【完結】光ささぬ暗闇の底で   作:御船アイ

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第三部 想いの果てに
第12話


 初めに私の視界を覆ったのは、大量の濁流だった。

 濁流はあっという間に体を飲み込んでいく。その苛烈な勢いに抗うことができず、体の自由は奪われ、どんどんと水の底に沈んでいく。

 それに抗うように必死に手足を動かし、なんとか顔を水から出して叫び続ける。

 たすけて、たすけて。

 水を飲み込まないようにしながら必死に叫ぶ。

 しかし、その叫び声に反して体はどんどんと沈んでいく。

 ああ、死ぬ。このままでは死んでしまう。嫌だ。死にたくない。誰か、誰か。

 抗いようのない水流のなかで、絶望の淵にゆっくりと落ちていくそのとき、私の体を誰かの腕が抱え込んだ。

 その手はとても暖かく、不思議な安堵感を与えてくれた。その腕の主はぐいぐいと私の体を運んでいき、そして、濁った水の中から別の手に渡され助け上げられた。

 そのとき、私を濁流の中から助け上げてくれた人の笑顔が見えた気がした。どんな顔かは分からなかったが、笑っていることだけは分かった。そしてそのまま、その人は水の中へと飲み込まれていった。

 場面は突如変わる。

 冷たい雨が降りしきる中、私は、地面にぺたりと座り込んで誰かを抱き上げていた。

 その人はぐったりとしており、頭からは真っ赤な血が流れだしていた。

 私はなんだかとてもつらい気持ちになり、何度もその人の名前を呼ぶ。するとその人は、力なく手を空に向かって上げてきた。私はその手を掴む。

 その人の体温は、どんどんと下がっていっており生命いのちの灯火が消えかかっていることを嫌でも伝えてくる。

 私はさらに必死にその人の名前を叫ぶ。するとその人は、消え入りそうな声で私の名を呼んで、私の手を握り返してくれた。

 そう、その人は確かに私の名を呼んでくれたのだ。「美帆(みほ)」と――。

 

 

 

「――――っ!!」

 

 東美帆は急に目を覚まし、勢いよくベッドから飛び起きた。裸で寝ていた体は、びっしょりと汗をかいている。

 まただ、またあの夢だ。

 美帆は右手で頭を抱える。

 美帆はこれまで何度も同じ夢に悩まされていた。最初に見た光景は彼女がまだ物心ついたばかりの頃、川で溺れて死にかけた時の記憶。美帆はそのときのことを死にかけた恐怖以外覚えていないのだが、こうして夢に見るときにだけはその記憶が蘇るのだ。だが、自分を助けてくれた人の姿だけは、朧げにしか思い出せない。

 もう一つは、大切な想い人を失ったときの記憶。それは美帆にとっての初恋だった。相手は同じ女性だったが、そんなことは関係なく、美帆はその人に恋焦がれた。だがその人は他に大切な人がいると言った。そして、そのことに取り乱して道路に飛び出してしまった美帆を救うために、その人は死んでしまった。その事件は美帆にとって二度と癒えぬ傷を残すとともに、その人が――逸見エリカが、最後に美帆の手を取り名前を呼んでくれたことは、彼女にとっての生きるためのよすがとなっていた。

 どちらの出来事も、美帆にとって大きなトラウマである。それゆえか、時間が経った今でも、美帆は鮮明にその光景を夢に見るのだ。

 部屋はまだ暗かったが、カーテンの隙間から見える窓の外は、うっすらと青みがかった空が見え始めていた。

 美帆はすぐそばにおいてあった目覚まし時計を手に取り、時計に付けられているライトを点灯させて時間を確かめる。時刻は、朝の五時だった。

 

「少し早いですが……まぁいいでしょう」

 

 美帆はベッドから出ると、裸体のまま洗面台へと行き、タオルを手に取るとそれで体中の汗を拭き取る。そして、そのタオルを持ったまま寝室へと戻ると、ベッドの側に置いてあるショーツを履き、ブラジャーを付け、さらにその上からジャージを着る。黒森峰女学園指定のジャージだ。

 美帆は、自分の故郷である大洗から離れ黒森峰へと来ていた。大切な人の生きた証を立てるために。

 

「さて」

 

 美帆は最後に髪をゴムで縛ると、そのまま部屋の外へと出て行く。日課の早朝ランニングをこなすためだ。

 朝の学園艦には殆ど人影はなかった。美帆はそんな外へと向かって、一人走って行った。

 黒森峰学園艦の風景も、美帆にはもう見慣れたものになっていた。なぜなら、美帆が高校入学と同時に黒森峰に来てからもう三年の時が流れたのだから。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 日も高く昇った頃、黒森峰の戦車格納庫内で、パンツァージャケットを着た美帆が背中で腕を組み立っていた。彼女の目の前には、彼女と同じくパンツァージャケットを身にまとった隊員達が整列していた。彼女達の間では、どこか緊迫した雰囲気が漂っていた。

 

「…………」

 

 美帆は一言も発しないまま、目の前の隊員達を見据える。そのことが、隊員達にさらに緊張を強いていた。

 

「す、すみませーん!」

 

 そのとき、とても慌てた様子の隊員が、一人遠くから整列している美帆達の方向へ走ってきた。その隊員は、ぜぇぜぇと息を切らしながら、美帆の前で立ち止まる。そして、そのまま頭を美帆に向かって下げた。

 

「す、すいません隊長! 遅れました!」

 

 隊長と呼ばれた美帆は、頭を下げているその隊員の方へと向き直った。

 美帆は黒森峰機甲科の戦車隊において、隊長を務めていた。だが、美帆の目の前で謝っている隊員は、美帆が隊長であるということ以上に、どこか美帆に恐れを感じているようだった。

 

「そ、その! わ、わたし! 今日がいつもより練習開始時間が早いってこと忘れてて! それで気づいたのがついさっきで! そ、その……」

「言いたい事はそれだけですか? ……頭を上げて歯を食いしばりなさい」

 

 そう言うと美帆は、言われたとおりに頭を上げた隊員の顔を、思い切り平手で叩いた。

 

「きゃっ……!」

 

 平手打ちされた隊員はそのまま地面に倒れこんだ。美帆はその隊員を鋭い目つきで見下ろす。

 

「遅刻は厳禁だと以前言ったはずです。あなたは一年でしたね? それで黒森峰の隊員が務まると思っているのですか? 時間は作戦遂行においてもっとも大事な要素の一つであるのに、それすら守れないのは、戦車乗りとして失格ですよ。しかも、大会の大事な試合を控えているこの時期に……わかったなら早く列に並びなさい」

「は、はい……」

 

 地面に倒れこんだ隊員は涙目になりながらも、よろよろと立ち上がって列へと戻っていった。

 美帆は、再び整列する隊員達を見ると、再び姿勢を正し、大きな声で言った。

 

「それでは、これより訓練を開始します! まずは射撃訓練から! 総員、搭乗!」

「「「はい!」」」

 

 美帆の号令と共に、隊員達は一斉におのおのの戦車へと搭乗し始めた。美帆もまた、駆けて自らの戦車へと搭乗していった。

 

 

 始まりこそ緊迫した雰囲気で始まった訓練だったが、その後は特に問題が起こることなく、すべての訓練内容を終えた。隊員達は次々と戦車を格納庫に戻し、降車していく。

 美帆もまた、戦車から降りその様子を眺めながら、クリップボード片手にその日の練習について書き込んでいた。

 その日の練習の結果がどうだったか、今後の改善点は、それらを総合しての作戦立案などについてである。それも隊長職の立派な仕事の一つであった。

 戦車から降りた隊員達が終了の挨拶を待つために整列しているなか、なにやら戦車の前で、一部の隊員が騒がしくしているのが聞こえてきた。

 何事かと思い美帆が近づいていくと、一部の隊員達が数人で一人の隊員を囲んでいるようだった。その隊員達は主に一年生で構成されていた。その様子を美帆が見ようとすると、その隊員達はビクっと肩を震わせた。

 

「た、隊長……」

「一体何事ですか」

 

 美帆がその人だかりの中を覗いてみると、一人の隊員が足を押さえ座り込んでいるのが見えた。その隊員は、今朝遅刻した一年生だった。

 

「どうしたんですか」

「あっ、隊長……!? 違うんです、これは、その……」

 

 美帆の顔を見ると、その隊員は怯えた様子で俯いた。美帆はそんなこと気にも留めず、屈んでその隊員が押えている足を見る。すると、足首が真っ赤になっているのが見て取れた。

 

「これは……」

「ご、ごめんなさい! その、戦車から降りるとき、足を捻っちゃって……! 本当に申し訳ありません!」

 

 美帆はその隊員にすっと手を伸ばす。その隊員はまた殴られると思ったのか、「ひっ……!」と小さな声を上げながら、ぎゅっと目をつぶった。

 しかし、一向に痛みが襲ってこず、足を挫いた隊員は恐る恐る目を開ける。すると、美帆は優しい手つきでその挫いたという足を触っていた。

 

「……ふむ、もしかしたら捻挫しているかもしれませんね。一応、保健室で見てもらいましょう」

 

 そう言うと、美帆は足を挫いた隊員に手を回したかと思うと、一気に抱え上げた。

 

「え!? そ、その……!?」

「副隊長」

「はい」

 

 美帆に副隊長と呼ばれた女性が前に出てきた。ウェーブのかかった金髪の髪と、大きなメガネが印象的な女性だ。

 

「私はこれからこの子をつれて保健室に行きます。少しの間ですが、任せましたよ」

「わかりました」

 

 副隊長が笑顔で返すと、美帆はそのまま足を挫いた隊員を運んで格納庫から出て行った。それを見ていた他の一年生達は驚いたような表情をしてその姿を見つめていた。

 美帆は人を抱えているにもかかわらず、早足で校内を歩く。抱えられている隊員は、動揺してかキョロキョロと目を動かしながらも、一言も発することができずにいた。

 そして、あっという間に保健室に着くと、美帆は隊員を抱えたまま器用に扉を開き、保健室にいる養護教諭にその隊員を見せた。すると、やはり捻挫であることが分かり、応急処置を行って、念のため病院で診てもらうことになり、養護教諭が車で送ることになりそのための車を用意するまで少しの間保健室でじっとしていることになった。

 養護教諭が保健室から出て行った後、美帆は「もう私は必要ないですね」と、格納庫で待っている他の隊員達のところへと向かおうとした。そのとき、

 

「まって下さい!」

 

 と、足を挫いた隊員が美帆を呼び止めた。

 

「……なんですか?」

「その……ありがとうございます。ここまで運んでくださって……。でも、どうしてですか? 私、今日は遅刻しちゃったし、それに、足を挫いたのも自己責任なのに……」

 

 足を挫いた隊員の口調は、後半からだんだんと元気が無くなっていっていた。どうやら、色々と責任を重く感じているらしかった。

 だが美帆は、まるでおかしいことを聞くものだと言いたげな顔でその隊員を見た。

 

「どうして……ですか。まぁ確かに今日のあなたはあまり褒められたものではありませんでした。しかし、それとこれとは別です……。困っている人間がいたら、助けないでどうするんですか?」

 

 美帆のその言葉に、捻挫した隊員は驚きを隠すことができなかった。だが美帆は、そんなことにも気が付かず、ただ当たり前のことを言ったという様子で、その場から去っていった。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 副隊長である梨華子(りかこ)は、隊長である美帆と共に、一緒に小さな個室の中にいた。その個室は、隊長と副隊長、そして一部の許可を受けた車長しか入ることの出来ない特別な作戦会議室だった。本来の大人数が入れる作戦会議室と違うところは、そこはまず作戦の草案を練るための部屋だということだ。

 とは言え、美帆が来る以前はその部屋は休憩室の用な使われ方をされていたらしく、その名残が随所に残っていた。

 梨華子がいま使っているコーヒーメーカーもそのうちの一つだった。梨華子は、二つのカップにコーヒーを注ぐと、それを両手で持ち、片方を手元にある資料を眺めていた美帆に渡した。

 

「隊長、コーヒーです」

「ん、ありがとうございます」

 

 美帆はコーヒーを受け取ると、そのコーヒーにボトボトと角砂糖を入れはじめた。その個数、実に六個。さらに、使ったコーヒーフレッシュは二個。

 その光景に、梨華子は笑いを堪えることができず、思わずふふっと笑った。

 

「梨華子? どうかしましたか?」

「いえ、何でもありません」

 

 美帆は不思議そうな顔で梨華子を見るも、すぐに視線を資料に戻しコーヒーを啜り始めた。

 美帆のコーヒーの飲み方については、梨華子の誰にも話していない数少ない秘密の一つだった。

 梨華子は、美帆のことを他の隊員達よりも理解していると自負していた。一般的に、美帆はそれまで腑抜けていた黒森峰をかつての王者の威厳ある姿に戻した、人前では決して笑顔を見せることがない『鬼の隊長』として知られていた。規律に厳しく、訓練は遊び半分で戦車道を始めたものがことごとくリタイアするほどに激しい。梨華子が入学する前なので詳しいことは知らないが、美帆はまず一年のころから先輩達に食って掛かり、大揉めしながらも黒森峰のあり方を変えていったという。

 梨華子が入学するときには、すでに美帆は二年にして隊長になっており、黒森峰の戦車隊も現在の厳格な状態になっていた。

 それほどまでに、美帆の徹底した熱意と手腕が黒森峰に行き届いたということになる。

 何が美帆にそこまでさせるのか、誰にも分からなかった。だが、隊長となった美帆に誰しもがある種の恐れを抱いていることは確かだった。

 だが、美帆は恐ろしいだけではないことを、梨華子を含めた一部の隊員達は知っていた。

 美帆は、他の隊員が何か困ったり悩んだりしていると、誰よりも先に助けの手を差し伸べるのだ。それは『鬼の隊長』と呼ばれる美帆の姿しか知らないものにとっては、実に想像もできない姿だった。現に、先程の一年生達はとても驚いていた。

 梨華子がその美帆の姿を初めて見たのは、一年の夏だった。梨華子が退屈な授業に飽き、窓の外を見ていると、ちょうど美帆のクラスが体育でグラウンドを使っているところだった。ぼんやりとその光景を見ていると、誰かが怪我をして倒れこんだ。すると、美帆が先生と共に率先してその生徒の元に駆け寄り、おんぶしてその生徒を校内へと運んでいったのだ。それまで美帆の厳しい面しか知らない梨華子にとって、その光景は信じがたいものだった。しかも、それだけではなく美帆はその後怪我した生徒と放課後一緒に走っていたのだ。どうも後から聞いた話によると、その日の体育は体力テストであり、他に日程が空いていなかったらしい。なのに、そんなことを顧みずに怪我人を助けた美帆を見て、梨華子はこの人は厳しいだけではないことを知った。

 そして、美帆のことを知れば知るほど、梨華子は美帆に傾倒していった。卓越した戦車の指揮能力と時折垣間見せる優しさ。それが、美帆という人物を魅力的に見せるには十分だった。

 

「梨華子、これを見て欲しいのですが」

 

 美帆が梨華子に手元にクリップボードを渡してきた。どうやら資料を見ながら色々と書き込んでいたらしい。

 

「はい、分かりました。これは……」

「今度のサンダース戦で使用する戦車の一覧です。意見を伺いたいのですが……」

 

 そこには、ティーガーを中心とした重戦車で構成された部隊編成が書かれていた。

 梨華子はそれを見て、率直な意見を言うことにした。

 

「はい、おおむね問題ないとは思いますが……ただ、もう少し中戦車や軽戦車があってもいいとは思います。もしサンダースに機動力のある戦車を中心とした編成でかき回された場合、うまく対処できない可能性が」

「ふむ……やはり、ですか……」

 

 美帆はコーヒーを一口飲むと、カップを置いて考え込む。

 そして、僅かな間であったが沈黙が部屋を支配した後、美帆は口を開いた。

 

「……いや、やはりこのままで行きましょう。サンダースには、戦車の装甲と火力で差をつけながら、その動きを完全に予測してみせます」

 

 梨華子はやはり、と思った。美帆の戦術眼は確かに優れている。だが、美帆は作戦を立てるときに一つのやり方に固執する癖があった。それは重戦車を主体とした、古典的な戦車道だった。

 なぜ論理的に物事を考えられる美帆がそんな古いやり方に拘るのか、それは梨華子にとっても謎だった。

 しかも、相手はサンダースである。サンダースには、去年の決勝大会で敗退させられ、準優勝の結果を甘んじて受けることとなってしまった。つまり、今回は雪辱を果たすための負けられないリベンジマッチなのだ。

 それなのに、一度敗れた戦い方で再び戦いに挑むのは、愚策であるのでは、とも思ってしまうのだ。

 

「……不思議そうな顔をしていますね。なぜ私がこんなやり方に拘るか、と言ったところですか」

「えっ!? いや、その……」

 

 梨華子は心を見透かされたのかと思い、しどろもどろになる。一方の美帆は、いたって平静を保っていた。

 

「いいんですよ。自分でも分かっていることです。私のやり方は古い。月間戦車道にも古臭いだの、劣化西住流など書かれたこともありましたよ。それでも、私は私のやり方で勝たないといけないんです、どうしてもね……」

 

 そう言う美帆の瞳に、なにやら陰りが見えた気がした。だがそれも一瞬で、美帆は再びコーヒーを手に取ると、資料とのにらめっこを再開した。

 美帆がなぜ自分のやり方に拘るのか、それは結局分からなかった。

 だがでもきっと人には言えないなにかがあるのだろう。自分は隊長を信じてついていくだけである。この人は、私達の隊長なのだから。

 梨華子は内心そう誓うと、ずっと片手に持っていたコーヒーをブラックのまま一気に飲み干した。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 

「ふぅ……」

 

 美帆は学生寮の自室で、下着姿でベッドの上に転がった。片手にはハンドグリッパーを持ち、キコキコと握ったり開いたりを繰り返す。

 今日梨華子に話したことは、自分でも重々承知しているつもりだった。確かに、自分の戦車道は古臭い。大洗が初優勝を果たして以降大きく変遷していった戦車道界隈においては、それは致命的とも言える弱点だった。

 だが、美帆はその戦車道を捨てるつもりはなかった。なぜなら、美帆にとってそれは、大切な人――エリカから教えてもらった大切なものであり、エリカへの愛の証なのだから。エリカを捨てた黒森峰を、エリカの力で救う。それが、美帆に出来る復讐であり、愛情表現であった。

 だからこそ、次のサンダース戦は絶対に負けられなかった。去年の敗退は、エリカの戦車道を否定されたようで、実に心苦しかったから。

 そんなことを考えていたとき、突如として美帆の携帯がメールの着信を告げた。ちなみにガラパゴス携帯である。

 美帆が携帯を手に取ると、そこに表示されている名前は、美帆が数少ない心を許す相手である、妹からのメールだった。

 

『おねえちゃんへ。元気にしていますか。わたしは体の調子がときどき悪いときがありますが、それでも元気です。学校のお勉強はどんどんむずかしくなるけど、おねえちゃんみたいなりっぱな女性になれるようがんばっています。もうながいあいだ会えていないので、たまには帰ってきてください。おねえちゃんの戦車道の大会、楽しみにしています。 美魚(みな)より』

 

 美帆はメールを読み終えると、携帯をパタリと閉じて布団の上に転がした。

 美魚は美帆とは八つ年の離れた妹だった。美帆は妹のことを溺愛していたし、美魚も美帆のことを尊敬していた。しかし、エリカの一件があって以降、美帆は以前のように美魚に接することができなくなってしまった。

 美魚と接しても、どうしても楽しい気持ちにはなれなくなってしまったのだ。だから美帆は、黒森峰に入学して以来三年間、美魚を含めた家族とは一切会ってはいなかった。美魚は帰ってきて欲しいと言ってくれた。だが、三年も経って、どんな顔をして家族に会いに行けばいいのか分からない。それに、今の自分には何かを喜んだり、楽しんだりすることができない。胸の内に湧くのは、エリカを命を奪った自分への怒りと、エリカがいない世界への哀しみのみ。そんな自分に、いまさら家族に会う権利などあるのだろうか?

 しかし、このまま会わないわけにもいかない。メールのやりとりをしていると、昔から体が弱かった美魚は最近さらに病弱になっているらしいし、親にもずっと心配をかけている。

 だから美帆は決めた。もし、もし今回の大会で優勝できたら、そのときは胸を張って家族に会いに行こう。もし優勝できたなら、胸に残るしこりも、少しは軽くなるかもしれないから。

 

「……それよりも、まずは目先のサンダース戦ですね」

 

 そう、まずはそこから。そこから勝利を収めないといけない。

 すべては、エリカさんのために。

 そう決意を新たにすると、美帆はベッドから起き上がり、下着を脱いで洗濯機に入れると、シャワーを浴びるために浴室へと入っていった。


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