「リンドウ君が帰ってきたんだ」
「はあ。リンドウクンさん、ですか? 変わった名前ですね」
極東支部に来てからはや数週間余りのこと。もうすっかりここでの生活にも慣れ、極東支部のスタッフとも顔馴染みになりつつあるそんな頃、唐突にサカキ博士に呼び出しを受けた。
これまでも何度か呼び出しを受けたことはあったが、正直、呼び出される度に何かと注文を付けられるので、また面倒事かとうんざりしたような気持ちで向かっていた。
自分で言うのもなんだが、そもそもこんな怪しい男と二人きりで会うなどと、支部長としての危機管理がなってないんじゃなかろうか。俺が支部長暗殺を目論んでいたらどうするんだ。そんな事しないけど。 ……そう言えばあの人博士としての側面の方が強かったか。
いやそんな事より、なぜあの人はこう毎回毎回来たばかりの余所者に無理難題を押し付けるのだろうか。そういうのは、古株のユウちゃん辺りに任せるべきではないのか。
どうもあの支部長は、俺を便利屋か何かと勘違いしている節がある気がしてならない。毎度注文を受け付けてこなしてくる俺も俺なのだが、それにしたって限度というものがあると思うのだ。
つい先日など『研究用のアラガミの素材が足りなくなってきたから調達してきてくれたまえ』などと
もうあらゆる方向からミサイル飛んでくるわ、暇人君は見つからない遠くの場所から眺めてるだけだわで酷い任務だった。いや任務じゃないや、サカキ博士の個人的な頼みだったわ。
そも、研究用の素材って何だ。あんた支部長だろうが、仕事しろ。書類溜まってたぞ。
そんな内心の荒れ具合に伴い、サカキ博士に対する敬語も段々と雑になってきたのはもう仕方無いと思う。本人に原因がある。
支部長室へと着くと、サカキ博士は相変わらずの糸目で、これまた相変わらずのゲンドウポーズ。その状態で「来たね……」などと心なしか低めの声音で言うものだから、ついイラッときてしまった。
話を戻すが、どうやら今日は面倒事ではなかったようで取り敢えず一安心。リンドウさんが新婚旅行から帰ってきて職場復帰するらしい。
要は新入りの俺との顔合わせの為に今日は呼び出された、ということなのだろう。どうせなら帰ってきたリンドウさんが、サカキ博士の理不尽な注文を引き継いでくれたりしないだろうか。
別に金に執着しているわけではないのだが、やたら疲れる個人的な頼みの報酬が、胡散臭いおっさんの礼の言葉1つというのは割りに合わない。というか嬉しくない。なんてブラックな仕事だ。
その時、支部長室のドアが開き「うーすっ」と、どこか軽い調子の声が響く。振り返れば片目を前髪で隠した我等が隊長リンドウさんが。間違えた、元隊長だ。
「ん? っと、新人か?」
「紹介するよリンドウ君。彼はアルテラ君だ。ゴッドイーター、ではないのだけれど、まあ協力者というのが適切かな」
「アルテラ……ってああ! あの噂になってた奴か!」
ちょっと待て。なんだ噂って。そんなの俺は知らないぞ。後でコウタにでも教えてもらおう。
「初めまして、リンドウクンさん。アルテラです。よろしくお願いします」
「おう、よろしくさん。 ……って、ん? リンドウクンさん?」
どうでもいい話だが、リンドウクンって中国辺りに居そうな名前だな。琳道勲。居そう。
リンドウさんの名前に関する下らないやり取りをして、その責任の所在をサカキ博士に押し付けたところ「最近、僕に対する当たりがキツくないかい?」との有難いお言葉を頂いた。
日頃の行いです。自重してください。
顔合わせと挨拶も終わったので、面倒事を押し付けられる前にそそくさと支部長室を後にする。
「まあ待ちたまえよアルテラ君」
訂正、失敗した。
「……何ですか?」
もう表情にありありと『うんざりです』という意思が表れ、声音も低くなる。またぞろ面倒事かと身構えてしまう。それに気付いていないのか、わざとか――恐らく後者だろうが――いつもの調子でサカキ博士は言葉を続ける。
「リンドウ君も帰ってきたことだ。そろそろ、光の柱の問題を解消しようじゃないか」
「――成る程」
「光の柱? 何だそれ?」
「おっと、リンドウ君は戻ってきたばかりで知らないんだったね。実は――」
サカキ博士の説明をBGMにしながら思索に耽る。そう言えばいつまで経っても提案されなかったから、すっかり忘れていた。初日に見せるとか言ってたんだった。
……しかし、大丈夫だろうか。
自分の言葉を違えるつもりはないのだが、宝具の真名解放を目の当たりにしたその時、彼等、彼女等は――。
――詮無き事か。
どうなるのかなど推測でしかないし、仮にどうなろうとも俺のやる事が変わるわけでもない。
――自分の言葉は裏切らない。
この世界に足を着けた時に決めたことだ。例え他人の言葉を裏切ったとしても、自分の言葉だけは裏切らないようにしようと。
そうでもしなければ、ぬるま湯に浸ってきた脆弱な精神は、容易く『逃げ』を考えてしまうだろうから。
戦うと決めた。戦うと言葉にした。
ならば、疎まれる結果になろうとも戦うことは止めない。そうなったならなったで、是非も無き事と受け入れよう。幸い、唐突な状況を受け止めることは初めてではないのだ。
「サカキ博士」
「ん? どうしたんだい?」
説明の途切れたタイミングで声をかける。受け止める覚悟は出来ている、が、保険はかけておこう。
「光の柱に関して、幾つか条件を出したいのですが――」
◇◆◇
「光の柱を見に行くよ」
まるでピクニックか何かに行くかのようにさらっと口に出されたサカキ博士の言葉は、すんなりと頭に入ってきた。
――そういえば。
そんな気持ちが強かったのは言うまでもない。日常に追われていく内に、初めにアルテラが語っていた言葉の記憶は薄れていったため、すっかり忘れていたようだ。
とにかく、リンドウさんが戻ってきたことを契機にそれを確認しに行く、というのが本日の任務らしい。
サクヤさんは妊娠のため、また暫くは、いや、もうこの先ゴッドイーターとして復帰することはないのかもしれない。それでも、妊娠というのは嬉しいニュースには違いない。今度お祝いに行かなくちゃ。
それを聞いた時など、コウタがリンドウさんに向けて「やることやってたんすか!?」などと興奮気味に食い付いて叩かれていた。自業自得だ。私もついでに叩いておいた。
それにしても、妊娠。妊娠かあ……。
とても幸せそうにしていたサクヤさんの顔が思い起こされる。私もいつかあんな風になるんだろうか。誰かを好きになって、付き合ったりなんてして、そして結婚して。それで子供が……。子供が……。
子供の前に子作りが――。
ぬああぁぁぁぁぁ!? 無理ぃ!!
想像しただけで顔が熱くなり、思考をストップさせる。恥ずかしすぎる。絶賛任務中、もとい移動中なのに何を考えてるんだ私は!?
大体、私にはまだ好きな人とかいないし!? そういうのはまだ先というか、もっと大人になってからというか、そんな感じなんじゃないのかな、うん!?
ふと視線を上げると、アルテラと目が合った。
「何をしてるんだ、お前は……」
呆れた様子で一人百面相をしていたことを告げられる。普通に恥ずかしくて顔が熱くなった。本当に何をしてるんだ私は……。
「うーしっ、到着っと」
リンドウさんの声で意識を戻す。どうやら余計な事を考えているうちに、目的地に到着したらしい。
光の柱の確認という任務にあたって、アルテラから2つの条件が提示されていた。
1つは、信頼できる極少数の者にのみ同行を許すこと。そしてもう1つは、これを記録として残さないこと。
これをサカキ博士は快諾。その結果、同行しているのはリンドウさんを加えた私たち第1部隊とアルテラ。そして――。
「いやー、やはり支部長室に籠りっきりっていうのはいけないね。たまにはこうして外に出て気分を切り替えることも重要なことだと思うよ、うん。つまり僕の判断は間違っていなかったわけだ」
サカキ博士である。正直、着いてくると言い出した時は正気を疑ったが、頑として譲らなかった挙げ句に支部長命令などと言うものだから、仕方無く此方が折れるしかなくなった。
別に護衛の任務もそう珍しい訳ではないのだが、この人の場合どう考えても、公的に仕事をサボるための言い訳をしているようにしか聞こえないのは私だけだろうか。仕事してください。
目的地として指定されたのは、嘆きの平原。かつては建ち並ぶ都市の一部だったらしいが、今となっては見る陰もない。常に分厚い雲が空を覆い、竜巻が渦巻き続けており、吹き荒れる風の音がまるでかつての繁栄が滅びたことを嘆いているかのように聞こえてくることから、嘆きの平原と命名されている。
などと、前にコウタが適当な設定を嘯いていたことを思い出した。コウタの作り話ではあるが、あながち間違っているわけではなさそうだとは思う。
そんな嘆きの平原に辿り着いた訳なのだが、高台からはボルグ・カムランの闊歩する姿が視認できている。あれの相手をしなくてはならないのだろうか。ボルグ・カムランを相手取るのは少々手間がかかるので、出来ることならスルーしたい。
「丁度いい」
気付いたアルテラが呟く。やっぱり戦うの? と思いきやアルテラは高台から降りることなく、端の方へと進むと振り返る。
「サカキ博士、始めても?」
「うん? 此処でいいのかい?」
「ええ。都合よくアラガミが居ますので、より分かりやすく伝わると思います。それに――」
――一瞬で終わりますから。
全員を見渡すと、視線を切って背を向ける。何だか、アルテラの様子がいつもと少し違うような気がしたが、真剣な雰囲気にそれを指摘することは躊躇われた。
一つ息を吐いたアルテラは、いつも振るっている軍神の剣を逆手にすると、そのまま柄を空へと掲げる。一体何を? そんな疑問は、突如としてアルテラの体から発せられた威圧感に封殺される。
物理的な圧力を伴っているかのように体を重くさせ、押さえつけられているかのような圧迫感は、徐々にその重みを増していく。唐突な状況に対する、アルテラを除く全員の驚愕の気配。それをまるで気にも留めない様子で、彼は言葉を紡ぐ。
「
風が吹き荒れ、その白い髪が靡く。それは、この場所に元々吹いている竜巻によるものではなく、アルテラを取り巻く謎の力によるものなのだと、何故だかそう思わせた。
言葉が紡がれていくにつれて、嘆きの平原の上空に巨大な模様が現れた。お伽噺の中でしか知らないそれは、魔方陣と呼ぶのがしっくりくる。再びの驚愕、瞠目。
こんなものを、私は知らない。
なら、それを引き起こす彼は。こんな現象を引き起こす彼は、
いつもラウンジに居て、穏やかな笑みを浮かべてムツミちゃんと話をしているアルテラ。戦場において、冷静に、時に大胆にアラガミと戦うアルテラ。今目の前に居るアルテラは、そのどちらでもない。
戦場において、平時よりも冷たい印象の彼ではあるが、それでもアルテラには人間的な温かさを感じていた。
今、私はそれを感じていない。
暴力的なまでの力の渦の中で静かに佇む彼からは、人間味というものを僅かでさえ感じることが出来ない。私の知らない
貴方は、本当にアルテラなの? いつも見ていた貴方は、誰だったの?
「『
最後に力強く放たれた言葉。同時に、厚い雲を突き破り、遥か宙から全てを呑み込む光の柱が突き立てられた。
その眩しさに目を覆う直前に見たアルテラの背中が、今にも消えてしまいそうに感じて。もしかして、光が晴れたら彼は居なくなっているんじゃないかと考えて。その事が、酷く私の胸を締め付けた。
迫られるような焦燥感を感じたまま、光が晴れるのを待つ。暫しの静寂の後、真っ先に彼の背中が変わらずにそこに在ることに安堵した。そして、光の柱が突き立てられた場所を見て、再三の驚愕が、今度こそ声とともに吐き出された。
「何……これ……!?」
そこには、
まるで始めから何もなかったかのように。
思い至ると、背筋が凍った。これが、アルテラの力。ずっと見せることの無かった、彼の本当の力。
「……いいかい、君達。ここで見たことは、一切口外することを禁止する。例え誰であっても話すことは許さない」
呆然としたままの私達に言い聞かせるように、サカキ博士が真っ先に釘を刺す。理由を言われずとも、箝口令が敷かれるのも納得出来てしまう。それだけの事態だった。
「そしてアルテラ君。これは、今後極力使うことのないようにお願いするよ。だって――」
そこで口ごもるかのように俯いたサカキ博士だったが、しかし次の瞬間にはバッ! と顔を上げると静寂を破るように叫んだ。
「――研究用の素材の回収が出来ないじゃないかっ!!」
「「「………………」」」
……おい。
糸目お前この野郎。
サカキ博士の発言で、緊迫していた空気は一気に弛緩していく。さっきまでのは真剣さは一体何だったのか。
「貴方は仕事をしてください」
振り返ったアルテラが、呆れ顔で突っ込みを入れる。それを皮切りに、いつものような和やかな空気が流れた。
「さて、それじゃあ帰ろうか。いやー、いいリフレッシュになったよ」
明るく告げたサカキ博士に続いて、一人、また一人と帰路に着く。きっとアルテラに気を遣って、わざとあんなことを言ったのだろう、と漠然と思った。それでも、本音が半分以上ありそうな感じだったけれど。
皆が帰っていくなか、未だに動き出さないアルテラの様子を伺う。アルテラは歩いていく皆の背中を、眩しそうに、それでいて愛おしそうに目を細めて眺めていた。
何故だろう。その姿に不安を覚えたのは。
同じようにその様子に気付いたアリサが、後を追うように歩きだしたアルテラの手を取って引き留めた。
「……どうした?」
「アルテラ、その……居なくなったり、しませんよね?」
不安そうに瞳を揺らすアリサの質問に、何を言っているんだと曖昧に笑って答えるアルテラ。アリサがそれ以上何かを聞くことはなく、その代わりにか、アルテラの腰の飾り布を道中ずっと握ったままだった。
雰囲気はいつも通りで、受け答えも不自然なところはない。だけど、ねえ、アルテラ。気付いてる?
アリサに質問された時の貴方は――。
――酷く悲しそうな顔をしてたんだよ。
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