カランカラン。
カレースナック「ゴン」の扉につけられている鈴が、軽やかな音を奏でた。
「いらっしゃい」
スナックのマスターである西住まほは、来客に笑顔を向ける。
「はい、失礼します。まほさん」
入ってきたのは、東美帆だ。
美帆はまほの笑顔に笑顔で返した。
「おーい、美帆! こっちこっち!」
店の奥の一角で、美帆を呼ぶ声がする。美帆はその声の方向を向いて、軽く手を振った。
「鈴!」
美帆はその声の主――百華鈴の名を呼んだ。
そこにいるのは鈴だけでない。かつての美帆のチームメイトである、弐瓶理沙、それに現黒森峰隊長である渥美梨華子に聖グロリアーナの隊長であるアールグレイ二世がその席に座っていた。
「それに理沙、梨華子、アールグレイさん、お久しぶりです」
「ええ、久しぶりですわね、美帆さん」
「久しぶりです、美帆さん」
理沙と梨華子がそれぞれ行儀よく美帆に頭を下げる。
「ふん、まあ確かに久しぶりね小娘、元気にしていたかしら?」
「おうおうアールグレイは相変わらずだなぁ」
不敵に笑うアールグレイ二世に対し、鈴がからからと笑う。
美帆はそんな四人の囲んでいるテーブルに、中央に来るようについた。
「本当に久しぶりですねみなさん。それにしてもわざわざ熊本までご苦労さまです」
「いや何、大洗学園艦が熊本の近くによったからな。そしたら美帆もチームの遠征で熊本に来てるって言うじゃねぇか。だったら会いにこないわけにはいかねぇよなぁ理沙」
「ええそうですわね。美帆さんに会えるのならこれぐらいなんてことないですわ」
「私は黒森峰だからもともと熊本の近くにいることが多いですからね」
「なるほど、皆さんありがとうございます。それで、アールグレイさんは……」
「わ、私は確かにちょっと学園艦は遠かったですけど久々に小憎たらしい小娘がプロの荒波に揉まれて憔悴してるんじゃないかと思ってその無様な顔を見てやろうと思っただけよ! べ、別に心配してたとかまた会いたかったとかそんなんじゃないのよ!?」
「ふふっ、はい、そういうことにしておきます」
美帆は明らかに狼狽しているアールグレイ二世に対し苦笑いをしながら言った。
そうしながら、美帆はテーブルの上に置いてあったメニュー表を取る。
「あ、すいませんまほさん。この店長のおすすめカレーください」
「ああ、わかった。他のみんなはどうする?」
「そうだな。それじゃあ……」
そうして美帆を皮切りに、それぞれが続々とメニューから好きなカレーを選ぶ少女達。
まほは注文を受けると素早く頼まれた料理を作り、美帆達に出す。
「お待たせしました」
美帆達の前に様々なカレーが置かれる。
「わぁ! 美味しそうです!」
「そうですわねぇ。うちではあんまり食べないから、とても新鮮に見えますわ」
「へっ、ブルジョワが。アールグレイのところでもあんまりカレーは食べなさそうだなー」
「そうでもないわよ。イギリスはカレーの本場の一つでしょう?」
「なるほど……」
そして五人はカレーを食べながら談笑を楽しむ。
「いやあそれにしても美帆、最近CMとかにいっぱい出てるじゃねーか。もうすっかり芸能人だなぁええ?」
「うう……やめてください。恥ずかしいんですよあれ。チームとしての仕事だから断ることもできませんし……」
「あらそうなの? 私には小娘も結構楽しんでいるように見えたけど? ほら、ちょうどテレビでやってるわよ?」
『戦車の中は汗臭い? そんなときは! この強力消臭剤ファイブマン!』
「うわああああああああああ! や、やめてくださいいいいいいい! まほさん! チャンネル変えてくださいいいいいいいい!」
「ふふっ、いいじゃないか。私は好きだぞ、東さんの出てるCM」
「そ、そんなぁ……」
「ふふふっ」
「あ、理沙今凄く堂々と笑いましたね。そんな理沙はどうなんですか最近の成績は。もちろん勉強ですよ?」
「えっ? えっとー、それはその……わ、わたくし! ほ、補習は三回に一回ぐらいにはなりましてよ!?」
「偉ぶることじゃないだろそれ……」
このように、五人とその談笑を聞いていたまほは楽しく語らい合った。
そして、五人は食事を終えてもなお話に花を咲かせた。
そうしていたときだった。
「お、テレビ見ろよ。そろそろ始まるぞ」
鈴が言ったことによって、五人とまほは店に据え置かれているテレビに目を向ける。
テレビに映っているのは、古ぼけた都市区画に居並ぶ戦車の姿だった。それは、戦車道の試合だった。テロップで『大阪レジスタンス対電撃ジャッカーズ』と表示されていた。
「レジスタンスとジャッカーズね。ジャッカーズはもちろん知っているでしょう? 我が聖グロリアーナ出身にして依然としてティーネームを名乗ることを許されている大ダージリン様の指揮するチームよ」
アールグレイ二世が鼻を高くしながら言う。
「それと、サンダース出身のケイさんですわね」
理沙が補足するように言う。
「そして、大阪レジスタンスの隊長は、かつて大洗の黄金時代を築き上げたという、あの……」
「澤梓だ」
梨華子の言葉に、まほが割って入るように言った。
六人はまじまじと画面を見つめた。
試合は、今まさに始まろうとしていた。
◇◆◇◆◇
「……なかなかに難しい試合ですね」
美帆が息を呑みながら言う。
テレビ画面には、上空や各地の定点カメラによって激しい戦車戦の姿が映し出されていた。
状況は、序盤から苛烈だった。
まず、ジャッカーズが電撃戦をしかけ足並みを揃え進行しているレジスタンスの車両に攻撃をしかけた。
その手並みの鮮やかさは、さすがダージリンであるとまほは言った。
だが、レジスタンスはその攻撃に動揺することなく、落ち着いて反撃を行った。
その開幕の戦いにおいて、お互いにそれなりの数の戦車を消耗。
それから後は、お互い複雑な都市区画において建物を盾にしながらの遠方からの射撃戦が行われていた。
試合は若干の膠着状態へと移行していた。
「さて若き戦車乗りの諸君。君達はこの試合の今後の展開をどう見る?」
試合に集中していた五人に、まほがニヤリと笑みを作りながら聞いた。
「うーん……現状だと、若干ジャッカーズが優勢じゃねーか? ジャッカーズは都市区画の有効なポイントを抑えてる。一方のレジスタンスは、互角に渡り合ってるように見えてジャッカーズに押し込められているように見えるな」
「そうね。このままの状況が続けば、レジスタンスはジリ貧と言ったところかしら。さすが大ダージリン様だわ!」
鈴とアールグレイ二世が言う。
しかし、それに対し、梨華子が首を振るう。
「いや、でもジャッカーズも攻め手を欠いているように思えるな。それに、ジャッカーズの得意戦法である広い場所での行進間射撃による翻弄作戦に持ち込めてないのはきついよ。それに対し、都市戦はレジスタンスの隊長澤梓さんの得意とするところ。これはまだ状況はわからないと思う」
「わたくしもそう思いますわね。攻め手を欠いているのはどちらにも言えること。これは長期戦になるのではないのかしら」
梨華子に続き、理沙が言う。
「えーこの状況は明らかにジャッカーズ優勢だろ。大局的に考えて、ここからの状況はゆっくりと傾いていく形じゃないか?」
「うーん、鈴ちゃんにしては局所的なものの見方だと思うなぁ。いや、ある意味近接戦が得意な鈴ちゃんらしいか。でも、やっぱり現状は互角じゃないかな。鈴ちゃんはレジスタンスの都市戦の上手さを理解してないんだよ」
「まあ、幼馴染相手ということもあるのかなかなか言うのね黒森峰の隊長さんは。ま、私は大ダージリン様が負けるとは思ってませんから。……まあ大ダージリン様への信頼抜きにしても、この状況はジャッカーズ有利だとは思うのだけれどね。私だったらレジスタンス側の状況に追い込まれたら防衛に寄って体制を立て直すわ」
「意外と堅実に考えますわよね、アールグレイさんは。でもジャッカーズが防衛に回ったとしたら、レジスタンスもやりづらいとは思いますわね。そういう意味も込めてやはりこの試合、長期戦になるのではなくて?」
テーブルの上では主にジャッカーズ有利という意見とレジスタンスとジャッカーズは互角という意見に割れていた。
その中で、美帆だけは口元に手を当てながら、い入るように画面を見つめて黙っていた。
「……さて、意見が二分されているここでずっと黙って画面を見ている東さんの意見が聞きたいね」
まほが美帆に意見を促す。
すると、美帆は静かに口を開いて言った。
「……私は、レジスタンス有利だと思います」
「……ほう」
まほがニヤリと笑う。だが、その発言にまほ以外の他の四人は驚いた。
「ええ!? そりゃないだろー!」
「そうですよ、互角かなーとは思いますけどレジスタンスが有利とは……」
「ふっ、小娘の目も曇ったものね」
「わたくしも、それはないかと……」
四人がそれぞれ否定の言葉を上げる。だが、美帆はゆっくりと頭を振った。
「ううん。私はやっぱりレジスタンス有利だと思うんです。多分そろそろわかりやすくハイライトが出ることだと思うんですが――あ、ほら出てきました。みんな画面を見てみてください」
その場にいる六人全員が画面を見る。画面には、上空からの総括的な戦場マップと、戦車の位置が映し出されていた。
戦車は互いに都市区画の入り組んだ地形に入り込んでいた。
「うん? どういうことですの? わたくしにはやっぱり互角にしか――」
「いいから。ほら、ジャッカーズとレジスタンスの位置関係、よく見てください」
理沙の言葉に、美帆が指を指しながら言う。
「えっ? えっと……あ……ああーっ!?」
「あら……? あっ……これってもしかして……!?」
それに気づいたのは、梨華子とアールグレイ二世だった。
「お、おいどうしたんだよ二人共」
「どうしたじゃないよ鈴ちゃん! よく見て! まずジャッカーズの位置!」
「え? えーっと、都市の中央部付近に僅かにだが近いな……」
「それと、レジスタンスの位置!」
「うーんと、都市の外周側……あっ、ああああっ!?」
「さすが名門校の隊長の集まり、気づいたようだね」
声を上げる鈴達に、まほは笑みを保ちつつ言う。
「そうなんです。状況が膠着しているように思えて、レジスタンスは少しずつ都市から脱出しようとしているんです。それに対し、ジャッカーズは都市の内部に誘導されています」
「で、でも、都市にいたほうが防御しやすいんじゃ……」
理沙が言う。それに対し、まほが「そうだね」と相づちをうった。
「でもね弐瓶さん。それは都市防衛に有用な数の戦車があった場合だ。だが、開幕の射撃戦でジャッカーズは戦車を消耗している上に、得意戦術が広い場所での行進間射撃であるため、真逆の状況に追い詰められている。それに対し、レジスタンスは都市戦に慣れている上に、今まさにジャッカーズの側面、背面をつく準備をしている。前線の戦車を集中させて対面する戦車の数を多く見せようとしているのがその証拠さ。つまり、このままいけば――」
「ジャッカーズは、レジスタンスの少数精鋭に側面、背面をつかれます。まるで、複雑な網目を伝う水のように」
そして、試合は美帆とまほの言う通りに進んだ。ジャッカーズも途中でそのレジスタンスの作戦に気づいたのか、戦車を後退させ始めたが遅かった。
レジスタンスの戦車が少数で既に都市の横合いから入り込んでおり、ジャッカーズの戦車は側面から打撃を受けた。
そこから、試合の形成は一気にレジスタンスに傾いた。ジャッカーズは都市中央に集まるように結集し防御陣形を取る。
そこからジャッカーズも怒涛の反撃を見せるも、一度つけられた優劣を覆すことはできず、試合はレジスタンスの勝利に終わった。
「おおー……」
鈴が感嘆の声を上げた。他の面子は声すら失っているようだった。
「すごい試合だったね……」
「ええ、これがプロなのですわね……」
「だ、大ダージリン様はちょっと調子が悪かっただけよ! 平地ならこうはいかなかったわ!」
それぞれがそれぞれの感想を言うなか、美帆は一人テレビを食い入るように見ていた。
そこに映っていたのは、ヒロインインタビューに答える梓の姿だった。
『いやー澤隊長、今回の戦い見事でした』
『いえ、途中まではかなり危なかったです。作戦もいつ見破られるかヒヤヒヤしていました』
『なるほど、では今回の作戦が成功したのはなぜでしょうか?』
『ジャッカーズよりもこちらが都市戦に一日の長があった……からですかね。あとは、時の運だと思います。ダージリンさんは私よりもずっと経験も戦略も優れていると思っているので、いつ看破されてもおかしくなかったですから』
テレビの画面に向かって苦笑いする梓に、美帆は鋭い視線を向けた。
その美帆の肩を、まほがぽんと叩いた。
「力、入っているよ東さん」
「あ、すいませんまほさん……」
「やはり、気になるかい、同じプロとして」
「はい、あの状況にもっていった澤さんは凄かったですし、私達と違って敵の戦車の配置が完全に分からないにもかかわらずあの段階で澤さんの作戦に気づいたダージリンさんも凄くて……やはり、プロの世界は厳しいと改めて思いました」
「そうだな。私も、現役時代はあの二人……いや、あの二人だけじゃない。他にも活躍している数多くの選手達に苦しめられてきた」
「はい……」
「それでも……戦うしかない。そうだろう?」
「……はい……!」
美帆は手をぎゅっと握り、確かな声でまほに答えた。
まほは、その美帆の返答に満足したように笑みを見せ、ぽんぽんと肩を叩いてカウンターに戻っていった。
「まあ、力を抜くといいさ。肩肘張っていては、出せる実力も出せなくなるからね」
そう言うと、まほはカウンターからジュースの入ったグラスを人数分用意し、五人に配った。
「どうぞ、これを飲んでみんなリラックスしながら感想戦でもするといい。ここは、そういう客は大歓迎だからね」
『……はい!』
まほの言葉に、店に来ていた五人は笑顔で一斉に答えた。
それから、五人は夜が更けるまでその日の試合について話し合っていた……。
◇◆◇◆◇
「……ただいま戻りました」
「おかりなさい、美帆」
美帆は家に帰ると、ぐったりとソファーにうつ伏せになった。
その美帆の頭を、ちょうどそのソファーに座っていた逸見エリカは頭を撫でる。
「どう? 鈴達と久々に会って楽しかった? ……その様子だと、大分疲れているようだけど」
「……はい。かなり戦車道トークに熱が入ってしまいまして」
「そうなの。そういえば今日は梓とダージリンの試合だったわね」
「はい……」
美帆はソファーに顔を埋めたまま答える。その頭をやはりエリカは撫で続ける。
「……エリカさん」
「ん?」
「私、頑張ります。頑張って、プロで戦います」
「……そう」
エリカは深くは聞かなかった。聞く必要はなかった。そのやり取りだけで、エリカは美帆の心に湧いた覚悟を理解したのだから。
「でも、無茶はしないでね? あなたが私のために頑張ってくれるのは嬉しいけど、下手に無茶して私の二の舞にはなってほしくないから」
エリカは、そっと自分の見えない目を触れながら言った。
「……はい」
美帆はゆっくりソファーから起き上がる。
そして、エリカの横に座ると、そっと頭をエリカの肩に乗せた。
「エリカさん……」
「うん」
「大好きです……」
「ええ、私もよ。美帆」
二人にそれ以上の言葉はいらなかった。
それから、ずっと二人はそうし続けていた。
そんな二人を見守るのは、空に浮かんだ月だけだった……。