【完結】光ささぬ暗闇の底で   作:御船アイ

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第8話

 とある昼下がり、沙織は陽気な気分で学園艦の歩道を歩いていた。手には大きなトートバッグがぶら下げられ、中には食材が詰め込まれている。

 沙織は今、エリカの家に向かっていた。引っ越しや結婚のことなどでなかなかエリカに会えずにいたが、やっと一段落ついたので久々にエリカに会おうと思ったのだ。

 久々に友人と会える。そのことが沙織の気分を高揚させていた。

 きっとエリカはここ最近ずっと出来合いの食事ばっかりだったに違いない。だから私が花嫁修業で培った女子力で、エリカに美味しい料理を作ってあげるのだ。きっとエリカも喜ぶに違いない。以前は少し悲しい別れになってしまったけど、今度は終始明るく彼女に接しよう。そうしよう。それがお互いのためだ。

 そう考えると、沙織はエリカの家へと向かう足が駆け足になるのを抑えられなかった。結果予定よりも早く、エリカの家についた。エリカには事前には伝えていない。エリカをびっくりさせたかったからだ。

 沙織はうきうきとした気持ちで、エリカの家のインターホンを押した。

 すると少しして、「どうぞ」という声が中から聞こえてきた。なので沙織は、勢いよく目の前の扉を開き、おもいっきり声を張り上げた。

 

「やっほーえりりん! ひっさしぶりー!」

 

 と、そこで、沙織はいつも見慣れているはずのエリカの部屋に、何か違和感があることに気がついた。そう、それはいつも一人で窓辺に座っているはずのエリカの側にあって――

 

「……えっと、ねぇ、えりりん。その子、誰?」

 

 そう、エリカの側に見慣れない少女が立っていたのだ。その少女は、大洗の子にしては垢抜けた格好をしており、綺麗な黒髪で、肩を軽く越すほどまで伸びるその後髪をゴムで纏めていた。顔立ちはかわいいというよりは美人寄りだが、どこか幼さが抜けておらず、まだ中学生ぐらいなのだろうということを察することができた。

 沙織が困ったようにその少女を見ていると、その少女もまた困ったようにエリカを見た。すると、エリカは「はぁ……」と軽く溜息をつくと、顔を沙織のほうに向けてきた。

 

「沙織……あなた、アポなしで突然やってくるのは悪い癖よ」

「へっ……あ、うんごめんえりりん……ってそうじゃなくて、だからその子、誰!? 私、何かまずい現場に居合わせちゃった!?」

「なんでそんな方向に考えがいくのよ……ああもう面倒臭いわね、自己紹介して。美帆」

 

 みほ? 今、エリカはこの少女のことをみほと言った?

 沙織は混乱で頭がいっぱいになっている中、ずっとどうしたらいいものかと思い悩んでいたその少女が、おそるおそる自己紹介を始めた。

 

「えっと……私、東美帆といいます。大洗中学の二年で……もうすぐ三年になります。東と書いてあずまと読み、美辞麗句の美に順風満帆の帆の字を使ってみほと読みます。私はエリカさんに戦車道のことを教えてもらいながら、エリカさんの生活を手助けしているんです」

 

 その自己紹介で、沙織は一応混乱を鎮めることができた。どうやらエリカはいつの間にか、中学生と戦車道を通じて懇意になっていたらしい。そういえば、確かエリカは時々中学校にいって戦車道の臨時講師をしていたのであった。そのとき出会ったのだろうか? しかし、家にまで来て生活の手助けをしているとは……どうやら私がちょっといない間に、色々あったらしい。しかも、その少女の名前が美帆とは……。

 

「あぁ、その、私は武部沙織って言います。えりりんの友達……だね」

 

 つられるように沙織も挨拶を仕返す。軽く会釈をし合う沙織と美帆は、お互いの距離感がつかめていないなんともむず痒い光景だった。

 エリカの部屋に自分の知らない他人がいる。その光景は、やはり慣れないものだった。今まで人との交流をあまりしてこなかったエリカだから、尚更だった。

 と、そこまで考えて、沙織の頭の中に嫌な考えが浮かんだ。まさかとは思い頭から振り払おうとするが、どうしても振りきれない。だからこそ沙織は、その疑問を直接本人にぶつけることにした。

 そのためには、まず二人っきりになる必要がある。だからこそ沙織は、

 

「えっーと、東さん? 私、少しえりりんとお話したいことがあって……だから、ちょっとだけでいいから外で待っててくれないかな? お願い、ちょっとだけでいいから!」

 

 と、美帆に少しの間席を外してもらうことにした。

 

「ちょっと沙織、いきなりどういうこと?」

 

 エリカが不機嫌そうに言う。

 まぁ確かにいきなり部屋にいた人間に出て行って欲しいというのは控えめに言って失礼だろう。

 沙織も初対面の相手にこんなことを言うのは失礼だと分かりつつも、エリカとの会話をあまり聞かれたくなかったというのが勝っていた。

 沙織は両の手のひらを顔の前でパチンと合わせて頼み込む。すると美帆は、一瞬びっくりしたように目を見開いたが、すぐさま笑顔で「はい! 大丈夫です。それじゃあ、外に出てますね」と、沙織にぶつからないようにうまく避けながら玄関から外へと出て行った。

 沙織の気持ちを察してくれたのか、それとも年上の相手に言われて怯えてしまったのか、どちらにせよ、気を回せる子だなと沙織は思った。

 

「…………」

「…………」

 

 美帆が出て行ったことで、部屋にはエリカと沙織の二人っきりになる。エリカは気難しそうな表情を浮かべている。エリカのそんな顔を見るのは久しぶりだった。

 

「……で、話って何? わざわざあの子を追い出したんだから、それなりの話なんでしょ?」

「うん……ねぇえりりん、あの子、美帆って言うんだね。戦車道の授業で出会ったの?」

「……ええ」

 

 沙織が美帆という名前を呼んだとき、エリカの表情が一瞬変わった。それを、沙織は見逃さなかった。

 

「ふーん……ねぇエリカ、一つ、聞いてもいいかな」

「……何かしら」

「……エリカはさ、もしかして、あの子のこと、みほの代わり、だなんて思ってないよね?」

 

 それが、沙織の頭によぎった嫌な考えだった。エリカはみほの幻影に未だ囚われているままである。そんなエリカの前に、みほと同じ名をもつ少女が現れた。そしてエリカはその少女をいたく可愛がっていることが先ほどのやりとりですぐに分かった。

 だからこそ、エリカがあの美帆という少女を家にあげ、気にかけている理由がそこにあるのではと、沙織は疑念を抱かずにはいられなかったのだ。

 もしそうならば、友人としてエリカを止めなければいけない。それがエリカのためであり、あの子のためでもあるからだ。

 しかし、エリカはその沙織の言葉に、静かに頭を振った。

 

「……いいえ、そんなことないわ。彼女は彼女。みほはみほよ。名前は一緒でも、まったく違う人間だわ」

 

 そのエリカの言葉は、嘘を付いているようには聞こえなかった。少なくとも、沙織が知るかぎりのエリカにおいて、その真剣な表情と口調は、真実を語っているときのものだった。

 だから沙織は、エリカを信じることにした。

 

「……そっか。ごめんね、変なこと聞いちゃって。それじゃさっそくあの子呼び戻そっか! 急に部屋の外に出しちゃってかわいそうなことしちゃったしね!」

 

 そう言ってそれまでの真面目な表情からいつもどおりの明るい顔つきと語調に戻った沙織は、急いで玄関まで走って行き、扉を開く。

 

「ごめんね東さん! もう話終わったから入ってきていいよ!」

「あ、はい……。えっと、武部さん」

 

 まだどこか遠慮がある様子の美帆に、沙織は笑顔で彼女の頭をわしゃわしゃと撫でた。

 

「おおっ……!?」

「沙織、でいいよー! えりりんの友達なら私の友達ってことだしね!」

 

 大切な友達が友達と認めた相手なら、その相手も自分にとっては友達と変わらない。それは、沙織が大洗でエリカと会ったときに言った言葉と、何一つ変わらなかった。

 無論そのことは美帆は知らないが、美帆もまんざらでもない様子だった。

 

「は、はい……沙織、さん! だったら私のことも、美帆、でいいですよ」

 

 だから美帆も、沙織に笑って応える。そんな美帆を見て、沙織も嬉しい気持ちになる。だから沙織も、

 

「うん! よろしくね、美帆ちゃん!」

 

 と、底抜けに明るい声で応えた。

 その後沙織は美帆と一緒に部屋に上がり、エリカを含めた三人で話をしてみることにした。すると、美帆という人間のことがすぐさま分かってきた。美帆は感情豊かで、心優しい子だった。沙織やエリカの一言一言に大きく反応し、しかし常に話している相手のことを気遣っている。そして美帆がエリカの世話をしているということ、エリカから戦車道のことを教えてもらっていることを聞き、なるほどそういう経緯があればエリカもこの子のことを気に入るだろうということが分かった。最初に浮かんだ嫌な考えは、完全に杞憂だったと思った。

 だから沙織も自分が戦車道をやっていたことを伝えた。すると、

 

「えっ、沙織さんてあの大洗の初優勝の世代だったんですか!? 凄いです!」

 

 と、尊敬に満ちた視線を注がれた。そのキラキラとした視線が眩しすぎて「そ、そんなことないよー」と謙遜するも、美帆は興奮冷めやらぬ様子でいろいろと質問してきた。

 そのときのエリカは我知らぬといった様子で、でもどこか楽しげに窓の外を見ていた。

 そんなこんなで三人でだらだらと話していると、いつの間にか日が落ち始めていた。なので沙織が料理を作ろうとすると、美帆も手伝いたいと言い始めた。

 どうやら美帆も料理を作る気でいたらしい。

 

「そう、じゃあ一緒に作ろうか。ふふふ、私の女子力伝授しちゃうよー!」

「はい、お願いします!」

 

 ぴしっと腰を九十度曲げて頭を下げる美帆。そんな美帆を見て、これは大人としていいところを見せるところだと張り切る沙織だった。

 

「沙織の女子力なんて伝染されると、結婚するのが遅れるわよー」

「ちょっとえりりん!? いくらなんでもひどすぎない!? それにもう結婚するからそんなことないし!」

 

 エリカのあまりに無慈悲すぎるヤジに反論する沙織。そんな二人を見て、美帆はクスクスと吹き出し始めた。

 

「ふふふ……二人とも、本当に仲がよろしいんですね」

「んーまあね、これでもう十二年は付き合ってるし」

「干支が一回りするぐらいだものね。思えば随分と長い付き合いになったわね。ありがとう沙織」

「へ? う、うん……」

 

 唐突なエリカの謝辞に、沙織は顔を真っ赤にした。不意打ち的に褒められると、さすがの沙織でも恥ずかしかった。

 沙織はそれを美帆には悟られまいと、必死に笑って取り繕った。

 

「あ、あはは! もうえりりんたら! ささ、そんなことよりとにかく晩御飯作ろ? 今日は肉じゃが作るよ!」

「はい!」

 

 そうして沙織と美帆は一緒に料理を始めた。初め沙織は美帆にいっぱい自分の技術を教えこむつもりだったが、その沙織の目論見は外れた。美帆は、沙織が教えるまでもなく、上手に料理をこなしていったのだ。

 これはなかなかの女子力だなと、沙織は思った。何年間も花嫁修業を積んできた沙織に勝るとも劣らない腕前であり、思わず沙織は舌を巻いた。

 そんな美帆の助けもあって、肉じゃがはあっという間に完成した。そして出来上がった肉じゃがをテーブルに運び、予め炊いてあったご飯と一緒に作っておいた味噌汁をテーブルに運び、三人で食卓を囲む。

 

「「「いただきます」」」

 

 三人で一斉に口にした肉じゃがは、とても美味しかった。それに、こうして多人数で食べるというのも、かなり久しぶりだった。華や麻子、優花里といった友人たちは随分と前に陸に行ってしまったから、もう何年ぶりになるかも分からなかった。

 三人は楽しく談笑しながら食事を終えると、沙織はテキパキと洗い物に移った。当然のように美帆も手伝いにくる。おかげで、洗い物もすぐさま終わった。

 外を見ると、すっかり真っ暗になり、夜空には星が輝いていた。時計も短針が四分の三の位置にさしかかろうとしていた。

「それじゃあ、私はそろそろ帰らせていただきますね」

 美帆が名残惜しそうに言う。沙織はそんな美帆を見て、

 

「あ、だったら私が送っていくよ。すぐ近くとは言え、夜道に女の子一人は危ないでしょ?」

 

 と、美帆を送っていくことを決意した。

 

「え? でも、悪いですよ」

「いいのいいの。私だってちょうど帰ろうかなって思ってたところだしね」

「そうよ、送ってもらいなさい。私には見えないけど、もう結構暗いんでしょ? 沙織、頼んだわよ」

 

 エリカにも言われたおかげか、美帆は「じゃあ……お願いできますか?」と申し訳無さそうに言ってきた。

 沙織は、そんな美帆に「うん!」と一言元気良く応えた。

 そして二人はエリカの部屋を出て、ゆっくりと夜空の下を歩いて行く。他に歩いている人影もなく、とても静かで、落ち着いた空気が二人の間に流れた。

 

「ねぇ……美帆ちゃん」

 

 その沈黙を、沙織はそれまでの快活な雰囲気とは違った、落ち着いた声で打ち破った。

 美帆は今日初めて見る沙織の態度に驚いたのか、意外そうな顔を浮かべた。

 

「はい? なんでしょう?」

 

 そこで沙織は一呼吸置くと、美帆の夜空に輝く星々に目を向けながら、話し始めた。

 

「私、もう少ししたら学園艦からいなくなっちゃうんだ……さっき話したように、結婚してね。だから、もうえりりんの面倒見ることができなくなっちゃうの。だからね……美帆ちゃんにえりりんのこと、お願いしてもいいかな?」

 

 このことを伝えるのが、沙織が美帆を送ろうと言った本当の理由だった。

 自分はもうすぐいなくなる。すると、エリカは本当にひとりぼっちになってしまう。そのことが、ずっと気がかりだった。本当にエリカを置いて結婚してもいいのかと、悩んだ日もあった。だからこそ、この美帆という少女が現れたのは、沙織にとって嬉しい出来事だった。あのエリカが、心を開き始めている少女。もしかしたら、今まで自分たちにはできなかった、エリカの心を救うということが、彼女になら出来るかもしれない。なぜだか、そんな気さえしていた。

 だからこそ、沙織は美帆に、エリカを頼む、とどうしても伝えたかった。

 すると、美帆は立ち止まり、手をぎゅっと握って沙織のを見つめた。そして、

 

「……はい、約束します! エリカさんは必ず、私が支えていきます! 私が、ずっと……!」

 

 と、大きな声で、その瞳に決意を篭もらせて、沙織に言った。

 沙織はその返答に大いに満足した。ああ、この子になら任せていいと。この子になら、自分の大切な友人を預けることができると。

 そう安心させるものが、美帆の瞳には宿っていた。

 

「……ありがとう、美帆ちゃん」

 

 だから沙織は、微笑みながら美帆に、穏やかな声で礼を言った。

 その後二人は、不思議と満たされた沈黙のなか帰路についた。美帆と歩く時間は、実質的な距離もあって、あっという間に過ぎていった。

 沙織は美帆を最後まで見送るつもりだった。だから美帆と一緒に、寮の階段に足を載せた。二人で階段をコツコツと上がっていく。と、そこで沙織は懐かしい気持ちになった。ああ、昔もこうしてこの寮の階段を昇ったな、と。この寮にいた、大切な友人のところに通うために、何度も。

 そんなことを思っていると、美帆がとある部屋の前で止まった。そこで、沙織は息を飲んだ。

 

「では、ここが私の部屋なので。ここまでどうもありがとうございました」

「え? ここが……?」

「はい。……えっと、どうかしましたか?」

 

 沙織が言葉を失うのも訳なかった。なぜならそこは、かつて沙織がこの寮に通った目的である少女、みほが住んでいた部屋と、まったく同じ部屋だったのだから。

 

「……いや、なんでもない。なんでもないよ。それじゃあね、おやすみなさい」

 

 沙織は必死に誤魔化すと、頭に疑問符に浮かべている沙織に背を向け、階段を降りていった。こんな偶然もあるものかと、沙織は驚いていた。

 美帆と言う名の少女が、かつてみほが住んでいた部屋に住んでいる。不思議なこともあったものだ。エリカはこの事を知っているのだろうか? いや、知らないに違いない。ならば、このことは胸に秘めておこう。この小さな奇跡は、私の胸に秘めていたほうがいい。そんな気がしたから。

 沙織が歩く無人の道路には、虫の音すらせず、ただ彼女の足音だけが響いていた。


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