ」
「そりゃ強いな。名は魏延か…………魏延!?」
ぼんやり伸びている少女のケツを眺めていると文鴦があっさりと驚くべき名を言い出した。
「この伸びてる姉ちゃんが魏延なの?」
「ああ、前口上でそう名乗ってたな。魏延。字を文長だったか。なんだ知り合いなのか?」
「知り合いってわけじゃないが……。同姓同名ってことはないよな。そうか魏延に勝ったのか」
まだ理解が追いつかなかったが、結果を見るにどうやら文鴦は魏延よりも強いみたいだ。
それもけっこう力の差がありそうな勝ち方である。魏延がまだ未熟である可能性やら、文鴦が実は超人である説もあったが、ともかくこの世界は本当に数奇で波乱の多いことばかりである。
やがて目を覚ました魏延は帰るのかと思いきや、なぜかこのまま残ると言い出した。
文鴦との一戦で思うところがあったのか。それとも誰かが魏延に熱を入れて考えを変えさせたのか。見た印象だと脳筋の気が強そうなので、ウチの連中とは馬が合うのかもしれないが。
文鴦超人説を確かめるために魏延の回復を待ってから軽く手合わせをした。魏延はウチの連中の中でも五本の指に入る実力者だが、今の段階では良くても三番目だろう。つまりは魏延未熟説が濃厚である。ゴリラの文鴦はともかくとしてオレにまで後れを取ってるようじゃまだまだ甘い。
「お頭! ワタシが間違ってました。賊ではなくて義賊だったんですね。ホントごめんなさい!」
「お頭ってもしかしてオレのことか?」
「勿論そうです!」
「いや、意味わからんし止めてくれよ。それに義賊だろうが公権力からすれば賊と変わりないぞ」
魏延は居座ることを決めるとオレのことをお頭なんて名で呼び始めた。
長い目で見ても魏延が残ることは歓迎だが、変な名で呼ばれることは勘弁してほしい。だが魏延は何回注意しても直らなかった。そのうちウチの連中まで魏延に触発され始めたので困る。
それでもこうして仲間が増えていくことは楽しいことだった。オレはこの世界で多くの出会いと、決して少なくない別れを繰り返していった。長く沈んでいた淀んだ気持ちもいくらか持ち直したような気がする。そして歴史は針を進め、やがてこの世界にも本格的な動乱期が訪れる。
次話から原作スタートの年代となります。
今回の話はかなり駆け足気味ですが実質的な第一章。この先作品が続くようなら度々掘り下げることになると思われます。