this mirror   作:果物ナイフ


原作:Fate/staynight
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正道の王は矛盾を抱いて剣と対する。——未だ答えは得ないまま。

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this mirror

          …

 

 ここはセカイ。見渡す限りの荒野に身が震えた。

 息を呑む。一面広がる地平線は怖さすら感じさせ、ガチン、ガチンと一定のリズムで刻まれる歯車の鼓動は直接心臓へと伝わるようなイメージ。

 記憶があった。

 自分が誰か、何者か。昨日の世界を覚えているし、なればこそこの丘に圧されることもない。ただ、朧気な自己の存在認識、そのイメージが今にもこの世界と溶け合ってしまいそうだというだけ。

 ———然るに。自分が今立つこの大地と空気と寂しさを、言葉にすれば「夢」と呼ぶのだろう。

 夢とは、ある種絶海の孤島、その監獄めいた要素を持つものだ。入るに容易でも、出でることこそは不可能に近い。

 そう、夢からは出られない。醒めることはあれど、そこから抜け出ることは極めて難しい。増してそれが人の描いたものであった場合、それは顕著だ。

 無限にして螺旋。閉じ込められたことにすら気付かず、ただただ「出られない」という現実を、そういうものなのだと思考に至らぬまま享受する、形にならない恐怖のカタチ。

 土に触れる。石に触れる。空には届かぬともその曇天を視認する。

 感触は微妙なものだった。

 そこに在るような、無いような。おかしなことだと思い浮かべてから、そういえばここは夢であったと思い出した。

 夢。曖昧なりし堅牢な、醜悪であり秀麗でもあるヒトの世界の模造品。

 この荒野こそは、紛うことなきそれそのものだと知っていた。

 風が吹く。真なる風ではなく、吹き、飛ばすものとしての風であるこの風圧は、自分が夢の基盤、形作られた根底の意志、目的を知っていたと気付いたからだ。———もうじき、夢は醒める。

 夢そのものは終わらない。きっといつか、再びあの歯車を目にすることもあるだろう。

 自分たるワタシがあやふやになってきたことを実感し、二秒後に忘れる。夢で失くしたものはもうあとには返ってこない。

 風が勢いを増した。

 終わる。最早秒も持たぬ間にこのセカイに別れを告げる。世界の外のどこかから持ってきた、限りなく自分に似通った借り物の意識が元の場所に帰っていく——————

「————————。——あ、」

 声を漏らす。これも偽物であるが、このセカイでは声であるように反映される。

 最後の最後。新たに思うところがあった。

 夢からは抜け出せない、醒めたとしても終わることはなく、それは間違いがない人の理屈であるのだと。

 ……では。

 確固たる意識を持ったまま、真っ向からそれを抱き、認め、我がものとした。

 抜け出せないのではなく抜け出ない。醒めることこそを「あってはならない」と否定する。

 ———そういう結論へと至った者を、世の理たる大元は、人以外の何と断じるというのだろうか——————

 

          …

 

 

 

 

 

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          …

 

 

「あ、アーチャーさん。こんにちは。商店街にはお買い物ですか? そういえば、セイバーさんがアーチャーさんを探していましたよ。……え? 場所ですか? セイバーさんの? ……そうですね、多分家に居られると思います。セイバーさん、先輩が居ない時は決まって道場か自分の部屋に居ますから」

 

          …

 

「……ん? なんだ、アーチャーじゃねえか。ここら辺うろついてんのは珍しいな。坊主んちにでも何か用か? ……あ? 俺? 俺はあれだよ、ちょいと魚を届けにな。稀に見る大漁だったんで、知り合い周りにお裾分けてやろうってな。だがまあ、普段の具合が嘘みたいに坊主の屋敷は誰も彼も不在でね。地面に置いたままにしておけるものでもなし、今こうして引き返してきたってわけさ。……セイバー? セイバーなら来る途中すれ違ったな。そういや、お前さんを探してる風情だったが。橋の方を探してみろとは言ったから、そっちの方じゃねえか?」

 

          …

 

「あれ、アーチャーさんじゃないですか。珍しいですね、お散歩ですか? ……やだなあ、気軽にギルくんでいいですよ。傲岸不遜の英雄王は只今休業中ですから。……セイバーさん? そういえば、さっき僕に貴方の場所を訪ねてきましたよ。人探しの宝具はあるにはありますけど、教える前に行ってしまいました。……心当たりですか? うーん、そうだなあ。……お寺の方とかどうです? 向こうのお山の方にあるでしょう? ……ええ、根拠はないですよ。だから、別に信じなくても結構です。でも、結構当たるんですよ、僕の勘。何せ、世界最古の勘ですからねえ」

 

          …

 

「これはこれは。剣の手合わせにでも参ったかな、弓兵のサーヴァントよ。……なに、違う? 人探し? セイバー? ……成程。しかし、宛もなく探し回っているにしては中々良い線を行っている。セイバーなら確かについさっき柳洞寺を訪れ、門に居る私に貴殿を見たかと尋ねてきたばかりだ。寺と言っても、境内に踏み入れば例の女狐めが騒ぎ出すのでな、尋ねるのは私だけに留めたようだが。

 ———ああ、そういえば。セイバーは確かリンなる者の元を訪ねに行くと言っていたなァ。リンとやらが何処に居るのかは知らぬが。……礼? 礼を申すのなら今度将棋の一局でも付き合え。ここ最近宗一郎の帰りが遅くてな、相手がおらんのよ」

 

          …

 

「あら、アーチャー。珍しいじゃない、どうかしたの? 見たところ魔力は足りてるみたいだけど。……そうそう、セイバーがあんたのこと探しに来たわよ。あの子が貴方への用なんて珍しいからちょっと事情を聞いたら、何でも今日一日貴方のことを尋ねて回ってるらしいじゃない? 何か訳ありだろうから、あんたから会いに行ってあげなさいよ。もう外真っ暗だし、家にいると思うわ。いないにしろ、待ってればすぐに帰ってくるでしょう。……あー、あともう一つ。

 士郎の家はともかく、ココなら勝手に使っていいんだからね。私も毎日士郎の家に住み着いてるってわけじゃないんだから。……だから、その。———たまには、紅茶の一杯でも淹れに来なさいってことっ! 」

 

 

 

 

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          ◇

 

 もう既に日が落ちきって数刻。

 十二月の冷風は辺りを滑り、少なくとも深山町に置いては徐々に、行き交う人間も疎らになり始めた時間。

 ほう、と吐いた息は白い。

「————————」

 無言のまま遠坂邸から伸びる坂を下って行く。

 凛は衛宮士郎の家を訪ねろ、もしくは待てと言っていた。

 そのことは勿論一日中歩き通した弓兵も心得たところであったし、そうせねばなるまいとも思っていた。

 ———今日一日、人を探し歩いた。

 その始まりは、探し人———名をセイバーと冠した彼女が、そも私のことを探しているということを聞いたからである。

 それが意味することこそは、彼女もこうして、日がな一日歩き回っていたということだ。事実、その痕跡を求めて進んでいたわけであるのだから。

 そして、その痕跡はついさっきまで続いていた。

「——————。———そうまでして、」

 小さく、声に出して言う。

 何も寂しいわけではない。

「そうまでして、一体何の用があったというのか」

 ただ、ふと。今の己の心の内を、白の息に乗せた外気として外に出さねばいけないのか、と思わぬでもなかったという話。

「———いや」

 違う。そういうわけではない。今の独り言は、思考の手順を踏んで生まれた言葉ではない。

 声を漏らしたのに理由などないのだ。少なくとも、そこに意味はないから。

「————————」

 長いため息。同時に歩みも速まっている。

 坂道はもう緩やかに傾斜し始めている。あとは曲がり角はあれど、平坦な道が続く。

 詰まるところ、会えばいいのだ。弓兵の結論は出ていた。

 会い、聞く。それは、自然に。

 捜していたのだろう、何故だ、と。それで今日という一日は終わる。そんなことか、と言って終わるかもわからないし、存外深い問題が待っているのかもしれない。そこの如何は今こうして一人で歩いている以上わからないし、興味もない。

 それでも、今日のうちに彼女に会わなければならないと。会わぬことには、自分の一日は終わらぬのだと、それだけが確かなものとしてあった。

 ———一際強い風が身を吹き付ける。

 終わらぬことへの恐怖だけが、そこにはあった。

 

 

 

 

 

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          ◇

 

 ———結論から言えば、衛宮士郎の家にセイバーは居なかった。

 門を叩いて確かめたわけではないが、自分も末席とはいえサーヴァント。目の前の建物に、英霊を英霊たらしめる魔力の密集は見受けられなかった。

 それともう一つ妙に思ったことは、この家に今人が誰ひとりとして居ないということだが、それはどれだけ人で溢れている衛宮士郎の家といえども、そういう日だってあるのかもしれない。

 藤村大河や間桐桜、それに凛は自分の本来の家で過ごし、ライダーもそれに追随し(どちらに寄り添っていったのかは言うまでもない話だ)、教会の主と封印指定、その執行者の二人は各々思うところがあったのかもしれない。私の知るところではないが、どうとでも想像はつく。

 衛宮士郎は———まあ、どうでもいい。どうでもいいが、家にいないのだとすればバイトか、または郊外にある森の最奥、イリヤスフィールが構える洋城にでも行ったか。あれの行動範囲などそんなものだろうと予測がつく。

 ともかく、衛宮士郎の家にはセイバーは居なかった。であれば、二つ目の選択肢が自分にはある。

 衛宮邸の囲いに寄りかかり、両腕を組み合わせる。左隣の門には、不在らしく閂がされてある。

 ———そのまま、何分か、何十分かが経過しただろうか。

 セイバーはまだ帰ってこない。時計は持っていないが、時間にしてもう九時はゆうに過ぎているはずだ。それなのに帰ってこないというのは、些か気にかかる。———もしや、彼女に何かあったのでは———と、思ってから馬鹿か、と自分を叱りつける。

 彼女はそこらの子供ではない。剣を持つ騎士の英霊は現世の如何なる事柄でも傷つくことは無いだろう。だから、事故だとか、そういうことはないはずであるのだ——————

「——————あ、」

 思い至る。

 この時間になっても未だ帰ってこない彼女は、今日一日何をしていたのだったか。

 ———他でもない、誰かを探していたのではなかったか。

 そこまで察し、組んでいた腕を解いて駆け出しかけ、止まる。

 思う通り、彼女はまだ私のことを探しているのかもしれない。では、それを知った私には何ができるというのか。実際今日一日、そのいたちごっこを繰り返した挙句、その姿を一目も見ていないではないか。それが、今からどこかに移動してどうにかなると、本気で思っているのか。

 それに、彼女が今から帰ってくる可能性だってある。むしろそれが一番確率が高いだろうし、そうであるべきだ。時間も時間だ、彼女が帰るべき家はここなのだから——————?

 

 帰るべき家。暖かいはずのその場所に今、彼女を待つ者は居ない。

 

 

 

 

 

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          ◆

 

 ———時間がどれほど経ったかなど考えていなかった。ただ、短くはなかったとは思う。

 それでもそれは、そうだったのか、と思うだけ。

 

          ◆

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 待ち人はようやく、その姿を見せた。

「———アーチャー———?」

 数十メートル向こう、慣れ親しんだ武家屋敷に腕を組んで寄りかかる背の高い男性を、見知った人間であると気づくのにさほど時間はかからなかった。

「やっと来たか。帰りが遅いのは余り良いことではないな、セイバー」

 屋敷の前に立つアーチャーを視認し、セイバーは走り寄ってくる。その口元からは白い息が零れ、何秒かかけてアーチャーから数メートル程の近くまで来た。

「アーチャー、貴方は」

「私はいい。それより君、今日は私に何か用があったのではなかったのか。それを聞いたのを思い出して、わざわざ君の家まで来たのだがね」

 少し待ったぞ、と口の端を釣り上げながら、普段通りの皮肉めいた口調でアーチャーは言う。

「どうした? 目の前にいるんだ、用件があるのなら、早いところ尋ねてしまえ。その為の一日であったのだろう」

 一転、これもまた普段通りではある厳しい顔つきに戻り、アーチャーは答えを急かす。

「……それは尋ねますが……その、アーチャー。貴方はいつからここに」

「ついさっきだ。言っただろう、思い出して来たと」

「……本当に?」

「何故嘘をつく必要があるね」

「……そう、ですか」

「理解したのなら、することは一つではないかね、セイバー。いい加減私も行くところがある。だから、コトがあるのなら早く済ませてしまいたい———」

 言葉はそこで途切れた。

 男よりも体格差で劣る少女が、予備動作なしに、脈絡なく男の手に触れ、そして間もなくその両手のひらで包み込んだからであった。

「な——————」

「……やはり。もう、貴方という人は。どうして吐かぬともいい嘘を吐くのですか」

 自らの手で、アーチャーの浅黒い左手を包みながら呟く。

 それは、非難するようでもあり、どこか知ったものを諦めるかのような、優しさに溢れる所作であった。

「せ、セイバー! 君、一体何を———!」

「……? ご覧の通り、手を握っていますが」

「———そういうことを聞いているのではない。……手を、握る理由を訊いているのだ」

「その前に、私の質問に答えてもらいたい。

 ———この手の冷たさは何です、アーチャー。ついさっき来たばかりの貴方の手が、どうしてここまで冷えているのです」

 柔らかく、温かいセイバーの掌がぐっと包む手に力を入れる。

「———それは、ここに来る前から外にいたからだ。大した問題ではない。だから、その手を離———」

「———それでは、鼻の頭が赤くなっているのも、ずっと外にいたからですか。それは、外にいてかつ、同じ場所に留まっていないと見られないでしょう」

「————————」

 セイバーがそこまで指摘して、アーチャーは視線を逸らす。

 それは正しく、無言の自白と言うべきものであっただろう。

「図星ですか」

「……。……言っておくが、本当に大した時間を待っていたわけではない。時間にしても二時間も経っていないんだ。……だから、鼻の頭がどうこうも、偶然だ」

 視線をセイバーに戻さぬまま、彼の柄にもなくしどろもどろとしながら言う。

 苦笑の表情を作って、セイバーはアーチャーの手を撫でる。

「アーチャー、本当に、随分と待たせてしまったようだ」

「だから、そんなことはないと」

「いえ、あります。貴方のこの手はまるで氷ではないですか。……ほら、両手を出してください。これでは、弓も握れまい」

 空いていたアーチャーの右手をも掴み取り、それも重ねて包み込む。

「セイバー、何もそこまで」

「いいんです。私がしたくてしていることですから」

 強く、慈愛に満ち満ちた微笑みに、アーチャーは何か言いたそうに口を開けたものの、じきにため息とともに引き結び、物言わぬまま、セイバーの撫でる己の手に視線を落とした。

「寒かったでしょう」

 アーチャーの手をさすりながら言う。

「……さほどでもない」

「嘘ですね」

「嘘ではない。サーヴァントがこの程度の気温に変調を覚えていては話にならないだろう」

「それは、そうですが」

「……。セイバー、そろそろ離してくれないか」

「駄目です。まだろくに温まっていないでしょう」

 言葉の通り、セイバーは包む手を解かない。

「貴方の手は大きいですね」

「まあ、図体程度には」

「がっしりとしていて逞しい」

「……それも、図体程度だ」

「しなやかで、強い。そうですね、弓に例えるのがいいかもしれません」

「なあ、セイバー」

 そろそろ、と声で訴えかける。

「まだいけません」

 にべもない却下にぐぐ、と唸る。顔を手で覆おうにもその手が今はない。

「いつも何をして過ごしていますか」

「……さあな。君を驚かすようなことはしていないよ」

「リンの家には帰っているのですか」

「用事があれば、アレの方から私を探して呼びに来るから、その時には。……大抵は、面倒ごとかその処理だがね」

「なるほど、それはリンらしい」

 喜ばしいことのようにセイバーは微笑む。

「全く、いつもいつもどういう手練手管で私を見つけるのか」

「良いことではないですか。貴方のことをよく分かっているということだ」

「まあ、アレもああいうふうでいて私のマスターだからな。時々私を探すのにランサーを買収しているようだから、それもわからなくなってきたが」

「ランサーを! フフ、凄いですね、リンは」

「ああ、本当にな。あの行動力は一体どこから生まれるのか」

「それでも、嫌いではないでしょう?」

 セイバーらしからぬ問いにアーチャーは僅かに身構える。

 が、俯いて、触れ合う二人分の手を眺めながら言うセイバーに邪気はないように見えた。

「……穿ったことを聞いてくるね、君は」

「貴方は私の生前の武装の一つを存じているはずですから」

「……まさか、ロンゴミニアドがことかね。今の話の中でかの聖槍の名が飛び出すとは思わなかったが」

「ええ、その名もまた懐かしい。私だって、洒落の一つくらいは言えるのです」

「……そうかね。それは初耳だ。———セイバー、もう手は十分に温まったよ」

「こういうのを駄洒落というのでしたか。いや、それは少し趣が違うのでしょうか」

 耳に入っているはずのアーチャーの声をセイバーは聞こえていないふうに流し、別の話をする。

「セイバー、もう大丈夫だ。ありがとう」

「言葉遊びはタイガが得意なのですが、どうも私は不得手だ。ライダーは本を読み、教養がありますから私が上手く言えない度に馬鹿にするような態度をとってくる。何とか上手いやり方がないものか」

「……セイバー」

「貴方はどうです、アーチャー。貴方ならそういう類にも通じていそうだ。良ければ、教授して欲しい」

「セイバー」

「貴方は」

 アーチャーの飛ばした比較的強めの声を巻き込むように言い返す。

「貴方は———離せば、いってしまう」

「———セイバー?」

「————————」

 セイバーは答えない。いつの間にか、視線は組み合った手より下の方を見るようにして角度を下げている。

 一陣、冷たく強い風が音を鳴らして通った。

 空気は冷え、今にも凍りついてしまわぬかと人に思わせるくらいに澄んでいた。

「———見たのです」

 小さな声でセイバーが呟く。その声は極めて近くにいるアーチャーにも聞き取れないほどだった。

 セイバーが言い直す。

「———私は、貴方の夢を見ました。数日前の朝のことです」

「夢だと?」怪訝そうにアーチャーは尋ねる。

「ええ、そうです。私は確かに見た。

 ———貴方の言いたいことはわかる。サーヴァントは夢など見ない。見るとすれば、マスターとの魔力線から伝わるマスターの記憶、意思。そういう理屈は理解しています」

「それは理屈というより、確固たる答えとしてある事実だ。君の中へとマスターである衛宮士郎の意識が混入することはあっても、それ以外の、魔力によるパスが繋がっていない相手の情報を夢として見ることは有り得ない。その程度のことを、君がわからないわけはないだろう」

「その通りだ。貴方は正しい。でも———それでも、あれは確かに貴方の心象、貴方の夢であるはずだった」

「何を——————」

 言うのか、と。言いかけたところをセイバーが拾って続ける。

「橙色の空を見ました。灰のような雲を見ました。それらを覆い、塞ぐようにして在る歯車を見ました。———無限に広がる、荒野を見ました」

「————————」

「あの寂し過ぎる景色は忘れもしない。私はあれを過去、確かに[[rb:見ている > ・・・・]]。それは他でもない、貴方の手によるものでしたね」

「それは———」

 言葉に詰まる。

 アーチャーは否定はできなかった。

 何故ならセイバーの言う過去、聖杯戦争の最中。弓兵のサーヴァントたるアーチャーは確かに、セイバーの目の前でその彼女の言うままの光景を[[rb:見せたこともあっただろう > ・・・・・・・・・・・・]]からだ。

 セイバーはさらに続ける。

「確かにその理由に説明はつかない。だが、あれが貴方の心象を映した夢であったことに疑いはない。

 ———疑えないからこそ、私は今日一日、貴方のことを捜していたのだ、アーチャー」

 アーチャーはセイバーの言葉に応じる言葉を持たない。何せ話が夢の話だ。どう答えたものかと語彙を探っても、返すに当たる言葉は見当たらない。

 黙って眉間に眉を寄せるしかないアーチャーへと、セイバーは一度、視線を寄せてからまた離し、言葉を紡ぐ。

「私は貴方の心象の風景を見たと言いましたね、アーチャー。———ええ、それは橙の空であり、無限に連なる歯車であるし、それらが貴方の心象を形取るものであるというのは確かだ。でも、それらはあくまで世界の外側を表すものでしょう。真に貴方の心象たるイメージの具現ではない」

 そこまで話し、セイバーは意図的に口を噤む。

 その姿は、あとに続く言葉を、本当に言ってもいいものかと、そういう迷いであるように見て取れた。

 間のあと、再びセイバーが口を開いた。

「真に貴方の心象たるイメージ、そしてその具現。……それが何かを私は知っている。それこそは正しく、貴方を構成する物質の起源だと」

「……何が言いたい、セイバー」

 アーチャーが口を挟む。

「そう、起源。なればこそ、その世界にはどうしたってそれが[[rb:なくてはいけない > ・・・・・・・・]]。それなのに———[[rb:貴方 > つるぎ]]は、その荒野に一振りだって存在しなかった」

「————————」

 言ってから、セイバーは後悔するように睫毛を伏せる。伏せているから、アーチャーがどういう表情でいるのかも視界に入らない。

「……サーヴァントは夢を見ない。そういう前提があるからこそ、見たその映像は特別なものだ。だから、私は」

 怖かった。恐怖したのだと。

 ———誰かのために生き、誰かのために殺し、誰かのために死んだ。そういう人生を歩んだ[[rb:彼 > ・]]はおおよそ感謝されることはなく、そして誰も彼がしたことに気づかなかった。

 孤高、という言葉がある。彼がそれだ。孤高であるが故に理解されなかった。理解されなかったし———また、彼もそれを望まなかった。

 そんな彼を拾い上げた存在があった。そこにどういう意図があったのかわからないし、そもそも存在に意識があるのかもしれない。

 それでも、存在は彼に一つの世界を与えた。

 世界に尽くして、世界に[[rb:否定 > ころ]]された彼が住まう、唯一の世界としてその場所を与えたのだ。

 無限の荒野と無機質な歯車。無風の空間では晴れることもなくただ曇天があり続ける。幾ら寂しくとも、ニンゲンに見えない剣にとっては確かに住み良い空間であったのかもしれない。

 そんな世界を彼女は夢見た。剣に唯一許された世界。なのに、剣はそこにいなかった。

 ———剣の在り方を知っている彼女だからこそ思ったのだ。「彼は遂に、その世界からすらも否定されたのか」と——————

「……最初は、彼はようやく終われたのかと思いました。抜けられぬ螺旋、終わらぬ歪んだ夢。その理から、ついに彼は抜けられたのかと」

 ぽつりぽつりと、零れゆく雫のようにセイバーは話す。言葉が生まれていくスピードは順にゆっくりになっていく。それは最早、誰かに聞かせるものではなく、自分が確認するためのものであるかのように。

「そうであれば良いと思った。そうであれば——もう休めるのであれば——それはどんなに彼にとって幸福なことだろうと、そう思った。

 でも、それは彼が真に消えることと同義だ。彼が歴史から消えるということは、彼だけでなく、彼がしてきたことのその全てが否定されてしまうということに思えた。

 理屈はわからない。でも、それは何だかいけないことな気がして、それに気づいたとき———私は貴方を捜しに家を飛び出していた」

 アーチャーは黙してセイバーの言葉を聞いている。その面持ちから何を思うかの心情は計り知れない。

「随分色々な場所を訪ねました。港の方にも行ったし、大橋を渡り新都の方にも行った。柳洞寺にも、教会にも、穂村原の学校にも。その途中、何人もの貴方を知る人にも出会い、貴方の所在を尋ねた。———だけど、一人として貴方がどこにいるか知る者はいなかった———」

 自分を探していると知っていて、その足跡を追いかけていたアーチャーの知らないことだった。

 ゼロと一は似ているようでいて致命的に違う。探すことと捜すことでは大きく異なるのだ。

「だから、最後のあてでもあったリンの元でも貴方のことが知れなかったときには、ひどく落ち込みました。どうしていいのかも、抱いたその気持ちが何であるかもわからなかったけど、それでも何か、大切な何かが間違っているまま終わってしまったように思えた。……家の前で貴方が待っているのを見つけたのは、そんな時でした」

 セイバーが顔を上げる。決して笑顔ではなくとも、穏やかな表情だった。

「私は大事なことをし損ねたまま貴方が消えてしまったと思い、ただシロウの家に帰ることに罪悪感を抱いたまま、惰性で歩いていた。そうしたら、貴方は当たり前のように家の前でずっと立って待っていたという。……何だか、自分が途方もない間抜けのように思えました」

「だから、私は大して待っていないと」

「ええ、貴方はきっとそう言う。貴方は、いつ来るかわからない誰かを、いつまでも待ててしまう人だから。どんなに寒くとも、数時間など大したことはないと言えてしまう人だから」

 微笑む。雪が降りそうなくらいの寒空の中、大輪のひまわりのように、男の手を包む彼女はそう言って笑ってみせる。

「それでも、夢のことを思い出すと、貴方の手を離すことが出来なかった。離した瞬間に消えてしまう気がしてならなかった。……それは、そこには最初から何もいなかったかのように」

「セイバー———」

「———ねえ、アーチャー。私は、どうか貴方に救われて欲しい。その気持ちに、間違いはありません」

 ひまわりが揺れる。もうとうに温まっているアーチャーの手を、さらに深く握り直すようにして包み込む。

 彼にとっての救いがどうあるべきか、セイバーにはわからない。夢から醒めることが唯一の救済だというのなら、そうなるべきだと彼女は思う。———だって、他人が救われる為に彼は人一倍頑張った。なら、彼だって同じか、それ以上に救われないと嘘だと、彼女もまた願うのだから。

 故に。ここから先は矛盾だらけだと、■■■■■という少女は自覚している。

 間違いを間違いのまま認めかけ、己が信じた正道を大きく逸れる可能性すら有り得るということから目を逸し始めている。

「貴方にはもう、自分の幸せだけを考える権利があるのだから。そして終わらぬ螺旋の環から外れることが貴方の幸福なのであれば、そうなって欲しいと私は思う」

 言葉の通りに。

 救われ、抜け出すことが救済だとしても。

「矛盾しているとわかっています。食い違っていると知っています。貴方の幸せを願うと、私は言っているのに———」

 進むにつれ、語気が強まっていく。冷静沈着なはずの少女に今、その面影はない。

 手が震える。一方が震えるから、当然のようにそれは二人ともの震えとなって——————

「———私は、こんなにも貴方に消えて欲しくないのです———」

 

 

 

 

 



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