「辻垣内先輩、他に何かやっとく事ありますか?」
須賀京太郎が臨海女子麻雀部に来て10日ほど経ったある日。
対局を終えた辻垣内智葉の元に、部の雑務を一通り片付けた須賀京太郎が、他の仕事が無いかと声をかけてきた。
「ん? ……いや、今のところ特には無いな。 少し休んでいればいい。」
特に今すぐやる事も無いと判断した智葉は、そう言って京太郎に休憩を促す。
部の練習に前後してあいも変わらずキビキビと動き回り、積極的に仕事をこなす京太郎の姿に、辻垣内智葉は感心を覚えていた。
(よくよく気が付く男だな、あれは……)
当の京太郎は、特にやっておく事は無いと告げたというのに、今度は部室のパソコンで地域での小さな大会や、近隣の学校で行われた大会の動画等に目を通している。
恐らくは、優勝や高いスコアを記録した選手の記録を付ける為であろう。
(手を休めないか、全く……こうも見れば、空恐ろしく思えるぞ、清澄高校……)
先の全国大会に於いて、接戦の末に団体優勝を勝ち取った清澄高校。
補欠メンバーさえ居ない零細部でありながら、集った者個々の地力、姿勢……精神性は敬意を持つに値する。
しかしそれと別に恐ろしいのが、今ここに居る男が時折口にする言葉。
『清澄よりは余裕もありますんで。』
(この男で手一杯とは……全国へ往くまでの練習量、余程のものだったと見える)
正直、部内の雑用や環境整備という点で言えば、既にここでは須賀京太郎を持て余している。
その京太郎が、今以上の仕事量で動き回るというのなら、確かに部員は練習ただ一点に集中出来るだろう。
それこそが清澄高校麻雀部における陰の原動力というのであれば、あの強さも納得のいく話である。
人一人の時間を対価にして、研ぎ澄まされた鍛錬の結果であるのだから。
それが正しいかどうかは別としても、それだけの意思を以て挑んだ清澄の覚悟は見事なものだと辻垣内智葉は思う。
尤も、ここでは既に持て余しているのだから、そこまでの状況にまでは成り得ないのであるが。
だからこそ、時間の間隙を見て卓に着かせることも難しくはない。
「須賀、そろそろ……」
「キョウタロウ、私は一度抜けるから卓に着くといい。」
「ん? そんじゃハオは休憩か……ちょっと待ってな? 今お茶淹れたら着くからさ。」
一度対局に区切りがついた所で京太郎を招こうとすると、先に郝 慧宇が席を立って京太郎を招き入れる。
京太郎も自分が対局に入る前にと、手早く各人に飲み物を淹れて配って回る。
「お待たせしました。 辻垣内先輩とダヴァン先輩、雀先輩も。」
「あぁすまない、頂くよ。」
「オウ、ありがとうございマス!」
「すみません、お気遣い感謝します。」
同卓していたメガン・ダヴァン、雀明華もそれぞれに受け取って礼を返す。
「ほら、ハオの分な?」
「ありがとう、キョウタロウ」
一度席を立ったハオにも手渡しする。
何かあったのだろうか、いつの間にか呼び方が変わっていた二人の表情や言葉はとても自然なものであった。
その様子からは、互いに打ち解けあっている事が容易に見て取れる。
智葉自身もまた、京太郎が輪に加わるというのならその方がいいと思っていた。 例え他校の生徒で、決められた期間しかいないのだとしても。
(まずは一歩というところか……私も、もう少し距離を縮めてみるか)
後輩同士の健やかな関係を目にして、智葉は少しばかり穏やかな気持ちになった。
「須賀ー、何でネリーが一番後になってるんだろうね?」
「えっ? そりゃお前こういうのはまず先輩から……だぁぁぁぁっ! 悪かった悪かった! 今度から気をつけるから、なっ?」
「ふーん……まぁいいよ?」
卓から離れた部室のソファーに腰掛けて休憩していたネリー・ヴィルサラーゼ。
結果として飲み物を受け取るのが一番最後になったのが気に障ったのか、些か機嫌が斜めだったようだ。
京太郎が事情を説明する最中に、聞く耳持たずと言わんばかりに歩き出したネリーが部室の窓を開けて顔を出した途端、京太郎は猛然と走り寄って謝り出す。
何やら小声で話している様子であったが、そこは離れていた智葉には聞き取れなかった。
(……アレは一体何なんだ……?)
今日だけではない。 数日前からあの様な状況は散見されていたのだ。
ネリーに呼びつけられたり、何かと注文を付けられ、その度にまずネリーの事を優先して片付ける京太郎。
あの様子から二人もまた、お互いの距離を縮めたのだという事が分かる。
善からぬ方向で。
――――――――
・三日前 京太郎の宿舎
「これは……面倒な事に、なった……!」
夜分に宿舎の部屋で一人、須賀京太郎は頭を抱えていた。
原因はほんの数十分前、臨海に来て漸く、ほんの少し前に進めた事に気分を良くして発した言葉にあった。
『俺ぁ頑張ってるからなぁ咲ぃぃ!!』
誰にも聞かれていないだろうと思ったその言葉は、しかして一人の少女に聞かれていた。
『ふーん、へぇー……そうかそうか。』
ネリー・ヴィルサラーゼ
臨海女子麻雀部において、団体戦の大将を務めていたその少女に。
「何であんな所にいやがるんだよぉアイツは……」
あの後、物凄く良い表情を浮かべていたネリーに不安を覚えた京太郎は、即座に降りて事情を説明しようと外に出た。
しかし、宿舎を出た時には既にネリーの姿はなく、連絡を入れても反応がなく手詰まりとなってしまった。
京太郎が抱く不安には確信がある。
あの顔をした人間が何を考えているかを、嫌というほど知っているからだ。
「間違いねぇ……弱み握ってやったぞって顔だ」
中学生時代、ある理由から幼馴染の女子、宮永咲とつるむ事が多くなった京太郎。
多感な時期の子供の中で、男子と女子が常々一緒にいると、それを見た者たちが考える事はそう多くない。
即ち
『お前、アイツのこと好きなんだろー!』
である。
これは男女共に大差は無く、表では男子、裏では女子といった感じで、吐き出される場所が違うだけだった。
この手の冷やかしを鎮火させるのには凄まじいまでの労力を費やした。
中学時代に京太郎は異常に広い交友関係を築いたが、その多くが「つるむ人間が多くなれば、相対的に目線が分散し冷やかしは止むだろう」という打算から生まれたという程に。
同時に咲自身も噂を否定し冷やかしを避けていた事もあって、中学を上がり高校に入る頃には、この手の冷かしはほぼ消滅していったのである。
その経験と実績を以て、京太郎は状況の打開を思案する。
案.「そうだ、今じゃ誰も気にしてねぇよな……?」
解.「ここ東京じゃねぇかよぉぉぉっ!?」
案.「いや、人の噂も七十五日って言うよな……例え部で広まっても自然消滅を待てばいいんじゃ……?」
解.「滞在期間中弄られっぱなしかよぉぉぉっ!?」
案.「まてよ? 咲のやつも「嫁さん違います!」って言ってくれんだから、俺も一緒になりゃあ説得力マシマシってもんだよな?」
解.「咲が居ねぇ……」
案.「ネリーに直談判しよう。 人は分かり合える。」
解.「それ魅力!」
結局は、直に話す程度しか思いつかなかった。
――――
翌日、京太郎は別室で個人授業を受けながら色々考えていた。
少なくとも、ネリーが手を打ってくるとすれば部活中に限定される。
臨海女子はあくまでも女子高であり、基本的に男子が校内に居ることは許されない。
その為、京太郎は普段から臨海の一般生徒の目に付かないように行動していた。
一応、扱いは外部スタッフ……言ってしまえば雇われの教員と同じ様な扱いにもなる(そのための身分証は常に携帯させられている)のだが、不用意に人目に付くべきではないというのが暗黙の了解だ。
故に、ネリーがクラスメイトに件の話をした所で意味はない。
その点については、今までの状況よりも楽ではあった。
「まずは、ネリーの奴に誤解してるって事を言い聞かせよう……」
そう思いながら午前の授業を終えた所で、携帯に着信があった。
発信者はネリー・ヴィルサラーゼ。SMSにて「学食まで来て」という内容であった。
「とんだ所で渡り船だぜ……!」
部で会ってから対処すればいいと思っていた京太郎に、向こうから接触の機会を入れてくれたこのメッセージはまさに好機であった。
京太郎の個人授業は、通常のカリキュラムとは時間をずらされている。
休憩時間などが一般の学生と重ならないように設定されているのだ。
京太郎にとっては午前の終了でも、一般の学生はまだ授業中。
今は学食にも誰も居ないはずであり、話をするにはちょうどいい。
「ここできっちり話をつけときゃ、全部解決だ!」
――――
呼び出しの場所として指定された学食には、当然ながら学生の姿は全くない。
たどり着いた京太郎が室内に目を向ければ、入口から遠く離れた壁際にネリー・ヴィルサラーゼの姿があった。
「やっと来たんだね須賀、ちょっと遅くない?」
制服姿のネリーから話しかけられ、その間に近付いていく京太郎。
取り敢えず、のっけから冷やかしが来なかったのにはひと安心した。
「急に呼び出されりゃな……というかお前、授業はどーしたんだよ?」
「体育だったからね、少し早めに終わったんだよ。」
京太郎は何気なく話しながら、慎重にネリーの表情に注意を払う。
何せ相手は、卓上にて化かし合い騙し合いの修羅場をくぐり抜けてきている猛者なのだ。
言葉尻を掴まれ傷口を広げないよう心がけていた。
(取り敢えず、いきなり仕掛けて来るつもりはなさそ)
「ところで須賀、今日のお昼奢って欲しいんだけど? 昨日のアレを黙ってる代わりに。」
「いきなり仕掛けて来やがった!?」
注意深く話を進める作戦、失敗。
思っていた以上に、目の前の少女は真っ直ぐに突っ込んできた。
「……あのなネリー、そりゃあ脅迫ってモンじゃないか? 大体、お前は大きな勘違いをしている!」
「勘違い?」
「そうだ。 いいか? 昨日のアレは衝動的に叫び出しちまっただけだ。 別に深い意味はない。」
「つまり須賀は、咄嗟で宮永の名前が出るくらいに意識してるんだ?」
「はぁっ!? いや、そうじゃなくてだな……!」
そして京太郎は、瞬く間に傷口を広げてしまった。
直行で来たかと思えば言葉尻をしっかり掴む。 非常にやりにくい相手だと予測ではなく実感する。
とりあえずは落ち着いて、冷静に対処しようと意識を切り替える京太郎に
「まぁ真実かどうかは問題じゃないよね? それに変な話が尾ひれつけて流れても須賀には然程問題ないし。 強いて言えば、全国的な有名人になっちゃった清澄や宮永の方に色々と……」
爆弾が投げ込まれた。
「おい。」
「ん? なにか……!?」
ダァンッ! と、大きな音が部屋中に響き渡る。
ネリーのすぐ後ろの壁を、京太郎の腕が力いっぱいに打ち付けた音であった。
「別にさ、お前が何をどうしたかろうが知ったこっちゃねぇよ……けどな? 俺以外のとこに目ぇ向けようってんなら、流石に我慢なんねぇぞ?」
「須賀っ……」
「元はといや俺が原因だったのかも知れねぇけどよ……お前、見る相手間違えんなよ……」
「……ネ、ネリーは、そんな……」
か細く、泣き出しそうなネリーの声が耳に届き、京太郎はハッと我に返る。
(……何やってんだよ俺はっ……!)
友人や仲間に何らかの危害が及ぶとなると、思わずカッとなってしまうのは自分の悪癖だと、京太郎は自戒する。
ネリーの様子を見れば分かる。
彼女は、本気で清澄の皆にまで迷惑を掛けようとしていた訳ではない。 ちょっとした、言葉のあやだったのだろう。
ザワ……ザワ……
ネリーは怯えたように俯いたままで、言葉を発する事もない。
取り敢えず、怖がらせた事を謝ろうと思い、京太郎は語気を穏やかに話しかけた。
「悪ぃ、ついカッとなっちまって……でもなネリー、俺は本気で……」
「……分かってる、京太郎の気持ちは……」
しおらしく、俯いたまま話すネリーの声は、いつもの覇気が宿っていない……弱々しく、か細い少女の声そのものだった。
ますます京太郎は罪悪感に苛まれてしまい、真剣な目をネリーに向けたまま何も言えなくなってしまう。
ザワザワ……ザワ……ザワ……
「でも……返事は、もう少し後にさせて、京太郎……」
「返事……?」
謝罪か何かの事だろうか、意図の良く分からない言葉が聞こえてくる。
加えて、ネリーが自分を名前で呼んでいるのが京太郎には引っ掛かる。
ザワザワ……ザワザワ……
何より、さっきから雑音が耳に障る。
まるで、周りで誰か話しているような……
「っ!?」
京太郎が慌てて周りに目を向ければ、いつの間にか学食には女生徒達が集まりだしていた。
既に時間は通常の昼休み。
つまり何処からかは不明ながら、一連のやりとりは周囲の女子たちに見られ、聞かれていたという事だった。
そう考えて、京太郎は今の状況を客観的に整理する。
1、身分証を首からぶら下げた、普段見かける事の無い男子が
2、人の居なかった学食の片隅で
3、留学生のネリー・ヴィルサラーゼに壁ドンした状態で迫っている
再び目線を周囲からネリーに戻す。
あの夜に勝るとも劣らない、得意満面の笑みを浮かべていた。
(こ、こいつっ……謀りやがったなぁぁっ!?)
既に周りの好奇の目は、京太郎とネリーに注がれていた。
こうなってしまってはネリーへの追求どころではない。
京太郎に出来る事は、静かに、しかし素早くその場を立ち去ることのみ。
勢い勇んだ須賀京太郎、完敗であった
――――――――
そして今。
不機嫌なネリーをなだめ終えた京太郎は、厄介事を一度頭から排除して、日課となっている対局のために卓に着いていた。
上家に雀明華、対面に辻垣内智葉、下家にメガン・ダヴァン。
何度も見た光景ではあるが、一向に馴れるものではなかった。
(勝てなくても、せめて一矢報いる……いや、ココに一人存在してるって事くらいは示したいぜ、チクショウ……)
今日まで箱割れ当たり前、和了る事すら容易ではない有様の京太郎としては、キリの良いこの十日目に一つ、何としても存在をアピールしたいという所存であった。
意識を集中し、呼吸を整える。
親も決まり、上家の明華に続いて京太郎も牌に手を伸ばす。
瞬間、得体の知れない感覚が、京太郎の全身を駆け抜けた。
「ふおぉおぉぉぉおおぉぉぉっ!?」
振動というか電流というか、浮遊感というか落下感というか。
自分を自分で制御できない異様な感覚に襲われた京太郎は、体が暴れて山を崩してしまわないよう、意識を総動員してどうにかその場に立ち上がった。
「はぁっ、は、はっ……!! な、何……何だ今のっ!?」
「ど、どうしたんでスカ……?」
「大丈夫か須賀、具合でも悪いのか?」
牌に向けて伸ばした腕もそのままにいきなり立ち上がった京太郎に、智葉とダヴァンが声をかける。
明華も、驚いて硬直したままで視線だけ京太郎に向けていた。
「い、いや……何か今、いきなり変な感覚があって……ズギャァンッていうか、ドワォっていうか……」
言ってる京太郎自身でも良く分からない。
強いて思い返せば、あの感覚が走る前に背中のあたりに何か当たった様な覚えが京太郎にはあった。
恐る恐る振り返る背後。 そこには……
「………な、何……今……」
目を丸くして尻餅をついている、ネリー・ヴィルサラーゼの姿があった。
「お前の仕業か……!」
「ち、違っ……ちょっと、須賀の事を後ろから見ててあげようと……そしたら急に……」
集中を乱された京太郎は思わず非難する様な目を向けてしまうものの、ネリーの方も驚いている様子であった。
見たところ、何かの道具を持っている様な様子もない。
自分が急に立ち上がって驚いたのかと思った京太郎は、床に座り込んでしまったネリーへと手を伸ばした。
「……そっか、悪ぃ。 いきなり何かすげえ変な感覚がグワッと来てよ……立てるか?」
「あ、うん。 平気だよ。」
ネリーもその手を取ってゆっくりと立ち上がり、京太郎を見上げていた。
そうして京太郎は卓に向き直り改めて席に着く。
「……ん?」
席に着いた京太郎が牌に手を伸ばすと、肩の後ろ辺りに何かが触れている事に気づく。
どうやらさっきの言葉通り、ネリーが後ろから覗き込んで見ている様だった。
(ま、いっか……集中集中……)
ネリーもまた、全国で活躍するだけの雀力を持った強者である。
見てもらって、後でアドバイスの一つでも貰えれば儲け物だと考えながら、京太郎は対局の方へ意識を集中させる。
「えっ……?」
そしてこの日の対局は、思わぬ形で幕を開ける事になる