身の危険を感じた僕は引き抜くように頭を移動させると、机の上に出席簿が落下―――いや、叩きつけられた。
「休憩中に寝るなとは言わんが、今は授業中だ。さっさと起きろ」
「せめて最初は優しく起こしましょうよ………」
呆れながら言うが、織斑先生は無視して教壇の方に移動する。そして重大なことを言い放った。
「ところで織斑、お前のISだが準備まで時間がかかる」
「……はい?」
「学園で専用機を用意するそうだ」
どうやら織斑君は事の重大さに気付いていないようだ。昨日あれだけ説明したのは無駄らしい。
「って、ちょっと待ってください!? つまり467機しかない機体の1個を俺にくれるんですか!?」
あ、少しは進歩していたようだ。
「そうだ。……てっきり何も知らないと思ったが、勉強はしていたようだな」
「いえ、昨日智久に教えてもらいました」
「……そうか」
僕の方を見てくる織斑先生。何か良からぬことを考えているのだろうか?
「本来なら、IS専用機は国家あるいは企業に所属する人間しか与えられない。が、織斑の場合は状況が状況なので、データ収集を目的として専用機が用意されることになった」
「……へ、へぇ……」
可哀想に。君は事実上モルモットとしてデータ収集に協力することになるなんて。せめてまともな機体に乗れればいいのにね。
同情していると、織斑君がよせば良いのに織斑先生に尋ねた。
「ん? じゃあ、智久……時雨にも専用機は渡されるんですか?」
「………いや、しばらくその予定はない」
「え? 何で―――」
「そりゃあ、僕と君とじゃ立場が違うからだよ」
こう言ってはなんだけど、やっぱり彼は頭が足りないようだ。
「君はかの有名なブリュンヒルデの弟。対して僕は身内なしの孤児だ。どっちを優遇するかなんて小学生でもわかることだよ。昨日も思ってたけど、君って少し頭が弱いんじゃない? ここは空気を読んで黙っておくべきことだと思うけど?」
「…………悪い、無神経過ぎた」
「まぁ、どっちにしても僕が欲しいタイプの機体はなさそうだからあまり欲しいとは思わないけどね」
そう言って僕は突っ伏す。こうでもすれば大抵の人間は僕から離れていく。今僕に必要なのは、勉強と酷使した脳を回復させるための手段だ。
「あの、先生。篠ノ之さんってもしかして篠ノ之博士の関係者なんでしょうか?」
織斑君の後ろからそんな質問が飛ぶ。織斑先生は少し溜めてから答えた。
「そうだ。篠ノ之はアイツの妹だ」
そこからの彼女らの行動は早かった。途端に僕は念のために持ち歩いている袋を膨らませて思いっきり割る。
「あの人は関係な―――」
―――パンッ!!
耳栓を持ち合わせてなかったから予想以上の音が耳に届く。それでも僕は最後の胆力を使って言った。
「勝手に質問攻めしているとこ悪いけど、それ以上は彼氏いない歴=年齢の喪女鬼教師が出席簿という名の棍棒を振ると思うから大人しく戻った方が良いと思うけど?」
「………知っているか? 山田先生も彼氏いないぞ?」
「でも織斑先生と違って棍棒みたいに出席簿を振り回しませんよね? もっと言えば鬼娘のコスプレしても織斑先生はそのまま鬼ですが、山田先生は無理してコスプレしてみただけの人になるので、必然的に織斑先生のことを指すわけです。諦めましょうよ、喪女先生」
出席簿で思いっきり叩かれたのは、少し理不尽だと思った。
「いてて……まだ手が痺れるや」
咄嗟に参考書で防御したけど、あの人は人間を辞めているようだ。
「しぐしぐの自業自得だと思うよー」
「でも、ああでもしなかったら篠ノ之さんはクラスから孤立すると思ったからね。ところで君は何で僕の隣で平然と歩いているの?」
さも当然と言わんばかりに隣を歩く布仏さん。朝はともかく昼まで一緒に過ごす必要はあまりないだろうに。
「しぐしぐはー女の子が嫌いなの?」
「僕より年下で女尊男卑思考がない……つまりまだ思考が未成熟な低学年ならば大丈夫だけど?」
あの頃の女の子は日曜朝8時半の番組の真似をし始める程度だからまだ可愛い方だ。
「………もしかして、しぐしぐはロリコン?」
「流石にそんな感情はわかないよ。これでも僕はまともだからね」
「……織斑先生に喧嘩を売るのをまともって言わないと思うけど~?」
それはそれ、これはこれだよ。僕は間違っているとは思ってないし。
食堂に着いた僕たちは朝とは違って各々好きなものを頼み、手ごろな場所に座る。
「ねぇねぇ、本当に大丈夫なの~」
「何が?」
「おるるーとの戦いだよ。私の知り合いにISに詳しい人がいるから紹介しようか~?」
まだ彼女はそんなことを言っているのか。
「何度も言っているでしょ。僕は当日ボイコットするよ。まともに動かしたことがないのに代表候補生と戦うなんて無謀だからね」
確かに戦うことでメリットはあることは認めるし、僕にも今回のメリットは把握しているつもりだ。でも、だからと言って茶番に付きあう程お人よしじゃない。
「でも、もしかしたら勝つかもしれないよ~」
「希望的観測はあまり好きじゃないんだ。説得したところで僕が試合に出ることはないよ。それに試合に出なかったからって批判するなら、逆にそいつを試合に出てって話だしね」
それに僕、あんまり戦うのって苦手なんだよね。だから異様に口は発達しているわけで。
すると急に入り口辺りが騒がしくなる。どうやら織斑君が現れたみたい……だけど、どうやら篠ノ之さんと手をつないでいるようだ。
「……まったく、織斑君は本当に馬鹿だね。一度脳外科にでも見せた方が良いと思うよ」
「しぐしぐは遠慮ないよね? どうして?」
「まぁ、嫉妬とかもあると思うけど遠回しに言っても理解できないからだよ。特にあの感情には気付いていないし」
おそらく、篠ノ之さんは織斑君に恋をしている。どういった経緯からはわからないけど、幼い頃に何かあったのだろう。
一人で考えていると、織斑君が篠ノ之さんを連れて僕らの方へ向かってきた。
「二人とも、一緒にいいか?」
「別にいいけど、よく僕の前に篠ノ之さんを連れてこられるよね。それとも君には寝取られ属性というものが付いているのかい?」
すると布仏さんと篠ノ之さんは顔を赤くしたけど、織斑君は頭に疑問符を浮かべている。
「き、貴様は食事中になんてことを―――」
「織斑君は布仏さんの隣、篠ノ之さんは僕の隣に座ってね」
「そして勝手に席を決めるな!」
とか言いながら渋々といった感じに座る篠ノ之さんは面白いと思った。
「にしても随分と遅かったね。もしかしてオルコットさんに絡まれてたの?」
「ああ。終わり次第急に来てさ。さっき「クラス代表になるのは自分だ!」って言って去って行った」
「そもそもの原因って織斑先生が頑固すぎるのが問題だと思うんだけどね。彼女があれだけやる気があるならやらせればいいのに」
「でも、あそこまで言われたら大人しく引き下がれねえよ」
「僕は別に良いけどね。彼女があんな風の考えの持ち主な以上、何をどう言っても引く気はないだろうし、もっと言えば君の場合は自業自得。そして僕は完全な被害者」
「うっ………で、でも、あれだけにほ―――いてッ」
僕が思いっきり織斑君の足を踏んだから彼は声を上げた。
「織斑君、君はクラスメイトを男の欲望を吐き出すだけの玩具にしたいのかい?」
「………何が言いたいんだよ」
「君は世間に対して何も考えなさすぎだよ。もう手遅れの可能性が高いけど、君の発言のせいでセシリア・オルコットが本国に連れ戻されてそうなる可能性がより濃厚になるよ。織斑先生も昨日言ってたよね? 「ISは兵器だ」って」
「それがどうした?」と顔をする三人に、僕はため息を吐いた。
「じゃあ聞くけどさ、今の世界は女尊男卑。そこまでは理解している?」
「ああ。そうだけど………」
「ISは兵器。でもISを動かすことができるのは基本的に女。もちろん、それまでの兵器が無駄になることはないとは思うけど、オルコットさんみたいな女性は一般にも軍にもいるってことになり、男たちが肩身狭い思いをしなくちゃいけない。ISの方が戦闘能力は高いんだから。でも、そんな男たちの中に自由にしていい女を入れたらどうなると思う?」
「そ、それは………」
なるほど。反応から見て織斑君も一般的な性知識は学んでいるわけだ。
少し安心した僕は女性二人がいる前だけど遠慮なく話を続けた。
「当然、この後はどうなるか想像つくよね? 君は不用意にそんな発言をして彼女を潰したいの?」
「………それは嫌だ」
「でしょう? だったら不用意な発言は控えるように。大体、今回は君だって人の事を言えないんだからね? いくら日本のことを馬鹿にされたってイギリスにだって立派に文化はあるんだし。彼女が怒るのだって無理はないでしょ」
「……反論できません」
「これじゃあ、僕の箒ちゃんを任せられるのはいつになるやら」
「ちょっと待て。私はいつから貴様の物になったのだ!?」
ちょっとしたジョークのつもりだったのに、僕は隣から本気で睨まれる。
「落ち着いてよ篠ノ之さん。そんなに勢いよく立ち上がったら机にぶつかって食事がひっくり返る」
「そ、そうか。すまない。……じゃない! さっきのはどういうことか説明してもらおうか!!」
「一般男子の小粋なジョークだよ」
思いのほか通じなかったけどね。
そう言えば昔、そんなことを言って自滅したことがあることを思い出した。
「まぁ、篠ノ之さんが「お兄ちゃん」とか「パパ」とか言っているイメージないけどね」
「誰がそんなことを言うか!!」
「いやいや、それを言うなら智久が箒に「お姉ちゃん」とか言ってそ―――」
―――シュッ
織斑君の近くに僕が持っていたはずのフォークが通り過ぎる。織斑君はブリキ人形のようにその方向を見ると、フォークがソファーにぶつかって落下していた。
「ごめん。手が滑っちゃったから新しいフォークを取ってきてくれない?」
「お、おう。わかった」
織斑君は落ちたフォークを持って新しいフォークを取りに行く。その辺りはちゃんと躾けられているようでなによりだ。
「……ねぇ、しぐしぐって身ちょ―――」
―――ダンッ
「あ、ごめん。ちょっと手が滑っちゃった」
水を飲みほしたコップから氷が出てきたので、僕はそれを織斑君のお盆に入れる。
「…………」
さっきから布仏さんが妙に震えている気がするけど、どうしたんだろう。……ああ、
「篠ノ之さん、もしかしたら布仏さんが熱を出しているみたいだから保健室に連れて行ってあげない?」
「いや、たぶんすぐに収まるから問題ないと思うぞ?」
そうかな? まぁ、それならそれでいいか。
織斑君が新しいフォークを持ってくると、俺に渡した。
「それでさ、箒。ISのことを教えてくれないか? このままじゃ来週の勝負で何もできずに負けそうだ」
「……下らない挑発に乗るからだ、馬鹿め」
「それをなんとか、頼むっ」
ところで、どうして彼は篠ノ之さんにISのことを教えてほしいと頼んでいるんだろう? 彼女の姉がISコアを開発した人ってのは知っているけど、だからって妹がその分野を知っている保証はない。
「ねえ。君って噂の子でしょ?」
そんな疑問を考えていると、突然見知らぬ女が現れた。IS学園はリボンや上靴のラインの色で学年がわかるようになっていて、僕ら1年生は青、2年生は黄、3年生は赤だ。つまり彼女は赤いリボンを着けているため、3年生になる。
「はあ、たぶん」
「代表候補生の子と勝負するって聞いたけど、ほんと?」
「はい、そうですけど」
「でも君、素人だよね? IS稼働時間はどのくらい?」
「稼働時間……確か、20分くらいだったと思います」
凄いね。僕なんて瞬殺されたからたぶん5分もないよ。
「それじゃあ無理よ。ISって稼働時間がものをいうの。その対戦相手、代表候補生なんだから軽く300時間はやってるわよ?」
ところでこの人は、さっきから天才の妹さんが眉をひくつかせているのに気づいていないのだろうか?
「でさ、私が教えてあげよっか? ISについて」
ナチュラルに近付いていく謎の3年生。あ、たぶんこの人はアレだ。遺伝子目的だ。
「はい、ぜ―――」
「結構です。私が教えることになっていますので」
頼もうとした織斑君の言葉を遮るように篠ノ之さんがそう言った。
「あなたも1年でしょ? 私3年生。私の方が上手く教えられると思うなぁ」
「……私は、篠ノ之束の妹ですから」
ジョーカーを切りやがった。
予想外の言葉を聞いた先輩は篠ノ之さんを信じられないものを見る目で見ている。
「ですので、結構です」
「そ、そう。それなら―――あなたはどうかしら?」
今度は僕に向かって話しかけてくる。最初からそのつもりだったようだ。
「僕は茶番に付きあう気はありませんし、一人で気楽に勉強している方が好きなので先輩のご指導はお断りさせていただきます」
「でも、今後に響くと思わない?」
「必要ありませんよ。だって、下らない茶番に付きあう気は毛頭ございませんから」
僕が何を言いたいのか察したらしい先輩は珍しくあっさりと引き下がった。
「それなら、仕方ないわね」
たぶん僕にも断られたから怒っているだろうなぁ。近い内に仕返しされそうだ。
「今日の放課後、剣道場に来い。一度、腕が鈍ってないか見てやる」
「いや、俺はISのことを……」
「見てやる」
「……わかったよ」
諦めて白旗を上げる織斑君。僕はその見学をしようと思った。
「どういうことだ?」
「いや、どういうことだって聞かれても……」
放課後、昼食を食べたメンバーで剣道場に訪れていた。篠ノ之さんと織斑君は剣道着に着替えたけど、僕らと布仏さんは制服のままである。
「どうしてそこまで弱くなっている!? 中学では何部に所属していた!?」
「帰宅部。三年連続皆勤賞だ」
……つまりそれって、運動は体育以外していないってことじゃない?
「鍛えなおす! IS以前の問題だ! これから毎日、放課後三時間、私が稽古をつけてやる!」
「え? それはちょっと長い……っていうかISの事をだな」
「だから、それ以前の問題だと言っている!」
うーん。果たしてそうかな?
オルコットさんがどうやって戦うか知らないけど、動けなくても銃を使うとかってあるし、やり様によるでしょ。……でも、このまま放置しよ。巻き添え食らうのはごめんだし。
「情けない。ISを使うならまだしも、剣道で男が女に負けるなど……悔しくはないのか、一夏!」
「そりゃ、まぁ……格好悪いとは思うけど」
「格好? 格好を気にすることができる立場か! それとも、なんだ。やはりこうして女子に囲まれるのが楽しいのか?」
それはないよ、いくらなんでも。
大体、ここに通っている女ってほとんど全員が男を見下す女なのに。
「楽しいわけあるか! 珍動物扱いじゃねえか! その上、女子と同居までさせられてるんだぞ! 何が悲しくてこんな―――」
「わ、私と暮らすのが不服だというのか!!」
持っていた竹刀を振り下ろす篠ノ之さん。織斑君は片手でそれを受け止めると、冷汗を流して応対する。
「お、落ち着け箒。俺はまだ死にたくないし、お前もまだ殺人犯になりたい年頃でもないだろ?」
そもそも、殺人犯になりたい年頃はないと思うけど、とか言ってはいけないんだろうなぁ。
でもま、ここら辺りで止めておいた方が良いだろう。僕は立ち上がって二人の間に入る。
「落ち着いて、篠ノ之さん。篠ノ之さんには篠ノ之さんの事情があったように、織斑君には織斑君の事情があったんだから、途中で剣道を捨てることになっても仕方ないと思うよ?」
「しかし剣道は―――」
「君の理屈なんてさして重要じゃない。……まぁ、君が今の織斑君に落胆して殺すっていうのなら結構だけど。唯一の操縦者になれば、彼に行くはずの専用機は僕の方に来るしね」
自然な形で篠ノ之さんを織斑君から離す。続けて耳打ちした内容は彼女にとって意外なものだろう。
「君がどう動くか正直どうだっていいけど、これだけは言わせてもらうよ。今の君は女である故に男を力でねじ伏せれば言うことを聞かせられると思っている」
「わ、私はそんなことは思ってない―――」
「じゃあ、無意識だろうね。まぁ、朝のように胸のことで弄られてろくに対応できない人間がワンマンでできるほど恋愛は甘くないよ。特に、女尊男卑である現状だとね、僕みたいな人間が増える。幸い、彼は馬鹿だからその辺りのことは心配していないだろうけど、デリカシーがないからねぇ」
じゃなければ平然と手を繋ぐことはできないと思う。
「じゃ、じゃあ、どうしろと言うのだ。私は今まで剣道しかしたことがないのだぞ」
「ただ恋愛したいだけなら体で落とせばいいんだけど、将来のことを考えれば料理で胃袋を掴むことが大切だ」
気が付けば特訓から恋愛アドバイスになっていた。そして、平然と近付いてきた織斑君は篠ノ之さんから奪った竹刀で追い払って距離を取らせる。………でも、今の僕らを見て嫉妬しないようじゃ、篠ノ之さんにはそう言った感情は抱いていないかもしれない。