掌握 ~アメリア・ポッターとホグワーツ魔法魔術学校~ 作:カットトマト缶
眩しい陽の光が木の葉を通して窓から入り込んでくる。書類の上に描かれた光と影の鮮明なマーブル模様が、一年中適温に保たれているこの部屋でも夏を感じさせた。
彼、トム・リドルは書類に落としていた視線を前へ向けた。扉がノックされたからだ。トムはどうぞと言って入室を促した。扉をそっと開けて顔をのぞかせたのは、夏休みになって帰省している娘のダリアだった。
「お父様、教えて欲しい呪文があるの」
トムは時計に目を向けた。ティータイムにはもってこいの時間だ。トムは休憩を兼ねて、娘に魔法を教えてやることにした。ダリアにおいでと言ってローテーブル前のソファに座らせ、屋敷しもべ妖精に紅茶を頼むと、トムはダリアが持っていた本に目を向けた。そこに書かれているのは物を消去するエバネスコの呪文だ。まだ二年生になろうかという年齢の子どもが使える呪文ではないが、優秀なトムに(もはや優秀なという言葉すら陳腐に思えるほど偉大な魔法使いだが)昔から魔法を教えてもらっていたダリアなら出来ても不思議ではない。トムはダリアが分からないという理論を噛み砕き、ときには補足をして説明した。
ダリアが呪文を唱えると、杖を向けた先にあった写真立ては音を立てて消えた。ダリアは成功して輝かんばかりの笑みを浮かべた。トムはやれやれといった顔で言った。
「ダリア、写真たてを消すことはないだろう」
「あぁ、ごめんなさいお父様……あら? どうすれば元に戻せるのかしら?」
「消したものを元に戻すのは熟練の魔法使いでも難しいから、無闇矢鱈と消さないように。わかったね?」
「ご、ごめんなさい……」
ダリアの顔色が青くなったのを見て、トムは小さく笑って杖を振った。すると写真立てはまた音を立てて元のところに現れた。ダリアはそれを見てほっとした顔をし、さすがお父様ねと笑顔になった。
トムは娘が帰省する夏休みを自宅で過ごしていた。仕事も家へ持ち込み、魔法省には出勤していない。もちろん会談や演説などをする際には出かけるが、暖炉とフルーパウダーがあれば遠方でも一瞬で帰ってこられる(もちろんトムは姿くらましができるので暖炉やフルーパウダーがなくても帰ってこられるが)。家にいる時間をできるだけつくって、普段は会えない娘に構ってやるのが親のつとめだと思ったし、何より自分が娘と一緒にいたいという気持ちがあった。孤児院で過ごし父母の愛情を知らぬまま育った自分が、まさか家庭を持ちこのような感情を抱くことになろうとは夢にも思わなかったものだ。マグル殲滅を夢見ていた頃描いたものとはまったく違う未来に、しかしトムは確かに満足していた。
ダリアがカップの中の紅茶の匂いをかぎながら、トムに尋ねた。
「ねえお父様、ミスター・ポッターはどんな仕事をしているの?」
「ポッター? フリーモント・ポッターのことかい?」
「アメリアの父親のことよ。名前は知らないわ」
トムはダリアに言われて、記憶を頭の隅から持ってきた。魔法省をまとめるトムと、アメリアの父親であるフリーモント・ポッターは、正直まったく関わりがない。
「確かフリーモント・ポッターだったよね。彼はもう仕事はしていないよ。高齢だからね。以前までは会社を運営していたみたいだけれど、子どもが生まれる前に売却して隠居生活を始めたみたいだ」
ダリアはそれを聞いて、とても意外な気持ちがした。アメリアほどの魔女の父親なのだから、魔法省に勤めていると思っていたからだ。
「会社って、何の会社?」
「魔法薬を販売する会社だよ。特に、フリーモント・ポッターは『スリーク・イージーの直毛薬』を発明したことで有名だね。ダリアも使ったことがあるだろう」
「あれ、アメリアのお父様が作った薬だったの? 知らなかったわ!」
ダリアは驚いて手のひらを口に当てる仕草をした。フリーモント・ポッターとまったく関わりのないトムが彼のことを知っているのも、その薬が理由だった。
「もしかして、アメリアの魔法薬学の成績が最高なのって、父親の影響かしら?」
「ポッター家は代々魔法薬に特別な才能があるんだ。僕の知っている限り、骨を生やす薬、スケレ・グロもポッター家の先祖が発明した薬だよ」
「……そんな薬、いったいいつ使うの?」
「骨が複雑に骨折して神経を傷つけてしまったとき、骨と一緒に神経をなくして、スケレ・グロを使ってもう一度生やすんだ。そうすると、もう動かなくなってしまった身体が動くようになる。その薬のおかげで試合に復帰できたクィディッチ選手が、過去に何人もいるよ」
ダリアはトムの話を聞いて、キラキラと目を輝かせた。やっぱりアメリアは凄い魔女なのだと嬉しい気持ちになる。もちろん、その薬を開発したのはアメリアではないが、今まで母親の刷り込みで嫌っていただけのポッター家の新たな一面を知ることができて、ダリアは嬉しくて仕方がないのだ。
ダリアの話は、もっぱらアメリアとポッター家のことだった。毎年夏休みに海外旅行へ行くから会うことができない、とダリアが嘆くのを聞いて、トムも残念だねと相槌を打つ。フリーモントはスリーク・イージーの直毛薬や会社の売却で巨額の富を得ていたので、子どもたちのために旅行へ行くこともたやすいことだった。ましてや魔法使いはマグルと違って、旅行にかかる資金もたいしたことがない。
「今年はセルビアですって。ねえお父様、私もセルビアに行きたいわ」
ダリアのその言葉に、トムはうーんと言って紅茶をすすった。表情は柔らかいが、内心では苦い気持ちがしている。ダリアのおねだりはとても難しいことだったのだ。
「今年は我慢してくれないか? 今夏は忙しい」
「毎年旅行に行くのよ? 今年我慢したら来年は行かせてくれるの? お父様は来年もそう言うに決まってるわ」
トムは図星を突かれて内心頭を抱えたくなった。トムにはどうしてもダリアを旅行に行かせたくない理由があったのだ。もちろん自分がダリアと一緒にいたいという親心を抱いていることや、妻がポッター家を嫌っているということもあるが、それ以上に大きな理由がある。ダリアにとって外はあまりにも危険なのだ。
トム・リドルは混血の魔法使いである。その実力は誰も文句のつけようのないほど優れたもので、それが認められて魔法省大臣になるほどであったが、だからこそ敵は多い。トムが名乗りをあげる前、魔法界はゲラート・グリンデルバルドの影響下にあった。グリンデルバルドの純血主義の思想は多くの純血主義者たちの共感を得て、非純血主義者たちに恐怖を抱かせていた。彼がダンブルドアによってアズカバンに収容されて数十年過ぎたが、未だに彼の思想に――つまり純血主義に――賛するものも多い。魔法省の中にまでそのようなものたちはいて、トムはもちろん、ダリアにさえ危険が及ぶことも考えられた。そのような中、ダリアだけを遠い異国の地に送り出すことなどトムには出来なかったのだ。家族三人で行くこともできようが、自身が仕事中を狙われては手の施しようがない。
トムがそんなにも他者からの危険を警戒しているのは、何も推測からきていることではない。トムは入学間もなくホグワーツへ呼び出され、ダンブルドアに告げられた時のことを思いだした。
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トムがダンブルドアに呼び出されたのは、一人娘のダリアが入学して一か月ほどが経った秋のことだった。大臣として忙しい毎日を送っているトムに、大事な話があるという手紙をダンブルドアが送ってきたことは、トムに少なからず危険を感じさせるものだった。大臣が忙しいことを知っているので、ダンブルドアはいつも用事があるときは自分が足を運んでいたからだ。それなのにわざわざトムを呼び出すということは、何を意味するのか? トムが深く考えてしまうのも無理のないことだった。
トムが校長室に暖炉のネットワークを使って姿を現すと、そこには校長のダンブルドアと副校長のマクゴナガルのほかに、闇の魔術に対する防衛術のアボット教授、飛行術のフーチ教授、魔法薬学のスラグホーン教授がいた。そして部屋の中央には作業台があり、その上に一つのみすぼらしい箒が置かれていた。
トムが何の用かと尋ねると、ダンブルドアは重々しい口調で言った。
「飛行訓練のときの話じゃ。ダリアの乗っていた箒が暴走したのじゃ」
「……それで、ダリアは?」
トムは冷静な表情で続きを促した。ダンブルドアの深刻な表情から、何かがあったことは間違いない。しかし医務室へ連れていかないのは、トムを呼んだ理由がダリアの怪我ではなく、目の前にある箒にあるからだとトムは考えた。そしてそれは正しかった。
「彼女に怪我はなかったよ。同じく飛行訓練の授業を受けていたミス・ポッターが、君の娘を助けたからね。ミス・リドルは今医務室にいる」
スラグホーンが言う。トムは彼に目を向けてその自慢気な表情に疑問を抱いたが、アメリア・ポッターがスリザリンに入って教授のお気に入りになったと、ダリアの手紙で聞いていたトムはすぐに納得した。
ようやく、カクゴナガルが深刻な表情で状況を説明しだした。
「ミス・リドルに怪我はありませんでした。今日あなたを呼んだのは、この箒のためです。これは今日の授業でミス・リドルが使用した箒です」
トムは問題の箒に歩み寄った。トムはその箒に触れて眉をしかめる。それを見たマクゴナガルは、さすがだ、と思いつつも説明した。
「そう、感じますね? 闇の魔術の気配です」
「何者かが、ダリアの箒に闇の魔術をかけて怪我を負わせようとした……あるいは殺そうとした、ということか」
「はい」
トムは今度こそ眉間にしわを寄せた。微かに彼の魔力が揺れる。近くにいたミスター・フーチが、僅かに顔を青くした。
トムは箒にもう一度触れてから、杖を取り出して魔法をかけた。箒にかけられた闇の魔術の気配をたどっているのだ。
「強力な闇の魔術だな。生徒の悪戯とは考えにくい」
「私たちも、その結論に達しました」
マクゴナガルが言う。何やら渋そうな顔をしているダンブルドアにトムは疑問を抱いた。
「それで、誰の仕業だ?」
「まだ犯人はわかっておらん」
「心当たりは?」
「……」
トムがダンブルドアに尋ねる。しかし、ダンブルドアは言葉を途切れさせた。トムは少なからず驚いてまた問いかける。
「まさか心当たりすらないと? 新任の教授は?」
「近年の新任は、私と、天文学のミズ・シニストラ、占い学のミセス・トレローニの三人です」
闇の魔術に対する防衛術の教授であるミスター・アボットが答えた。ミスター・アボットは有名な純血家系の魔法族だが、純血主義というわけではない。ダリアを傷つける理由など彼にはないし、彼の息子はトムも信頼している闇払いだったので、トムはアボット教授には不信感は抱かなかった。教授の中で怪しいのは、シニストラ教授かトレローニ教授ということになる。
トムの思考を遮ってダンブルドアが言った。
「犯人の捜索は、わしらホグワーツの教師が責任をもって行う。じゃから、トム、ダリアの安全に気を配ってくれ。休暇中は特にの」
「……怪我でもさせたら、大臣をやめてホグワーツの教授に戻るからな。そのつもりでいることだ」
「それは困ったのう」
そう言ってダンブルドアは笑うのだった。
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「お父様! 聞いてるの?」
「……ああ、ごめん」
トムは秋のことを思いだしていたが、ダリアの声で意識をこちらへ戻した。ダリアはアメリアのところへ行きたいと言って、トムの服の袖を掴んでおねだりしてくる。トムはそんなダリアに少し心が痛んだが、なんとか納得させようと口を開いた。
「ダリアは、僕たちのと過ごす時間よりアメリアと過ごす時間の方が大切? アメリアとはホグワーツで毎日会えるだろう」
「……もちろんお父様お母様といられる時間は大切だわ。とても」
ダリアは少し落ち込んだ様子で紅茶のカップを傾けた。澄んだ色の紅茶を一口すすると、元気のない声で言った。
「勘違いしないでお父様、私、アメリアのことばかり考えてるわけじゃないのよ。ただ、ホグワーツの外でのアメリアってどんなかしらと思っただけなの」
ダリアは父にそんなことを言わせたことを少なからず後悔した。ホグワーツに入学したダリアと魔法省大臣であるトムはなかなか会うことができない。仕事で忙しいはずのトムがこうして家にいるのも、娘のダリアを思ってのことである。そこまでの愛情を注いでくれている父に、家族との時間を削ってまでアメリアに会いたいとわがままを言うのは親不孝というものだ。
ダリアは気落ちしてカップを手に俯いてしまった。そんなダリアを見て、トムもまた卑怯な言い方をしてしまったと自らの発言を反省した。
「ダリアすまない。君がアメリアのことをすごく好いていることはよくわかってるよ。だからそんなに落ち込まないでくれ」
トムは立ち上がって向かい側に移動し、ダリアの隣に座ると、その肩を抱き寄せて頭を撫でた。
「仕事が落ち着いたら計らってあげるよ。だから今は我慢してくれないか?」
ダリアはトムに抱きついて頭を縦に振った。そのとき見えた顔は嬉しそうで、トムはほっと胸をなでおろした。
セルビアってどこやねん。