過去森峰の話   作:725404

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プラウダとの決勝です!

 演習場は曇り空。夏の熱気が立ちのぼっている。曇っていても夏は忍び寄っている。

 客席にはビール売りがいる。両校の応援に制服たちが群れている。整列するメンバーたちにもざわめきが聞こえる。赤星にも聞こえる。目ざとく両親を見つける。手を振っている母親。ビールを飲んでいる父親。

 OG会の面々も行儀よく並んで座っている。和服で着飾っている。一番後ろには西住流の時期家元候補が座っている。鋭い空気を纏っている。微動だにしない。落ち着きを自分のものとしている。自然な態度と硬質な雰囲気が調和している。

 湿った空気に虫たちが踊っている。セミの鳴き声が演習場に満ちている。熱い風に葦の腐った匂いが乗っている。

 空には既にヘリがいた。バラバラとローターの回転する音が聞こえる。湿った空気を裂いている。

 湿気で髪の毛が膨らむ。首筋に髪が絡む/張り付く。湿気が不快感を煽る。

 

「両チーム、隊長副隊長、前へ!」

 

 真ん中に立つ審判長が一歩前へ出る。黒森峰の隊長/副隊長も前へ出る。プラウダの隊長/副隊長も前へ出る。

 赤星は整列している。黒森峰は皆、姿勢を崩さない。相対する相手もPJをきちんと着こなしている。緊張感で空気をひりつかせている。身じろぎ1つしない。

 

「今日はいい試合が出来るといいね」

 

 ぎこちない日本語。不遜な笑み。まほを見上げている。赤星からは人影に隠れてあまり見えない。

 プラウダの隊長。赤毛を長く伸ばしている。ずんぐりむっくりの身体が大きく見える。実際は小さい。物怖じしない態度で一回り大きく見える。スラブ系のサファイアじみた瞳は、鋭い。鉤鼻が高く主張している。

 プラウダの留学生だ――ロシアの学園艦から。

 ウィンク。不敵な態度。西住まほ/みほは軽い会釈で返す。

 

「本日の審判長、蝶野亜美です」

 

 蝶野亜美――審判長。両校の隊長/副隊長に向かって笑顔を見せる。4人は礼をする。後ろの赤星たちも礼。

 

「両校挨拶!」

 

 審判長が高らかに宣言。演習場に声が響き渡る。客席が静まり返る。一瞬の沈黙が場を支配する。

 それから、両校の声が重なる。

 

「よろしくお願いします!」

「試合開始地点へ移動。お互いの健闘を祈るわ」

 

 試合が始まる。優勝が近づく。赤星は興奮する。興奮しているのが自分だけじゃないと知っている。みな、高揚している。

 空が雨を溜め込んでいる。森に落ちた影は暗い。陰鬱な景色に、暗い情念の炎が満ちる。

 

 

 **

 

 

 両校の開始地点は真逆。東西に別れている。演習場の北は市街地。南は礫砂漠。中心は森林に囲まれた岩だらけの丘が広がっている。守りつつ攻めるなら高地を取るのが先決だった。

 

「今回は中心の丘が決め手となる」

 

 隊長もそう考えていた。みほもそう考えていた。

 

「だが、プラウダのT-34/85は足が速い。こちらの主力、ティーガーⅠでは先に高地を取ることはできない。だから敢えて高地は取らないことにする」

 

 大胆な作戦。数と性能にまかせて押し切る気はなさそうだった。

 みほは隊長が何を考えているか、推測を立てようとする――副隊長の役目。

 

「今回は試合前のミーティング通り、5両1小隊として4つの小隊に分け、高地を取った相手を攻める」

 

 練習では5両での動きも多い。本番でいくつもの小隊に分け、それぞれを独立して機能させた経験は少ない。

 

「前回までは基本的に2つ以上に分けての戦略は取らなかった。戦力を分散させる必要がなかったからだ。サンダースのシャーマン相手なら固まって動いたほうが相手に乗せられることもなかった。

 しかし今回の相手はT-34/85やKVー1。基本的に相手もわたしたちと同じように遠距離からの砲撃で戦うことができる戦力を持っている。つまり今までのように撃ち合いになった場合、やられる可能性が高いということだ」

 

 隊長の言い分は最もだった。みほは頷きながら、言葉を待つ。

 

「だから今回は4つの小隊を高地の四方から囲み、稜線射撃をもって敵フラッグ車を狙う。基本的な指示はいつも通りわたしが出すが、細かい指示は小隊長に委ねる。これは今まで練習中に指揮を任せた各グループリーダーが担当することになる。

 ミーティング通り、相手の最も想定外となるであろう背後にフラッグ車の小隊を配置する。副隊長、それでいいな?」

「問題ないです」

 

 みほが強く頷く――フラッグ車であるティーガーⅠの車長はみほだ。まほは鋭い目つきでみほを見る。信頼を寄せた瞳。

 

「では、フラッグ車の小隊が位置についた段階で攻勢に出る。互いに連携を取り、間断なく攻撃するつもりだ。いくぞ」

 

 鋭い声音。全員が聞いていた。みほのティーガーⅠが動き出す。エンジンの音が背後で聞こえる。履帯が地面と噛み合う。音が響く。隊列が動き始める。

 試合が動く。

 みほの第4小隊――3年生の乗るティーガーⅠ2両/赤星が車長を務めるⅢ号中戦車が1両/2年生の乗るパンターG型が2両の計5両。みほ自身は先輩を手足のように使い、全試合を切り抜けていた。プラウダ戦も最上級生とともに搭乗していた。

 パンターとⅢ号で脇を固めたパンツァーカイルで南西方面へ進む。丘を避けて回りこむ。パンターのシュルツェンがガタガタと鳴る。装着が甘い。

 丘の南側に到着する前に一時停止。みなでシュルツェンを装着しなおした。音が消える。エンジンと履帯の音が砂漠にかき消される。湿った空気に融けていく。

 

「待機位置に到着」第1小隊隊長――まほが告げた。

「待機位置に到着」第2小隊隊長が言った。 

「待機位置に到着」第3小隊隊長が言った。

 

 3つの小隊は回りこまずに位置にたどり着ける。みほの小隊だけ待機位置が遠い。既に丘にはプラウダが陣取っている。

 岩だらけの地形に足をとられる。風が湿っている。戦車内の空気も淀む。みほは滝のように流れる汗を拭った。髪の毛が首筋に張り付く。首につけた咽喉マイクが湿る。PJを着込んだ身体が湿る。

 小隊は前へ進む。礫砂漠から岸壁へ。乾いた土からぬかるんだ岩へ。遠くまで見渡せる地形から入り組んだ岩山へ。

 

「ここからは縦列になります。2号車はわたしの前へお願いします」

 

 2号車=赤星車。Ⅲ号中戦車は偵察に使える。ティーガーⅠより小回りが利く。

 

「第2小隊、攻撃されました」

 

 事態が動いたのは第4小隊が待機位置に着く1km前のことだった。

 

「説明を」

 

 まほが簡潔に指示。第2小隊の無線から砲撃音が響く。履帯が動く音もする。エンジンが唸っている。混乱が伝わる。

 

 第2小隊の隊長が言った。「相手はこちらが見えていないようです。予測をたてて攻撃されました」

 まほが言った。「エンジンの音をなるべくたてるな。場所を悟られるな。最小限の動きで後退しろ」

 第2小隊長が大声を張り上げる。「ヤークトパンターが1台やられました! 軌道輪損傷! クラッチが壊れて走行不能です!」

 

 ヤークトパンターの弱点――ミッション/クラッチ周り。双方予測不能の攻撃に慌てた乗員のミス。後ろに下がるときにクラッチをやられる。

 第3小隊長の無線からも砲撃の音が響き始める。みほは背後に煙を見る。第3小隊の待機位置は、第4小隊の指定ルートの付近にあった。礫砂漠と高地に挟まれた僅かな森林地帯。煙が高く伸びている。エンジンの音は聞こえない。無線からは悲鳴のように履帯が音をたてている。

 

「こちらも砲撃を受けています。攻撃の許可を」

 

 第3小隊の隊長は忘れていた――小隊規模に判断権があることを。それが功を奏した。

 

「攻撃の許可はしない。エンジンの音を立てずに後退しろ。敵に居場所を悟られるのが一番まずい」

 

 第4小隊――みほの小隊が攻撃に参加できない。15両で推定20両の敵と戦うことはできない。相手は黒森峰より装弾数が少ない。やみくもに撃てば不利になるのはプラウダのほうだった。意図がつかめない。

 

「引き続き待機位置へ向かいます」

 

 みほは隊長へ報告。

 

「了解。気づかれてはならない」隊長が言った。

 

 まだ砲撃の音が響いている――無線の向こう側。森林に煙が立ち上っている。

 

「相手はこちらがどこにいるのか分かっていない。無駄撃ちさせろ。撃っているのは向こうだが、有利なのはこちらだ」

 

 隊長の落ち着きが言葉となって広がる。誰も指示を無視して撃つことはない。ゆっくりと後退していく。みほたちだけが前へ進む。砲撃の音はやまない。

 

「後退しました。敵の砲撃は前方30mの稜線を中心にしています」第2小隊隊長が言った。

「後退完了しました。こちらも敵の砲撃は待機地点の稜線の模様です」第3小隊隊長が言った。

「砲撃は後退に合わせていないな?」

「はい」第2/3小隊隊長が同時に報告。

 

 プラウダは予想して攻撃をしているだけだ。本当に敵がいるのかの確認はしていない。無駄撃ちといってもいい。ティーガーⅠの半分ほどしかない装弾数のT34が主力のプラウダで無駄打ちは深刻な問題だ。何が目的かもみほには分からなかった。

 ひたすら待機位置へ向かう。はやく黒森峰の想定内に事を収めたかった。

 

「敵、煙幕を使用してきました。近づいてきている音がします」

 

 第2小隊隊長が無線で告げる。一瞬の混乱から復帰した途端のことだった。砲撃の間隔が短くなっている。

 

「敵はこちらが小隊に分けていることと、まだ5両が戦闘できる状態でないことを知っているのでは?」

 

 第3小隊の隊長が言った。砲撃が近づいていた。第2小隊は律儀に砲撃をしなかった。無鉄砲な砲撃を木々や谷の影に隠れてやり過ごしていた。

 

「相手に知られる要因はなかった。こちらをおびき出そうとしている。近づいてきた相手だけ撃破して待機地点から離れろ。第2小隊は待機地点からK301地点へ移動」

 

 K301――待機地点の300m西にある幹線道路風のスポット。丘が見える。丘からは俯角が取れない位置。間に挟まった小さな森林が天然の砦と化している。第2小隊の予備待機地点の1つ。

 

「7号車、ステレオスコープが損傷」

 

 第2小隊随一の攻撃力が損傷。ヤークトパンターのステレオスコープは装甲全面上部についている。耳のように見える。少しだけ飛び出している。T-34/85の機関銃が当たって壊れた。

 

「全力で逃げろ。追いすがってきたものだけ倒せ」

 

 まほの簡潔な指示。砲撃が無線から聞こえる。履帯が草を踏み潰す音が聞こえる。エンジンが唸る音が聞こえる。

 ――雨の音が混じる。

 

「視界が取れません。敵の数が見えません」

「撃たれたら撃ち返せ。K301へは市街地を迂回しながら向かえ。一直線に行けばバレる」

 

 煙幕と雨で視界は最悪。森で広い視界も取れない。無線は損傷被害で満たされた。みほにできることはすぐにでも待機地点へ向かうことだけだった。

 

「第1小隊で援護に向かう。第3小隊はN903地点へ。敵の狙いは分からないが、有利なのはこちらであることを忘れないように」

 

 見えない敵と戦っているのは黒森峰だけではなかった。プラウダは無駄に撃って、無駄に追いかけまわしているだけだとみほは思った。

 

「今、丘には何台いますか?」

 

 みほは全員に向けて言った。第2小隊を攻撃する部隊/それぞれを砲撃する部隊/丘にいる部隊――把握していれば、対処もできる。

 ――軽く聞いてみただけだった。致命的な問いだった。もう遅かった。

 

「確認できません」第2小隊隊長が言った。砲撃が後ろで鳴り響いている。

「見えない。煙幕と雨が邪魔している」まほが言った。ティーガーⅠのエンジンが唸っている。

「下がったので見えません。こちらの砲撃はやみました」第3小隊隊長が言った。落ち着いた口調。

 

 そうして、初めて隊長/副隊長は気づいた――プラウダの意図に。

 

「全車、丘へ向かえ! 敵はフラッグ車が背後から攻めてくると気づいている。丘を通って第4小隊と合流するんだ」

 

 無駄な攻撃――余裕を見せて全車両が丘にいると見せかけた。

 煙幕――丘の車両の数を隠した。

 追撃――丘を見せないようにした。

 

「第4小隊、ルートを変更します」

 

 最初のルート――崖から森へ入り、丘まで上がる予定。変更後は、崖に沿って丘へ上がるルート。

 崖沿いには川がある。道幅は狭い。追いかけるには一直線に進むしかない。迎え撃つなら一両ずつしか顔を出せない。防御に優れた地形。

 

「第1小隊、第2小隊は西の市街地から丘へ上がる。第3小隊は待機地点からそのまま丘へ上がれ」

「了解」

 

 第3小隊が丘へ上がり始める。第1/2小隊も追って逆側から丘へ上がる。煙幕と雨の混乱はまだ晴れない。雨は強くなる一方。

 みほたちは崖を登り始める。緩やかな傾斜が崖に沿って続いている。雨音が強くなる。脇の川が濁流を生んでいる。音が混濁していく。川の水のにおい/岩にむした苔のにおい。野生の匂いが強く香る。

 黒森峰は相手の陽動に気づいた。砲弾を無駄撃ちしたプラウダは追い詰められている。第4小隊と他小隊が合流すれば勝てる試合。黒森峰はもう優勝を視界に捉えていた。もう少しで10連覇が手に届く。栄光のすぐそばまできていた。

 その時、激しい砲撃の音が響いた。

 

 

 **

 

 

 岩が割れる。足場が崩れていく。土煙があがる。風が巻いて、無線感度が落ちる。ノイズが混じる。履帯が外れて、転輪が地面と擦れ合う。エンジンは回転を続けていた。

 赤星はとっさに操縦手に指示。なんとか崖から落ちるのを防ごうとした。小転輪に架かった水平スプリングユニットの1つが砲撃で壊れている。動かない。

 エンジンも止まる。砕けた岩がオイル供給パイプを詰まらせた。ピストンが損傷。黒煙が漏れる。赤星は動じない。

 キューポラの近くに取り付けられた視察ブロックから川の対岸を覗く。雨と土煙であまり見えない。必死で目を凝らす。

 

「報告! 敵フラッグ車は対岸500mの岩に隠れています! M456地点と推測!」

 

 崖から滑り落ちていく。最後に敵の位置を伝える。できることはそれだけだった。勝利に貢献したと思った。

 Ⅲ号が落ちていく――

 着水。

 

 

 **

 

 

 赤星が最後に残した無線をみほは聞いていなかった。キューポラから身を乗り出して、あっという間に外へ出ていった。

 雨が髪を濡らす。靴が滑る。必死に追いかける。顔に前髪が張り付く。気にしている暇はない。

 ――みんなで優勝しようと思っていた。

 みほは崖を降りていく。濁流に身を乗り出す。飛び込んで、泳ぐ。車長用キューポラに手を掛ける。両開きのキューポラをこじ開ける。

 

「なんでみほさんがいるんです!?」

 

 赤星が丸まっている。衝撃に備えている。みほはあっけにとられた。

 

「こっちへ!」

 

 赤星の強い力がみほを戦車に引き込む。両開きのハッチが閉じられる。崖にぶつかって戦車内は衝撃に包まれる。

 激しく揺さぶられる。

 赤星の額とみほの額が勢い良くぶつかる。

 

 

 **

 

 

 中舎はヘリから全部見ていた。敵のフラッグ車=IS-2が赤星のⅢ号戦車J型を崖に落としたのを見た。

 そのあと、みほが外へ出たのも見た。

 前方から崖を降りてやってきたプラウダのKV―1が黒森峰のフラッグ車=ティーガーⅠに白旗をあげさせたのも見た。

 全部、見た。

 見ていた。

 ヘリがぐるぐると回っている。中舎もぐるぐると回っている。優勝/10連覇/西住流の威光/黒森峰の意地――全てがぐるぐると回って、落ちていく。

 

「黒森峰フラッグ車、走行不能。よってプラウダ高校の勝利!」

 

 審判長の声が無線から聞こえる。ティーガーⅠに白旗があがっている。守ろうと前に出たティーガーⅠは途中で止まっている。

 Ⅲ号が乗り上げたのは、下流100mの大きく川がカーブした地点だった。

 全てが終わった。大会が終わった。

 ヘリから降りてもまだ雨は降り続いていた。中舎はなかば朦朧とした頭で周りを見渡す。観客席が場違いな青と白のストライプ生地の雨よけで覆われていた。プラウダの応援席が大盛り上がり。黒森峰の観客席は静けさに包まれている。

 OGの1人が中舎を見ていた。ヘリを見ているのかも知れなかった。着物姿のOGは中舎と同じような顔つきだった――朦朧としていた。 


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