「…………」
日も沈んできた頃、東美帆は今、無言で一人、戦車の整備をしていた。
その顔は笑顔であったが、何もしゃべらないことと、その笑顔が妙に張り付いたような笑顔であった。
そのせいか、周囲にいる他の大洗の生徒達も、声を掛けられずにいる。
「……ねぇ、美帆」
その中から、白杖をつきながら現れたのは逸見エリカである。
エリカは美帆を見て――エリカの目に見えるのは美帆だけなので当然なのだが――ついに我慢することができずに口を開いたのだ。
「おっすげぇ! 逸見先生あの状態の美帆に話しかけたぞ!」
「わたくし達にはとてもできませんわ……さすがエリカ先生」
そう言うのは、美帆のチームメイトである百華鈴と弐瓶理沙である。
二人とも、今の状態の美帆を見ていることしかできなかったのだ。それゆえ、率先して話しかけたエリカに感心を覚えている。
「はい、なんでしょうかエリカさん!」
美帆は笑顔のまま振り返りエリカに答えた。表情は一切変わらない。そのことが逆に、チームメイト達を戦慄させる。
「美帆、もう少し冷静になったら?」
「冷静? 私は冷静ですよ? もうやだなぁ何を言ってるんですかエリカさん。はははは」
エリカの言葉に、美帆は笑い声を上げて応えるも、その様子はエリカから見ればどう見ても冷静ではなかった。
美帆は明らかに怒っていた。そんな彼女の笑い声で、聞いていた鈴と理沙がビクリと体を震わせるほどだった。
「……はぁ」
エリカは頭を抱えため息をつく。
そして、どうして美帆がこんな風になってしまったのかを、今一度思い出すのであった。
◇◆◇◆◇
時はその日の昼に遡る。
その日は、大洗女子学園と聖グロリアーナ女学院との合同訓練の日だった。
それぞれ環境の違う学校同士が一緒に訓練をすることにより、お互いに高め合うことが目的だ。
訓練は午前中に盛大に行われた。
それぞれがそれぞれの戦車を操り、用意された課題をこなしていく。
その過程で、大洗の生徒と聖グロリアーナの生徒は交流を重ねていった。その姿はとても微笑ましいものだった。
学園艦はそれぞれの文化が独自に発展しているため、他校同士の交流は一種の異文化コミュニケーションのようなものになる。
そのため、大洗も聖グロリアーナも、様々な驚きを持ちながらも楽しく交流していくのだ。
「あら、また会いましたわね小娘!」
そんな中で、一際響き渡る声が演習場に轟いた。
その声の主が呼んだ小娘という言葉が向けられていたのは、美帆だった。
「だから私のほうが年上だって言っているじゃないですか……相変わらず聞く気はないですね、アールグレイさん……」
アールグレイと呼ばれた少女は、長い金髪を靡かせながらふんと紅茶を飲みながらしたり顔をする。
「アールグレイ様、あるいは二世様とお呼びなさい。私は先代アールグレイ、つまりお母様からアールグレイの名を譲り受け、一年からこの聖グロリアーナの隊長を任されている者。その私に敗北は許されないの。その私に偶然とはいえ土をつけた私にとって、あなたはにっくき小娘なのよ」
「はいはい……わかりましたから早く訓練を進めましょう。隊長同士で話してばかりだと示しがつきませんよ」
美帆は呆れた様子で言う。
かつて、美帆は全国大会で聖グロリアーナとあたり、勝利した。そのときの隊長がアールグレイだった。
アールグレイは一年の身でありながら隊長を任せられるほど優秀な隊長であったが、あえなく美帆に敗北した。
その日から、アールグレイは美帆に執着するようになったのだ。
二人は話をそこまでにして共に訓練を行った。
その訓練の内容は、さすが隊長同士なだけあって見事なものであった。
隊長である美帆とアールグレイが会話を早々に切り上げ訓練に入ったことから、他の隊員もおしゃべりを止め訓練に入る。
しかし、少女達はもっと他校の生徒と喋ってみたいと思うものが多かった。
昼はそんな交流のために時間がとられた。戦車道漬けもいいが、彼女たちも華の女子高生である。様々な話に花を咲かせたいというのも当然だった。
一番の山場である全国大会も過ぎているため、そのような時間を取ることのできる余裕があるというのもあった。
エリカはその様子を耳で聞いて楽しんでいた。
わいわいと少女達が楽しげな声を上げる。
その声を聞いているだけで、エリカは幸せな気分になれた。
「うおっ!? うめぇ!? 紅茶ってこんな美味しいものなのか!?」
「もう鈴ったら、品がなさすぎですよ……まあでもそう言いたくなる美味しさですよね」
「ええ……こんな紅茶を用意してくれた聖グロのみなさんには感謝しなくてはいけませんわね」
美帆達もかなり楽しんでいるようだった。
エリカは自分の学生時代を思い出す。
――思えば、私の学生時代は他校との交流が少なかったのかもしれない。今になって昔のライバル達と交流をしているけれど、もっと当時から交流しておけばよかったかな。ちょっと後悔。
そんなことを考えているときだった。
突然ガチャン! という大きな音が聞こえてきたのだ。
何事かと思うと、美帆がいつの間にかテーブルに両手を叩きつけて立ち上がっていた。
「な、何事……?」
エリカは狼狽しながら唯一見ることのできる美帆の顔を伺う。
その美帆の顔は、エリカが見たこともないぐらいに無表情と言えるものだった。
美帆の前方には、エリカと同じく狼狽したアールグレイがいたのだが、その姿は残念ながら見えず、後からその様子を教えてもらうことになった。
「……なるほど、そうですかそうですか」
美帆の冷たい声が響き渡る。
そして次の瞬間、美帆はぱっと笑顔になった。張り付いたような氷の笑顔だ。
「はい、分かりました。だったらこうしましょう。来週、タンカスロンで勝負です。そこで白黒はっきりつけましょう」
「……え、ええ! いいですとも! こちらこそ願ったり叶ったりだわ!」
美帆に気圧されながらもアールグレイが応える。
エリカがわけも分からずに聞いていると、こっそりと誰かが近づいてくる音がした。
「あー逸見先生……」
その声は鈴だった。
「す、鈴。何が起こったの? さっきまで和気あいあいとして話してたわよね?」
エリカは鈴に何が起こったのかを聞く。一番近くで聞いていた人間がこうしてやってきたということは、そのことを説明しに来てくれたのだと思ったからだ。
その通りだったのか、鈴は小さな声で話し始める。
「それなんだがよ……アールグレイのやつ、うっかり逸見先生のことディスっちまって……」
「私のことを?」
「ああ……戦車論のことで熱くなってさ、そのときついうっかりアールグレイが『こちらの教官のほうがずっと実績と名声をもっていてよ!』ってな……それを美帆のやつ、逸見先生を馬鹿にされたように感じたらしくて……」
「な、なるほど……美帆もそれぐらいスルーすればいいのに……」
エリカがそう言うと、鈴は「だよなぁ……」と共感するようにため息をついた。
「でも、美帆ってすぐ先生のことでカっとなる節があるからよ。今までもそんなことあったけど、今回は別の学校の人間に言われたってのが来たんだろうなぁ……はぁ、付き合わされるこっちの気持ちにもなってもらいたいぜ……」
鈴はそこでまた「はぁ……」とため息がついた。
エリカは鈴が意外と美帆のことで苦労しているのだなということを思った。
「まぁなんというか……頑張ってね」
「おう……でもよ、逸見先生も大変じゃね?」
「え? 私は別に――」
「だって、あの状態の美帆と一週間いるんだろ?」
「……あ」
エリカはそのことに気づき、静かに肩を落とした。
そして、エリカと鈴はお互いにお互いの苦労を思い、ぽんぽんと肩を叩きあったのであった。
◇◆◇◆◇
「…………」
「…………」
その日の夕食は、お互い無言だった。
普段なら美帆かエリカが何か話題を提供して雑談をしながら食べるのだが、その日に限っては互いに言葉を発しなかった。
エリカは美帆の顔を伺う。美帆は相変わらずの張り付いたような笑顔だった。
その顔がどうにもエリカに気まずい思いをさせていた。
何をきりだそうかとエリカは考える。とりあえず、普段のように話しかければいいのだろうか? と悩むも、そもそも普段はどんなことを話していたのか、それ以前に普段通りの会話ができるのかという悩みに見舞われ、口を開くことができなかった。
「……きょ、今日の料理美味しいわね!」
それがエリカの捻り出せた話題だった。
その日の料理は、焼き魚と味噌汁という実に和風な内容だった。
「ありがとうございます」
「えっ、ええ……」
「…………」
「…………」
そこで話題が切れてしまった。
――ああこれ、話題続かないわ。
エリカは心の中でそう思った。
もうどうすればいいのかエリカには分からなかった。美帆と喧嘩したわけでもないのに、こういった重い雰囲気になることは殆どなかったからだ。
普段ならエリカが一喝すればいい話でもあった。
だが今回は、美帆が自分のことで怒っているということであり、なかなか言い出せない部分があった。
「……エリカさん」
「ん!? な、何かしら!?」
突然美帆のほうから話題が振られ、エリカは動揺する。
しかし、美帆はというと落ち着いて茶碗を置いてから一言、
「……私、頑張りますからね」
とだけ言った。
「……ええ」
エリカはその一言に諦めたように頷いた。
それはこの重苦しい空気があと一週間は続くことに対する諦めだったが、だが、同時にその言葉から美帆が自分のことを思ってここまで怒ってくれていることへの嬉しさも、わずかにだがあった。
――まぁ、たまにはやりたいようにやらせてみるのもいいか。
エリカは諦観の中でそう思った。
一週間ぐらいは我慢しよう。それで美帆の気が晴れるのなら。
エリカはそんな考えを頭の中に浮かべながら、味噌汁をずずずっと啜った。
「……うん、美味しい」
料理の味は、いつもと同じように美味しかった。
◇◆◇◆◇
一週間後。
美帆とアールグレイは本土の大洗の近くにある戦車道演習場で戦車を背にし向かい合っていた。
そこは大洗が戦車道で優勝したあとに作られた演習場で、指定したのは美帆であった。
「それではアールグレイさん、今日は全力でやりあいましょうね」
「ええ。きっかけはともかく、あなたとこうして再び戦うことを嬉しく思いますわ、小娘」
アールグレイは毅然とした雰囲気を保ちつついった。
二人の背後には五両の戦車とその搭乗員が経っていた。
聖グロリアーナ側は、Mk.ⅤⅡテトラーク軽戦車で統一されていた。
一方の大洗側は、九八式軽戦車、CV33、T―26、Ⅱ号戦車、ルノーR35と国籍がバラバラの統一感のない車両だった。
搭乗員はそれぞれ前日の合同訓練で見た顔がいた。それがお互いのベストメンバーだった。その証拠に、大洗側には副隊長である鈴と、分隊長である理沙がいた。
二つの陣営が互いに互いの戦車を見比べるように見合っていた。
その間に、二人の人影が立っていた。
「さて、そろそろ開幕ですね、先生!」
「そうね……ところで、何故あなたがいるのかしら、梨華子」
一人はエリカ、そしてもうひとりは、黒森峰の隊長である、渥美梨華子だった。
「いやー偶然美帆さんから今回の話を聞いて、こんな面白そうなこと見ないわけにはいかないなーと、先生もいるでしょうし見たいなーと思ったら偶然黒森峰の学園艦が近くの港に寄港すると聞くじゃないですか。これはもう見ろということだと思いまして!」
「近くって結構離れてる場所だった気が……いやいいわ。それにしても、あなたも随分といい性格してるわね梨華子」
「いいえー美帆さんほどじゃないですよ先生」
梨華子は笑って言った。
エリカもそれに笑って応える。
「それもそうね。……それにしても、その先生って言うの、まだ言ってるのね。私は別に黒森峰の教官ってわけじゃないのに」
「いえ、先生は先生ですよ! 何回か黒森峰に来てくれたときに、先生から色々教えてもらいましたからね。私にとっては偉大な先生です」
「はぁ、まったく……それじゃあ梨華子、今回の審判は私に任せるわ。私の目が見えていたら私がやるんだけど、あいにくと……ね」
エリカは梨華子の肩を叩きながら言う。梨華子はそれに「はい!」と満面の笑みで答えた。
そこでエリカはなぜか美帆の視線を感じたが、梨華子が来ていて気になっているのだろうということで片付けることにした。
「ま、タンカスロンで審判することなんてないでしょうけどね。ぶっちゃけ、なんでもありだから。……って、あなたに言うのも釈迦に説法か。賞金稼ぎさん」
「あ、あはは……何のことだか……あ! そろそろ始めたいので、私達は移動しましょう。先生」
話を逸らすように梨華子はエリカを客席に案内した。
エリカは知っていた。梨華子が真面目な振りをして時折タンカスロンで小遣いを稼いでいることを。
梨華子本人はそのことを秘密にしたいようだったが、わりと公然の秘密となっていることを。
そんなことをしているうちに、大洗側と聖グロリアーナ側それぞれが戦車に搭乗し、それぞれ位置につく。
完全に準備が整った。
そのことを確認した梨華子は、
「それでは……始め!」
とマイク越しに言いながら、合図の照明弾を打ち上げた。
◇◆◇◆◇
はじめに動いたのは聖グロリアーナ側だった。
聖グロリアーナは大洗の戦車を探すように横隊を組んで進軍していた。
「さて……どこにどんな風に手を回しているのかしら、小娘」
アールグレイはニヤリと笑みを浮かべながら言う。
アールグレイとしては、まず相手の数を減らしたいと考えていた。美帆の戦術は、良くも悪くも戦車の足と火力を活かした電撃戦が多かった。しかし、タンカスロンではそれが使えない。それは美帆の用意した戦車を見ても分かることだった。
ならば、何か別の奇策を取ってくるはず。そう考えたアールグレイは、まず何よりも相手の戦車を減らし、策を封じようと考えたのだ。
と、そんな風に考えているうちに、さっそく相手の車両を見つけた。
「アールグレイ様見つけました! 敵のルノーとCV33です!」
そこにはルノーとCV33が、平原の上でぽつりと待機していた。
アールグレイは訝しむ。
――なぜこんなところに、とりわけ弱い車両が? 相手の出方を伺うべきだろうか?
そう考えつつも、アールグレイは、
「全車、攻撃態勢!」
と攻撃することを選択した。
まずこの二台で何ができるというのか、何かしかけてくる前に潰さなければ、と考えた結果だった。
テトラークが砲撃する。それを間一髪で避ける大洗のルノーとCV33。
そのときだった。
大洗側の二車両がそれぞれハッチを開け、中の搭乗員が上半身を出してきたのだ。そのうちの一人、CV33から頭を出しているのは理沙だった。その手に握られていたのは、
「……ガーラント?」
M1ガーラント。
アメリカ合衆国で第二次世界大戦に使われた半自動小銃である。その先には、何やらでっぱりが出来ていた。
それは見るに恐らく、擲弾だった。
ガーラントを持った搭乗員はその銃先をテトラークに向けたかと思うと、そのまま擲弾を発射してきた。
「アールグレイ様!」
「落ち着きなさい! あの程度の擲弾では戦車はやられません!」
確かにそのとおりだった。小銃に装着できる擲弾では戦車相手は心もとない。
だが――
「これ……ガスグレネード?」
「ごほっ! ごほっ! アールグレイ様!」
テトラーク横隊を包み込んだガスは、聖グロリアーナの搭乗員に多大な影響を与えた。
具体的には、涙と鼻水が止まらなくなったのだ。
「げほっ! な、何なのこれは!」
動揺する聖グロリアーナ。
そこを、大洗は見逃さなかった。
先程まで回避行動を取っていた二両が、突如聖グロリアーナの横隊を横切るように突っ込んできた。
そして、ガスの中通り抜けざまに聖グロリアーナの車両を二台沈めた。
「なっ!?」
アールグレイは涙を浮かべながらも困惑する。
ルノーはともかくCV33には戦車を撃破する武装が付いている様子はなかった。なのに二両やられたということは、ルノーだけでなくCV33にもなんらかの兵装があるということだった。
ルノーとCV33は一撃離脱が目的だったのか、すぐさま後退していく。
「お、追いますわよ! このガスの中にいては良い的だわ!」
アールグレイの指示によって、ガスによって一時動きを止めていたテトラーク隊が動き出す。
大洗の二両は、既に演習場の山岳地帯に向かっているところだった。
「おっ、上手くやったなぁあの二両」
山岳地帯の頂上で、九八式軽戦車から上半身を出した鈴が言った。
彼女は双眼鏡がことのすべてを観察していた。
「カラシに胡椒、ワサビにニンニクにタマネギ、極めつけのマスタード……とにかく目鼻に染みそうなものを混ぜ込んだ、文字通りのマスタードガス、効いてるねぇ」
「あの、副隊長……」
「ん? なんだ?」
その鈴に、同じ戦車に乗っている搭乗員――彼女は一年生だった――が怖ず怖ずと聞く。
「あれってありなんでしょうか……私、タンカスロンってやったことないですけど戦車道的には駄目ですよね……?」
「ん? ああそうだな。戦車道的にはダメだ。でもタンカスロンならアリなんじゃねーの? 私もよく知らないけどさ」
「そ、そうなんでしょうか……?」
一年生は不安そうな表情をする。その一年生に、鈴はさらに応える。
「まあCV33に積んでるアレってアリなのかなーとは俺も思うけどよ、まあ審判がノーって言ってないから大丈夫だろ」
「そういうものでしょうか……」
「そういうもんだろ」
「はぁ……それにしても、なんだからしくないですよね」
一年生が疑問を口にする。鈴は双眼鏡を除きながらも、
「ん? らしくないって?」
と疑問に疑問で返した。
「いえ、今回の作戦、いつもは正々堂々とした東隊長らしくないなって……」
そう言うと、鈴は軽く笑った。
「ははっ、なんだそんなことか。……これがなぁ、あいつの素に近かったりするんだよ」
「素、ですか?」
分かっていないという様子の一年生に、鈴は説明を始める。
「ああ。そうだな……お前、カードゲームってやる?」
「え? ええまあ……」
「なら話早いわ。あいつ、カードゲームだとパーミッション大好きってタイプだから」
パーミッションとは、とにかく相手の行動を妨害し相手に何もさせずに勝つという戦い方である。
カードゲームでは一方的に何もできなくなることがあるため、嫌われる傾向がある戦い方だ。
「あの東隊長が……」
「そ。いやーひどかったよ。俺あんまりあいつとやりたくねぇもん。それにあいつ、パーミッション主体にはするけどガチなときはそのときに一番流行ってるいやらしいデッキ作ってくるしよぉ……あとはそうだな、お前カードゲームが分かるってことは多分TRPGも分かるよな?」
「え? まあ……」
テーブルトークロールプレイングゲーム、通称TRPG。
机上の上でサイコロや紙を使い、主にプレイヤー同士の対話でゲームを進めていく、対話型のロールプレイングゲームである。
「ははっ、お前ゲーマーだなぁ。まあそのTRPGも俺はあいつとやりたくねぇんだよなぁ。特に私がゲームマスターするときは。だってあいつ、重箱の隅つつくみたいに細かいこと聞いてはこっちの予想してないセコいプレイばっかしてくんだから。いや予想してないこっちも悪いっちゃ悪いんだが、あいつがいると胃に悪くて」
「へぇ……」
一年生が知らなかったと言うように言葉を漏らす。
「ま、つまりだ、面倒な戦い方があいつの素に近いってこっちゃな。逆に普段の戦車道はあいつらしくないというか……おっ、山岳地帯に入ったな」
それを確認すると、鈴は喉頭マイクの電源を入れ喋った。
「こちら観測班。目標は地点Bへと作戦通り入った。オーバー」
すると、マイク越しから美帆の声がする。
『了解。予定通り作戦の第二段階に移行します。……それでは皆さん、ハンティングの時間です』
そこで通信が切れた。
その通信が終わった後、鈴はニヤリとした笑みを一年に向けた。
「……聞いたか? ハンティング、だってよ」
「え、ええ……」
「俺、ノってるときのあいつのああいうとこは好きだぜ。後で言うと必ず恥ずかしがるんだもん、クククっ!」
鈴はそれはそれは悪そうな笑みを浮かべると、戦車の中に戻り、山頂から移動を始めた。
「……まずいですわね」
アールグレイは焦っていた。
山岳地帯を進軍していって、だんだんと道が細くなっているのに危機感を覚え始めたのだ。
「もしここで奇襲されるようなことがあれば、避けることができないわ……まんまと嵌められたわね」
「どうします、アールグレイ様?」
「……いいえ、進軍しましょう。条件が悪いのは相手も同じこと。それに、この細道ならば奇襲する手段も限られるといったもの。ならば、逆に待ち構えて先手を取ります」
アールグレイはあえて迎え撃つ方針を取った。
引き返しまた策を練り直すという手もあったが、そこで逆に待ち構えられている可能性を考慮したからだ。
アールグレイ率いる戦車隊は、慎重に細道を登っていく。
そのときだった。
「っ!? アールグレイ様! 上!」
後方にいたテトラークに乗っている搭乗員が、とあるものを見つけた。
それは、今にも落ちてきそうな岩と、それを押し出そうとしている九八式軽戦車の姿だった。
「なっ!? 前方二車両は速度を上げなさい! 後続一車両は後退!」
アールグレイは咄嗟に指示を出す。
それが岩石を避ける最善の策と考えたからだ。
アールグレイの目論見通り、岩石は戦車間に空いた空間を掠めていった。ほっと旨をなでおろす一行。だが――
ガラガラガラッ!
「なっ!?」
その落石により、前方二車両と後方一車両を隔てる細道が崩れてしまったのだ。
つまり、戦車隊は分断されたことになる。
「ど、どうしましょうアールグレイ様……」
「仕方ないわね……私達はこのまま前進します。後方の車両については、後退し別の道を探しなさい」
アールグレイの指示により、後方車両は後退を始めた。
そして、アールグレイを先頭とした二車両は前進する。
そしてそのまましばらく前進すると、アールグレイ達は、今度は山の向こうにある森林地帯へと到達した。
「さて、進むべきか、どうするか……」
アールグレイは思案する。
森の中もきっと敵の罠が仕掛けられているに違いない。
それをわかっていて進むのは危険性が高すぎた。
『……アールグレイ様!』
そのとき、後退していた車両から連絡が入った。
「どうしたの!」
『待ち伏せされていました……相手のT―26です! 撃破されました!』
「くっ、やはりか……!」
アールグレイは膝に握りこぶしを叩きつける。
完全に相手の術中に嵌められていることを理解した。
『相手はそちらに向かっています。遠回りになりますが、そちらに行くルートを取るようです』
「わかったわ……となると、このままここにいても相手の良い的になるでしょうね。ここは一か八か、森の中に進みますわよ。恐らく相手はこちらを挟み込もうと動いているはず。活を見出すには、先にどちらかを叩く必要があります。そして、後方にいるのは恐らくT―26と九八式と二両は確定しているわ。相手はさらにもう一台用意して、三両で後退する私達を待ち受けているかもしれない。なら、森の木々に紛れて待ち構えていたほうが生存率は僅かにだが上がりますわ。もちろん、相手がルノーとCV33、そしてⅡ号で待ち構えている可能性もあり、普通に考えたら後退のほうがまだ戦えますが……相手がこちらの戦法をセオリー通りに取っていると考えていることに賭けます。いきますわよ!」
そうしてアールグレイは森の中に進軍した。
森の中は木々によって戦車の方向性が定められ、うまく進軍することができない。
その中を、アールグレイ達は後方に注意しながら進むことにした。
そうしてしばらく進んだところだった。
『ほう……あえて後退せずに森の中に進んで来ましたか。悪くない判断です』
前方から無線で声が聞こえてきた。
そこにいたのは――
「いましたわね……小娘!」
Ⅱ号から上半身を出している、美帆だった。そこにはⅡ号一台しかなかった。
『ふむ、こちらとしては安全策を取りあなた達が後退すると読んだのですが、読みがはずれましたか』
「ふふっ、お生憎様! さあ覚悟しなさい! 小娘!」
アールグレイは一緒についてきた車両に指示を出し、美帆を狙う。
構図としては二体一、ここで指揮官の車両を潰せればまだ勝利の芽はあるとアールグレイは思った。
だが――
『おっと、油断大敵ですよ』
美帆がニヤリと笑うと、アールグレイの後ろの車両が白旗を上げた。
そこには、高速で森の中をかいくぐって接近してくるCV33の姿があった。
そこから上半身を出している理沙の手に握られていたのは、
「なっ、パンツァーファウスト……!?」
パンツァーファウスト。
第二次世界大戦においてドイツが開発した、個人でも携行できる対戦車擲弾発射装置。
戦車道では決して目にかかれない代物だ。
「うちの強さって、なんだと思う?」
その光景を遠くから観測していた鈴が一年生に聞く。
「はい? えーと、いろんな戦車がある、ということでしょうか……?」
「半分正解。うちの強さはな、ロールプレイをしないってことなんだよ。他の学校はどこかのお国のロールプレイをしてる。だから使う武器や戦車が限られる。でもうちはロールプレイしないからそこら辺自由なんだ。国籍に縛られないってことは、それだけ自由な編成が可能になるってことになる。それは通常の戦車道もそうだが、タンカスロンにおいては無頼の強さを発揮することになる。だって、ああいうイタリアの戦車とドイツの携行兵器っていう無茶な組み合わせができるんだからな」
「はぁ……でも、パンツァーファウストはさすがにやりすぎじゃ……」
一年生がやはり心配しそうに聞いた。
「あーそれは思わなくもないが……ま、梨華子が何も言ってないし大丈夫なんだろう。昔は弓矢持って戦ったやつとかもいたって聞くし。さ、追跡追跡っと」
「くっ、舐めるなああああああああ!」
アールグレイは戦車を急旋回させ、CV33を撃ち抜く。
すると、CV33は大きく吹き飛び、白旗を上げた。
それを確認すると、美帆は森の奥へと逃げ込む。
それを追うアールグレイ。後方からはアールグレイを追う大洗の車両が見えてきた。
アールグレイは砲塔を後ろに向けたまま、応戦しつつも美帆を追った。
その過程で、ルノーを撃破することに成功する。
結果的に三対一の構図となった。
そして森を抜け、人工物で囲まれたエリアへと入り込む。
美帆は狭い路地を抜け、鉄塔に囲まれた空き地へと進軍する。アールグレイもそれに続く。
「さあ小娘! 勝負です!」
『ええ、勝負ですよ、アールグレイさん』
美帆の車両とアールグレイの車両は互いに追いかけ回すように走り回る。砲撃は当たらず、時間だけが過ぎていく。
このままでは、後ろから負われているアールグレイの不利は確実だった。
「くっ……このままでは……! そうだ!」
アールグレイは急に方向を変えたかと思うと、空き地へと続く路地にあるビル群に砲撃した。
すると、コンクリートがボロボロと落ち、そこに山を作る。
「さあ、これで一対一のままですわよ!」
『なるほど。考えましたね』
美帆は笑う。アールグレイも笑う。
そこには当事者同士にしか分からない愉悦があった。
『では、こういうのはでうでしょう』
美帆の指示が飛ぶ。
すると、美帆もまた戦車以外の部分を砲撃し始めた。
それは、鉄塔だった。
「しまっ――」
アールグレイが意図に気づいたときには遅かった。
何本もの鉄塔が、戦車間、そして戦車に降り注ぐ。
その位置は、見事にアールグレイの車両を中心としていた。
鉄塔により、一瞬アールグレイが動きを止める。美帆はそこを見逃さなかった。
『チェックメイトですよ、アールグレイさん』
美帆の主砲がアールグレイを射止める。
それにより、勝敗は決まった。
◇◆◇◆◇
「……負けましたわね」
戦いの後、美帆とアールグレイは互いに並び合っていた。
「ええ、勝たせてもらいました」
「さすが……ですわね」
そう称えるアールグレイの口調は、どこか重たい。すると美帆はこう言った。
「違和感を憶えましたか? 私の戦い方に」
「え? ええ……」
「あまり気持ちいい戦い方ではなかったでしょう」
「そんなことは……最後は楽しかったですし」
アールグレイは否定するも、美帆はゆっくりと頭を振った。
「いいえ、分かっています。私本来の性分が、あまり綺麗な戦い方をしないことに。そんな私が普段の戦車道で正々堂々と戦えるのは、エリカさんのおかげです」
「あの方の……?」
美帆はそこで、アールグレイの手を握り、笑顔で――自然な笑顔で、言った。
「エリカさんは私に戦車道のすべてを教えてくれました。私の戦車道は、エリカさんの戦車道なんです。エリカさんの戦車道は、お互いにすっきりとした気持ちになれる、そんな戦車道であるんです。そのことを、私はあなたに分かってもらいたかった」
「だから、タンカスロンを?」
美帆はコクリと頭を振る。
「はい。私本来の性分で成長していたなら、こうしてあなたと手と手を取り合うこともなかったでしょう。エリカさんの戦車道は、あなたに綺麗に打ち勝つことで、私とあなたの間に絆を育んでくれたんです」
「……なるほどね」
アールグレイは、美帆の言葉に笑みを浮かべ、そして、美帆の手を握り返した。
「でも、私はあなた本来の戦い方も嫌いじゃないわ。そりゃちょっとそれはないのではなくて? というやり方もあったけれど、戦いに対して真摯な姿勢は受け取りましたわ。だから……そうご自身を卑下なさらずとも良いではありませんの。こちらも失礼なことを言って申し訳ありませんでしたわ……美帆さん」
「っ!? 今美帆って……」
アールグレイは驚く美帆の手を離すと、美帆に背を向けながら言う。
「さあ何のことかしらね? 小娘、私はあなたをライバルとして認めていますの。私がいる間は、誰にも負けないでくださる?」
「……はいはい、アールグレイさん」
美帆はアールグレイの背中に笑いかけた。心なしか、顔の見えないアールグレイもどこか笑っているように感じられた。
「いやーいい試合でしたー!」
そこに、梨華子とエリカがやってくる。二人共とても楽しそうに笑っている。
「まさか私の戦術のほうがいいっていうことを伝えるためにこんなことをしたなんて……本当に面倒臭いわね、美帆」
「うう、面倒なのは分かってますよ……あとこの一週間態度悪くてごめんなさい、エリカさん」
「いいのよ、気にしてないわ。それに、楽しい戦いを聞かせてもらったから私も満足よ。ねぇ梨華子」
「ええそれはもう! 個人的にマスタードガスとパンツァーファウストはパクらせて……いいえなんでもないですはい」
「おう梨華子! 元気そうだなぁ!」
「元気そうですわね、梨華子さん」
そこに鈴と理沙も話題に加わる。二人の姿を見ると、梨華子はとてもうれしそうな表情になる。
「あっ、鈴ちゃんに理沙ちゃん! 久しぶり!」
「おう久しぶり! 元気してっか!」
「うんうん元気だよー、二人も元気そうだねー」
「ええまあ、美帆さんの元だと飽きずにやれますわ」
理沙は楽しそうに会話している美帆とエリカを見て言う。理沙に続いて見た梨華子と鈴も、うんうんと頷いた。
「あの二人と一緒だと、確かに飽きなさそうだね」
「まあな! いろいろ面白いからなーあの二人」
三人はそう二人を評していると、エリカと美帆、そしてアールグレイが三人の元に近づいてきた。
「ああ、鈴、理沙、それに梨華子。これからみんなですべてを水に流すパーティをしようと思っているのですが、もちろん参加しますよね?」
「ええ、もちろんですよ美帆さん!」
「おう! 当たり前だろ!」
「ふふ、当然ですわ」
そうして、一週間前に途切れた続きをするように、いやそれ以上に盛大に、大洗と聖グロリアーナのパーティが行われた。
その会場で、エリカと美帆が会場の雰囲気と周囲の期待に推され、集団の面前で濃厚なキスをさせられてしまったのは、また別の話……。