【完結】光ささぬ暗闇の底で   作:御船アイ

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第5話

 日曜日のことである。エリカは一人で大洗学園艦の上にある図書館を訪れていた。図書館にある視覚障害者用のサービスを利用するためだった。エリカは視力を失い大洗で、一人で生活するようになってから、時折図書館を利用していた。盲目になってからというもの出来る趣味が大幅に減ってしまったため、新しい趣味を見つける必要があった。その趣味の一つが、視覚障害者にもサービスを行っている図書館へ通うことであった。

 図書館前の大きな駐車場側の歩道を白杖片手に歩くエリカの姿に、近くを歩く人々は誰も目もくれない。それどころか、皆関わりたくないと言わんばかりに、エリカから距離を置いていた。

 無論、盲目とはいえそれに気がつかないエリカではない。エリカは長年の盲目生活において自分と他人との距離感は容易に測れるようになっていた。そして、自分がよく避けられることも。だが、それも仕方のないことだとエリカは理解していた。普通ならば、学生が殆どを占めるこの学園艦において、盲目の大人など珍しく、また関り合いになりたくない存在であるということを分かっていた。伊達に一二年間盲目で過ごしてはいない。

 

「…………」

 

 エリカは意に介することなく、図書館への道を歩いて行く。

 そして、図書館の玄関にある自動ドア前へと立ったときだった。

 正面から、突然飛び出してきた人影がエリカにぶつかってきた。

 

「きゃっ!」

「おっと……!」

 

 エリカにぶつかってきた相手は、可愛らしい声を出しながら地面に尻もちをついたようだった。接触した感触から、エリカよりも頭ひとつ小さい少女であるとエリカは把握した。エリカは少し体勢を崩されながらもなんとか踏みとどまる。

 ドサドサと、地面に何かが大量に落ちる音がした。どうやらぶつかってきた相手は本を大量に持っていたらしい。

 

「あっ、ご、ごめんなさい!」

「いえ、こちらこそ……」

 

 少女は謝りながら落ちた本を拾い始める。エリカもまた、ぶつかってしまいそのままというわけにもいかず、一緒に本を拾い始める。しかし、目が見えないためどれほどの冊数が落ちているのか、どこに散らばってしまっているのかが分からず、手探りで本を探し当てるしかなかった。

 エリカがおぼつかない手つきで本を拾っていると、そんなエリカを見てか、ぶつかってきた少女はしばらく沈黙し始める。

 

「…………」

 

 その視線を感じて、エリカは恐る恐る声を掛けてみた。

 

「……あの、どうかしたのかしら?」

「えっ? あっ、すいません! あの……もしかして、目が不自由なんですか?」

「……ええ、そうよ。私、両の目とも見えなくて……」

 

 そう言うと、少女はみるみる顔を真っ青にし――と言っても、その様子はエリカには分からなかったのだが――勢い良くエリカに向かって頭を下げてきた。

 

「す、すいません! そうとは知らず突然ぶつかったりして……! 本は自分で全部拾いますから、お姉さんはそのままでいてください!」

「わ、わかったわ……」

 

 お姉さんと呼ばれるほど若くもないけどね、と思いつつも、エリカは謝る少女の提案を受け入れることにした。目の見えない自分が下手にこれ以上意地を張って手伝っても、逆に面倒なことになるだけだと思ったからだ。

 少女はテキパキと本を拾い集めると、すくっと立ち上がる。しかし、一向にエリカの目の前から立ち去る気配がしないので、エリカは不思議に思い恐る恐る声をかける。

 

「あの……どうかした?」

「は、はい! そ、その! これからこの図書館に用があるんですよね!?」

「ま、まぁ……」

「だったら、私、お手伝いします! お姉さんが目的をちゃんと果たせるように、お力にならせてください!」

 

 その勢いに、エリカは思わず身じろぎしてしまう。エリカを避けて行く人々は数あれど、こうして力になりたいと言ってくるのは珍しかった。

 

「あの、ぶつかったことを気にしてるなら別に……」

「いえ、そうじゃないんです! いや確かにぶつかったことを悪いと思っているのは本当ですが……それ以上に、お姉さんの手助けがしたいというのが私の心からの気持ちなんです」

 

 本当に純真そうなその声に、エリカは断るにも断れず、仕方なくその厚意を受け取ることにした。

 これほどまっすぐな厚意を沙織達以外から向けられるのは、この一二年の間では、初めてのことだった。その感覚はどこかむず痒いものがあったが、久々に他人から受ける善意というものは、嫌なものではなかった。

 

「そうね……それじゃあ、お願いしようかしら」

「っ! はい!」

 

 少女は元気そうに答えると、本を片手に持っていたトートバッグへと押し込め、エリカの手を引いて図書館へと入っていった。

 そしてエリカをそのまま、視覚障害者用のサービスがあるブースへと連れて行く。音声資料と点字図書である。そのブースにおいて、少女はエリカが望む資料をすぐさま探しだして持ってきてくれた。

 

「ありがとう。これで十分よ」

 

 エリカは欲しかった本や音声資料を貰うと、これ以上は手伝わなくてもいいという意も含めて、礼を言った。

 すると、そのエリカの返答は少女にとって予想外だったのか、明らかに消沈し始めた。

 

「え……? あ、あの、もしかして何かご迷惑を……?」

「いえ、そういうことじゃないのよ。私はしばらくここにいるけど、あなたをそんな私の事情でここにずっといさせるわけにもいかないでしょう? あなた、随分本を借りているようだし、その本を読む時間がなくなってしまうしね」

「な、なるほど……」

 

 少女はエリカの心遣いは理解したらしいが、それでもまだ納得がいっていない様子だった。

 その気配を察知したエリカは、少女を安心させるためにそっと微笑んだ。

 

「大丈夫、私はこれでも一二年はこうやって生活してるし、この図書館にも何回も来ているの。一人で何も問題ないわ」

「そうですか……。だ、だったらあの!」

 

 少女が急に大声を出したものだから、周りの図書館を利用しに来た人たちが何事かとエリカ達のほうを向く。その視線を感じ、少女は顔を真っ赤にしながらシュンとし、エリカは苦笑いを浮かべた。

 

「あ、すいません……。その、もしよければ、今後も会うことがあったら、出来る限りお手伝いさせてもらってもよろしいでしょうか?」

「え? それはいいけど……」

 

 そう言うと、少女はぱぁっと笑顔を浮かべた。目の見えないエリカにもその姿が頭の中でありありと想像できるぐらいには少女が喜んでいるのが分かり、なんだか分かりやすい子だなと、エリカは思った。

 

「ありがとうございます! それでは、失礼させていただきますね、また今度!」

 

 少女はエリカに一礼すると、今度は大きな音を立てないように、しかし駆け足で去っていった。その微かな足音を、エリカは聞こえなくなるまで聞いていた。そして足音が完全に聞こえなくなった後で、ふぅと一息ついた。

 

「なんだったのかしらあの子……でも、悪い子ではなさそうね」

 

 軽く笑みを作りながらそう言うと、エリカは手元の点字図書を開き、ゆっくりと読書を始めた。

 

 

 翌日、エリカは大洗学園艦の上にあるとある中学校を訪れていた。なぜ学生でもないエリカが中学校にいるのかというと、エリカは戦車道における特別講師として呼ばれていたのだった。講師と言っても、実際に戦車の乗り方を指揮するわけではなく、戦車道の歴史について簡単に説明する程度であるが。

 大洗では一二年前に全国大会で優勝してからというもの、大洗女子学園において戦車道が活発となった。そして十二年間の間で着実に経験と練度を積んでいき、今ではれっきとした強豪校の一つとなっていた。

 それゆえ、高校に入ったら戦車道を嗜みたいという生徒が中学生の頃から多く現れ始めた。しかし、大洗の中学校には土地や資金などの関係から戦車道を行うことができず、実質高校生から始める生徒が大半だった。そんな生徒向けに、戦車道を将来履修したいという生徒用に簡単な講座を開きたいという学校側の考えがあった。本来ならばその講師には自衛隊やプロリーグなどから選手を呼んで行うのが普通ではあるが、やはり資金の問題や、相手側の都合がなかなかつかないということ、また教師陣にも戦車道経験者がいないために、教師から選出するわけにもいかず、そこでかつて黒森峰で隊長経験があり、学園艦にいる数少ない大人であるエリカに白羽の矢が立ったというわけだ。

 エリカにとっても、その講師を行うに際しての給与はありがたかった。エリカは障害年金と自宅でパソコンの音声読み上げソフトを利用した仕事で得たお金によって生活していたが、それでも生活には何かとお金が必要だった。だが、盲目の人間に出来る仕事は少ない。だから、こういった臨時収入の機会はなるべくものにするようにしていた。

 

「こちらです」

 

 学校の教師に今回担当する教室の前まで案内される。今回はもう一ヶ月もしないうちに三年生になる、二年生達の相手だった。白杖片手に廊下を歩くエリカの姿は、やはりどこかその場の風景から浮いたものに見える。

 だがエリカはもちろんそんなことを気にすること無く、学校の教師に手を引かれながら、教室の中へと入っていった。

 教室に入ると、多くの視線が自分の体に突き刺さってくるのが分かった。自分の感情を隠そうともしない、学生らしい好奇の視線だった。

 エリカは教卓の前に立つと、にこりと笑顔を浮かべた。

 

「みなさんおはようございます。私は今回特別講師として呼ばれた逸見エリカと申します。どうぞよろしく」

 

 エリカが挨拶をすると、パラパラとまばらだが拍手が帰ってきた。未だに目の見えない自分に不信感が持たれているらしいことを、エリカはよく分かっていた。

 だが、それもいつものことである。エリカは気にせず話を始めることにした。

 

「さて、本日は、まずは皆に簡単にですが戦車道の歴史を説明しようと思います。まず戦車道とは、第二次大戦の後戦車に男性が乗るのは戦争を彷彿とさせるといった考えから――」

 

 エリカの戦車道に関する講義は約五〇分ほど続いた。講義を聞く生徒達は、半分が聞き流し、半分が一応耳に入れておくといった感じで、あまり真剣味は感じられなかった。エリカはそのことを知ってか知らずか――概ね経験からほぼ理解していただろうが――構わず話を続けた。

 そしてエリカが頼まれていた内容を一通り話終えるとほぼ同時に、学校のチャイムが鳴り響いた。

 

「はい、それではこれまで。お疲れ様でした」

 

 エリカは軽く挨拶を終えると教壇から降りて教師に連れられながら教室から出て行く。と、そうして教室から廊下へと出た瞬間だった。

 

「お姉さん!」

 

 エリカの背後から、授業後の喧騒に負けないぐらいの大きな声で彼女の名を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。その声に、エリカは聞き覚えがあった。エリカはもしやと思い声のした方向に振り返る。それに応えるかのように、エリカの元に駆け足で近寄ってくる足音がした。

 

「えっと、もしかしてあなたは……」

「お姉さん! 私です! 昨日、図書館であった……」

 

 そう、声の主は、昨日エリカが図書館で出会った少女だったのだ。

 少女は、とても興奮しながらエリカに話しかけてくる。

 

「お姉さん、いえ逸見さん! 逸見さん、戦車道をやっていらしたんですね!? 私、逸見さんの姿見たときびっくりしちゃって……まさか、きのう会ったお姉さんが、特別講師だなんて……」

「そうね、私もあなたとこんなところで会うとは思ってなかったわ。中学生だったのね」

「はい! 今年で十五になります! ……それでその、実は私、すっごく戦車道に興味があるんです」

 

 その言葉を聞いたとき、エリカは少女に関心を抱いた。今まで講義を行ったことは何回かあったが、こうして面と向かって戦車道に興味があるということを言ってくる生徒は、今までいなかったからだ。

 エリカは自分の講義がありていに言ってつまらないものだとは自覚していたので、自分の講義のあとにこうして自分に言ってくる相手は新鮮だった。

 

「へぇ、そうなの」

 

 エリカはそんな気持ちを表面に出すことなく、そっけなく返す。

 少し嬉しい気持ちになっていることは確かだったが、そのことを表に出すのはなんだか気恥ずかしかったのだ。

 

「はい! それでその、お願いがあるんですが……」

「お願い? この前のとは違った?」

「はい。あの……お願いします! 私に戦車道のことを教えて下さいっ!」

 

 少女は、昨日のときよりも激しく、地面に頭が付くんじゃないかという勢いでエリカに頭を下げた。

 その姿が見えたわけではなかったが、エリカは自分の前に立つ少女がきのう以上に懇願しているのを感じ取った。

 

「ええと……私に? 個人的にってこと?」

「はい! 私、高校ではどうしても戦車道を履修したくって! でも、戦車の知識は本やネットで調べて一人で特訓するのには限界があって! だから、今日来る人にこうしてお願いしようって決めてたんです! ただ、それが逸見さんだとは思わなくて……だからその、逸見さんに戦車道を教えてもらうことはできませんでしょうか!? もちろん、以前言ったように逸見さんのお力にならせてもいただきますから!」

 

 そのあまりの必死さに、思わずエリカはふふっと笑いがこぼれた。ここまで戦車道に対して熱意のある子は久しぶりに会った。それこそ、今では遠い記憶となった学生時代の記憶を呼び起こさないといけないほどには懐かしかった。

 そんな少女と触れ合っていると、たまにはそういうのもいいかもしれないと、そんな気持ちにさせた。

 

「分かったわ。それじゃあ……毎週土曜、日曜の午後一時に、あの図書館で待ち合わせはどう?」

「はい! 喜んで!」

 

 少女は頭を上げ、とても嬉しそうに応えた。やはりこの子は感情がとても出やすい子らしい。そんな子が、年上の自分と話したらこんなにも大げさに緊張したり喜んだりするのか。年上が年下の子と接するというのはこんな感じなのかと、エリカはしみじみと感じる。と、そこで、エリカはあることに気がついた。

 

「そういえば、私あなたの名前を知らないわね」

 

 これから毎週会う約束をしておいて、名前を知らないというのも失礼な話だろう。そう思い、エリカは気軽な気持ちで名前を聞いた。

 すると少女は、元気よく自分の名前を答えた。

 

「はい。私の名前は(あずま)美帆(みほ)と言います。東と書いてあずまと読み、美辞麗句の美に順風満帆の帆の字を使ってみほと読みます」

「美帆……?」

 

 その名前に、それまで和やかな気持ちだったエリカは内心大きく驚いた。

 美帆、みほ。エリカにとってそれは、かけがえのない名前。未だに彼女の心を占める、大切な人の名前。

 

「そう、美帆、って言うの……」

 

 落ち着け逸見エリカ。美帆だなんて、ありふれた名前じゃないか。たまたま、名前が一緒だっただけ。ただそれだけの話。それなのに動揺するなんて、おかしいじゃないか。

 

「それじゃあ、今週末からよろしくお願いするわね。“美帆”」

 

 エリカはあえてその名前を強調して呼んだ。そうすることで、自分の中に沸いたくだらない動揺を振り払うために。

 

「はい。逸見さん……!」

 

 そんなエリカの内心を知らずに、美帆は満面の笑みでエリカに応えた。


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