――彼女が宵闇妖怪になるまでの物語。
神と妖怪の境界は曖昧だ。
少なくとも私はそう思う。
「――そりゃあそうだろうさ。神か妖怪か。《《それ》》を決めるのは人間様なのだから。
両者に生物的な違いは一つもないのだけどね。人間を害するモノか否か――ただ、それだけの違いなんだよ」
常識だろうと言いたげに、彼は私にそう言った。
茶屋で買ったよく煎じられたお茶を音を立てて啜る。
周りの客はその不快音に嫌な顔をしているが、彼は気にせず話を続けた。
「つまり何を言いたいのかと言えばだな――神として祭り上げるのも、妖怪として邪険に扱うも、私ら人間次第なんだよ。周囲の者の認識次第で存在が変動するんだ。多分それは、神しろ妖怪にしろ、そして人間にしろ――共通の、理なんだろうね」
「――――」
難しい事を言うんだね、と話を理解できなかった私は疑問符を浮かべた。
彼はそんな私に、呆れが含んだ笑みを向けた。
理解力の無い私に落胆したのだろうか。
そうなら、私は悔しく思う。
「――多分お前にも理解できる日がくるさ。
些細なきっかけで神は妖怪に堕ち、そして妖怪は神と成り、私ら人間も妖かしと化す。
お前はこれからそんな場面に何度も出くわすのだろう。辛い事なのかもしれないが、永遠に等しい時間を生きるということはそういうことなんだ。
だから私は、お前に頼みたいんだ。
――なぁ《《ルーミア》》。
私が生きている間だけでいいんだ。
妖怪ではなくこの土地の神として。お前には生きていてほしい」
真剣な顔付きで、彼は私に頼み込んだ。
その問いに神である私は了承すべきなのかもしれない。でも、彼の話を理解できなかった私には、返せる言葉が無かったのだ。
私には彼の願いを了承することも断る事もできなかった。だから、無言で返した。
「……そうだよな。約束なんて、できるわけないよな
――ありがとうな、ルーミア」
彼は私の頭に手を乗せて、壊れ物を扱うように優しく撫でた。
私には、なぜ彼がお礼を言うのかが分からなかった。何も分らぬまま、彼の手の暖かみを感じていた。
未来の事なんて約束できない。
先の事を見透せるほど、私は力を持った神ではないからだ。
……でも、他でもない彼のお願いだ。
可能な限り、私は叶えてあげたい。
「さて、そろそろ俺は村の見廻りにいくよ。隣の村で、鬼に喰われて死んだ者がでたとの情報が入ったんだ。こんな田舎に来るとは思えないが、もしもということがある。退魔師として、俺はこの村を守らなきゃいけないからさ」
彼はそう言って席を立ち、茶屋から出ようとした。
私はまったく手をつけていなかった茶を一気に飲み込んで、彼を追って席を立つ。
「お前も付いてきてくれるのか……いや、困るなんてことはない。とても嬉しく思うし、私も本当は頼もうかと思っていたんだ。
宵闇ノ神が付いているなら百人力というやつさ。正直なところ、私が鬼と対峙して勝てる見込みは全く無いんだ。お前がいるなら安心だよ」
そうだろう、そうだろう。彼からの賛辞を受けた私は得意げに胸を張った。
「……あぁ、ほんとに頼もしいよ、ルーミア。お前さえ居れば、我々は――」
彼は言いかけた言葉を飲み込んで、それを誤魔化すように
我々とは、村の人々を指しているのだろう。
彼が言いかけた言葉の続きの予想はそう難しくなかった。
多分、『お前さえいれば我々はずっと平穏に暮らしてられる』とか、そんなことを言いたかったのだろう。
村の人々を守るために退魔師になった彼のことだからきっとそう言うつもりだったはずだ。生憎私は神として半人前だから村の皆を外敵から守護しきれはしない。彼が私に寄せる信頼は、私からしたら過剰だが、その瑞々しい信仰は神として誉れである。
正直私には、彼の頼みを叶えれる自信も、彼の大切なものを守りきれる自信も無い。
でも可能ならば――神としてではなく友人として、彼が求めるものを与えられたらいいなと思う。
私と彼は茶屋から離れ、私の小さな村の見廻りを開始した。
私が統治するこの村は、京から大きく離れた山の麓の近くにある。人口は100人ほどで、田舎よりも田舎らしい土地。
住むには困らない所だと自負しているが、年々出ていく者が増えるばかり。
特に若者の出京が激しく、村に残っている者は彼のような変わり者くらいだった。
「……変わり者とは失礼だ。私は単に、この村の者共を尊く思うから出京しないのだ」
「私が言うのも何だけど、この村に魅力なんて無いと思うわよ?」
「本当にお前が言うべき言葉ではないな。貴様、それでも土地神か? なぁ宵闇ノ神よ」
無論、こんなのでも神である。
ただ元は、彼が疎む妖怪の一つだったが。
「……私を神だと謳うならさ、まず言葉遣いを改めるべきだと思うんだけどな」
「悪いがこの口調のほうがしっくりとくるのでな。それにお前が思っている以上に、私は宵闇ノ神を信仰しているつもりだ」
「……まぁそれは、知ってるけどさ」
彼の身から溢れる瑞々しい信仰は、出自が妖怪である私を神たらしめるための大切な供物である。彼一人ぶんの信仰心が、私の神として部分を養っていると言っても過言ではない。
村の人々は宵闇ノ神を信仰しているが、土地神として成り立たせるための頭数が足りていない。なので彼のような信仰心の塊のような人間がいなかったら、きっと私は元の妖怪に戻っているだろう。
妖怪ってだけで、何もしていなくても
だが不思議なことに、人に神だと崇められてから追われることはなくなった。
ただ悩める聖人の心の闇を払ってあげただけなのに。それ以来神として扱われ、妖怪だと疎まれることもなくなったのだ。
「……君の信仰には助けられてるし、これでも結構感謝してるのよ? 私の神社で神主として働かせたいくらいには」
「魅力的な提案だがお断りだな。私はいつか来るかもしれない外敵から、村の人々を守護しなければいけない」
「わかってるって。君、ほんとに村の人間達が好きだもんねぇ」
「当然だろう。こんなに笑顔が溢れている場所、好きにならないほうがおかしいに決まっているよな? なぁ、宵闇ノ神よ」
愛すべき郷を魅力が無いと言われたことを根に持っているのか、彼は嫌味そうに私に言った。
「……別に、ここが嫌いなわけじゃないわよ。この私が統治する場所なんだから、当たり前でしょ?」
彼が言う通り、この村に住む者は人が良い者ばかりだ。
時折、闇を司る土地神として皆の心の闇を取り払っているのだ。だからどのような極悪人でもこの村で3日も過ごせば別人のように善くなる。
多分、それが唯一の良い所だろう。
だが――
「それでも、はっきりとした魅力はないのよねぇ」
そうなのだ。
これと言った名産もなければ特別住みやすいわけではない。普通を絵に描いたような場所なのだ。
「確かに、な。名産があるわけでも無いし――だが、この村に住む者は皆人が良い。それは確かなことだ」
彼は町並みをぐるりと眺めた。
一定の距離が離れているいくつかの竪穴式住居に作物を育てるための田畑。
そして、その場所で生きている人々。
彼はそれらを心底から愛おしく想っているようで――その景色を作った
「うん、そうだね。皆の笑顔こそが、この村の何よりも良い所だよね」
「あぁその通りだ。宵闇ノ神よ」
私の回答に満足してか、彼は仄かな笑みを浮かべた。
「……君、笑ってるよ?」
「――っ! あ、あまり見るな……」
気が緩んだところを見られて羞恥心に駆られた彼は袖で顔を隠す。
彼はいつも仏頂面なので、彼の笑顔は貴重なのだ。
恥ずかしがる彼。そんな彼を見ていたらつい悪戯心が芽生えてしまい、彼の顔を私は下から覗いた。
――覗こうと屈んだとき、突如として女の悲鳴が聞こえた。
「――おい宵闇ノ神ッ!」
「うん、わかってる!」
この村では稀に、人を襲う妖怪共がやって来る。
いやこの村だけではないだろう。だが私の村の警備は手薄で、村の中にまで侵入してくる妖怪は比較的多い。
もしかして、また誰かが襲われて――
一瞬私の脳裏に、彼が話していた『鬼の噂』が過ぎった。
急がなくては。
もし鬼だとしたら私がいたとしても対処できるかどうか――
胸の中には不安感しか無かった。
だがそんなことで足を止めるつもりはなかった。
私と彼は一目散に、悲鳴が聞こえた方向へと駆けていった。
人気投票の支援のつもりで書いていたのだが、なんだ、もう終了だったか。ということで途中までですが投稿しました。
次回更新は未定。筆がノッたら明日にでも更新するかもしれない。
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