「ようこそ、臨海女子麻雀部へ。」
「あっ、えっ……え、うぇっ!?」
アレクサンドラからそう告げられた京太郎は、驚きから二の句をつげないでいた。
案内された二つ目の麻雀部の部室、その中に居たのは5人の少女。
その内4人は卓を囲んで、卓上を見ながら話し合っている最中であった。
残る1人は椅子に座り、何かのファイルに目を通していた。
「……随分狼狽えているが、何かあったのか?」
そう言って京太郎に声をかけてきたのは、ファイルを見ていた日本人の少女だった。
言葉尻は穏やかなものがあるが、目線に篭る鋭さはまるで見えない刃のようである。
ただ、浮き足立ってしまった京太郎にとっては有り難くもあった。
落ち着いて呼吸を整え、散り散りになりかけていた意識を引き戻す。
「あぁ、大丈夫です、ちょっと面食らっただけでして……」
「そうか。 監督から話は聞いている、雑務に雇われた学生だとか。」
「はい、須賀京太郎っていいます。 よろしくお願いします」
問いかけに応じる形で名を名乗り、簡単に挨拶をする。
同じくして先程の少女が、ファイルを手元のテーブルに置いて立ち上がり、京太郎の前まで歩いてきた。
「こちらこそ。 私は……」
「えっと……辻垣内智葉さん、ですよね?」
「何だ、知っていたのか。 監督から聞いていたのか?」
「あぁいえ、この間の全国大会見てましたから……先鋒でウチの優希相手に打ってたのを。」
ここにいるのが全員、あの日清澄と激闘を繰り広げた臨海女子団体メンバーであるなら、流石の京太郎でも顔と名前は覚えている。
尤も、目の前の少女だけはあの日会場で見た格好と随分違っていたので、日本人であるというところからの推察のようになってしまったが。
一方の辻垣内智葉は、京太郎の言葉に引っかかるものがあった様で、明らかに疑念の目を向けている。
「ん? 待て……優希というのは、あの片岡優希の事か? 清澄の。」
「えぇ、同じ清澄麻雀部の一年同士です。」
京太郎がそう言った瞬間、全員の目の色が一斉に変わった。
五者五様に様々な目線を向けられていたのが、明らかに1つの方向性へと変わっていく。
そうとは露知らぬ京太郎は、一変した部屋の空気に何事かと思うばかりである。
「あ、あの……何か?」
「いや、学生が来ると聞いていたが、まさか清澄からとは……」
興味関心、値踏みをするかの様な視線で見られ、京太郎はどうともムズ痒い気持ちになる。
刺さる視線に動けない京太郎の様子にしびれを切らしたのは、ここまで案内してきたアレクサンドラだった。
「いつまで入口で立ち話をしてるんだい? そろそろ中に入って、ちゃんと紹介と説明をさせてくれないか?」
「あぁ、そうですね。 すまない、呼び止めるようになってしまって」
「いえいえ、大丈夫っす。」
アレクサンドラからの呼びかけに応じて、京太郎は辻垣内智葉を横切り部室の中へと入っていく。
見回した感じでは、部室の広さは清澄のそれとあまり大差無い。
天井が高い分、清澄の部室の方が空間の広さを感じるものの、部屋としての形状が整っている分、面積そのものはこちらの方が幾分広いだろうか。
アレクサンドラに招かれた部屋の中程で、再び京太郎は全員の視線を浴びる事となった。
「はい、全員注目。 前もって話していた通り、彼が今日からココで働いてもらう事になった、スガキョウタロウだ。」
「改めまして、須賀京太郎です! 長野から来ました……少しの間ですけれど、よろしくお願いします!」
表情を引き締め、気を落ち着かせながらも元気の良い挨拶と共に頭を下げる。
言葉なく集まる視線のそれは何とかして欲しいと思うものの、この状況ではやむを得ない。
取り敢えず今は、その視線に対して緩まない事が最優先だった。
(間近でこうして見ると改めて思う……レベル高すぎだろう臨海女子……!)
清澄や他の学校のレベルが低い訳では決してないけど……そう心で誰にともない言い訳を零す。
彼女らの近くで働けるなど、健全な男子なら誰だって小躍りして喜ぶ事は間違い無いだろう。 京太郎だってそれは同じだ。
この突き刺さる様な視線と沈黙が無ければ、だが。
「彼にはココで雑務全般を担って貰う。 彼に任せられる様な所用であれば言いつけて構わない。 それと彼は外部スタッフという形ではあるが、同時に君らと同じ高校生でもある。 接し方はそういう認識でいて欲しい。 君もいいな?」
「は、はい、大丈夫です。」
やる事に関しては事前に聞いていた通り、砕いて言えば清澄でやっていた事と大差無い。
また、接し方云々というのは、要するに普通の高校生として接しろという事だろう。
「では監督、こちらからも自己紹介をさせて貰う……辻垣内智葉、三年だ。 改めてよろしく頼む。」
「あ、はい、よろしくお願いします。」
アレクサンドラからの説明に一区切りついた所で、辻垣内智葉が声をかけてきた。
応じる京太郎も再び頭を下げる。
頭を上げて見ると、卓についていた4人も立ち上がってこちらに歩み寄ってきていた。
「私はメガン・ダヴァン、アメリカから来ていマス。 サトハと同じ三年生デス。 よろしくお願いしまスネ?」
そう言って最初に話し出したのは、5人の中でも一際背の高い、褐色の肌をした蒼い瞳の少女だった。
独特のイントネーションと、緩くウェーブのかかった髪型が印象深い。
「雀明華、フランスから留学してきています。 学年は二年生になりますね。」
続いて自己紹介をしたのは、透き通るような白い肌と幾分か赤みががった瞳、引き込まれそうな程美しい長い髪の少女。
穏やかな表情に、思わず京太郎も気を解されそうになった。
「郝慧宇、貴方と同じ一年生で、中国から来ました。 よろしくお願いします。」
明華に続いたのが、黒髪をシニヨンでまとめたアジア系の少女。
同じ一年という事だが、不思議と年上かの様に思えるのは、その落ち着き払った雰囲気からか。
「ネリー、ネリー・ヴィルサラーゼ。 ハオと同じ一年だよ。」
最後に口を開いたのが、一番背丈の小さな少女。
優希と同じくらいだろうか……ふと京太郎は清澄の友人を思い返す。
尤も、誰とでもすぐ近付いていく優希と違い、彼女からはどことなく近寄り難い雰囲気を感じるが。
一通り自己紹介を終え、京太郎は全員の顔を見回す。
この部の中で彼女らから何を言い付けられ、どんな仕事をする事になるだろうかと思案を巡らせ
「それと、だ……彼にはここで、日に最低一度は君達と麻雀を打って貰う。」
「……はい?」
アレクサンドラの言葉で、瞬く間に引き戻された。
――――――――
「つまり、彼はそういう段階にある打ち手であると?」
京太郎の思考が纏まらない中、そう口を挟んだのは郝慧宇だった。
「いや、そういう訳じゃないよ。 聞いた話の通りなら、彼は初心者も同然との事だ。」
「では何故?」
「大前提として、他校の麻雀部の生徒を麻雀部で借りて、麻雀打たせなかったっていうのはNGなんだよ。 それと同時に、だ」
麻雀に関して初心者である事は、事前にアレクサンドラには話してある。
それだけにここで卓を囲めという話は、彼女が疑問を呈する以上に京太郎自身も何故かと問いたくなる事であった。
それらの疑問に応える様に、アレクサンドラは言葉を続ける。
「彼の様な初心者が、全国や世界の舞台に立ってくる事もある……極希にだけどね? そしてそういった手合いは得てして、経験者の集う卓上にノイズを起こすんだよ。」
「ノイズ、でスカ?」
アレクサンドラが始めた説明に先程とは別の少女、メガン・ダヴァンが言葉を零す。
「そう、ほんの僅かなものから常軌を逸するものまで様々にね。 地力は無いだろうから、そいつに勝つ事自体は簡単だろうけど……生まれる僅かな隙を他の経験者に突かれたり、それで勝機を逃す事があっては意味が無い。」
アレクサンドラの言葉に、5人は静かに聞き入っている。
京太郎も口を挟めず聞く一方になってしまっていた。
「酷な言い方だけど、君達はインターハイで優勝を逃した……優勝出来る充分な実力を持っていながらね。 次に同じ事があってはいけない。」
聞いている彼女達の表情は一様に苦いものである。
同時に、京太郎としても居心地が悪い。
例えインハイ決勝に何ら影響を及ぼしていないとしてもである。
「その為には、敗北に繋がる僅かな可能性も断っておく必要がある。 これは、その一環でもあると思って欲しい。」
「じゃあ、初心者の須賀相手に本気でやっていいって事?」
「そうでないと意味が無い。」
ネリーの質問に、アレクサンドラはさも当然という風に答える。
京太郎の方を向くネリーの瞳には、爛々と輝きが灯っている。
京太郎は彼女らが戦った試合を控え室で見ていた。 見ていた故に
(アレに放り込まれるのか、俺……)
そう恐慌するのも当然であった。
「須賀、折角だし今から一局やろうよ。」
「うぇっ、い、今ぁ!?」
そうして、どういう訳か目を輝かせヤル気に満ちたネリーからお誘いがかかる。
日に最低一度という事もあり、そう直ぐに来るとは思っていなかった京太郎にとっては見事な不意打ちとなった。
「そうでスネ。 卓を囲めば、言葉を交わすよりお互いの事がよく分かりマス!」
(いや言葉交わしましょうよ先に!!)
ノってきたメガンの言葉に、心の中で盛大にツッこむ。
「それでは私も入りましょう。 私のスタイルも、ある意味ではそのノイズというものに近いのでしょうし。」
郝もその意向に同意し、他の2人と共に場所決めの用意を始める。
事ここに至れば、最早京太郎に逃げ場は無い。
「大丈夫、心配はいりませんよ?」
「雀さん……」
心の準備も整わないまま卓に送られる事となった京太郎に、明華が穏やかに声をかける。
その優しさに満ちた言葉に救われた様な京太郎は
「次は私やサトハも入りますから。」
「立て続けでやらす気だこの人ぉっ!?」
悪意なき宣告の怖さを知った。
――――――――
『麻雀って、楽しいよね』
いつか誰かが言ったような、そんな言葉が蘇る
あの日見た卓上の戦いは、どれも鮮烈で、力強く、美しさすら感じて
それでも、そんな舞台に自分がいる事など想像すらしなくて
「ロン、8000」
「ツモ! 4000、8000!!」
「和――ロン、5800」
(あぁ、そうだな……麻雀、楽しいなぁ)
楽しいの意味がどこかへ消えそうな思いをしながら、京太郎は文字通り滅多打ちにされるのだった。