チョキチョキと、髪の毛を切る軽快な音が美容室に音を立てる。
今日は日が出ているせいか、外に積もった雪は解け始めており、雪解け水が太陽の光に反射し、キラキラと輝いてとても綺麗に見える。
とある女性の髪をカットする比企谷君の表情は営業スマイルなのか、いつもより柔らかいような印象を受ける。
女性客も気分がいいのか鼻歌を口ずさみ、手元にある雑誌をペラペラと捲っている。
その女性の浮いた表情とは反対に、私は胸のあたりにモヤモヤと不快感を抱く。
美容師が彼の仕事なのだし、普段ならなんとも思わないのだけれど、このお客さんはどうもおかしい。
……。
仲が良すぎる……。しかも、女子高生らしき女の子……。
「……八幡、この雑誌の人の髪型がいい」
「るみるみ、さっきは前のページの人って言わなかったか?」
「るみるみじゃない、留美」
さらにファーストネーム……。
なんで比企谷君がJKと仲良くしてるのよ。
るみるみと呼ばれる女の子は、落ち着いた雰囲気といい、艶のある黒髪といい、どこか雪乃ちゃんに似ている。
私のモヤモヤとした気持ちをよそに会話は続き、留美という子が思い出したように口を開く。
「八幡、私ずっと彼氏いないから」
「しらん」
「八幡は……、もしかして…いるの?」
「……いねえよ」
……。な、なんなのよこの子…。
ビビッと脳内センサーがけたたましく音を立てる。この子は比企谷君に気があると女のカンが囁く。
むぐぐ。
むぅ、ここは我慢だね。
よくよく考えてみれば比企谷君はお仕事モードなのだし、嫉妬心を抱くのは杞憂だろう。
美容室の窓から外を見るとぽかぽかと暖かそう。いろはちゃんの喫茶店でも行こうかなと思い、彼に話しかける。
「比企谷君、喫茶店行ってくるね」
「今日バイトの日でしたっけ?」
「ちょっとお茶しに」
「ん、遅くならないようにしてくださいね」
「はーい」
部屋にかけてあるコートを羽織り、美容室を出る。暖かいと思っていた外は、思いのほか肌寒い。時折吹く寒風が冬の継続を知らせる。
解け始めている雪の上を少し歩き、喫茶店のドアを開ける。
そこにはいつも通りに仕事に励むいろはちゃんが出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ!……って陽乃さんじゃないですか。……先輩は?」
「お客様は神様なんだけど」
「ふん、そんなお客様はお断りです。それより先輩は?」
「いい度胸じゃない……。比企谷君はお仕事でJKと仲良くしてますけど」
「な!?………。まぁ、どうせ留美ちゃんでしょ」
「……。あれ、知ってるの?」
「学生の頃少しだけ交流があっただけです」
「そう……。コーヒーお願い」
「……」
学生の頃の比企谷君……か。
当たり前のことだけど、学生の頃の比企谷君のことはあまり知らない。せいぜいちょっかいをかけてたぐらだし、彼と一緒の高校時代を過ごした彼女達が今更ながら羨ましくなる。
比企谷君と同級生かぁ。
いろはちゃんに出されたコーヒーをちびちび飲みつつ、目を瞑り少し想像してみる。
『比企谷君!部活行くよ!』
『帰ってアニメ見たいんですけど』
『ほらほら、依頼もあるんだから役に立ちなさい』
『話聞けよ』
『えへへ、ほら、レッツラゴー♪』
『………』
……。
うん、悪くないね。ちなみに奉仕部の妄想。
気分が多少高揚し、目をゆっくりと開けると、目の前のカウンターには引き気味のいろはちゃん。
なによ。
「陽乃さん、何ニヤニヤしてるんですか……」
「………」
ど、どうやら顔に出ていたらしい。こ、これは私は悪くない、彼が悪い、そ、そうに決まってる!
誤魔化すために軽く咳払いをして彼女に向き合う。
「…。高校の頃の比企谷君はどんな感じだった?」
「なんですか急に…。んーー、そうですねぇ。色々!ありましたけど、出会ったのは生徒会選挙の時でしたし、先輩は奔走してた感じですね」
「そう……」
奔走……。きっとあの二人のことだろう。
彼の部屋に立て掛けてある一枚の写真。その写真は奉仕部の写真であり、椅子に比企谷君が座り、その両側に彼女達が立っている写真だ。比企谷君は少し困ったように、ガバマちゃんは嬉しそうに、雪乃ちゃんは、静かに微笑む写真。パッと見七五三みたいな構図だけど、とても暖かい写真。
陽だまりのような写真だ。
……。
「陽乃さん?」
「……あ、なんでもないよ。ん、コーヒーありがとね、またバイトで」
「あ、はい。また今度」
コーヒー代を支払い、喫茶店を出る。入店してた時間は数十分といったところだろう。本当はもっと話をしようと思っていたけど、どうも気が進まない。
さっきまでは晴れていた空も雲の割合が多くなったような気がする。中途半端に溶けた雪が凍り、足元が少し不安になる。
ポケットに手を突っ込み、浅く息を吐くと、吐き出された息は水蒸気に変わり、白く染まる。まだ、冬は続いてる。
美容室に着くと、比企谷君に挨拶をして部屋にこもった。
布団の中にもぐっても気分は晴れない。特にすることもなく、棚に置いてある本を手に取る。
題名は『君の隣』という本。
最初のページから読み進める。主人公は一人の女性。ある人のことが好きだけど、その人にはすでに大切な人がいる。その大切な人は主人公とも関わりがあり、三角関係のもつれを描いてるようだ。
どれだけ読み進めたのだろう。
3分の1程度まで読み、栞を挟みパタンと本を閉じる。今、彼の隣には誰がいるのだろう。雪乃ちゃんなのか、ガバマちゃんなのか、それとも二人共なのか。
思索に耽っても、答えなんか出ない。
窓から見える空は遠くの方から紅色に染まり、雲もオレンジ色に染まっている。
外を見続けていると、コンコンとドアをノックする音が耳に届く。
「陽乃さん、ご飯にしましょう」
「うん、今行く」
リビングに行くと、いつものように美味しそうなご飯が並べられてる。普段なら何気ない会話に花を咲かせるのだが、今日はいつもの調子が出ない。
彼は元々お喋りではないから、しずかな夕食が続く。
その時、机の上にある彼の携帯が着信音を奏でる。
誰からだろう。仕事なら固定電話だろうし、いろはちゃんかな。
彼が席を立ち、リビングから出ていく。私は気になり、リビングのドアの近くから聞き耳を立てる。
「……。予約は固定電話つったろ。……。うん、わかった。……。じゃあな雪ノ下」
彼がリビングに戻る前に椅子に座り、夕食を再開する。
ドクンと心臓が音を立ててる。
……雪乃ちゃん?
この美容院に来るのだろうか。その時は私はなんて話せばいいのか、突然のことに思考が追いつかない。
どうすればいいのか分からず、私は天井を見上げた。
もう少しお付き合いお願いします。