過去森峰の話   作:725404

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全部、おしまいです!

 会議が終わって1週間。夏の盛りも過ぎて行った。熱気は急速に収束を見せた。秋の訪れとともに、黒森峰も冷え込んでいった。

 中舎は最近、西住姉妹を食堂で見ていない。見るたびに同じ注文をしていた。今はそれができない。

 食券を手に、カウンターできつねうどんを待つ。きつねうどんは喉を通りやすい。身体に優しい。今の中舎にはちょうどいい。今の中舎は美味しい食事に耐えられない。食事をするたびに、副隊長に責任を押し付けたことを思い出す。自分のやったことを思い出す。うどんには自戒の意味が込められている。

 

「きつねうどん1つ!」

 

 カウンターの向こうで割烹着がひどく荒々しい調子の声を放つ。中舎の顔を見て、苛立っている。中舎のことを知っている。

 みんな、中舎のことを知っている。

 中舎のやったことを知っている。真実を知るものは少ない。中舎が嘘をついたことを知るものは少ない。中舎が暗に副隊長を嫌っていると思っているものは多い。やったこととの整合性が噂を生んでいる。

 噂――中舎は副隊長を降ろされた件で西住姉妹を恨んでいる。

 真実――西住家/黒森峰を愛している。誰も恨んでいない。

 噂――中舎は恨みを晴らすために、西住みほをOGに売った。メンタルヘルスの件を調べたのは弱みを探すためだ。

 真実――黒森峰のために、西住みほに責任を押し付けた。メンタルヘルスの件はでっち上げだ。

 真実を探る者はいない。全員、10連覇の夢が破れて気落ちしている。誰も大会前の熱気を持っていない。調べるべき風紀委員はOGに丸め込まれている。

 誰も真実は求めていない。

 

「はい、きつねうどんです!」

 

 恨みの篭った目で割烹着が中舎を睨む。中舎は俯く。うどんの汁が勢い良く置かれてせいでこぼれる。

 文句を言える立場に、中舎はない。トレーの上に乗せて、テーブルの空きを探す。端っこに場所を見つける。1人で座る。隣の生徒が中舎を一瞥。リンゼンズッペの乗ったトレーを持って、席を移動される。

 中舎は1人だ。誰も中舎が何をやったか知るものはいない。

 誰も西住みほが陥れられていることには気づかない。

 西住みほが責任を押し付けたことを知るものはいない。

 決勝で危険がなかったと、言い切ることができないのを知るものはいない。

 中舎は1人でご飯を食べ始める。割り箸が上手く割れない。手が震える。ゆっくりと麺を口に運ぶ。

 味がしなかった。うどんの汁――お湯。中舎はだし汁ではないことに抗議できる身分ではなかった。嫌がらせに対抗できる身分ではなかった。副隊長を慕っていた人間はみな、中舎の行動に憤りを覚えていた。

 中舎は黙って醤油をひとまわし。かろうじて味が感じられる。

 1人で食べている間、中舎の周りには誰も寄ってこなかった。

 

 

 **

 

 

 ランニングシューズはブーツよりずっと軽い。学校指定のジャージは毎日使うと洗濯する暇がない――自前のシャツとパーカー。

 ショートパンツとランニングタイツも空気が冷たい秋の日には丁度いい。

 用意を終える。部屋を出る。姉の部屋を一瞥。きっと、部屋にはいない。昼の練習が始まっている。

 ここ数日、みほの練習はランニングばかりだった。Fグループは散り散りになった。全員がシャッフルされた。他のグループも解体/再構築された。何の意図でグループ編成が変わったか隠されていった。

 みほの新しいグループはCだった。グループCは個別練習メニューが配られていた。Cは将来コーチや教導を志望する生徒が集められたグループ。個別に指導を与えられて、ほとんどグループ活動のないグループだった。

 みほはそこで掲示板には公開されない練習を与えられた。毎日ランニングをしていることは掲示板には書いていない。

 最初、グループを変えられた時にみほは隊長=まほのところへ話を聞きに行った。そこにはOGの数人が座っていた。話し合いが終わったところのようだった。まほは無表情だった。

 

「少し、練習を休んだほうがいい。色々あったし、練習すれば良いというものでもない」

 

 曖昧に濁した言葉でみほは煙に巻かれた。まほはそれ以上何か言ってくれはしなかった。無表情のままだった。

 ローテーブルを囲むように据えられたソファ。そこに座る3人のOGは何も言わずに、コーヒーを啜っていた。みほには、最後まで声がかかることはなかった。

 そうして、みほはランニングばかりの練習を続けていた。実際は、誰も監視していない。みほがサボっても誰も文句は言わない。みほに何もさせないようにしている。戦車から遠ざけている。それが目的だということを、知っている。誰がそんなことをしているかは分からない。

 みほには、何もできなかった。ただ走るのは気持ちがいい。ずっと走っていると考える必要がなくなっていく。

 そうして、みほは戦車から遠ざけられていった。

 

 

 **

 

 

「もう、転校しようと思うの」

 

 赤星が優衣にそう言われたのは、大会が終わってから3週間が経ったころだった。元Fグループの友人として話がしたいと誘われたダイナーで、赤星はそう告げられた。

 外はもう暗い。2人とも夜の練習はない。24時間営業のダイナーは間接照明で薄暗い。窓際の2人掛けテーブル席は外の明かりが照らしている。辛うじて、相手の表情が見える。

 優衣はひどく荒れた肌をしている。ストレスで、元から白かった肌が青白くなっている。ブラウンの瞳に輝きはない。

 2人にホットココアが出される。赤星は、それを手元に引き寄せる。口を付ける。甘い。上目遣いで優衣を見る。手をつけている様子はない。

 

「何で急に転校なんて……」

 

 赤星はホットココアを置く。優衣は顔を手で覆う。静かに涙をこぼす。頬が濡れる。

 

「最近、酷いの」

 

 そう言って、彼女は鞄からビニール袋を取り出した。中をテーブルの上に取り出す。

 手紙の数々だった。丁寧に折りたたまれたルーズリーフに書かれている。中身は誹謗中傷の数々だった。ひどい悪口ばかりが書かれていた。

 

「大会が終わってすぐから、これが毎日寮の郵便受けと下駄箱に入ってるの。それに最近は戦車にさえ乗せてもらえない。練習だって、ちゃんと受けさせてもらえないし、皆のわたしを見る目が怖いの」

 

 優衣は、途切れ途切れ言葉を紡いでいった。いずれも大会後のことだった。負けた責任を取れ、と脅されているようだった。

 赤星は、自分にもその手紙が来ていることは黙っていた。

 優衣の話に耳を傾ける。

 

「みんな、きっとわたしが黒森峰にいることが許せないんだと思う。だって、3年生にとっては最後の大会だったんだよ。もう3年生は黒森峰で優勝することはないんだ。1、2年生だって、もう黒森峰で10連覇する経験は絶対できない……。わたしが悪かったんだ」

 

 優衣は涙を拭い続ける。涙は溢れ続ける。赤星は黙って聞いている。

 

「だから、わたしは転校する。もう、黒森峰で戦車道なんてできないよ。わたしみたいなのが戦車に乗るなんて、厚かましいのかもしれない」

 

 優衣は追い込まれている。誰かに追い込まれるよう、仕組まれている。

 誰かが脅迫文を送っている。それは恐らくⅢ号に乗っていたメンバーをターゲットにしている。

 赤星は、優衣の手を覆うようにしてそっと、手を添える。

 優衣の手は冷たい。赤星の手はホットココアのカップが温めていた。ゆっくりと熱が移っていく。

 最後まで同じ温度になることはなかった。痺れるように、赤星の手に冷たさが移っていく。優衣の涙はテーブルにこぼれ落ちる。止めることはできない。

 

 

 **

 

 

 もう夏の日差しは通り過ぎた。緩い風が頬を撫でる。痛みに身体が耐えられない。風すら痛みを誘発する。

 中舎は寮の前で、学校へ行く用意だけ済ませていた。学校は既に始まっていた。2時間近く、ただ木陰に立っていた。

 動く気力も、前へ進む力もなかった。自分がやったことが日に日に大きくなっていく実感があった。

 最近は、副隊長が戦車に乗っているのを見かけない。多分自分のせいだ。

 中舎は鞄を地面に置いて、雲が動いていくのを眺める。寮監に見られたらまずい。そろそろ、どこかへ移動しなくては。

 鞄を手に持つ。身体を壁から起こす。門に向かって歩き出す。

 

「ここにいたのね」

 

 ゆっくりと門が開く。日傘を差した和装が歩いてくる。後ろには路肩に駐車した車が1台。

 中舎は鞄を取り落とす。足が止まる。膝が震える。唇をかみしめて、戦慄きを抑えようとする。

 

「学校に行ってみたのだけれど、いなかったものだから」

 

 和装がゆっくり近づいてくる。逃げられない。後ろに下がれば転けると中舎は思った。足が上手く動かせない。上手く上がらない。

 アスファルトが冷たい。気づけば無意識の内に後ずさっていた。予想通り転けていた。体が震えて立ち上がれない。手に力が入らない――起き上がれない。

「疲れてるみたいね、ほら。手を貸してあげる」

 和装が手を差し伸べる。皺ばかりの硬い手に触れる。目が合う。染みの多い顔。目だけが中舎と同じだった。瞳だけには、力がなかった。

 痛そうな、瞳。

 中舎と同じ痛みを抱えていた。

 

「少し話がしたいの。車に乗ってもらえるかしら」

「ええ、分かりました……」

 

 辛うじて声が出せる。手を借りて起き上がる。スカートについた汚れを払う。鞄を持つ。車に近づく。運転手が扉を開ける。乗り込む。

 また、隣に座ることになる。

 ゆっくりと車が動き出す。学校は授業中。サボり学生が、OGと同伴で話をする――黒森峰は斜陽だった。少なくとも、今までの黒森峰にこんなことはなかった。

 

「車の中って意外と話しやすい気がするのよね」

 

 和装はシートベルトを外して、助手席に身を乗り出す。小さな鞄を取る。中から小瓶を取り出す――ウィスキー。ラベルにはジャックダニエルと書いてある。中舎はビール以外飲んだことがない。

 

「あれからだいたい1ヶ月経ったわ」

 

 和装が1口。顔が赤くなる。皺が目立たなくなる。

 

「状況は悪化するばかりで、どうしようもないの。ここ1ヶ月、わたしたちOGは色んな方面で奔走を続けてるけれど、どうにもならない」

 

 和装が1口。口の滑りが良くなる。相槌を打つ間もなく、話が進んでいく。

 

「わたしたちの中にも離反者が現れたわ。西住流と黒森峰への出資が止まれば、必然的に衰退するしかない。わたしたちはお金を出すことで、この2つを守っているのに、出資が止めば、より事態は悪化していくの」

 

 和装が1口。顔は泣きはらしたように赤くなる。

 

「これ以上、状況を悪化させたくないからと言って、わたしとは違う方法で動いているメンバーも現れ始めたわ。西住みほ以外に責任を取らせようとする一派がね。でも、それじゃあダメだとわたしは思うの」

 

 和装が1口。目が据わっている。遠い何処かを見つめている。中舎を見ていない。

 

「もう、会議の時点で大枠は決まったわ。それは師範代……次期家元だって分かっているはず。傍観する他にないことも分かっているはず。状況を変えるためには、副隊長を守るためには、もう黒森峰の中で何かをやる程度じゃダメなことも分かっているはず」

 

 和装が1口。身体の熱が中舎にまで伝わってくる。

 

「それなのに、まだ他が動こうとしている。もう、片付けるにはわたしの考えを通すしかない。そのために、あなたに手を借りたい。もちろん、恩は返すつもりでいるわ」

 

 和装が1口。中舎を見る。ボトルを差し出す。中舎は受け取る。

 瓶はもう半分もない。1口飲む。初めての味。舌が焼ける。頭が痺れる。何も考えなくて済む。

 さらに、中舎は2口飲まされた。身体がふわふわと浮いた。考えがまとまらないようになった。何も考えなくて済むようにされた。眠気が舞い降りた。

 それでも、和装の話は続いた。直接的なことは何も言わなかった。ただ、いくつかの重要なことが分かった。分かるように、話をしていた。最初から飲ませる算段だったように思える口ぶりだった。

 車の外の景色が飛んでいく。車内が宙に浮いた密室に感じられる。中舎は浮遊感に揺れながら、和装の話を聞いた。

 曰く、

 

「わたしたちにはもう時間がない。これ以上出資者が減れば、黒森峰は維持できない」

 

 曰く、

 

「事態を手っ取り早く片付けるには、内外にアピールできる状態を取るべきだ」

 

 曰く、

 

「犠牲を最小限に抑える方法としては、これ以上の方法はない」

 

 決して、直接言葉にすることはなかった。それでも中舎は理解した。

 最後に、車が寮へ戻った。2時間は経っていた。もう昼も過ぎていた。

 ドアを開ける間際に、中舎は和装へ質問を投げかける。

 

「1人、学校から去った生徒がいることは知ってますか?」

 

 和装は赤らんだ顔を中舎へ向ける。

 

「知ってるわ」

「あなたがやったことですか?」

「いいえ」

「そうですか。ありがとうございます」

 

 中舎側の扉が開けられる。運転手は最後まで黙っていた。中舎は外へ出る。

 もう大会は遠い過去のような気がしている。余波だけがくっきりと黒森峰に跡を残している。秋の風が吹いている。

 

 

 **

 

 

 シャワーを浴びて、今日の授業の復習を済ませるともうやることはない。大会前と比べるとあまりにも味気ない生活が続いていた。

 みほは、一人部屋を持て余していた。ボコを置いてもなお有り余る部屋。広すぎて、むしろ居心地が悪かった。

 デスクの上で、昔の戦譜を確認し直す。4年前のサンダース戦。準決勝のときに穴が空くほど眺めた代物だ。大会前は毎日が忙しかった。みんなで優勝するために尽くしていた。みんなと優勝するのが楽しみだった。

 それは叶うことがなかった。夢で終わった。黒森峰に禍根を残すことになった。みほは、みんなのために動いていた。それは結局のところ、思い違いでしかなかった。

 それでもあの時の選択が間違っていたとは、思えない――絶対に。

 みほは、明かりを消す。明日に備えようとする。もう消灯時間が過ぎそうだ。大会前は消灯時間なんて気にしなかった。

 

「……すいません」

 

 もう夜更けだ。それにも関わらず、外の扉が叩かれる。控えめな音。明かりを再び灯す。パジャマの上にパーカーを羽織る。

 

「あ、中舎先輩……」

 

 みほは機甲科全員の名前を覚えている。それでも中舎の顔は一瞬明るくなった。

 

「少し、話があるんです」

 

 首をすくめている。小さく縮こまっている。

 

「じゃあ、入ってください」

「……ありがとうございます」

 

 深く頭を下げている。みほは扉を大きく開ける。中舎はおずおずと入ってくる。

 

「そこのソファに座ってください」

「すいません」

 

 中舎はすとん、と座る。小さくなっている。目が泳いでいる。部屋を見渡している――以前は中舎の部屋だった。

 今はボコを並べている。ソファの配置も変わっている。テーブルも一新されている。ベッドも一回り大きくなっている。

 

「それで、何の話ですか」

 

 みほがキッチンでお茶を汲む。1つを中舎の前に置く。

 中舎はお茶を1口飲む。ひどく怯えている。手が震えている。足が小刻みに揺れている。

 

「単刀直入に言わせてもらいます」

 

 まず、最初にそう前置きした。みほは息をゆっくりと飲む。熱くて、自分の淹れたお茶に手がつけられない。

 

「黒森峰から転校してください」

 

 中舎の目は据わっていた。有無を言わせない調子だった。一介の生徒が何を言っているのかと、普通なら思うところだった。

 それでも、みほは中舎の後ろにもっと大きなものを見た。中舎が嫌がらせだけで言っているようには見えなかった。ひどく怯えていた。身体が震えていた。目を何度も瞬かせている。

 

「わたし、黒森峰が好きなんです」

 

 みほはそこから、ぽつりぽつりと話を始めた。

 

「最初は怖くて、なんだか厳しくて、嫌だったけどそれが優勝のためだと気づいた時、楽しくなっていたんです。だって1つの目標に向かって同い年の子たちと頑張る経験なんて今までなかったから。楽しくて仕方なかった。わたしも普通の子みたいに学生生活が送れると思ったんです」

 

 みほがお茶を1口含む。久しぶりに喋っているみたいに、何度も咳き込んだ。

 

「きっと、黒森峰の生徒はみんな黒森峰が大好きなんだと思います。だから、こうやって大会の後にまで尾が引いているんだと思うんです。たぶん中舎さん、あなたも黒森峰が好きなんですよね」

 

 みほは向かい合って、中舎を見た。中舎は震えていた。見つめられていることに怯えていた。

 

「わたしも……黒森峰が好きです」

 

 ゆっくりと言葉を口にする。みほが頷く。

 

「たぶんですけど、わたしのことも嫌いじゃないですよね」

 

 中舎の震えは今までで一番大きかった。ガタガタと震えていた。スカートの端を握りしめていた。震えを抑えようとしていた。首筋の血管が浮き出ていた。痙攣を起こしたみたいに瞼が引き攣れている。

 

「わたしも黒森峰が大好きで、黒森峰のみんなのことが好きです」

 

 みほが中舎を見ている。中舎は震えている。自分の大好きな人間を陥れていることに、痛みを覚えている。黒森峰/西住流と西住みほを天秤にかけたことを後悔している。もう突き進むことしか無いと悟って、怯えている。

 みほは、全部は分からなかった。それでも自分さえ転校すれば、黒森峰は救われると気づいた。

 

「でも、好きでいるためにも努力が必要なんです。中舎さん、出ていってください」

 

 みほは顔を伏せた。中舎は何度も立ち上がるのに失敗した。それでも、部屋を出た。

 みほは中舎が出ていった部屋で、すぐに明かりを消した。ベッドに入り込んで、布団を頭から被った。

 誰も、中で何が起きていたかは知らない。

 

 

 **

 

 

「失礼します」

 

 校舎の一画に据えられた執務室――隊長室。そこに西住まほはいた。普段は書類の承認/練習試合をした各校との交流などに使われている。生徒用の教室で唯一固定電話が置かれている部屋でもある。

 マホガニー材のデスクにパソコンと書類が積まれている。そこにまほは座っていた。

 

「入ってもいい」

 

 扉が開かれる。中舎が立っている。震えてもいない。怯えてもいない。表情も乏しい。

 まほは書類から目を上げて、睨みつける。

 

「なぜ呼び出されたか分かっているか?」

 

 中舎は動じない。直立不動のまま、落ち着いている。

 

「分かりません」

「1ヶ月前を思い出せ」

「何のことでしょうか?」

 

 中舎は落ち着き払った態度を取っている。

 

「会議のことだ。OGと機甲科を集めた、反省会をまさか忘れたとは言わせない」

「ありましたね、会議」

「なぜ、あの場でみほに責任を押し付けた? 言わなくて良いことまで言った理由は何だ」

「言わなくて良いこと、というのが分かりかねます。わたしは言うべきことを言っただけです」

 

 中舎は震えない。まほの腕の血管が浮き上がる。拳が強く固められる。

 

「何故、お前はみほを追い込んだんだ」

「追い込んだつもりはありません。事実を述べたまでです」

 

 中舎は落ち着いた風を装っている。まほは怒りで拳を固めている。

 

「――お前のせいで、みほは今日黒森峰を出る。なぜ、やったのか話せ」

「わたしは事実を述べただけです。何も、悪いことはしていない」

 

 最後まで中舎はシラを切った。

 

「……もういい」

「といいますと?」

「退出していい、ということだ。今すぐ出て行け」

 

 まほは中舎を睨みつける。中舎は怯えない。震えない。もう、そんな権利はない。やることをやったのだ。

 

「では、失礼しました」

 

 中舎は部屋の外へ出る。扉を閉める。寮よりも薄い扉――中の音がかすかに聞こえる。

 デスクの上にあるものが残らず吹き飛ばされる音。電話が壁に投げつけられる音。準優勝のカップが割れる音。重いデスクがひっくり返される音。壁に備えられた絵画の額縁が壊れる音。椅子が投げつけられる音。

 

 

 **

 

 

 練習日和だというのに、大会前と違って活気がなかった。赤星は再び立ち上がろうとしていた。昇降口でブーツを履く。久しぶりの戦車だ。

 秋の風が吹いている。戦車を乗るにはちょうどいい気温。空は晴れている。

 それなのに、1つだけ異物が混じっていた。

 

「どうしたんです、先輩」

 

 中舎。校舎を出てすぐの木陰でへたり込んでいる。足に力が入っていない。顔にも力がない。瞳の輝きが失われている。

 

「大変だ……わたしは本当に……ああ」

「何です?」

 

 赤星は肩を貸して、中舎を起こす。中舎は壁にもたれかかる。力が入っていない。自力では立つのも難しそうだ。

 

「……副隊長が今日、転校するそうだ」

「!?」

 

 赤星は息を飲む。帽子を落とす。目を何度も瞬かせる。信じられない――心当たりが1つ。

 嫌がらせは副隊長にも及んでいた?

 

「すみません、今日は練習休むとG-1のリーダーに伝えてください」

 

 中舎を置いていく。走る。ヘリポートは遠い。校舎の外を全力で走る。すぐに暑くなる。まだ、秋だ。PJは熱がこもりやすい。

 校舎が遠ざかっていく。入学初日に歩いた寮までの道を駆け抜ける。チューダー様式の家々が道に並んでいる。ひたすら走る。

 ヘリポートは学校の外れにある。校舎と寮の向こう。人工的に作られた川を1つ隔てたレストラン街の付近。あまり艦内の店は行かないから、見覚えのない通りとなる。それでも地図で見たことはある。ひたすら走る。

 いくつもの通り/ビルの隙間を抜ける。空が見えなくなるような猥雑な空間を抜ける。

 空が広がる。

 ヘリポートの付近は何もなかった。ヘリの邪魔だからだろう。ドアのないキューベルワーゲンとヘリが1台。それに、2人がいた。

 西住みほと逸見エリカ。逸見はよく知っている。ヘリの操縦手から叩き上げで、レギュラーまで上り詰めた同級生。

 みほのことは、驚くほど何も知らなかった。こうして、ここまで来てようやく気づいた。

 西住家の次女だとか、黒森峰の副隊長だとか、周辺情報はよく知っている。みんな知っている。けれども、西住みほ自身のことは全く知らなかった。

 息を切らせて、赤星は2人の前まで行く。2人は驚いている。逸見は苦々しい顔を一層しかめた。

 

「す、すいません……ちょっと待って下さい」

 

 1キロ近く全力で走っていた。息が上がって話ができない。何度も深呼吸する。ようやく息が整う。

 

「わたしは、ヘリで待ってますから」

 

 逸見は、そう言ってヘリに乗ってしまった。

 赤星とみほだけになる。

 

「すいません、わたし赤星小梅といいます」

「うん、知ってるよ。わたしは西住みほ……って知ってるよね?」

 

 たはは、とみほは笑った。瞳は赤星を見ていなかった。PJ姿の黒森峰生を見ていなかった。

 

「すいません、今日はどうしても話をしたくて」

 

 もしかすると、最後になるから――とは言わなかった。言いたくなかった。赤星は、初めて私的な会話をすることに驚きを覚えていた。副隊長のことを何も知らないというのにも驚いていた。

 みほとのあまりの距離に、初めて気づいてしまった。

 初めて、こんな風に話すのだ。

 

「あのですね、実はわたしあの時……プラウダ戦の時に助けてもらったⅢ号の車長なんです! それで、」

 

 ありがとう、と言いたかった。赤星はあと少しでそれが言えた。

 でも言えなかった。

 みほは目を細める。ダウンウォッシュの風にスカートがはためく。手で抑えて、取り繕った笑みを浮かべる。

 

「ごめん、今は戦車の話を聞きたくなくて、ごめんなさい」

「あ、あの……」

 

 みほは昇降用ステップに足をかける。赤星に背を向ける。

 

「じゃあ、さよなら」

 

 赤星は最後まで何も言えなかった。ありがとう、と言うこともできなかった。

 ヘリが遠ざかっていく。秋の空へ消えていく。豆粒みたいに遠ざかる。

 赤星は立ち尽くす。ヘリポートの冷たいコンクリートに目を落とす。

 ――わたしが迷惑をかけたから。

 赤星はしゃがみこむ。誰もいないへリポートで泣き始める。大声で泣き始める。 

 涙は自分のために流さなかった。

 わたしのせいで戦車道を辞めてしまった、わたしが迷惑をかけたみほさんのために泣いた。

 

 

 **

 

 

 ヘリはどんどん黒森峰から遠ざかっていく。ヘッドセットが頭を締め付ける。

 遠くに見える太陽が黒森峰を照らしている。練習用の森が見える。一度も使わなかったアウトバーンに車が走っている。校舎も見える。寮もわずかに見える。

 黒森峰を見る。

 みほは遠ざかっていく、母校を見た。ずっと見た。

 入学前の練習試合から、大会の最後までがくっきりと思い出せる。みんなで厳しい練習を乗り越えたことも思い出せる。楽しい練習試合を繰り広げたことも思い出す。

 もう、それが返ってこないことを思い出す。

 黒森峰が好きだった。黒森峰の生徒が好きだった。みんなの顔と名前が一致する。思い浮かぶ。何が得意で、何が苦手か分かる。全部覚えている。忘れることは、絶対にない。

 忘れないことには、何の意味もない。

 それでも覚えている。ずっと覚えている。

 黒森峰が遠くなっていく。豆粒のように海に浮かんでいる。消えていく。

 

「黒森峰、転校したくなかったよ……ずっといたかった。みんなで、優勝したかったよ……」

 

 誰にも聞こえない声。ローターにかき消されて自分でも聞こえない。涙がぽろぽろと溢れ落ちる。

 好きだった黒森峰は、もう見えない。




今まで読んでくれてありがとうございます。

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